2020年06月06日

舞妓はレディ 邦画DVD

舞妓はレディ 邦画DVD 2014年公開

 リラックスしたい。気楽にしたい。そう思ってお店で選んできた映画DVDです。鹿児島弁と津軽弁をあやつる舞妓志望の上白石萌音(かみしらいし・もね)さんと言語学者の長谷川博己(はせがわ・ひろき)さんです。字幕を表示しながら観ました。方言のセリフの部分は、字幕を見ないと何を言っているかがわかりません。

 オードリーヘップバーンの「マイフェアレディ」のオマージュ作品(敬意を表して類似にする)でした。田舎者がスターになる成長物語です。
 古い型の体験をもつ日本人の自分にとっては、胸にしみるいい作品でした。今年観て良かった一本です。ミュージカル仕立てですが、静かなほうです。雨が土にじっくりとしみこむような映画でした。

 劇中の橋のシーンが、物語の転換のポイント地点です。年老いた祖父母が、両親を交通事故死で亡くした孫娘を、舞妓修行のためにお茶屋さんに残して、青森へ帰って行くシーンには、ほろりとさせられました。旅立つ時、地方出身者にとっては、親きょうだいや親類、友人との別れは必須です。
 
 舞妓:少女。芸妓の見習い
 芸妓(げいぎ、げいこ):宴席の接待役、踊り
 お茶屋:芸妓と客を飲食させる店
 立方(たちかた):芸妓さんのこと。
 地方(じかた):音楽担当。三味線、鼓(つづみ)、太鼓、歌
 おいど:お尻のこと。
 だらり:うしろが、だらりとさがっている帯
 お店出し:舞妓としてデビュー。初登場

 おトイレ掃除から始まります。観ながら、「がんばれ、がんばれ」と励まします。
 舞妓必須三単語が、「おおきに」「すんまへん」「おたのもうします」これが伏線となって、後半まで続きます。よくできた脚本です。ふんわりまるい京言葉が映像をつつみます。
 舞妓さんになるための教育学習ビデオ、養成教材のようなつくりです。外国人向けも意識してあるのでしょう。観光として、京都の絵ハガキを見るような映像が続きます。

 修業は厳しい。舞妓になるための強い動機が必要です。主人公の場合、交通事故死した亡母が舞妓でした。主人公は、母の代わりとして、ツバメのように同じお茶屋へ戻ってきました。

 方言(ほうげん。いなかなまり)矯正のための言葉の訓練は大変です。国語学者になれそう。観ていて、好きになった京言葉として、「ほな、さいなら」
 方言の勉強は、まるで、外国語の勉強のようです。

 ロケ地京都の風景が美しい。上白石萌音さんの歌声も澄んでいてきれいです。
 
 濱田岳さん(大学院生。言語学習のアシスタント)の世間を分析した本音はそのとおりで、主人公にショックを与えましたが、あれはあれでよかった。世の中は、「金」で動いているとか。自分のために人を利用するとか、真実をついています。それはそれとして、そのことを頭の片隅に置きながら生活していくことが、おとなになるということです。

 主人公の声が出なくなりました。一大事です。
 イップス:精神的なことが原因で、動作ができなくなる。

 優しくて、さわやかな映画でした。「しばらくは、しゃべらんときよし」  

2020年06月05日

おばあちゃんもこどもです いもとようこ

おばあちゃんもこどもです いもとようこ 金の星社

 いもとようこさんの絵本には、どの本にも『優しさ』があります。
 ほんわかとしてまるい印象の絵です。色調も温かい。
 シンプルなところがいい。ああだこうだの理屈がないのがいい。
 うさぎさんの世界です。

 読者の話を聴いてつくった童話だそうです。
 おばあちゃんが自分の亡くなった母親を慕うという珍しい設定の絵本でした。
 人間の深層心理に、自分がいくつになっても母親を頼るという意識があるのでしょう。また、あの時代は良かった。親の傘の下で守られて暮らしていたという安心感がほしいのでしょう。だけど、あの時代にはもう戻れません。幸せなひとときはつかの間のものなのです。

 終わってしまいましたが、五月の『母の日』に関連付けてあります。
 手紙のやりとりです。孫たちが自分たちの母親に手紙を書きます。長男、長女、次男の三人きょうだいです。5歳、4歳、3歳ぐらいに見えるうさぎさんたちです。そして、うさぎのおばあちゃんは60代でしょう。
 
 書かれたお手紙の内容をみると、おとうとは、鏡文字です。おねえちゃんは、スキンシップ希望で、おかあさんにぎゅーっとしてほしい。おにいちゃんは、ごはんづくりをしてくれるおかあさんに感謝をしています。うさぎさんだから「にんじんケーキ」が好物です。

 おばあさん、昔を思い出して泣かないで。

 こどもは親にかまってほしい。そして命はつながれていく。  

Posted by 熊太郎 at 07:17Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年06月04日

不能犯 邦画DVD

不能犯 邦画DVD 2017年公開

 自分には合わない映画でした。
 松坂桃李さん演じる「宇相吹正(うそぶき・ただし)」は、このパターンだと、役として演じやすい。だれがやってもこうなるという個性設定です。宇相吹正はときおり、「おろかだねぇ、にんげんは」というので、彼は人間ではなく、「死神(しにがみ)」なのでしょう。そして、彼は全知全能で、死にません。何でも知っていて、何でもできます。ということは、ストーリは、どんなふうにでも組めます。だから、突然彼が画面に現れたりします。きちんとした登場のしかたをしないので、何でもできてしまうから、おもしろくありません。
 
 復讐とか仕返しの映画です。うらみがあるからといって、相手を殺してはいけません。殺さなくても、相手は、いつかは必ず寿命で死にます。
 
 まず、刑事役の女優さんを、どうして、劇中、死神の影響を受けないというふうに、例外扱いにしてしまったのか。彼女には、死神の催眠術のような念力がききません。例外を設定するとなんでもできてしまいます。例外なしでお話をころがしてほしかった。
 また、刑事役をしている女優さんが、映画の公開後、現実社会の薬物使用で警察に逮捕されたり、劇中に、別の役の女性が、クラブで知り合った複数男女とほんわかうつろに薬物吸引パーティをやったりのシーンがこの映画にあって、観ているほうとしては、よけいな情報が頭に浮かんできて映像に集中できず、がっかりします。女優さんが起こした薬物使用の不祥事で、作品が作品の意味をなさなくなってしまいました。

 うらまれた人が死ぬ死因がよくわからなかった。

 オペラみたいなBGMが、ドラマ「相棒」みたいだった。

 演者のセリフがときおり文章として、おかしかった。「あなたの殺意はにごっているとか、不純」とかは、意味がわかりません。にごっていない殺意とは、国と国との戦争での人殺しをいうのだろうか。

 途中、結末は、どうなるのかは強い興味をもちました。最後に種明かしがあって、これはすべて、うそですというオチにいきつくのかもと、自分では思って観ていました。  

2020年06月03日

学校に行きたくない君へ 全国不登校新聞社編 ポプラ社

学校に行きたくない君へ 全国不登校新聞社編 ポプラ社

 西原理恵子さんの絵が、優しい色調で可愛い。
 優れた結果を出している有名な人たち20人のインタビュー集です。みなさん、学校嫌いだったのだろうか。

「樹木希林さん 女優」
 ご自身は不登校ではなかったけれど、いつも友だちがいなかった。人とはほとんどしゃべらなかった。テレビに出るまで、近所の人たちは、希林さんの声を聞いたことがなかった。読んでいると勇気づけられます。

「荒木飛呂彦さん 漫画家」
 今年になって、有名だけれどこれまでに自分は読んだことがない漫画を、あちこちかじるように読んでいます。荒木飛呂彦さんが描いた『ジョジョの奇妙な冒険』は、テレビ番組アメトークで紹介されていたので少しですが読みました。
 こどもの時から絵を描くと心が落ち着いた。マンガが心を育んでくれた(はぐくんでくれた)経過がわかるインタビュー内容です。好きであることへの努力の積み重ねが自信につながると説いておられます。

「柴田元幸さん 翻訳家」
 ご本人は学校嫌いだったそうです。ただ、不登校ではなかった。学校に行かない度胸がなかったそうです。小さいころから世界は筋が通らないところだと思っていた。それが、デフォルト(初期設定)だったとあります。

「リリー・フランキーさん 多彩な才能をもつタレント」
 本人が書かれた小説、名作「東京タワー」を読んだ時には、序章部にあった少年期の産炭地(炭鉱のある地域)での体験が、自分と類似していて共感をもちました。荒れた貧困生活でしたが、そこから、文化が生まれてきます。よって、ご本人は、この本でも、学校へ行くことがいやだったと語り始めます。大学を出てから就職しないで、ひきこもりになったそうです。人に会いたくない。自分をわかってくれる人がいない。
 子育てをされたことがない方なので、この話題で、インタビューに答えることが、なかなかむずかしかったのではないだろうか。

「雨宮処凛(あまみや・かりん)さん 作家、政治活動家」
 依存の話です。調べた言葉として、オーバードーズ:薬物の過剰摂取 
 リストカットも出てきます。
 「生きてるだけでオッケー」という言葉に救われます。
 
〇有名人の方ではありませんが、途中にはさんである一般人27歳女性不登校経験者の方のお話が胸にぐっときました。趣旨として、「(行かなくちゃいけないと思っているのに)体が勝手に行かなくなった」親から「なんでふつうにできないの」と言われて深く傷ついた。自分でもなんでふつうにできないのかが、わからなかった。
 かなり苦しい。どうしたらいいのかわかりません。むずかしい。いずれ、親の立場になったときに、今度は親の気持ちがわかるようになります。こどもはいつまでもこどもではいられません。

「西原理恵子さん 漫画家」
 西原さんの自伝的漫画を読んだことがあります。悲惨な貧困と暴力に満ちた子ども時代を送っておられます。よって、その体験に基づいたアドバイスです。
 『病気』としてとらえられていました。『学校に行かせようとする親VS行きたくても行けない子ども』の構図です。斬新な受け止め方です。第三者(わたし、あなた以外の人)は、子どもを導く前に、親を教育しなければならない。子どもも病気ですが、親も病気です。
 読みながら思ったことです。学校に行かなくなると最初はまわりにいる人が相手にしてくれるけれど、それでも学校に来ないと、人はそのうち学校に来ないこどもを、いてもいない者として扱うようになります。こどもが卒業扱いになったあとは、だれもその子に関心をもちません。学校に行かない子どもの家族は疲弊してあきらめます。形式上の卒業後、学校に行かなかった子どもには、相当厳しい孤独があります。どこか子どもに合う居場所をさがさなければなりません。
 もうひとつ考えたことは、働かなくても食べていける環境にある人たちだと。そういう環境にいると、人は働かなくなって、自活による自立もできなくなります。だから、『貧乏』は悪ではありません。働く動機にはなります。

「田口トモロヲさん 俳優 ナレーター」
 不登校だったそうです。引越しをしてからいじめられた。チビだった。映画に助けられた。チビの名優ダスティン・ホフマン、アル・パチーノに救われた。
 希望のないストーリーにも救われた。「負けてもいい」「人生はなんでもありだ」

「横尾忠則さん 美術家」
 ご自身のこどもさんは、ふたりとも学校に行かなかった。長男は高校から行かなくなった。そのことを知らなかった。長女は中学から行かなくなった。
 意外ですが、親の社会的地位が高くてもその人のこどもが不登校だったりもします。長い目で見るしかありません。

「玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さん 小説家 僧侶」
 いろいろアドバイスがあります。
 親の対応のしかたとして、「(不登校の子どもに)あなたが学校に行こうと行くまいと、わたしの人生に何の関係があるの」という気持ちをもつ。
 すごく悩んでいるときは、「ここは考えないでおこう」と決断する。

「宮本亜門(みやもと・あもん)さん 演出家」
 集団生活が苦手で、高校2年生から不登校、以降、ひきこもりの時期があったそうです。心の支えが音楽と写真集だった。
 彼の不登校を怒った父親が日本刀をふりまわして彼を追いかけて来たそうです。怖い。トイレに逃げこんだけれど、トイレのドアをブスブスと日本刀で突かれて、日本刀の刃が折れたそうです。とても怖い。お父さんに殺されなくて良かった。そういえば去年そんな事件があった。
 レオ・レオニの絵本「フレデリック」を思い出しました。のねずみの話なのですが、生きていくために必要なのは食糧だけではないのです。

「山田玲司さん 漫画家」
 両親が優しかった。ほめ上手。アドバイスでは、実の親を頼りにしないことを勧めておられます。実の親の前で優等生にならない。本当の親ではない自分とは血縁関係がない人でも、相手が、実際に会ったことがない人でも、この人が自分の親だと思えたらその人が自分の親だと思う。かなり、独特なのですが、これまで読んできたインタビューのうちで、自立に向けての説得力が一番あります。
 「えらい人」ほど、ろくでもない人というコメントも当たっています。
 みんながみんな勝てるわけがない。
 いい質問がありました。「社会の仕組みがおかしいと感じても、そのなかで生きていかなくてはいけませんよね」これに対して、犠牲のうえに立った生活という内容で解説があります。人間はそんなもの。人間は神じゃない。メッセージが一番心に響きました。

「高山みなみさん 声優」
 声優の仕事をやりたいと思ったら、まず声を出して本を読む。(ここが一番気に入りました)
 経験を積んで、人の気持ちをわかるようになる。
 不登校をしていても生きていける。
 いいものをつくって喜んでもらう。そうすると仕事は続く。
 ひきこもっている人は不安をもっているだろうが、不安はだれでももっている。不安があるのは当然のことで、不安に負けてはいけない。

「辻村深月さん 小説家」
 不登校を扱った作品『鏡の孤城』を書いたのは、十代の世界を書くことが自分の小説だから。自分は学校にいいイメージはない。しんどかった。
 いやなことをしてきたり、からかってきたりした人のことは許さなくていい。
 (わたしが思うに、生活を送っていくうえで、自分は被害者のときもあったし、加害者のときもあったと考えるのが、自然です)

「羽生善治さん 将棋の棋士」
 中学生でプロ棋士になった。高校は月に10日ぐらい休んだ。通信制の高校にも通った。「いい学校を出て、いい会社へ進む」は、一部の人がたどるルート。未来の自分への選択肢はたくさんある。学びたいことが目的だったら、年齢は関係ない。学びは、何歳からでもスタートできるとアドバイスを送られています。

「押井守さん 映画監督」
 高校の時に不登校だった。中学までは勉強もできて生徒会もやっていたが、高校ではそれが通用しなかった。挫折を味わっておられます。1年半ぐらいずっと部屋に居た。その後6年間ぐらい映画館にいた。(ひきこもっている人が読んだら、ほっとできる内容です)

「萩尾望都(はぎお・もと)さん 漫画家」
 両親とは合わなかった。こどもを『イグアナ』として、漫画『イグアナの娘』を描いた。自分は、宇宙人かイグアナだから、両親とコミュニケーションがとれないと考えたそうです。

「内田樹(うちだ・たつる)さん 哲学研究者 」
 高校を途中で辞めたそうです。理由はいまでもよくわからない。とにかく辞めたかった。
 皮膚感覚を大事にされています。
 オルタナティブスクール:代替え手段。学校という仕組みに合わない人に、ほかの場所で学んでもらう。道場を開いておられます。

「安冨歩(やすとみ・あゆみ)さん 男性だけれど女装している京都大学卒の東京大学教授」
 かなり鋭い観察と指摘の文章です。「多くの人は、想像力で、『自分じゃないもの』になりすましている」というご指摘は当たっています。
 なんのためにそういうことをするのかということがあるのですが、それはおいといて、学校教育でそうなったと理由付けがあります。
 人間をポケモンマスターにトレーニングされる「ポケモン」にたとえておられます。
 このおかしい世界の中で生き抜いていくために必要なものは、「最低限のお金」と「ともだち」ですというアドバイスがあります。

「小熊英二(おぐま・えいじ)さん 慶応大学教授」
 読んでいて、選択肢として、「不登校」を選べる時代になったと感じました。それから、「不幸」をつくっているのは、そのことを「不幸」だと思う人間の意識だとひらめきました。
 資本主義社会には、「お金を儲けなければならない」という強迫観念がある。
 アジテーション:扇動(せんどう)する。強い気持ちで人々をあおりたてて目的とする行為につなげる。
 シンクロ:タイミングが合う。
 面白かった記述は、落語では、ご隠居は人生訓をたれるだけで労働力にならないという部分でした。そのまわりにいる長屋の人たちもあまり役に立っていないのですが、地域社会では必要な人たちなのですと記述されていました。

「茂木健一郎さん 脳科学者」
 わかりやすい内容です。脳にはいろんな脳がある。それは、「個性」で、脳に上中下の格差はない。
 トレードオフ:なにかがあって、なにかがない。すべてを満たす脳はない。
 トム・クルーズさんが、アルファベットの読み書きで、識字障害があるのは知りませんでした。それでも、会話を大事にして、優れた俳優になれる。
 良かったアドバイスとして、『苦しくてつらかった思いが、将来、情熱的に生きる貯蓄になる』  

Posted by 熊太郎 at 07:36Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年06月02日

バトル・ロワイアル 邦画DVD

バトル・ロワイアル 邦画DVD 2000年公開

 タイトルの意味は、生き残りのための死闘ととらえます。もう20年も前の映画になってしまいました。観るのは初めてです。昔、雑誌で、脚本の最初のほうの部分だけ読んだ記憶があります。中学生同士の殺し合いで最後にひとりだけが生き残るということで、当時の国会で良くない映画としてとりあげられた記憶があります。映画はあくまで虚構です。さらに、観たい人が観るだけです。悲惨な殺戮(さつりく)シーンもありますが、すべて、演技だという前提で観ています。バッタバッタと死んでいくわけですが、撮影中に監督の「カット!」という声がかかると、死んだ人たちがむっくと起き上がって、「おつかれさまでしたー」と言い合って、そのあと、みんなで、お酒やジュースを飲んで、おいしいものを食べて、おしゃべりを楽しんで、パーっとやっているにちがいないと思って、残酷シーンを観ています。そうすると恐怖が薄らぎます。邪道の鑑賞方法かもしれませんが、これでいいと思っています。

 「新世紀教育改革法」というのが、「バトル・ロワイアル法」で、どうも、大人たちがこどもをコントロールできなくなって、そのはらいせに、こどもどうしにケンカをさせるような趣旨の法律と受け止めました。

 いまとなっては古い映像ですが、ホラーかと思うほど、血まみれ、首つり、どん底生活、爆死、首輪、戦争、いじめ、ヤクザ映画か、銃から何発弾(たま)が出てくるのだろう、片手で機関銃をあんなふうに軽やかには撃てない、と続き、あまりにも人殺しが続くので、最初は刺激的でしたが、だんだん単調になり、手りゅう弾もマシンガンもおもちゃに見えて、恐怖感は小さくなっていきます。そして最後は、笑いが生まれて、爽快感が残る映画でした。

 中川典子(前田亜季)、七原秋也(ななはら・しゅうや、藤原竜也)、川田章吾(山本太郎)の三人がストーリを引っ張っていきます。ほかの人たちも含めて、大人びた人が多いので、とても中学生には見えません。

 こどものほうからの立場で、おとなに対する強い反発があります。親が親の役割を果たしてくれていないということがあります。
 七原秋也(ななはら・しゅうや)の母親は、家を出て行って行方不明です。父親は首つり自殺をしています。父親は、こどもの秋也には、「ガンバレ!!」と書き残したくせに、自分はがんばりきれずメンタルのようになってしまいました。この人(父)を頼っても頼りにならない。産(う)むだけ産んでおいて、誕生させるところだけやって、両親ともいなくなってしまった。これからは、自分で生き抜いていかなければなりません。そのときの頼りが、中川典子の存在です。自立心の喚起というメッセージが作品から伝わってきました。

 印象的だったセリフなどとして、北野武さんの「人生は、(生き残り)ゲームです」、戦闘グループ結成後に「脱出するときは、みんな一緒だ」、ガリベン中学生男子の「生き残って、いい高校に入ってやる」、ひとりにひとつずつ与えられる武器として、ひとりは「ナベのフタ」もうひとりは「双眼鏡」

 軍人たちは、立っているだけに見えました。人形みたい。

 BR法の条文は明らかにならない。

 声が吹き替えに見える部分がありました。

 昔、爆破事件であった「腹腹時計」という爆弾の作り方の本のことが出ていました。そんなこともありました。

 仲間割れで、人間の悪い部分が表に出てきます。組織というものは、外からの力ではなく、内部からの力で壊れていきます。

 話のつくり方として、生き物は他者から攻撃を受けたとき一般的に次のように対処します。「じっとしている」→「逃げる」→「戦う」  

2020年06月01日

そこのみにて光輝く 邦画DVD

そこのみにて光輝く 邦画DVD 2014年公開

 少し前に観た「海炭市叙景」と関連がある作品だそうです。舞台は、函館、作者は、亡くなった芥川賞候補作作家佐藤泰志さんです。この作品は、三島由紀夫賞候補作だったそうです。映画は、芸術作品でした。人間を暗い場所へ力づくで押し込めます。そして、最後に笑みが漏れるのです。

 どうも製作陣は、行政(市役所)に文句があるようです。
 
 生々しい家族が登場します。父親は、認知症の介護が必要な寝たきり状態だけれど、性欲の固まりです。元気で正常だったときの父親とは別人になっているのでしょう。
 生活費が足りません。力を失くした母親がいます。弟の会社の社長と不倫の愛人関係をしているお姉ちゃんがいます。お姉ちゃんはほかにも売春をして収入を得ています。
 弟は、人を刺して刑務所に入っていましたが、いまは仮釈放中です。そこに、仕事で部下を事故死させてしまった綾野剛さんが現れます。お姉ちゃん役の池脇千鶴さんも芸達者でふたりとも演技がたいしたものです。
 さらに、弟役をしている菅田将暉さんの演技が爆発します。日本映画界は、こういう、心に深い印象を残す邦画を年に何本かつくるのでしょう。人間の汚い部分をさらけだします。

 北海道といっても、牧場や草原、広々としたじゃがいも畑ばかりではないことがわかりました。風景は、日常のありふれた景色ですが、ラストシーンの場所はやっぱり海岸の砂浜が『家族』には、似合います。

 雇ってもらっている仮釈放中の弟の仕事が継続するために、やむにやまれず、いやいやながら、弟の会社の社長と不倫関係を続けている姉です。社長も仕事のストレスがあるらしい。されど、彼は、女性を自分のストレスとか性欲のはけ口にしています。とんでもない人間です。

 綾野剛さんと池脇千鶴さんによる押したり引いたりの恋愛のかけひきがあります。ふたりともうまい。
 心が満たされない者同士が、ひかれあって恋愛をする。されど、ふたりの仲をひきさこうとする人間が出てくる。
 池脇千鶴さんの叫び声「うあああーっ!」が、おもしろかった。笑いました。「あたま、おかしいやつばっかり」というセリフでした。
 「もうこんな仕事辞めろよ(売春)」に、「(9時5時のサラリーマンみたいな仕事は)わたし、いるとこないんだよね」(だから、女優をしているのかと考えてしまいました)

 退廃があります。ちょっと、暗くて、途中、どうして、こんな映画を(自分は)観ているのだろうという気分になりました。

 登場人物たちがあこがれているのは、「平和な家族」です。
 お互いの秘密を抱えながら生きるのが、夫婦とか、家族と悟りました。

 うらみがあっても相手を殺してはいけない。殺さなくても相手は必ずいつか寿命で死にます。相手よりも長生きすることが、合法的で安全で平和的な復讐です。

 年寄りの介護の苦しさがにじみ出ていた作品でもあります。介護する側の人間にとっては、この世の地獄でした。父親は、施設入所で、いいのじゃないだろうか。娘の父親との昔の思い出話にはほろりときましたが、もう現在は、そのときの父親ではありません。共倒れは避けたい。