2020年06月30日
3年A組-今から皆さんは人質です- テレビドラマDVD
3年A組-今から皆さんは人質です- テレビドラマDVD 2019年放映
有名なドラマのようですが見たことがありません。
第一話を見て、これは、一家だんらんで楽しく家族で見るにはきつい内容だと思いました。
教室に集められた中学生同士が、最後のひとりになるまで殺し合うという邦画「バトルロワイアル(生き残りのための殺し合い)」をイメージしましたが、3年A組の場合は、菅田将暉さん演じる高校美術教師が狂人のようになって、自殺した女生徒の自殺した理由を突き止めようと、クラス全員を締めあげます。教師が、生徒を教室に閉じ込めて、10日間教育をするドラマとなっています。
「第一話」
教室のメンバーということで、登場人物がいっぱい。覚えられるだろうか。あとは、なにかしらテンポが速い。スピードについていけるだろうか。
いきなり、菅田将暉さんが、「10日間を全力で生き抜いた」というような言葉を残して、校舎の屋上から後ろ向きで転落していきます。
奇想天外な空想ほら話パターンの始まりと受け取りました。ゲームのようです。
人質にされた生徒たちは、菅田将暉さん演じる柊一楓(ひいらぎ・いぶき、愛称ブッキー)を殺すぐらいの気持ちでぶつかっていきますが、彼には勝てません。菅田将暉さんは、爆弾の力で、生徒の心理をコントロールします。
生徒の親も、ほかの教師も、警察も、無力です。
いわゆるいじめの加害者生徒に対する教師の復讐に見えるのですが、ブッキーは、「これは教育だ」と主張します。
むずかしい話です。まっ白では生きられない人間社会があります。正義を貫き通すドラマになりそうです。
上白石萌歌(かみしらいし・もか)さんが演じる影山澪奈(かげやま・れいな)さんが自殺した生徒で、彼女は、水泳のオリンピック代表候補だったそうです。(ただ、役者さんの体格なので、とても水泳の日本代表選手候補には見えません。その違和感は最後まで続きました)
永野芽郁(ながの・めい)さんが演じる茅野さくらさん(かやの・さくらさん)が、自殺した影山澪奈さんの親友でした。さくらさんが、澪奈さんの自殺の鍵を握っているようです。
第一話では、自殺した影山澪奈さんに対するシカト(存在否定行為)があったことが判明しました。
「第二話」
第二話では、フェイク(うそ)のSNS情報を流した人間が教室の中にいることがわかります。水泳オリンピック代表候補選手である影山澪奈(かげやまれいな)さんに、ドーピングの薬物違反があったということです。
菅田将暉さんは、復讐のためにDV男になっている殺人鬼に見えますが、あらかじめ綿密なプランに基づいて、ロボットのように機械的に、感情を抑えて行動しているように見えます。推理ドラマ仕立ての要素もあります。
土村芳(つちむら・かほ)さんが演じる相良文香(さがら・ふみか)さんというメンタルの病気で休職中の教師がなにか今回の事件にからんでいるようです。
なんだか、現実社会の出来事として起きた女子プロレスラーの自殺事件とも印象が重なります。
「第三話」「第四話」
3月3日、そして、3月4日の出来事としてあります。
種明かしをした状態での進行となりましたので、興味をそがれる展開でもあります。
視聴者からのクレームを避けるという安全策の意味合いがあるとしか思えませんが、テレビ向けではない作品です。映画向きです。映画だったら最後までからくりを秘密にして突っ走れたのに。テレビドラマ化で、惜しい作品になりました。
ところどころつくりが嘘くさくて荒い。警察が所有者の了解もなしに携帯電話を借りることはないでしょう。(あと、最終回で、教室で同窓会なのですが、教育施設である学校教室で、お茶菓子ジュースを並べて、卒業生とはいえ部外者が、パーティのような会合を開いて教室を使用できるとは思えませんでした)
予想される視聴者からの反発として、問題を教師の暴力で解決することはできません。
主人公の先生が言った言葉で良かったのは、「変わるなら今だ!」
いろいろとあばかれていきます。
先生が気を失って倒れてしまいました。どうなったのだろう。なにか、余命が決まった病気でももっているのか。
「第五話」「第六話」
もうネタバレしているので、観るのをやめようか。
同年齢のこどもたちの会話なので、話に広がりがなく、得るものがありません。これ以上見ても苦痛を感じるだけかと。
「第七話」「第八話」
もう観るのをやめるつもりでしたが、まだ、どんでん返しがありそうなので、とりあえず続けて観ることにしました。
正義があったとしても、主人公の先生がしていることは犯罪です。また、生徒たちの言動もなんの根拠もないし、事件解決の成果につながるものではありません。生徒たちは犯罪の被害者です。
(全体をとおしてですが)BGMの音楽がうるさかった。
大きなひっくりかえしが起こる時間帯にまで至りました。
「フェイク」というのが、いまどきのはやりなのか。「コンフィデンスマン」も同じような意味合いなのでしょう。嘘、詐欺、だまし
「ネットにさらされたらその人の人生が一変する」
ただ、ネットを使わなければ無関係ということもあります。
内容が、よくわかりません。そもそも、いろいろなことを隠す必要があるとは思えないのです。
「第九話」「第十話」
ラストの『死なせてたまるかよ』が良かった。その部分は感動しました。ただ、そこまで到達するまでが長かった。くどかった。ドラマづくりにおいて、時間配分がうまくいかなかったのではないか。菅田将暉さんの熱演あってこそのこのドラマですが、ずっとセリフを大声で発声し続ける演技では、観ているほうも疲れるし嫌気がさしてきます。もっとコンパクトでもメッセージは伝えられた。
ソーシャル・ネットワーク・システムにおける誹謗・中傷をやめましょう。相手を追い詰めるようなことをして、自殺者を出さないようにしましょうという呼びかけがありました。このドラマが放映されたあとなのに、現実社会で、自殺者が出てしまったのはどういうことなのか。
取り締まる法律をつくって、刑事事件として、刑罰を適用する方向へ世の中は流れていくのでしょう。また、民事として、裁判所に損害賠償請求も提起されるのでしょう。ネットに誹謗・中傷の投稿をした人は、脅迫、恐喝、強要の罪で氏名が公表されるようになるのでしょう。
ドラマとしては、どれもこれもつくりもののシーンで、つじつまが合わないのですが、ドラマはドラマということで受け止めました。自殺はしないでほしい。命は大事です。
有名なドラマのようですが見たことがありません。
第一話を見て、これは、一家だんらんで楽しく家族で見るにはきつい内容だと思いました。
教室に集められた中学生同士が、最後のひとりになるまで殺し合うという邦画「バトルロワイアル(生き残りのための殺し合い)」をイメージしましたが、3年A組の場合は、菅田将暉さん演じる高校美術教師が狂人のようになって、自殺した女生徒の自殺した理由を突き止めようと、クラス全員を締めあげます。教師が、生徒を教室に閉じ込めて、10日間教育をするドラマとなっています。
「第一話」
教室のメンバーということで、登場人物がいっぱい。覚えられるだろうか。あとは、なにかしらテンポが速い。スピードについていけるだろうか。
いきなり、菅田将暉さんが、「10日間を全力で生き抜いた」というような言葉を残して、校舎の屋上から後ろ向きで転落していきます。
奇想天外な空想ほら話パターンの始まりと受け取りました。ゲームのようです。
人質にされた生徒たちは、菅田将暉さん演じる柊一楓(ひいらぎ・いぶき、愛称ブッキー)を殺すぐらいの気持ちでぶつかっていきますが、彼には勝てません。菅田将暉さんは、爆弾の力で、生徒の心理をコントロールします。
生徒の親も、ほかの教師も、警察も、無力です。
いわゆるいじめの加害者生徒に対する教師の復讐に見えるのですが、ブッキーは、「これは教育だ」と主張します。
むずかしい話です。まっ白では生きられない人間社会があります。正義を貫き通すドラマになりそうです。
上白石萌歌(かみしらいし・もか)さんが演じる影山澪奈(かげやま・れいな)さんが自殺した生徒で、彼女は、水泳のオリンピック代表候補だったそうです。(ただ、役者さんの体格なので、とても水泳の日本代表選手候補には見えません。その違和感は最後まで続きました)
永野芽郁(ながの・めい)さんが演じる茅野さくらさん(かやの・さくらさん)が、自殺した影山澪奈さんの親友でした。さくらさんが、澪奈さんの自殺の鍵を握っているようです。
第一話では、自殺した影山澪奈さんに対するシカト(存在否定行為)があったことが判明しました。
「第二話」
第二話では、フェイク(うそ)のSNS情報を流した人間が教室の中にいることがわかります。水泳オリンピック代表候補選手である影山澪奈(かげやまれいな)さんに、ドーピングの薬物違反があったということです。
菅田将暉さんは、復讐のためにDV男になっている殺人鬼に見えますが、あらかじめ綿密なプランに基づいて、ロボットのように機械的に、感情を抑えて行動しているように見えます。推理ドラマ仕立ての要素もあります。
土村芳(つちむら・かほ)さんが演じる相良文香(さがら・ふみか)さんというメンタルの病気で休職中の教師がなにか今回の事件にからんでいるようです。
なんだか、現実社会の出来事として起きた女子プロレスラーの自殺事件とも印象が重なります。
「第三話」「第四話」
3月3日、そして、3月4日の出来事としてあります。
種明かしをした状態での進行となりましたので、興味をそがれる展開でもあります。
視聴者からのクレームを避けるという安全策の意味合いがあるとしか思えませんが、テレビ向けではない作品です。映画向きです。映画だったら最後までからくりを秘密にして突っ走れたのに。テレビドラマ化で、惜しい作品になりました。
ところどころつくりが嘘くさくて荒い。警察が所有者の了解もなしに携帯電話を借りることはないでしょう。(あと、最終回で、教室で同窓会なのですが、教育施設である学校教室で、お茶菓子ジュースを並べて、卒業生とはいえ部外者が、パーティのような会合を開いて教室を使用できるとは思えませんでした)
予想される視聴者からの反発として、問題を教師の暴力で解決することはできません。
主人公の先生が言った言葉で良かったのは、「変わるなら今だ!」
いろいろとあばかれていきます。
先生が気を失って倒れてしまいました。どうなったのだろう。なにか、余命が決まった病気でももっているのか。
「第五話」「第六話」
もうネタバレしているので、観るのをやめようか。
同年齢のこどもたちの会話なので、話に広がりがなく、得るものがありません。これ以上見ても苦痛を感じるだけかと。
「第七話」「第八話」
もう観るのをやめるつもりでしたが、まだ、どんでん返しがありそうなので、とりあえず続けて観ることにしました。
正義があったとしても、主人公の先生がしていることは犯罪です。また、生徒たちの言動もなんの根拠もないし、事件解決の成果につながるものではありません。生徒たちは犯罪の被害者です。
(全体をとおしてですが)BGMの音楽がうるさかった。
大きなひっくりかえしが起こる時間帯にまで至りました。
「フェイク」というのが、いまどきのはやりなのか。「コンフィデンスマン」も同じような意味合いなのでしょう。嘘、詐欺、だまし
「ネットにさらされたらその人の人生が一変する」
ただ、ネットを使わなければ無関係ということもあります。
内容が、よくわかりません。そもそも、いろいろなことを隠す必要があるとは思えないのです。
「第九話」「第十話」
ラストの『死なせてたまるかよ』が良かった。その部分は感動しました。ただ、そこまで到達するまでが長かった。くどかった。ドラマづくりにおいて、時間配分がうまくいかなかったのではないか。菅田将暉さんの熱演あってこそのこのドラマですが、ずっとセリフを大声で発声し続ける演技では、観ているほうも疲れるし嫌気がさしてきます。もっとコンパクトでもメッセージは伝えられた。
ソーシャル・ネットワーク・システムにおける誹謗・中傷をやめましょう。相手を追い詰めるようなことをして、自殺者を出さないようにしましょうという呼びかけがありました。このドラマが放映されたあとなのに、現実社会で、自殺者が出てしまったのはどういうことなのか。
取り締まる法律をつくって、刑事事件として、刑罰を適用する方向へ世の中は流れていくのでしょう。また、民事として、裁判所に損害賠償請求も提起されるのでしょう。ネットに誹謗・中傷の投稿をした人は、脅迫、恐喝、強要の罪で氏名が公表されるようになるのでしょう。
ドラマとしては、どれもこれもつくりもののシーンで、つじつまが合わないのですが、ドラマはドラマということで受け止めました。自殺はしないでほしい。命は大事です。
2020年06月29日
月と珊瑚(るなとさんご) 上條さなえ 2020課題図書
月と珊瑚(るなとさんご) 上條さなえ(かみじょう・さなえ) 講談社 2020課題図書
とりあえず、40ページまで読みました。タイトルの意味がわかりました。「月(るな)」も「珊瑚(さんご)」も人の名前です。「月」は、つきとは読まずに、「るな」と読みます。
「月」は英語でいうと、「ムーン」です。「ルナ」は、ラテン語で、「月の女神」です。ローマ神話に出てきます。
この物語の舞台は、沖縄で、夏の読書感想文の課題図書ですから、第二次世界大戦のことが書いてあるのかもしれないと予想しました。
日記の形式で書いてあります。序章から始まって、第十三章まで、14個の文章のかたまりがあります。日記は、4月9日月曜日からスタートしました。以降、4/11、4/14、4/15、4/18、4/20、4/23、5/3、5/7、5/8、5/9、5/11、5/14、5/16、5/18、5/20、5/22、6/1、6/4、6/5、6/9、6/10、6/16、6/19、6/23(慰霊の日。県民の休日。第二次世界大戦で、米軍が沖縄に上陸して、日本軍が全滅した日。敵味方合わせて24万人以上が亡くなった。みんな生きたかった)そして、7/3、7/6、7/10と続きます。
主人公のおおしろ・さんごさんのことです。小学校6年生ですが、『大城珊瑚』という自分の名前の漢字が難しくて、まだちゃんと自分の名前を漢字で書けません。ほかの漢字も書けない字が多いので、日記を書きながら漢字を覚えます。沖縄民謡を歌います。いまほしいものは、『スマホ』です。
大城珊瑚のお母さんは、九州の福岡県で美容師として働いていて、いっしょには暮らしていませんが、お母さんのお母さんであるおばあさんルリバーといっしょに1DKのアパートの部屋で生活しています。(1DK:ひと部屋とダイニングキッチンの部屋)
アパートの家主のこどもが、珊瑚の同級生同じクラスの親友の仲村くるみで、彼女は、大城珊瑚のことを、「サン」と呼びます。さんごのさんだから、サンなのでしょう。
ルリバー:大城珊瑚の祖母は沖縄県の県庁所在地那覇市(なはし)国際通りにある民謡酒場で働いています。ルリバーは、民謡歌手で、沖縄民謡を教えています。芸名は、『大城ルリ子』本人が好きな女優浅丘ルリ子からとりました。おばあさんだから、『ルリバー』と呼んでねという本人の希望があります。
泉月(いずみ・るな):29ページの絵を見ると男の子のように見えますが女の子です。4月20日に沖縄県の新都心小学校に来た東京からの転校生です。見た目が、男か女かよくわからない。背が高くてすらっとしていてかっこいい。宝塚歌劇で上演された『ベルサイユのばら』に登場するオスカルに似ています。オスカルは女子だけど、男子のように育てられ、軍隊のリーダーになります。(わたしは、ベルサイユのばらのストーリーを知りません。この部分を読んで、初めて、オスカルは女性だったことを知りました。ずっと男性だと思っていました)三才のときに母と祖母が対立していて、母は家を出て行方不明になっています。
登場する人たちなどです。
ネコのダイヤ:いつもおおしろ・さんごとけんかをしている。デブネコ。メス。三年前公園で、さんごが拾ってきました。三年前に避妊手術を受けた。避妊手術とは、こどもができないようにする手術のことです。
みずはら・しおん(水原詩音):学級委員の女子。去年の10月に東京から沖縄県那覇市(なはし)にある新都心小学校5年1組に転校してきました。今は、6年生の1学期で4月です。
バカ三人組:おおしろ・さんご(大城珊瑚)ときんじょう・りょうと(金城亮)、ひが・けん(比嘉賢)
ワンタクシー(わたしのタクシーという意味)の運転手:比嘉賢のおじいちゃん。ルリバーから沖縄民謡を教わっている。ルリバーのファンで、ルリバーを「先生」と呼ぶ
仲村くるみ:大城珊瑚の親友。クラス一背が低いが、胸は一番大きい。大城珊瑚が住むアパートの大家さんのうちの子ども。イヌもネコも飼っている。
担任の池城先生
好子さん:よしこさん。森月(もり・るな)の祖母。大阪で、「えびす酒場」を経営していた。そこで、ルリバーが働いていたことがある。
調べた言葉などとして、
うりずんの風:潤い初め(うるおいぞめ)沖縄で、二月から四月ごろまでの間に吹く風。春を迎えた風
ジーファー:沖縄のかんざし。女性が着物を着たときに頭髪にさす飾り。沖縄の髪型として、「うちなーからじ」「カンプー」沖縄の着物の着方として、「琉装(りゅうそう)」
月桃:げっとう。多年草。白くておおきなつぼみをたくさんつける。白い花
エイサ―:沖縄、鹿児島奄美の伝統芸能。お盆に行う。亡くなった霊を迎える。
レイヤーカット:髪に段差をつけるカット
ジュリ馬まつり:那覇市で開催される奉納演舞。三月頃。ジュリは、遊女。遊郭で働いていた女性。遊郭は、男が女遊びをするところ。
ブルーシールのバニラ:ブルーシールは沖縄の企業。アイスクリームを売っている。
ちんすこう:沖縄の伝統的なお菓子。ビスケットみたい。
わん:自分ということ。沖縄の方言
うちなーからじ:沖縄独特の髪結いの髪型
ガジュマル公園とガジュマルにすむ妖怪キムジナー:ガジュマルは大きな木です。キムジナーはちっちゃな男の子みたいな妖怪
ウェストタワーマンション:豪華なタワーマンション
オスプレイ:米軍のヘリコプター。プロペラの向きを変えて飛ぶことができるが、墜落事故もあった。
宮古島:台湾に近い島
名護市:沖縄本島のまんかなより少し上にある市(ルリバーの家族のお墓がある)
子ども食堂:主体は地域住民や自治体。無料または、低価格でこどもたちに食事を提供する。貧困状態にある子どもを救う。共働きの家のこどもの孤独な食事を避ける。
てぃんさぐぬ花:沖縄民謡。厄除けにホウセンカを使って爪を染める。親の教えを子に染めるという意味合い。
平和月間:沖縄は、六月が平和月間となっている。平和集会がある。本土では8月15日が終戦の日だが、沖縄では、米軍が上陸して日本軍が全滅した6月23日を慰霊の日としている。
糸満:いとまん。沖縄本島最南端にある市
沖縄の歴史として:琉球王国(りゅうきゅうおうこく)→明治政府ができて日本国に統治されて沖縄県となる(しまことばが禁止された)→第二次世界大戦後、アメリカ合衆国の権力下におかれる(立法、司法、行政を行使する権限)→沖縄の日本復帰1972年5月15日(昭和47年)
嘉手納基地(かでなきち)普天間基地(ふてんまきち):沖縄にある米軍基地。嘉手納基地は、羽田空港の二倍の面積がある。海の近くにある。普天間基地は、宜野湾市(ぎのわんし)の街のまんなかにある。辺野古(へのこ)への移転問題がある。なお、米軍基地は、沖縄本土内にほかにもたくさんある。沖縄には行ったことがありますが、そういったことをきちんと知ったのは今回この本を読んで調べてからです。本土の人間は沖縄のことを知らないということがありますが、逆の立場に立ってみると、人は今自分が住んでいるところの情報を覚えるだけで、せいいっぱいということもあります)
話のテンポは結構早くて、新しい情報が次々と出てくるので、ついていくのがちょっと大変です。また、良い効果を狙ってのことでしょうが、正直言って、方言がわかりにくいです。
(つづく)
この本を読んでいるときに、テレビ番組徹子の部屋にゲストで出てきたタレントの小島よしおさんのお母さんが、沖縄の人ということで出ておられました。この物語の主人公大城珊瑚さんの祖母ルリバーに似ている雰囲気のお母さんで人物像が重なりました。小島さんのお母さんは、琉球空手(りゅうきゅうからて)とか、琉球舞踊(りゅうきゅうぶよう)のお話をされていました。
強調された言葉、印象に残った言葉などとして、
「沖縄は、戦後、血と涙とサンゴ礁でできた島ともいってもいいくらい、ひさんな戦争を経験した。県民の四人にひとりが死んだ」
「沖縄で生れた女は、生き抜かなきゃいけんのよ」(沖縄出身の女性歌手の人たちを思い出します)
素材がかなり古いような。ベルサイユのばらのオスカルとか、浅丘ルリ子さんとか。ここ10年ぐらい前に生まれたこどもたちにはわからないのでは。
反戦小説なのですが、ちょっといっぽうにかたよりがあるような。名護の海岸に堕ちた(おちた)オスプレイの墜落事故とか、辺野古移設工事反対の座り込みとか。物事には二面性があるわけで、子ども相手に極端になるのはどうかと。大丈夫かしらと心配になる66ページ付近です。
反戦と、ベルばらのオスカルをからめた女子同士の恋と、子ども民謡大会で優勝を目指すことと、こどもの貧困のことと、だんだんややこしくなってきました。
貧乏だからこどもが悪くなるということはありません。こどものころ貧乏でもちゃんと生活している人はたくさんいます。また、ひとりの人間でも、一生貧乏とは決まっていません。昔貧乏でもいまはそうではない人もいますし、昔お金があった人でも今はお金がない人もいます。
ルリバーには、秘密があるようです。本名の「山田すみ」を人には知られたくない。
親族の元をたどると、遊女につながるということをたいへん苦にされているルリバーです。職業に貴賤はないともいいます。(きせんはないともいいます。どのような仕事でも、社会では必要とされている。働いて収入を得て自活していくことは人間としての営みの基本で、職業の内容によって人を差別することはいけないという考え方です)
沖縄に生まれて育つ女性の魂を子孫に伝承する気合が伝わってくる作品でした。
とりあえず、40ページまで読みました。タイトルの意味がわかりました。「月(るな)」も「珊瑚(さんご)」も人の名前です。「月」は、つきとは読まずに、「るな」と読みます。
「月」は英語でいうと、「ムーン」です。「ルナ」は、ラテン語で、「月の女神」です。ローマ神話に出てきます。
この物語の舞台は、沖縄で、夏の読書感想文の課題図書ですから、第二次世界大戦のことが書いてあるのかもしれないと予想しました。
日記の形式で書いてあります。序章から始まって、第十三章まで、14個の文章のかたまりがあります。日記は、4月9日月曜日からスタートしました。以降、4/11、4/14、4/15、4/18、4/20、4/23、5/3、5/7、5/8、5/9、5/11、5/14、5/16、5/18、5/20、5/22、6/1、6/4、6/5、6/9、6/10、6/16、6/19、6/23(慰霊の日。県民の休日。第二次世界大戦で、米軍が沖縄に上陸して、日本軍が全滅した日。敵味方合わせて24万人以上が亡くなった。みんな生きたかった)そして、7/3、7/6、7/10と続きます。
主人公のおおしろ・さんごさんのことです。小学校6年生ですが、『大城珊瑚』という自分の名前の漢字が難しくて、まだちゃんと自分の名前を漢字で書けません。ほかの漢字も書けない字が多いので、日記を書きながら漢字を覚えます。沖縄民謡を歌います。いまほしいものは、『スマホ』です。
大城珊瑚のお母さんは、九州の福岡県で美容師として働いていて、いっしょには暮らしていませんが、お母さんのお母さんであるおばあさんルリバーといっしょに1DKのアパートの部屋で生活しています。(1DK:ひと部屋とダイニングキッチンの部屋)
アパートの家主のこどもが、珊瑚の同級生同じクラスの親友の仲村くるみで、彼女は、大城珊瑚のことを、「サン」と呼びます。さんごのさんだから、サンなのでしょう。
ルリバー:大城珊瑚の祖母は沖縄県の県庁所在地那覇市(なはし)国際通りにある民謡酒場で働いています。ルリバーは、民謡歌手で、沖縄民謡を教えています。芸名は、『大城ルリ子』本人が好きな女優浅丘ルリ子からとりました。おばあさんだから、『ルリバー』と呼んでねという本人の希望があります。
泉月(いずみ・るな):29ページの絵を見ると男の子のように見えますが女の子です。4月20日に沖縄県の新都心小学校に来た東京からの転校生です。見た目が、男か女かよくわからない。背が高くてすらっとしていてかっこいい。宝塚歌劇で上演された『ベルサイユのばら』に登場するオスカルに似ています。オスカルは女子だけど、男子のように育てられ、軍隊のリーダーになります。(わたしは、ベルサイユのばらのストーリーを知りません。この部分を読んで、初めて、オスカルは女性だったことを知りました。ずっと男性だと思っていました)三才のときに母と祖母が対立していて、母は家を出て行方不明になっています。
登場する人たちなどです。
ネコのダイヤ:いつもおおしろ・さんごとけんかをしている。デブネコ。メス。三年前公園で、さんごが拾ってきました。三年前に避妊手術を受けた。避妊手術とは、こどもができないようにする手術のことです。
みずはら・しおん(水原詩音):学級委員の女子。去年の10月に東京から沖縄県那覇市(なはし)にある新都心小学校5年1組に転校してきました。今は、6年生の1学期で4月です。
バカ三人組:おおしろ・さんご(大城珊瑚)ときんじょう・りょうと(金城亮)、ひが・けん(比嘉賢)
ワンタクシー(わたしのタクシーという意味)の運転手:比嘉賢のおじいちゃん。ルリバーから沖縄民謡を教わっている。ルリバーのファンで、ルリバーを「先生」と呼ぶ
仲村くるみ:大城珊瑚の親友。クラス一背が低いが、胸は一番大きい。大城珊瑚が住むアパートの大家さんのうちの子ども。イヌもネコも飼っている。
担任の池城先生
好子さん:よしこさん。森月(もり・るな)の祖母。大阪で、「えびす酒場」を経営していた。そこで、ルリバーが働いていたことがある。
調べた言葉などとして、
うりずんの風:潤い初め(うるおいぞめ)沖縄で、二月から四月ごろまでの間に吹く風。春を迎えた風
ジーファー:沖縄のかんざし。女性が着物を着たときに頭髪にさす飾り。沖縄の髪型として、「うちなーからじ」「カンプー」沖縄の着物の着方として、「琉装(りゅうそう)」
月桃:げっとう。多年草。白くておおきなつぼみをたくさんつける。白い花
エイサ―:沖縄、鹿児島奄美の伝統芸能。お盆に行う。亡くなった霊を迎える。
レイヤーカット:髪に段差をつけるカット
ジュリ馬まつり:那覇市で開催される奉納演舞。三月頃。ジュリは、遊女。遊郭で働いていた女性。遊郭は、男が女遊びをするところ。
ブルーシールのバニラ:ブルーシールは沖縄の企業。アイスクリームを売っている。
ちんすこう:沖縄の伝統的なお菓子。ビスケットみたい。
わん:自分ということ。沖縄の方言
うちなーからじ:沖縄独特の髪結いの髪型
ガジュマル公園とガジュマルにすむ妖怪キムジナー:ガジュマルは大きな木です。キムジナーはちっちゃな男の子みたいな妖怪
ウェストタワーマンション:豪華なタワーマンション
オスプレイ:米軍のヘリコプター。プロペラの向きを変えて飛ぶことができるが、墜落事故もあった。
宮古島:台湾に近い島
名護市:沖縄本島のまんかなより少し上にある市(ルリバーの家族のお墓がある)
子ども食堂:主体は地域住民や自治体。無料または、低価格でこどもたちに食事を提供する。貧困状態にある子どもを救う。共働きの家のこどもの孤独な食事を避ける。
てぃんさぐぬ花:沖縄民謡。厄除けにホウセンカを使って爪を染める。親の教えを子に染めるという意味合い。
平和月間:沖縄は、六月が平和月間となっている。平和集会がある。本土では8月15日が終戦の日だが、沖縄では、米軍が上陸して日本軍が全滅した6月23日を慰霊の日としている。
糸満:いとまん。沖縄本島最南端にある市
沖縄の歴史として:琉球王国(りゅうきゅうおうこく)→明治政府ができて日本国に統治されて沖縄県となる(しまことばが禁止された)→第二次世界大戦後、アメリカ合衆国の権力下におかれる(立法、司法、行政を行使する権限)→沖縄の日本復帰1972年5月15日(昭和47年)
嘉手納基地(かでなきち)普天間基地(ふてんまきち):沖縄にある米軍基地。嘉手納基地は、羽田空港の二倍の面積がある。海の近くにある。普天間基地は、宜野湾市(ぎのわんし)の街のまんなかにある。辺野古(へのこ)への移転問題がある。なお、米軍基地は、沖縄本土内にほかにもたくさんある。沖縄には行ったことがありますが、そういったことをきちんと知ったのは今回この本を読んで調べてからです。本土の人間は沖縄のことを知らないということがありますが、逆の立場に立ってみると、人は今自分が住んでいるところの情報を覚えるだけで、せいいっぱいということもあります)
話のテンポは結構早くて、新しい情報が次々と出てくるので、ついていくのがちょっと大変です。また、良い効果を狙ってのことでしょうが、正直言って、方言がわかりにくいです。
(つづく)
この本を読んでいるときに、テレビ番組徹子の部屋にゲストで出てきたタレントの小島よしおさんのお母さんが、沖縄の人ということで出ておられました。この物語の主人公大城珊瑚さんの祖母ルリバーに似ている雰囲気のお母さんで人物像が重なりました。小島さんのお母さんは、琉球空手(りゅうきゅうからて)とか、琉球舞踊(りゅうきゅうぶよう)のお話をされていました。
強調された言葉、印象に残った言葉などとして、
「沖縄は、戦後、血と涙とサンゴ礁でできた島ともいってもいいくらい、ひさんな戦争を経験した。県民の四人にひとりが死んだ」
「沖縄で生れた女は、生き抜かなきゃいけんのよ」(沖縄出身の女性歌手の人たちを思い出します)
素材がかなり古いような。ベルサイユのばらのオスカルとか、浅丘ルリ子さんとか。ここ10年ぐらい前に生まれたこどもたちにはわからないのでは。
反戦小説なのですが、ちょっといっぽうにかたよりがあるような。名護の海岸に堕ちた(おちた)オスプレイの墜落事故とか、辺野古移設工事反対の座り込みとか。物事には二面性があるわけで、子ども相手に極端になるのはどうかと。大丈夫かしらと心配になる66ページ付近です。
反戦と、ベルばらのオスカルをからめた女子同士の恋と、子ども民謡大会で優勝を目指すことと、こどもの貧困のことと、だんだんややこしくなってきました。
貧乏だからこどもが悪くなるということはありません。こどものころ貧乏でもちゃんと生活している人はたくさんいます。また、ひとりの人間でも、一生貧乏とは決まっていません。昔貧乏でもいまはそうではない人もいますし、昔お金があった人でも今はお金がない人もいます。
ルリバーには、秘密があるようです。本名の「山田すみ」を人には知られたくない。
親族の元をたどると、遊女につながるということをたいへん苦にされているルリバーです。職業に貴賤はないともいいます。(きせんはないともいいます。どのような仕事でも、社会では必要とされている。働いて収入を得て自活していくことは人間としての営みの基本で、職業の内容によって人を差別することはいけないという考え方です)
沖縄に生まれて育つ女性の魂を子孫に伝承する気合が伝わってくる作品でした。
2020年06月28日
ヒロシマ消えたかぞく 指田和 2020課題図書
ヒロシマ消えたかぞく 指田和(さしだ・かず 女性) ポプラ社 2020課題図書
中学生向けの夏の読書感想文課題図書『平和のバトン』を読み終えたあとに、こちらの小学生高学年向けの課題図書を読みました。課題図書で、1945年8月6日に原子爆弾が投下された広島のお話を続けて読みました。
こちらの本は、写真絵本で反戦を訴えます。
(1回目の本読み)
文章は読まずに、写真だけを目で追いながら、いろいろ考えました。
白黒写真です。どのおうちにも、とくに、おじいさんおばあさんがいるお宅なら、白黒写真がたくさんおさめられた昔のアルバムがどこかに保管してあるでしょう。
昔は家族を構成するメンバーの数が多かった。こどもの数が多かった。きょうだいが全員そろうと、7人とか、8人とかがざらにいました。また、三世代家族が多かった。祖父母、父母、こどもたちです。ひ孫がいると四世代で、ひいおじいさんやひいおばあさんがいますが、当時は寿命がそれほど長くなかったので珍しかった。むしろ、日本人が長生きになった今のほうが、ひいおじいさんやひいおばあさんの数が多いような気がします。
白黒写真に写っているこどもは、無邪気です。勉強はあまりしていなかったみたいな感じがします。
あかちゃんをたらいおけの中で産湯につけて洗っています。60年ぐらい前までは、あかちゃんは、自宅でお産婆さんにとりあげられていました。病院で生れるあかちゃんは少なかった。だから、長男とか長女で生れたこどもは、次男とか次女として次に生まれてきたきょうだいが自宅で生れた時のようすを覚えている人もいます。
ページをめくる途中に、原子爆弾が投下された絵があります。真っ暗に近い絵です。
むごい。さきほどまで、明るく楽しそうに写真に写っていたこどもたちが、いったいなにをしたというのか。
(2回目の本読み)
こんどは、文章も読みながら、写真を追っていきます。
おとうさんは、鈴木六郎さんで、床屋さんです。
おかあさんが、フジエさん。
英昭おにいちゃんがいて、本のなかにいる『わたし』が、公子(きみこ)さん、いっしょに写真に写っているのが、和子ちゃんです。その全員が、爆弾で亡くなります。つらいです。原爆のバカヤローです。
ペットのネコのクロとイヌのニイも写真の中にはいます。でもきっと、原子爆弾が爆発したあと、二匹とも、この世には、もういなかったと思います。
からだが少し大きくなったこどもの公子(きみこ)さんが、ネコのクロを背中におんぶしています。公子(きみこ)さんは、のんびりした雰囲気をただよわせながら、笑顔で写真に写っています。
扇風機の前で、前足を出して足を振っているネコのクロはまるで、人間みたいな動きをしています。
公子(きみこ)さんの後ろに写っている花は、白梅に見えます。原爆さえなければ、これからも公子(きみこ)さんは、すくすくと大きくなって成長していく予定でした。
公子さんに、年下の新しいきょうだいが生まれました。弟の護(まもる)くんと、妹の昭子さんです。全員で、四人きょうだいになりました。
家族の数がだんだん増えてきました。でも、もうすぐ、みんなこの世からいなくなります。
瀬戸内海に浮かぶ厳島神社(いつくしまじんじゃ)の鳥居(とりい)が、写真の背景に写っています。いまも、現地には、赤い鳥居が建っていますが、本の中にある写真に写っている英昭さんはこどものままで、この世を去られています。
公子さんのお父さんである床屋の六郎さんは、原子爆弾の放射線を浴びて亡くなりました。
公子さんのお母さんである六郎さんの奥さんのフジエさんは、家族がだれも生きていないことを知って井戸に飛び込んで自殺しました。フジエさんは、大きなショックを受けたのです。生きていく希望を失ったのです。
作家野坂昭如(のさか・あきゆき)さんの作品で、『火垂るの墓(ほたるのはか)』があります。戦争の犠牲になった兄と妹の物語でした。英昭ちゃんと公子(きみこ)ちゃんも同様の体験をしました。
まだちいさかった護(まもる)くんと昭子ちゃんも小さな骨になってしまいました。生まれて来たばかりなのに、もう亡くなってしまった命があります。
本の中には、そしてだれもいなくなって、影だけになってしまった六人家族の絵があります。
無関心でいて、放置しておくと、人間は、最後には、自分で自分の首を絞めて、絶滅してしまいます。
ヒロシマからは、ひとつの家族が消えました。
これから先、この地球から、すべての人間が消えることがあってはならないのです。
(あとがきの部分を読みました)
作者は2016年の夏に鈴木六郎さんたちの写真と出会っておられます。
以前、わたしは、第二次世界大戦というものがなくて、世界中の戦死者の人たちが今もなお生きておられたら、どんな世界になっていただろうかと考えたことがありました。
あわせて、どうして、戦争になってしまったのだろうかとも考えました。
人間の限度を超えた欲望は抑制しなければなりません。お金よりも命のほうが大事です。
本の内容は、胸に鋭く突き刺さってきました。
人間って、なんなのだろう。人間には、いいところもあるし、そうでないところもある。悪いほうにいかないように、コントロールしていくことが大事です。
家族愛を強調する内容の本でした。
最近の日本社会は、夫婦や、親子、きょうだい同志の関係のなかで殺人事件が起こったりします。家族とはなに? ということを問う本でもありました。
中学生向けの夏の読書感想文課題図書『平和のバトン』を読み終えたあとに、こちらの小学生高学年向けの課題図書を読みました。課題図書で、1945年8月6日に原子爆弾が投下された広島のお話を続けて読みました。
こちらの本は、写真絵本で反戦を訴えます。
(1回目の本読み)
文章は読まずに、写真だけを目で追いながら、いろいろ考えました。
白黒写真です。どのおうちにも、とくに、おじいさんおばあさんがいるお宅なら、白黒写真がたくさんおさめられた昔のアルバムがどこかに保管してあるでしょう。
昔は家族を構成するメンバーの数が多かった。こどもの数が多かった。きょうだいが全員そろうと、7人とか、8人とかがざらにいました。また、三世代家族が多かった。祖父母、父母、こどもたちです。ひ孫がいると四世代で、ひいおじいさんやひいおばあさんがいますが、当時は寿命がそれほど長くなかったので珍しかった。むしろ、日本人が長生きになった今のほうが、ひいおじいさんやひいおばあさんの数が多いような気がします。
白黒写真に写っているこどもは、無邪気です。勉強はあまりしていなかったみたいな感じがします。
あかちゃんをたらいおけの中で産湯につけて洗っています。60年ぐらい前までは、あかちゃんは、自宅でお産婆さんにとりあげられていました。病院で生れるあかちゃんは少なかった。だから、長男とか長女で生れたこどもは、次男とか次女として次に生まれてきたきょうだいが自宅で生れた時のようすを覚えている人もいます。
ページをめくる途中に、原子爆弾が投下された絵があります。真っ暗に近い絵です。
むごい。さきほどまで、明るく楽しそうに写真に写っていたこどもたちが、いったいなにをしたというのか。
(2回目の本読み)
こんどは、文章も読みながら、写真を追っていきます。
おとうさんは、鈴木六郎さんで、床屋さんです。
おかあさんが、フジエさん。
英昭おにいちゃんがいて、本のなかにいる『わたし』が、公子(きみこ)さん、いっしょに写真に写っているのが、和子ちゃんです。その全員が、爆弾で亡くなります。つらいです。原爆のバカヤローです。
ペットのネコのクロとイヌのニイも写真の中にはいます。でもきっと、原子爆弾が爆発したあと、二匹とも、この世には、もういなかったと思います。
からだが少し大きくなったこどもの公子(きみこ)さんが、ネコのクロを背中におんぶしています。公子(きみこ)さんは、のんびりした雰囲気をただよわせながら、笑顔で写真に写っています。
扇風機の前で、前足を出して足を振っているネコのクロはまるで、人間みたいな動きをしています。
公子(きみこ)さんの後ろに写っている花は、白梅に見えます。原爆さえなければ、これからも公子(きみこ)さんは、すくすくと大きくなって成長していく予定でした。
公子さんに、年下の新しいきょうだいが生まれました。弟の護(まもる)くんと、妹の昭子さんです。全員で、四人きょうだいになりました。
家族の数がだんだん増えてきました。でも、もうすぐ、みんなこの世からいなくなります。
瀬戸内海に浮かぶ厳島神社(いつくしまじんじゃ)の鳥居(とりい)が、写真の背景に写っています。いまも、現地には、赤い鳥居が建っていますが、本の中にある写真に写っている英昭さんはこどものままで、この世を去られています。
公子さんのお父さんである床屋の六郎さんは、原子爆弾の放射線を浴びて亡くなりました。
公子さんのお母さんである六郎さんの奥さんのフジエさんは、家族がだれも生きていないことを知って井戸に飛び込んで自殺しました。フジエさんは、大きなショックを受けたのです。生きていく希望を失ったのです。
作家野坂昭如(のさか・あきゆき)さんの作品で、『火垂るの墓(ほたるのはか)』があります。戦争の犠牲になった兄と妹の物語でした。英昭ちゃんと公子(きみこ)ちゃんも同様の体験をしました。
まだちいさかった護(まもる)くんと昭子ちゃんも小さな骨になってしまいました。生まれて来たばかりなのに、もう亡くなってしまった命があります。
本の中には、そしてだれもいなくなって、影だけになってしまった六人家族の絵があります。
無関心でいて、放置しておくと、人間は、最後には、自分で自分の首を絞めて、絶滅してしまいます。
ヒロシマからは、ひとつの家族が消えました。
これから先、この地球から、すべての人間が消えることがあってはならないのです。
(あとがきの部分を読みました)
作者は2016年の夏に鈴木六郎さんたちの写真と出会っておられます。
以前、わたしは、第二次世界大戦というものがなくて、世界中の戦死者の人たちが今もなお生きておられたら、どんな世界になっていただろうかと考えたことがありました。
あわせて、どうして、戦争になってしまったのだろうかとも考えました。
人間の限度を超えた欲望は抑制しなければなりません。お金よりも命のほうが大事です。
本の内容は、胸に鋭く突き刺さってきました。
人間って、なんなのだろう。人間には、いいところもあるし、そうでないところもある。悪いほうにいかないように、コントロールしていくことが大事です。
家族愛を強調する内容の本でした。
最近の日本社会は、夫婦や、親子、きょうだい同志の関係のなかで殺人事件が起こったりします。家族とはなに? ということを問う本でもありました。
2020年06月27日
平和のバトン 弓狩匡澄(ゆがり・まさずみ) 2020課題図書
平和のバトン 弓狩匡澄(ゆがり・まさずみ) くもん出版 2020課題図書
1945年(昭和20年)8月6日月曜日午前8時15分広島に原子爆弾が投下されたお話です。
毎年、読書感想文コンクールの課題図書には、第二次世界大戦に関する本が何冊か選ばれます。
『過ちを繰り返さない』ために、子孫への伝承が必要です。
『対立の解決として「戦争」を選択してはいけない』というメッセージを次の世代にも伝えていかなければ、悲惨な不幸が繰り返されてしまいます。
読みながら感想を書き足していきます。
75年ぐらい前になりますから、現在、それ以上の年齢の方は、戦争体験者です。永い時が流れました。これからも平和であってほしい。
第一章から第六章まであります。タイトルにもあるとおり、読んでいただいて、平和のバトンを次の世代となる人へ渡します。
原子爆弾が広島に投下された当時の広島県立広島第二中学校(現在の広島観音高校)に通っていた中学生のお話から始まります。
地図を見たらその学校は、原爆ドームがそばにある平和記念公園の近くにある学校でした。以前、その高校のそばの道路を、自家用車を運転して走ったことがあるのを思い出しました。
平和公園には二回行ったことがあります。その後知ったことですが、爆心地は、原爆ドームの近くにあり、そのあたりにあった貸し駐車場に自家用車を停めました。本を読んでいて内容を身近に感じることができました。
本のカバーを見ると、パレットと絵筆、絵の具の青、緑、黄色、橙色、赤、白があるので、この本は、絵(美術)のことを書いてあるのでしょう。
日本にとっての第二次世界大戦は、1941年12月8日が開戦で、1945年8月15日が終戦でした。
建物疎開:空襲で火災が広がることを防ぐためにあらかじめ建物を取り壊しておくこと。本の中では、中学一年生のみなさんが、取り壊したあとの片付け作業を行っています。建物に住んでいた人たちは、立ち退きをしなければなりません。
B-29:大型戦略爆撃機。原子爆弾を投下した当時の高度は1万メートルだった。わずか3機で来て、1発の原子爆弾を投下した。飛行機の機体の長さは全長30mぐらい。原子爆弾の長さは、長さ3mぐらい、直径1.5mぐらい。小さな爆弾で十万人以上の人たちが命を落とした。そして、わずか三日後の8月9日には長崎市にも原子爆弾が投下されました。
長崎原爆資料館で、原子爆弾の模型を見たことがあります。こんなちいさなもので、おおぜいの人たちが死んだり傷ついたりして、かつ、その後何十年間も放射能による後遺症に悩む人が出たのかと、驚きと悲しみに包まれました。
他の資料を読むと、原爆を投下したアメリカ合衆国のパイロットたちは、職務としてしたことで、悪いのは、戦争を引き起こした日本をコントロールしていた当時の軍部上層部としています。
戦争を終結させるという目的があったとは思いますが、仕事として給料をもらうためならなんでもやるのかと、人間というものには、恐ろしい面があると感じます。また、原子爆弾の実験をしてみたかったというアメリカ合衆国側に、黄色人種を人としてみない人種差別的な意識も感じられます。
本書では12ページに、爆心地から半径500メートル圏内にいた約2万1663名が数秒間のうちに即死、原爆が投下された1945年末までに14万人余りが亡くなったそうです。そうやって考えてみると、広島、長崎で多数の犠牲者が出て、ようやく終戦を迎えることができたという戦争の悲惨さがあります。戦争というものは、始めるときよりもやめるときのほうがむずかしい。
(つづく)
『次世代と描く原爆の絵』活動に関する記述が続きます。2007年から、広島市立基町高等学校の創造表現コースでスタートしています。被災者の話を聴いて、一年生と二年生の生徒さんが絵にします。
「記憶」を「記録」に代えるために、原子爆弾が投下された当時の情景を絵画にして後世に残す。目的は、二度と不幸な戦争を起こさないため。
24ページにある現在の「原爆ドーム」である当時の「産業奨励館」の絵がきれいです。落ち着いた穏やかな建物に見えます。
内容を読んでいると、2020年の今の時代では、「次世代へ」というよりも、「次々世代へ」という感じがします。被ばく三世(孫の世代)の方もいらっしゃいます。ただ、ご本人に実感はないようです。 悲惨な体験を風化させないためにも絵を残さなければなりません。
どうも読んでいると、当時の中学・高校の生徒は、教室で勉強していたのではなく、戦争に関する労役を提供する者として、作業に従事していたことがわかります。
建物疎開で、家屋を取り壊したあとの片付け作業に従事していた。女子は、飛行機のプロペラをつくる工場で働いていた。農作業もしていたようです。
作品『この世界の片隅に』は、読んだこともありますし、アニメ映画も観ました。日常生活を描いたしみじみする作品でした。また、今回この本を読んで、広島湾では、凪(なぎ)が発生する。(本書では、海風と陸風が入れかわり、風がパタリと止むことを凪というとあります)ということを知り、『この世界の片隅に』を書かれたこうの史代さんのもうひとつの作品『夕凪の街 桜の国』の意味がわかりました。
被爆者は、被爆当時のことを話したがらなかった。思い出したくないつらい過去だった。生き残った罪悪感もあった。
印象に残った部分などです。
自分のちぎれたうでを自分の手でもって歩いていた人が倒れて亡くなった。
さきざき、娘の嫁入り道具を用意するために、大工の父親が、いい樫(かし)の材木を貯めていた。
広島県人にとって、原子爆弾が投下された8月6日は特別な日だけれど、広島を出て、ほかのところで暮らしてみると、他府県の人たちにとっては、ふつうの一日になっている。(この部分を読んで、沖縄県民のことが頭に浮かびました。6月23日慰霊の日のことを知る本土の人も少ない。同日は、米軍が沖縄に上陸して日本軍が全滅した日です。両軍の兵士と一般人で、24万人以上が亡くなったと知りました。たいてい、人というものは、自分の身のまわり、2.5mの範囲内のことにしか興味をもてないというのがわたしの持論です)
『憎しみからはなにも生まれない』70歳になって、講和で被爆体験を語ったところ、それを聴いていた米国人の高校生が、「許してください」と謝罪に来て、頭を下げた。
被ばくして、いまも生きている人たちは3万468名だけれど、あと何十年かで、0名になる。被爆者の記憶が記録として残るように絵画は描かれた。
これからは、若い人たちが中心になって、戦争を選択しないように考えて行動してほしいというこの本全体からのメッセージがあります。
13歳男子は、お母さんのお弁当箱をかかえて白骨化で発見された。
現在85歳の方の言葉として、『地獄はあの世にあるのではなく、この世にある』
『プールサイドの惨劇』という絵の中にいる人から苦しむ叫び声が聞こえてくるようです。この状態が、当時は、東京まですぐに伝わらなかった。三日後には、今度は長崎に原爆が投下された。そして、米軍は原子爆弾の実験をしたかった。
井伏鱒二さんの小説「黒い雨」を思い出しました。広島原爆を扱った作品です。『静かな恐怖を描く』に強い印象を受けました。作品は、『自宅の前で黒い雨に遭う自分(じたくのまえでくろいあめにあうじぶん)』放射能を帯びた雨に濡れて被ばくされています。
8歳で被ばく。現在81歳の人の言葉でいいなと思ったのは、『だれかに話すことで、こころを軽くする』人に話せば、楽になれます。
『脳裏から離れないあの子の眼(め)』かなりきつい作品です。こちらをにらんでいるように見ている少年の強い視線がありますが、彼はすでに亡くなっています。むごい。
『再会』文章にもあるとおり、きれいな青空が広がっているのに、地上には苦しみ、そして、再会時の強い喜びがあります。娘と父親は、再会は果たしたものの、お父さんは、翌々年のお正月に原爆症で亡くなっています。原爆の放射線が人間の細胞を壊します。
最後に思ったことは、『絵画に心を育ててもらう』
1945年(昭和20年)8月6日月曜日午前8時15分広島に原子爆弾が投下されたお話です。
毎年、読書感想文コンクールの課題図書には、第二次世界大戦に関する本が何冊か選ばれます。
『過ちを繰り返さない』ために、子孫への伝承が必要です。
『対立の解決として「戦争」を選択してはいけない』というメッセージを次の世代にも伝えていかなければ、悲惨な不幸が繰り返されてしまいます。
読みながら感想を書き足していきます。
75年ぐらい前になりますから、現在、それ以上の年齢の方は、戦争体験者です。永い時が流れました。これからも平和であってほしい。
第一章から第六章まであります。タイトルにもあるとおり、読んでいただいて、平和のバトンを次の世代となる人へ渡します。
原子爆弾が広島に投下された当時の広島県立広島第二中学校(現在の広島観音高校)に通っていた中学生のお話から始まります。
地図を見たらその学校は、原爆ドームがそばにある平和記念公園の近くにある学校でした。以前、その高校のそばの道路を、自家用車を運転して走ったことがあるのを思い出しました。
平和公園には二回行ったことがあります。その後知ったことですが、爆心地は、原爆ドームの近くにあり、そのあたりにあった貸し駐車場に自家用車を停めました。本を読んでいて内容を身近に感じることができました。
本のカバーを見ると、パレットと絵筆、絵の具の青、緑、黄色、橙色、赤、白があるので、この本は、絵(美術)のことを書いてあるのでしょう。
日本にとっての第二次世界大戦は、1941年12月8日が開戦で、1945年8月15日が終戦でした。
建物疎開:空襲で火災が広がることを防ぐためにあらかじめ建物を取り壊しておくこと。本の中では、中学一年生のみなさんが、取り壊したあとの片付け作業を行っています。建物に住んでいた人たちは、立ち退きをしなければなりません。
B-29:大型戦略爆撃機。原子爆弾を投下した当時の高度は1万メートルだった。わずか3機で来て、1発の原子爆弾を投下した。飛行機の機体の長さは全長30mぐらい。原子爆弾の長さは、長さ3mぐらい、直径1.5mぐらい。小さな爆弾で十万人以上の人たちが命を落とした。そして、わずか三日後の8月9日には長崎市にも原子爆弾が投下されました。
長崎原爆資料館で、原子爆弾の模型を見たことがあります。こんなちいさなもので、おおぜいの人たちが死んだり傷ついたりして、かつ、その後何十年間も放射能による後遺症に悩む人が出たのかと、驚きと悲しみに包まれました。
他の資料を読むと、原爆を投下したアメリカ合衆国のパイロットたちは、職務としてしたことで、悪いのは、戦争を引き起こした日本をコントロールしていた当時の軍部上層部としています。
戦争を終結させるという目的があったとは思いますが、仕事として給料をもらうためならなんでもやるのかと、人間というものには、恐ろしい面があると感じます。また、原子爆弾の実験をしてみたかったというアメリカ合衆国側に、黄色人種を人としてみない人種差別的な意識も感じられます。
本書では12ページに、爆心地から半径500メートル圏内にいた約2万1663名が数秒間のうちに即死、原爆が投下された1945年末までに14万人余りが亡くなったそうです。そうやって考えてみると、広島、長崎で多数の犠牲者が出て、ようやく終戦を迎えることができたという戦争の悲惨さがあります。戦争というものは、始めるときよりもやめるときのほうがむずかしい。
(つづく)
『次世代と描く原爆の絵』活動に関する記述が続きます。2007年から、広島市立基町高等学校の創造表現コースでスタートしています。被災者の話を聴いて、一年生と二年生の生徒さんが絵にします。
「記憶」を「記録」に代えるために、原子爆弾が投下された当時の情景を絵画にして後世に残す。目的は、二度と不幸な戦争を起こさないため。
24ページにある現在の「原爆ドーム」である当時の「産業奨励館」の絵がきれいです。落ち着いた穏やかな建物に見えます。
内容を読んでいると、2020年の今の時代では、「次世代へ」というよりも、「次々世代へ」という感じがします。被ばく三世(孫の世代)の方もいらっしゃいます。ただ、ご本人に実感はないようです。 悲惨な体験を風化させないためにも絵を残さなければなりません。
どうも読んでいると、当時の中学・高校の生徒は、教室で勉強していたのではなく、戦争に関する労役を提供する者として、作業に従事していたことがわかります。
建物疎開で、家屋を取り壊したあとの片付け作業に従事していた。女子は、飛行機のプロペラをつくる工場で働いていた。農作業もしていたようです。
作品『この世界の片隅に』は、読んだこともありますし、アニメ映画も観ました。日常生活を描いたしみじみする作品でした。また、今回この本を読んで、広島湾では、凪(なぎ)が発生する。(本書では、海風と陸風が入れかわり、風がパタリと止むことを凪というとあります)ということを知り、『この世界の片隅に』を書かれたこうの史代さんのもうひとつの作品『夕凪の街 桜の国』の意味がわかりました。
被爆者は、被爆当時のことを話したがらなかった。思い出したくないつらい過去だった。生き残った罪悪感もあった。
印象に残った部分などです。
自分のちぎれたうでを自分の手でもって歩いていた人が倒れて亡くなった。
さきざき、娘の嫁入り道具を用意するために、大工の父親が、いい樫(かし)の材木を貯めていた。
広島県人にとって、原子爆弾が投下された8月6日は特別な日だけれど、広島を出て、ほかのところで暮らしてみると、他府県の人たちにとっては、ふつうの一日になっている。(この部分を読んで、沖縄県民のことが頭に浮かびました。6月23日慰霊の日のことを知る本土の人も少ない。同日は、米軍が沖縄に上陸して日本軍が全滅した日です。両軍の兵士と一般人で、24万人以上が亡くなったと知りました。たいてい、人というものは、自分の身のまわり、2.5mの範囲内のことにしか興味をもてないというのがわたしの持論です)
『憎しみからはなにも生まれない』70歳になって、講和で被爆体験を語ったところ、それを聴いていた米国人の高校生が、「許してください」と謝罪に来て、頭を下げた。
被ばくして、いまも生きている人たちは3万468名だけれど、あと何十年かで、0名になる。被爆者の記憶が記録として残るように絵画は描かれた。
これからは、若い人たちが中心になって、戦争を選択しないように考えて行動してほしいというこの本全体からのメッセージがあります。
13歳男子は、お母さんのお弁当箱をかかえて白骨化で発見された。
現在85歳の方の言葉として、『地獄はあの世にあるのではなく、この世にある』
『プールサイドの惨劇』という絵の中にいる人から苦しむ叫び声が聞こえてくるようです。この状態が、当時は、東京まですぐに伝わらなかった。三日後には、今度は長崎に原爆が投下された。そして、米軍は原子爆弾の実験をしたかった。
井伏鱒二さんの小説「黒い雨」を思い出しました。広島原爆を扱った作品です。『静かな恐怖を描く』に強い印象を受けました。作品は、『自宅の前で黒い雨に遭う自分(じたくのまえでくろいあめにあうじぶん)』放射能を帯びた雨に濡れて被ばくされています。
8歳で被ばく。現在81歳の人の言葉でいいなと思ったのは、『だれかに話すことで、こころを軽くする』人に話せば、楽になれます。
『脳裏から離れないあの子の眼(め)』かなりきつい作品です。こちらをにらんでいるように見ている少年の強い視線がありますが、彼はすでに亡くなっています。むごい。
『再会』文章にもあるとおり、きれいな青空が広がっているのに、地上には苦しみ、そして、再会時の強い喜びがあります。娘と父親は、再会は果たしたものの、お父さんは、翌々年のお正月に原爆症で亡くなっています。原爆の放射線が人間の細胞を壊します。
最後に思ったことは、『絵画に心を育ててもらう』
2020年06月26日
出川哲朗の充電バイクの旅 茨城県鹿嶋神宮~千葉県成田山新勝寺
出川哲朗の充電バイクの旅 茨城県鹿嶋神宮~千葉県成田山新勝寺 2018年分再放送
ゲストは、石原良純さんでした。にぎやかでした。
鹿島神宮で、出川さんが、お掃除をしていたちょっと太った神社の男性の人に、七福神に見えると話されたのが、失礼ではあったけれどおもしろくて笑いました。
石原良純さんの勘違いで寄る予定ではなかった『潮来市内あやめ祭り』はヒットでした。潮来市での結婚式、嫁入り舟風景が良かった。根回しなしのロケなので、カメラアングルが良くなかったのですが、そこがこの番組のいいところです。
この充電バイク番組は、よく結婚式のシーンに出会います。日柄がいい日にロケをするようにしているのかもしれません。その後、今回結婚式で主演されていたカップルにあかちゃんが誕生しています。写真の姿がほほえましい。あっというまにこどもさんがおふたり生まれていて、幸福感がただよっていました。
香取市佐原でのうなぎの食事がおいしそうで良かった。
古い町並みもいい雰囲気が出ていました。京都の町家風の建物がホテルになっていてなかなか風情がありました。佐原商家町ホテルでした。
香取神宮入口にある食事処(しょくじどころ)で飼っている九官鳥が、「コンニチハ」「オダンゴホシイヨ」「ジャーネー」としゃべったのが良かった。小さなこどもに見せてあげたい。きっとびっくりして、喜びます。
出川さんはここでも妊婦さんと出会って、いつものように安産のお祈りをされていました。おかげで、元気なあかちゃんが生まれたと映像で紹介がありました。おめでとうございます。
充電先の近くに住んでおられた一般の方の家のリビングが立派でおしゃれで上品でうらやましかった。出川さんが言ったように、デビ夫人の家のリビングのようでした。照明も床も素敵でした。
放送枠が1時間でしたが、短い時間で、次々とあわただしかった。長いロケ時間を編集するのはたいへんでしょう。
最後に紹介があった成田山新勝寺は行ったことがあるので、周辺道路の様子も覚えており、見ていて落ち着きました。
ゲストは、石原良純さんでした。にぎやかでした。
鹿島神宮で、出川さんが、お掃除をしていたちょっと太った神社の男性の人に、七福神に見えると話されたのが、失礼ではあったけれどおもしろくて笑いました。
石原良純さんの勘違いで寄る予定ではなかった『潮来市内あやめ祭り』はヒットでした。潮来市での結婚式、嫁入り舟風景が良かった。根回しなしのロケなので、カメラアングルが良くなかったのですが、そこがこの番組のいいところです。
この充電バイク番組は、よく結婚式のシーンに出会います。日柄がいい日にロケをするようにしているのかもしれません。その後、今回結婚式で主演されていたカップルにあかちゃんが誕生しています。写真の姿がほほえましい。あっというまにこどもさんがおふたり生まれていて、幸福感がただよっていました。
香取市佐原でのうなぎの食事がおいしそうで良かった。
古い町並みもいい雰囲気が出ていました。京都の町家風の建物がホテルになっていてなかなか風情がありました。佐原商家町ホテルでした。
香取神宮入口にある食事処(しょくじどころ)で飼っている九官鳥が、「コンニチハ」「オダンゴホシイヨ」「ジャーネー」としゃべったのが良かった。小さなこどもに見せてあげたい。きっとびっくりして、喜びます。
出川さんはここでも妊婦さんと出会って、いつものように安産のお祈りをされていました。おかげで、元気なあかちゃんが生まれたと映像で紹介がありました。おめでとうございます。
充電先の近くに住んでおられた一般の方の家のリビングが立派でおしゃれで上品でうらやましかった。出川さんが言ったように、デビ夫人の家のリビングのようでした。照明も床も素敵でした。
放送枠が1時間でしたが、短い時間で、次々とあわただしかった。長いロケ時間を編集するのはたいへんでしょう。
最後に紹介があった成田山新勝寺は行ったことがあるので、周辺道路の様子も覚えており、見ていて落ち着きました。
2020年06月25日
出川哲朗充電バイクの旅 鎌倉から伊豆半島ほぼ一周の旅
出川哲朗充電バイクの旅 鎌倉から伊豆半島ほぼ一周の旅 テレビ番組
第三弾2015年12月30日放送分の旅を編集しなおして再放送です。ゲストは、千秋さんとよゐこの濱口優さんです。新型ウィルスの影響のためとはいえ、観たことがないので助かります。
鎌倉をスタート以降、とにかく、どこも、海がきれいです。
江の島と背景に富士山、駄菓子屋さんのおじさんと行ったトンネルごしの海の光景、海が見える畳敷きの食事場所などです。
江の島の神社でひいたおみくじは、大吉なのに、旅は、「利なし。行かぬが吉」に笑いました。そして、番組の最後も大いにこけていました。(海が見える露天の温泉が臨時休業で入れず)笑えました。
さすが温泉場です。立派なお風呂が続きます。
夜9時過ぎて、10時近くになっても泊れる宿が見つかりません。すごい。常識の枠をはずれていますがおもしろい。出会う人たちもおもしろい。自分のホテルがどこにあるのかわからなくなって迷子になっているほろ酔いのおじさんほか。
出川さんは、中山エミリさんを千秋さんと間違えたり、辺見えみりさんと間違えたり、中山エミリさんに対して、とても失礼でした。
千秋さんのわがままキャラがおもしろい。
濱口さんはいつも誠実な人です。
夕日が海に沈むのは、早いです。
最後のほうに出た中学生たちがさわやかでした。ラストシーンづくりがうまくいかなかった出川さんたちに対して、「ドンマーイ」
出川さんのひとことがうれしい。「日本人はいい人が多い」
第三弾2015年12月30日放送分の旅を編集しなおして再放送です。ゲストは、千秋さんとよゐこの濱口優さんです。新型ウィルスの影響のためとはいえ、観たことがないので助かります。
鎌倉をスタート以降、とにかく、どこも、海がきれいです。
江の島と背景に富士山、駄菓子屋さんのおじさんと行ったトンネルごしの海の光景、海が見える畳敷きの食事場所などです。
江の島の神社でひいたおみくじは、大吉なのに、旅は、「利なし。行かぬが吉」に笑いました。そして、番組の最後も大いにこけていました。(海が見える露天の温泉が臨時休業で入れず)笑えました。
さすが温泉場です。立派なお風呂が続きます。
夜9時過ぎて、10時近くになっても泊れる宿が見つかりません。すごい。常識の枠をはずれていますがおもしろい。出会う人たちもおもしろい。自分のホテルがどこにあるのかわからなくなって迷子になっているほろ酔いのおじさんほか。
出川さんは、中山エミリさんを千秋さんと間違えたり、辺見えみりさんと間違えたり、中山エミリさんに対して、とても失礼でした。
千秋さんのわがままキャラがおもしろい。
濱口さんはいつも誠実な人です。
夕日が海に沈むのは、早いです。
最後のほうに出た中学生たちがさわやかでした。ラストシーンづくりがうまくいかなかった出川さんたちに対して、「ドンマーイ」
出川さんのひとことがうれしい。「日本人はいい人が多い」