2024年06月27日

図書館がくれた宝物 ケイト・アルバス

図書館がくれた宝物 ケイト・アルバス・作 櫛田理恵・訳 徳間書店

 イギリスが舞台の児童文学です。
 時代は第二次世界大戦中の1940年(昭和15年)6月で、ロンドンから始まります。
 両親を亡くして祖母に預けられていた三人きょうだいがいるのですが、親代わりだった祖母が亡くなってしまいました。祖父はいません。こども三人が家政婦さん付の屋敷に残されました。
 弁護士が出てきて、空襲を避けるためにいなかへ疎開するという流れのようです。学童疎開です。とりあえず、18ページまで読みました。

登場する家族は、ピーアス家(け)です。

ウィリアム:男児12歳。5歳のときに両親が死亡した。7年前のことです。両親の死因は出てきません。

エドマンド:男児11歳。4歳のときに両親死亡。

アンナ:女児9歳。2歳のときに両親死亡。三人とも読書が好きなようすで、アンナは今、『メアリー・ポピンズ』を読んでいます。物語の中には、メアリー・ポピンズとジェインとマイケルがいます。学校で寄宿舎生活を送っているような話が出ます。

ケジア・コリンズ:ピーアス家のお手伝いさん。40年間以上ピーアス家でお手伝いをしている。歳をとった女の人。祖母の死亡により雇用契約は解除となる。三人の子どもたちが学童疎開したあと、ロンドンの北西25キロのところにあるワトフォードで、自分の妹と暮らす。

エリナー:三きょうだいの亡くなった祖母

エンガーソル:祖母の弁護士。耳から毛がぼうぼうと生えている。あたまのてっぺんには毛がない。

 こどもたちの後見人決めとか、遺産とかの話があります。

 学童疎開先にある図書館に助けられるという流れのようです。
 
(さて、お話です)
祖母のお葬式の日から始まります。
イギリスですから、教会でお葬式です。
祖母は、外の人たちからは立派な人と思われていたようですが、三人のこどもたちにとってはそうでもないようすです。あんまり悲しくなさそうです。
次男のエドマンドは祖母のことを、あのいやなばあさんと言います。祖母はこどもたちに向かって、『イライラさせる子たちだね』と言っていたそうです。
 
いまいましいドイツ人:(第二次世界大戦)今回の戦争をしかけてきたのは、ナチス・ドイツです。

(ふと気づいたこと)
 本のタイトルは、『図書館がくれた宝物』ですが、本の裏表紙を見ると、『A PLACE to HANG the MOON』と書いてあります。それが、この本の原題ではなかろうか。
 直訳すると、『月を吊るすための場所』です。
 読みながら、タイトルの意味を考えてみます。

セント・マイケル小学校:疎開先の小学校。ロンドンの北のほうにある。

ジュディス・カー先生:学校疎開の責任者。攻撃的で厳しい姿勢がある。裏では、こどもたちがばかにするように、『バーカラス』と呼んでいる。

フランシス:女生徒。三きょうだいの長男のウィリアムに気があるようです。

ウォーレン先生:いい人。優しい。疎開先の小学校で、ピーアス家のこどもたち三人のクラス担任になる。お話の途中で、北アフリカに行っていた(たぶん戦争の兵隊として)夫が亡くなり、夫のもとへ行って小学校からいなくなります。

 どうも三人きょうだいは、お金持ちのこどもたちです。大きな遺産があります。
 お金はありますが、両親も祖父母もいません。お金があっても、まだこどもです。
 遺産目当てに、悪いおとなたちに利用されるわけにはいきません。
 遺産のことは秘密にして生きていかねばならないこどもたち三人です。

 祖母の遺言に、三人のこどもたちの後見人をだれにしたらいいかの事柄が書かれていればいいのですが書いてありません。適任者がいなかったから書けなかったということもあるでしょう。
 こどもたちとお手伝いさん、弁護士の関係者は、疎開先で、後見人になってくれそうな人を探せないかと考えています。だれかの養子になれないかということです。されど、こども三人いっぺんに養子にしてくれるような人はなかなか見つからない。三人バラバラ、ひとりずつなら養親になってくれる人が見つかる可能性が高い。だけど、三人はバラバラにはなりたくありません。
 長男ウィリアム:『つまりね、ぼくらにはお金はあるけど、世話をしてくれる人がいないってことだよ』

 疎開する少年少女は、25万人もいます。

 疎開先へ移動するための荷物の準備をします。
 お気に入りの本を一冊だけ持って行くこと。
 候補として、『ピーターパンとウェンディ』、『アルプスの少女ハイジ』、『小公女』、『ブリタニカ百科事典第四巻(かん。全体だと24巻ある)』、『モンテ・クリスト伯(はく)』
 
 1940年(昭和15年)の話ですから、もうずいぶん前のことです。
 現実のことなら、ピーアス家(け)の3きょうだいはもうこの世にはいないでしょう。
 生きていれば、
 ウィリアムが、96歳
 エドマンドが、95歳
 アンナが、93歳です。
 日本人ならもしかしたら生きている平均寿命ですが、イギリス人だと平均寿命が、80.70歳です。

 シラミの検査:シラミは、大きさ数ミリの小さな虫。人間の血液や体液を吸う。

 『ハーメルンの笛吹男』:ドイツの伝説。ハーメルンは町の名称。笛の音で、こどもたちを町から連れ出した。

 キングス・クロス駅:ロンドンの主要ターミナル駅。昔、わたしがオーストラリアのシドニーに行ったとき、同じ名称の駅がありました。オーストラリアは、イギリスの人たちがつくったということがわかります。たしか、そこで二泊しました。帰国してから、そのとき泊まった場所が繁華街で、ちょっとぶっそうな場所だったと知りました。実際はそんな感じはしませんでした。でも今思うと、ホテルのエレベーターは利用するときにカードキーがいりました。キングス・クロス駅で切符を対面販売で買って乗車しましたが、切符を買わずに自動改札機を力づくで足でストッパーの板を押して通って列車に乗り込む人がいて、すごいなーーと思ったことを思い出しました。

 宿舎:学童疎開先のセント・マイケル小学校のある町でお世話になるお宅のことを『宿舎』という。宿舎の提供者にはお金が出る。宿舎には、終戦まで一時的に滞在する。(だけど、この三きょうだいは、終戦後、どこの家に行くのだろう。これまでのロンドンにある家は空襲で燃えてなくなるかもしれません)

 『モンテ・クリスト伯』:貧しい少年たちのヒーロー、エドモン・ダンテスの物語。日本での題名は、『岩窟王(がんくつおう)』。

イヴリン・ノートン夫人:婦人奉仕団の代表。学童疎開の担当で、いばった感じの女性。

ネリー・フォレスター:ピーアス三きょうだいの疎開受け入れ先の奥さん。明るくおしゃべり。三きょうだいの長女であるアンナ・ピアース9歳を気に入った。夫婦ともに人柄は良さそう。

ピーター・フォレスター:フォレスター家のご主人。優しそう。家は、肉屋を営んでいる。

サイモンとジャック:12歳フォレスター家の双子の兄弟。ピーアス三きょうだいに対して冷たい。いじわるをする。まあ、無理もありません。自分たちの寝室にウィリアム12歳とエドマンド11歳が入ってきて寝るようになりました。もとからいた双子にとっては、侵略されているようなものです。

ネリー・フォレスター(受け入れ先の奥さん)は、もともと、9歳のアンナ・ピアースだけを預かりたかったが、まあしょうがないかというようなようすで、ウィリアムとエドマンドもついでで預かった。

 キャベツとナメクジ亭:パブ(飲み屋)
 アンダーソン・シェルター:家庭用の防空壕(ぼうくうごう)。ドイツの飛行機が空襲に来たら隠れるところ。
 村の公会堂:学童疎開に来たこどもたちを見て、地元の人がどの子を預かるか見に来た場所。
(日本の学童疎開だと、地元のお寺さんとか旅館で、いちどに全員を預かっていたと思います。集団生活、集団行動でした)

ヒュー:学童疎開できた児童。小さい男の子。エドマンドがチョコレートをあげた。
アルフィー:地元のこども。
フランシス:同じく地元のこども。

 イギリスは、6月ぐらいから夏休みで、本来なら学校で勉強はないのですが、このときは、学校が開かれています。疎開に来た児童は、夏休み中ではありますが、午前中9時から12時まで地元の小学校で授業を受けます。
 アンナ9歳は、自分が地元の人たちにとって、『負担扱い』されていることがおもしろくありませんでした。

 フォレスター宅の建物がチューダー様式:建物のデザインなど。イギリス風のデザインの戸建て。
 
 この物語のポイントは、両親がいないけれど、両親が残してくれた財産がたくさんあると、こどもたち三人の未来はどうなるかという点にあります。
 財産を三人の幸せのために、じょうずに生かさなければなりません。亡くなったご両親の願いです。

 他人の家に居候(いそうろう)するとき、心はブルーになります。若かったころ、自分も何度か体験があります。親戚の家だったり、知り合いの家だったりでした。
 気を使います。たいてい、いやがられます。狭くてもいい。汚くてもいい。自分が好きにすごせる空間がほしい。
 相手は、最初はウェルカム(ようこそ)という態度でも、だんだん、やっかい者扱いされます。

 宿泊先の奥さんのネリーさんはいい人なのでしょうが、彼女の希望は、『かわいい女の子がほしかった』であり、アンナ9歳の兄のウィリアムとエドマンドは、しかたなしのおまけなのです。(話の設定として無理があります。現実には、このパターンはまずないでしょう)
 戦争はひどい状況を生みます。戦争はしてはいけないのです。対立しても武力行使はせず、話し合いで解決を図るのです。

 作者は、アメリカ合衆国の児童文学作家です。年配の人かと思ったら若い女性でした。意外です。物語の中身は、現在80代後半ぐらいから90代はじめの人たちが体験したことです。あわせて、場所はイギリスロンドンの郊外です。

 居候先の家族とギクシャクしそうな不穏な雰囲気がただよっています。わざといじわるをするようにつくってある話なら、わたしは流し読みに入ります。つくったじめじめ話を読まされることは読み手にとっては苦痛です。不快な思いはしたくありません。

 疎開野郎(そかいやろう):差別用語。双子のサイモンとジャック12歳が使う言葉。

 お金の話です。
 お金があるといいことのひとつに、優位な気持ちに立つことができるということがあります。
 たとえば、クレーマーみたいな人にひどいことを言われても、心の中で、(ああ、自分はこの人よりもお金をもっているから、この人よりも自分のほうが幸せだ)と思うと、優越感が余裕になって、相手に対する怒りの気持ちが(いかりのきもちが)おさまるということはあります。
 物語の中のこどもたち三人は、まだそういうことが理解できないことが残念です。
 おそらく、こどもたち三人は、本を読むことでつらい境遇に耐えるのでしょう。

 がっしりとした石造りの建物があった。
 『図書館』と書いてある。
 アンナは…… ここがあれば、なにがあってもだいじょうぶ、と思った。

 ひとつの教室で、複数の学年の児童が勉強します。自習が多い。
 9歳と10歳が教室の前のほうで先生の話を聞く。11歳と12歳は、そのうしろで自習です。

 ヨーロッパは、はるか昔から、多くの災害や戦争に見舞われてきた。いっぽう日本は、第二次世界大戦のときに初めて戦闘機や爆撃機の空襲を受ける戦地になりました。
 
 89ページまで読んで思い出した本があります。
 『としょかんライオン ミシェル・ヌードセン・さく ケビン・ホークス・え 福本友美子・やく 岩崎書店』以下は、感想メモの一部です。
 孤独なライオンはどこから来たのだろう。孤独なライオンはだれかのそばにいたかった。
 ライオンは自分のために本読みをしてほしい。自分のために本をもっと読んでほしい。ライオンは人にかまってほしい。甘えたい。甘えるだけでなくて、だれかの役に立ちたい。
 
 もう一冊あります。
 『わたしのとくべつな場所 パトリシア・マキサック 新日本出版社』こちらも感想メモの一部です。
 わたしのとくべつな場所がどこなのかが秘密としてスタートします。登場したのは、おそらく12歳の女の子、パトリシアです。彼女は、とくべつな場所に向かう途中、いくつかの人種差別を体験します。彼女は黒人です。差別するのは、アメリカ合衆国の白人です。
 バスの中のパトリシアは怒っています。黒人席はこっちという案内サインに憤り(いきどおり)を感じているのです。
 公園のベンチには白人専用という表示がありますが、じゃあ、黒人専用のベンチがあったかというとなかったでしょう。白人以外は人間ではなかったのです。絵本の時代設定は、1950年代、今から60年ぐらい前のアメリカ合衆国の社会です。
 この本でパトリシアが行きたいとくべつな場所とは、『公共図書館』を指します。『だれでもじゆうにはいることができます』で結ばれています。

(つづく)

ミュラー夫人(ノラ):図書館の司書。栗色の髪、細かい花柄模様のワンピースを着て、もこもこした毛糸のカーディガンを羽織っている。読書をとおして、三人のきょうだいの心の支えになってくれる。

フローレンス:白髪(しらが)のおばあさん。

 図書館には、<子どもの本>コーナーがあります。

 寄宿学校:イギリスの全寮制の学校。公立と私立があって、男女共学。寮は男女別。初等教育(4歳または5歳から13歳)、中等教育(11歳または13歳から16歳)、そのあとは、16歳から18歳が対象となっている。

 三人きょうだいの家では、こどもは、寄宿学校に通っていた。
 乳幼児のときは、乳母(うば)がいた。
 乳母とは別に、家政婦のコリンズさんがいた。
 でも、両親はいなかった。家族は、きょうだい三人だけだった。

 愛書家:あいしょか。書籍という物体を愛する者。読書家は、本の内容とか読書という行為が好きな者をいう。

 本がたくさん出てきます。書き並べてみます。
 『ブレインストーム教授大あわて』、『きいろの童話集』、『むらさきいろの童話集』、『しっかり者のスズの兵隊』、『火打ち箱』、『魔法の森』、イギリス人は魔法が好きなようです。『小公女』、『赤毛のアン』、なにかと孤児の話が多い。『砂の妖精』、たのしい川べ』、『はなのすきなうし』、『野生の呼び声』、『バスカビル家の犬』、『アンナ・カレーニナ』、『クリスマスのまえのばん』、『ホビットの冒険』、『アラビアンナイト』、『ビロードうさぎ』(最後まで読んで、373ページに、この物語に登場する本を列記してあるページがありました。わたしが読んだことがある本が何冊も含まれています)

 ウィリアムとエドマンドは、ふたりにいじわるをする双子の兄弟サイモンとジャックともめて、彼らの部屋を出ます。ふたりは、アンナの部屋ですごすことにしました。三人きょうだいが同じ部屋です。三人で悩みます。お金があっても、行くところがないこども三人です。
 双子の兄弟の母親であるネリー・フォレスターは、いい人ですが、きちんと自分のこどもが何をしているのかが見えていません。こどもに甘い親です。そして、双子はずるがしこい。

 ラディッシュ:ダイコンのこと。

 フランスがナチス・ドイツの手に落ちた。フランスの領土にドイツ軍がいる。
 
 『小公女』に出てくるセーラーはお金持ち。こどもなりに判断したのは、ミンチン先生がセーラーに優しくするのは、セーラーがお金持ちだからに違いないそうです。

 戦争対策として、家庭菜園を使って、野菜をつくる。食糧不足なので、自給自足をする。

 聡明(そうめい):賢い(かしこい)ということ。

 図書館にドイツ人が書いた本を置くことはけしかんことなのか。(グリム童話を書いたグリム兄弟はドイツの人)

 1940年(昭和15年)7月、ドイツ軍がイギリス西部の町や、港を攻撃した。
 イギリスのチャーチル首相はドイツ軍とまだまだ戦う気持ちが強い。けして、ナチス・ドイツには屈しない。(ウクライナの大統領を思い出しました)
 
 映画館で、『ピノキオ』を観た。
 映画のタイトルがいろいろ出てきます。『ランカシャーのラッシー(おとな向けのミュージカル・コメディ)』、『オズの魔法使い』、『白雪姫と七人のこびと』

 153ページまで読んで、(全体は、372ページです)、ふと思ったのです。
 この三きょうだいは、最終的には、図書館で司書をしているミュラー夫人が、三人きょうだいの後見人になってくれるのではないか。(予想が当たるかどうか、これから先を読むことが楽しみです)

 コヴェントリー:イギリスにある都市の名称。航空機とか弾薬とかの工場がある。三きょうだいが学童疎開しているところから40キロの位置にある。のちのちドイツ軍から空襲される場所です。

 夏休みが終わり、村のこどもたちが小学校に戻って来て、村のこどもたちと疎開で来ているこどもたちの間に溝が生まれています。
 ふと思い出したのは、2011年(平成23年)の東日本大震災の時に、各地へ避難した東北のこどもたちが、避難先で苦労したことです。(原発の)放射能がうつるとか、ばいきん扱いするとか、賠償金をもらっただろうとか、国を問わず、人間の現実のありようとして、いじめがなくなりません。残念なことです。人をばかにしたり、いじめたりして、うれしがる人がいます。

 1940年(昭和15年)9月7日、ロンドン大空襲。

 戦争というのは、国民と国民が戦うのではなく、独裁者とそのグループの判断でするものだと理解できます。
 国民は、権力闘争に巻き込まれるのです。独裁者に反対すると、拘束されたり、殺されたりするのです。

 エリザベス王女(1940年当時のこととして本に記述があります):エリザベス二世。1926年(大正15年)-2022年(令和4年)96歳没。女王としての在位期間:1952年(昭和27年)-2022年(令和4年)70年間。

 地元のこどもと疎開で来ているこどもが対立します。やられたらやりかえします。仕返しとか、復讐です。混乱します。

 ミュラー夫人の家庭菜園講演会に人が集まりません。集まったのは、講師のミュラー夫人を入れてもたった6人です。
 いばりんぼうの婦人奉仕団所属イヴリン・ノートンが月間に政府関係者を呼んで、盛大に家庭菜園の講演会を開くからだそうです。だから、人が集まらない。
 
 いろいろあって、エドマンドが、双子きょうだいの罠(わな)にはまって、三人きょうだいは、フォレスター家から追い出されそうです。たいへんだ! フォレスターのおじさんもおばさんも、結局は自分たちのこどもであるいじわるな双子兄弟の味方です。ピーアス家の三きょうだいは、他人です。

 ああ、三人きょうだいは、フォレスター家から追い出されてしまいました。

 次に見つかった家は、かなり貧困そうです。
 三人きょうだいのめんどうをみるともらえる手当目当てで、こどもを預かる女性宅です。夫は、戦争に行っています。
 サリー・グリフィス:こどもが3人いる母親で主婦。住所は、リビングストーン横丁四番地。
 ペニー:サリーの長女。ちょっと大きい子と書いてあります。5歳か6歳ぐらい。
 ヘレン:サリーの次女。2歳か3歳。
 ジェイン:サリーの三女。1歳ぐらいか。
 ロバートジュニア:まだあかちゃん。サリーの長男。

 三人きょうだいを預かると国からもらえる手当の金額。
 1人目:10シリングと6ペンス。
 2人目以降:8シリングと6ペンス。
 3人分の配給(食べ物を支給してもらえる)
 こども3人の昼食は学校給食で支給される。

 生活習慣として、月曜日は洗濯、金曜日の夜はおふろ、おふろは週に一回しか入れない。トイレは屋外にあって汚い。虫がいそうです。
 さあ、たいへんだ。(だけど、わたしがこどものころの日本のいなか暮らしもそんなものでした)

 司書のミュラーさんにお世話になることはできないそうです。
 なにか、事情があるようですが、まだその理由は明かされません。
 婦人奉仕団代表のイヴリン・ノートン夫人が言います。『ノラ・ミュラーは、子どもを預かるのにふさわしくありません』
 
 デヴォン:イギリス南西部の地域。

 三人きょうだいの亡くなった両親の話がときおり出ます。
 長男のウィリアムが、末っ子のアンに話してくれます。たぶんつくり話です。
18ページ:母さんが小さかったころ、友だちがローラースケートで走ってきて、母さんの足の小指にぶつかったんだって。それで、折れちゃったんだ。
106ページ:父さんはラディッシュ(ダイコン)がきらいだったんだ。
171ページ:母さんはこどものころ、タクシーの運転手になりたかったんだ。
190ページ:結婚したとき、父さんと母さんは、それぞれのタオルに刺繍(ししゅう)で名前をいれてたんだ。
 
 ウォーレン先生のご主人が北アフリカで亡くなってしまいました。たぶん戦死でしょう。ウォーレン先生はしばらく学校には来ることができないそうです。優しい先生がいなくなって、厳しい先生が残ってしまいました。カー先生のことです。

 三きょうだいは、お金持ちの家のこどもだったので、こどもたちだけで買い物をしたことがありません。ロンドンの家にいたときは、お手伝いのコリンズさんがそばにいてくれていました。残念ですが、三きょうだいには、生活能力に欠けた部分があります。
 以前お世話になっていた肉屋のフォレスター家に買いものに行って、父親が、自分の息子たちが三きょうだいにひどいしうちをしたことを知っていて、三きょうだいを家から追い出したことがわかりました。失望するアンナたちです。それが、人間界の現実なのです。寛容になって、心に折り合いをつけるしかありません。しかたがないのです。
 三きょうだいはみじめですが、将来のためにしておくべき経験です。三人はお金持ちの家に生まれて、これまで甘やかされていたのです。

 入浴の話が出ます。
 わたしは、外国人は、日本人のように浴槽につかることはないと思いこんでいました。
 外国人はたいていシャワーだけの利用です。
 でも、この本には、浴槽に入浴すると書いてあるので意外でした。
 あたたかいお湯にゆったりつかれるお風呂ならいいけど…… と書いてあります。

 お手伝いだったケジア・コリンズさんは、リウマチだそうです。リウマチ:関節の炎症で、関節の機能が失われる。放置しておくと関節が変形してしまう。

 この時代の人たちは苦労されています。
 
 アルフィー:すでにお話に登場している地元のこども。男児。
 アーネスト:疎開に来ている男児。アルフィー宅で世話になっている。

 土曜日です。
 アンナは、グリフィスおばさんが買い物に出ている間に、三人のちびっこのめんどうをみます。
 ウィリアムとエドマンドは、集落であるネズミの駆除に参加します。やっつけたネズミの数だけお金をもらっておばさんに渡します。でもふたりとも、気が優しいというか、気が弱いというかで、苦戦します。ちょっと、男としては情けない。お金持ちのおぼっちゃんだからなのか、考えが甘い。ネズミは害獣(がいじゅう)です。ディズニーのミッキーマウスとは違います。もっと強くなれ! もっと強い気持ちをもて! くそっ、負けてたまるか思え! と応援したくなりました。
 わたしも小学生だったこどものころ、海が近い福岡県の炭鉱住宅で、集落のネズミ退治に参加したことがあります。おとなたちが木造家屋の床下に罠(わな)をかけて捕まえて、麻袋にたくさんのネズミを入れて、こどもの集団でネズミの息の根を止めました。う~む。あまりそういうことは、ここには書かないほうがいいな……
 似たようなことが、こちらの本に書いてあります。
 物語の中で、ネズミ狩りを指導してくれるのはおじいさんたちです。戦争に行かなくていい年齢の人たちが集落に残っています。

 つらい体験をして、ウィリアムとエドマンドは成長しました。
 とくに、エドマンドは、『ありがとう』が言える人間になりました。
 『ありがとう』が言えない人間はダメ人間です。

 両親を亡くした三人の疎開児童たちは、母(というもの)を知らない。父(というものも)知らない。図書館司書のミュラーさんが、母親代わりになっています。

 この本を読み始めて10日ぐらいが経過します。
 自分の頭の中で、ふだんから、主人公のウィリアムとエドマンドとアンナが動いています。本当に生きているみたいに動いています。読書の心地よさがあります。
 本の中では、疎開を始めてから半年がたち、12月、ヨーロッパイギリスは冬を迎えています。
 寒い。1940年(昭和15年)です。終戦は、1945年(昭和20年)ですから、終戦まではまだ遠い。

 アンナ9歳が、グリフィス家にいる4人のちびっこたちのお母さんみたいです。アンナは、ちびっこたちに本の読み聞かせをしています。

 降誕劇(こうたんげき):イエス・キリストの誕生を祝う劇。
 エドマンドが、星の役を演じます。
 ウィリアムは、フランシスに好かれているので、フランシスがウィリアムとヨセフとマリアの夫婦役をやりたいとささやかれますが、どうもウィリアムは、フランシスがお好みではないようです。だんだん女の子は、色気(いろけ。異性を意識した言動)づいてきましたな。

 長頭(ちょうとう):『バスカビル家の犬』に出てくる言葉。人間の風貌(ふうぼう。身なり、顔かたち)として、長頭蓋(ちょうとうがい)。頭の形。頭の前後が長い形をしている。
 
 シラミ:小さな虫。かゆくなる。
 婦人奉仕団による服の交換会でもらったコートにシラミがいたようです。アンナの髪の毛にシラミがわきました。
 図書館司書のミュラーさんが、薬を提供してくれました。
 ミュラーさんの事情がミュラーさんから語られます。
 ミュラーさんのだんなさんは、敵国であるドイツ人だそうです。だから、近隣の人たちからミュラーさんは、よく思われていないそうです。
 ふたりは、イギリスノーザンプロンにある本屋で知り合って結婚したそうです。
ドイツで独裁者が誕生して、軍事化がすすんで、だんなさんは、ドイツにいる両親と妹のことが心配で、ドイツの実家へようすを見に行って、以降行方不明になってしまったそうです。だんなさんがいなくなってから、もうじき3年たつそうです。だんなさんは、ナチス党の人間ではなさそうです。
 人生、いろいろあります。
 
 エドマンドが言います。ぼくらは、疎開児童で、地元の人間から嫌われる。
 司書のミュラーさんは、夫がドイツ人だから、地元の人間から嫌われている。
 おんなじだ。

 読んでいて思ったことです。
 シーンとはぴったりきませんが、むかしのことにしばられて今を生きる必要はないのではないか。今は、今なのだから。

 いろいろトラブルがあって、三きょうだいは、グリフィス家を追い出されるように出て行きました。
 悲惨です。
 いくところがありません。今夜泊るところがありません。
 しかたなく、教会へ行くのです。
 不吉な物語を思い出しました。パトラッシュという犬が出てくる児童文学、動画アニメでした。犬と少年が最後に死んでしまうのです。

 三きょうだいに助け舟を出してくれたのはやはり、図書館司書のノラ・ミュラー夫人でした。

 雪が降り、クリスマスイブなのに、すったもんだがあります。
 おなかいっぱい食べ物を食べたい。
 サンタクロースにプレゼントをもらいたい。
 三きょうだいとグリフィス夫人の間でトラブルのもとになる本、『はなのすきなうし』は読んだことがあります。『はなのすきなうし おはなし/マンロー・リーフ え/ロバート・ローソン やく/光吉夏弥(みつよし・なつや) 岩波書店』、闘牛なのに、闘志がなく、心優しい闘牛用の牛の話でした。お母さん牛がその牛を守ってくれます。

 途中、三きょうだいは、図書館で暮らすことを考えます。(無理でした)
 そんな本が二冊ありました。
 村上春樹氏の「海辺のカフカ 新潮文庫上・下」では、カフカくんが、四国の図書館で寝泊まりの暮らしをします。もうひとり、ナカタさんという人が、東のほうからカフカくんの図書館を目指す内容だったと思います。わたしには好みの設定でした。
 もう一冊が、『図書室で暮らしたい 辻村深月(つじむら・みずき) 講談社』で、エッセイ集でした。

 クリスマスイブに住む場所をなくした三きょうだいです。
 ミュラー夫人の夫がドイツ人、もしかしたら、夫は、ナチス・ドイツの党の味方で、連合国軍の敵ではないか。
 ミュラー夫人自身はイギリス人で、ドイツ人ではないし、ナチスの人間でもないのに、夫婦は一体に見られます。犯罪加害者の親族が冷たい目で見られるのに似ています。自分がやったわけでもないのに、犯罪をおかした親族と同類のように見られます。それが人間世界の現実です。

 読んでいて不思議なのが、宗教です。
 戦時中で、都市部では空襲があるのに、疎開地のいなかでは、クリスマスイブでイエスキリストの生誕を祝います。
 宗教の異様さがあります。クリスマス休戦という言葉がありますが、平和を望むのなら、クリスマスだけではなく、いつだって殺し合いをする戦争はやめるのではないかと思うのです。
 なにか、考え方の基本がおかしい。

 だれも知らないようで、だれもが知っています。
 三きょうだいが、預けられた先で、差別のような扱いを受けていたことを、ご近所さんたちは知っていても、知らぬふりをしているのです。

 世の中には、ひどいことをする人もいますが、優しい人もいます。

 親子で会話がない家が多い。
 家族内での話し言葉は、親から子への命令とか、指示だけになっている。
 気持ちのこもった言葉でのキャッチボールが親子の間でないから、こどもの心がすさみます。
 
 親の役割はただひとつ、こどもに食べさせることです。
 小説そして映画になった、『東京タワー -オカンとボクと、時々、オトン- リリー・フランキー 新潮文庫』では、母親役の樹木希林さん(きききりんさん)が、息子のことをいつも気にかけています。実家は九州福岡で、息子は東京へひとりで出て行くわけですが、いつも息子に、『ちゃんと食べてるか?』とたずねます。息子が、『食べてるよ』と返事をすると、母親は安心するのです。母親にとってのこどもに対する役割はただ一点なのです。食べさせることだけなのです。

 ミュラー夫人と三きょうだいの食事風景があります。
 幸福があります。

 マーティン:ミュラー夫人の行方不明になっている夫の名前。

 外国は寝るときはベッドなので、日本のように和室でふとんで固まってというようなスキンシップがしにくいやり方です。

 こどもは寝る前に、おとなに本を読んでほしい。
 本の中身というよりも、そういう時間帯が、こどもは好きです。

 クリスマスの朝は、ひとりだけでは迎えたくない。
 
 ミュラー夫人の家には本がたくさんあります。

 本のプレゼントがあります。紙の本です。いまどきの電子書籍だと渡しにくい。
 ラジオ放送があります。まだ、このころ、テレビは普及していなかったのではないか。
 
 新年が近づいています。
 以前の家に置いてきた三きょうだいの荷物を取りに行かねばなりませんが、グリフィス夫人とけんか別れしたので三きょうだいは、グリフィス夫人宅へ行きにくいのです。
 ミュラー夫人がひとりで行ってくれることになりました。ありがたい。
 ミュラー夫人は優しい。長男に声をかけてくれました。『……特にあなたの場合、がんばりすぎたと思うの…… もうがんばらなくていいいから』
 
 ときおり出てくる言葉が、『比喩(ひゆ)』です。
 -あることを、別の言葉でたとえること-

 ラバ:オスのロバとメスの馬の交配種。北米、アジア、メキシコに多い。
 セントポール大聖堂:ロンドンにある。
 
 涙なくしては読めない316ページです。
 長男ウィリアムと、次男エドマンドの会話です。
 長男が9歳の長女をかばって、両親についてのつくり話をしていることを次男が長男に指摘します。
 母親の話として、ひとつだけ本当の話があります。この本の原題に関するものです。
 『A PLACE to HANG the MOON』と書いてあります。それが、この本の原題ではなかろうか。
 直訳すると、『月を吊るすための場所』です。
 母親が、三きょうだいは、夜空に輝く、『月』みたいだと言っていたそうです。
 でももう、母親はこの世にいません。
 次男のエドマンドが言います。『…… ぼくらのこと、お月さまみたいだって思ってくれる人に、お母さんになってもらうんだ』
 そして、『…… これまで、いろいろとありがとう。兄さん』
 (考え方、感じ方として、三きょうだいだから月が3つあるのではなく、三きょうだいを一体のものとしてとらえて、ひとつの大きな月を思い浮かべたほうがいい)

 (以前疎開に来た時にエドマンドがチョコレートをあげた)ヒューからエドマンドにチョコレートのお返しがあります。
 
 バチがあたります。(悪いことをすると、悪いことをした人に、神さまや仏さまが罰(ばつ)を与えること)
 人をいじめた人間にはバチがあたります。
 わたしは長いこと生きてきて、バチが当たった人を何人か見たことがあります。うまくいかないことが起きます。

 『……竜がそばにいる以上、竜に気を配るしかないってね?』(ホビットの冒険から)

 ベティ・バクスター:元教師。園芸好き。ノラ・ミュラー夫人の協力者。

 ノラ・ミュラー夫人のドイツ人夫マーティン・ミュラー氏が亡くなっていたことが判明します。
 ドイツベルリンで8月に空襲があったそうで、空襲のときに亡くなったそうです。
 1940年(昭和15年)8月にドイツのベルリンで空襲があった。
 調べたら、8月24日にドイツ軍がイギリスロンドンを爆撃して、8月26日にイギリス軍がベルリンを報復爆撃しています。仕返しです。イギリス人妻ノラ・ミュラー夫人とドイツ人夫マーティン・ミュラー氏のつながりを考えると複雑な気持ちになります。
 やられたらやりかえす。人類が大昔からやっていることです。これから先もなくなることはないのでしょう。そして最後に核戦争になって、人類は滅ぶというのは映画や小説のテーマになる素材です。

 三きょうだいにとっての今の目標は、自分たちを養育してくれる親探しです。
 両親から受け継いだ相続財産というお金はあっても、親がいません。
 『…… ぼくらのことを、お月さまみたいだって思ってくれる人が、お母さんになる人なんだ』
 363ページに答えがあります。ノラ・ミュラー夫人の言葉、『わたしにはあの子たちが、暗闇をてらしてくれるお月さまみたいに思えるのよ』

 ウィリアムは誕生日(1月11日)を迎えて13歳になりました。(人生は、まだまだはるかに長い)
 誕生日祝いに自転車のプレゼントがあります。

 こどもたちが思う自分たちの母親になってほしいノラ・ミュラー夫人は、三きょうだいが、親なし子であることを知りません。
 ノラ・ミュラー夫人は、空襲がおさまって、戦争が終わるころに、三きょうだいは、ロンドンにいる親の元へ帰るものだと思いこんでいます。

 『勝利のための菜園運動』(食糧不足の戦時中のこととして、食料を自給自足で確保するために庭や公園を畑にする運動)日本と似ています。日本でも空いた(あいた)土地を畑にして野菜や穀物をつくっていました。

 『ミュラーさんとエドマンドは、それぞれやるべきことにもくもくと取り組んだ……』

 ホビットの冒険に出てくる竜のような人物→ジュディス・カー先生。おこりんぼさん。本では、こわい年寄り魔女と表現があります。

 ドイツ人の夫がイギリス空軍によるドイツベルリンの空襲で死んだから、イギリス人であるノラ・ミュラー夫人に対するまわりのイギリス人たちの気持ちがノラ・ミュラー夫人を許す方向へ気持ちが変化したという皮肉があります。ひにく:遠回しに、敵国ドイツを嫌い、自国イギリスを愛す。

 野菜を育てて食べる。農業を賛美するメッセージがあります。
 『疎開児童たちの勝利のための菜園』
 『…… ぼくは、きたない疎開野郎さ!』
 
 お金はある。でも、親はいない。
 親になってくれる人が見つかった。
 こどもは、いつまでもこどもでいるわけではありません。
 あと、10年もたてば、三人とも自立・自活をしていく年齢になります。
 そのときは親代わりになってくれたノラ・ミュラー夫人に感謝してほしい。
 ありがとうが言える人であってほしい。

 最後まで読んで思い出した本が二冊あります。
 『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』
 『宙ごはん(そらごはん) 町田そのこ 小学館』
 おいしいごはんを食べながら、なんだかんだと会話をすることが、人間であることの楽しみなのです。

 読み始めて終わるまで2週間ぐらいかかりましたが、読みごたえのあるいい本でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:28Comments(0)TrackBack(0)読書感想文