2024年06月10日

ノツクドウライオウ 靴ノ往来堂 佐藤まどか

ノツクドウライオウ 靴ノ往来堂 佐藤まどか あすなろ書房

 タイトルの意味は、靴屋の往来堂(おうらいどう)です。なぜに、ノツクドウライオウなのかは、右から読む看板表示であり、老舗(しにせ)の歴史がある靴屋だからです。手づくりで靴をつくってくれるお店なのです。『オーダーメイドシューズの店』とあります。

 こちらの作家さんの作品は以前、『一〇五度(ひゃくごど)』を読んだことがあります。
 一〇五度というは、椅子の背もたれの角度のことでした。椅子をつくる職人の話だった記憶が残っています。
 以下が感想の一部です。
 一〇五度 佐藤まどか あすなろ書房
『105度』とは、温度ではありません。椅子の背もたれの角度です。この小説は中学生向けで、椅子のデザインを素材にしたものです。珍しい。
主人公は、大木戸真(おおきど・しん)、中学3年生ですが、身長177cmと高い。神奈川県逗子市内の(ずししない)の公立中学から、東京都内の中高一貫教育の大学付属校へ中学3年の4月に編入しています。
『イスが好き』と自己紹介したところから、『イス男』扱いです。椅子好きは、椅子職人の祖父の影響です。椅子に座った人たちの気配を感じることが快感だそうです。今後、スラカワという早川(同級生女子、同じくイスのデザイン好きらしい)とともに物語を進行していきます。

 さてこちらの本です。こんどはオーダーメイドの靴職人です。

木村夏希:今は、中学二年生か。14歳。靴屋の四代目の孫娘。祖父が四代目。木村夏希が5歳の時に、五代目になるはずだった父親が、家を出て行ったそうです。父親とは4年ちょっと会っていない。父親は再婚して遠くへ行った。

木村穣(きむら・じょう):木村夏希の兄。妹より7歳年上。21歳か。父が家を出たあと、靴屋の五代目を期待されたが、この物語が始まったとたん家出をしたようです。靴屋にはなりたくなさそうです。家出をして3か月たったあたりからこちらの話が始まっています。パスポートをとっていたので、外国に行っている可能性があります。

木村総一郎:別名、『マエストロ(イタリア語で、教師、達人、英語圏では、オーケストラの指揮者。一般的には、優れた知識や技術をもつ人物をさす)』。往来堂の四代目。65歳。さきほどのふたりの祖父。一本筋がとおったがんこ者。若いころにイタリアのフィレンツェという古都にあるオーダーメイドシューズ工房で修行をしたことがある。
 木村夏希のひいおじいちゃんはイタリアを旅したときにフィレンツェのオーダーメイドシューズ工房のマエストロと知り合った。そのマエストロは来日して木村夏希の家に泊まった。そのマエストロの息子がヤコポで、祖父のマエストロになった。ヤコポは75歳で店をたたんだ。

祖母:別名、『店長』

母:佐和子。40歳。別名、『事務室長』。19歳で妊娠して、できちゃった婚をした。長男と長女を生んで育てて離婚した。

政(まさ):引退した職人。今は夫婦で、ワゴン車に乗って日本国内を旅している。自由気ままな旅で、北海道とか三重県伊勢神宮なんかに行っている。

岸田:往来堂で20年間働いた。2年前に靴屋として独立した。

佐野宗太:木村夏希のクラスメート。中学2年生ぐらい。木村夏希は佐野宗太を嫌っているが、佐野宗太は、そう悪い人間でもない。往来堂の常連さんの水野老夫婦の孫であることがあとあとわかる。木村夏希いわく、佐野宗太は、クラスメートには態度がでかいが、年上には礼儀正しい。いやなやつだ。

 靴屋の『靴ノ往来堂』が立っている場所です。高いビルの間に建っている。右隣が、10階建てのガラス張りビルで、1階にはレストランやカフェ、上にはショップや事務所が入っている。
 左隣は7階建てのビルだが、長期間使用されていないボロいビルで、『お化けビル』と呼ばれている。
 『靴ノ往来堂』は、3階建てで築100年。(100年前は、1924年、大正13年)。くすんだ色のレンガ造り。関東大震災(1923年9月1日。大正12年)で全焼したので、建て直した。第二次世界大戦の空襲ではかろうじて難を逃れた。
 
 12ページまできましたが、少ないページ数のなかに、たくさんの情報が書き入れられた文章です。把握(はあく。しっかり理解すること)がたいへんです。

 ぼんやりとした家族関係があります。
 お互いに本音(ほんね。正直な気持ち)を言って話し合わないと、なんとなく時間が過ぎていく家族関係になってしまいます。ただ、本音を言えないということはあります。夫婦や親子関係において、本音が言えない状態は、深刻な状態です。

 家業を継ぐということは、かなりしんどい話題です。

 長女木村夏希のひとり語りが続きます。
 彼女の夢です。靴屋はやりたいが、オーダーメイドシューズをつくる職人ではなく、シューズデザイナー(靴のデザインを考えたり練習で靴をつくったりする)になりたい。

 吉岡英次郎:85歳。往来堂のお得意さん(いつも買ってくれる人)。吉岡ウィング、マッケイ・ハンドソーン、ソールはメス入り生地仕上げの靴を履かれるそうです。

 セミオーダーメイド:来店せずに靴をつくる資料をやりとりして集めて靴をつくる。
 3Dプリンターで、靴の木型を樹脂でつくる。(3Dプリンター:立体的モデルを製造できる)
 祖父のマエストロは、セミオーダーメイドも3Dプリンターもやらない主義です。
 なんだろう。観察がていねいな記述の文章です。じょうずです。それなのに違和感があります。中学2年生14歳女子の語り口としては成り立たないのです。14歳はもっと幼い。

 クロッキーブック:白い薄い紙のノート。絵の練習に使う。
 日本製の革切り包丁(かわきりほうちょう)、シューメーカーナイフ、トリンチェット(細長くてすごくとんがっているナイフ)、メッザルーナ(大きなナイフ。日本語ではラウンドナイフ)、スチニングナイフ(長くカーブを描いている)、ドイツ製のハサミ、京都の握りバサミ、ワニ(表の革を裏の底まで引っ張る道具)、ボーンスティック(骨でできたヘラ)、タックスプーラー(クギを立ち上げたり抜いたりする)、すくい針、だし針、ふまず針、南京針(なんきんはり)、
 アシンメトリー:左右対称ではない。非対称。道具で、右利き用、左利き用がある。
 
 靴製作の描写はかなり細かい。 

 メタファー:隠喩(いんゆ)。『たとえ』のこと。たとえ話。

 ケミカル剤:化学洗剤。

 色:手づくりの靴の色は、草木染。自然の草木の色。

 水野老夫婦:きれいな色の革靴が好き。色は自然の草木の色。あとで、ご主人は亡くなる。本人お気に入りの靴をはかせて棺桶に入れた。

 読んでいて、数年前よくテレビに出ていた元横綱の若い息子を思い出しました。
 感じの悪い人でした。
 注文を受けて靴をつくっているのにいつまでたってもできあがらない。そんな話でした。ところがこちらの本を読むと、オーダーメイドの靴は、平均が6か月ぐらいだけれど、できあがるまでに1年間ぐらいかかることもあるそうです。そういうものなのか。
 オーダーメイドの靴づくりは、収入がたくさんあるわけではないけれど、食べていけないことはないそうです。まずは、商売をしていくうえで、家賃がないことが経営の条件のようです。
 金もうけだけのためにやる仕事ではありません。
 
 靴の用語の言葉はむずかしい。
 靴づくりのテキストか、図鑑を読むようです。
 
 マエストロいわく、靴づくりの仕事は、『意地(いじ。負けてたまるかという気持ち)』になってやるものだそうです。挫折したくない。(ざせつ:あきらめる。やめる。ほおりだす)

 みっちゃん:コンビニ店の娘。木村夏希の同級生。
 茜:レストランの娘。木村夏希の同級生
 亜美:和装店の娘。木村夏希の同級生。
 陽介:書店の息子。木村夏希の同級生。

 マッケイ式製法:靴のつくり方。イタリアではよくある。日本には少ない。
 
 靴店の不動産としての土地がほしい人間として、スーツを着た男サラリーマンがふたり出てきます。土地開発会社の社員です。ふたりの頭の中にあるのは、カネ、カネ、カネです。(お金のこと)
 年配の人:白いストライプ(たてじま)の入った紺色スーツ姿。
 若い人:グレースーツ姿。
 土地を売ってほしい。立派なビルを建てる。ビルの1階に『往来堂』が入る。最上階の高級マンション部分をふたつ、往来堂の人間にあげる。地下には駐車場ができる。上下は、エレベーターで移動する。
 
 ステータス:社会的地位。身分。

 77ページにある左右サイズが異なるシューズでもかまわないという部分に驚きましたが納得しました。オーダーメイドの靴です。(注文してつくる靴)。人間の足は、両方とも同じサイズとは限らないのです。
 
 このストライプさんとグレーさんというサラリーマンが出て来たあたりから、話がやわらかくなりました。いい感じです。読みやすい。

 木村夏希が靴づくりの修行をしています。
 小さめの靴をつくります。
 ミシン縫いと手縫い(ハンドソーン)です。
 
 吉岡美佐:吉岡英次郎85歳の孫娘。結婚式を挙げる。身長185cm。靴のサイズが28cm。バレーボールの選手。大きいです。米国プロ野球日本人選手オオタニさんの奥さんみたいです。
 吉岡美佐が結婚する相手が原という男性です。ウェディングドレスを着るときの靴をマエストロにオーダーしました。

 フィッティングシューズ:ファッション性の高い通気性があるニットのシューズ(ニットは編んだものという意味)。軽量で足にぴったり合う。

 職業選択のことが書いてあります。
 わたしの感想です。
 中学時代の希望で将来の進路(職業)が確定するということはあまりありません。(109ページの末尾にマエストロの意見が出ます。わたしと同じです)
 現実的には、お金を得るために仕事をするわけですが、まずは、世のため人のためと思って仕事をしないと仕事が続かないということはあります。仕事をするための動機付けは大事です。

 ずばぬけた才能があれば学歴はいらないということはあります。職人技で勝負します。

 一芸に秀でた(いちげいにひいでた)人は、一芸以外のことはできなかったりもします。そういう人は、心ある(道徳に従って思いやりをもって主役を支える)人に頼って、一芸に専念します。
社会的には有名でも、洗濯機の使い方やお風呂掃除のしかた、簡単な料理のしかたなどの衣食住のやりかたとか、生活をしていくうえでの契約ごと(部屋を借りる、電気・ガス・水道の契約をするなど)とか、それこそ電車やバスの乗り方を知らない有名人もいます。あわせて、食料品や物の一般的な値段を知らない人もいます。買い物体験がなければ、知らないのはしかたがありません。

 物語は、なんだか、恋バナ(恋の話)になってきました。
 
 都立高校への進学について書いてあります。
 昔は私立よりも公立のほうが、学力が高かったと思うのですが、今は逆のようです。半世紀ぐらい前は、公立高校に合格できない者が、すべり止めで私立高校を受験していました。
 
 プライドの話も出ます。
 お客さんの前でひざまずくのがイヤだろうみたいな話が出ますが、仕事です。かがまないと靴のサイズを測れません。
 
 月一の土曜登校日(中学ですが、完全週休二日制ではないようです。わたしが通っていた昔は、土曜日は午前中だけ学校がありました。世の中が週休二日制になったのは、わたしが大人になってからずいぶんあとのことでした)

 物語は、会話で話を進めていく手法です。
 中学生の男子と女子が、こんなにたくさん会話のやりとりをしないだろうと思いながら読んでいます。(199ページに佐野宗太からそのへんの事情の説明があります)

 『頑固者(がんこもの)』について考えます。
 わたしの考えですが、昔は、がんこなことはいいことだという慣例がありました。(かんれい:それが普通なこと。しきたり)。美談(びだん。いい話)扱いもありました。
 わたしが長い間生きてきて思うのは、人間は、がんこである必要はない。むしろ、がんこであるがために、うまくいくものもうまくいかなくなって、不幸を生むということがあるのです。とくにこどもの結婚には反対しないほうがいい。こどもが連れて来た相手に不満があっても、父親というものは、『おめでとう』と言うしかないのです。反対してこじれると、のちのち深く後悔することになります。ただひとこと、『おめでとう』と言えばいいのです。それが父親の役割です。

 見習い職人長という肩書の夏希。

 木村夏希の母、佐和子の言葉があります。
 『結婚するまでは勢いで、夫婦になったら忍耐力……かな?』
 わたしの思い出です。
 結婚しようとすると、たいていだれか、反対する人が出てきます。やめといたほうがいいよと、よけいなことを言う人がいます。
 自分が思うに、『なにがあってもこの人と、なにがなんでもこの人と必ず結婚するんだ』とばかになって思いこまないと結婚式までたどりつけないということはあります。

 家出をした長男の穰は、もしかしたら再婚した父親のところに行ったんじゃないだろうか。(結局、行き先の明記はありませんでした)

 ミュール:女性の履物。サンダルの一種。

 木村夏希は、参考書を3冊使って勉強しても勉強ができるようにならないというような話題が出ます。
 わたしは、中学生のときは貧乏な母子家庭だったので、参考書は1冊しか買えませんでした。その1冊を何回も解きました。同じ問題を繰り返しやって、数学のテストのときは、暗記していた解き方のパターンに数字をあてはめて解いていました。数学は自分にとっては暗記科目でした。
 物語では、佐野宗太が木村夏希に学習のしかたをアドバイスします。どうも、木村夏希は成績が芳しくない(かんばしくない)ようです。それでも、靴づくりでは、木村夏希のほうが佐野宗太より先輩です。佐野宗太は将来靴職人になりたいみたいなことを言い出しています。

 靴づくりに合わせて、離婚した親とその子の微妙な気持ちが表現されている作品です。
 親の気持ちとこどもの気持ちは違います。
 親権を失った父親は、いっときはこどものことを考えますが、そのうちにこどものことは忘れると思います。
 こどもは、失った父親を追いかけると思いますが、心変わりをしていく父親の態度にいずれ気持ちが冷めると思います。
 たいていの男はそんなものです。
 木村夏希の両親は離婚していますが、佐野宗太の両親も似たようなものだそうです。離婚はしていないけれど、仮面夫婦、家庭内別居とか、そういうことなのでしょう。
 佐野宗太の兄である佐野将暉(さの・まさき)に関しておかしなことになっているそうです。兄は23歳で亡くなっています。
 家族というものは、外から見ると仲良しそうに見えても、一歩中に入るとうまくいっていないということはあります。あんなに仲が良かった親子が心中(しんじゅう。親がこどもを道連れにして亡くなる)するなんて驚いたということが、現実にはあります。外面(そとづら。見た目)がいい家族は、演技をしているのです。

 等価交換(とうかこうかん):同じ価値のものを交換する。ふつう、不動産取引で使う言葉。

 中学生が労働をするとまずいみたいな表現がありますが、老齢者から見ると不思議な考えです。時代が変わりました。半世紀ぐらい前は、こどもは労働力でした。農家なら農作業、漁業なら船で魚とりにこどもでも出ていました。
 わたしが初めて働いて他人からお金をもらったのは、小学二年生のときでした。その当時は、地域に小学生の縦型社会があって、上級生がボスになって下のこどもたちのめんどうを見ていましたが、ボスが、小銭をもらえる仕事を探してきて、みんなで働いていました。集落にある万屋(よろずや。今のコンビニみたいなお店)のまわりの草取り作業をしました。労働賃は、5円でした。5円ですがお菓子が買えました。お菓子1個が50銭で、自分が小学生にあがる前でしたが、1円玉をもってお店に行くと、お菓子が2個買えたりもしました。わたしは、たまに家の中に落ちている1円玉を拾ってひとりで駄菓子屋へお菓子を買いに行っていました。お店のおねえさんがやさしかった。家の中で50円玉を拾ってお店に行って、こくごや、さんすうのノートを買ったことがあります。そこのおねえさんが、買い物をしたときに、ひらがなとか、数字を教えてくれました。
 話がずれました。自分は、中学生のときは新聞配達をしていました。あとで知りましたが、アルバイトをするときは、事前に学校に届けがいったようですが、だれもそんなことは気にしていない世の中でした。
 自分が高校生のころは、長期休みの時は土方仕事(どかたしごと)をしていました。ともだちの父親の知り合いの建設会社で肉体労働のアルバイトをしました。一日、朝8時から夕方5時まで働いて、2300円ぐらいの日当でした。そのことでだれかになにか言われたことはありませんでした。お金がほしかったら、おとなもこどもも働くことは当たり前のことでした。
 213ページに、中学生が学習塾から帰るのは夜の11時と書いてあります。異常です。なんだかへんな世の中になってしまいました。中学生が働くことはだめで、塾なら真夜中になってもかまわないのです。

 かなり時間がかかりましたが読み終えました。
 物語は、完成していない話です。
 これから先、まだ続きがあるような状態で終わっています。  

Posted by 熊太郎 at 06:50Comments(0)TrackBack(0)読書感想文