2020年09月20日
レナードの朝 アメリカ映画DVD
レナードの朝 アメリカ映画DVD 1991年日本公開
昔、テレビで、一部分を見た記憶がぼんやりとあります。脳の病気で長い間眠っていた入院患者が、一時的に目覚めて活動して、再び病気で眠りにつくというようなストーリーの流れでした。類似の作品として、「レインマン」とか、「カッコーの巣の上で」とかがあります。
医療ノンフィクションということで、アメリカで実際にあった事例だそうです。
心身の活動行動が止まっていた入院患者、映画では15名が試験的に使用した新薬の効果が出て一時的に復活しています。
ロバート・デ・ニーロさんの患者役は熱演でした。
気弱な医師役のロビン・ウィリアムズさんも良かった。
全体的に演劇を観ているような雰囲気でした。
映像で、アメリカ合衆国の数十年前の雪景色の風景を見ることができて、時間旅行の旅気分を味わうことができました。
さて、登校拒否ではなく、病気のために11歳から登校できなくなったレナード・ロウです。二十歳から入院して、実に30年がたちました。ほかの入院患者たちも1920年代から入院が続いています。無反応な状態です。1959年ぐらいの出来事だろうという時代設定です。
調べた言葉として、
臨床医:患者の診察を行う医師
映像を観ます。患者には、水と栄養を与えるだけ。静かに時間が流れていきます。人間の脳ってどうなっているんだろう。
患者は人形のようです。医師や看護師役も含めて、俳優さんたちには、ゆったりとした演技が求められています。
新薬(合成ドーパミン)のおかげで、みんなが目を覚ましました。
ヒゲをそる。本を読む。太陽光線に当たる。階段を歩く。海につかる。自然と触れ合う。食べる。化粧する。歌う。踊る。
「生きている」とか、「生(せい)」とか、「命」を考える映画です。
レナードは、入院患者の娘である女性に恋をします。気持ちは盛り上がります。
いろいろトラブルが発生します。
何もしないのが、最善の手法なのか。しかし、そうではないという問答が続きます。
病気のつらさ、悲しさがあります。
普通の暮らしがいかに幸せかをみんなに知らせたいレナードは、そう状態です。
レナードの母親も混乱します。「いまのあの子は、あの子じゃない」
レナードの様子はおかしくなってきます。けいれんが激しくなってきます。薬が効かなくなってきました。
記憶に残ったセリフなどとして、
(レナードが外出自由行動を認めてくれない医師に)「いちばん怪しくないのが、裏切り者だ」「眠っているのはあんたのほうだ」
(レナードの母親)「病気と闘っても、負け戦(いくさ)よ」
(レナードが恋する女性に)「これで会うのはよそう。きょうは、さよならを言いに来たんだ」そして、ラストダンスシーン
看護師のエレノアが医師のマルコム・セイヤーに「あなたは優しい人よ。(レナードと医師の)ふたりは友だちだ」純粋なものの触れ合いがあった。
素晴らしい夏でした。奇跡の夏でした。正しいかどうかは謎です。周囲の人たちも含めての人々の心の目覚めがあった。心の優しさは、良薬です。小さなぬくもりが良薬になりますというような趣旨のマルコム・セイヤー医師の語り。
良薬話に合わせて、働くことの意味を考える。それから、ラスト付近の、「コーヒーをいっしょに飲む時間はありますか?」
患者たちには、思い出の世界しかありません。1920年代、彼らが20代の頃の思い出です。
いい人生は、思い出をつくること。死ぬ瞬間に、ああ良かったなと思えること。
昔、テレビで、一部分を見た記憶がぼんやりとあります。脳の病気で長い間眠っていた入院患者が、一時的に目覚めて活動して、再び病気で眠りにつくというようなストーリーの流れでした。類似の作品として、「レインマン」とか、「カッコーの巣の上で」とかがあります。
医療ノンフィクションということで、アメリカで実際にあった事例だそうです。
心身の活動行動が止まっていた入院患者、映画では15名が試験的に使用した新薬の効果が出て一時的に復活しています。
ロバート・デ・ニーロさんの患者役は熱演でした。
気弱な医師役のロビン・ウィリアムズさんも良かった。
全体的に演劇を観ているような雰囲気でした。
映像で、アメリカ合衆国の数十年前の雪景色の風景を見ることができて、時間旅行の旅気分を味わうことができました。
さて、登校拒否ではなく、病気のために11歳から登校できなくなったレナード・ロウです。二十歳から入院して、実に30年がたちました。ほかの入院患者たちも1920年代から入院が続いています。無反応な状態です。1959年ぐらいの出来事だろうという時代設定です。
調べた言葉として、
臨床医:患者の診察を行う医師
映像を観ます。患者には、水と栄養を与えるだけ。静かに時間が流れていきます。人間の脳ってどうなっているんだろう。
患者は人形のようです。医師や看護師役も含めて、俳優さんたちには、ゆったりとした演技が求められています。
新薬(合成ドーパミン)のおかげで、みんなが目を覚ましました。
ヒゲをそる。本を読む。太陽光線に当たる。階段を歩く。海につかる。自然と触れ合う。食べる。化粧する。歌う。踊る。
「生きている」とか、「生(せい)」とか、「命」を考える映画です。
レナードは、入院患者の娘である女性に恋をします。気持ちは盛り上がります。
いろいろトラブルが発生します。
何もしないのが、最善の手法なのか。しかし、そうではないという問答が続きます。
病気のつらさ、悲しさがあります。
普通の暮らしがいかに幸せかをみんなに知らせたいレナードは、そう状態です。
レナードの母親も混乱します。「いまのあの子は、あの子じゃない」
レナードの様子はおかしくなってきます。けいれんが激しくなってきます。薬が効かなくなってきました。
記憶に残ったセリフなどとして、
(レナードが外出自由行動を認めてくれない医師に)「いちばん怪しくないのが、裏切り者だ」「眠っているのはあんたのほうだ」
(レナードの母親)「病気と闘っても、負け戦(いくさ)よ」
(レナードが恋する女性に)「これで会うのはよそう。きょうは、さよならを言いに来たんだ」そして、ラストダンスシーン
看護師のエレノアが医師のマルコム・セイヤーに「あなたは優しい人よ。(レナードと医師の)ふたりは友だちだ」純粋なものの触れ合いがあった。
素晴らしい夏でした。奇跡の夏でした。正しいかどうかは謎です。周囲の人たちも含めての人々の心の目覚めがあった。心の優しさは、良薬です。小さなぬくもりが良薬になりますというような趣旨のマルコム・セイヤー医師の語り。
良薬話に合わせて、働くことの意味を考える。それから、ラスト付近の、「コーヒーをいっしょに飲む時間はありますか?」
患者たちには、思い出の世界しかありません。1920年代、彼らが20代の頃の思い出です。
いい人生は、思い出をつくること。死ぬ瞬間に、ああ良かったなと思えること。
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