2023年07月25日
みえるとかみえないとか ヨシタケシンスケ 伊藤亜紗
みえるとかみえないとか ヨシタケシンスケ・さく 伊藤亜紗(いとうあさ)・そうだん アリス館
宇宙旅行の絵からスタートです。
『ぼくは うちゅうひこうし……』
宇宙飛行士のぼくは、いろいろな星に立ち寄ります。
おもしろい。
到着した星に住む宇宙人とご対面です。
宇宙人は、緑色のからだで、目が三つあります。
うしろをみるための目だそうです。
『逆障害者』の発想があります。
もう三十年以上昔の話になりますが、わたしは用事があって、障害者に医療を提供する施設を訪問したことがあります。
中に入ると、みなさんが身体障害者なのです。体の部位はいろいろなのですが、体のどこかに障害をもっておられる。
そしてなんと、医師もそこで働く職員も障害者の方たちだったのです。
変な言い方ですが、健常者は自分だけで、まわりにいる人たちがみんな障害者となると、体のつくりが自分だけほかの人と違うのです。ゆえに、自分のほうが全体のうちの少数派で、自分のほうがどこかおかしいのではないかという気分に包まれたのです。そんなことがあったのを、この絵本を読み始めて思い出しました。
絵本では、目玉がふたつの地球人である宇宙飛行士のぼくについての考察があります。
この『三つ目生物』の星では『二つ目生物』の自分はめずらしい。
でも、地球では『二つ目』があたりまえ。
絵本の絵は色がきれいです。
三つ目の宇宙人の体は緑色なので、カエルのようにも見えます。二本足で立つカエルです。
絵本の内容には、りくつっぽさがあります。(理屈:りくつ。ものごとをていねいに関連付けて考える)それでも、不快感はありません。
『みえないひとには こう「みえて」いるみたい』のページに、「わん」というなきごえがきこえたら、ひだりへと書いてあります。
思い出しました。むかし、わたしが、今は亡き義母に手渡した宿泊施設まで行く道案内の地図に、「この角(かど)を曲がると犬がほえる」と書いて渡したら、現場で本当に犬がほえたので、みんなで大笑いをしたよ! と義母が笑っていたことを思い出しました)
その部分を読んでいてもうひとつ思いついたことがあります。
先日読み終えた本『アップステージ -シャイなわたしが舞台に立つまで- ダイアナ・ハーモン・アシャー作 武富博子・訳 評論社』の感想に書いたことです。
『読み終えての自分なりの解釈です。
人間は、見た目で受ける印象と、脳みその中身は違います。
脳みその中には、人それぞれ、異なる世界が広がっています。
各自の知識や人生体験、素質や能力によって、脳みその中にある世界はだいぶ違います。
自分のことをわかってもらうためには、相手に向かって、しゃべらないといけません。
自分の頭の中にあることを、言葉に変えてしゃべることで、自分は何者なのかを相手に伝えることができます。
お互いが話す言葉をしっかり聞き取って話し合うことで、お互いの脳みその中にある世界が伝わってきます。
黙っていたら(だまっていたら)いつまでたってもわかりあえません。
察する(さっする。黙っていても気づく。以心伝心(いしんでんしん)言わなくてもわかる)ことなんて無理なんです……』
この絵本は、障害者福祉の本です。
もうひとつ『ひらがなの力(ちから)が感じられる本』です。
人間の標準化について書いてあります。
将来会社や組織で役立つ人材を育てるために従順に働いてくれるロボットのような動きをする人間を大量生産する教育をこどもたちにほどこすのです。(その結果、一部の人間が富を独占して、多数の人間がその人たちのために働かされる世界が誕生します)
標準化の枠(わく)に入れない人間は否定されます。
大きな組織にいる、仕事ができるとされる人の中には、人を差別する人がいます。人をランク付けします。また、人を分類したがります。
仕事ができるとされる人間は、24時間、どんな場面にいても仕事の話ばかりをします。
この絵本は、哲学書を読むような絵本です。(人間とはどうあるべきかについて考えさせられる)
今の世界は、平和を維持することがむずかしい。
ウクライナとかロシアとか、台湾とか中国とか、大多数の国民は戦争がない平和な国を願っているのに、どうして、一部のトップとそのグループが、地球を破壊するほどの戦争を実行するのだろう。
こちらの絵本の最後のページでは『共存』というメッセージが紹介されています。
宇宙旅行の絵からスタートです。
『ぼくは うちゅうひこうし……』
宇宙飛行士のぼくは、いろいろな星に立ち寄ります。
おもしろい。
到着した星に住む宇宙人とご対面です。
宇宙人は、緑色のからだで、目が三つあります。
うしろをみるための目だそうです。
『逆障害者』の発想があります。
もう三十年以上昔の話になりますが、わたしは用事があって、障害者に医療を提供する施設を訪問したことがあります。
中に入ると、みなさんが身体障害者なのです。体の部位はいろいろなのですが、体のどこかに障害をもっておられる。
そしてなんと、医師もそこで働く職員も障害者の方たちだったのです。
変な言い方ですが、健常者は自分だけで、まわりにいる人たちがみんな障害者となると、体のつくりが自分だけほかの人と違うのです。ゆえに、自分のほうが全体のうちの少数派で、自分のほうがどこかおかしいのではないかという気分に包まれたのです。そんなことがあったのを、この絵本を読み始めて思い出しました。
絵本では、目玉がふたつの地球人である宇宙飛行士のぼくについての考察があります。
この『三つ目生物』の星では『二つ目生物』の自分はめずらしい。
でも、地球では『二つ目』があたりまえ。
絵本の絵は色がきれいです。
三つ目の宇宙人の体は緑色なので、カエルのようにも見えます。二本足で立つカエルです。
絵本の内容には、りくつっぽさがあります。(理屈:りくつ。ものごとをていねいに関連付けて考える)それでも、不快感はありません。
『みえないひとには こう「みえて」いるみたい』のページに、「わん」というなきごえがきこえたら、ひだりへと書いてあります。
思い出しました。むかし、わたしが、今は亡き義母に手渡した宿泊施設まで行く道案内の地図に、「この角(かど)を曲がると犬がほえる」と書いて渡したら、現場で本当に犬がほえたので、みんなで大笑いをしたよ! と義母が笑っていたことを思い出しました)
その部分を読んでいてもうひとつ思いついたことがあります。
先日読み終えた本『アップステージ -シャイなわたしが舞台に立つまで- ダイアナ・ハーモン・アシャー作 武富博子・訳 評論社』の感想に書いたことです。
『読み終えての自分なりの解釈です。
人間は、見た目で受ける印象と、脳みその中身は違います。
脳みその中には、人それぞれ、異なる世界が広がっています。
各自の知識や人生体験、素質や能力によって、脳みその中にある世界はだいぶ違います。
自分のことをわかってもらうためには、相手に向かって、しゃべらないといけません。
自分の頭の中にあることを、言葉に変えてしゃべることで、自分は何者なのかを相手に伝えることができます。
お互いが話す言葉をしっかり聞き取って話し合うことで、お互いの脳みその中にある世界が伝わってきます。
黙っていたら(だまっていたら)いつまでたってもわかりあえません。
察する(さっする。黙っていても気づく。以心伝心(いしんでんしん)言わなくてもわかる)ことなんて無理なんです……』
この絵本は、障害者福祉の本です。
もうひとつ『ひらがなの力(ちから)が感じられる本』です。
人間の標準化について書いてあります。
将来会社や組織で役立つ人材を育てるために従順に働いてくれるロボットのような動きをする人間を大量生産する教育をこどもたちにほどこすのです。(その結果、一部の人間が富を独占して、多数の人間がその人たちのために働かされる世界が誕生します)
標準化の枠(わく)に入れない人間は否定されます。
大きな組織にいる、仕事ができるとされる人の中には、人を差別する人がいます。人をランク付けします。また、人を分類したがります。
仕事ができるとされる人間は、24時間、どんな場面にいても仕事の話ばかりをします。
この絵本は、哲学書を読むような絵本です。(人間とはどうあるべきかについて考えさせられる)
今の世界は、平和を維持することがむずかしい。
ウクライナとかロシアとか、台湾とか中国とか、大多数の国民は戦争がない平和な国を願っているのに、どうして、一部のトップとそのグループが、地球を破壊するほどの戦争を実行するのだろう。
こちらの絵本の最後のページでは『共存』というメッセージが紹介されています。