2020年08月26日
ジョゼと虎と魚たち 田辺聖子
ジョゼと虎と魚たち 田辺聖子 角川文庫
先日同名の実写版映画をDVDで観て深い感銘(かんめい。忘れられないほどの心に深く刻まれた記憶)を受けました。
そこで、原作を読んでみることにしました。今年の12月25日から映画館で、新作アニメ映画も上映されるようです。車いすの障害者女性と男性の恋を描いた作品です。
文庫本のほうは、9本の短編がおさめられています。順番に感想をのせていきます。
全部読んでみての感想ですが、しみじみできるいい文脈でした。
「お茶が熱くてのめません」
大阪に住む元市役所職員の高尾あぐりさん32歳は、現在、売れっ子テレビドラマ作家をしています。そこへ、7年前に別れた恋人のメガネをかけた吉岡36歳が現れます。吉岡は、高尾あぐりを捨てて、親が決めた女性と結婚して家業を継いだのですが、今は、継いだ会社が倒産、離婚、4歳のひとり娘の親権は別れた妻にあるという状況設定です。
この場合、吉岡は、金持ちになった高尾あぐりに借金の無心(むしん。金品をねだる)に来るというのが定番のストーリー仕立てですが、高尾あぐりは、吉岡にカネを与えてもいいと思っています。
されど、彼は、それ以上のものも要求してきます。高尾あぐりは、あきれ果てます。
自己中心的で、他人をいかようにでも利用しようとする人間の心理を上手に描いてあります。そして、吉岡本人には、罪の意識はまったくないのです。この世には、そういう人間が存在するということをくっきりと浮かび上がらせてある作品です。
調べた言葉などとして、
口吻(こうふん):ものの言い方
ヨリを戻す:男女関係が元に戻る。復縁。仲直りをする。
請じ入れる(しょうじいれる):人を家や室内に招き入れる。
ぐっときた言葉として、「いいもの書いたから受ける、とも限らないのよ」
石油ショックの話が出てきました。なつかしい。1973年(昭和48年)でした。買い占めで店頭からトイレットペーパーが消えました。ことしは、コロナウィルスの感染拡大でマスクが消えました。
『経済ドラマ』の話が少し出てきます。『半沢直樹』を創作するヒントが、この作品の中にあったのではないかと推察できるような内容でした。
「うすうす知っていた」
妹に結婚で先を越された姉の気持ちが表現された作品です。さすがにお姉さんの立場はわびしい。
舞台は大阪です。万年筆の卸問屋で事務員をしている梢さん(こずえさん)28歳です。男性との縁がありません。結婚はしたい。いつかきっと結婚できると思っています。
梢さんの二歳年下の妹が碧さん(みどりさん)で、デパートで服飾デザイナーをしています。結婚はしない。仕事一筋でいくと言っていましたが、登山仲間の川越さんという男性と結婚することになりました。そして、川越さんは、姉の梢さんの好きなタイプなのです。
調べた言葉として、「僥倖(ぎょうこう):偶然の幸運」
つらかった近所の人の言葉として、「あんたも負けんように早う嫁きんかいな(いきんかいな)」
「恋の棺(ひつぎ)」
二重人格の女性を扱った作品です。怖ろしい(おそろしい)
宇禰(うね)さんという離婚歴がある29歳の女性がいます。離婚原因は、彼女の二重人格と夫の浮気です。彼女はインテリアのお店で7年間働いています。
宇禰(うね)には、異母弟がいます。有二という名前で19歳の大学生です。宇禰(うね)が、有二をたぶらかします。(だまして惑わす)おそろしい女(ひと)です。
調べた言葉などとして、
譬え(たとえ):同じ種類、性質のものに言い替えること。
印象に残る文章表現として、
「グリム童話にありそうなおそろしい犯罪者たちの孤独な悦楽……彼らはみな精緻(せいち)な二重人格者の心臓をもっていた」
(男は)使い捨てた
人はいかようにでも生きていける。だから、死んでいけない(自死)という教訓が頭に浮かびました。女の強さが表現された作品でした。
「それだけのこと」
女性から見た不倫の話です。
なんのために結婚したのかわからない日常生活を送っている女性が、香織さんです。30歳、流産経験あり。いまは、造花をつくる仕事をしています。
夫は35歳で仕事人間です。家にいる時間は短く、アメリカ出張二週間があっても妻にそのことを伝えるのを忘れたりします。休日はもちろんゴルフです。
香織さんの不倫相手は、24歳独身男性の堀さんです。香織さんがつくった造花を納品する先のブライダルファッションの会社に勤めています。
そして、もうひとりというか、もうひとつ、香織さんと堀さんの間になかだちをするものがあります。それは、てぶくろみたいに手を入れて、親指、人差し指、中指で動かすこぶたの指人形です。名前を、「チキ」といいます。ふたりは、指人形のチキをかわるがわる自分の手につけて、指人形の声で、怪しげ(あやしげ)なやりとりをして楽しみます。
調べた言葉として、
船渡御(ふなとぎょ):神体を船にのせて川を渡す。小説の中では、大阪天満宮での儀式
チュール:布のこと。
土仏(つちぼとけ)の水遊び:土でつくった仏さまが、水に濡れて崩れていくようすのたとえで、身の破滅を招くようなことをすること。
心に残った表現として、
(不倫のふたりの関係のほうが実際の夫婦関係よりも)ありのままにしゃべって、ありのままに笑える。
読んでいると、歴史の風が吹いてくるように感じられる作品でした。そして、それは、過去ではなく、現在という感覚なのです。
「荷造りはもうすませて」
一夫多妻制のイメージがあります。
思い出してみると、自分がこどもだったもう半世紀以上の昔は、お妾さん(おめかけさん)とか、2号さんと呼ばれるような女性が普通に近所で暮らしていて、そういう女性をばかにしたり、見下したりしていたのではなく、そういう職業があるというように肯定されていた存在として社会的に認められていたような気がします。なにせ、社長さんなどのお金持ちの有力者とつながりのある人なのです。
この短編では、44歳の秀夫さんが、再婚前の家に、別れた奥さんと義母と男ふたり、女ひとりのこどもが三人いて、秀夫さんは42歳のえり子さんと再婚して10年経つわけですが、ふたりにはこどもがなく、その他もろもろあって、秀夫さんは、再婚前の家とも行き来があるのです。
その結果、どっちが本宅かわからない状態になっているのです。それを表現する的確な文章として、「向こうの天王寺が本家で、こっちが別宅のような気がしてくるのである」
読んでいて感じたことは、この本は、いい本だということです。おもしろい筋立てでした。
調べた言葉として、
先くぐり:さきくぐり。ふたりの言動の先を悪い内容だろうということにして、かってにこうだろうと決めつけること。
バゼット・ハウンド:101ぴきワンちゃんに出てくるような耳の長い、茶色と白の犬。ハッシュパピーのマスコット。刑事コロンボの飼い犬
コッテ牛:元気のいい牛
「いけどられて」
こどもができなかったというような理由で離婚届を出した夫婦ですが、まだ引っ越し前でふたりは同居しています。主役は、婦人服の製造販売会社で働く梨枝さん35歳で、夫は梨枝さんの三歳年下、実家にいた両親はすでに亡くなってしまった32歳の稔さんです。ふたりの婚姻期間は8年間でした。
ふたりの間に、暴力的な厳しい対立があったので別れるというような殺伐(さつばつ)とした雰囲気があったわけではありません。
稔さんが職場の23歳の大原比呂子さんとできてしまい、さらに、彼女が妊娠してしまいました。
元夫の稔さんは、大原比呂子さんに生け捕られたようなものです。稔さんは、梨枝さんに未練があります。
梨枝さんは、大原比呂子さんに会いました。対立があったわけではありません。35歳の梨枝さんと23歳の大原比呂子さんでは、頭の中にある世界が違いすぎて話がかみ合わないのです。
調べた言葉として、
彼の逡巡(しゅんじゅん):決断できなくてぐずぐずしている。
ジノリ:イタリアの陶磁器メーカー。リチャード・ジノリ
どこかけろんとした子:無意味で無益な子
「ジョゼと虎と魚たち」
この短編と実写版映画の内容は少々異なっていました。されどこの短編もなかなかいい。
この短いお話を内容の味わいを失うことなく、あの長い映画に上手に変化させることができたものだとたいへん驚きました。感心しました。あわせて、心に深く感じるものがありました。
自称「ジョゼ」という名前は、フランスの小説家であるフランソワーズ・サガンの作品からとったという25歳脳性麻痺の障害者山村クミ子さんのことです。家族関係のごたごたがあって、施設にいたこともあり、その後同居してくれていた80歳過ぎの父方祖母も亡くなりました。祖母とふたり暮らしのときから生活保護を受けています。
23歳でジョゼと偶然出会った恒夫がジョゼをサポートします。
映画では、「魚たち」を意味する水族館に行きましたが、水族館閉館日で、お魚を見ることができませんでした。ただし、この小説の中ではちゃんとふたりで、「魚たち」を観ています。
結末も映画と小説では異なりますが、人生は長いから、結末後のふたりがどんなふうになってほしいのかを読者なり、鑑賞者なりが考えて、空想すればいいと思います。
印象に残った文節などとして、
(障害者をねたむ健常者の)「悪意の気配」
人間性の圭角(けいかく):性格や言動にかどがある。
「いばり」はジョゼの甘えの裏返し
「アタイ淋しかったんや(さみしかったんや)」
「男たちはマフィンが嫌い」
なにかしら、虚無感がただよう作品でした。妻でもない。愛人でもない。42歳の離婚経験がある会社社長にうまいように扱われている31歳独身のミミさんです。男性からの愛情が感じられない体だけの関係です。作品全体にむなしい感情がただよっていました。
男の都合のいいように利用されている女性です。
「怨念(おんねん)」という言葉が出てきます。離婚した男性の妻の気持ちです。経済的には困らないので、家事専念の主婦だったそうです。
男が仕事ばかりしていたから、妻は家でぽつんとしていたそうです。そして、不平がたまっていった。そこが、「怨念」です。
男の経済的、肉体的な束縛に頼って暮らす。男をうらみに思う気持ちがあります。ミミさんは男の別れた妻の気持ちに気づいているけれど、自分は違うと思いたい。
男性との体の関係が素晴らしいという話ばかりが続きます。
マフィン:カップケーキみたいなパン
「雪の降るまで」
46歳服地問屋で経理事務をしている未婚女性の以和子さんです。結婚する気はありません。でも、点々と男性を変えながらここまできました。今は、妻がある材木業者の男性大庭(おおば)51歳の愛人という隠れた顔をもっています。
周囲からは、「嫁き遅れた(いきおくれた)陰気なハイ・ミス」と思われているそうですが、実際は、相当なすけべえで、男が好きなのです。本人いわく、70、80(才)まで、男遊びをしたいそうです。
うらやましいとは思いませんでしたが、別世界の出来事だとは思いました。エロの世界のあれやこれやです。
調べた言葉として、
韜晦(とうかい):自分の本心、地位、才能をつつみ隠すこと。
(お酒を)五勺:一勺が、18.039mlだから、五勺は、90.195ml。コップ半分ぐらいか。
*全体を通してですが、名人芸の文章運びでした。
先日同名の実写版映画をDVDで観て深い感銘(かんめい。忘れられないほどの心に深く刻まれた記憶)を受けました。
そこで、原作を読んでみることにしました。今年の12月25日から映画館で、新作アニメ映画も上映されるようです。車いすの障害者女性と男性の恋を描いた作品です。
文庫本のほうは、9本の短編がおさめられています。順番に感想をのせていきます。
全部読んでみての感想ですが、しみじみできるいい文脈でした。
「お茶が熱くてのめません」
大阪に住む元市役所職員の高尾あぐりさん32歳は、現在、売れっ子テレビドラマ作家をしています。そこへ、7年前に別れた恋人のメガネをかけた吉岡36歳が現れます。吉岡は、高尾あぐりを捨てて、親が決めた女性と結婚して家業を継いだのですが、今は、継いだ会社が倒産、離婚、4歳のひとり娘の親権は別れた妻にあるという状況設定です。
この場合、吉岡は、金持ちになった高尾あぐりに借金の無心(むしん。金品をねだる)に来るというのが定番のストーリー仕立てですが、高尾あぐりは、吉岡にカネを与えてもいいと思っています。
されど、彼は、それ以上のものも要求してきます。高尾あぐりは、あきれ果てます。
自己中心的で、他人をいかようにでも利用しようとする人間の心理を上手に描いてあります。そして、吉岡本人には、罪の意識はまったくないのです。この世には、そういう人間が存在するということをくっきりと浮かび上がらせてある作品です。
調べた言葉などとして、
口吻(こうふん):ものの言い方
ヨリを戻す:男女関係が元に戻る。復縁。仲直りをする。
請じ入れる(しょうじいれる):人を家や室内に招き入れる。
ぐっときた言葉として、「いいもの書いたから受ける、とも限らないのよ」
石油ショックの話が出てきました。なつかしい。1973年(昭和48年)でした。買い占めで店頭からトイレットペーパーが消えました。ことしは、コロナウィルスの感染拡大でマスクが消えました。
『経済ドラマ』の話が少し出てきます。『半沢直樹』を創作するヒントが、この作品の中にあったのではないかと推察できるような内容でした。
「うすうす知っていた」
妹に結婚で先を越された姉の気持ちが表現された作品です。さすがにお姉さんの立場はわびしい。
舞台は大阪です。万年筆の卸問屋で事務員をしている梢さん(こずえさん)28歳です。男性との縁がありません。結婚はしたい。いつかきっと結婚できると思っています。
梢さんの二歳年下の妹が碧さん(みどりさん)で、デパートで服飾デザイナーをしています。結婚はしない。仕事一筋でいくと言っていましたが、登山仲間の川越さんという男性と結婚することになりました。そして、川越さんは、姉の梢さんの好きなタイプなのです。
調べた言葉として、「僥倖(ぎょうこう):偶然の幸運」
つらかった近所の人の言葉として、「あんたも負けんように早う嫁きんかいな(いきんかいな)」
「恋の棺(ひつぎ)」
二重人格の女性を扱った作品です。怖ろしい(おそろしい)
宇禰(うね)さんという離婚歴がある29歳の女性がいます。離婚原因は、彼女の二重人格と夫の浮気です。彼女はインテリアのお店で7年間働いています。
宇禰(うね)には、異母弟がいます。有二という名前で19歳の大学生です。宇禰(うね)が、有二をたぶらかします。(だまして惑わす)おそろしい女(ひと)です。
調べた言葉などとして、
譬え(たとえ):同じ種類、性質のものに言い替えること。
印象に残る文章表現として、
「グリム童話にありそうなおそろしい犯罪者たちの孤独な悦楽……彼らはみな精緻(せいち)な二重人格者の心臓をもっていた」
(男は)使い捨てた
人はいかようにでも生きていける。だから、死んでいけない(自死)という教訓が頭に浮かびました。女の強さが表現された作品でした。
「それだけのこと」
女性から見た不倫の話です。
なんのために結婚したのかわからない日常生活を送っている女性が、香織さんです。30歳、流産経験あり。いまは、造花をつくる仕事をしています。
夫は35歳で仕事人間です。家にいる時間は短く、アメリカ出張二週間があっても妻にそのことを伝えるのを忘れたりします。休日はもちろんゴルフです。
香織さんの不倫相手は、24歳独身男性の堀さんです。香織さんがつくった造花を納品する先のブライダルファッションの会社に勤めています。
そして、もうひとりというか、もうひとつ、香織さんと堀さんの間になかだちをするものがあります。それは、てぶくろみたいに手を入れて、親指、人差し指、中指で動かすこぶたの指人形です。名前を、「チキ」といいます。ふたりは、指人形のチキをかわるがわる自分の手につけて、指人形の声で、怪しげ(あやしげ)なやりとりをして楽しみます。
調べた言葉として、
船渡御(ふなとぎょ):神体を船にのせて川を渡す。小説の中では、大阪天満宮での儀式
チュール:布のこと。
土仏(つちぼとけ)の水遊び:土でつくった仏さまが、水に濡れて崩れていくようすのたとえで、身の破滅を招くようなことをすること。
心に残った表現として、
(不倫のふたりの関係のほうが実際の夫婦関係よりも)ありのままにしゃべって、ありのままに笑える。
読んでいると、歴史の風が吹いてくるように感じられる作品でした。そして、それは、過去ではなく、現在という感覚なのです。
「荷造りはもうすませて」
一夫多妻制のイメージがあります。
思い出してみると、自分がこどもだったもう半世紀以上の昔は、お妾さん(おめかけさん)とか、2号さんと呼ばれるような女性が普通に近所で暮らしていて、そういう女性をばかにしたり、見下したりしていたのではなく、そういう職業があるというように肯定されていた存在として社会的に認められていたような気がします。なにせ、社長さんなどのお金持ちの有力者とつながりのある人なのです。
この短編では、44歳の秀夫さんが、再婚前の家に、別れた奥さんと義母と男ふたり、女ひとりのこどもが三人いて、秀夫さんは42歳のえり子さんと再婚して10年経つわけですが、ふたりにはこどもがなく、その他もろもろあって、秀夫さんは、再婚前の家とも行き来があるのです。
その結果、どっちが本宅かわからない状態になっているのです。それを表現する的確な文章として、「向こうの天王寺が本家で、こっちが別宅のような気がしてくるのである」
読んでいて感じたことは、この本は、いい本だということです。おもしろい筋立てでした。
調べた言葉として、
先くぐり:さきくぐり。ふたりの言動の先を悪い内容だろうということにして、かってにこうだろうと決めつけること。
バゼット・ハウンド:101ぴきワンちゃんに出てくるような耳の長い、茶色と白の犬。ハッシュパピーのマスコット。刑事コロンボの飼い犬
コッテ牛:元気のいい牛
「いけどられて」
こどもができなかったというような理由で離婚届を出した夫婦ですが、まだ引っ越し前でふたりは同居しています。主役は、婦人服の製造販売会社で働く梨枝さん35歳で、夫は梨枝さんの三歳年下、実家にいた両親はすでに亡くなってしまった32歳の稔さんです。ふたりの婚姻期間は8年間でした。
ふたりの間に、暴力的な厳しい対立があったので別れるというような殺伐(さつばつ)とした雰囲気があったわけではありません。
稔さんが職場の23歳の大原比呂子さんとできてしまい、さらに、彼女が妊娠してしまいました。
元夫の稔さんは、大原比呂子さんに生け捕られたようなものです。稔さんは、梨枝さんに未練があります。
梨枝さんは、大原比呂子さんに会いました。対立があったわけではありません。35歳の梨枝さんと23歳の大原比呂子さんでは、頭の中にある世界が違いすぎて話がかみ合わないのです。
調べた言葉として、
彼の逡巡(しゅんじゅん):決断できなくてぐずぐずしている。
ジノリ:イタリアの陶磁器メーカー。リチャード・ジノリ
どこかけろんとした子:無意味で無益な子
「ジョゼと虎と魚たち」
この短編と実写版映画の内容は少々異なっていました。されどこの短編もなかなかいい。
この短いお話を内容の味わいを失うことなく、あの長い映画に上手に変化させることができたものだとたいへん驚きました。感心しました。あわせて、心に深く感じるものがありました。
自称「ジョゼ」という名前は、フランスの小説家であるフランソワーズ・サガンの作品からとったという25歳脳性麻痺の障害者山村クミ子さんのことです。家族関係のごたごたがあって、施設にいたこともあり、その後同居してくれていた80歳過ぎの父方祖母も亡くなりました。祖母とふたり暮らしのときから生活保護を受けています。
23歳でジョゼと偶然出会った恒夫がジョゼをサポートします。
映画では、「魚たち」を意味する水族館に行きましたが、水族館閉館日で、お魚を見ることができませんでした。ただし、この小説の中ではちゃんとふたりで、「魚たち」を観ています。
結末も映画と小説では異なりますが、人生は長いから、結末後のふたりがどんなふうになってほしいのかを読者なり、鑑賞者なりが考えて、空想すればいいと思います。
印象に残った文節などとして、
(障害者をねたむ健常者の)「悪意の気配」
人間性の圭角(けいかく):性格や言動にかどがある。
「いばり」はジョゼの甘えの裏返し
「アタイ淋しかったんや(さみしかったんや)」
「男たちはマフィンが嫌い」
なにかしら、虚無感がただよう作品でした。妻でもない。愛人でもない。42歳の離婚経験がある会社社長にうまいように扱われている31歳独身のミミさんです。男性からの愛情が感じられない体だけの関係です。作品全体にむなしい感情がただよっていました。
男の都合のいいように利用されている女性です。
「怨念(おんねん)」という言葉が出てきます。離婚した男性の妻の気持ちです。経済的には困らないので、家事専念の主婦だったそうです。
男が仕事ばかりしていたから、妻は家でぽつんとしていたそうです。そして、不平がたまっていった。そこが、「怨念」です。
男の経済的、肉体的な束縛に頼って暮らす。男をうらみに思う気持ちがあります。ミミさんは男の別れた妻の気持ちに気づいているけれど、自分は違うと思いたい。
男性との体の関係が素晴らしいという話ばかりが続きます。
マフィン:カップケーキみたいなパン
「雪の降るまで」
46歳服地問屋で経理事務をしている未婚女性の以和子さんです。結婚する気はありません。でも、点々と男性を変えながらここまできました。今は、妻がある材木業者の男性大庭(おおば)51歳の愛人という隠れた顔をもっています。
周囲からは、「嫁き遅れた(いきおくれた)陰気なハイ・ミス」と思われているそうですが、実際は、相当なすけべえで、男が好きなのです。本人いわく、70、80(才)まで、男遊びをしたいそうです。
うらやましいとは思いませんでしたが、別世界の出来事だとは思いました。エロの世界のあれやこれやです。
調べた言葉として、
韜晦(とうかい):自分の本心、地位、才能をつつみ隠すこと。
(お酒を)五勺:一勺が、18.039mlだから、五勺は、90.195ml。コップ半分ぐらいか。
*全体を通してですが、名人芸の文章運びでした。
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