2019年04月30日

死神の選択 嘉山直晃

死神の選択 嘉山直晃(かやま・なおあき) 産業編集センター

 死を選択すると実行してくれる病院があるという架空の制度と組織のお話です。
 先日のニュースで、人工透析を本人の希望で中止して本人が亡くなった事例とか、SNSで自殺を希望した若い人たちを殺してしまった男性とか、そんなことを思い出しながら読み始めました。
 第一章を読み終えたところです。もう、ひとり亡くなってしまいました。驚きです。
 主人公は、神恵一(じん・けいいち)という35歳の医師です。患者は死ぬために彼に会いに来ます。
 彼の補助者として看護師中村英恵子がいます。合法的な行為なのです。ツッコミどころ満載の内容と文章です。個人医としてそうしているのではなく、合法的に全国で行われているのです。
 決めゼリフとして、「あなたは、死にたいのか。それとも、生きていたくないのか」
 相談者のこれまでの体験は悲惨です。過去を消すために未来を捨てていいのか。そもそも医師の仕事とはなんだろう。病気を治すことです。本作には問題提起があります。

(つづく)

 死にたい人を死なせていいという「DR」の具体的な内容がなかなか明らかになりません。日本国衛生健康省DR課が担当です。少ない文章量も含めて物足りません。これから明らかになるのだろうか。94ページ付近を読んでいます。特別な研修を受講するだけで、「DR医」になれてしまう。

(つづく)

 死を希望する人が笑顔なのはちょっと。笑顔で話せることではありません。
 セクハラ発言も多い。
 医師がタバコを吸うのも?
 車の運転が下手とか、食べ物の描写とかは、本題とは関係がなく、意味がないような。
 「DR」についても、「懲戒処分」についても、基準に関する記事が見当たりません。

 読み終えました。架空の話ですが、超高齢化を迎える未来に、現実になるのだろうかとか。自死が認められる世の中になるのだろうかという不安をもちました。(ならないでほしい)
 書名は、「死神の選択」ではなく、もともとのタイトル「浜辺の死神」のほうが、内容にしっくりきます。  

Posted by 熊太郎 at 06:22Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2019年04月29日

ルドルフとイッパイアッテナ 斉藤洋

ルドルフとイッパイアッテナ 斉藤洋(さいとう・ひろし) 講談社

 黒猫ルドルフのロードムービーです。(旅をしながら成長していく)
 ルドルフのふるさとにはロープウェイがあります。トラックで運ばれた地は東京江戸川区内です。
 57ページまで読みました。ロープウェイがあるところがルドルフのふるさとでしょう。わたしは三重県の御在所ロープウェイを想像しました。(結果は、岐阜県岐阜公園にある岐阜城に至る金華山ロープウェイでした)ルドルフの飼い主はリエちゃんという名前の小学5年生です。
 飼い猫のルドルフはずいぶん遠くまで来てしまいました。家に帰ることができるのでしょうか。心配です。それとももうずっと帰ることができないのかも。
 江戸川区内で出会った猫の名前が「イッパイアッテナ」ですが、それは名前がいっぱいあるという意味でしょう。行く先々で、トラと呼ばれたり、ボスと呼ばれたりする野良猫です。与えられる食べ物が、「にぼし」それから「クリームシチュー」と変化します。とにかく食べなければ死んでしまいます。
 ルドルフの一人称語りでお話は進んでいきます。
 ひとり暮らし高齢者の間をめぐる社会福祉の猫のような予感があります。
 黒猫に対する「黒色」への差別が出てきました。縁起が悪いというのは事実ではなく、迷信です。不合理な色に基づく差別です。
 この本は、作者によると、猫のルドルフが書いたことになっています。

(つづく)

 良書です。教えがあります。人間社会、集団生活の中で、世の中の渡り方を説き、どのように生きていけばよいか。協調性、調整力、知恵、食べていくための忍耐を猫同士のやりとりから問います。互いを理解して許容して、敵対しない。共存する。
 善意にすがってもいいが、善意を悪用してはいけない。
 本が書かれたころとは時代が変わりました。単体の魚屋や八百屋は減りました。スーパーマーケットばかりです。時代の変化で、本の中身と現実の実態が離れるのは仕方がありません。
 漢和辞典や国語辞典、百科事典は、現代では、スマートフォンや端末機に置き換えられました。
 1989年発行の書中では新幹線はまだ「ひかり号」です。「のぞみ号」が登場するのは、1992年からです

 良かった表現などの趣旨として、「生きていくためには殺生(せっしょう。生き物を食用として殺して食べる)もする」、「言葉がきたなくなると、心も乱暴になる」、「これからはひとりで生きてゆく」、「字は役に立つ。字を覚えることは役に立つ」、「地図を勉強する」、「優しい人間ばかりじゃない」、「かならず帰るんだ」、「どんな方法も見つからなかったら、歩いて帰る」、「絶望は愚か者の答だ(希望を失わない。あきらめない)」  

Posted by 熊太郎 at 05:26Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2019年04月28日

ベートーベン 加藤純子

ベートーベン 加藤純子 ポプラ社

 耳が聞こえなくなった作曲家です。病気や障害をもつようになった人でもその困難を克服する姿には励まされます。「運命」、「歓喜の歌」、「月光」、「エリーゼのために」ぐらいなら聴けばわかります。
 1770年生まれ。日本は江戸時代です。
 何度も推敲された文章だと思います。
 読み終えてみて、ベートーベンは「孤独」でした。孤独から生まれてくるものが音楽でした。
 家族や生活環境には恵まれていません。父親はアルコール依存症です。音楽家への差別があります。収入源は、王様や貴族の一族です。金のため生活のための音楽です。
 背が低く、猫背で、怒りっぽく、気難しい。人嫌いですが、それでは、人からも距離を置かれます。髪は長くてぼさぼさで肌も荒れている。見た目に関する劣等感があります。
 家族の愛に包まれていたとはいいがたく、書中では、早くに亡くなった祖父と母親が心の支えとなっています。
 プライドが高いけれど神頼みはします。そこが苦しい。両面性をもった人ではなかろうか。
 苦労の産物が「名曲」であったと思いたい。
 モーツアルト(35歳で没)が14歳年上で、一度だけ会ったことがあることは知りませんでした。

 30歳近くになって難聴になる。曲作りのために近隣に迷惑をかけたので70回ぐらい引っ越しをした。読んでいて、「集中力」のすごさに驚かされます。
 
 印象に残った文節の要旨として、「ぼくにはピアノがあればいい」、「1789年フランス革命、王様制度の廃止」、「貴族のために音楽をつくるのではなく、貧しい人たちのために音楽をつくる」、「散歩を日課にしていた(歩いているときにアイデアが湧いてメモをする)」

 調べた単語などとして、「皇帝:世襲の君主」

 悩みを乗り越えて、喜びをつかむ。

 3月の終わり、まだ春浅きとき、56歳で没する。没後、世界的に有名になり、永続的に曲が演奏されるとは、本人も知りえなかったことでしょう。偉人です。多くの人たちに影響を与え続けています。  

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2019年04月27日

泥の家族 東野幸治

泥の家族 東野幸治 幻冬舎よしもと文庫

 「東野・岡村の旅猿」で又吉直樹さんが出演した時に、東野さんが紹介していた自身が描いた小説です。もう20年ぐらい前のものです。読んでみました。
 200ページぐらい。ひとつのお話が5分ぐらいで読めます。文章に文学的な情緒はありませんが、笑えますし、しみじみとした人間的な味わいがあります。
 父親がいて、母親がいて、兄がいて、姉がいて、中学生の自分(男子)がいる。家は貧しくて、親父はいいかげんな人間で、母親は節約家でよく怒る。兄も姉も不良少年少女です。
 おとなになった兄から10年ぐらい前に失踪した父親が殺されたと次男に電話連絡があるところから始まりますが、時はさかのぼって、過去の暮らしへと飛んだようです。父親が殺害された話が消えます。
 父親とその他の家族は、対立とか、父親嫌いとか、確執がありそうです。
 「思い出」の記録です。中学生男子の一人称で話は進みます。
 
 父も姉も、自分がしたいことをする生活です。浮気とか男遊びとか。お金のない今の生活に不満があるのでしょう。

 中学、高校、青春時代の思い出の記録です。思い出の話が続くのですが、現在進行形にできないものか。ときに、話は飛び飛びになります。

 後半は、あまりにも激しすぎる展開です。

 書いた本人がいっけんそう見える「愛情のなさ」の要因があります。

 バチがあたる。

 ラストの章「M」を、読者として、どう受け止めればいいのか、わかりません。

 良かった表現の趣旨として、「オカンはバスに乗ると車酔いをして吐くからバスに乗らない。長距離でも歩く」、「(自分の感想として)全体を通して、次男坊の世界あるいは、兄弟のうちの下の子どもの世界です。自分は長男なので、そのような体験がなく、新鮮に感じました」、「アニキは家族といるときは暗いけれど、友だちといるときは明るい」、「大阪では鶴瓶に似ていると得」、「何十年も経ってもバックにかかっている曲は、サザンオールスターズ。曲がそのときの思い出になる」、「(3人きょうだいが集まって)親が離婚したら、どっちにつく?」、「お互いにうわべのあいさつをかわす」、「自分はあの家族のなかでいつもひとりぼっちだった」

 読み終えました。全体的に下ネタですがおもしろかった。  

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2019年04月26日

ある男 平野啓一郎

ある男 平野啓一郎 文藝春秋

 書評の評判が良かったので手に入れて読み始めました。おもしろい。
 宮崎県おそらく西都市(さいとし)にある文房具店主女性のご主人39歳が、林業伐採事故により急逝するですが、彼は、「谷口大祐(たにぐち・だいすけ)」という人物であったのですが、実は、別人なのです。そして、亡くなったご主人が、だれなのかが判明しません。

 弁護士木戸章良(きど・あきよし)が、事故死した身元不明男性の妻である谷口里恵さんの代理人となって事実調査に乗り出します。
 
 つくり話にだまされる。詐欺ですが、実害が出ていません。
 亡くなってしまったXという謎の人物は、物静かで心優しい人でした。
 推理小説の要素がある小説です。
 もしかしたらX(エックス)は在日外国人か。
 所帯離れした記述内容です。夜の繁華街で輝く記述です。好みが別れるところです。
 Xは、谷口大祐本人が、整形した様子でもない。本当の谷口大祐は、いま、どこでどうしているのか。

 短命の人には、本人が好きなことをやらせたい。人生の長さが限られている。

 訴訟内容のあたりから、作品内容と読み手である自分との間に距離感が生まれてきました。自分にとってはつまらなくなってきました。

 弁護士が容疑者の真似をする。

 世界大戦、ヨーロッパ映画のなかであった出来事のようなイメージが湧いてきました。「ひまわり」とか、「シェルブールの雨傘」とか。

 東日本大震災の記述が登場します。

 関東大震災発生時の朝鮮人虐殺の話が出ます。弁護士自身の在日三世であることへのこだわりがあります。
 
 「存在」について考える小説です。

 日々会う人、利害関係がある人、つきあいが濃厚な人、それら以外の人は、当人にとっては、「存在」があってもなくても同じ。

 戸籍の話になってきます。
 なりすましです。身元のロンダリング(洗浄)
 
 家庭人になれない男性や女性がいます。
 弁護士をしていても、離婚して自分の子どもの親権を争うこともあります。

 Xがだれなのかを小説のなかで明らかにする必要はないと思いながら読んでいますが、明らかになりました。
 内容の雰囲気は暗い。
 死んでしまった人のことをあれこれと詮索しても、もう終わったことです。
 犯罪加害者の家族を救うための物語です。

(つづく)

 読み終えました。自分には合わない内容でした。
 作者と共有するものがないので、わからない部分が多かった。洋酒の銘柄とか、音楽とか。
 なぜ、面会場所が名古屋なのだろう。新幹線の中は会話がしにくい。新幹線は、ビジネス列車です。
 同時進行の話として、弁護士の家庭内のいざこざがしっくりこない。

 犯罪加害者の親族について、これまでとは違う切り口からのアプローチを試みた作品でした。

 「お墓」に愛着をもつ時代は終焉を迎えています。納骨堂とか散骨の時代が始まっています。

 名セリフなどの趣旨として、「他人の傷を生きることで自分自身を保つ」、「ただ、普通の人間になりたかった」、「(樹木は)50年が樹齢、あとの50年が建材」(人間に似ている。40年がサラリーマン、30年が自分の時間)

 調べた漢字などとして、「寧ろ:むしろ。あれよりもこれ」、「虚血性心不全:血流阻害、心臓病の総称」、「目を瞠る:めをみはる」、「収斂:しゅうれん。集める」、「欺瞞:ぎまん。あざむく」、「スカジャン:派手なジャンパー」、「悋気:りんき。やきもち」、「衒気:げんき。自分の才能をみせびらかして自慢する」  

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2019年04月25日

一切なりゆき 樹木希林のことば

一切なりゆき 樹木希林のことば 樹木希林 文春新書

 自分はなにほどのものでもない
 人生が終わりに近づいて、どのような心境をもって、最期を迎えるのか。ヒントの言葉集です。
 老いたらという前提で、自然体でいる。無理をしない。流れにまかせる。
 人間、1度だめになった人が好き。何度だめになったら嫌いになるのだろう。再生を認める。やさしそうでむずかしい。
 人は死ぬと実感できれば生きられる。そのとおりと共感します。
 いい加減な生活はしないようにする。
 会いたくない親、会いたくない子どもっているんでしょう。自分を束縛する者を拒絶する。
 「自分の身を削いでいく:そいでいく」
 がんになると人生観が変わる。死にたくない。生きたい。
 謝罪をしておかないと死ねない。
 攻撃して勝利を得て何が残るのだろう。
 いろいろな夫婦の形
 病気がきっかけで変わるもの
 外見の「美」は一時期のもの
 女が台になって「始」の文字になる。
 教えられること、学ぶことは多い。  

Posted by 熊太郎 at 06:24Comments(0)TrackBack(0)読書感想文