2019年05月18日

スタンリーとちいさな火星人 2019課題図書

スタンリーとちいさな火星人 サイモン・ジェームズ 2019課題図書 あすなろ書房

 なかなか魅力的で、楽しいお話です。
 「スタンリー」と「ちいさな火星人」は、同じ男の子です。
 スタンリーは、悲しみから逃避するために、火星人に変身するのです。
 スタンリーが、お母さんを慕う気持ちがよく伝わってきます。ちょっと、マザコンかも。
 スタンリーは小学校低学年の設定ですが、幼稚園の年少さんか年中さん、4歳児か5歳児ぐらいに見えます。かわいい。
 
 スタンリーの両親は、共働きか、パパは主夫なのか。(あとの絵で、仕事かばんをもっていたので、無職のパパではありませんでした)。ママは、しゅっとしたスタイルでかっこいい。スタンリーはママに恋をしているから火星人になるのかもしれない。
 スタンリーには、小学校5年生ぐらいのおにいちゃんウィルがいます。
 パパとウィルのふたりは、スタンリーの「火星人ごっこ」に気持ちよく、付き合ってくれます。
 絵がやさしい。

 かあさんが、仕事で、泊まりの出張に行きます。
 スタンリーはママと離ればなれです。
 スタンリーは、その日、地球を離れることにしました。(最初、意味がわかりませんでした。読み続けるとわかります)
 おもしろい発想です。ちょっと、外国の人の発想だなと思います。
 スタンリーがかぶっている帽子がおもしろい。ふたつ触角のようなものがのびています。毛のようでもあるし、手のようでもある。
 火星人のスタンリーはわがままでがんこです。おかあさんに会えないからおこっているみたい。きっとおかあさんは、スタンリーの不満のいい聞き手なのでしょう。不満のはけぐちです。
 それでも、パパもおにいちゃんも心優しい家族です。スタンリーは家族に恵まれています。
 おかずで、じゃがいもはいしころ、好きな時に寝る。歯は磨かない。おふろには入らない。火星人はわがままです。
 スタンリーは、小学校でも火星人としてとおします。たいしたものです。トラブルになり、クラスメートのジョシュを突き飛ばして罰を受けます。
 家の庭においてあるダンボール箱の宇宙船が素敵でした。
 こどものころって、宇宙が近かったような気がします。おとなになって働き出すと宇宙は遠ざかります。そのうち影も形もなくなります。
 上手にできたお話でした。  

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2019年05月17日

アンネ・フランク 加藤純子

アンネ・フランク 加藤純子 ポプラ社

 この本では、ふたつのことがひとつになっています。
 右開きにすると「アンネ・フランク」の日記です。
 左開きにすると「アンネ・フランクのものしりガイド」です。ものしりガイドから読みました。
 アンネ・フランク、ドイツフランクフルト生まれ、オランダアムステルダム育ち、ユダヤ人、1929年生まれ(昭和4年)今生きていたら90歳ぐらい、ドイツのユダヤ人強制収容所において、15歳と9か月で、発疹チフス(ほっしんちふす。細菌感染症。発熱、頭痛、悪寒、筋肉痛、かゆみ、水ほう)のために亡くなっています。
 80年ぐらい前の出来事です。第二次世界大戦がありました。ドイツ軍はユダヤ人を敵視して、収容所に集めてガス室に閉じ込めて大量に虐殺しました。大がかりないじめや虐待のようです。
 ユダヤ人が差別される理由は、宗教をからめて、歴史的な背景があるということですが、日本人の私にはよくわかりません。イエス・キリストを裏切ったのがユダヤ教の関係する人間なのかなと思っています。それにしても、現代人とは関係のないことだとは思うのですが、そこのところが日本人には理解しにくい。本人の個性とか素行が原因で差別されるのではなく、「ユダヤ人」だから差別される。ひどい話で理屈に合いません。
 アンネ・フランクは13歳から2年間日記を書きました。15歳で死んでしまってかわいそうです。殺されたのです。戦争反対、差別禁止と言いたくなります。
 隠れ家は、会社兼住宅、レンガ造り。家族や関係者とともに8人で隠れていました。隠れることに協力してくれたユダヤ人以外の人たちがいました。オランダで、当時隠れていた人たちは2万5000人ぐらいで、9000人ぐらいは捕まって収容所へ送られたそうです。たいへん多い数です。
 アンネ・フランクは将来、作家・ジャーナリストになりたかったそうです。夢の実現は絶たれてしまいました。そのなかで、「アンネの日記」が出版され語り継がれるようになったのは、生き残った彼女のお父さんの執念だと思います。アンネは、日記以外にも童話をつくっていたそうです。お父さんは1980年に91歳で亡くなっているそうです。早くに亡くなった人の分も長生きして悲惨な大量虐殺反対のための伝承に努められたのでしょう。
 彼女が残した言葉で印象に残ったのは、「人と話したい」です。人間が生きていくために必要なものは、水と空気、そして、コミュニケーションと習ったことがあります。
 杉浦千畝(すぎうら・ちうね)さんもオスカー・シンドラーも考えてみれば、当時のルール違反です。されど、ルールって、なんのためにあるのだろうと考えさせられます。その時の権力者を守るために権力者がつくったもの。ルールは、みんなの幸せのためであってほしい。
 オランダまでは、なかなか行けないので、ネット上で、アンネ・フランクハウスのたくさんの写真を見ました。大きな本箱の向こうに隠し部屋がありました。部屋は今もきれいに保存されています。

 次に右見開きの物語を読み始めました。アンネの日記というわけではなく、アンネ自身の生い立ちをたどりながら日記の記録を少し記載して、収容所でペスト菌に感染して亡くなるまでのことについて書いてあります。
 せっかく生まれてきたのに、なんのために生きているんだろう。アンネは人格者というわけではありません。がんこなところもあるようです。日本でいうところの普通の中学生女子です。いいところ、そうでないところ、だれしもそうですが、二面性があります。
 父がいて、母がいて、3歳年上の姉がいます。ドイツフランクフルトの人口54万人のうちの3万人がユダヤ教を信仰するユダヤ人です。
 ユダヤ人攻撃にあって、ドイツからオランダに移動します。オランダときいても詳しくありません。鎖国のときの貿易相手国、ハウステンボスとか、親日家が多いとか、スピードスケートが強い、チューリップ、水車小屋ぐらいしか思い浮かびません。農業国のイメージがあります。人口1648万人。
 ユダヤ人と知らないからみんなが仲良くしてくれる。ユダヤ人として生まれる。ユダ人として生きる。ユダヤ人の人は、人生で必ずその重要な課題にぶちあたるのでしょう。
 「ダビデの黄色い星」、日本は「日の丸」
 シシー・ファン・マルクスフェイトが書いた物語『ヨープ・テル・ヘール』に出てくる女の子キティにあてて日記を書く。『キティさま』の出だしは、ドラマ北の国からの小学生男子黒板純くんの『拝啓、恵子ちゃん』のフレーズを思い出します。2年2か月間の日記です。1942年6月12日-1944年8月1日。
 早く戦争が終われば良かったのに。間に合いませんでした。残念です。
 かくまってくれた協力者、たくさんいます。アンネフランクファミリー関係者だけではありません。隠すのも命がけです。人間ってすごいという迫力を感じます。
 ペットと別れ、友だちと別れ、母親と別れ、父親と別れる。
 隠れ家は粗末な屋根裏と思っていましたが、構造は豪華です。そして、みなさん、お金持ちです。
 隠れ家という狭い空間のなかの人間同士の衝突があります。やむを得ません。それも、もう、みんな死んでしまいました。
 かくまった人たちも、そのときの「ルールは守らない」人たちでした。守らないルール、守れないルールってなんだろう。ルールの意味がない。
 日記を書く。文字を書くことで、気持ちが救われるということはあります。折れそうな心が折れずにすむこともあります。
 かくれていた期間は2年1か月。見つかってしまうまでに、2年1か月。気のゆるみをともなった慣れはやはり禁物です。隠れ家への扉への施錠をしない習慣がついていました。ドイツ軍に見つかってしまいました。
 オランダ国内の収容所から、ポーランドのアウシュヴィッツ収容所へ、そこで、母を亡くし、アンネと姉は、ドイツ・ベルゲンベルゼン収容所へ移送されました。

 調べた言葉などとして、「マロニエの木:セイヨウトチノキ。白や赤い花の固まり」

 自分なりに考えたこととして、「標準化されない違うこと」を差別しない。  

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2019年05月16日

新美南吉「てぶくろをかいに」「あかいろうそく」「ごんぎつね」

新美南吉(1913年大正2年-1943年昭和18年29歳没)「てぶくろをかいに」「あかいろうそく」「ごんぎつね」「でんでんむしのかなしみ」



「てぶくろをかいに」 いもとようこ・絵 金の星社
 冬が来て、森に雪が降って寒いから、子ぎつねに手袋を買おうと、母ぎつねと子ぎつねが人家のある里へ下りていくのですが、母ぎつねは、以前人間に追いかけまわされたことを思い出して、怖くなって体が動かなくなり、手だけ人間に化けた子ぎつねだけが帽子屋さんに行くのですが、間違えて、人間の手のひらを出さずに、きつねの前足を出してしまうのです。それでも、人間であるお店の人は、お金はくれるので、きつねだとわかっていて、手袋を子ぎつねに売ってくれたのです。こんな流れです。
 生れて初めて見る空から降ってくる雪が、「目に刺さった」と思う子ぎつねです。
 もみの枝から雪がどさりと落ちてきます。モミの木の高さは10メートルぐらいかなと勝手に想像するのです。
 文章が美しくて優しい。絵も同様です。
 「くらい夜が、ふろしきのようなかげをひろげて」 素敵な文章です。
 作者は、山から見下ろした夜の人家の灯りを「星」とたとえる感性をもっています。
 いくら人間が怖いからといって、子どもだけに買い物に行かせる母親ぎつねのすることはどうなのか。
 15ページの人間の手になった自分の右前足を見る子ぎつねの絵が美しい。
 
 調べた言葉などとして、「シャッポ:帽子」、「白銅貨:はくどうか。大正時代の白銅貨」、「コバルト:金属。作品では、白銀色を「コバルトのかげ」と表現していると解釈しました」


 印象に残った言葉などとして、「にんげんはほんとうにおそろしいもの」

 人間は、お金次第という面も表現してあります。母子の愛情と人間のブラックな面が出ていますが、悪人ばかりではないという救いがあります。

 25ページのおじいさんの顔は外国人に見えます。アンデルセンを思い出しました。北欧の男性の顔です。

 人間の親子の会話がよかった。母親の愛情が伝わってきました。そして、子は母親を慕います。

 父親きつねはどこにいったのだろう。

 最後の文節、「ほんとうににんげんは、いいものかしら。」は、意味が深い。

 15見開きの童話でした。


「あかいろうそく」 いもとようこ・絵 金の星社
 間違った情報による誤解とそれがもとで起る騒動があります。そして、取り巻く仲間たちは人間界の村のようでもあります。なにかしら教訓めいたお話しが隠されているのでしょうが、絵が美しくて、理屈よりも絵の美しさに気持ちがいく絵本です。
 14見開きの絵本です。さるが、あかいろうそくをひろいます。ろうそくは通常白いものなので、さるは、あかりろうそくはろうそくではなくて、打ち上げ花火だと勘違いします。
 しか、しし(いのしし)、うさぎ、かめ、いたち、たぬき、きつね、ろうそくをひろってきたさる。いっぱいいます。
 「打ち上げ花火」について、聞いたことはあるけれど、みたことがない動物たちです。
 好奇心がふくらみます。でも、打ち上げ花火を爆発物ととらえる動物たちです。
 なにせ、絵がきれいな絵本です。
 うつくしいはなびとやらを見たい。やまのてっぺんに集合。やまを登る動物たちの姿は、あとのページにあるしっぽだけの絵と並べて、これは「だれのしっぽかな?」と考える遊びにつながります。
 爆発が怖い。
 火の点火役をくじ引きで決めます。
 その後の展開がおもしろい。
 猪突猛進のいのししくん登場です。こういうポジションをやれる人って、どこの組織でも必要なのでしょう。ばかにされることもあるけれど。
 たくさんのしっぽの絵が素敵です。かめのしっぽがどれなのかはわかりません。
 緊迫感があっていいなあ。
 耳も目もふさいだら、聞こえないし見えません。
 誤った情報を信じる思い込み。とはいえ、実害はありません。話題にはなります。
 あっけない結末でした。
 されど、静かで落ち着いた時間が流れていきます。ろうそくの炎の灯りが温かい。彼らの心を表しています。目標をかなえた心のともしびです。思い出づくりです。
 初出昭和11年の作品です。


「ごんぎつね」 黒井健・絵 偕成社
 作者が18歳のときの作品で、1932年(昭和7年)初出です。
 時代設定は、江戸時代の終わりでしょう。舞台は愛知県半田市あたりです。彼岸花の記述があります。毎年秋になると半田市内の河川敷では彼岸花が咲くことで有名です。
 絵のタッチが優しい。柔らかです。ほんとうにキツネや人間が生きているかのようです。
 よかれと思ってやっても嫌がられる。疑われる。うとまれる。よくあることです。昔世界中を旅行した人が書いた本に、「世界は誤解で成り立っている」というフレーズがありました。
 「兵十(ひょうじゅう)」という男性が登場します。「ごん狐(きつね)」というキツネが登場します。ふたりとも「孤独」です。
 ごんぎつねを人間のこどもとたとえて考えてみます。発想のヒントをさぐってみます。ごんぎつねのしているいたずらは、人間の幼児もします。いたずらざかりのこどもが亡くなったと想像するとさみしく、つらくなります。この物語は、モデルとなったこどもを悼むお話かも。それが、あんがい若くして亡くなった作者と重なります。
 調べたこととして、「はりきり網漁:刺し網漁。魚が通る場所に網をはって、魚の頭が網にはさまるようにする」、「川魚 きす:カマツカという魚。どじょうみたい」、「はんの木:落葉高木。高さ15メートルぐらい」、「車:自動車ではなく、大八車。木製の車輪が2個。二輪車」
 気に入った表現として、「ひがん花が、赤い布のようにさきつづいていた」
 兵十が川で捕まえたうなぎをだいなしにしたごんぎつねは、うなぎを食べたかったのに食べきれずに病死した兵十の母親と兵十に思いやりの気持ちをもち深く反省します。通常、故意過失で相手方に被害・損害を与えたときは、謝罪と損害賠償をします。書中では、「つぐない」とあります。ごんぎつねのつぐないは、「栗とまつたけ」です。
 兵十はごんぎつねを見て、殺したいほどごんぎつねを憎んでいたのか、怒っていたのかという疑問が湧きました。復讐とはいえ、鉄砲で撃ち殺すほどの悪事だったとは思えません。いたずらです。案外、最初に書いたときは、きつねを殺害する設定ではなかったのかも。つらい終わり方です。
 生きるとは、思いどおりにいかないもの。それでも生きていかなければならない。けっこうきびしい内容の物語になっています。
 

「でんでんむしのかなしみ」 かみやしん絵 大日本図書
 美智子さまの愛読書と聞き読みました。
 1935年、昭和10年の作品です。いまから85年ぐらい前のものです。ずいぶんたっていますが、内容は今も変わらぬ人の心を表しています。これからも変わらないのでしょう。
 「でんでんむしがいました」ではなく、「でんでんむしがありました」という表現がいい。
 いっぴきのでんでんむしは、自分が背中に背負っている殻の中には「かなしみ」がいっぱいつまっているのではないかと気がついてしまった。
 でんでんむしは、かなしみに耐えきれず自殺を考えます。
 ともだちのでんでんむしが、わたしのせなかにもかなしみがいっぱいですと答えます。
 みんなが、かなしみを背負って生きている。
 「わたしはわたしのかなしみをこらえていかなきゃならない」 でんでんむしは、もうなげくのはやめました。
 皇室の世界というなかで暮らしていくことを決心された決意が伝わってきました。
 かなしみと背中合わせによろこびがあると思います。

ほかに掲載されていた童話として、
「一年詩集の序」 1939年 昭和14年
 でんでんむしへの愛着があります。
 でんでんむしとして生まれてきて、触角で初めて知る世界があります。
 雨しずくの音に驚く。新鮮な表現です。
 風が吹く。光を感じる。からだがほてって熱くなる。
 花の匂いに酔いしれる。

「里の春、山の春」 1942年 昭和17年
 親子の鹿のお話です。
 野原に春は来たけれど、山にはまだ春が来ない。
 山の奥に住む1歳に満たない坊やの鹿は春を知りません。
 春ってなに? 花ってなに? と両親の鹿に聞きますが実感が湧きません。
 小鹿は麓(ふもと)にあるお寺の鐘に誘われて、山を下りて、春を体感します。
 あったかい雰囲気の優しいお話でした。

「木の祭り」 1936年 昭和11年
 木に白いはながいっぱい咲いたけれど、めったに人が通らないところに立っているので、美しいとほめてくれる人がいません。だから、木は、つまんないのです。
 花の香りが流れて、遠くにいた蝶が花の存在に気づきます。
 ちょうたちは、花を讃えるためにまつりを企画します。
 ちいさなしじみちょうは、木の花のところにいくまでに、ほたると出会いほたるも蝶の連れになります。
 明るいうちはちょうが集まってお祭り気分です。日が暮れて暗くなってからは、ほたるの群生が木の花を照らします。

「でんでんむし」 1933年 昭和8年
 たぶん、大きなおかあさんでんでんむしの上に小さくて透きとおった小さなぼうやのでんでんむしがのっかっているのです。
 あめはふっていません。かぜも吹いていません。
 葉っぱの先にあさつゆの水玉があります。
 ちょうちょがいます。
 ちょうちょうの向こうに「空」があります。
 はじめていろいろなものを見るこどもの発見が生き生きと表現されている良作です。

 以前愛知県半田市内にある新美南吉記念館を訪れたときのことを思い出しました。
 でんでんむしの彫刻がたくさんありありました。  

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2019年05月15日

UR PRESS ユーアールプレス 独立行政法人都市再生機構

UR PRESS ユーアールプレス 独立行政法人都市再生機構

 ネットで本の注文をしたら、この冊子がいっしょに梱包されてきたので、読んで、感想を書いてみることにしました。

〇角田光代さんの暮らしのカケラ その変化はさみしくない
 旅好きの方で、7年前、旅行記「いつも旅のなか」を読みました。今回は、バンコクの風景と地震・津波災害をうけた東北三陸地方を重ね合わせて復興による町の風景の変化に関して感想を書かれています。「町と親しくなる」というフレーズが使用されていて、「孤独」をからめながら、感慨深い内容です。

〇高良健吾(こうら・けんご)さん
 熊本県出身。31歳。故郷熊本が自分の気持ちのよりどころになっていることが書いてあります。あと、出演した時代劇のこと。日本刀は重いので、ふりまわしてチャンバラは無理とあり、そうかと納得しました。
 現在上映中の映画の監督の年齢が84歳に驚きました。
 
〇復興するまちを訪ねて 特集 新たな始まりへ
 被災地でのURの活動報告です。いまごろですが、遅ればせながら、じぇじぇじぇのあまちゃんのDVDを借りて観ました。記事は東北、そして、熊本に関するものです。
 東北の空き地です。空襲の後の荒野を思い浮かべます。
 新しい橋を架ける。信号交差点ではなく、ロータリー式で方向転換できる道路をつくる。鉄道を開通する。建物を建てる。人を呼び戻す。集いの場所をつくる。時間がかかりますが、少しずつ継続していけばいい。事業が順調に進んでいることが写真を見てわかります。
 地元自治体が中心となってやるのでしょうが、他の団体のとの共同も必要不可欠であることがわかります。

〇URのまち 東京都葛飾区亀有駅周辺 あのまちこのまちを歩いてみよう
 昨年の秋ぐらいから、亀有を訪れたいという希望をもっていますが、まだ、行けていません。
 この冊子であたらしく得た情報として、「リリオ館7階絵と言葉のライブラリーミッカ」があります。子どものための小さな図書館。

(その後 追記)こどものための小さな図書館 ミッカ 亀有駅前リリオ亀有7階
 おとなだけでは入れない施設です。未就学児の孫たちを連れて行ってきました。
 最初に、レストラン「クリマ」でお昼ご飯を食べました。満員でした。



 図書館は、静かで、清潔、広くて、快適な空間でした。



 まだ、見たことのない絵本がたくさんありました。読んだことのある絵本もありました。



 ステージ風になっている観客席部分です。写真に向かってうしろ側にステージがあるようです。このときは、幕がはってありました。絵本読み聞かせとか、落語家さんの小話教室とか落語などが開催されています。  

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2019年05月14日

東野・岡村の旅猿 ハワイノースショアサーフィンの旅 DVD

東野・岡村の旅猿 ハワイノースショアサーフィンの旅 DVD 2017年 平成29年11月

 ワクワク編とドキドキ編です。
 ゲストのスピードワゴン小沢一敬(おざわ・かずひろ)さんは、本人も主張していますが、ミスキャストのような気がするのですが、製作側の意図なのでしょう。合致しないものを混ぜて波乱と混乱を期待して番組として仕立てる手法です。
 小沢さんは、サーフィンに興味全くなし。そもそも泳げない。海で、足がつかないところにいったことがない。DVDのなかで、プールで水泳の練習をするのですが、まあ、ひどいものです。息の止め方がわからないし、止めたこともない。泳げない人の苦労が伝わってきました。

 芸能人はたいへんです。空港で囲まれて、東野・岡村コンビのふたりともスマホを紛失します。岡村さんのスマホは見つかりましたが、東野さんのスマホは、ハワイにいってから、だいぶたってから、ようやく見つかりました。それまでのやりとりがドキドキハラハラです。

 東野さんが機中、男はつらいよフーテンの寅さん太地喜和子さんの巻を見ておもしろかったと言っています。自分も観たのでわかります。乗車していた車が海に転落するという事故で亡くなりました。残念です。

 トラベル=トラブルみたいな感じで続きます。

 空港の名称が、ハワイホノルル空港ではなくて、ダニエル・K・イノウエ空港という個人名になっていたので驚かされました。

 次はドキドキ編です。
 ノースショアというところの波は大きくてびっくりしました。
 結局、三人ともボードの上に立つことはできず断念しましたが、しかたがありません。小沢さんは健闘しましたが無理です。けがしなくてよかった。
 現地ガイドプロサーファーである若い女性アリッサさんがおもしろかった。サーフィンもうまい。彼女を中心とした三人の会話交流を見ていると、国籍とか言語とかでどうのこうのと対立することがばかばかしくなります。「パドパド!」のかけ声が良かった。ボードにうつぶせになって波をかいて前進する動作をパドリングといいます。  

2019年05月13日

あまちゃん DVD

あまちゃん DVD 2013年 平成25年

第1巻 第1週「おら、この海が好きだ!」 第2週「おら、東京さ帰りたくねぇ」
 リアルに放映されていた時期は、仕事をしていたので映像を見たことはありません。
 東野・岡村の旅猿DVDで、ロケ地巡りを見ました。今回、第1巻を見て、①駅前の商工会が入っているビル②灯台がある堤防の先端③まめぶという汁④驚いたという「じぇじぇじぇ」の意味⑤北三陸鉄道リアス線で、うに丼と電車の中の車内販売⑥琥珀(こはく)の産地⑦監視小屋⑧海女さんたちが記念撮影をした岩場⑨フットボールアワーの岩尾さんがこっそり訪ねたという喫茶店などの意味がわかりました。
 観始めは、児童文学の「アルプスの少女ハイジ」を思い出しました。都会が東京で、アルプスが三陸海岸です。ゼベットおじいさんは、おばあさんですが、天野夏さんです。おばあさんが、「夏」、その娘が、「春子」、孫娘が「アキ」で、季節で名前が付けられていることがわかります。
 町おこしのドラマだと思うのです。観光と名物となにかしらのイベント。
 東日本大震災をからめるのは、脚本を書くほうとしては勇気がいったと思うのです。
 心に残ったフレーズとして、主人公の天野アキが、東京だと自分は、「地味で暗くてぱっとしない。(高校の教室内では、存在すら認められてもらえない)」がんばれと応援したくなります。
 24年間絶縁状態の親子というのは、なさそうで、現実にはあると思うのです。
 主人公天野アキ(能年里奈、その後、のん) 母親天野春子(小泉今日子) 祖母天野夏(宮本信子) 

第2巻 第3週「おら、友だちができた!」 第4週「おら、ウニが獲れねぇ」
 天野アキが、海に潜ってもなかなかウニが獲れないのが、見ていてどうしてとれないのかがわかりませんでした。
 祖母の「去る者は追わず。来る者は拒まず」のセリフがいい。祖母と母の思い切りがいいセリフのやりとりが感じいい。それから、天野アキがアイドルになりたいと発言する同級生の足立ユイにときおり「かっけー」と言うのがいい。
 夏ばっば=夏おばあさん。
 親に向かって、「矛盾だらけだよあんたは」といいつつ、言った本人も矛盾だらけの親になっていく。
 舟木一夫さんの星よりひそかにのBGMがいい。いつでも夢を。
 足立家の父親と息子の対立は深刻です。このドラマは、町おこしをテーマとしながら、親と子の対立と克服を目指していくのでしょう。

第3巻 第5週「おら、先輩が好きだ!」 第6週「おらのじっちゃん、大暴れ」
 足立ユイさんの個性が面白い。ただ可愛いだけではアイドルはやれないという彼女の主張です。
 今頃ですが、主人公世帯の苗字「天野」は、「海女の」からきていることに気づきました。
 天野アキさんとひとめぼれした相手の「ミサンガ」がらみのお話しにはいろいろ笑いました。
 家出をして24年間家に帰って来なかった小泉今日子さんですが、たしか、車寅次郎も家出して20年間家に戻りませんでした。
 次週からおもしろくなりそうな予告でした。
 死んだと思っていたおじいさん蟹江敬三さんが登場するわけですが、ご自身はこのドラマの翌年に、69歳で胃がんのために病死されておりしみじみしました。

第4巻 第7週「おらのママに歴史あり」 第8週「おら、ドキドキがとまんねえ」
 若い頃、アイドルになりたいと東京へ出たことを子どもに隠さずともいいのにと思っていたら披露がありました。アイドルの条件として、応援していると、元気が出てくるという部分が良かった。
 翌週の三角関係、主人公の失恋は、狭い人間関係のドラマ登場人物の数のなかでやりくりするためにはしかたがないのでしょう。この先を知らないので、展開が楽しみです。
 2008年12月頃の設定です。東日本大震災の発生が2011年3月11日、ドラマの放映が2013年上半期です。

第5巻 第9週「おらの大失恋」 第10週「おら、スカウトされる」
 ひとりの男性をめぐる三角関係が勃発です。
 旅猿に出た田原俊彦さんの物まねをする男性芸人の原俊作さんという人が出てきました。おもしろかった。
 曲、潮騒のメモリーの歌詞が、三島由紀夫氏の潮騒が素材になっていることに気づきました。伊勢湾に浮かぶ舞台の神島は陸地や船から何度か見たことがあるので親しみが湧きます。
 細かい動作に工夫がこらされていて笑いました。
 方言が色気を消して人間らしい言葉を発しています。そこが人として安心できる部分です。

第6巻 第11週「おら、アイドルになりてえ!」 第12週「おら、東京さ行くだ!」
 登場人物の「東京はあの子が思うほど夢の国じゃない」という言葉にじんとくるものがあります。
 ところどころおかしくて笑ってしまいます。
 アキとユイのふたりが、東京行きの高速バスに乗車したと安心したら、それは、地域内の循環バスで、終点が漁協前で、笑いました。
 祖母、母、娘の三世代が、対立と対立の関係にあり、アイドルになるならないの話、女子の世界のいざこざです。
 アイドルになると不幸になる。心が折れるとあります。人間社会は、理屈では解決できない時もあります。
 「鉄道とは」とか、「天野アキの性格設定が良い」とか考えながらの母と娘の別れのシーンでした。東野・岡村の旅猿で、岩手県朝ドラロケ地を巡る旅のときに、ジミー大西さんが海岸で列車に向かって旗を振っていたことの意味がようやくわかりました。

第7巻 第13週「おら、奈落に落ちる」 第14週「おら、大女優の付き人になる」
 人情ものでときおり涙あり、笑いありで心地よい。
 水口役の松田龍平さんが将来の夢を語るシーンが良かった。
 お寿司を巡るてんまつが楽しかった。
 主人公は純朴です。
 ユイさんは、ぐれた姿のほうがぴったりくるのは女優向きなのでしょう。
 日本各地の方言、楽しかった。

第8巻 第15週「おらの仁義なき戦い」 第16週「おらのママに歴史あり2」
 アイドルグループ内の総選挙、有名女優の付き人、東京に進出したものの、なにをやってもうまくいかない主人公天野アキ18歳です。どうしたらいいのだろうか。相方の北乃ユイの家庭もうまくいかない。
 アキの母親の過去も深刻で、物語は、深い苦しみの位置に沈み続けます。
 だれかが言った「がまんしろよ」の言葉が貴重です。
 対立して、思いっきり言い合いをするシーンが、うらやましくもあります。

第9巻 第17週「おら、悲しみがとまらねぇ」 第18週「おら、地元に帰ろう!?」
 このDVDを順番に見ている途中で、出演者のひとりが薬物使用で逮捕されました。毎週「いだてん」も見ているのでびっくりしました。DVDではこのあともかなりの数のシーンに登場して、いい味を出しているのに残念です。

 プライドをもつ。自分の人格に自信と誇りをもつ。
 劇中は修羅場です。おもしろい。禁止事項がありません。
 夢を追う。
 気持ちを突き動かす場面が続きます。
 あたりまえのことをあたりまえにやりましょうというメッセージがあります。
 奇をてらわない(わざと普通と違うことをして人の目を引こうとする)
 携帯電話の使い方がうまい。

第10巻 第19週「おらのハート、再点火」 第20週「おらのばっば、恋の珍道中」
 主人公天野アキは、GMTをプロモーションする事務所を辞めた今、こうつぶやきます。『国の法律以外、自分を縛るものはない』
 天野アキの母、天野春子(小泉今日子)の復讐劇の始まりです。芸能界で売り出すには、コネと運とインチキと嘘でというところがおもしろい。
 コカインで逮捕された人も出ています。演技上手なのに惜しい。
 行方不明だった北乃ユイの母親も登場します。橋幸夫さんも出てきます。コミカルなコント風になってきました。橋さんの歌はきれいで上品です。いいなあ。

第11巻 第21週「おらたちの大逆転」 第22週「おらとママの潮騒のメモリー」
 曲「いつでも夢を」を嫌いというセリフがあるのですが、嫌いな人はいないと思います。
 自分のことばかり考えて、親の言うことを聞かなかったと後悔する娘のセリフに効き目があります。
 おばあちゃんと会って変わりましたというセリフからは、やはりちっちゃい子には、おじいちゃん・おばあちゃんが必要だということがわかります。
 素朴で飾らない。隠さない。安心して見ていられます。
 フェアプレイ。オーディションの結果は、敗者の悲しみのうえに、勝者の喜びがあることがわかります。勝っておごらず、感謝します。
 22週分は盛りだくさんです。映画「潮騒のメモリー 親子の島」の撮影が始まって終わって、2011年3月11日東日本大震災の日、午前中、発災前までいきました。
 登場人物はたくさんでにぎやかです。単身世帯の増加、ふたり世帯、核家族の増加、家族そろっての食事がない毎日という現実の中で、ドラマの中は、昔ながらの大家族、サザエさんとか、男はつらいよフーテンの寅さんとか、そういう世界が繰り広げられます。
 あと、コカイン逮捕の人とか、音楽グループのちゃらいパフォーマー設定とか、女子グループのいざこざとか、いろいろなものが、重なって、ごっちゃになって、観ていて複雑な思いです。
 これまで、こういう名目で隠していた事実が明らかになって、各自がこらえていたものが、ダムの決壊のようにあふれ出してきます。ぶつかりあいのなれの果てです。
 バックに流れる音楽が良かった。
 心に響いたセリフなどとして、「(小泉今日子さんが昔を思い出して歌う時)失敗してもやりなおさない」、「歌を差し替えてしまいました」、「(薬師丸ひろ子さんが小泉今日子さんの歌を聴いて)あー、わたしだ」
 雨のなかのシーンが良かった。アキは親孝行をしました。人生賛歌があります。

第12巻 第23週「おら、みんなに会いでえ!」 第24週「おら、やっぱりこの海が好きだ!」
 この文章を書き始めたのが、今年の2月2日からで、今日現在は、5月10日です。この12巻を観たあと、ようやく残り、あと1巻のところまできました。そして、2011年3月11日東日本大震災の地震・津波被災シーンから始まりました。
 脚本家としては、地震津波のことは書きたくなかったに違いない。記述がむずかしいからです。されど、書かないわけにはいかない。事実だからです。現実の津波シーンを流さない苦心のあとを感じる映像でした。
 駅長がトンネル内で電車が立ち往生したので、歩いてトンネルの外に出ながら、ゴーストバスターズを歌うのは、これまでに伏線が張ってあったこととして、実感が湧きました。
 出演者の人たちが、日本各地の方言で励まし合うのが、優しくてありがたかった。
 「明日のイベントは、中止じゃなくて、延期だ」
 「だいじょうぶだ。みんな、ぜったい、無事だ」
 根性、精神力、意地、これが好きだから続ける。これを愛しているからがんばる。魂がこもっています。
 主役の個性設定として、いちずでまっすぐなところが成功しています。
 復興の話に続きます。
 「あたりまえに、きのうと同じ日が、あした来るわけじゃない」
 「ハードな体験をして、今は、それを乗り越えようとしている」印象的だったセリフです。
 コカインで捕まった人が、重要な役割で長時間出演していたことに驚きました。残念なことです。やはり、人間はストレス解消のためになにかに中毒にならないと気持ちがもたないのだろうか。合法的なことで中毒にならねば。

第13巻 第25週「おらたち、いつでも夢を」 最終週「おらたち、熱いよね!」
 ドラマは終わりに近づいてきて、これまでのことの振り返りの時間帯が長くなってきました。そんななか、主役のアキが未来を語ったのが良かった。
 なつばっぱのセリフ、「(娘が)めんこい娘(孫)を連れてきてくれた」は、孫を授かる実体験をしている人にとっては深い実感があります。
 鉄道車窓からの見送りは、自動車や航空機と違って、せつなさで心が深まります。
 薬師丸さんが歌うシーンで、ワイヤレスマイクの乾電池がとれて空中を飛ぶシーンが楽しかった。
 楽曲「潮騒のメロディー」を使って、最初から最後までを貫いた作品でした。すごい。大河ドラマいだてんもおもしろいのに、そちらは低視聴率で残念です。
 悪人と思っていた人(荒巻さん)が善人だった。
 「三代前からマーメイド」の歌詞が良かった。
 蟹江敬三さんは亡くなってしまいましたが、役者さんは、もしかしたら、これが自分にとって最後の作品になるかもしれないと思って演技をするときもあるのでしょう。
 なつばっぱの「これからは、おめたちの時代だ」も良かった。
 終わって、女性のドラマだったのだなあと認識しました。
 出演者も見ているほうも、やりとげたという達成感があります。

(ビデオ観た翌朝に目覚めて)
 もうあのときには戻れない。もうこの時は訪れない。いまの人生を楽しもう。そんなフレーズが思い浮かびました。