2023年07月27日
東京都三鷹市太宰治(だざい・おさむ)氏のこと
東京都三鷹市太宰治(だざい・おさむ)氏のこと
下の写真にあるのは『玉鹿石(ぎょっかせき)』です。表示板の左に石があります。(ここに来る前には、山本有三氏の『路傍の石(ろぼうのいし)』を見学しました。石つながりで、こんどは、太宰治氏です。
『玉鹿石(ぎょっかせき)』は、太宰治氏が愛人と玉川上水(たまがわじょうすい)に入水(じゅすい。身投げ)した付近に設置してありました。注意深く見ていないと通り過ぎてしまいます。心中(しんじゅう。ともに自死する)の場所ですから、めだつような表示はしにくかったのでしょう。入水して6日後に、ご遺体が下流で発見されています。
玉鹿石(ぎょっかせき)は太宰治氏の故郷である青森県北津軽郡金木(かなぎちょう。現在五所川原市ごしょがわらし)から取り寄せられています。同地特産の石だそうです。
以前自分は、太宰治氏の自宅であった『斜陽館(しゃようかん)』を訪れたことがあります。
青森空港からレンタカーを運転して斜陽館まで走ったときのことを思い出して、しみじみしました。薄曇りの今にも雪が降りだしそうな寒い時期でした。
青森の斜陽館は、東京のここからは、とても遠い距離にあります。斜陽館は、板の間や廊下がよく磨かれていて、キラキラと黒光りしていた立派な邸宅でした。二階のふすまに書いてあった文章の中に『斜陽』の文字がありました。(太宰治作品に『斜陽』があります)
自分は昭和40年代ころ(1965年代)、森田童子(もりた・どうじ)さんという女性シンガーが、太宰治氏のことを歌う悲しげな唄を知りました。挫折して、死んでしまう歌ばかりで、暗いものだったのですが、思春期の自分の心には響くものがありました。
その後、森田童子さんという方は、60代で亡くなったことを知りました。作詞家・小説家であるなかにし礼さんの兄の娘さん(叔父と姪の関係)だったということを知りました。
なかにし礼さんの作品で『兄弟』があります。すさまじい内容でした。兄が太平洋戦争から帰還して人格が悪いほうへと一変(いっぺん。急激に正反対になる)します。弟であるなかにし礼さんは、お兄さんから、お金のことで大きな迷惑をかけられています。そのお兄さんの娘さんが森田童子さんだと知り、娘さんご本人はたいへんなご苦労をされたであろうとお察ししました。
少し歩いたところにあったのが文学サロンでした。
中に入って、それほど広いスペースではありませんでしたが、たくさんの本に囲まれて、コーヒーを飲みながら、ボランティアさんと長々とお話をさせてもらいました。ありがとうございました。
ここには、昔は、太宰治氏がよく通っていた酒屋さんが建っていたそうです。
太宰治氏はその行動から、好き嫌いが分かれる作家さんです。
お金持ちの家に生まれたけれど幸せではなかった。
実母に育てられず、叔母(おば)や、おもに乳母(うば)に育てられています。(乳母を実母だと思っていたときもあったそうな)
金貸しで財産家になった父親に不信感をもった太宰治氏です。(お金を返せない農民からは土地を奪った)
きれいごとでは生きていけない現実があります。
たてまえと現実にはさまれて、心が屈折するような思春期の時期にある若い人にとっては、太宰治作品は、心を支え、物事を深く考えるために必要な作品群です。
作品『走れメロス』を思い出しました。
『走れメロス』を昔読んだ時の読書メモが残っていました。その一部です。
『メロスが、暴君(国王)デイオニスを殺そうとして逆に捕まります。メロスは死刑です。
メロスは、暴君(国王)デイオニスに願いを申し出ます。死刑の刑は受ける。ただし、故郷にひとり残る妹を信頼できる男と結婚させてから死刑にしてくれ。猶予は三日間でいい。メロスには、両親も妻もなく、身内は妹だけです。
メロスはさらに、自分の人質として、竹馬の友(ちくばの友。おさななじみ)のセリヌンティウスを差し出します。自分が三日以内に戻らない時は、自分の代わりにセリヌンティウスを処刑してもらっていい。セリヌンティウスは、メロスの申し出を受けて人質になります。
王さまのデイオニスは笑います。笑いながら、メロスの申し出を受け入れます。そんな美談は成立しない。メロスは、自分の命を守るために逃げるであろうと断定します。
しかし、美談は起きます。成立します。
王さまのデイオニスは、メロスとセリヌンティウス、ふたりともの命を救います。
この日の翌日に用事があって、わたしたち夫婦は千葉駅へ到着したのですが、駅構内に、太宰治氏の故郷の祭り山車(だし)である『立佞武多(たちねぶた)』が展示してあったので縁を感じました。小型の立佞武多です。勇ましい。(いさましい)
下の写真にあるのは『玉鹿石(ぎょっかせき)』です。表示板の左に石があります。(ここに来る前には、山本有三氏の『路傍の石(ろぼうのいし)』を見学しました。石つながりで、こんどは、太宰治氏です。
『玉鹿石(ぎょっかせき)』は、太宰治氏が愛人と玉川上水(たまがわじょうすい)に入水(じゅすい。身投げ)した付近に設置してありました。注意深く見ていないと通り過ぎてしまいます。心中(しんじゅう。ともに自死する)の場所ですから、めだつような表示はしにくかったのでしょう。入水して6日後に、ご遺体が下流で発見されています。
玉鹿石(ぎょっかせき)は太宰治氏の故郷である青森県北津軽郡金木(かなぎちょう。現在五所川原市ごしょがわらし)から取り寄せられています。同地特産の石だそうです。
以前自分は、太宰治氏の自宅であった『斜陽館(しゃようかん)』を訪れたことがあります。
青森空港からレンタカーを運転して斜陽館まで走ったときのことを思い出して、しみじみしました。薄曇りの今にも雪が降りだしそうな寒い時期でした。
青森の斜陽館は、東京のここからは、とても遠い距離にあります。斜陽館は、板の間や廊下がよく磨かれていて、キラキラと黒光りしていた立派な邸宅でした。二階のふすまに書いてあった文章の中に『斜陽』の文字がありました。(太宰治作品に『斜陽』があります)
自分は昭和40年代ころ(1965年代)、森田童子(もりた・どうじ)さんという女性シンガーが、太宰治氏のことを歌う悲しげな唄を知りました。挫折して、死んでしまう歌ばかりで、暗いものだったのですが、思春期の自分の心には響くものがありました。
その後、森田童子さんという方は、60代で亡くなったことを知りました。作詞家・小説家であるなかにし礼さんの兄の娘さん(叔父と姪の関係)だったということを知りました。
なかにし礼さんの作品で『兄弟』があります。すさまじい内容でした。兄が太平洋戦争から帰還して人格が悪いほうへと一変(いっぺん。急激に正反対になる)します。弟であるなかにし礼さんは、お兄さんから、お金のことで大きな迷惑をかけられています。そのお兄さんの娘さんが森田童子さんだと知り、娘さんご本人はたいへんなご苦労をされたであろうとお察ししました。
少し歩いたところにあったのが文学サロンでした。
中に入って、それほど広いスペースではありませんでしたが、たくさんの本に囲まれて、コーヒーを飲みながら、ボランティアさんと長々とお話をさせてもらいました。ありがとうございました。
ここには、昔は、太宰治氏がよく通っていた酒屋さんが建っていたそうです。
太宰治氏はその行動から、好き嫌いが分かれる作家さんです。
お金持ちの家に生まれたけれど幸せではなかった。
実母に育てられず、叔母(おば)や、おもに乳母(うば)に育てられています。(乳母を実母だと思っていたときもあったそうな)
金貸しで財産家になった父親に不信感をもった太宰治氏です。(お金を返せない農民からは土地を奪った)
きれいごとでは生きていけない現実があります。
たてまえと現実にはさまれて、心が屈折するような思春期の時期にある若い人にとっては、太宰治作品は、心を支え、物事を深く考えるために必要な作品群です。
作品『走れメロス』を思い出しました。
『走れメロス』を昔読んだ時の読書メモが残っていました。その一部です。
『メロスが、暴君(国王)デイオニスを殺そうとして逆に捕まります。メロスは死刑です。
メロスは、暴君(国王)デイオニスに願いを申し出ます。死刑の刑は受ける。ただし、故郷にひとり残る妹を信頼できる男と結婚させてから死刑にしてくれ。猶予は三日間でいい。メロスには、両親も妻もなく、身内は妹だけです。
メロスはさらに、自分の人質として、竹馬の友(ちくばの友。おさななじみ)のセリヌンティウスを差し出します。自分が三日以内に戻らない時は、自分の代わりにセリヌンティウスを処刑してもらっていい。セリヌンティウスは、メロスの申し出を受けて人質になります。
王さまのデイオニスは笑います。笑いながら、メロスの申し出を受け入れます。そんな美談は成立しない。メロスは、自分の命を守るために逃げるであろうと断定します。
しかし、美談は起きます。成立します。
王さまのデイオニスは、メロスとセリヌンティウス、ふたりともの命を救います。
この日の翌日に用事があって、わたしたち夫婦は千葉駅へ到着したのですが、駅構内に、太宰治氏の故郷の祭り山車(だし)である『立佞武多(たちねぶた)』が展示してあったので縁を感じました。小型の立佞武多です。勇ましい。(いさましい)