2023年07月31日

ローカル路線バス乗り継ぎの旅W テレビ東京 Tver

ローカル路線バス乗り継ぎの旅W テレビ東京 Tver(ティーバー)

 愛知県では地上波の放送がなかったので、Tverで見ました。
 赤江珠緒さん(あかえたまおさん)、三船美佳さん、高城れにさん(たかぎれにさん)、三人の女性で挑戦でした。
 三船美佳さんは、以前、映画によるものでしたが、太川陽介さんとえびすよしかずさんとともに台湾でバス旅に挑戦して、台風直撃の中、劇的なゴールをされています。すばらしかった。名作です。
 台湾の人たちが、電車で行けばすぐなのに、どうして、路線バスを乗り継いでいくのだと首をかしげていました。また、台湾の高齢者女性が、三船美佳さんに、あなたのお父さんは(映画スターの三船敏郎さん)は、立派な方だったとほめておられました。

 女性三人旅は、なにせ華やか(はなやか)です。
 バス車内のお客さんとの盛り上がりが良かった。(バスの車内で、静かに、ももクロの踊りと歌をいっしょにやる)
 案内所で地図を広げて係員さんにたずねるときに、マニキュアが塗られた指がいくつも地図上に現れる。全体を通して、雰囲気が柔らかい。(これまでのバス乗り継ぎ旅でそういうシーンはなかった記憶です。なにせ、これまでのバス乗り継ぎ旅は、たいてい過酷(かこく。かなりつらい。きびしい。むごい)でした)
 バス案内所での会話のキャッチボールも楽しい。みなさん美人ぞろいですねーーと声がかかりますが、係員さんもかなりの美人さんでした。映像に、美人がずらりと並ぶシーンもこれまでになかった。
 にぎやか、仲良し、険悪になることなし。(太川さんのときはあった。太川さんとゲスト、太川さんとえびすさんで対立。まあそれもいいのですが)
 女三人で人間関係がむずかしくないかという心配があるのですが、年齢層がそれぞれ違うので、うまくバランスがとれていたのでしょう。
 女性は、食べ物を楽しむ。ゆとりの時間を楽しむ。『女子力が強い』いい番組に仕上がっています。
 
 コミュニティバスが、移動のための貴重な足です。
 『豆バス』がかわいい。千葉県の野田市というところで、名産の枝豆にちなんで付けた名前のバスだそうです。

 雨降りはたいへんです。
 
 路線がなかなか見つからないわけで、まあ、お客さんが乗らなければバス路線は廃止になります。

 スタート地点の栃木県日光市中禅寺湖湖畔あたりは何度か行ったことがあります。
 その後も、自分が行ったことがある場所が多数出てきました。
 ロケはしばらく前だったのでしょうが、先日用事があって関東に行ったのですが、自分が先週居た場所(駅とかバス停)に三人が立つ映像が出てくるのでびっくりしました。
 
 三泊四日のたいへんな旅です。
 乗り換えは、長い待ち時間のときもあるし、0分で乗り換えるときもあります。
 『乗員不足で運休』という表示はつらい。利用者はいるけれど、運転手がいない。

 赤江珠緒さんが自称なのか自分は『ポンコツ』とか、『工場長』と言っていたのがおもしろかった。
 バス路線がつながらなくて『考える。考える。考える』の連続です。
 人生はいつだって、考える。考える。考える。考えているとひらめく。
 この旅の方式は、体力的にも精神的にもかなり疲れます。

 三人とも食事をおいしそうに食べます。
 女子力が強い。
 
 四日目、午後4時26分目的地に到着しました。すごいなあ。初めての挑戦で成功されました。おめでとうございます。
 明るい。強い。良かった。

(そのあと 答え合わせの番組もTverで見ました)
 栃木県から千葉県房総半島のさきっぽまでです。
 いつも南下するのではなく、北上して、再び南下する手もあったそうです。
 常にふたつ考えるのがコツだと悟ります。
 こっちの方向とあっちの方向から視点を向けてみる。
 
 会話のキャッチボールが達者な三人さんでした。

(その後)
 太川陽介さんと村井美樹さんの路線バスVS鉄道 北海道編を見ました。過酷でした。(かこく:ひどい。厳しい)。こちらの三人さんだったらできるだろうか。うーむ。比較できません。想像もできません。村井美樹さんの勝利に祝福の拍手を送ります。すさまじかった。  

2023年07月30日

出川哲朗の充電バイクの旅 愛知県日間賀島から岐阜県鵜飼い

出川哲朗の充電させてもらえませんか? 愛知県日間賀島(ひまかじま)から岐阜県長良川(ながらがわ)の鵜飼い 尾張名古屋を125キロ! 絶品タコの日間賀島から“熱田神宮”を抜けてゴールは岐阜“長良川の鵜飼い”ですが、鈴木奈々といとうあさこに哲朗タジタジ ヤバいよヤバいよSP

 自分にとっては見慣れた地域、何度か足を運んだ場所です。
 愛知県の知多半島南部は、50年前ぐらいからあまり変化がありません。
 不便なところということから住宅地開発には向かないのでしょう。漁業と観光の地域です。
 源頼朝の父親である源義朝がらみの話とか、寺社は多い。長い歴史があります。

 25年ぐらい前に見たホームページで、知多半島の海と海鳥の風景をときおりアップしているものがあって、見ると心がほっとすることができました。そのうちそのサイトはなくなったので、作成されていた方は亡くなったのだと思いました。

 ゲストの鈴木奈々さんは、離婚されたそうで、再婚相手を見つけたいネタをしきりにアピールされていました。
 タレントさんの結婚はなにかとむずかしい。籍は入れない事実婚という手もあるのでしょう。結婚の形態も多様化しました。

 日間賀島は歩いて一周したことがあります。記録を見ると自分たちは、島の周囲5.8kmを90分ぐらいで回っています。資料館でサメ漁の展示を見学しています。
 知多半島のフェリー着き場である豊浜の食堂は、去年行きましたが二軒とも閉店しているように見えましたが、今回の映像で、そのうちの一軒は再開されていることがわかりました。コロナ禍が過ぎたこともあるのでしょう。

 番組では、次から次へとロケスポットが現れて、メンバーは、なかなか前へ進みません。
 愛知県知多半島には、番組で出た以外にも遊ぶところがいろいろあります。温泉、食事処(どころ)、散策コース、中部国際空港、コストコ、展示館などです。今の時期だと海水浴ができます。
 メンバーは、南北に走る知多半島道路という高速道路を使わずに下道(したみち)で岐阜まで行かれました。たいしたものです。ハードな行程です。感心しました。

 地元のみなさんは親切です。
 海がきれい。伊勢湾のブルーが太陽に照らされて輝いています。
 フィリピンの女性たちは明るい。当地はブラジルの人たちも多い。
 野間灯台(のまとうだい)やら、コンサートやら、常滑焼(陶器。とこなめやき)、聚楽園の大仏(しゅうらくえんのだいぶつ)など盛りだくさんです。
 剣道の男の子がかわいかった。小学一年生のなおやくんでした。こどもの笑い声が響くとほっとできます。
 土地柄というか、独特な個性の人もいます。その道を極めるオタク、職人気質が強い面はあります。製造業の地域です。
 名古屋市の熱田神宮では、メンバーは、離れた石に水がかかれば願いがかなうというようなチャレンジをされていました。
 わたしが知っているのは、そこは「清水社」(しみずしゃ)というところで、水路のようになっています。水が湧いていて、その水で目を洗えば目が良くなり、肌を洗えば肌が美しくなるそうです。足元近くに、ひしゃくが置いてあります。ひしゃくで水をすくって、前方にある的(まと)の石に水をかけて、水がうまく的の石に当たると字がきれいになるといいます。
 まだ18歳だったころ、石に水をかけるチャレンジを今の妻としました。そのあと、境内(けいだい)で占いをされていた大分県宇佐神宮から来ているという高齢女性にふたりの相性を占ってもらいました。ふたりの相性は悪くはないということでした。苦労も多かったのですが、おかげさまでもう半世紀ぐらいいっしょにいます。寿命は、いつかは尽きるので、あと何年いっしょにいられるかわかりませんが、それまでよろしくお願いしますです。映像を見ながらそんなことを思いました。

 うなぎのひつまぶしがおいしい。
 名古屋城は充電バイクを運転しながら道路からながめるだけです。(それでいいと思います)『城』は権力の象徴です。城が好きな人は、権力者になりたいタイプの人だと思っています。
 まあ、日本じゅう城だらけです。清州城は行ったことがありませんが、観光用の城(模擬天守閣(てんしゅかく。建物))だと思っています。戦国時代の城は、戦(いくさ)のためのものですから、作戦本部を置く砦(とりで)のようなものだったと考察します。

 映像を見終えて、あらためて、すごいなあと感心しました。
 この長い距離を電動バイクだけで移動しました。ほんとうに、たいしたものです。
 車の交通量が多い広い道も走っておられます。
 後半のゲストは、いとうあさこさんです。いとうあさこさんの5万円旅(相方(あいかた)であるかたせ梨乃さん(かたせりのさん)とゲストの参加番組もたまに見ていますが、いつもビールやアルコール飲料ばかり飲まれているので、アル中の人の旅だなあと思っていますが)と違って、アルコールを飲まずに電動バイクを運転して(あたりまえのことですが。飲酒運転になってしまうから)きちんと仕事をやりとげられています。お疲れさまでした。

 長良川の鵜飼いは見たことはありませんが、午後7時15分スタートだと、神秘的、幻想的な光景を見ることができると思います。鵜は、知多半島で飛んでいるのをよく見かけます。また、うちの近所のため池でも季節によっては見ることがあります。

 スタッフの方々も含めて、みなさんお疲れさまでした。  

2023年07月29日

5番レーン ウン・ソホル作

5番レーン ウン・ソホル作 ノ・インギョン絵 すんみ訳 すずき出版

 小学生高学年向けの韓国児童文学で、小学校の水泳部員のお話です。

カン・ナル:主人公女子。漢江小学校(はんがんしょうがっこう。漢江(はんがん)は韓国ソウルを流れる川です)日本とは制度が違うのか13歳で小学生です。(あとのページで、韓国は数え年で、生まれたときが1歳で年齢計算が始まるそうです)
 水泳部のエース。水泳部員6年生でグループチャットをつくっている。カン・ナルは6年2組です。6年3組のチ・スンナムと付き合っているらしい。(あとでわかるのですが、チ・スンナムとは、幼稚園のときからの友だち。恋愛関係にはない)
 カン・ナルの水泳人生は8年。5歳からYMCAの子どもスポーツ団で水泳を始めた。水泳部長の男子部員チ・スンナムも同時期にその場にいた。
 カン・ナルは、競泳での勝負に負ける『いいわけ』が多い。
 わたしなりに表現すると『やりくり』という言葉と同意味です。
 自分にとって都合のいいように物事を解釈するのが『やりくり』です。
 カン・ナルは、タイムを0.1秒縮めるために学校のプールを百往復する。

カン・ボドゥル:カン・ナルの姉でカン・ナルより2歳年上。中学2年生だろうか。水泳をしているが、中学になって、競泳から飛込(とびこみ)に種目変更した。タイムが伸びず身長も伸びなかった。両親はスポーツ選手。飛び込み台は10mが一番高い。この本の中では5mでの飛び込み台シーンから始まります。
 作品中に『競泳』と『飛込』の比較があるようです。『競泳』は他人との闘いで、『飛込』は自分との闘いと読み取れます。高いところから落ちながら体を回したりねじったりするわけですから、恐怖なのですが、演技している本人には快感があるようです。
 とくに水中に入ったあとの泡の光景がいいらしい。ボドゥルは、3位以内のメダルにはこだわりません。自分のめざす目標の演技に近づければいい。ボドゥルは『克服する』喜びを知っています。

テム・サラン:女子水泳部員

パク・セチャン:男子水泳部員。背泳ぎ担当

シン・ドンヒ:女子水泳部員。平泳ぎ担当

チ・スンナム:水泳部部長。わたしは最初おとなだと思っていましたが違っていました。6年生の水泳部員の中での部長です。そして、わたしは最初女子だと思っていましたが違っていました。男子児童で、主人公のカン・ナルと付き合っているといううわさがあります。(でも、たんなる幼ななじみの友だちです)

キム・チョヒ:他校(プルン小学校)の優秀な水泳アスリート(競技者)女子。カン・ナルよりも腕が長く、泳ぎも速い。主人公のカン・ナルが5番レーン、ライバルのキム・チョヒが4番レーンです。(4番は予選タイムで一番速い人のレーン)キム・チョヒの水着が光るそうです。(なにかを隠している?)

チョン・テヤン:転校生男子。6年2組。背が高い。水泳部に入って、水泳をやりたい気持ちが強い。カン・ナルの隣の席に座る。
 テヤンは『大洋』と書く。広い海に向かって進め。小学3年生から近所のスポーツセンターで水泳を習っていた。けっこう速そうです。
 チョン・テヤンの見た目はかっこいいそうです。それから、腕が長い。バタフライ担当。
 将来科学者になりたい夢がある。人類は月の土地に今まで12人が立った。アメリカ合衆国のアポロ計画でした。

イ・ジフン:児童。同学年でしょう。

ウ・ジミン:児童。クラスメート女子。チョン・テヤンに片思いをしている。

ジンミョン:アイドルグループ『ブラックホール』のメンバー

ライカ:犬の名前

 ざーっとページをめくって250ページにある『訳者あとがき』から読んでみる。
 韓国の学校では、水泳を習わないそうです。(でもこの物語では、漢江小学校の水泳部員です。訳者の学校では水泳の授業がなかったということだろうか。ちょっとよくわかりません)
 大学受験や就職活動における競争社会のことが書いてあります。(人生は、そこまでよりも、そこからのほうがはるかに永い(ながい))
 物語の主題として(テーマ)『勝ち負けにこだわらない』『なぜ水泳をしているのか(自分は何をしたいのか)を考える』ということが提示されています。

 次に読んだのが、245ページにある選評です。選評:選ばれた作品の講評。第21回文学トンネ児童文学賞大賞を受賞した作品です。(トンネは出版社)
 ここまで読んできて、先日テレビ番組アメトークを思い出しました。『スイミングクラブ芸人』というものでした。こどものころスイミングクラブに通っていた芸人さん男女が楽しい思い出話を話してくれて盛り上がりました。

 タイトル『5番レーン』というは、プールのコースが5つ(いつつ)あるということだろうか、それとも、5番目のレーンということだろうか。(5番目のレーンということでした。ちなみに、4番レーンに立つ人の予選タイムが良くて、一番速い人が泳ぐレーンのようです)
 
 さて、最初から読み始めます。
 10ページの挿絵(さしえ。物語のシーン(場面))がきれいです。透き通った(すきとおった)色合いです。
 50m自由形の競争です。韓国の全国ジュニア体育大会です。
 キム・チョヒ26秒75、カン・ナル29秒33(かなり遅い)4位
 
 16ページまで読んできて、韓国における競争社会の窮屈さ(きゅうくつさ)が伝わってきました。
 
 『(体育館のどっかにプールがあるはずだから』(韓国の小学校のプールは屋内プールなのだろうか。競技用として、たぶんそうなのでしょう)

 6年生の教室は5階にある。
 
 水泳部がある小学校とない小学校がある。
 チョン・テヤンの母親が息子に中学校に行く準備をしなければならないと言います。私立中学校を受験するのだろうか。それから、中学校には部活はないそうです。韓国の中学校には部活がないのか。

 いいなと思った表現です。
 『……体育会系では何よりも重要なのは顔ではなく体だ。』
 
 キム・チョヒの水着があやしい:キラキラ輝いているそうです。反則があるというような指摘ですが、意味がわかりません。反則とか不正というとドーピング(薬物使用)を思い出します。「特殊な水着」と表現されています。

 競泳のことが書いてあります。1人の勝者と、その他おおぜいの引き立て役が構図です。
 
 小学6年生の競泳タイムとして、50mを37秒以内で泳ぐのは早いほうなのでしょう。(速い子は30秒を切るようです)

 ロールモデル:お手本にする人。チョン・テヤンの場合は「ブルース・バナー」とあります。アメリカ合衆国のコミックマンガに出てくる超人ハルク(天才的な物理学者ロバート・ブルース・バナー)のことだそうです。

 仁川文鶴競技場:インチョンムンハツきょうぎじょう。仁川空港には行ったことがあります。その近くだろうか。(グーグルマップで見ました。ちょっと離れていました。競技場は立派な施設のようです)

(つづく)

 カン・ナルは、学校で、0時間目(なぜ1時間目から始まらないのか? 授業開始前という意味か?)、7時間目、8時間目に水泳がある。

 外国人名は性別がわからないので、読むのにちょっと苦労があります。この物語の場合は韓国です。

 上弦の月(じょうげんのつき):弓の弦が左手にある。月の右側の部分が見える。下弦は反対

 体育中学校:韓国の制度。トップアスリートの養成機関(選ばれた運動競技者)世界的レベルで韓国代表をめざす。

 大統領杯全国水泳大会が、8月28日に開催される。

 メドレーリレー:4人。各自100m。背泳ぎ:パク・セチャン-平泳ぎ:シン・ドンヒ-バタフライ:チョン・テヤン-自由形(泳法はなんでもいいがクロールが一番速いのでクロールで泳ぐ選手がほとんどなのでしょう):チ・スンナム

 読んでいてのおとなとしての感想ですが、なんというか、小学校高学年生のこどものことです。
 おとなのように働いて税金を納めているわけでもありません。
 まだまだこどもの世界にいる人たちです。

 136ページ付近まできて、読んでいても楽しくありません。

(つづく)

 どろぼうの話です。
 キム・チョヒの水着になにかしかけがあって、それが不正であるような、あるいは、魔法の水着であるような説明は不可解で理解できません。水着は水着です。その水着をカン・ナルが出来心とはいえ更衣場所(こういばしょ。着替え)で盗むという行為も理解できません。もしそうならば、カン・ナルには物を盗む癖、盗癖(とうへき)があります。生まれもって、脳みその中にある癖です。治療が必要です。会社のお金や他人の現金を見ると、自分のポケットに入れたくなる、あるいは入れてしまう人がいます。万引き盗癖みたいなものです。心の病気です。それとも、カン・ナルが水泳のことで悩んで、そこまで自分の心を自分で追い詰めたと受け止めればいいのだろうか。

 今時の文章です。
 『ライン』や『プラスメッセージ』のような、チャットグループ(おしゃべりグループ)のようなやりとりがあります。

 小学6年生同士のお付き合いです。(男女交際)
 お互いにお互いのどういうところが良かったのかがわかりません。
 水泳という共通のものがあって、気楽に話ができる。あとは、お互いの見た目か。(外見)
 だけど、主人公のカン・ナルは、水着どろぼうです。

 付き合いを学校で秘密にするということもよく理解できません。まだ小学6年生です。どちらかといえば、これから思春期に向かうにつれて男女はお互いに話をしなくなります。
中学入学から卒業まで一度も女子と話をしないまま卒業する男子というのはいくらかいます。自分は男なので女子のことはわかりませんが、女子にも逆パターンでいると思います。

 女子をめぐって、ふたりの男子が対立するのは、女子を自分の所有物とみなす意識があるからではなかろうか。人ではなく、モノという意識で女性をみるのは、女性差別です。
 
 『競泳』よりも『飛込(とびこみ)』のほうが、格が下と読み取れる文脈があります。
 それは問題です。
 それぞれ別の種目です。上も下もありません。

 トッポギ:餅(もち)を使用した韓国の料理。棒状の餅を甘辛く(あまからく)煮込んである。
 
 なんというか、学校をやめるのは問題がありますが、水泳をやめるのは、問題はありません。

 韓国のこととして、年齢による上下関係がきついようです。妹よりも姉のほうが偉いというようなシーンがあります。年功序列です。
 韓国では『勝つ』意識が強い。息苦しさを感じる社会です。
 
 ランチジャー:保温型入れ物のお弁当

 トゥトゥデー:男女が付き合い始めて22日目。韓国での記念日
 
 210ページ、チョン・テヤンからの手紙は心やさしい内容です。『ぼくはいつもナルの味方だよ……』
 
 蚕室水泳場(チャムシルすいえいじょう):首都ソウルのオリンピック公園あたりにあるのでしょう。ソウルオリンピック(1988年。昭和63年開催 対抗馬が名古屋市であったことを、もうだれも話題にすることもありません)

 物語を読み終えましたが、よくわからない話でした。
 主人公のカン・ナルは、水泳競技大会に出場してはいけません。
 だって、ライバルの水着を更衣室で盗んだのですから。カン・ナルには窃盗(せっとう。ぬすみ)の罪があります。刑事罰の対象になります。
 222ページにカン・ナル自身の言葉として『試合に出る資格がありません』とあります。(そのとおりです。少なくとも被害者であるキム・チョヒの許しがない限り試合に出場する資格がありません)
 そしてなんと状況は複雑なのですが、キム・チョヒはカン・ナルの出場を認めます。認めたうえで、水泳の競争でカン・ナルを叩く(たたく)のです。カン・ナルに勝つのです。みせしめです。カン・ナルに恥(はじ)をかかせます。
 いろいろややこしい話があります。カン・ナルは謝罪だけではすみません。罰(ばつ)を受けねばなりません。

 韓国は、競争主義社会だということがわかります。社会が競争を容認しているようすがあります。
 生きづらそうです。
 五番レーンをめざすのです。
 五番以外のレーンでの生き方もあります。  

Posted by 熊太郎 at 06:29Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年07月28日

東京都世田谷区下北沢『本多劇場(ほんだげきじょう)』にて

東京都世田谷区下北沢『本多劇場(ほんだげきじょう)』にて

 初めて下北沢というところへ行きました。
 人がいっぱいで活気があります。テレビのインタビュー番組でよく登場するところです。『家、ついて行ってイイですか?』とか『月曜から夜ふかし』とか。
 駅を出たところで妻が芸能人を見たそうですが、1980年代ぐらいに活躍された音楽をやる男性で、名前が出てこないといまだに言っています。
 駅の周りは再開発をしているようで、工事のために道が迷路のようになっています。
 エスカレーターで、段差があるようなところを下がってなんとか目的の本多劇場へ着きました。
 スマホの地図を見ながら行きましたが、駅から近いのに、ややこしくて、帰り道のルートを忘れてしまわないかと不安になりましたが、同行の妻が覚えていてくれてだいじょうぶでした。
 都市部での劇場というと、広い道路に面した大きな建物を想像していたのですが、本多劇場は街中のビルで、おそらく地下から3階か4階ぐらいまでが劇場で、上の階は住居に見えました。(事実はわかりません)
 階段をあがっていくとアナログな感じ(昔風)で折り畳みの机を並べただけの受付がありました。演目の開始までに時間があったので、近くのラーメン屋に寄って、しょうゆラーメンを食べました。外食をあまりしないので、夫婦でカウンターに座ったら入口にある機械で食券を買ってくださいとうながされました。ああそうだったと思い出しました。定年退職をしてから何年もたちましたので事前食券購入のやりかたを忘れてしまいました。



 劇場では『鹿版 銀河鉄道の夜‘23』という音楽劇を観劇しました。にぎやかで良かった。ご当地ネタでは、会場が爆笑していました。スズナリという劇場があるようです。柄本明さんのお名前が出ていました。
 演劇のほうは、なんというか、若い男の人たちが、男のだいじなところ(あそこ)だけを隠して、すっぱだかに近い姿で熱演されていました。(いやらしくはありません)
 座長の女性がしきりにお金がないということを強調されていました。衣装を買うお金がないようです。舞台装置のお金もないようです。まあ、劇団というのはそういうものだろうと思っています。
 演劇にしても音楽にしてもダンスにしても、舞台の上は華やかですが、舞台をおりるとお金がない世界です。

 おぼろげな記憶ですが、宮沢賢治作品の銀河鉄道の夜は、貧しくてひとりぼっちのジョバンニが、カムパネルラ(実は水の事故で死んでいる)と電車に乗って、夜空を旅する(冥土(めいど)へ行く旅。死後の世界へ行く旅)話で、途中、タイタニックの沈没事故で亡くなったような人たち(霊魂でしょう)も乗車してくるような感じの話だった記憶です。
 今回の観劇のしばらく前に、外国の人が、氷山に衝突後沈没したタイタニックの残骸(ざんがい)を観光で見学に行って、深海潜水艇が事故を起こして死者が出たニュースがありました。
 天の川=(イコール)三途の川(さんずのかわ。あの世へと渡る川)かなと自分は思っています。わたしの思う筋立てに勘違いがあったらごめんなさい。
 宮沢賢治作品は文章に色彩のイメージがあって、わたしにはむずかしいです。愛知県半田市出身の新美南吉(にいみ・なんきち)作品のこどもさん向け童話のほうが、自分にとっては読みやすいです。

 劇は、若い人たちのパワーが全開でした。男性たちは裸、女性たちは白い衣装をまとって、舞台装置は少なく、体全体をいっぱいに使って表現されていました。
 演者のみなさんが、この演劇の上演のために、すさまじいパワーをつぎこんだことがわかります。大量の労力と時間がそそぎこまれた演技でした。たくさん練習(稽古けいこ)をされたと思います。

 舞台の背景に映し出されるたくさんの色鮮やかな星々は、プラネタリウムのようにロマンチックできれいでした。

 ジョバンニに対する『(あなたは)死ぬな! 死んではいけない!!』のメッセージを正面から受け止めることができました。ジョバンニは、死んでいるカムパネルラについていこうとするのです。親友であるカムパネルラを失いたくないということが動機です。
 カムパネルラは、自分といっしょについてきてはいけないと、ジョバンニを説得します。
 ジョバンニは、死んではいけないのです。君は、生きろ!です。

 劇場には、お客さんがたくさん入っていて、家族的な温かい雰囲気があり好感をもちました。
 ロビーも『昭和時代』の雰囲気が残っていて、そこにいるとほっとできました。



 こちらの劇場では、小泉今日子さんとか、石田ひかりさん、竹下景子さん、松雪泰子さん、黒島結菜(くろしま・ゆいなさん)、それから、自分は今BSNHKで再放送の『あまちゃん』を見ているのですが、あまちゃんに出ている皆川猿時さんとか、荒川良々(あらかわ・よしよしさん)も舞台出演されています。

 今回の観劇で、女性の座長さんの話を聞きながら、自分も十代のころは、そちらの世界で働きたいなあという気持ちがあったけれど、しかしそれでは食べていけないわけで、そんなこともあったなあと自分の若い時をふりかえりました。

 その後、座長さんの履歴を見て、ひっくりかえるほどびっくりしました。
 座長さんの出身地がわたしと同じでした。同郷の人でした。わたしが同地を離れたあとにお生まれになっています。
 山に囲まれた盆地のようなところで、田んぼや川がある自然豊かな地域から、福岡県の博多駅なり、小倉駅まで出て、東を目指されたのでしょう。ご苦労をお察しします。  

Posted by 熊太郎 at 06:56Comments(0)TrackBack(0)東京

2023年07月27日

東京都三鷹市太宰治(だざい・おさむ)氏のこと

東京都三鷹市太宰治(だざい・おさむ)氏のこと

 下の写真にあるのは『玉鹿石(ぎょっかせき)』です。表示板の左に石があります。(ここに来る前には、山本有三氏の『路傍の石(ろぼうのいし)』を見学しました。石つながりで、こんどは、太宰治氏です。
 『玉鹿石(ぎょっかせき)』は、太宰治氏が愛人と玉川上水(たまがわじょうすい)に入水(じゅすい。身投げ)した付近に設置してありました。注意深く見ていないと通り過ぎてしまいます。心中(しんじゅう。ともに自死する)の場所ですから、めだつような表示はしにくかったのでしょう。入水して6日後に、ご遺体が下流で発見されています。
 玉鹿石(ぎょっかせき)は太宰治氏の故郷である青森県北津軽郡金木(かなぎちょう。現在五所川原市ごしょがわらし)から取り寄せられています。同地特産の石だそうです。
 以前自分は、太宰治氏の自宅であった『斜陽館(しゃようかん)』を訪れたことがあります。
 青森空港からレンタカーを運転して斜陽館まで走ったときのことを思い出して、しみじみしました。薄曇りの今にも雪が降りだしそうな寒い時期でした。
 青森の斜陽館は、東京のここからは、とても遠い距離にあります。斜陽館は、板の間や廊下がよく磨かれていて、キラキラと黒光りしていた立派な邸宅でした。二階のふすまに書いてあった文章の中に『斜陽』の文字がありました。(太宰治作品に『斜陽』があります)
 自分は昭和40年代ころ(1965年代)、森田童子(もりた・どうじ)さんという女性シンガーが、太宰治氏のことを歌う悲しげな唄を知りました。挫折して、死んでしまう歌ばかりで、暗いものだったのですが、思春期の自分の心には響くものがありました。
 その後、森田童子さんという方は、60代で亡くなったことを知りました。作詞家・小説家であるなかにし礼さんの兄の娘さん(叔父と姪の関係)だったということを知りました。
 なかにし礼さんの作品で『兄弟』があります。すさまじい内容でした。兄が太平洋戦争から帰還して人格が悪いほうへと一変(いっぺん。急激に正反対になる)します。弟であるなかにし礼さんは、お兄さんから、お金のことで大きな迷惑をかけられています。そのお兄さんの娘さんが森田童子さんだと知り、娘さんご本人はたいへんなご苦労をされたであろうとお察ししました。
 







 少し歩いたところにあったのが文学サロンでした。
 中に入って、それほど広いスペースではありませんでしたが、たくさんの本に囲まれて、コーヒーを飲みながら、ボランティアさんと長々とお話をさせてもらいました。ありがとうございました。
 ここには、昔は、太宰治氏がよく通っていた酒屋さんが建っていたそうです。







 太宰治氏はその行動から、好き嫌いが分かれる作家さんです。
 お金持ちの家に生まれたけれど幸せではなかった。
 実母に育てられず、叔母(おば)や、おもに乳母(うば)に育てられています。(乳母を実母だと思っていたときもあったそうな)
 金貸しで財産家になった父親に不信感をもった太宰治氏です。(お金を返せない農民からは土地を奪った)
 きれいごとでは生きていけない現実があります。
 たてまえと現実にはさまれて、心が屈折するような思春期の時期にある若い人にとっては、太宰治作品は、心を支え、物事を深く考えるために必要な作品群です。
 作品『走れメロス』を思い出しました。
 『走れメロス』を昔読んだ時の読書メモが残っていました。その一部です。
 『メロスが、暴君(国王)デイオニスを殺そうとして逆に捕まります。メロスは死刑です。
 メロスは、暴君(国王)デイオニスに願いを申し出ます。死刑の刑は受ける。ただし、故郷にひとり残る妹を信頼できる男と結婚させてから死刑にしてくれ。猶予は三日間でいい。メロスには、両親も妻もなく、身内は妹だけです。
 メロスはさらに、自分の人質として、竹馬の友(ちくばの友。おさななじみ)のセリヌンティウスを差し出します。自分が三日以内に戻らない時は、自分の代わりにセリヌンティウスを処刑してもらっていい。セリヌンティウスは、メロスの申し出を受けて人質になります。
 王さまのデイオニスは笑います。笑いながら、メロスの申し出を受け入れます。そんな美談は成立しない。メロスは、自分の命を守るために逃げるであろうと断定します。
 しかし、美談は起きます。成立します。
 王さまのデイオニスは、メロスとセリヌンティウス、ふたりともの命を救います。

 この日の翌日に用事があって、わたしたち夫婦は千葉駅へ到着したのですが、駅構内に、太宰治氏の故郷の祭り山車(だし)である『立佞武多(たちねぶた)』が展示してあったので縁を感じました。小型の立佞武多です。勇ましい。(いさましい)






  

Posted by 熊太郎 at 06:18Comments(0)TrackBack(0)東京

2023年07月26日

東京都三鷹市山本有三記念館

東京都三鷹市山本有三記念館

 井の頭公園内(いのかしらこうえんない)にある弁財天(べんざいてん)でお参りをしたあと、公園内を通って、玉川上水沿い(たまがわじょうすいぞい)に歩き、到着したところが山本有三記念館です。ご家族がご自宅として使用していた建物です。
 ここまで来る途中の公園内では、欧米人の人たちがくつろぐようすがあって、外国の風景のなかを歩いているような感じがありました。

 中学生のころの自分の愛読書が山本有三作品『路傍の石(ろぼうのいし)』でした。主人公の吾一少年(ごいちしょうねん)が、恵まれない環境にあってもめげずにがんばるお話です。自分と吾一少年を重ね合わせながら、自分もがんばらなければと、ずいぶん励みになりました。今回は感謝の気持ちをもって記念館を訪問しました。

 入口に『路傍の石(ろぼうのいし)』の展示がありました。
 想像していたものとずいぶん違う石だったのでびっくりしました。大きいので岩のようです。
 自分が想像していたのは、道のはしっこにころがっている、手のひらにのるぐらいの小さな石でした。道ばたにある石ころみたいな人間でも、粘り強くがんばっているのだということを示している本のタイトルだと思っていました。

 『路傍の石』は、昭和12年ころ(1937年ころ)執筆された作品で、時代背景は明治時代、主人公の吾一少年(ごいちしょうねん)は、丁稚奉公(でっちぼうこう。当時の小学校を出て、商家に住み込みをしながら、読み書き計算、商売のしかたについて学ぶ)に出されていろいろな苦労を重ねるという内容だったと思います。
 自分の母方の祖父が明治40年(1907年)生まれで、吾一少年と同じような体験をした人でした。自分が中学生の時に、祖父からは、奉公先での苦労話などを聴きました。祖父はまじめな人でした。




















 展示してあった年譜をながめていてびっくりしました。
 1910年(明治41年)ご本人23歳の時に、栃木県の山奥にあった銅山で労働体験をされて小説作品を書いておられます。
 同地に自分は小学生のときに数年間居住しました。山本有三氏がそこにいたときから半世紀ぐらい先、1965年代(昭和40年代)のころです。
 次の写真は、同地でのご本人の姿です。
 『路傍の石』の読書でお世話になった作家さんと同じ場所にいたということが、今頃になってわかったわけですが、ちょっとした感動がありました。
 なおこの地域については、春先に村井美樹さんがBSのテレビ番組で紹介されていました。テレビになつかしい風景映像が流れて自分はこどものころの思い出にひたることができました。『ローカル線よくばり絶景旅 村井美樹が行く わたらせ渓谷鉄道 新名所&穴場徹底満喫スペシャル BSテレ東』という番組でした。











 上の写真は建物の二階廊下ですが、今春見学した東京四谷(よつや)にある迎賓館赤坂離宮の雰囲気に似ています。
 迎賓館は、赤、白、黄金色のきらびやかなつくりでした。

 次の花の写真は、お庭で撮影しましたが、なにかしら由緒あるお花に見えました。
 花の名前がわかったら追記してみます。(追記:スーパーベナだと思います。別名『美女桜(びじょざくら)』です)



 次の写真は、玄関の反対側から見た全景です。
 とても立派なお屋敷でした。
 クリスマスには、サンタクロースが来そうです。



  

Posted by 熊太郎 at 06:18Comments(0)TrackBack(0)東京