2023年07月18日
ちいちゃんのかげおくり あまんきみこ・作 上野紀子・絵
ちいちゃんのかげおくり あまんきみこ・作 上野紀子・絵 あかね書房
ちょっと気の毒で、読むのがつらい絵本でした。
事実が下地になっているのでしょうが、脚色(きゃくしょく。より印象を強くするために事実ではないことものせてある)もあって、読んでいるとかなり悲しい気持ちになります。
太平洋戦争での戦災孤児である女児のお話です。ちいちゃんは、最後は、亡くなってしまいます。小学生のころ読んで涙したアンデルセンの『マッチ売りの少女』を思い出しました。あんな感じです。
「かげおくり」:こどもの遊び。戦死した父親がちいちゃんに教えてくれた。太陽に照らされてできる自分たちの『影』を十秒間ぐらい見つめつづけたあと、空を見上げると、空に、自分たちの影が見えるそうです。残像ですな。目の錯覚でしょう。
墓参りの話が出てきます。
わたしが社会に出て驚いたことがあります。
わたしは、日本人は全員がお墓参りをするものだと思っていました。
違っていました。
家族のうちの長男とか次男、長女とか次女あたりの人はお墓参りの習慣があるのですが、兄弟姉妹のうち、下のほうにいくにつれて、お墓参りの習慣がなくなるのです。
祖父母との交流も、長男、長女あたりの続き柄の人は濃厚なのですが、下になるにつれて、祖父母との交流は薄くなります。
ちょっとしたショックでした。
兄弟姉妹というものはだいたいが、上の世代は親戚づきあいが濃厚ですが、下のほうは希薄になっていきます。
お墓のことですが、こどもの数が減って、お墓の管理をすることができにくい時代になりました。
うちも自分たち夫婦の親、自分たちも含めて、お墓をもつことはやめることにしました。
お寺さんに供養してもらって、お寺さんにある納骨堂に納骨してもらうようにしました。
先日、テレビで、死んだら夫の墓には入りたくないという女性たちの希望が紹介されていたのですが、これからは、お墓自体がなくなっていくと思うので、そういった心配や不満ごとは少なくなっていくと思います。
ちいちゃんには、おとうさん、おかあさん、おにいさんがいます。
先日読んだアフガニスタンの人たちのためにがんばった中村哲さんの本を思い出しました。
『中村哲物語(なかむらてつものがたり) 大地をうるおし平和につくした医師 松島恵利子 汐文社(ちょうぶんしゃ)』
その本に書いてあったことです。
中村哲さんの言葉です。
『どの場所、どの時代でも、一番大切なのは命です』
そして、アフガニスタン人が願うことです。
『一日3回食事ができること』
『家族といっしょに暮らすこと』
その本を読んだ時に感じたことですが、戦後の昭和時代の生活とアフガニスタンの生活が似ています。昭和時代の体験者ならわかります。
戦争はどの土地であっても同じような状況を生み出します。
絵本の絵は無彩色です。(色鮮やかではない。(いろあざやか)。白と黒と灰色の色調です)
父親が列車に乗って戦争へ行きました。
昭和20年以前(1945年)のことですから蒸気機関車でしょう。
戦争は残酷です。
空襲で空にアメリカ合衆国軍の爆撃機が集まってきます。
空に『かげおくり』をする遊びが、戦闘機が飛んでくるからやりにくい。
空は、そのとき地上にいる人間を攻撃してくる空間に変わってしまった。
制空権(せいくうけん。戦争において、空からの攻撃を支配する力)を奪われているということは、戦いが劣勢にあるということです。
東京大空襲のことを思い出させるような記述です。
おおぜいの人たちが逃げまどいパニックになって、焼死していきます。
火災がまちに広がり、川にかかる橋の上で逃げる人同士が両方向から来てぶつかり、橋から降りられなくなり、川に飛び込んだり、落ちたりする人もいます。そんなようすで、たくさんの人が死んでしまいます。たしか東京墨田川にかかる橋でじっさいにそういう出来事があったとなにかの本で読んだことがあります。
そして、ちいさなこどもは、逃げるているうちに手をつないでいたはずの親からはぐれます。
まちは破壊されます。
いまのウクライナのようです。
ロシアはたいへんなことをしでかしました。
ロシアには壊したものを全部もとにもどす責任があります。
戦争で親を亡くしたこどもはつらい。
こどもを亡くした親もつらい。
食べ物や水がないと、こどもは死んでしまいます。
こんな世の中なら、死んだほうがましだという気持ちになります。
ちいちゃんは、餓死してしまいます。(がし。食べるものがなかった。おなかがすいて死んでしまった)
先日リリーフランキーさんの名作小説を映画化した『東京タワー』をテレビで見たのですが、母親というものは、いつも、こどもがちゃんとごはんを食べているか気にしているそうです。(樹木希林さん(きき・きりんさん)が母親役でした)
ごはんさえ食べていれば、(自分のこどもは)だいじょうぶだと考えるのが、母親がもつ『母性(ぼせい。こどもを育てる生まれつきの性質)』なのです。
1982年(昭和57年)初版の絵本でした。
ちょっと気の毒で、読むのがつらい絵本でした。
事実が下地になっているのでしょうが、脚色(きゃくしょく。より印象を強くするために事実ではないことものせてある)もあって、読んでいるとかなり悲しい気持ちになります。
太平洋戦争での戦災孤児である女児のお話です。ちいちゃんは、最後は、亡くなってしまいます。小学生のころ読んで涙したアンデルセンの『マッチ売りの少女』を思い出しました。あんな感じです。
「かげおくり」:こどもの遊び。戦死した父親がちいちゃんに教えてくれた。太陽に照らされてできる自分たちの『影』を十秒間ぐらい見つめつづけたあと、空を見上げると、空に、自分たちの影が見えるそうです。残像ですな。目の錯覚でしょう。
墓参りの話が出てきます。
わたしが社会に出て驚いたことがあります。
わたしは、日本人は全員がお墓参りをするものだと思っていました。
違っていました。
家族のうちの長男とか次男、長女とか次女あたりの人はお墓参りの習慣があるのですが、兄弟姉妹のうち、下のほうにいくにつれて、お墓参りの習慣がなくなるのです。
祖父母との交流も、長男、長女あたりの続き柄の人は濃厚なのですが、下になるにつれて、祖父母との交流は薄くなります。
ちょっとしたショックでした。
兄弟姉妹というものはだいたいが、上の世代は親戚づきあいが濃厚ですが、下のほうは希薄になっていきます。
お墓のことですが、こどもの数が減って、お墓の管理をすることができにくい時代になりました。
うちも自分たち夫婦の親、自分たちも含めて、お墓をもつことはやめることにしました。
お寺さんに供養してもらって、お寺さんにある納骨堂に納骨してもらうようにしました。
先日、テレビで、死んだら夫の墓には入りたくないという女性たちの希望が紹介されていたのですが、これからは、お墓自体がなくなっていくと思うので、そういった心配や不満ごとは少なくなっていくと思います。
ちいちゃんには、おとうさん、おかあさん、おにいさんがいます。
先日読んだアフガニスタンの人たちのためにがんばった中村哲さんの本を思い出しました。
『中村哲物語(なかむらてつものがたり) 大地をうるおし平和につくした医師 松島恵利子 汐文社(ちょうぶんしゃ)』
その本に書いてあったことです。
中村哲さんの言葉です。
『どの場所、どの時代でも、一番大切なのは命です』
そして、アフガニスタン人が願うことです。
『一日3回食事ができること』
『家族といっしょに暮らすこと』
その本を読んだ時に感じたことですが、戦後の昭和時代の生活とアフガニスタンの生活が似ています。昭和時代の体験者ならわかります。
戦争はどの土地であっても同じような状況を生み出します。
絵本の絵は無彩色です。(色鮮やかではない。(いろあざやか)。白と黒と灰色の色調です)
父親が列車に乗って戦争へ行きました。
昭和20年以前(1945年)のことですから蒸気機関車でしょう。
戦争は残酷です。
空襲で空にアメリカ合衆国軍の爆撃機が集まってきます。
空に『かげおくり』をする遊びが、戦闘機が飛んでくるからやりにくい。
空は、そのとき地上にいる人間を攻撃してくる空間に変わってしまった。
制空権(せいくうけん。戦争において、空からの攻撃を支配する力)を奪われているということは、戦いが劣勢にあるということです。
東京大空襲のことを思い出させるような記述です。
おおぜいの人たちが逃げまどいパニックになって、焼死していきます。
火災がまちに広がり、川にかかる橋の上で逃げる人同士が両方向から来てぶつかり、橋から降りられなくなり、川に飛び込んだり、落ちたりする人もいます。そんなようすで、たくさんの人が死んでしまいます。たしか東京墨田川にかかる橋でじっさいにそういう出来事があったとなにかの本で読んだことがあります。
そして、ちいさなこどもは、逃げるているうちに手をつないでいたはずの親からはぐれます。
まちは破壊されます。
いまのウクライナのようです。
ロシアはたいへんなことをしでかしました。
ロシアには壊したものを全部もとにもどす責任があります。
戦争で親を亡くしたこどもはつらい。
こどもを亡くした親もつらい。
食べ物や水がないと、こどもは死んでしまいます。
こんな世の中なら、死んだほうがましだという気持ちになります。
ちいちゃんは、餓死してしまいます。(がし。食べるものがなかった。おなかがすいて死んでしまった)
先日リリーフランキーさんの名作小説を映画化した『東京タワー』をテレビで見たのですが、母親というものは、いつも、こどもがちゃんとごはんを食べているか気にしているそうです。(樹木希林さん(きき・きりんさん)が母親役でした)
ごはんさえ食べていれば、(自分のこどもは)だいじょうぶだと考えるのが、母親がもつ『母性(ぼせい。こどもを育てる生まれつきの性質)』なのです。
1982年(昭和57年)初版の絵本でした。