2019年08月07日

夏の騎士 百田尚樹

夏の騎士 百田尚樹 新潮社

 先日著者が、小説はもう書きたいことを書き尽くしたので、これで最後にするという記事を読みました。そういうものかもしれません。これまで著者の本をたくさん読みました。「永遠の0(ゼロ)」から始まって、自分としては、一番のお気に入りは、サムライ小説の「影法師」です。

 さて、書店でこの本を手に取り、最初の数ページに目を通しました。ちょっと勘違いして読んでしまいましたが、主人公が生活保護を受給している少年がおとなになった今の言葉だと思い、おもしろそうと思って購入して読み始めましたが、生活保護を受給している世帯のこどもは、木島陽介(未婚母子家庭)です。3人組が騎士団を結成するのですが、みな、小学6年生です。主人公は、遠藤宏志(父子ともに臆病者、両親不仲で将来離婚)、団員のもうひとりが、高頭健太(たかとう・けんた、兄二人は優秀、父は医師、本人は吃音)です。
 主人公は、今は40代になっていて、31年前、昭和の最後の年の夏のふりかえりとなっています。洋画「スタンドバイミー」を意識しているようです。

 場所は大阪地方、どのあたりか知りませんが北摂地方(ほくせつちほう、大阪北部と兵庫県南東部)とあります。天羽市にある天羽小学校です。
 騎士団が守る女神が有村由布子(ありむら・ゆうこ)帰国子女です。いじわるな女子が壬生紀子(みぶ・のりこ、母親が精神病)です。
 女子小学生の殺人事件が物語の中に置いてありますが、ここに書くことはやめておきます。

 少年時代の秘密基地話はなつかしい。今もそういう遊びは残っているのだろうか。ないような気がします。

 騎士団の三人とも、気弱で臆病、いじめられるタイプで、勉強も運動もできない感じで、劣等感をもっています。だから、騎士団を結成したのです。強い人間になりたい。
 三人いたから、いじめにあわなかったと40代になっているリーダーだった遠藤宏志が今、語ります。

 騎士団メンバーで、殺人犯人を見つけるという設定がおもしろい。

(つづく)

 読み終えました。午前11時半から読み始めて、途中用事を済ませながら、翌朝午前5時半ころに読み終えました。
 本の帯にある「あの夏ぼくは勇気を手に入れた」という言葉に実感が湧きます。最後はさわやかな気分になりました。多少マンガチック、男性視線を感じますが、満足しました。児童文学の位置づけもできる小説でした。正直に生きた者が幸せになるのです。

 人と人とのからみあいが上手に表現されています。ストーリーテラー(語りべ)です。

 見た目で人を誤解してしまう。いじめが生まれる。差別がある。男女差別、学力差別、家族に関する差別、経済力の差別、それらと闘う内容です。

 騎士団の騎士になる(強くて優しい。正しい。仲間を助ける。勇敢。レディを守る)ということが柱になっています。

 いったん失った信頼を回復するためには、時間がかかります。

 小学6年生という年齢は、社会での本当のことが見えてくる時期なのでしょう。

 後半、川遊びをしに行くあたりは、何が起こるのだろうかと、不安とわくわく感がありました。事件・事故が起こるのではないか。

 こどもの頃に読んだ「トムソーヤーの冒険」を思い出しました。

 こぢんまりとした話ですが、味わいがあります。

 ばかなおとながいます。

 クライマックスは、読んでいて、さわやかです。

 最後まで読んだとき、「おめでとう」と言いたい気分でした。

 気に入った表現などとして、「円卓の騎士:上下関係がない」、「レディに愛と忠誠を捧げる」、「宮廷的愛:肉体ではなく、精神的な愛。ミンネという騎士の愛。女神(お姫さま)を守る」、「読書は現実逃避のひとつ」、「(謝るたびに男女の)距離が近くなる」、「人は本気になったとき、わざわざそれを口にしない」、「勉強は、脳の活性化のためのトレーニング」、「子供時代、十代に負荷を背負う生活をするとおとなになってなんとか家族を養っていける」、「(図書館に行く理由を問われて)ほかに行くところがなかったから」、「暴力をふるわれることが予想されていても言うべきことは言う」  

Posted by 熊太郎 at 05:14Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2019年08月06日

サンタクロースっているんでしょうか? 子どもの質問にこたえて

サンタクロースっているんでしょうか? 子どもの質問にこたえて 偕成社

 最初のページにアメリカ合衆国ニューヨーク・サンという新聞社説を翻訳してこの本にした方の言葉があります。社説は100年前のものと紹介がありますが、それからまた20年ぐらいが経過していますので、今からカウントすると120年ぐらい前の社説です。社説の日付は、1897年9月21日となっています。日本では明治30年、京都大学設立、のちの京都国立博物館開館があり、外国では、前年にギリシャアテネで初めてのオリンピックが開催されています。

 さし絵は、ろうそくと炎、バックには窓です。なにかしら宗教的。
 次のページに「質問」があります。8歳の女の子バージニアが新聞社に質問です。ともだちが、「サンタクロースなんていない」と言う。サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか。

 これは事実で、このことに関係した人たちは女の子もふくめて、すでに亡くなっています。

 いきなり、明解な答えが出ます。「あなたのともだちは、まちがっています」

 そもそもサンタクロースというのは、なにが起源なのだろう。読んでいてわたしはそう疑問をもちました。調べました。昔、貧しい家にお金を投げ入れた聖職者の存在が始まりだそうです。
 サンタクロース=プレゼントをくれる人と定義すれば、サンタクロースはいると言い切れるとわたしは判断します。それは、さておき、本の説明はまた違います。

 目に見えるものしか、信じられない人になってはいけないという教えがあります。
 世界は広い、人間の目に見えないもので正しいものがいっぱいある。
 それは、愛やまごころです。

 今年になって勃発している事件の凶暴な犯人たちはみな孤独な人でした。かれらにサンタクロースがきていたら、あんなひどい殺傷行為をすることもなかっただろうにと考えたこの本の本読みになりました。

 目に見えなくても、手でさわれなくても、よろこびにふれることはできるとあります。

 サンタクロースを見た人はいない。だけど、それは、いないという証明にはならないと結ばれています。この世で一番確かなもの(愛情)は、目には見えない。社説では、「妖精」と表現されています。

 この質問をした女の子は先生になって、最後は副校長になったそうです。1971年に81歳で亡くなっています。でも、この本は、これからも読み継がれていきます。本のありがたさを感じた1冊でした。  

Posted by 熊太郎 at 05:45Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2019年08月05日

ふたりはともだち アーノルド・ローベル

ふたりはともだち アーノルド・ローベル 文化出版局

 子どもさん向けの童話です。

〇1回目の本読み

 1回目は、おもに、絵だけを見ながらページをめくってみます。
 表紙にかえる2匹の絵があります。茶色のかえると緑色のかえるです。茶色が、がまがえるで、緑色が、ふつうのかえるということにします。ふつうのかえるは、とのさまがえるに似ています。
 章に分かれています。たいとるがともだちですから、「友情」のお話だろうか。

「はるがきた」
 2匹のかえるは同居しています。茶色いがまがえるは、どうもひきこもりらしい。ベッドでずっと寝ています。とのさまがえるが、がまがえるをサポートしています。介護みたい。
 がまがえるは、いつまでたっても寝ています。
 がまがえるは、ようやく5月に目が覚めました。どうも「冬眠」していたようです。章のタイトルが「はるがきた」ですから、たぶん、冬眠から目覚めたのでしょう。

「おはなし」
 緑色のとのさまがえるが病気のためにベッドで寝ている絵に見えます。茶色のがまがえるがとのさまがえるに気をつかっています。どうしたらいいのだろうと思いを巡らせています。でも、どうしていいのかわからないようすです。さいごに、がまがえるは、自分もベッドで寝てしまいました。

「なくした ボタン」
 茶色のがまがえるが着ている上着の上から2番目のボタンがとれました。とれたボタンをみどりのとのさまがえるが見つけました。どういうわけか、鳥がそのボタンを口にくわえています。たぬきが出てきました。ボタンをめぐって、2匹のかえるが、何かを話しています。ボタンがいっぱいでてきましたが、それぞれ形が違います。理解できないまま終わりました。

「すいえい」
 びっくり、緑のとのさまがえるが、下半身の水着を脱ぎます。脱いだあと、水に入ります。かめさん登場。とかげとへびと、とんぼとねずみも出てきました。みんなが岸から、川でひとりで泳ぐ茶色のがまがえるをながめています。がまがえるの水着は横しま模様で、それを見てみんながばかにして笑っています。それでも、がまがえるは、エッヘンと胸を張って家に帰ったのでした。

「おてがみ」
 家の前にポストがあります。郵便屋さんが手紙を入れてくれる2匹のかえるの自宅のポストです。
 みどりのとのさまがえるが、手紙を書いて、カタツムリに渡しました。どうも、その手紙は、同居している茶色のがまがえるにあてて書いた手紙のようです。
 ようやく、でんでんむしの配達員さんが、その手紙を届けてくれました。


〇2回目の本読み

「はるがきた」
 各編が一話12ページぐらいです。
 1回目の本読みの時は、がまがえるくんととのさまがえるくんとして読みましたが、2回目の本読みで知ったことは、とのさまがえるくんは緑色の単なる「かえる」でいいということです。
 茶色のがまがえるくんは、「ひきこもり」のかえるみたいです。なかなかベッドから出ず、家からも出たがりません。5月になったら起きるとかえるくんに言います。
 かえるくんは5月が待ちきれずカレンダーをどんどんめくって、5月のカレンダーにして、がまがえるに5月になったよと声をかけました。がまがえるはそれを信用して目を覚まして家の外に出ることができるようになりました。まるで、落語のオチのようです。

「おはなし」
 病気で寝ているかえるくんです。心配したがまがえるがかえるになにかお話をすると言い出しましたが、お話し(物語)をなかなか思いつかないままに、かえるの病気は治ってしまいました。がまがえるの物語を思いつけない様子がおもしろい。ふたりのクエスチョンとアンサーのやりとりがなかなかいい。
 なにか特別なことをしたわけでもないのに、読んでいると優しい雰囲気に包まれます。ふたりのやりとりに愛情がかよいあっているからでしょう。

「なくした ボタン」
 ふたりはいっしょに遠くへでかけて、その途中で、がまがえるが、「上着のボタンがとれてなくなった」と言い出します。
 あともどりしながらボタンをさがしますが見つかりません。
 1回目の本読みの時には、大きな鳥とたぬきと出会ったと思いましたが、それは、すずめとアライグマでした。カエルが小さいので鳥が大きく見えました。
 いろんなボタンが見つかります。形、色、大きさ、穴の数、でもどれも、がまがえるの上着のボタンではありません。がまがえるはイライラするのです。
 外をさがしまわってボタンがなくて、ところが、家に帰ったら、家の中にありました。所定(定められた位置)の場所にあったのです。
 そういうことってあります。人を疑う前に自分を疑えという教訓があります。
 せっかく集めたたくさんのボタンです。がまがえるは、たくさんのボタンをデザインとして上着に縫い付けました。発想が豊かです。

「すいえい」
 がまがえるが、「水着を着てくる」といいます。びっくり。がまがえるが水着を着るのです。かえるは逆に服を脱いで泳ぐと言います。
 がまがえるは来ている水着がみっともないデザインで、スタイルを笑われるので人に見られたくないそうです。
 かめがきました。とかげとへびとねずみも来て、がまがえるの水着姿を見たいと言います。がまがえるは見られたくないので、水の中にいましたが、最後はついに水から上がりました。みんな大笑いです。
 なんだろう。なんでもなさそうなお話なんですが、心がほわーんとします。

「おてがみ」
 がまがえるはこれまでに一度も手紙というものをもらったことがないそうです。そこで、かえるががまがえるに手紙を書いて、かたつむりの配達員に配達をたのみましたが、かたつむりなので移動のスピードが遅いためになかなか手紙が届きません。考えてみたら、かえるのふたりはいっしょにいるわけですから互いに手紙のやりとりをする必要はないのです。
 でも、がまがえるは、手紙というものを受け取ってみたい。
 「友情」です。タイトル「ふたりはともだち」、いっけん意味をなさないことでも、いっしょに同じことをすることで心の交流が生まれて、愛情につながっていくということでしょう。これは、男同士だけではなくて、恋人とか夫婦も同じなのでしょう。いっけん、むだなことでもやる意味があるのです。
 やさしい心をもったかえるくんです。思いやりが伝わってきました。
 手紙は、出してから4日かかって、かたつむり配達員が届けてくれました。がまくんはとてもよろこびましたとあります。

*全体をとおして
 まだ、インターネットテクノロジーとか、ソーシャルネットワークとか、社会生活の過ごし方が大きく変化する前、1972年からのロングセラー作品です。のんびりしたお話がいい。
 「手紙」を素材にした絵本、童話をよくみかけるのですが、これからの時代、メールやライン世代で、「手紙」になじみのないこどもたちや親たちにこのパターンの物語が受け入れられるか、クエスチョンが生まれました。  

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2019年08月04日

じゃあじゃあびりびり まついのりこのあかちゃんえほん

じゃあじゃあびりびり まついのりこのあかちゃんえほん 偕成社

 表紙を開くと、「このえほんは、〇〇ちゃんのえほんです」とお名前が記入できるようになっています。おもしろい。
 擬声語(音を言葉で真似る。同じ言葉の繰り返し)をもとにしたあかちゃん向けの絵本です。自動車、犬、水道の蛇口、紙、掃除機、(赤ちゃんに笑顔を見せてもらうために、いっしょうけんめい擬声語を話すことになります。ぶいーん、ぶいーん)、ニワトリ、踏切にある遮断機、赤ちゃんの泣き声、飛行機、ねこちゃん、らっぱ。最後の裏表紙で、「おしまい」、楽しい。そして、優しい。  

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2019年08月03日

ぐるんぱのようちえん 西内ミナミ

ぐるんぱのようちえん 西内ミナミ 福音館書店

 おおきな灰色ぞうのお話です。ほっぺたがピンクのぞうです。タイトルの「ようちえん」は、さいごまで読むと意味がわかります。
 ぞうの名前が、「ぐるんぱ」の理由はさいごまでわかりませんが、最初のページには、ぐるんぱが書いた字で、タイトルが書いてあります。長いお鼻で筆を使って書いたのでしょう。
 悪い情報から入ります。ぐるんぱは、汚くて、臭いのです。あわせて、ひとりぼっちだそうです。つまり「孤独」です。
 いじめにもあっています。8頭のぞうたちが、ぐるんぱは臭いと主張しています。無職で泣き虫でだめなぞうだという評価をくだされています。
 みんなが、ぐるんぱの体を川で洗って、教育を始めます。その結果、ぐるんぱは、きれいな体で、無臭になります。さあ、ぐるんぱの修行の始まりです。
 でも、うまくいきません。からだがでかいので、ぐるんぱがつくるものがみんなでかすぎます。びすけっと、でかすぎて食べられない。おさら、大きすぎて水をためる容器みたい。
 くつは、大きすぎてはく人がいません。なにをやってもお役に立てないぐるんぱです。
 ピアノもつくりました。大きくて、使い物になりません。自動車づくりにも挑戦。でかすぎて、ハンドルの位置から先端が見えません。
 自信を喪失したぐるんぱです。泣きそうです。読み手は、胸にぐっとくるものが湧いてきます。応援したくなります。
 22ページで転機が訪れました。12人のこどもたちが、ぐるんぱを必要としてくれます。
 特別うまいという絵ではありませんが、最後の見開きの絵は、とってもきれいです。最高の絵となりました。ぐるんぱもうれしそうです。

(後日考えたこと)
 なにをやってもうまくいかないけれど芽が出て花が咲くまでそれぞれの力量で継続していくこと。こちらの物語は、発想の転換で成功に導く結論ですが、以前読んだ「ぼちぼちいこか」では、なにをやってもうまくいかない関西弁のかばさんが、結局、成功までにたどりつけず、とりあえず、ひとやすみしましょうで途中経過地点に身を置く結論となっています。けっきょく、いろいろあっていい。「生きている」ことが一番大事という作品ごとのメッセージにたどりつきます。  

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2019年08月02日

来る 邦画DVD

来る 邦画DVD 2018年公開

 ホラーです。始まってしばらく見ていて、昔映画館で、ジョーズとか、エクソシストを観たときの雰囲気に似ているなと感じました。徐々に恐怖が近づいて来る感じです。
 『アレは、あなたに会いたがっている』、凶悪なものが近づいて来る。
 成仏できないアレが、復讐してくるのです。
 豪華メンバーの出演で、お金もかかっているようですが、自分には合わない映画でした。怖いというよりも、血が飛び散ったり、体がちぎれたりのシーンが気持ち悪かった。物が揺れる、動く、割れるというのは、怖くありません。(DVDを見終わったあと、玄関下駄箱の扉が開いていて、そこにある姿見の鏡に自分の全身がたまたま映って、『出たか!』とびっくりしました)
 暗い映画館で観ていたら怖そうな映像と音響です。
 新婚夫婦の結婚式が出て、女の子が生れて、3歳に育って、パパはイクメンで、ブログに夢中です。ブログ作成に力を入れすぎる人でした。まずは生活維持が優先という理解がありません。奥さんはそんなだんなに不満であきれます。心に残ったセリフとして、「(だんなが何者かに呪い殺されたあと)死んでくれて嬉しかった」のとひとことが妻の口からもれます。
 母親に、あんたを産んだからこうなった。あんたのせいと責められたことがあるママです。いまちょうど読んでいる小説では、祖母が孫娘に、堕胎するようあんたの母親に言ったのにきいてもらえなかった。生まれてきて迷惑だとわめきます。怖い話ばかりです。
 喫煙シーンが多かった。もう、たばこで情緒を出しながら映像の時間稼ぎをする時代ではないと思います。