2024年06月17日

貯金の種類について

貯金の種類について

 先日読んだ文章に、なるほどなと思うところがありました。
 その文章の要点に加えて、自分の考えなどを書いてみます。

 貯金には3種類がある。
①まず、今すぐ、あるいは近い将来に使うためのお金の貯金がある。普通預金です。生活費、趣味を楽しむ費用など。
②次に、将来に備えて、計画的に貯める。定期預金とかNISAの積立てとか。さきざき住宅購入資金(頭金にする)にあてる。あるいは、こどもが進学するための教育資金、独身の人なら結婚資金とかがあります。
③最後に余裕資金があります。極端にいうと、そのお金がなくなっても日常生活に影響がないお金です。投資に回すことができるお金です。自分が死んだあと、最終的にこの部分の蓄えが(たくわえが)残れば、お金は子孫に引き継ぐ相続財産になります。

 わたしは、老齢者なので②は、もうありません。住宅のお金もこどもの教育費ももういりません。すでに体験して終わったことです。
 もう遺言も書いて、公証人役場への届けも済ませました。
 妻子には遺言の中身について話をしてあります。まだ早すぎるのではないかと息子に笑われましたが、やることをやったので、せいせいしています。

 ①も基本的に2か月に1回支給される年金で生活しています。特別な話ではありませんが、わたしは就職して定年退職まで無職だった日は一日もありません。40年間ぐらい働き続けました。
 体を壊して入院したことがありますが病欠扱いでした。昭和の時代は、終身雇用の時代でした。

 ③は、ここ3年間ぐらいで取り組んでいることです。銀行定期預金のあまりの利子の低さに嫌気がさして、銀行でそんな話をしたら、NISAを利用する投資信託とか、株式投資を勧められました。
 元来自分にはそういうことは向いていないと思っていましたが、やってみたらけっこうおもしろく、こういう世界もあったのかとそれまで自分が無知であったことがわかりました。
 そんなことを土台にして、お金について、自分の読書歴をからめながら考えてみました。

 『節約』とか、『ケチ』についての考察です。
 徹底的にお金を貯める人がいます。お金がたくさんあっても、人から問われると、カネはないと返答があります。
 お金の貯め方はわかっていても、お金の使い方はわからない。
 小説作品、『おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子 河出書房新社』には、夫を亡くした老齢のひとり暮らし女性が主人公として出てきます。75歳、日高桃子です。
 日高桃子には、息子と娘がいますが、息子とはなにかわけがあって、疎遠(そえん)になっていたという記憶です。
 娘には、日高桃子からみると孫がいました。
 娘が、生活に余裕がなく家計が苦しいので、孫の教育費を貸してほしいと母親である日高桃子に頼みに来ましたが、日高桃子は娘にお金を貸しません。
 疎遠(そえん)な息子から母親の日高桃子に電話がかかってきます。緊急事態なので、お金を貸してほしいと頼まれて、日高桃子は、息子に言われた口座に250万円を振り込みました。
 息子からの電話は、オレオレ詐欺でした。
 娘が怒ります。(いかります)
 母親である日高桃子は、意識がふらふらになります。
 そんな流れでした。

 お金というものは、どれだけ貯めても、使わなければ、ないのといっしょなのです。
 5月に愛知県半田市の雁宿ホール(かりやどホール)で観た中高年のアイドル綾小路きみまろさんの爆笑スーパーライブショーで、きみまろさんが言っていました。
 『けっきょくそういうことです。貯めたお金をあの世へ持って行くことはできないのです』
 貯めたお金はあるていど、なにかしら有益なことに使って、残り少なくなってきた人生の一日、一日を楽しみましょうということです。寿命が尽きるまでという自分に残された時間で、自分がしたいことをして楽しみましょうなのです。

 もう一冊は、フランス旅行記・滞在記でした。女性筆者が、のんびりのびのびとしたフランスの農村地域に滞在したときの記録(エッセイ)だったと思います。場所は、フランスのワインをつくるためのぶどうの産地だったのかもしれません。
 その本を読んだのは、いまから二十五年ぐらい前で、自費出版の本でした。
 明るくすこやかな記述が続いて、本の終わりまできて、ちょっと胸にぐっときた文章を読んだ覚えがあります。
 本に書いてあった女性著者の言葉です。これまでいろいろ書いてきましたが、現在自分は病院に入院していて、もう旅行はできそうにありませんというようなことが書いてありました。
 病院のベッドの上で、自分の体が元気だったころのことを思い出す毎日を送っておられるということでした。
 人間はいつまでも五体満足で自由自在に体を動かして、好きなところへ行けるわけではないのです。
 だんだん体のあちこちの耐用年数がきて、思うように体が動かなくなって、寝たきりになって、紙おむつ着用になります。
 人によっては脳みその病気である認知症になって、まわりに負担をかけるような人格に性格が変化します。
 体も脳みそも、最終的には、人間としての機能が停止するときがくるのです。
 人は、いつかは仕事がなくなって働けなくなります。そのかわりに自由に使える自分の時間を手に入れます。
 体が不自由になって、寝たきりおむつ生活になったときに、あれもこれもやっておけばよかったと後悔することが、できるだけ少ないようにする。やれることだったのに、やらなかったと残念に思うことがなるべく少ないようにする。
 仕事がなくなったあとの老後の送り方について考えました。
 労働者や家庭人としての現役時代の激務に耐えたごほうびとして、寿命が尽きるまでの時間は、お金を使って日々を楽しむ人生を送るように、生活をコントロールしていくのも、終活のひとつだと思ったしだいです。
 最後は、自分の体はお棺に入れられて、火葬場の焼却炉入口前で、ご遺族関係者などから、『(人生を終えられて)おつかれさまでした』と、心の中で声をかけられるのです。
 終活(しゅうかつ):人生の最期を迎えるための心の準備など。  

Posted by 熊太郎 at 07:46Comments(0)TrackBack(0)株式投資