2024年06月21日

いつかの約束1945 山本悦子・作 平澤朋子・絵

いつかの約束1945 山本悦子・作 平澤朋子・絵 岩崎書店

 『1945』は、西暦1945年で、昭和20年のことでしょう。
 第二次世界大戦終戦の年です。日本が欧米を中心とした連合国軍に負けた年です。
 いろいろありました。
 わたしたちの上の世代は、とても苦労されました。

 一部の権力者たちが暴走したために、多数の国民の命が犠牲になりました。
 独裁国家反対です。
 本の帯に、『あたし、いろんな人のひとりになる』と書いてあります。
 どういうことだろう。
 あたしが、いろんな人、ひとりひとりにのりうつるのだろうか。(憑依(ひょうい)です。青森県恐山(おそれざん)のイタコみたいです。(これから本を読み始めます。読んでみないとわかりません。読みながら感想をつぎたしていきます)

 『1』、から、『9』までの章になっています。
 目次を読むと、まいごのおばあちゃんがいて、そのおばあちゃんは、どこに行ってしまったのだろう? でしょう。
 すずちゃんというのは、おばあちゃんのお名前でしょう。たぶん。
 すずちゃんおばあちゃんが、若い時にもどるようです。
 そして最後に、だれかとだれかがした約束が披露されるのでしょう。(ひろう:公表すること)

 さて、読み始めます。

みく:麦わら帽子をかぶっている。みくのひいおばあちゃんが介護施設に入所している。(82ページにみくのお父さんはパイロットと書いてあります。わたしは、飛行場のそばにあるホテルに泊まったときに、朝食会場で、パイロットという人は見たことがありますが、パイロットのこどもは見たことがありません)。
 みくの家族は、13階建てマンションの最上階に住んでいます。

ゆきな:野球帽をかぶっている。みくとゆきなは同級生の友だち。小学四年生ぐらいに見えます。(あとから73ページに書いてあって、3年2組、教室は校舎の二階であることがわかりました)

 市立図書館があって、その向かいに時計屋があって、ふたつの間にある横断歩道のむこう、時計屋のそばに、88歳ぐらいの(たぶん認知症の)おばあさんである関根すずがいて、すずさんは、自称9歳で(自分で自分は9歳だと言う人です)、みくとゆきなは、関根すずを認知症だと思わずに、9歳のだれかと高齢者女性の心が、互いに体がぶつかったことが原因になって、入れ替わったのであろうと勘違いして、あれやこれや、たぶん戦争がらみの話に発展していくのだろうと思いながら読んでいるいまは71ページあたりです。
 広島県尾道を舞台にした邦画、『転校生』パターンの勘違いですな。尾身としのりさんと小林聡美(こばやし・さとみ)さんの心が入れ替わる1982年(昭和57年)の映画でした。まだ結婚する前、奥さんと映画館で観ました。自分たちも含めて、俳優さんたちも歳をとりました。いい映画でした。男女の心が入れ替わって、お互いの苦労を知るのです。
 そういえば、先日観た邦画、永野芽郁さん(ながのめいさん)主演の、『マイ・ブロークン・マリコ』で、尾身としのりさんが、アル中のDV(家庭内暴力)父を演じていました。暗い内容の映画でした。尾身くんも歳をとりました。がんばっています。
 
 さて、最初のページに戻って感想を付け足します。
 関根すずは、自分のことを、自分はおばあちゃんじゃない。自分は9歳と言います。
 もうずいぶん昔、わたしが30歳なかばぐらいだった頃、そういうおじいさんを実際に見たことがあります。
 外見はどう見ても80歳を超えているのに、ご自身は、自分の年齢を40歳と言っていた記憶です。わたしとそれほど年齢差がありません。冗談で言っているようすはなく、話をしていて、まあ、本人がそう言うのならそれでいいじゃないかという気持ちになったことを覚えています。
 そのときは、その人とは短期間の付き合いで、どこかへ行かれてしまいました。本人はぼけていたのかなあ。よくわかりません。

 その後、民族として、年齢にこだわるのは日本人ぐらいで、とくに東南アジアの人たちは、自分の生まれた年はわかるけれど、自分の誕生日は知らない人が多いと聞いて、そんなものなのかと世界の広さを知りました。
 日本には、戸籍制度があるから生年月日にこだわれるということもあるのでしょう。外国のほとんどの国には戸籍はありません。外国には、日本でいうところの住民登録のようなものがあるだけだと聞きます。

 みくもゆきなも小学生中学年だからか、『認知症』のことをほとんど知りません。『いろんなこと、わすれる病気なんでしょ?』、ぐらいしか知りません。

 関根すずの住所は、『おいけのはた一丁目』だそうです。
 昔あった住所で、現在は、町名変更とか、住居表示(街区と家に番号を付ける)がなされているかもしれません。
 みくとゆきなのふたりは、誤解があるけれど、心は優しい。
 関根すずを助けようとします。
 話はややこしいけれど、9歳のときの関根すずを探すことになります。
 
 おかっぱ(昔の表現):ヘアースタイルです。本では、『ボブ』と書いてあります。
 
 『かっぱ』にこだわりがある作者です。
 以前、こちらの作者さんの別の本を読んだことがあります。たしか、かっぱがからんでいました。
 『がっこうかっぱのイケノオイ 山本悦子 童心社』
 ブラジル人の男の子が、池にいる『カエル』のことを、日本語の発音がうまくできないせいなのか、『かっぱ』と言い、『イケノオイ』は、『池の匂い(におい)』ということで、カッパ(カエルのこと)の名前なのです。その本は、登校拒否を防ぐための本だった記憶です。作者は、こどもたちが、学校を好きになるようにという願いをこめて、この作品をつくりました。(そんなふうに、自分の読書メモが残っています)

 『かっぱ、かっぱ、おかっぱすずちゃん』
 
 駅が出てきます。
 おばあさんの心と入れ替わった心をもつ9歳の女の子を探します。
 読んでいて、絵本にあるその駅は、自分がまだ若かったころ、たまたま用事があって行ったことがある駅のことではなかろうかと思いました。
 日本で一番古い駅舎と言われているそうです。愛知県半田市にある、『亀崎駅(かめざきえき)』です。
 ほかの本で見たことがあります。絵本でした。
 『でんしゃでいこう でんしゃでかえろう 間瀬なおかた ひさかたチャイルド』、次が、読んだ時の読書メモの一部です。
 『うみのえき』の建物のモデルは、愛知県半田市にある、『亀崎駅』だそうです。わたしは、30年ぐらい前に用事があって何度か亀崎駅を利用しました。坂を下ったところにあった記憶です。まだ今も、木造のまま残っているらしくびっくりしました。

 無人駅:半世紀以上前、わたしがこどもだったときには、無人駅というものはなかった記憶です。無人というのは、駅員がいない駅ということです。列車の運転手や車掌が切符を回収します。

 老人クラブ:自主的な集まり。おおむね60歳以上がメンバー。

 いろいろ勘定(かんじょう。計算)してみると、関根すずは、1936年(昭和11年)生まれで、2024年(令和6年)の今年、88歳になる計算です。

 飲み物の自動販売機:昔はありませんでした。
 アスファルト舗装(ほそう)の道路:これも昔はありませんでした。半世紀以上前、とくにいなかでは、道路面はまだ土でした。車自体が少なかった。自家用車をもつ人は少なかった。道は、こどもたちの遊び場でした。
 路線バスは、土の上を走っていました。砂ぼこりが舞い上がっていました。

 ぶうんちょうきゅう:武運長久。この言葉が、この物語の伏線になっていきます。(ふくせん:あとあと感動をうむしかけ(仕掛け))。戦時中の祈り。武人(ぶじん。兵士)としての命が長く続くこと。兵士としての役割を果たし続ける命が続くこと。勝利運があること。

 同じ地域に何十年間も住んでいると、土地に、どのような建物が建っていたかの記憶が脳に残っています。
 昔はあったけれど、今はもうなくなった建物があります。
 そのあとに新しくできた建物が現在あります。
 原野でなにもなかったところが、区画整理などで、道路や住宅や店舗やビルが密集する街になっているということもあります。
 土地には、歴史があります。

 七ツ木池(ななつぎいけ):読んでいてピンときたのですが、この池のモデルは、愛知県半田市にある、『七本木池』ではなかろうか。近くに用事があって、たまに車を運転してそばを通ります。

 爆弾の話があります。
 戦時中に空襲でたくさんの爆弾が落とされました。
 まだ自分が十代後半だった頃、年配の人たちから聞いた話です。
 『(まだ自分がこどものころ。10歳ぐらい)爆弾が空からどんどん落ちてくる中をぴょんぴょんはねながら逃げた記憶がある。火災が起きていた』
 さらに別の人で、爆発しなかった爆弾がころがっていたので、家に持ち帰って庭に飾ったという人もいました。(今考えるとびっくりです。人間って、精神的に、たくましくて、強い面をもっています)
 
 90ページに、戦後食糧難の時代に、野生の鳥や魚を食べた話が出ます。
 たしかに、わたしが幼児、小学校低学年のときは、集落の人たちは、山にワナをかけて野鳥を捕って(とって)焼いて食べたりしていました。今はやっちゃいけないのでしょう。
 戦後はみんなおなかをすかしていました。先日のNHK朝ドラ、『虎に翼』で、お弁当につめるごはんがないというような話をしていました。
 ヤミ米の話です。ヤミ米(闇米):違法な取引で流通するお米のこと。たてまえとしては売買してはいけない米です。食糧管理法の規制がありました。
 ヤミ米を手に入れてはいけないという法律を守った裁判官が、栄養失調で亡くなったという出来事がドラマ、『虎に翼』に出てきました。
 たしか、わたしが中学生の時に、先生からそういうことがあったと教わった記憶が脳みそに残っています。
 事実なのです。あのころ、戦争で中国や東南アジアの戦地に行って兵隊として戦った体験のある先生が、中学や高校に何人かおられて、戦時中のことや戦後まもなくのことを授業中に話されていました。生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの話です。そうして、戦争はもうやっちゃいけないと教わりました。
 
 広島市の平和公園にあるような銅像の絵が93ページにあります。わたしは、広島の平和公園には二度行ったことがあります。千羽鶴を上にかかげる、『原爆の子の像』を見たときには、胸にグッとくるものがありました。原爆で、たくさんのこどもさんたちが亡くなりました。犠牲者多数です。戦争においては、ひどいことをする人たちがいます。

 以前読んだ反戦の本で、強く記憶に残った写真本があります。
 『ヒロシマ 消えた家族 指田和(さしだ・かず 女性) ポプラ社』
 おとうさんは、鈴木六郎さんで、床屋さんです。おかあさんが、フジエさん。英昭おにいちゃんがいて、本のなかにいる『わたし』が、公子(きみこ)さん、いっしょに写真に写っているのが、和子ちゃんです。その全員が、原子爆弾の投下(とうか)で亡くなります。つらいです。原爆のバカヤローです。
 ペットのネコのクロとイヌのニイも写真の中にはいます。でもきっと、原子爆弾が爆発したあと、二匹とも、この世には、もういなかったと思います。

 さて、こちらの本に戻ります。
 関根すずの体には、戦争、おそらく空襲のときにできたやけどの傷が残っています。
 
 114ページ、『決めた。あたし、いろんな人になる』(関根すずの言葉)
 『じゃあ、あたし、いろんな人のひとりになる!』
 わたしは、その部分の表現がピンときません。
 この部分では、関根すずの心は、自分が7歳のときの心になっています。
 同一人物の過去と現在で完結している状態なので、ほかの人の心をもつということは、意味が異なるのではないかと感じるのです。

 みくのマンションの前の道で、関根すずのひ孫が現れます。中学生女子です。
 舞台は、時計屋→図書館→駅→小学校→七ツ池→みくの家(マンション)と移動してきました。
 
 旧姓が、『関根』で、結婚して、現在は、『後藤すず』だそうです。
 124ページの小学生女子3人の絵を見て、若さが輝いていたと気づくのは、歳をとってからだと思います。若い時は、若いことのありがたさに気づけません。歳をとると、若い時は良かったなとしみじみするのです。

 昔は、『米穀配給通帳(べいこくはいきゅうつうちょう)』というものがありました。自分がこどものころに見たことがあります。1981年(昭和56年)に廃止されています。
 戦後、お米は、配給制だったそうです。はいきゅう:家の家族の人数ごとに割り当てられた分のお米が支給された。
 
 歴史をふりかえって、人間のおかした過ち(あやまち)を二度と繰り返さないように学ぶ。
 されど、現実には、大昔から、戦争とか戦いの歴史は繰り返されています。
 世代が入れ替われば、戦時中の苦労を知らない世代になって、また、戦争が起きます。それが人間のありようです。戦争になると、たいていは、体力が弱い者が犠牲になります。こどもや女性、年寄り、そして障害がある人たちです。敵の攻撃から逃げきれません。

 物語では、後半のクライマックスになって、胸が熱くなるものがあります。
 本のタイトル、『いつかの約束』は、絵のタイトルでもあるのです。  

Posted by 熊太郎 at 07:51Comments(0)TrackBack(0)読書感想文