2023年07月19日

タガヤセ! 日本 白石優生

タガヤセ! 日本 「農水省の白石さん」が農業の魅力教えます 農林水産省大臣官房広報評価広報室 白石優生(しらいし・ゆうせい) 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)

 「農水省の白石さん」とあります。むかし『生協の白石さん 東京農工大学の学生さん 白石昌則 講談社』という本を読んだことがあります。なかなかいい本でした。けっこう売れた本です。その本にあやかっている(自分も同じようになりたい)ような紹介のキャッチフレーズです。(目にとまるようにする手法)

 本の帯にある「全力で“推す(おす。推薦する)”……」という表現も、べつのところから引っ張ってきてあるだけで安易です。(努力していない)。工夫(くふう)がほしい。
 帯には、ほかにも「AI」とか「スマート」「ドローン」「A5ランク」「“ばずる”というような表現」、どこかで目にしたことがあるような単語が続きます。この本を売りたいという気持ちは十分伝わってきます。
 さて、内容はどうなのだろう。心配です。(ものまねではなかろうか)

(1回目の読書)
 まず、最初から最後までゆっくりページをめくりながら目をとおして、なにが書いてあるのかを見ます。わたしが実用書を読むときの読書法です。
 農業のことが書いてあります。
 わたしのお気に入りのブログに農業をしている方のものがあります。ときおり、今どんな農作業をしているかを写真付きで掲載されていて、そのページを観ることを楽しみにしています。農家はなかなかたいへんです。
 この本の最初のほうに写真が固めてあります。
 先日読み終えた本『中村哲物語(なかむらてつものがたり) 大地をうるおし平和につくした医師 松島恵利子 汐文社(ちょうぶんしゃ)』を思い出しました。アフガニスタンで暮らす農民を救うために用水路を引いて、砂漠のような土地を緑の農地に変えた中村哲さんは偉大な人でした。惜しい人を悲しい事件で亡くしてしまいました。

 頭にかぶりものをしている著者は、なんだかタレントの『さかなクン』みたいです。だいじょうぶだろうか。

 目次の項目が細かすぎて量が多いように感じます。
 役所が出す文書を見るようです。

 17ページに、著者は鹿児島市出身とあります。
 たまたま、自分たち夫婦は、秋に鹿児島市内見物をしに行こうと先日から話をしています。本の内容とのつながりを感じました。
 著者は、生まれてからずっと22年間鹿児島県で暮らしてきたそうです。
 思うに、人生には大まかに分けて二種類あって、ずーっと同じ地域で生活して人生を完結させるパターンの人と、各地を転々としながら人生を終えるパターンの人がある。そのことで、職業において、その人にとって、向いている業種とそうではない業種がある。
 大企業や大きな組織で働く人には、幅広く豊かな人生経験が求められています。自立・自活の苦労体験がないまま広い世界で働くことになると精神的にゆきづまります。自分が働いていた時、そう思ったことがあります。いくら学業成績が優秀でも、社会や職場の環境に適応できない人はいます。

 50ページに『A5ランク=おいしいお肉とは限らない? 国内外で大人気の牛肉―和牛』とあります。見出しだけを見てですが同感です。自分は、食事をして、ランクが高いお肉なのにと、首をかしげる味だったことが数回あります。

 67ページに『……熊本の九州農政局で働いているとき……』とあります。わたしの父方祖父母宅が熊本県にあって、こどもの頃、数か月間祖父母と同居暮らしをしたことがあります。肉牛ではありませんが、田んぼ仕事をさせるための役牛(えきぎゅう)を飼っていていました。もう60年ぐらい前のことです。

 120ページあたりを読んでいて感じたことです。
 こちらの著者さんは、農林水産省の広告塔の役割を果たす位置づけで、動画投稿サイトユーチューブや出版による広報活動を仕事とされているようです。
 さらに、161ページで国家公務員の仕事をPRされています。国家公務員になるための手法が紹介されているようです。

 167ページに『農水省職員=真面目な人……じゃない!』とあります。
 自分の体験だと、優秀な人は変わった人が多い。ことに役所の人は不思議な人が多い。民間企業では働けないから役所で働いているという感じの人もいます。まあ、適材適所で自分の進路を決めるのがいいのでしょう。

 183ページに食材の豆知識があります。クイズ本のようなつくりでもあります。

 186ページ『おわりに』で『日本の食べ物は本当においしいですから!』とあります。
 先日観た旅番組『東野・岡村の旅猿』で、ゲストのメッセンジャー黒田有(くろだ・たもつ)さんが、漫才師で料理人なんですが、旅先のシンガポールで、料理は、日本が世界一おいしいと、東野幸治さんと岡村隆史さんに説いて(といて)おられました。同感です。

(2回目の読書)
 巻頭の写真で、日本の農業はおもしろいと表現してありますが、わたしは農作業をおもしろいと思ったことはありません。農作業はつらいと思ったことはなんどもあります。(本書では76ページ以降で農業の機械化で体力的には楽になったというようなことが書いてあります。機械化で楽になるということは、機械を利用するためのお金がかかるということです)

 日本における農作物の質のことについて強調してあります。
 役所の人らしい考え方の優先順位です。
 ふつう、人がまっさきに考えるのは『お金(おかね)』のことです。
 高品質で高価なものを用意しても売れなければ生活していけません。

 農家のこどもに生まれると不思議な体験をすることがあります。
 ただで、農作物や果実を大量に食べることができます。
 成長して、それらのものが都市部では高価な価格で少量しか売られていないことを知ったときにはカルチャーショックを受けます。(生活習慣の違いでびっくりする)
 たとえば、ビワやスイカが店先(みせさき)に並べてあると、農家での成育歴があるこどもは、ビワやスイカは、買って食べるものなのかとびっくりします。

 鹿児島県甑島(こしきじま):小学生の時に『孤島の野犬』という椋鳩十さん(むく・はとじゅうさん)の児童文学を読んだことがあります。その舞台です。おとなになってから、甑島出身の人といっしょに仕事をしたことがあります。本を読んでいたので、その人が身近に感じました。

 著者自身(自分)をアピール(主張。訴え)する力(ちから)が強い文章です。

 この本の読み手は農家の立場の人よりも消費者の立場の人が多いでしょう。
 そばとうどんの話があります。
 『地域特性』の分析と説明です。
 東のそば、西のうどんです。うどんは、小麦粉と塩。(香川県)
 たまねぎは、北海道、佐賀県、兵庫県
 
 サプライチェーン:生産、加工、製造、管理、配送、販売という流れ。

 『九州は、日本一の畜産供給基地』
 以前、鹿児島・宮崎・熊本あたりの高速道路をレンタカーで走ったときに、道路やサービスエリアで和牛を積んだトラックをよく見かけました。

 社会科の教科書を読むようです。
 内容はやわらかい。

 本では、高速道路のおかげで、東北ではくだもの農家が増えたという分析があります。

 『品種改良』の話です。
 『突然変異』を利用します。
 『交雑育種』という言葉があります。お米の品種「コシヒカリ」の説明があります。(コシヒカリの由来が越の国(こしの国(北陸のこと))の光(ヒカリ)輝く品種ということは初めて知りました。なるほど)
 本にあるお米の『農林1号』という品種名は、自分が小学校一年生の時に父方祖父の口から出た単語で記憶にあります。農協の人が祖父宅をたずねてきて、米の種類を次回は何にするかねという問い合わせに対して祖父が『農林1号がいい』と返答していた記憶があります。
 47ページに『日本のお米の作付面積ベスト10と主な生産地』の表があります。うちは、第10位北海道の『ゆめぴりか』を食べています。1位は『コシヒカリ』で、2位から10位まで『コシヒカリ』の親戚だそうです。
 いちごの『博多あまおう』のことが書いてあります。大粒でおいしいいちごです。
 お肉のことが書いてあります。和牛です。『A5ランク』だからおいしいというものではないそうです。おいしい基準ではない。「A・B・C」はおいしさの順番ではない。
 ABCのアルファベットは:肉の歩留まり等級(ぶどまりとうきゅう)のこと。牛1頭からどれだけお肉がとれるか。Aがお肉をたくさんとれる。
 1から5の数値:肉質のこと。数値が大きいほど脂肪が多い。肉の色がいいほど数値が大きくなる。肉のしまりがいいと数値が大きくなる。脂肪の色が白に近いと数値が大きくなる。
 (「A5」だけがお肉じゃないのです)

 『有機農業』のことが書いてあります。
 化学物質である農薬を使ってあるからその作物はだめということはないのです。
 農業のことを知らない人は、有機農業のほうがいいと手をあげます。(似たようなパターンはほかのことでもよくあります。専門分野に素人(しろうと。経験がない者)はあまり口を出さないほうがいい。無知な権力を持っている人が感情で誘導すると、あるべき方向が変なほうへ向かっていってしまいます。とかく人間はイメージ(先入観)に影響されやすい)

 お金と命のからみについて書いてあります。
 動植物の命を売って生活費にあてるのが農業です。
 たくさんできすぎても、逆に不作でも困ります。物の値段の動きが関係してきます。
 『生産調整』のことが書いてあります。
 まあ、なんといいますか、どんな仕事でも苦労はつきものです。

 66ページあたりを読んでいてふと思い出したことがあります。
 わたしは旅番組が好きで、東野&岡村の『旅猿』を観ているのですが、平成ノブシコブシの吉村崇さん(よしむらたかしさん)をゲストに迎えての長崎ロケで、地元のふつうの食堂をめぐりながら、地元の食材が使われたそれほど高くもない定食類を食べていたときに吉村崇さんが、本音(ほんね)をつぶいたのです。
 そのときの感想メモが残っています。
 『三人は、朝食に貝汁定食を堪能されました。(たんのう:十分に楽しみ満足した)おでんとして、厚揚げ、牛すじもありました。貝汁は映像を観る限り、一般の家庭でつくる形態のもので、九州地方にあっては、ふだんの生活で食べる食べ物に見えました。
 吉村崇さん『(自分は)なんで東京になんか住んでいるのだろう。こんなおいしいものが地方にはいっぱいある』おいしい食べ物を食べて、美しい景色に包まれて暮らしを送る。
 働いて、ある程度お金が貯まったら地方で暮らすのも人生を楽しむ手法です。
 三人は『100点の朝』と満足されました。』
 大都市にある高級料理店で高いお金を出して食べる料理よりも、ふだんの生活の中で手ごろな値段で食べることができるごはんのほうが心の温かみがあっていいと感じることもあります。

 79ページに、農業用機械の自動運転について書いてあります。『スマート農業』です。
 一般的には、車の自動運転化の技術が進められています。人や車や壁にぶつからないとか、目的地までボタンを押すだけで行けるとか。たぶん何年か後には一部地域でできるようになるのでしょう。今はそういう時代の流れにあることは確かです。
 農薬散布はドローンです。模型みたいな小型飛行機で農薬を散布しているのは見たことがあります。(現実の現場ではなく、テレビだったかもしれません)

 昔でいうところの『兼業農家』の話です。農業だけでは食べていけない農家が多い。

 話し言葉の文章です。著者が語りかけてきます。
 うーむ。録音して文章化したのだろうか。
 なにかしら、現代農業のいいことばかりが、次々と列記されている本です。

 体が資本の仕事です。まあなんでもそうですが。農業はとくにそういう印象があります。
 心と体の健康がだいじです。
 そして、大きなお金が動きます。北海道での農業の説明があります。大規模です。機械化です。機械を使ってひとりで広大な農地を管理する仕事をします。体を壊したら代わりがなかなか見つかりません。我が家で食べているお米『ゆめぴりか』もつくっているそうです。

 自分なりに昭和40年ぐらいから50年ぐらいの農地のことを思い出してみます。(1965年から1975年ぐらいのことです)
 大都市にですね、人が集まっていったのです。
 集まってきた労働者たちの住む場所がないから宅地開発をしたのです。
 多くの農地が宅地化されるなかで、地価が高騰(こうとう。ものすごく値上がりした)したのです。
 土地成金(とちなりきん。先祖伝来の農地を売却したり、賃貸マンションを建てて土地活用をしたりして億万長者になる)の誕生です。それまで、百姓仕事をしていた農家の人たちは、不動産会社や建築会社の札束攻勢にあって、なんというか、生活が一変した農家の人たちがおられました。そのことで、いい思いをした人もいたし、そうでなかった人もいました。
 それまであった自然の動植物がいた風景は、コンクリートとアスファルト、金属とガラスの世界に変わっていったことは事実です。

 農業は地味な仕事です。
 太陽のもとで春や秋の日ざしにあたりながらの軽作業は、心にいい効果があります。気持ちがいい。無心に同じ手作業を続けます。植物を育てるという人間らしい行為です。

 118ページに、食べることを楽しむ習慣が消えつつあるというような話が出ます。
 学校では勉強すること、仕事ではお金をかせぐことに追われて、衣食住を楽しむ余裕がありません。

 120ページからは、農林水産省が管轄する動植物について書いてあります。
 『カイコ』むかしの小学生向けの学習雑誌には付録として、カイコの白い繭(まゆ)がついていたことがあります。カイコは、家畜扱いで、数を数えるときは、一頭(いっとう)、二頭(にとう)と数えるそうです。(なるほど)
 『飛ばないテントウムシ』アブラムシを食べてくれる。遺伝の組み合わせで、飛べないテントウムシをつくったそうです。
 まあ、なんにしても、お金がかかることです。
 『いぐさ』畳の材料です。熊本県が98%の産地ということは知りませんでした。

 『地産地消(ちさんちしょう。その土地でできたものを地元の人たちで食べる)』ぽい話です。第3章が『日本で食べるものは日本でつくろう!』です。
 日本の食料自給率が下がってきているということは、もうずいぶん前、何十年も前から話題になっていることです。2020年で37%とあります。
 これはもうしかたがないような気がするのです。そういう生活をめざすような動きを日本社会は歴史の中でしてきました。日本人の米離れ(こめばなれ)があります。
 農作物を外国に頼る。輸入です。
 日本以外の国でも食糧確保に苦しい国もあります。日本はまだ恵まれていると感じるのです。
 
 『食品ロス』のことが書いてあります。さきほどは、食材を輸入に頼る話だったのに、こんどは、食べ物があまる話です。バランスをとることがむずかしい。

 156ページ、小間切れ肉と切り落としの違いの説明が良かった。
 小間切れ肉:いろいろな部位の切れはし
 切り落とし:特定の部位の切れはし

 第4章は、国家公務員や農家になりましょうの勧誘の章でした。
 国会とかのテレビ中継を見ていると、公務員とは政治家のごきげんとりがおもな仕事ではなかろうかと感じるのです。政治家に気に入ってもらって、人事で上の地位につけてもらえるように働きかけてもらう。
 政治家が議会などで話すときのための原稿づくりが、公務員の仕事に見えます。テレビを見ていると日本の政治家は、まあ、ご自身のご了解はあるのでしょうが、自分ではない公務員たちがつくった文書の朗読をしています。(こちらの本でも、このあと政治家さんたちの紹介があります)
 なんとなく、なれあいに見えないこともない。(なれあい:もちつもたれつ。利害関係者同士のあまり好ましくないつきあい)

 文章を読みながら、著者は目立ちたがり屋だなと考えていたら、173ページに『でも、目立ちたがり屋でお調子者だったことが……』という文章にあたり笑いました。
 ずーっと読んでいて、この人(著者)は、いずれ農林水産省の職員を離れるのではないかという予感がありました。独立して自営の立場でなにかをやられるかもしれません。政治家になる道もあるでしょう。  

Posted by 熊太郎 at 06:33Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年07月18日

ちいちゃんのかげおくり あまんきみこ・作 上野紀子・絵

ちいちゃんのかげおくり あまんきみこ・作 上野紀子・絵 あかね書房

 ちょっと気の毒で、読むのがつらい絵本でした。
 事実が下地になっているのでしょうが、脚色(きゃくしょく。より印象を強くするために事実ではないことものせてある)もあって、読んでいるとかなり悲しい気持ちになります。
 太平洋戦争での戦災孤児である女児のお話です。ちいちゃんは、最後は、亡くなってしまいます。小学生のころ読んで涙したアンデルセンの『マッチ売りの少女』を思い出しました。あんな感じです。

 「かげおくり」:こどもの遊び。戦死した父親がちいちゃんに教えてくれた。太陽に照らされてできる自分たちの『影』を十秒間ぐらい見つめつづけたあと、空を見上げると、空に、自分たちの影が見えるそうです。残像ですな。目の錯覚でしょう。
 
 墓参りの話が出てきます。
 わたしが社会に出て驚いたことがあります。
 わたしは、日本人は全員がお墓参りをするものだと思っていました。
 違っていました。
 家族のうちの長男とか次男、長女とか次女あたりの人はお墓参りの習慣があるのですが、兄弟姉妹のうち、下のほうにいくにつれて、お墓参りの習慣がなくなるのです。
 祖父母との交流も、長男、長女あたりの続き柄の人は濃厚なのですが、下になるにつれて、祖父母との交流は薄くなります。
 ちょっとしたショックでした。
 兄弟姉妹というものはだいたいが、上の世代は親戚づきあいが濃厚ですが、下のほうは希薄になっていきます。
 お墓のことですが、こどもの数が減って、お墓の管理をすることができにくい時代になりました。
 うちも自分たち夫婦の親、自分たちも含めて、お墓をもつことはやめることにしました。
 お寺さんに供養してもらって、お寺さんにある納骨堂に納骨してもらうようにしました。
 先日、テレビで、死んだら夫の墓には入りたくないという女性たちの希望が紹介されていたのですが、これからは、お墓自体がなくなっていくと思うので、そういった心配や不満ごとは少なくなっていくと思います。

 ちいちゃんには、おとうさん、おかあさん、おにいさんがいます。
 先日読んだアフガニスタンの人たちのためにがんばった中村哲さんの本を思い出しました。
 『中村哲物語(なかむらてつものがたり) 大地をうるおし平和につくした医師 松島恵利子 汐文社(ちょうぶんしゃ)』
 その本に書いてあったことです。
 中村哲さんの言葉です。
 『どの場所、どの時代でも、一番大切なのは命です』
 そして、アフガニスタン人が願うことです。
 『一日3回食事ができること』
 『家族といっしょに暮らすこと』
 その本を読んだ時に感じたことですが、戦後の昭和時代の生活とアフガニスタンの生活が似ています。昭和時代の体験者ならわかります。
 戦争はどの土地であっても同じような状況を生み出します。

 絵本の絵は無彩色です。(色鮮やかではない。(いろあざやか)。白と黒と灰色の色調です)

 父親が列車に乗って戦争へ行きました。
 昭和20年以前(1945年)のことですから蒸気機関車でしょう。
 戦争は残酷です。
 空襲で空にアメリカ合衆国軍の爆撃機が集まってきます。
 空に『かげおくり』をする遊びが、戦闘機が飛んでくるからやりにくい。
 空は、そのとき地上にいる人間を攻撃してくる空間に変わってしまった。
 制空権(せいくうけん。戦争において、空からの攻撃を支配する力)を奪われているということは、戦いが劣勢にあるということです。
 
 東京大空襲のことを思い出させるような記述です。
 おおぜいの人たちが逃げまどいパニックになって、焼死していきます。
 火災がまちに広がり、川にかかる橋の上で逃げる人同士が両方向から来てぶつかり、橋から降りられなくなり、川に飛び込んだり、落ちたりする人もいます。そんなようすで、たくさんの人が死んでしまいます。たしか東京墨田川にかかる橋でじっさいにそういう出来事があったとなにかの本で読んだことがあります。
 そして、ちいさなこどもは、逃げるているうちに手をつないでいたはずの親からはぐれます。

 まちは破壊されます。
 いまのウクライナのようです。
 ロシアはたいへんなことをしでかしました。
 ロシアには壊したものを全部もとにもどす責任があります。
 
 戦争で親を亡くしたこどもはつらい。
 こどもを亡くした親もつらい。

 食べ物や水がないと、こどもは死んでしまいます。

 こんな世の中なら、死んだほうがましだという気持ちになります。
 ちいちゃんは、餓死してしまいます。(がし。食べるものがなかった。おなかがすいて死んでしまった)

 先日リリーフランキーさんの名作小説を映画化した『東京タワー』をテレビで見たのですが、母親というものは、いつも、こどもがちゃんとごはんを食べているか気にしているそうです。(樹木希林さん(きき・きりんさん)が母親役でした)
 ごはんさえ食べていれば、(自分のこどもは)だいじょうぶだと考えるのが、母親がもつ『母性(ぼせい。こどもを育てる生まれつきの性質)』なのです。

 1982年(昭和57年)初版の絵本でした。  

Posted by 熊太郎 at 06:20Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年07月14日

東野&岡村の旅猿 神戸でキャッチボールをしようの旅

東野&岡村の旅猿 神戸でキャッチボールをしようの旅 hulu(フールー。動画配信サービス)

 予告放送を見たときに、東野幸治さんたちが神戸の球場でキャッチボールをする企画だと知りました。
 もういつだったのか、思い出せないのですが、自分も昔、その球場でプロ野球観戦をしたことがあるのを思い出しました。20年以上前だと思います。
 たしか試合開始前に、外国人強打者が練習をしているところを、うれしさいっぱいでバックネット裏で写真撮影をしていたら、うしろのほうにいたお客さんに、フラッシュがうっとおしいとしかられたことを思い出しました。ごめんなさいでした。
 ナイターの試合終了後は、球場関係者の人たちが、暗い中、ずらりと一列にならんで、「ありがとうございました」の感謝と、「また来てくださいね」のおじぎをされていたことが驚きとして記憶が残っています。
 
 番組では、グローブ屋さん(野球道具の専門販売店。スポーツショップ)での店員さんを含めた三人のくだりに大笑いできました。
 ゲストの岡田圭右さん(おかだ・けいすけさん。ますだおかだ)は、オリックス・バファローズの熱狂的なファンだそうです。
 岡村隆史さんは野球のことはわからないそうです。東野幸治さんは、しばらく前に45年ぶりにグローブを買ったけれど、キャッチボールの相手がいないそうです。東野幸治さんは、岡村隆史さんと岡田圭右さんとキャッチボールをしたい。
 東野幸治さんはしきりに『サンクチュアリ』の話をしますが、見ている自分には何のことかわかりません。(調べました。サンクチュアリ-聖域- NETFLIXネットフリックスの動画 相撲部屋の力士の話のことのようです)
①岡田圭右さんのギャグ連発です。やかましいぐらいです。
②笑いがとまらないのは、岡村隆史さんの道具がどれも小さいことです。グローブから始まって、シューズ、バットと話は発展していきますが、小さいということをばかにしているというわけでもなく、明るい笑い声が続いていきます。岡村隆史さん『ちゃんとしたやつが欲しい』。ミニコントの連続です。岡村隆史さんが最終的に買うことを決めたグローブのブランド名が『ドナイヤ』で全員で大笑いしました。大阪弁の『どないやねん』とかぶります。楽しい。
 さらに、岡田圭右さんが買ったグローブには、タグ(札ふだ)に『ミズノプロ30周年の限定モデル』と書いてあるのに対して、岡村隆史さんが買うことを決めたグローブには、手書きで『内野手小さめ(ちいさめ)』と書いてあったことに笑いました。岡田圭右さんのグローブが6万円もしたことにも驚きました。高いんだなあ。とにもかくにも、ふたりの比較が笑いの源泉になっていました。
③ヌートバー選手にちなんだ『アイブラック』については、先日見た『モヤモヤさまぁ~ず2 東松山ヌートバー散歩』でも出ていたのでつながりを感じました。
④岡田圭右さんがボールをバックトス(うしろに軽く投げる)して、グローブで受けようとしたら(イチロー選手のものまね)、ボールが背中にしょっていたリュックの上にポトンとのっかったのがおもしろかった。ボールが落ちてこずにひっかかったのでした。
⑤岡田圭右さんが、こどものころにあこがれていた巨人高田選手の青いグローブの話とか、ファール打ちの話も良かった。(打ちにくい球はファールにする)。なつかしい。岡田圭右さんは盛り上がって興奮状態が続きます。

 昼食場所での岡田圭右さんの病的とも思える連続のひとり語りがおもしろかった。
 ゴルフの練習の話で、たくさんしゃべったあと、結局『スッと立つ』が一番いいということでした。
 
 天然素材というのは、吉本興業でのお笑いのグループのことなのでしょう。わたしはあいにく存じ上げません。

 岡田圭右さん自身のこととして、漫才ネタのパクリの話も出ました。
 四コマ漫画からぱくっていたそうです。(アイデアを盗んでいた)

(次回の放送へ続く)

 ほっともっとフィールドのグラウンドでキャッチボールです。
 硬球なので、痛そうです。
 三人はむじゃきに遊ぶように室内練習場からグランドへと移動していきます。
 なかなかにぎやかでいい雰囲気です。
 球団からユニフォームのプレゼントもありました。

 三人ともキャッチボールがじょうずです。
 受けるのはだいじょうぶだけれど、投げるときに肩が心配だそうです。わかります。わたしも右肩が壊れています。十年以上前ですが、重いボールでボウリングをやり過ぎました。頚椎症(けいついしょう)というケガみたいな病気体験があります。以来、肩が抜けそうな感覚が続いています。もう元には戻らないとあきらめています。なにごとも無理はだめです。健康が一番です。健康であればとりあえず働けて給料がもらえます。

 室内練習場では、マウンドからキャッチャーミットまでが遠いのですが、三人ともボールがホームベースまで届いていました。たいしたものです。18.44mあります。
 三人ともうまい。とくに東野幸治さんがうまい。体格がいい。
 軽いバッティング練習もやりました。
 岡村隆史さんは、あの大谷翔平選手とキャッチボールをしたことがあるそうです。すごいなあ。同選手が、日本ハムに所属していた当時だそうです。

 きれいな球場です。緑がきれいです。
 平日2時間1万6000円で借りることができるそうです。
 岡田さんのグローブが、6万円、岡村さんのグローブが4万2000円だったと、値段の比較話が出ました。
 イチロー選手がライトのあの位置からホームベースまで、レーザービームで返球して走者をアウトにしていたというのは、まるで伝説のようです。すごく遠い。

 目の下に張る『アイブラック』を買ったけれど、映像で使用していなかったと気づくメンバーです。
 (その後訪れた遊園地で使用することになりました。関西方面のパラダイスで「須磨浦山上遊園(すまうらさんじょうゆうえん)」というところです。アキレス腱(けん)を切ったという職員さんの話がおもしろそうです。(次回放映))

 オリックスの公式グッズショップでももりあがる三人さんです。
 帽子選びに時間をかけました。
 にぎやかです。
 白い帽子を買う時の岡村さんのようすがおかしかった。上の棚にある野球帽に背が低いから手が届きません。池乃メダカさんのものまねをされていました。
 
 次回の放送が、今回の旅の最終話だそうです。

(つづく)
 
 遊園地で遊具を楽しんで、ダルビッシュ選手のミュージアムに立ち寄って、焼き肉屋で食事を楽しんで終わるという流れでした。

 遊園地では『カーレーター』という名称の適度な乗り心地の悪さを楽しむ(ガタゴトと揺れる)二人乗りの箱型移動車に乗りました。大きな体のおとな男性ふたりには狭そうでした。

 ジュークボックス(高価を入れて、お気に入りの曲のボタンを押すと曲が流れてくる)がなつかしかった。機器が古いなあ。よく残っていて稼働しているなと感心しました。うちにある『VHSテープ再生デッキ』みたいな感じです。うちのデッキはまだ現役で動きます。
 ジュークボックスから流れてきた曲が、雅夢(がむ)の『愛はかげろう』で、ちょっと感激しました。自分たちがまだ若かった40年ぐらい前にはやった曲です。
 いい歌です。この歌を歌っていたおふたりも、歌を聴いていた世代も、もう老齢期を迎えています。

 遊園地でたわむれたあとは、ダルビッシュミュージアムの映像です。
 まだ高校球児だったころのダルビッシュ選手を甲子園球場で見たことがあります。
 マウンド上に電信柱のように背が高い高校生が立っていておどろかされました。
 たしか、春の甲子園大会の試合で、ダルビッシュ選手が属する東北高校と静岡県浜松あたりの高校の試合でした。
 あとでわかったことですが、たまたま職場の先輩が東北高校の対戦校の卒業生で、卒業した高校の応援にその時来ていたそうです。大きなスタンドなので、同じ時間帯に同じスタンドにいても、お互いに気づくことはありませんでした。
 その先輩も定年退職をされたあとまもなくに、がんになってしまって、お亡くなりになってしまいました。もう20年ぐらい前のことです。
 先日4年ぶりに職場の同窓会があったので参加しました。コロナ禍で3年間中止されていました。
 冒頭にこの4年間でご逝去(せいきょ)された人たちのお名前の紹介がありました。20人ほどの方が亡くなられていました。長生きされた方もいるし、そうではなかった方もいます。
 4年前には生きていた人が、今はもうこの世にいない。しみじみしました。

 テレビの旅猿では、ダルビッシュ選手が投げる球を打つ映像ゲームが出てきました。
 もう少し、バットが長いと雰囲気が出るのになと思いました。(プラスチック製の短いバットでした)

 イチロー選手がらみの焼き肉店で食事を楽しみます。
 途中、岡田圭右さん(おかだけいすけさん)がリラックスしたのか、カメラが回っているのを忘れて、素(す)の状態の岡田圭右さんになってしまいました。(大きな声でギャクを連発するのが、岡田圭右さんがつくった仕事用の自分のキャラクター(個性)です)仕事をしているというスイッチが切れてしまったのか、仕事に対して暗くてまじめな岡田圭右さんになっていました。もうロケが終了して、打ち上げの焼き肉パーティをしている気分になっていたのでしょう。
 東野幸治さんがそのことを指摘して、爆笑になっていました。お店ではほかのお客さんたちもそれぞれ盛り上がっているらしく、大声で談笑する声が店内に響き渡っていていい感じでした。
 旅猿は、緊張感がゆるい番組であるところがいいところです。岡村隆史さんも地(じ)がでます。わたしは、チコちゃんの番組のほうはもう見ていません。岡村隆史さんがおとなしいいい人を演じているように見えるのです。旅猿での岡村隆史さんは、素の(すの)感情を表に出されます。けっこう怒りますし、不満も多い。それでいいと思います。

 最後は、岡田圭右さんのギャク『閉店ガラガラ』を全員でやって締めました。
 次回は、狩野英孝(かのう・えいこう)さんを迎えて、宮城県仙台あたりのロケだそうです。仙台には昨年の秋に行ったので映像を観るのが楽しみです。  

2023年07月13日

ゆらゆらばしのうえで きむらゆういち・文 はたこうしろう・絵

ゆらゆらばしのうえで きむらゆういち・文 はたこうしろう・絵 福音館書店

 きむらゆういちさんの作品では、『あらしのよるに』が有名で、自分はそのシリーズのファンです。
 話の筋立ては一貫しています。(いっかん。つらぬいてある一本)
 食べるほう(動物)と食べられるほう(動物)が、お互いに会話をするなかで、仲良しになっていくのです。

 こちらの絵本は、2003年(平成15年)の初版です。
 できて、もう二十年ぐらいが経過しています。

 大雨で川の水があふれています。
 たまたまこの絵本を読んだ日が大雨でした。
 九州からと関東にかけて、ところにより、線状降水帯が発生しています。
 絵本の絵とニュースの報道の映像が重なります。
 絵の中の川の流れは速い。
 『面(めん)』で色塗りや形が描いてある絵です。
 面描き手法が、特徴的です。
 見開き2ページの左上にねずみときつねの姿があります。
 きつねがねずみを追いかけています。

 ページをめくって、きつねに追いかけられているのは、ねずみだと思っていた動物は、うさぎでした。
 やっぱり、きつねが獲物(えもの)を追いかけているパターンです。
 二匹は、丸太(まるた)1本の橋を渡ろうとしています。
 橋の下は、大雨で水かさが増した川が轟音を(ごうおんを)たてながら流れています。激流です。川に落ちたら流されて、水没して、息ができなくなって、死んでしまいます。

 『ドンッ』
 うさぎを追いかけるきつねが丸太橋に飛びのりました。
 おもしろい!
 丸太1本の橋が、橋げたをまんなかに置いて、「やじろべえ」みたいになりました。
 (まだ読んでいる途中ですが、この絵本を親戚のちびっこにプレゼントすることを決めました。きっと喜んでくれます)

 橋が、ぎっこんばったん、シーソー状態です。おもしろい!
 
 (自分なりにこの先を予想しました。大雨がやんで、川の流れが静かになったころ、二匹は無事に(ぶじに)、川へ降りることができました。チャンチャン。(ところが、そうはなりませんでした))

 ページをめくって、おもしろい!
 大量のカラスが登場しました。
 だけど、カラスの群衆はふたりの助けにはなりません。
 カラスには翼があります。(つばさ)
 二匹も自分に翼があったらと、ないものねだりをする気持ちだったことでしょう。

 二匹は、シーソー状態になった橋の上で、橋が落下しないようにバランスをとって夜を迎えます。
 静かな夜です。
 対立する者同士が仲良しになるパターンです。
 きむらゆういちさんのパターンです。
 お互いに思っていることを正直に話します。
 お互いにお互いのことを知らないからケンカになるのです。
 お互いの脳みその中にある世界を言葉に変えて相手に伝えることは大事(だいじ)です。
 お互いを理解しあって、妥協点(だきょうてん。これならお互いに相手を許せるという位置)を見つけるのです。
 きつね『おれって、こわいおもいをするとさ、すぐ、おしっこがしたくなっちゃうんだ』この言葉が伏線になっていきます。(伏線:ふくせん。後半で感動を呼ぶしかけ)
 二匹の身の上話(みのうえばなし。生い立ち(おいたち)、境遇(きょうぐう)の話)が続きます。
 
 葉っぱのオバケの絵が怖い(こわい)。

 きつねがうさぎに強くメッセージを送ります。
 『…… いのちを だいじにしろ!!』
 (このとき同時進行で読んでいた本にも同じことが書いてありました。『中村哲物語(なかむらてつものがたり) 大地をうるおし平和につくした医師 松島恵利子 汐文社(ちょうぶんしゃ) 中村哲さんの言葉として『どの場所、どの時代でも、一番大切なのは命です』』がありました。
 読書が二冊合わせて一冊の本になるという偶然が重なりました。中村哲物語の場合には、背景に戦争があります。

 絵がいい感じです。
 今年読んで良かった一冊です。

 橋が回転しているように見える絵ですが、シーソーのように上下動(じょうげどう)している絵がそう見えるのです。

 なるほど。きつねのあしが、岸にある草にからまりました。
 うさぎが岸に上がった瞬間、橋が川に落ちました。
 うさぎが川に落ちそうになっているきつねの前足2本をつかんで、きつねを川岸に引っ張り上げます。

 意表をつかれました。(予想外の展開になった)
 助けられたきつねは、基本に返って、うさぎを追いかけ始めました。
 アニメ『トムとジェリー』みたい。『仲良くけんかしな』です。
 そして、きつねのおしっこシーンがラストシーンです。
 ああ、おもしろかった。  

Posted by 熊太郎 at 06:21Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年07月10日

中村哲物語 松島恵利子

中村哲物語(なかむらてつものがたり) 大地をうるおし平和につくした医師 松島恵利子 汐文社(ちょうぶんしゃ)

 アフガニスタンの人のために働いていたのに、アフガニスタンの人に殺されてしまった日本人医師の方です。世界事情は複雑です。悪の根源は『貧困』でしょう。貧困から脱出するために『教育』が必要です。
 わたしはこの方をほとんど存じ上げません。これから読んでみます。自分と同郷の福岡県出身者であることはニュースで知っています。福岡県出身の有名人は多い。文化や芸術創造、スポーツ活動のエネルギーが強い地域だと住んでいたころは感じました。ドラマチックに生きる。ゆえに、うまくいかなくなることもたまにある。理屈よりも気持ちで生きる土地柄です。

 写真で見る限り、華(はな。はなやか、あでやか、オーラ(引き寄せる力))のあるような方には見えません。年配の小柄そうなおとなしい、口数が少なそうな、引っ込み思案(じあん。おどおど、そわそわ)そうなおじいさんです。優しそうな表情です。

 中村哲:1946年。福岡県生まれ。2019年73歳没

 ペシャワール会:1983年(昭和58年結成)医療活動を行う非政府組織

 まず1ページずつゆっくりめくりながら最後までいってみます。

 巻頭にある何枚かの風景写真をながめながら思うことです。
 『水』と『緑』がある風景は大事(だいじ)です。
 命が生まれ、育まれます(はぐくまれます)。
 生き物を育てていくためには、優しい心もちが必要です。
 中村哲さんグループの努力で、砂漠が緑の大地に変化しました。
 (砂漠のようなところにも『水』があるのかと、不思議です)

 目次です。
 第一章 昆虫博士に憧れた(あこがれた)少年
 第二章 動き出した運命の歯車
 第三章 ハンセン病と闘う日々(名作邦画『砂の器(うつわ)』を思い出しました。誤った差別があります)
 第四章 ある患者との出会い
 第五章 アフガニスタンに診療所をつくる
 第六章 乾ききった大地 水を求めて
 第七章 アフガニスタンへの攻撃
 第八章 緑の大地計画
 第九章 よみがえる大地

 中村哲さんの伝記です。(伝記:個人の生涯の業績記録)

 ご親族に有名な作家がおられるそうです。
 明記はしてありませんが、『火野葦平(ひの・あしへい)さん1907年(明治40年)-1960年(昭和35年)52歳没』でしょう。作品として『麦と兵隊』、『花と竜』が思い浮かびます。兵隊小説で、兵隊であることを勧める内容だったので、終戦後世間から責められています。(このあと、2回目の本読みで、32ページに「火野葦平」さんのお名前を見つけました。自死されています)

 139ページ『乾燥に強い農作物の研究』とあります。なるほど、大自然に限界はない。自然の力はすごい。

 174ページ、巻末付近になりますが、お仲間の寄せ書きがあります。
 『ありのままの中村哲』 -中村哲物語・刊行によせて-
 自分たちの世代は、医師であったシュバイツァーと野口英世の影響を受けた。
 中村哲さんは『調和』を求めていたそうです。自然、宗教、文化、貧しさとの調和だそうです。
 (バランスがだいじなのです。てんびん座生まれのわたしにはわかります。どっちか片方だけというのは無理なのです。お互いによく話し合って、妥協点(許しあえる状態)を探すのです)
 
 中村哲さんは、寡黙(かもく。くちかずが少ない)な人だったそうです。
 半面、人からは慕われ、ユーモアもあった。
 みんなからは『てっちゃんと呼ばれていたそうです。(出川哲郎さんみたいです)』
 
 本には、ウクライナのことが書いてあります。
 戦争の戦地では無法地帯になります。残虐行為が起きる場所です。それが、戦争です。
 中村哲さんの意志として『戦わない』という姿勢があるそうです。できるだけ死者を減らす。
 以前読んだ本『塞王の楯(さいおうのたて) 今村翔吾(いまむらしょうご) 集英社』では、大津城の城主である京極高次(きょうごく・たかつぐ)が戦(いくさ)をしていて、『……儂(わし)はもう誰も死んでほしくない』と言葉を発します。なかなかそういうリーダーはいません。勝つにしても負けるにしても、全軍の何パーセントかが死んでしまうのはしかたがないと考えるリーダーばかりです。
 中村哲さんは、自分は死んでしまうかも(殺されてしまうかも)しれないけれどかまわないという覚悟をもって自分の人生における夢をかなえた人だと思いながら二回目の本読みに入ります。

(2回目の本読み)

 巻頭の写真に、『用水路を引く前の砂漠化したスランプール地区(2005年5月)』とその同じ場所の2009年5月の写真があります。
 4年がんばれば、土地が緑になる。水が引けて、作物を育てることができる。4年間コツコツと作業を続けていく。なんだか、感動しました。
 人間だって、4年間コツコツと勉強や練習をしていけば、今はできないことでも4年後には、だれでもある程度のレベルまでは到達できる証拠です。説得力がある写真です。

 中村哲さんのお言葉です。
 『どの場所、どの時代でも、一番大切なのは命です』
 (死んだら終わりです。人生でとりかえしがつかないことは、自殺と殺人です)

 中村哲さんは、35年間、パキスタンやアフガニスタンで医療に従事して、人の命を救ってきたそうです。
 医療だけではなく、井戸を掘り、水路をつくり、地元の人たちに『水』を届けた。
 人は水がなければ生きていけないと書いてあります。先日読んだ本『ライスボールとみそ蔵と 横田明子・作 塚越文雄・絵 絵本塾出版』には、人が生きていくためには『塩』が必要ですとありました。血液や消化液、リンパ液などの体液の中に塩の成分がとけこんでいるそうです。
 
 『日本ではどこにいても蛇口をひねるだけで、簡単に清潔な水が手に入ります』
 意外に思われるかもしれませんが、わたしがこどものころには、家に水道がありませんでした。1965年(昭和40年)ころのことです。
 地面を深く掘った井戸を利用していました。桶(おけ)で汲み上げた(くみあげた)水を使用していました。
 地域によっては、手押し式ポンプが多用されていました。取っ手を持って何回も上下させると管から(くだから)水がほとばしるように出てきました。
 それから、山へ行くと清水(しみず)が湧いている(わいている)ところがあって、山でくんだみずを自宅の台所にあるコンクリート製の甕(かめ。箱型の正方体をしている)にためて使っていました。
 中村哲さんも同じような時代に日本でこども時代を過ごされているので、井戸使用の体験はあられたと思います。

 アフガニスタンでは、薬よりも先に、『水』が必要だった。

 アフガニスタン:日本から西に6000kmぐらいの位置にある国。海に面していない内陸国。(海を見たことがない人が多そうです)。国土の四分の三が山になっている。標高が高い。4月-11月が乾季、12月-3月が雨季。人口がだいたい3890万人(日本はだいたい1億2570万人です)。20以上の民族がいるそうです。ゆえに、イスラム教をつうじてつながりあっている。
 
 アフガニスタン人が願うことです。
 『一日3回食事ができること』(ということは、一日三回食べることができないということか)
 『家族といっしょに暮らすこと』(ということは、家族といっしょに暮らせないということか)

 中村哲さんのグループは、11の診療所をつくり、無料で診療を行った。(寄付とか補助が原資だったのでしょう。たぶん)
 2000年から2006年にかけて、1600ぐらいの井戸を掘った。(すごい)
 2003年から7年かけて、約25kmの用水路をつくった。
 中村哲さんは不幸な亡くなり方をされましたが、中村哲さんの意思と事業を引き継ぐ人たちがいます。

 20ページから中村哲さんの生い立ち話が始まりました。
 1946年(昭和21)年は、第二次世界大戦終戦の翌年です。
 まだテレビはありませんでした。(昭和28年放送開始)ラジオはありました。
 中村哲さんは、虫取りが好きだったそうです。
 このときの発見として、『人は見ようとするものしか見えない』
 英語の授業で、『Look(ルック。注視)』と『See(シー。見る)』の違いを学んだ時を思い出ました。Lookは、脳みそを使って、一生懸命観るのです。
 思うに、このころの人たちは本をよく読んだと思います。娯楽は、映画ぐらいでしょう。
 この本にある『ファーブル昆虫記』とか『シートン動物記』を読んだ少年は多い。
 
 北九州の若松港が出てきます。
 『若戸大橋(わかとおおはし)』という赤い橋を何度か見たことがあります。そのあたりを若松港というのでしょう。
 中村哲少年の祖父母の家があったそうです。
 この時代のこどもは兄弟姉妹が多いので、順番が下のほうになると親に育てられたというよりも祖父母や年上の兄、姉、親の姉妹(おばさん)に育てられたという人も多い。自分もそんな感じでした。親族づきあい、人付き合いが濃厚でした。
 北九州の工場地帯では、筑豊(ちくほう)の炭鉱もからんだ事業が主だったので、まあ、荒っぽい気性(きしょう。性質)がありました。外国人労働者も多かった。
 本では、中村哲さんの祖母の教えがあります。
 『…… 職業で人を差別してはいけない。どんなちいさなものの命も大切にしなくてはいけない』
 
 中村哲さんは、目が見えない人との出会いを通じて、人と人が『信頼しあうことの重要さ』を学ばれています。
 
 学歴のことが書いてあります。
 昔は、大学はなかなか行けませんでした。
 高校も行けませんでした。
 九州だと、中学を卒業すると、集団就職の列車に乗せられて、大都市へ労働力として送られました。『金の卵』という言葉がありました。中学を卒業したこどものことです。みんなつらい思いをしました。都会でうまくいかなくて、その後帰郷した人もけっこういると思います。

 九州大学医学部を出て、佐賀県で精神科医になる。
 精神科なら、ひまそうだから、昆虫採集に行ける。(なんと安易な(あんい。軽はずみ))
 もうひとつの理由は、ご自身が赤面症ではずかしがりや。人と気楽にお話しできない。同じ悩みをかかえる人の手助けをしたい。(こちらの動機は正しい。精神科医に関して言えば、どちらが患者かわからないというような事例もありそうです)
 精神科の患者の話は長いです。聴くのも体力と根気(こんき。忍耐。気力)がいります。
 
 延命治療のことが書いてあります。
 退院して家庭に戻ることができない状態でも生かすのです。
 わたしはやめてくれと家族には言ってあり、エンディングノートにも書きました。
 
 1978年に仕事を頼まれる。
 パキスタンとアフガニスタンの境界あたりの区域にある山(7690m)に上る登山隊に同行する医師となる。ヒンドゥークシュ山脈というそうです。
 中村哲さんが医療行為を提供する相手は登山隊に属するメンバーなのですが、現地で暮らす人たちから、その人たちの助けも求められます。
 現地には医師も薬も存在しません。そして、治療費もありません。
 
 1984年(昭和59年)5月、日本キリスト教海外医療協力会からパキスタンにあるペシャワール・ミッション病院へ医師として派遣される。アフガニスタンとの国境近くにあるまちにある病院だそうです。
 その年に中村哲さんを応援する会『ペシャワール会』が結成されて活動がスタートしました。
 その後会員は1万6000人にもふくれあがったそうです。

 ハンセン病(日本では昔らい病と呼んでいた。ひどい差別があった):らい菌による感染症。皮膚、末梢神経を壊す。感染力は弱い。パキスタン内の患者は2万人以上。専門医師は3人しかいないそうです。ゆえに中村哲さんは、ハンセン病治療担当の意思になることを希望します。
 ルース・ファル医師:ドイツ人女性医師。パキスタンで、ハンセン病の治療に20年間従事する。
 
 何もないところで、病気が良くなった患者たちが、こんどは医療従事者になっていきます。感動的です。

 足底潰瘍(そくていかいよう):足の裏が切れてばい菌が入って荒れる。ひどい履物(はきもの)が原因だから、中村哲さんは、ちゃんとした履物をつくるために『サンダル工房』をつくる。健康には清潔な環境が必要です。
 『治療よりも予防を考える』(なるほど)
 手先の器用な患者たちが、サンダルづくりの作業に従事してくれるようになる。(やはり、人にやってもらうのを待っているのではなく、自分たちのことは自分たちでやるんだという意識がだいじです)
 そのことが、自分たちで自分たちのための『水路』をつくることにつながっていきます。

 ハンセン病にかかった女性三人家族との出来事が書いてあります。
 老いたおかあさんと娘さんふたりです。三人ともがハンセン病です。
 皮膚が死んでいます。

 難民について書いてあります。
 戦争が起きると、そこに住んでいた人たちは、国境を越えてその場を逃げ出します。
 たとえば、もし北朝鮮が戦場になれば、同国の人たちは、陸続きの中国とか、ロシアへ移動する人もいるでしょうが、日本海を船で渡って日本列島の日本海側に流れ着く人たちもいるでしょう。混乱します。だから戦争はしちゃいけないんです。

 病気の三人家族は、中村哲さんが働く病院で救われます。そして、病気が良くなった娘さんはそこで労働奉仕します。働きます。元気になったら立場が変わるのです。

 アレルギー反応(はんのう):通常は無害な物質に対して体が異常な反応を示すこと。

 『無駄口と議論はもうたくさんだ!』
 なかみのない会議をくりかえすのは時間と労力のムダです。
 ムダな会議は、仕事をしているふりをして、給料をもらっているだけです。
 
 おいしいものを食べる。
 甘いものを食べる。
 笑顔が生まれる。
 おいしいものは、だいじです。

 イスラム社会は女性の地位が低いとあります。まるで、日本では女性の地位が高いような表現ですが、日本も含めて、たくさんの国での女性の地位は低いです。
 女性差別について書いてある本をこれまでに何冊か読みました。
 『マチズモを削り取れ 武田砂鉄 集英社』マチズモとは、マッチョ(筋肉質な男)で、男性優位社会をさします。
 『説教したがる男たち レベッカ・ソルニット ハーン小路恭子・訳 左右社』アメリカ合衆国の女性が書いた本でした。
 『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン すんみ・小山内園子 訳 タバブックス』韓国人女性が書いた本でした。
 テレビの映像で、中国や北朝鮮の会議のようすを見ると、男ばかりがずらりと並んで座っていて異様です。ロボットみたいに全員で同時に拍手をします。とはいえ、日本の議会も似ています。女性議員の数は少ない。

 中村哲さんひとりでなせる偉業ではないので、中村哲さんを支えるまわりの人たちのことが書いてあります。
 看護師として、藤田千代子さんの紹介があります。

 マザー・テレサ:1910年(日本だと明治43年)-1997年(平成9年)。87歳没。カトリック教会の修道女。インドの貧しい人たちのために貢献した。1979年ノーベル平和賞受賞。

 トイレのことが書いてあります。
 もう昔のことですが、昔の日本と似ています。
 60年ぐらい前、1965年(昭和40年)ころ、わたしがまだこどもだったころ、父方の祖父母宅が農家で、人糞(じんぷん)を肥料で使用していました。まだこどもだったわたしは、肥え桶(こえおけ。うんこ・しっこが入っている桶)を背中にかついだ祖母と畑へ行き、祖母がひしゃくで、畑に人糞をまく姿を見ていました。
 日本の近代化は、相当むかしからあったものではありません。日本は短い期間に急速に生活様式が変化しました。

 アフガニスタンでの戦争。ソ連がアフガニスタンに攻め込んだ。結局ソ連(15の共和国。ソビエト連邦)は撤退した。
 1978年(昭和53年)-1989年(平成元年)200万人が亡くなった。600万人が難民になった。
 1991年(平成3年)ソ連は崩壊した。
 
 ハンセン病だけではありません。
 腸チフス:感染症。便と尿が感染源。全身性疾患。発熱、下痢、皮膚炎、腸出血など。
 マラリア:マラリア原虫が原因。赤血球内に寄生する。貧血、呼吸困難、しばしば死に至る。
 結核(けっかく):結核菌に感染。肺炎ほかの症状が出る。
 アメーバ赤痢(せきり):赤痢アメーバという原虫が原因。大腸炎。腹痛

 現地の人と同化する。(同化:まねをしてとけこむ)
 ひげを生やす。(はやす)
 つばのない帽子をかぶる。
 ここにも日本人気質と共通するアフガニスタン人の生活があります。『もったいない』です。ものを大切にします。捨てません。

 写真を観ていて不思議なことがあります。
 アフガニスタンの人たちはどうやって生活の糧(かて。食べ物。お金。収入)を手に入れているのだろう。
 荒涼とした山岳地帯とか平地の風景写真が多い。
 ふつうなら第一次産業(農林水産業)、第二次産業(鉱工業、製造業)、第三次産業(サービス業)に従事して収入を得ます。写真を見ると日本では多いサラリーマンの姿がありません。農業の人はいそうです。(99ページに「国民の8割が農業で食べていけるのも……」という文章がありました)

 病院の中庭にある緑の風景写真があります。
 先日NHKのテレビ番組『72時間』で、東京のお茶の水にある病院の屋上庭園が紹介されていました。病院ですから、病気についての重たい話もあります。
 患者さんたちは緑の植物や植物によって来る昆虫(生きているものたち)に心を許し、気持ちをいやされます。余命宣告を受けた人もいるし、メンタルを病んでいる人もいます。『緑』はだいじです。

 アフガニスタンは国土の四分の一が山だそうです。
 かなり高い山で、冬は雪が積もる。何万年もかけてつくられた氷河があるそうです。
 雪はとけて水になって、川を下って農業用水として利用されます。
 (読んでいて、いろいろと昔の日本に似ていると思いました。わたしがこどもだったころの60年ぐらい前の日本です。1965年(昭和40年)ころまでの日本です)
 
 2000年にすさまじい干ばつがあったそうです。(雨が降らない。水不足)
 人口の半数以上、約1200万人が干ばつの被害にあい、400万人ぐらいが食べるものが不足して栄養が足らず、100万人ぐらいが食べるものがなくて死んでしまいそう。
 おなかがすいて、体力が落ちて病気にかかって死んでしまいます。
 医師である中村哲さんは心が苦しかったことでしょう。
 『水、水、水』が必要なのです。きれいで清潔な水を飲んで体調を整える。植物も人間も生き物には水が必要なのです。
 『井戸を掘る(地下水をくみ上げる)』
 ワーカー:労働者のこと。
 2000年(平成12年)10月までに:井戸を274か所掘った。
 翌年9月までに:660か所掘った。
 掘れば、水が出てくるわけです。きっとみんなうれしかったと思います。

 108ページにまちへ出稼ぎに行く農民のことが書いてあります。
 やはり60年ぐらい前の日本でも、地方の農民は、稲刈りが終わる秋からたんぼでの農作業が始まる春にかけて都会へ出稼ぎに出ていました。わたしの父親もわたしがこどもだったころ、大都市へ働きに行きました。

 気候変動のことについて注意書きがしてあります。
 地球温暖化の防止です。
 もう何年も前から言われ続けていることです。
 化石燃料をやめようです。(石炭、石油などです)二酸化炭素が出て、地球をおおってしまって、地球の気温が上昇して、自然が破壊されていきます。
 二酸化炭素を出しているのは先進国と呼ばれる国々です。アフガニスタンは先進国ではありません。
 このあと、2001年9月11日のアメリカ合衆国同時多発テロ(民間航空機4機がのっとられ爆弾がわりに世界貿易センタービルほかに突っ込んだ。わたしたちの世代はリアルタイムでニュースを観ました。2977人が死亡。2万5000人以上が負傷)をきっかけにして、お金持ちの先進国(アメリカ合衆国、イギリス、カナダ、オーストラリア、インド、ロシアほか。多国籍軍。お金儲けをする国と言いかえてもいい)が貧乏農業国のアフガニスタンに総攻撃をかけます。アフガニスタンに住む農民は、テロの実行者ではありませんでした。
 2001年10月13日に中村哲さんは日本の国会で、アフガニスタンの平和維持を訴えておられます。むずかしい問題です。中村哲さんは、アフガニスタンの農民を中心とした庶民の味方です。結局、民主主義は『多数決』で決まります。(自衛隊を海外派遣する法案は国会で成立しました)
 中村哲さんは、日本のアフガニスタン戦争参加に反対、干ばつによる飢餓で苦しんでいるアフガニスタンの国民に食糧支援を訴えます。
 中村哲さんの国会での訴えです。『…… 一人の父親、母親としての皆さんに訴える。くりかえすが、大干ばつと(だいかんばつと)飢餓対策(きがたいさく)こそが緊急課題である』
 この本を読んでいたころ、晩ごはんどきに、家族と邦画『東京タワー』をテレビで観ていました。リリー・フランキーさんの名作小説の映画化です。中村哲さんと出身が同じ県、福岡県内から東京に出てきた産炭地(さんたんち。炭坑地域)の人間の物語です。
 お母さん役の樹木希林さん(きききりんさん)が熱演されていますが、お母さんが常に気にしていることは、(息子が)ちゃんとごはんを食べているだろうかということです。
 うちの家族から話があったのですが、母親というものは、いつでもこどもの食事のことを考えているそうです。こどもにごはんをたべさせる。それが、母親の一番の役目だそうです。それ以外のことは、あとまわしでいい。母親はこどもに何をつくって食べさせてやろうかといつも考えているそうです。母親の愛情が感じられる言葉でした。中村哲さんは男性ですが、アフガニスタンの人たちのことを母親のように心配されていたのだと受けとめるのです。
 この本のはじまりあたりにあった言葉を再掲します。
 アフガニスタン人が願うことです。
 『一日3回食事ができること』

 2002年(平成14年)『緑の大地計画』をつくり始める。
 農民が自力で食べていけるようにする。
 夢を追う。毎日少しずつ積み重ねていけば、夢はかなう。

 中村哲さんは、土木工学の勉強を始めます。
 用水路をつくるための勉強です。
 日本の川を参考にする。とくに出身地の九州を流れている川をアフガニスタンの川に重ねて参考にして研究してプランをつくる。
 最新技術を用いるのではなく、まだ重機(じゅうき。建設作業用大型工作機械)がなかったときの日本での時代に、どうやって、川から水を引いて用水路をつくったかという手法を調べて、アフガニスタンで同じようにやってみる。
 なんでも新しければいいというものでもなさそうです。
 コンクリートの壁はつくらない。
 『蛇かご』という江戸時代からの工法を用いる。鉄線のかごの中に石を詰めて用水路の両側に並べていく。
 用水路の両岸に柳を植えて、柳の根っこで岸を強化する。
 乾燥に強い農作物を植える。なんでも研究です。サツマイモ、ソルゴー(イネ科の一年草。モロコシ)、お茶、蚊を退治するための除虫菊(じょちゅうぎく)など。
 
 日本三大あばれ川:(関東)利根川、(四国)吉野川、(福岡県)筑後川(ちくごがわ)
 斜め堰(筑後川。山田堰(やまだぜき):右岸と左岸を斜めにせき止める。取水しやすくなす。防水の役割も果たす。

 中村哲さんが用水を名付けました。『アーベ・マルワリード(真珠の水)』

 細かな工夫がたくさんあります。
 中村哲さんは、用水を貫通させることをあきらめません。アフガニスタンの人たちの『命』がかかっている事業です。けして、自分のお金もうけができる事業ではなかったと思います。
 人生で大事なのは『お金』ではありません。自分が自分のしたいことのために使うことができる『時間の十分な長さ』です。中村哲さんは、自分のために(アフガニスタンの人たちのためですが、一番は自分のためです)自分がもっている時間を用水路づくりにそそぎこんだのです。
 たしか、以前読んだ本で、アフリカの地に井戸をつくるお話がありました。水が出ることで、住民の暮らしが良くなったとありました。
 記録をさがしました。出てきました。『みずをくむプリンセス スーザン・ヴァーデ・文 ピーター・H・レイノルズ・絵 さくまゆみこ・訳 さ・え・ら書房』
 アフリカで水道設備がないので、水がある場所まで水をくみにいく不便さを教えてくれる絵本です。
 ジョージ・バディエルさんという女性の体験がもとになってできたお話だそうです。
 ジョージ・バディエルさんは、現在は世界で活躍するファッションモデルですが、こどものころは、西アフリカのブルキナファソという国で、水くみの体験をしたことがあるそうです。
 ジョージ・バディエルさんは、水くみの作業がたいへんだったので、いまは、「井戸」をつくる運動をしているそうです。
 
 中村哲さんは、現地の人たちから『カカムラ』と呼ばれていた。親しみをもたれていた。
 2010年、アーベ・マリワールド用水路(真珠の水)が完成しました。
 作物として、小麦、サツマイモ、玉ねぎ、オレンジ、大根、スイカ、米…… たくさんできます。
 酪農(らくのう)と養蜂(ようほう)もできるそうです。よかった。
 動物や鳥、昆虫もいます。生き物の楽園です。
 まるで、地球誕生の歴史のようです。
 命は、水から生まれるのです。

 モスク:イスラム教の礼拝堂
 マドラサ:学校

 ガンベリ砂漠の中につくった芝生と緑と花の公園:ドクターサーブ中村メモリアルパーク

 自分の意に沿わない(いにそわない:自分のいうことをきかないので気に入らない)相手は殺してしまえばいいという思考をもつ人間がいます。間違っています。生まれるところからやりなおしたほうがいい。まずは、絵本を読むところから始めるのです。それからいろんな本を読むのです。自分の脳みそを自分で育む(はぐくむ)とか、育てる(そだてる)ことがだいじです。
 本のなかには、いろんな世界があって、読むことで、自分が体験したことがない世界を体験できるのです。考えるのです。人間は脳みそで考えて行動する動物です。  

Posted by 熊太郎 at 06:13Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年07月07日

まどから おくりもの 五味太郎

まどから おくりもの 五味太郎(ごみ・たろう) しかけ絵本 偕成社

 前知識として、クリスマスのお話、サンタクロースの絵本というものがあっての、本読み開始です。

 なかなかいい感じの出だしです。
 サンタが、ヘリコプターでやってきます。(トナカイのそりはありません)

 家の中にあるベッドで、ねずみのちびっこが眠っています。
 絵がきれいで、落ち着いています。
 自分の親戚のちびっこたちにプレゼントする絵本の一冊にしようと、まだ読んでいる途中ですが、そう決めました。
 
 つぎは、ねこのちびっこが寝ている家です。
 サンタの訪問だよーー
 ベッドの上で、ねこママのおなかの上に、ねこのちびっこが寝ています。
 この絵本は、愛情ある良書です。

 しまうまのおうちです。
 あれッ?! ちがう! 白鳥だった。おもしろい。

 次の家は、お留守(るす)かーー
 話のもっていきかたが、うまい。
 (なーるほどーー)

 つくりは単純な、しかけ絵本ですが十分楽しめます。
 窓ガラスの向こうに、きつねの茶色い耳が見えます。
 こどもさんは、喜ぶでしょう。
 (ほーー きつねじゃなくて、わにでした)

 こんどは何だろう?
 うわーー かわいい うさぎたち
 すぐれた絵本です。
 クリスマスイブの夜は、みーんな、熟睡(じゅくすい)しています。
 うさぎたちが、朝を迎えるのが楽しみです。みんなに、サンタのプレゼントがあるよーー

 人間のこどもが出てきました。ふたごの男の子です。
 サンタのプレゼントは何だろう。
 えッ?! 意外な展開でした。(ふたごじゃない)
 うまい!!

 ちょっと最後はわかりにくかったけれど、ページを前に戻って読み直して納得しました。
 いい絵本でした。

 1983年、昭和58年初版の絵本です。
 そのころ自分にはまだ、妻も娘も息子も孫たちもいませんでした。
 ふりかえれば、自分の家族がサンタからの贈り物だったと思うのです。  

Posted by 熊太郎 at 06:25Comments(0)TrackBack(0)読書感想文