2024年06月05日

ごめんね でてこい ささきみお作・絵

ごめんね でてこい ささきみお作・絵 文研出版

 こどもさん向けの本です。

 はなちゃん:小学一年生ぐらいに見えます。
 おばあちゃん:この本のおばあちゃんは、かなり年配に見えます。ふつう、孫が1年生だと、祖父母の年齢は60代で、比較的まだ若いことが多い。前期高齢者ぐらいです。(65歳以上)
 ゆうちゃん:はなちゃんのなかよしのともだち。

 タイトルからすると、相手に、『ごめんね』が言えないというお話だろうか。
 読み始めます。

 事情があって、一時的に、おばあちゃんが、はなちゃんの家に来て、同居するらしい。

 きんちゃく:開口部をひもでしばって締めるようにした袋。

 はなちゃんとおばあちゃんでクッキーをつくるそうです。
 ちびっこは、食べ物が大好きです。
 ちびっこは、甘い食べ物が、なおさら好きです。
 公園からの帰り道で、ふたりは、チョコレートを食べながら歩きました。

 とはいえ、はなちゃんにとって、いいことばかりではありません。
 おばあちゃんは、口うるさかったりもします。ああしなさい。こうしなさいです。
 ふつうは、ママが、口うるさいのですが、この本では、おばあちゃんが口うるさくなります。
 ちゃんとあいさつしなさいとか、宿題をやりなさいとか、ごはんをこぼしてはいけないとか、歯をみがきなさいとかです。おふろあがりは、きちんと体をふきなさいもあります。電気をつけてから本を読みなさいもあります。(う~む。うっとおしい)

 食事のおかずの内容についての話があります。
 おばあちゃんは、魚や煮物などの昔風のごはんのおかずです。(ちょっと古い世代のおばあちゃんですな。今の80代の年齢の感じです。ひいおばちゃんの世代に思えます)
 はなちゃんが食べたいのは、カレーライスやスパゲティやハンバーグです。
 なにかしら、祖母から孫へのおしつけの意識と状態があるような雰囲気がただよいだしました。

 絵本のようです。
 マンガを読むようでもあります。
 ページをごとに絵と文章があります。
 祖母の孫に対する過干渉があります。
 孫のはなちゃんが委縮していきます。

 ちょうどこの本を読んだ時に、同時進行で読んでいた本のことを思い出しました。
 小学校5年生の長男さんが、母親に抗議します。反抗期の入口です。
 『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』
 自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。
 これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです)
 『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』
 強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。
 ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。

 こちらの本では、おばあちゃんがはなちゃんに、『でもね』と言い返します。
 はなちゃんが、こうしたい、ああしたいと思っても、おばあちゃんが、『でもね』と否定します。
 一般的に世間では、日常会話で人が言ったことを否定する人は嫌われます。否定されるとその場の雰囲気が冷たくなります。否定する人は嫌われて、ひとりぼっちになります。

 文章からは、おばあちゃんが、はなちゃんのことを思っての言動であることが伝わってきます。
 だけど、はなちゃんはおもしろくありません。
 おばあちゃんが、おせっかい者です。(でしゃばり。不必要な世話)

 とちゅうまで読んできて、う~む。こういうきちょうめんでまじめな人が(おばあちゃんのことです)認知症になるんだよなあと思ってしまいました。
 
 ついにはなちゃんは、あたまにきて、おばあちゃんに、あんたなんか嫌い!というような感じで強く抗議しました。

 両親との関り(かかわり)がでてこない本です。めずらしい。どうしたのだろう。
 いまどきは、祖父母と交流が密にある孫というのは減りました。
 少子化の影響です。
 昔でも、祖父母と交流がある孫というのは、祖父母のこどもである長男・長女、次男・次女あたりぐらいまででした。
 兄弟姉妹のちゅうくらいから下になると、そのこどもである孫たちと祖父母との交流は希薄になります。両親や祖父母のお墓参りの習慣も下の世代は薄くなります。お墓参りに行くのは、兄弟姉妹たちの上のほうの世代です。
 今は、高齢化社会ですから、仕事場での営業の場面では顧客が高齢者ということが多いのですが、高齢者と触れ合ったことがない孫世代の社会人は、仕事場の窓口などで、高齢者の相手をうまくできなかったりもします。イライラするようです。高齢者相手の接遇は、マニュアルを読んで簡単にできるようなことでもありません。いまどきは、上下の世代間の気持ちの距離が開くようになりました。
 
 はなちゃんは、おばあちゃんに言います。『いいから、あっち いって。』

 う~む。なんというか、血のつながりがある祖父母と孫たちというのは、この話のように気まずくはならないものです。
 わたしも孫にどなることがありますが、(逆に小学生の孫にどなられることもありますが)少し時間がたてば、お互いにケロッとしています。孫は血を分けた自分の分身です。気まずくなる前に、コノヤローといいながら、スキンシップでじゃれあえば、こどもが小さいうちは、気持ちは元に戻ります。変にまじめだと、修復がむずかしくなります。

 ああ、やっぱり。本の中のおばあちゃんは、体の具合が悪くなって入院しました。(やっぱり認知症みたいになってしまいました)
 
 この本は、道徳の本みたいな面もあります。
 ちゃんとあいさつしましょうです。
 最近は、無言の無表情で接客接遇をする若い人が増えました。
 どういうわけか、基本は、知らん顔です。人口知能ロボット人形ですな。最近はAI(エーアイ)がはやっています。きのうテレビで、大きな液晶画面の中の女の人がお客さんと会話ができると紹介されていました。それこそほんとうの人工知能型接客ですな。

 う~む。年寄りの側の願望なのかなあ。
 この絵本を読んで、ちびっこは、どう思うのだろう。
 お年寄りを大切にしようということですな。

 絵本のテーマである『ごめんなさい』がでてこない理由をつきとめよう。
 自分が悪くないから、ごめんなさいが言えないということがあります。
 世間では、自分が悪くなくても、ごめんなさいを言う時があります。
 物事がスムーズに流れていくようにするために、本当は、あやまる気持ちはないのだけれど、あやまるかっこうをすることがあります。
 それが、人間です。そういうことを身に付けましょうということなのかもしれません。う~む。それでも社交辞令とまではいえません。(しゃこうじれい:関係をスムーズにするために本心ではないことを、あたりさわりのないように言うこと)。人間の自然な感情の動きです。正しいか正しくないかだけではなく、総合的に考えてうまくいくかいかないか、集団の中の一員(いちいん)として自分が集団と調和していけるかいけないかで考えるということはあります。
 深く考えると、内部告発をした人間がまわりにいる人間たちに干される(ほされる)のはどうしてかというところまで考えが及びます。明確な答えが出せない課題というものは、人間界にはたくさんあります。不合理、不条理、理不尽である状態がふつうの人間界だからです。たいていの人は、気持ちに折り合いをつけてがんばります。それぞれ娯楽を見つけて楽しむのです。気晴らしです。気持ちをそらします。その場しのぎですが、苦痛を忘れようとします。  

Posted by 熊太郎 at 06:42Comments(0)TrackBack(0)読書感想文