2020年09月21日

「走れメロス」「富嶽百景」 太宰治

「走れメロス」「富嶽百景(ふがくひゃっけい)」 太宰治 新潮文庫「走れメロス」から

 本棚の整理をしていたら、太宰治氏の大量の文庫が出てきました。しばらくは、ちょこちょこと同氏の短編を読みながら、ときおり感想を残してみます。
 すでに読んだことがあるものもありますし、読んでいないものもあります。読んだものにしても、もうずいぶん昔のことで記憶はおぼろげです。

「走れメロス」
 メロス:村の牧人。羊飼いが仕事です。
 セリヌンティウス:メロスの竹馬の友(ちくばのとも。幼なじみ。竹馬(たけうま)にのったころからの友だちで固い絆(きずな)ある)メロスの住む村から10里(40km)のところにあるシラクス市で石工(いしく。石を加工する仕事)をしている。
 デイオニス:自分にさからう人間、自分が気に入らない人間は殺すというシラクス市の王さま。暴君(人民を苦しめる君主。ワンマン)

 末尾に、「古伝説と、シルレルの詩から。」とあります。
 神話の世界です。現実にはありえない状況設定です。
 メロスが、暴君デイオニスを殺そうとして逆に捕まります。メロスは死刑です。
 メロスは、デイオニスに願いを申し出ます。死刑の刑は受ける。ただし、ひとり残る妹を信頼できる男と結婚させてから死刑にしてくれ。猶予は三日間でいい。メロスには、両親も妻もなく、身内は妹だけです。
 メロスはさらに、自分の人質として、竹馬の友のセリヌンティウスを差し出します。自分が三日以内に戻らない時は、自分の代わりにセリヌンティウスを処刑してもらっていい。
 セリヌンティウスは、メロスの申し出を受けて人質になります。
 王さまのデイオニスは笑います。笑いながら、メロスの申し出を受け入れます。そんな美談は成立しない。メロスは、自分の命を守るために逃げると断定します。
 しかし、美談は起こります。成立します。
 王さまのデイオニスは、ふたりともの命を救います。

 王さまデイオニスには、悲劇があります。彼は人間不信、親族不信があります。今自分がもっている権力を狙っているのは身近な親族です。だから、身内を殺します。殺さないと自分が殺されるという恐怖を抱いています。だから最初に、妹婿を、次に、自分の子どもを、それから妹も、妹の子どもも、妻も、自分を支えてくれていた家臣も、殺してしまいました。権力者というものは孤独なポジションです。おびえるオオカミのようです。権力者は権力を失ったときには、そばにはだれもいなくなります。対して、メロスは、妹思いで人間的な心をもっています。牛のような雰囲気です。

 メロスは、妹の結婚式のあと妹に、こう話をしています。自分の一番嫌いなものは、人を疑うこと、それから嘘をつくこと。
 三日間でシラクス市の処刑上に戻る予定のメロスに天候不順の不運が襲います。豪雨です。河川が荒れて渡れません。最後には、濁流の中を泳ぎとおして川を渡り切りますが、メロスはへとへとに疲れ切ります。さらに、三人の山賊にも襲われて身ぐるみをはがされそうになり、闘って三人の山賊を倒します。メロスの体はもう動けないほど力を失います。
 そして、メロスは、<もういいか。もう戻らなくてもいいか>と思います。
 このあたりから、太宰治氏の文章に熱い勢いが生まれきます。「信じること」に対する思い入れが強く表現されます。
 敵は、王さまのデイオニスではなく、自分自身の心の中にあるものなのです。メロスの言い訳が続きます。自分は、友のセリヌンティウスを救うことはできない。
 メロスは、岩の割れ目から湧き出ている清水(しみず)をひとくち飲みました。水は、「薬」みたいなものだろうか。メロスは心身ともに生き返ります。そして、「走れ! メロス」となるのです。友人のセリヌンティウスは、自分を信じてくれているので、その期待に応え(こたえ)なければならない。
 
 作品のなかに、「美」があります。読んでいて、すっきりした青い色の青磁器が思い浮かびました。

 メロスは友人のセリヌンティウスに遅くなったことと、そして、一度だけ帰還をあきらめようと思った過ちを告白します。
 セリヌンティウスもまたメロスに謝罪します。メロスは戻ってこないかもしれないと一度だけ疑ったそうです。
 ふたりのようすを見た王さまのデイオニスが改心します。ふたりを讃えます。対立を乗り越えて、三人で協力していこうと提案します。王さまはようやく人を信用できるようになったのです。

 「友情」というよりも、「信頼関係の構築」に重きをおいた作品だと感じました。

 さいごは、メロスががんばりすぎたので、まっぱだかだったというユーモアで終わっていたのは意外でした。

 調べた単語などとして、
憫笑(びんしょう):あわれんで笑う。
反駁(はんぱく):相手の意見などに反論すること。
腹綿(はらわた):人間の性根(しょうね。その人の基本的な心のもち方)
繫舟(けいしゅう):岸につながれた舟
ゼウス:神。ギリシャ神話の最高神
信実(しんじつ):正直、まじめ


「富嶽百景(ふがくひゃっけい)」
 富嶽:富士山のこと
 浮世絵話から、富士山の傾斜角度の観察が始まります。
 静岡県熱海市の北に位置する十国峠から見えた富士山のこと。
 東京のアパートから見る富士山のこと。三年前、昭和十三年の初秋に作者は甲州へ(山梨県へ)旅に出た。甲府市からバスで一時間、御坂峠(みさかとうげ)へ到着する。小説家であり、作者の師匠である井伏鱒二氏(いぶせますじ)と面談している。
 宿泊する茶店からは、風呂屋のペンキ画と同じ風景が見えた。作者はそれが嫌いだった。
 文章表現が豊かです。井伏鱒二氏が登山の途中で、放屁(ほうひ)されたそうです。そして、読みやすい。
 訪問の目的は、作者の見合いです。つまり結婚相手候補との面談です。
 
 太宰治氏は、自分はたいした人間ではないが、「苦悩」だけはしてきたと強調します。

 有名なフレーズとして、「富士には月見草がよく似合う」

 すべての文章が、遺書に思えてしまう。生きていたときの物悲しさがある。

 麓(ふもと)の遊女たちのバス観光がある。

 富士山に頼む。すべてあんばいよういくようによろしくと頼む。

 青森の実家からの援助はまったくなく、お師匠のお世話になって、なんとか結婚されたようです。
 
 太宰治氏は旅人です。このときは、富士山に守ってもらいました。

 これは、日記としての記録形式の小説です。

 調べた言葉などとして、
太宰さんはひどいデカダン:退廃的な態度をとる芸術家太宰治氏。あわせて、性格破産者とあり。(しかしそれはイメージで、じっさいは、まじめなちゃんとしたおかたという25歳の地元郵便局勤めをしている新田さんという一般人の話あり)
安珍・清姫伝説:あんちん・きよひめ伝説。安珍は僧侶。紀州和歌山県が舞台。平安時代。能、歌舞伎、浄瑠璃。安珍に一方的に恋する清姫が蛇になる。
悉皆(しっかい):ことごとく全部

 気に入った言葉の趣旨などとして、
「山は登ってもすぐに降りるだけ。つまらない」
「くるしい。仕事が」

(再読 短い文章なのでもう一度読んでみました)
 調べたこととして、
佐藤春夫:1892年-1964年 72歳没 小説家・詩人
井伏鱒二(いぶせ・ますじ):1898年-1993年 95歳没 小説家

 「昭和13年初秋」という設定で始まります。作者は、「昭和23年6月死去」ですので、あと10年の命と思いながら読みます。

 三ツ峠:河口湖を前におき、背景に富士山が美しいところ

 最後は、「走れメロス」と同様にユーモアで終わっています。
 若い娘さん二人にカメラのシャッター押しを頼まれて押すのですが、実は、ふたりの姿は写っておらず、富士山だけの風景なのです。  

Posted by 熊太郎 at 07:35Comments(0)TrackBack(0)読書感想文