2024年06月24日

じゅげむの夏 最上一平

じゅげむの夏 最上一平(もがみ・いっぺい) マメイケダ・絵 佼成出版社

 小学4年生のメンバーです。小学校の夏休み前の時期で、場所は天神集落です。雨傘川(あまがさがわ)が流れています。川には、天神橋がかかっています。天神橋を右に回ると、筋ジストロフィーという病気にかかっているかっちゃんの家があります。
 4人の少年たちが、ひと夏の冒険をします。

アキラ:誠蔵の孫の明。『ぼく』という一人称で、この物語を引っ張っていきます。ぼくのひとり語りのお話です。

山ちゃん:喜一郎の孫の大輔(だいすけ)。両すねに、けがをしたあとにできた血のかさぶたがあります。用水路をとびこそうとして失敗して、けがをしたのです。

かっちゃん:筋ジストロフィーという病気です。筋肉が動かなくなってやがて動けなくなる病気です。保育園だった時はふつうだった。
 今は、ひっくりかえりそうになるぐらい体を左右にふって歩く。松葉づえや車いすを使うこともある。かっちゃんの家の部屋が、4人の少年のたまり場になっている。かっちゃんは、将来、落語家になりたい。落語の演目(えんもく)である、『じゅげむ』の練習をしている。

シューちゃん:政彦の孫の修一。どこでも寝っ転がる(ころがる)。きたないスニーカーをはいている。スニーカーの側面にシューちゃんがペンで、ナイキのマークを書いている。ニセナイキのスニーカーである。

熊吉つぁん:本当の名前は千吉という、へんくつじいさん。じいさんはひよこを飼い始めた。ひよこをニワトリにして卵をとる。卵を産まなくなったら、殺して食べる。
 熊吉つぁんは、40歳のときに、熊とばったり会って、柔道の一本背負いで、熊を投げた。熊は逃げ出した。それから、集落の人たちに熊吉と呼ばれるようになったそうです。
 周囲からへんくつ者といわれているが、それは誤解で、人付き合いがにがてなだけだそうです。
 熊吉つぁんが、熊とたたかったときのことが書いてあります。熊吉つぁんは、無我夢中だったそうです。

 参考までにわたしが、以前読んだ本を紹介します。
 『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』、感想メモの一部です。
 さて、クマに出会ったら人間はどうしたらいいかの話です。
 逃げてはいけない。逃げることは一番ダメ。クマに背を向けてはいけない。棒立ちに立つ。(姉崎さんは棒立ちでクマをにらみつけた経験が何度もあるそうです)クマの目をにらみつけて、ウォーとクマを威嚇する大きな声を出す。その繰り返し。クマは立ち上がるが、人を襲うために立ち上がるのではなく、自分の周囲の安全を確認するために立ち上がる。クマは安全な方向を見極めて自分の逃げ道にする。
 クマの目をにらみ続ける。クマよりも人間のほうが弱いとクマに思わせてはいけない。
 ほかにも、クマはヘビが苦手なので、ヘビのように見えるものを使って追い払うという手法が紹介されています。長いものをふりまわして追い払う。ベルトでもいいそうです。
 クマから逃げるのではなく、逆に、クマを追いかけるぐらいの気迫をもつ。(なんだか、人生のあり方にも通じるものがあります。困難にぶつかっても乗り越えて克服するのです)
 クマは、見た目は大きくても臆病な動物だから人間を恐れて逃げていくそうです。
 立ち向かう時に『棒』は使わない。たくさん枝がついた『柴(しば)』を使う。クマの鼻の前で振ったことがあるそうです。クマが嫌がったそうです。
 農機具のクワをひきずって逃げると、クマはクワを飛び越えてこない。なにか、物を引きずって逃げると引きずっている物をクマは飛び越えようとはしない。
 さきほども書きましたが、ベルトを振り回すのは有効です。クマは、ベルトをクマがきらいなヘビと勘違いするようです。
 ペットボトルを押してペコペコと音をさせるとクマは嫌がる。クマにとって、奇妙な音に聞こえるのだろうとのことです。

 話を戻します。こちらの本のもくじを見ると、章がみっつあります。
 少ない章の数だと思いました。
 1 『ひよことパインサイダー』を読み終えて、ああ、短編3本のつくりかと理解しました。
 2 『じゅげむの夏』
 3 『おばけのトチノキ』です。

『1 ひよことパインサイダー』
 4年生の夏休みです。
 わたしが小学4年生の時は、夏休み中に引っ越しと転校を体験しました。
 そんな夏があったことを思い出しました。

 物語の中の4人の少年の冒険先は、熊吉つぁんの家へ行くところです。
 
 ドウダンツツジ:落葉低木。庭木や公園にある。

 ひよこを飼う話が出ます。
 熊吉つぁんが、ひよこを成長させて、ニワトリにして、卵とか鶏肉(とりにく)を食べるために買うのです。

 ここで思い出した一冊があります。
 『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』 以下、感想の一部です。
 自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。
 これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです) 『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。
 ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。

 また、話はこちらの本に戻ります。
 少年たちも熊吉つぁんも心がやさしい。
 38ページの熊吉つぁんの顔はこわいけれど、勝手に人の家に忍び込んだら、だれでもおこります。
 『おめえはどこのだんじゃ?』→『おまえたちは、どこのだれだ?』

 熊吉つぁんの家は、山で湧く清水(しみず)を利用しています。
 半世紀ぐらい前、わたしがこどものころも、いなかでは、水道設備がまだ十分ではなく、井戸や山の湧き水を利用していました。つるべ式の井戸や、手押しポンプ式の井戸がありました。

 熊吉つぁんは、4人の少年たちに、楽しく遊べと声をかけてくれました。熊吉つぁんは、心がやさしい。井戸で冷えたパインサイダーをこどもたちにごちそうしてくれました。

『2 じゅげむの夏』
 7月31日。自転車に乗っての冒険・探検です。
 浮き輪持参です。川で泳ぎます。川の水はきれいで、鮎(あゆ)もいます。
 
 ときおり筋ジストロフィー症の落語家志望かっちゃんが、落語話(らくごばなし)じゅげむの長ったらしい名前をとなえます。
 『じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ、かいじゃりすいぎょの、すいぎょまつ、うんらいまつ、ふうらいまつ、くうねるところにすむところ、やうらこうじのぶらこうじ、パイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイの、ポンポコピーの、ポンポコナーの、ちょうきゅうめいの、ちょうすけ』(自分がこどものころに、本で、この話を読んだことを思い出しました)

 小学3年生とか4年生、この年頃のこどもたちは、ギャグのような文章を言っておもしろがります。
 うちの小学生の孫たちがときおりくりかえして言っている言葉があるので、ここに落としてみます。
 『ごめんごめん いったんごめん』、それから、『ゴーケツ、ゴーケツ、カンゼンムケツのダイシュウケツ』(わたしには、意味はわかりません。マンガが関係しているようです)

 こどもは遊ぶのが仕事です。遊びながら、社会を学びます。

 さし絵がおもしろい。なんまいかありますが、どれも雰囲気があって楽しめます。
 小学生のときの思い出がいっぱいです。

 天神橋からの飛込み:岐阜県郡上八幡市での吉田川への飛込みを思い浮かべます。夏の風物詩です。

 筋ジストロフィー症のかっちゃんも川に飛び込みたい。
 本人はやる気です。
 出川哲朗さんの、『ヤバイよ、ヤバイよ』が出ます。
 飛んだーーー
 70・71ページ、見開き2ページに、かっちゃんのジャンプシーンの絵があります。
 ダイナミックです。
 ドボーン!
 大成功でした。安堵(あんど。安心)しました。
 かっちゃん『いいなあ。今年の夏はいいなあ』
 
 ふつう、小学四年生だったら、そこから先の人生は長い。
 だけど、筋ジストロフィー症のかっちゃんは、そうではないかもしれない。

 1リットルの涙という本を思い出しました。動けていたのに、だんだん動けなくなってしまうのです。
 『1リットルの涙 木藤亜矢 幻冬舎文庫』、感想メモの一部です。
 体が不自由、歩き方を笑われる。自分を金食い虫と責める。頭が悪くてもいいから丈夫な体がほしい。本人もお母さんもつらい。Dr.(ドクター。医師)に病気を治してと訴える。生徒手帳と身体障害者手帳をもらう。修学旅行先で気持ちの悪いものを見るように見つめられる。ついに歩けなくなる。自分は何のために生きているのか。結婚したい。自分にできることは、自分の死体を医学に役立ててもらうことだけ。(日記を書いていたご本人は、脊髄小脳変性症という病気で、25歳で亡くなっています)
 
『おばけトチノキ』
 こちらも一冊思い出す本があります。
 『怪物はささやく パトリック・ネス あすなろ書房』、感想メモの一部です。
 主人公コナー・オマリーは書中で13才とありますが、読んでいる本の途中では小学校5年生ぐらいの男子です。
 コナーの両親は6年前に離婚しています。そして今、同居している母親は末期癌で死につつあります。コナーとおかあさん、そしてかれらと別居のおばあさんはイギリスで生活しています。コナーは学校でいじめに遭っています。
 コナーの心理状態は精神病の症状のようです。幻覚が見えます。幻聴も聞こえます。家の外にある「イチイの木」がしゃべったり歩いたりするのです。そして、イチイの木は怪物です。イチイの木がどんな木か知らなかったので調べてみました。別名「アララギ」、なんだか聞いたことがあります。常緑針葉樹、高さ20mぐらい。コナーは常に恐怖感を抱いている。(この小説はその後、映画化されています)

 さて、こちらは明るい少年4人組です。
 いかずち山のトチノキ=おばけトチノキ。いかずち山の棚田の上にある。
 むかし、トチノキが村を救ったそうです。冷害があったときに、トチの実が村人の食料になったそうです。トチの実は、見た目が栗に似ています。

 話ははずれますが、シューちゃんはたいていドラえもんのコミック本をねっころがって読んでいます。
 うちもドラえもんのコミック本全巻を手に入れて、孫たちが楽しみに読んでいます。
 ドラえもんの未来の道具は多種多様で驚かされます。
 作者の藤子・F・不二雄さん(藤本弘さん)はたいしたものです。

 屁八十のばっちゃん(へはちじゅうのばっちゃん):いまどきは、おならのことを屁(へ)とは言わなくなりました。昔はよく、へをこいたとか、へをしたとか言ったり聞いたりしましたが、屁という言葉をいまではほとんど聞かなくなりました。上品な社会になったのでしょう。
 『生栗ひとつ、屁八十』と、シューちゃんのひいばあさんがこどもたちに教えたそうです。
 『バカウケ』という言葉も出てきました。思い出すに、欽ちゃん(きんちゃん)こと萩本欽一さんが、欽ドン(欽ちゃんのドンといってみよう)というラジオ番組で、視聴者からのコントが書いてあるハガキを読み上げて、評価としての、『バカウケ、ヤヤウケ、ドッチらけ』、という格付けからきている言葉なのでしょう。
 昭和40年代ぐらいのころのことでした。

 『ドロドロドロは、ゆうれいだよ』
 (最近は、幽霊が、ドロドロドロと出てくるという表現もしなくなりました)

 おばけトチノキは、樹齢が千年。
 今年2024年の1000年前は、1024年です。
 NHK大河ドラマ、『光る君へ』みたいですが、清少納言の枕草子ができたのが1001年、紫式部の源氏物語ができたのが1007年ですから、おばけトチノキが芽を出した時代は平安時代ですな。ドラマに出てくる柄本佑(えもと・たすく)さんの藤原道長の寿命が、966年~1028年でした。
 
 棚田のというのは、一般的に、景観が美しい風景の観光地というイメージがあるのですが、わたしはそうは感じません。昔の人たちの、『貧困』の象徴だと思っています。
 土地がなかったから棚田形式で田んぼをつくって稲を育てて米を手に入れた。
 棚田の上にまいた肥料は、雨風の自然現象で棚田の下に流れるから、下のたんぼのほうがいい米がとれた。下の者は裕福で、上のものはそうではなく、上の土地の耕作のほうが、下の土地の耕作よりもつらかった。そんな文章を読んだことがあります。『飢餓海峡(きがかいきょう) 上下巻 水上勉(みずかみつとむ) 新潮文庫』だったという記憶です。

 棚田の上まで行くのに、筋ジストロフィーのかっちゃんは、体が不自由です。車いすで行くのは無理そうです。
 ドラえもんのどこでもドアがあればいいのにねとシューちゃんが言います。
 発想として、『ねこ』が登場します。建築工事現場などで使う一輪車のことを、『ねこ』といいます。なぜねこというのかは、わたしにはわかりませんが、わたしは高校生の頃、学校の長期休み中に、建築現場で肉体労働をしていました。その時の作業で使っていました。おもに生コンクリート(なまコンクリート)を入れて運んでいました。
 その『ねこ』に筋ジストロフィーのかっちゃんをのせて、山の上まで、ほかの三人で運んで行くのです。いいアイデアです。
 小学4年生というのは、体はまだ大きくもありません。いろいろなつかしい思い出がいつまでも残る年齢です。とくに男子にとっては、冒険心が燃え上がる年齢です。がんばれーー
 
 バケット:三輪車である『ねこ』の物を入れる容器部分(皿、さら)。

 山の上ですから、行きは登りでたいへんですが、帰りは下り坂です。ころばぬように気をつけてね。

 97ページのこどもたちの絵からは、こどもたちによる、協力とか、無邪気とか、おもしろいこととか、笑えることに挑戦する気持ちが伝わってきます。
 
 『ねこ』がひっくりかえって、筋ジストロフィーのかっちゃんがほおりだされませすが、かっちゃんは、よつんばいになって、ハイハイしながら、おーれは、不死身だとアピールします。
 かっちゃんの不自由な体のことについて、胸が詰まる(つまる)ほかのメンバーたちです。
 ただ、じっくり考えてみてください。
 人間は歳をとるとたいてい、かっちゃんみたいな体になるのです。ころんで倒れて骨折して立って歩けなくなってやがて寝たきりになってあの世へ行くのです。
 若い頃、どんなにスポーツマンでかっこよくても、男でも女でもそうなるのです。

 物語全体の冒険は、洋画、『スタンド・バイ・ミー(ぼくのそばにいて)』パターンです。
 
 将来の夢について語り合う4人です。今はまだ全員10歳です。
 大村勝利(おおむら・かつとし。かっちゃん):落語家、医学者、宇宙飛行士、歌手、画家
 山本大輔(やまもと・だいすけ):冒険家
 鈴木修一(すずき・しゅういち):世界中の大地に寝る人(寝っ転がる人)
 細谷明(ほそや・あきら):橋をかける人

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