2023年07月23日
ふたりのえびす 高森美由紀
ふたりのえびす 高森美由紀 フレーベル館
えびすといえば、太川陽介さんのバス旅のコンビだった蛭子能収(えびすよしかず)さんを思い浮かべます。
えびすさんは認知症になってしまって、バス旅企画で観ることはできませんが、先日の夜は第24弾で、熊切あさ美さんをゲストに迎えて、山口県の錦帯橋(きんたいきょう)から京都府の天橋立(あまのはしだて)まで、路線バスで移動されて、みごと成功された昔の放送をBSテレ東で観ました。
途中のお城の欄干(らんかん。展望場所)で、えびすさんが『これからぼくたちは新幹線でどこへ向かうの?』と太川陽介さんと熊切あさ美さんに質問しました。おふたりがあぜんとした表情で言葉を失います。間があって、今、バス旅の企画で、路線バスで移動しているということをわかっているか?とたずねると、えびすさんが真顔で、ああそうかと答えます。そのころからえびすさんの脳みその中はおかしくなっていたのでしょう。このパターンのバス旅は次の第25弾で終了しています。
さて、こちらは、舞台は青森県八戸あたり(はちのへあたり)、小学校5年1組の(郷土芸能であるらしき)地元の歌舞伎みたいなお祭り演技に小学生が挑戦するようです。
『南部藩(なんぶはん)とか南部という地域名』わたしは、長いこと、どうして本州の北部にあるのに『南部藩』というのか、不思議でした。そうしたら『南部』というのは、そこを治めていた(おさめていた)人の名前だと知り納得しました。
えびす舞(まい):縁起がよくなりますように。豊作でありますように。無事祈願でしょう。
内村太一(うちむら・たいち):主人公5年1組の男子児童。4年生の春に、青森県三戸町(さんのへまち)から八戸市(はちのへし)へ引っ越しして来た。内村太一は、小学校で、ほんとうの自分とは違う自分のようなもの(個性)を演じています。小学校では、おちゃらけた明るいキャラクターを演じています。へんな言葉づかいをします。「聞いたんたん?」「ありがとるねーど!」「おはとるねーど」「おたよん」「ないがあ」ほか。
大路優希(おおじ・ゆうき):12月にクラスに来た転校生。ニックネームが、王子さまの『王子』背が高くて、体の線が細くて、色白、顔は小さい。なんだか、フィギュアスケーターの羽生結弦(はにゅう・ゆずる)さんのようです。イケメン。納豆(なっとう)はにがてなようです。見た目はイケメンですが、家ではいろいろゴタゴタがあるようです。父親が仕事を失って転校してきた。八戸へ来て、父親は「ちくわ工場」で働いている。母親は家でパソコンを使った仕事をしている。大路優希は、塾には行っていない。家では両親の夫婦ゲンカあり。(現実社会では、仲のいい夫婦というのは少ないです。32ページにちょっと書いてありますが、「自分の要求とか意見とか、はっきり言っておたがいに……」。なんというか、「おまかせします」と相手に言えないと離婚が近づきます。親の仲が悪いと、こどもは悲惨(ひさん)な思いをします)ちょっと変わった雰囲気の母親です。都会的です。ドラマ『北の国から』の田中邦衛さん(たなかくにえさん)といしだあゆみさんの組み合わせを思い出しました。
大路優希は、見た目は立派ですがどんくさい。音楽のリズム感がない。体の動きもぎこちない。(おとなの男女を仮定して考えると、付き合い始めた女性から「なんか違う」と言われて、別れを切り出される男性のタイプです。見た目がいいだけで中身がないのです)。大路優希は、前の学校では『残念王子』と呼ばれていた。
大路優希の母親:自分は都会人という意識あり。いなかとかいなかの人にとけこみたくないそうです。
雪田知美(ゆきた・ともみ):クラスメート。大路優希に気があるようすです。
土谷かおり(つちや・かおり):昔そういう名前のアイドル女性歌手がいたような。
遠藤:同じクラスの男子児童。小柄。ニックネームは『豆』むかしは、小柄だと、マンガの天才バカボンにちなんで『チビ太』と名付けることが多かった。
親方:2011年3月11日に起きた東日本大震災がらみで2012年の冬に郷土芸能である『えんぶり』(2月に開催される)の親方になった。。
岡田:「えんぶり」での指導者
岩田じいさん
大山:親方の知り合い
細木:6年生男子。ひょろり体形つり目。「太夫(たゆう)」をやる。ニックネームは「ひょろり」
森:6年生男子。背が低くてもじゃもじゃ頭。「太夫」をやる。ニックネームは「もじゃ毛」
小谷(こたに):6年生男子。「太夫」をやる。ニックネームは「ネズミ」
佐藤:5年生女子。クラス一かわいい。舌たらず。
鈴木:5年女子。クラスで二番目にかわいい。赤いピンでショートヘアの前髪をとめている。
有田:親方の友だち。東日本大震災の津波で亡くなった。
炊事場(すいじば)のおばちゃん
せんべい汁:青森の郷土料理。おせんべいを似てお汁で食べる。野菜、豆腐、サバ缶が入っている。
メメガー:方言。目がない。大好物ということ。
東北の人のなまり(方言ほうげん)は、ともだちづくりの武器になりそうです。ばかにするのはもったいない。
(つづく)
読んでいて『学校』について感じたことです。
学校というのはきゅうくつな世界です。
義務教育という強制で、こどもらが、広くもない校舎や教室に押し込められて、気が合うとか合わないとかに関係なく、多数の人間(個性)を集めて、同じ教科書で同じような人間になるように学習させる。みんな仲良く、協力しなさいと強いられる。(しいられる)。将来、企業や組織にとって都合のいい個性と習性をもった人間をつくる。歳をとってみて、そう悟るのです。(さとる:見抜く。理解する)。そして、一部の人間である富裕層の金もうけのために、大多数の大衆は利用されているのですが、そのことに気づく人は少ない。
親方:グループのリーダー。指示を出す人
ダルマストーブ:昔よく学校の教室で使われていた鉄製の石炭ストーブ。見た目が「だるま」っぽい。いまのこどもたちにはわからないと思います。昭和40年代のイメージです。1965年代。
八戸(はちのへ)でよく聞くのは『八食センター(はっしょくせんたー)』です。バラエティの旅番組でよく出てきます。
えんぶり:毎年2月17日から同月20日まで、青森県八戸市で行われる郷土芸能行事。国の重要無形民俗文化財に指定されている伝統あるお祭り。町内会の組が運営する。主人公の内村太一は『七つ組』に属している。
構成として、
おはやし
松の舞(まい):祝福芸
大黒舞(だいこくまい):祝福芸
えびす舞(えびすまい):祝福芸。福の神「えびす」がさかなつりをする場面を踊る。10分間ぐらい。主人公の内村太一が親方に指名されたあと、大路優希が手を上げて立候補する。ふたりで演じる芸
関係者・出演者として、七つ組は、全員で30人
親方(おやかた):リーダー。踊りを教える。合図を出す。指揮棒が『ザイ』。七つ組の親方は80歳ぐらいの男性。昔漁師をしていた。小柄だががっしりしていて眼光鋭い。
太夫(たゆう):「えんぶり」の主役。太夫の踊りを「摺り(すり)」という。踊りは勇ましくてかっこいい。太夫の踊りの合間に祝福芸という「松の舞」「大黒舞」「えびす舞」が差し込まれる。全体で1時間ぐらい。太夫は6年生がやる。細木(ひょろり体形つり目)、森(背が低くてもじゃもじゃ頭)、小谷(こたに。ネズミに似ている)
舞い子(まいこ):「大黒舞」のメンバーとして、土谷かおりと雪田友美、メンバーは全員で10人
歌い手(うたいて)
おはやし
(読んでいての感想です:言葉が古くてむずかしい)
ふたりでやる「えびす舞」での「失敗は許されない」というような書き方がしてありますが、だいじょうぶです。
失敗しても許される年齢です。まだ、小学5年生です。
失敗して、お金を失う話でもありません。
のびのび楽しんで踊りましょう。
(つづく)
転校のことが書いてあります。
転校のイヤな部分についてです。気弱で繊細(せんさい。感じやすく傷つきやすい)です。
わたしは、父親が気が短くてお酒のみで、仕事場の上司とケンカして短期間で仕事をやめるので、こどものころは引っ越しばかりしていました。小学校は6校、中学校は3校通いました。(父親は体を壊して中学の時に死んでしまいました)。景気がいい時代だったので、どこにいってもすぐに仕事が見つかりました。まあ、溶接(ようせつ。金属をとかしてくっつける)とかの肉体労働でしたが。
わたしは、そのころ、転校がイヤだと思ったことはありませんでした。オヤジについていくしかないのです。なんでこんな家に生まれてきてしまったんだと思ったことはありました。
近所で、こどもが、転校するのはイヤだとか、親が、こどもを転校させるのはかわいそうだとかという話を耳にしたときは『ちゃんちゃらおかしい(ばからしい)』と自分は思いました。新しい土地に行けば新しい人や環境との出会いがありました。こどもだったので好奇心が強かった。いろいろな体験がその後の人生を支えてくれました。
この作品では、考えるべきこととして『素の(すの)自分ではない「個性」を演じる』ことに光を当ててあります。
主人公の内村太一は、学校では、おどけた人気者を演じていますが、それは、ほんとうの内村太一の姿ではありません。
対比があります。内村太一と大路優希(おおじ・ゆうき)のふたりが、郷土芸能『えんぶり』で、ふたり一組で踊る『えびす舞』を披露するわけですが、内村太一は、ふだん人前で『いい人間』を演じることに心を注いでいます。
それに対して大路優希は、ありのままの自分をさらけだします。気の毒なのは、見た目がいい(イケメン)なので、なんでも上手にできる完成された人間だと誤解されることです。(俳優さんでも、見た目はイケメン・美女でも、話し出すと、どこにでもいるおじさん、おばさんのようだったりもします)
個性が異なる登場人物のふたりは、最終的にはお互いを理解して、かたい友情が芽生えるという展開が予想されます。
青森県南部の方言として、
へっちょはぐ:疲れる。
アんべ:行こう。(岩手県を舞台にした朝ドラ『あまちゃん』に出てくる片桐はいりさん演じるあんべちゃんを思い浮かべてしまいます。そちらのドラマでは『じぇじぇじぇ(驚いたときについ出てしまう言葉』がはやりです)
ンだば:さようなら
このあと、65ページあたりまで、6年生たちが5年生のふたりをいじめるくだり(話)が出てくるのですが、作家としてこんな書き方でいいのかあと思ってしまいました。うーむ。うまくない。読んでいて不快な気持ちになります。6年生は一方的に悪者です。バランスがよくない。人間には二面性があります。
アルミの灰皿:見かけなくなりました。禁煙教育や習慣が浸透してきたのでしょう。いまどきのこどもさんは灰皿やたばこのことを知らないかもしれません。
踊りの練習は、宗教のようでもあります。
だいじょうぶだろうか。
狭い特殊な世界が描いてあります。
おとながこどもにやらせて満足する世界です。
人はひとりになったとき読書を始める。
読んでいると、内村太一も大路優希もひとりです。
一番に釣り上げたのは『金のタイ』
二番目に釣り上げたのは『エンブダン(金(きん。砂金さきんのこと))』
三番目に釣り上げたのは『えびす様のむすめ』
だいじょうぶだろうか。「むすめを釣る」というのは、娘=ごほうびのもの。商品であるからして、男尊女卑とか女性差別と指摘されそうです。金と女を手に入れて男社会はウハウハととれます。まあ、歴史的背景とかありますし、神事(しんじ)っぽいのでいいのでしょう。
いんずい:方言。違和感のこと。
自分なりの違和感として、東京=都会とは思えないのです。まあ、東京は、都市と田舎の混在です。むしろ東京のほうが、いまだに『昭和時代』が感じられる地域が残っています。共存しているところが素敵です。古いもの、新しいもの、地方の人たち、もともとの江戸っ子のひとたちなどの共存です。
蕪島神社(かぶしまじんじゃ):テレビで時々見ます。『出川哲郎の充電させてもらえませんか?』とか、NHKの『72時間』とか、ほかにも見た記憶はあるのですが、番組名を思い出せません。『旅猿』でも見たような気がするのですが自信がありません。
うーむ。2011年の地震と津波の話が、お決まりのように出てきます。
なんだかなあ。必ず出さねばならぬものなのだろうか。宮藤官九郎さんの意思として『あまちゃん』に震災のことは出したくなかったという記事を思い出しました。なんだろう。創作したときにその話を出す予定はなかった。それから、不幸をネタにして関心をもたせるという手法はよくありません。
種差海岸:たねさしかいがん。こちらも観光地です。
ブドウ虫:釣りのエサ。ガの幼虫
オキアミ:釣りのエサ。エビに似たプランクトン
アオイソメ:釣りのエサ。ミミズのようなムカデのような。
大路優希の母親が『都会の自分』にこだわりをもっている。
内村太一は『明るいキャラ』をかぶっている。
親方の言葉として『つりはしんぼうだ。根気だ。がまん強くまっていればいずれあたりはくる……(あたり:つれたときの目印となる動きの感触)』
実際の釣りと演技の『えびす舞』をつなげる。
ソイ:海の魚。本では体長40センチぐらいのソイが釣れています。メバルとかカサゴのような姿をしている。
(つづく)
言葉がどうだろうか。
方言もそうですが、ほかの言葉も、ときおり、意味がとれなくて、内容をすんなり理解することができません。
この手法は読み手にとっては好ましくありません。
オラんど:自分
フォカッチャ:イタリア料理。平たいパンですが、話の中では、そのパンのことは指していません。
おかっちゃ:母親のこと。
どしたば?:どうした?(うーむ。なにかと会話文が不自然です)
親切からけるってゆってるんで:親切心で言っているので(だろうか?)
いんずい:しっくりこない。うまくいかない。居心地(いごこち)が悪い。
カクメー:食べ物がうまいという意味らしい。
ンダバ:「それなら」という意味だろうか。よくわかりません。
「ヒョロリ」とか「もじゃ毛」とか「ネズミ」とか:ちゃんと氏名で書いてもらったほうがわかりやすい。6年生男子のニックネームというか隠語(いんご。表に出せないような言葉)です。
ジャンギ:「えんぶり」のときに使用する棒
ゆるさねすけな:ゆるさないからな
ごわんなさい:ごめんなさい
ラッキーワッキー 助かりまんぼっ:なんというか。すべっているような。「マンボ」は相当古い時代の言葉です。
ザイ:指揮棒
わかりマリンバ:わかりました
心が弱い人は、うまくいかなかったとき、人のせいにします。
親方が海に落ちるという乱暴な展開があります。
マジカルンバ:本。魔法使いの話
「みんなが主役」という言葉:時と場所と目的で主役やわき役は変化すると思うのですが、この話の場合では、フィット感(ぴったりくる)がありません。
一年上の上級生たちとうまくいきません。
年功序列の意識があるのですが、それも最近は薄れてきました。
ただ、下の者に無礼な態度をとられると年上の者はそれなりの反発をするのが常です。
頭を下げない人間は嫌われます。
『えんぶり』にしても『えびす舞(まい)』にしても、相手がいて、勝ち負けがあるものではないので、出来栄えの評価はなかなかむずかしい。
人から良く思われたいがために、いい人を演じる。
自分の身を守りたい。
生(なま)の自分を表に出すことができない。
内村太一が、自分に自信がない証拠です。
2月17日にえんぶりが開催されました。
読み終えて、こちらの物語は、小学校5年生前後のこどもさんには、むずかしい内容だと思いました。
もう一つ考えたことです。
物語の主題は『自分ではない自分のようなものを演じることはやめようではないか』というものだというメッセージを受け取りました。
現実社会では、だれしもが、職場などでは自分ではない人格(いい人)を演じています。
そんなふたりが夫婦になったときが大変です。
演じている者どうしが結婚すると、お互いにお互いの本当の姿を見て失望します。
時には離婚につながることもあります。こんなはずじゃなかった。
「夫婦」はだめだけれど、「友だち」なら長続きするということはあります。
えびすといえば、太川陽介さんのバス旅のコンビだった蛭子能収(えびすよしかず)さんを思い浮かべます。
えびすさんは認知症になってしまって、バス旅企画で観ることはできませんが、先日の夜は第24弾で、熊切あさ美さんをゲストに迎えて、山口県の錦帯橋(きんたいきょう)から京都府の天橋立(あまのはしだて)まで、路線バスで移動されて、みごと成功された昔の放送をBSテレ東で観ました。
途中のお城の欄干(らんかん。展望場所)で、えびすさんが『これからぼくたちは新幹線でどこへ向かうの?』と太川陽介さんと熊切あさ美さんに質問しました。おふたりがあぜんとした表情で言葉を失います。間があって、今、バス旅の企画で、路線バスで移動しているということをわかっているか?とたずねると、えびすさんが真顔で、ああそうかと答えます。そのころからえびすさんの脳みその中はおかしくなっていたのでしょう。このパターンのバス旅は次の第25弾で終了しています。
さて、こちらは、舞台は青森県八戸あたり(はちのへあたり)、小学校5年1組の(郷土芸能であるらしき)地元の歌舞伎みたいなお祭り演技に小学生が挑戦するようです。
『南部藩(なんぶはん)とか南部という地域名』わたしは、長いこと、どうして本州の北部にあるのに『南部藩』というのか、不思議でした。そうしたら『南部』というのは、そこを治めていた(おさめていた)人の名前だと知り納得しました。
えびす舞(まい):縁起がよくなりますように。豊作でありますように。無事祈願でしょう。
内村太一(うちむら・たいち):主人公5年1組の男子児童。4年生の春に、青森県三戸町(さんのへまち)から八戸市(はちのへし)へ引っ越しして来た。内村太一は、小学校で、ほんとうの自分とは違う自分のようなもの(個性)を演じています。小学校では、おちゃらけた明るいキャラクターを演じています。へんな言葉づかいをします。「聞いたんたん?」「ありがとるねーど!」「おはとるねーど」「おたよん」「ないがあ」ほか。
大路優希(おおじ・ゆうき):12月にクラスに来た転校生。ニックネームが、王子さまの『王子』背が高くて、体の線が細くて、色白、顔は小さい。なんだか、フィギュアスケーターの羽生結弦(はにゅう・ゆずる)さんのようです。イケメン。納豆(なっとう)はにがてなようです。見た目はイケメンですが、家ではいろいろゴタゴタがあるようです。父親が仕事を失って転校してきた。八戸へ来て、父親は「ちくわ工場」で働いている。母親は家でパソコンを使った仕事をしている。大路優希は、塾には行っていない。家では両親の夫婦ゲンカあり。(現実社会では、仲のいい夫婦というのは少ないです。32ページにちょっと書いてありますが、「自分の要求とか意見とか、はっきり言っておたがいに……」。なんというか、「おまかせします」と相手に言えないと離婚が近づきます。親の仲が悪いと、こどもは悲惨(ひさん)な思いをします)ちょっと変わった雰囲気の母親です。都会的です。ドラマ『北の国から』の田中邦衛さん(たなかくにえさん)といしだあゆみさんの組み合わせを思い出しました。
大路優希は、見た目は立派ですがどんくさい。音楽のリズム感がない。体の動きもぎこちない。(おとなの男女を仮定して考えると、付き合い始めた女性から「なんか違う」と言われて、別れを切り出される男性のタイプです。見た目がいいだけで中身がないのです)。大路優希は、前の学校では『残念王子』と呼ばれていた。
大路優希の母親:自分は都会人という意識あり。いなかとかいなかの人にとけこみたくないそうです。
雪田知美(ゆきた・ともみ):クラスメート。大路優希に気があるようすです。
土谷かおり(つちや・かおり):昔そういう名前のアイドル女性歌手がいたような。
遠藤:同じクラスの男子児童。小柄。ニックネームは『豆』むかしは、小柄だと、マンガの天才バカボンにちなんで『チビ太』と名付けることが多かった。
親方:2011年3月11日に起きた東日本大震災がらみで2012年の冬に郷土芸能である『えんぶり』(2月に開催される)の親方になった。。
岡田:「えんぶり」での指導者
岩田じいさん
大山:親方の知り合い
細木:6年生男子。ひょろり体形つり目。「太夫(たゆう)」をやる。ニックネームは「ひょろり」
森:6年生男子。背が低くてもじゃもじゃ頭。「太夫」をやる。ニックネームは「もじゃ毛」
小谷(こたに):6年生男子。「太夫」をやる。ニックネームは「ネズミ」
佐藤:5年生女子。クラス一かわいい。舌たらず。
鈴木:5年女子。クラスで二番目にかわいい。赤いピンでショートヘアの前髪をとめている。
有田:親方の友だち。東日本大震災の津波で亡くなった。
炊事場(すいじば)のおばちゃん
せんべい汁:青森の郷土料理。おせんべいを似てお汁で食べる。野菜、豆腐、サバ缶が入っている。
メメガー:方言。目がない。大好物ということ。
東北の人のなまり(方言ほうげん)は、ともだちづくりの武器になりそうです。ばかにするのはもったいない。
(つづく)
読んでいて『学校』について感じたことです。
学校というのはきゅうくつな世界です。
義務教育という強制で、こどもらが、広くもない校舎や教室に押し込められて、気が合うとか合わないとかに関係なく、多数の人間(個性)を集めて、同じ教科書で同じような人間になるように学習させる。みんな仲良く、協力しなさいと強いられる。(しいられる)。将来、企業や組織にとって都合のいい個性と習性をもった人間をつくる。歳をとってみて、そう悟るのです。(さとる:見抜く。理解する)。そして、一部の人間である富裕層の金もうけのために、大多数の大衆は利用されているのですが、そのことに気づく人は少ない。
親方:グループのリーダー。指示を出す人
ダルマストーブ:昔よく学校の教室で使われていた鉄製の石炭ストーブ。見た目が「だるま」っぽい。いまのこどもたちにはわからないと思います。昭和40年代のイメージです。1965年代。
八戸(はちのへ)でよく聞くのは『八食センター(はっしょくせんたー)』です。バラエティの旅番組でよく出てきます。
えんぶり:毎年2月17日から同月20日まで、青森県八戸市で行われる郷土芸能行事。国の重要無形民俗文化財に指定されている伝統あるお祭り。町内会の組が運営する。主人公の内村太一は『七つ組』に属している。
構成として、
おはやし
松の舞(まい):祝福芸
大黒舞(だいこくまい):祝福芸
えびす舞(えびすまい):祝福芸。福の神「えびす」がさかなつりをする場面を踊る。10分間ぐらい。主人公の内村太一が親方に指名されたあと、大路優希が手を上げて立候補する。ふたりで演じる芸
関係者・出演者として、七つ組は、全員で30人
親方(おやかた):リーダー。踊りを教える。合図を出す。指揮棒が『ザイ』。七つ組の親方は80歳ぐらいの男性。昔漁師をしていた。小柄だががっしりしていて眼光鋭い。
太夫(たゆう):「えんぶり」の主役。太夫の踊りを「摺り(すり)」という。踊りは勇ましくてかっこいい。太夫の踊りの合間に祝福芸という「松の舞」「大黒舞」「えびす舞」が差し込まれる。全体で1時間ぐらい。太夫は6年生がやる。細木(ひょろり体形つり目)、森(背が低くてもじゃもじゃ頭)、小谷(こたに。ネズミに似ている)
舞い子(まいこ):「大黒舞」のメンバーとして、土谷かおりと雪田友美、メンバーは全員で10人
歌い手(うたいて)
おはやし
(読んでいての感想です:言葉が古くてむずかしい)
ふたりでやる「えびす舞」での「失敗は許されない」というような書き方がしてありますが、だいじょうぶです。
失敗しても許される年齢です。まだ、小学5年生です。
失敗して、お金を失う話でもありません。
のびのび楽しんで踊りましょう。
(つづく)
転校のことが書いてあります。
転校のイヤな部分についてです。気弱で繊細(せんさい。感じやすく傷つきやすい)です。
わたしは、父親が気が短くてお酒のみで、仕事場の上司とケンカして短期間で仕事をやめるので、こどものころは引っ越しばかりしていました。小学校は6校、中学校は3校通いました。(父親は体を壊して中学の時に死んでしまいました)。景気がいい時代だったので、どこにいってもすぐに仕事が見つかりました。まあ、溶接(ようせつ。金属をとかしてくっつける)とかの肉体労働でしたが。
わたしは、そのころ、転校がイヤだと思ったことはありませんでした。オヤジについていくしかないのです。なんでこんな家に生まれてきてしまったんだと思ったことはありました。
近所で、こどもが、転校するのはイヤだとか、親が、こどもを転校させるのはかわいそうだとかという話を耳にしたときは『ちゃんちゃらおかしい(ばからしい)』と自分は思いました。新しい土地に行けば新しい人や環境との出会いがありました。こどもだったので好奇心が強かった。いろいろな体験がその後の人生を支えてくれました。
この作品では、考えるべきこととして『素の(すの)自分ではない「個性」を演じる』ことに光を当ててあります。
主人公の内村太一は、学校では、おどけた人気者を演じていますが、それは、ほんとうの内村太一の姿ではありません。
対比があります。内村太一と大路優希(おおじ・ゆうき)のふたりが、郷土芸能『えんぶり』で、ふたり一組で踊る『えびす舞』を披露するわけですが、内村太一は、ふだん人前で『いい人間』を演じることに心を注いでいます。
それに対して大路優希は、ありのままの自分をさらけだします。気の毒なのは、見た目がいい(イケメン)なので、なんでも上手にできる完成された人間だと誤解されることです。(俳優さんでも、見た目はイケメン・美女でも、話し出すと、どこにでもいるおじさん、おばさんのようだったりもします)
個性が異なる登場人物のふたりは、最終的にはお互いを理解して、かたい友情が芽生えるという展開が予想されます。
青森県南部の方言として、
へっちょはぐ:疲れる。
アんべ:行こう。(岩手県を舞台にした朝ドラ『あまちゃん』に出てくる片桐はいりさん演じるあんべちゃんを思い浮かべてしまいます。そちらのドラマでは『じぇじぇじぇ(驚いたときについ出てしまう言葉』がはやりです)
ンだば:さようなら
このあと、65ページあたりまで、6年生たちが5年生のふたりをいじめるくだり(話)が出てくるのですが、作家としてこんな書き方でいいのかあと思ってしまいました。うーむ。うまくない。読んでいて不快な気持ちになります。6年生は一方的に悪者です。バランスがよくない。人間には二面性があります。
アルミの灰皿:見かけなくなりました。禁煙教育や習慣が浸透してきたのでしょう。いまどきのこどもさんは灰皿やたばこのことを知らないかもしれません。
踊りの練習は、宗教のようでもあります。
だいじょうぶだろうか。
狭い特殊な世界が描いてあります。
おとながこどもにやらせて満足する世界です。
人はひとりになったとき読書を始める。
読んでいると、内村太一も大路優希もひとりです。
一番に釣り上げたのは『金のタイ』
二番目に釣り上げたのは『エンブダン(金(きん。砂金さきんのこと))』
三番目に釣り上げたのは『えびす様のむすめ』
だいじょうぶだろうか。「むすめを釣る」というのは、娘=ごほうびのもの。商品であるからして、男尊女卑とか女性差別と指摘されそうです。金と女を手に入れて男社会はウハウハととれます。まあ、歴史的背景とかありますし、神事(しんじ)っぽいのでいいのでしょう。
いんずい:方言。違和感のこと。
自分なりの違和感として、東京=都会とは思えないのです。まあ、東京は、都市と田舎の混在です。むしろ東京のほうが、いまだに『昭和時代』が感じられる地域が残っています。共存しているところが素敵です。古いもの、新しいもの、地方の人たち、もともとの江戸っ子のひとたちなどの共存です。
蕪島神社(かぶしまじんじゃ):テレビで時々見ます。『出川哲郎の充電させてもらえませんか?』とか、NHKの『72時間』とか、ほかにも見た記憶はあるのですが、番組名を思い出せません。『旅猿』でも見たような気がするのですが自信がありません。
うーむ。2011年の地震と津波の話が、お決まりのように出てきます。
なんだかなあ。必ず出さねばならぬものなのだろうか。宮藤官九郎さんの意思として『あまちゃん』に震災のことは出したくなかったという記事を思い出しました。なんだろう。創作したときにその話を出す予定はなかった。それから、不幸をネタにして関心をもたせるという手法はよくありません。
種差海岸:たねさしかいがん。こちらも観光地です。
ブドウ虫:釣りのエサ。ガの幼虫
オキアミ:釣りのエサ。エビに似たプランクトン
アオイソメ:釣りのエサ。ミミズのようなムカデのような。
大路優希の母親が『都会の自分』にこだわりをもっている。
内村太一は『明るいキャラ』をかぶっている。
親方の言葉として『つりはしんぼうだ。根気だ。がまん強くまっていればいずれあたりはくる……(あたり:つれたときの目印となる動きの感触)』
実際の釣りと演技の『えびす舞』をつなげる。
ソイ:海の魚。本では体長40センチぐらいのソイが釣れています。メバルとかカサゴのような姿をしている。
(つづく)
言葉がどうだろうか。
方言もそうですが、ほかの言葉も、ときおり、意味がとれなくて、内容をすんなり理解することができません。
この手法は読み手にとっては好ましくありません。
オラんど:自分
フォカッチャ:イタリア料理。平たいパンですが、話の中では、そのパンのことは指していません。
おかっちゃ:母親のこと。
どしたば?:どうした?(うーむ。なにかと会話文が不自然です)
親切からけるってゆってるんで:親切心で言っているので(だろうか?)
いんずい:しっくりこない。うまくいかない。居心地(いごこち)が悪い。
カクメー:食べ物がうまいという意味らしい。
ンダバ:「それなら」という意味だろうか。よくわかりません。
「ヒョロリ」とか「もじゃ毛」とか「ネズミ」とか:ちゃんと氏名で書いてもらったほうがわかりやすい。6年生男子のニックネームというか隠語(いんご。表に出せないような言葉)です。
ジャンギ:「えんぶり」のときに使用する棒
ゆるさねすけな:ゆるさないからな
ごわんなさい:ごめんなさい
ラッキーワッキー 助かりまんぼっ:なんというか。すべっているような。「マンボ」は相当古い時代の言葉です。
ザイ:指揮棒
わかりマリンバ:わかりました
心が弱い人は、うまくいかなかったとき、人のせいにします。
親方が海に落ちるという乱暴な展開があります。
マジカルンバ:本。魔法使いの話
「みんなが主役」という言葉:時と場所と目的で主役やわき役は変化すると思うのですが、この話の場合では、フィット感(ぴったりくる)がありません。
一年上の上級生たちとうまくいきません。
年功序列の意識があるのですが、それも最近は薄れてきました。
ただ、下の者に無礼な態度をとられると年上の者はそれなりの反発をするのが常です。
頭を下げない人間は嫌われます。
『えんぶり』にしても『えびす舞(まい)』にしても、相手がいて、勝ち負けがあるものではないので、出来栄えの評価はなかなかむずかしい。
人から良く思われたいがために、いい人を演じる。
自分の身を守りたい。
生(なま)の自分を表に出すことができない。
内村太一が、自分に自信がない証拠です。
2月17日にえんぶりが開催されました。
読み終えて、こちらの物語は、小学校5年生前後のこどもさんには、むずかしい内容だと思いました。
もう一つ考えたことです。
物語の主題は『自分ではない自分のようなものを演じることはやめようではないか』というものだというメッセージを受け取りました。
現実社会では、だれしもが、職場などでは自分ではない人格(いい人)を演じています。
そんなふたりが夫婦になったときが大変です。
演じている者どうしが結婚すると、お互いにお互いの本当の姿を見て失望します。
時には離婚につながることもあります。こんなはずじゃなかった。
「夫婦」はだめだけれど、「友だち」なら長続きするということはあります。