2020年06月12日

検察側の罪人 邦画DVD

検察側の罪人 邦画DVD 2018年公開


 観る前に最近ニュースになった検事長のことが頭に浮かびました。この映画では、検察庁の職員が罪人なのでしょう。過去の冤罪事件も頭に浮かびました。

 BGMの音楽がいい感じ。

 主人公である東京地方検察庁で検事をしている最上毅(木村拓哉さん)は、夫婦、親子(娘)関係がうまくいっていないのですが、事件の流れとどういう関係があるのかピンときませんでした。
 劇中登場人物のセリフにあるのですが、「(家で家族三人そろっての食事風景において)家族そろってバラバラ」
 この家族関係の状況を出さなくてもストーリーは成立できたような。

 自分に解釈力がないのか、戦争と事件に関する主人公の気持ちとの関連が、いまいちわかりませんでした。小説家であった祖父の話もよくわかりません。なにかを見落としたのかもしれませんが、もう一度観たいとは思いません。

 木村拓哉さんが発するセリフは、しっかりしていて、上手でした。ただ、ほかの方も含めて、会話のテンポが速くて、観ていて、理解が会話のスピードについていけませんでした。

 裁判は形式だけで成立して、裁判に勝とうが負けようが、職員等に対する報酬のお金が動いて、容疑者抜きの関係者たちが得をすれば、それでいいというようなところまで、観ていて考えが及びます。恐ろしいことです。犯罪者は関係者たちによって意のままにつくられるのです。

 検事の仕事がいまいちわからないので、警察官でもない検事が、事件が発生した現場に立ち入るということも、そういうことがあるのかと考えていると、スピーディに次のシーンに移ってしまい、理解が追いつけませんでした。

 たぶん検察庁の建物内にある事務室スペースのようなところで、起訴をするかしないかで対立している女性職員同士のようすが何度か出てきていましたが、そのシーンが、映画を観ている人に、どういうメッセージを発したいのかがわからず、女性同士の押し問答の勢いのほうが、起訴をするしないの理屈よりも勝っていました。

 怪物と呼ばれる連続殺人事件の容疑者松倉重雄さん役の俳優さんは、怖くなるぐらい気持ち悪い犯人を演じられていました。まさにモンスターです。殺人志向にある脳をもつ男の演技でした。ただ、もしかしたら、だれが演じても同じような演技になるのかもしれません。演技がしやすい登場人物の個性設定です。
 
 冤罪事件を扱っている作品です。2010年頃の殺人時効撤廃の話も出ます。

 場所がきれいすぎて、違和感をもちました。検察庁の建物の内部だと思いますが、ホテルのようでした。

 ガラス張りの超高級タワーマンションのようなところに住む主人公ですが、どうして検事が、そんな場所に住むのかがわかりませんでした。ソファー類がきれいすぎて、生活感がありませんでした。どこもかしこもきれいすぎます。裁判官とか検事とかは、基本的には官舎のようなところに住むイメージをもっています。

 よくしゃべる映画です。アドリブもあるのでしょう。あと、どういうわけか、誕生日にこだわります。この日に生まれた人間はこういう性格だ。決めつけです。迷信です。同じように、「(犯人として)濃いね。松倉は」という主人公のセリフがありました。松倉を犯人と誤認することを通り越して、松倉を犯人に仕立て上げる冤罪にまで誕生日の決めつけ発言が波及しました。

 映画での検察庁の人間は、たっぷり与えられた権力を使って、利害関係者グループを形成して、お互いが利益を得るように仲良しごっこをしている。

 こういうドラマなのか… 展開は、ありえません。主人公が、なぜそこまでこだわるのか。動機付けが戦争がらみにしてあるのですが、よくわかりませんでした。

 男女が天井を見ながら上・下交叉して重なるという不思議な形のかっこうで、事件の種明かしをするのですが、なぜ、あんなかっこうをしなければならなかったのだろうか。まあ、あのかっこうでもかまわないのだけれど。不可解

 なんだか、つまらない終わり方でした。刑事ドラマ「相棒」の杉下右京だったら、今回の件は、とことん許しません。

 嘘つき合戦です。事実でもないのに事実らしくみせる。
 
 途中、沖野啓一郎検事が取り調べで、わざと激高するようにみせかけて、容疑者に対して、(どうしようもなくなったら)役所の世話になるんだろう」と大声で相手をおどすように発言します。生活保護のことだと思いますが、人は、なにも好きで生活保護を受給するわけではないと思うのです。しかたがないからもらっているのです。平衡感覚に欠けた発言でした。

 なにかしら本来正義の味方であるべき検察官が、今の時期にこの映画を観ると、現実のニュースとも重なって、検察官は、仕事をしないどころか、やってはいけないこともやって、それでもしっかり給料と退職金はもらっていくという悪人にみえてしまいます。まじめに働いている検察官のみなさんがお気の毒です。
  

2020年06月11日

アーモンド ソン・ウォンピョン 矢島暁子 訳

アーモンド ソン・ウォンピョン 矢島暁子 訳 祥伝社

 本屋大賞の翻訳小説部門第1位作品です。毎年、翻訳部門では、質の高い作品が選ばれています。この本は、韓国の作品です。

 本にかけてある宣伝のための帯を読みました。生まれつき、「喜怒哀楽」の感情がない青年のお話のようです。偏桃体(アーモンド)が人より小さいとあります。原因は、脳の仕組みにあるようです。ちょっと、作品「コンビニ人間」を思い出しました。

 ユンジュ:韓国人の16歳高校生。主人公
 ゴニ:ユンジュと同い年。こどものころに誘拐されて、身元不明のまま施設で育って成長したのちに父親の元へ引き取られた。実母は病死した。

 いきなり、ユンジュの目の前で、通り魔大量殺傷事件が起こったというお話で始まりました。ユンジュの母、祖母、止めようとした大学生、50代男性、警官が刺されたようです。犯人もその場で自殺しました。6人が死にました。偶然でしょうが、一年前、神奈川県川崎市で起きた現実の事件を思い起こさせてくれます。怖い。高校1年生ぐらいに成長したユンジュは、感情がないので、母と祖母を助けることができません。

 偏桃体:神経細胞の集まり。側頭葉内側の奥に存在する。情動反応の処理と記憶の役割を果たす。ふたつある。

 お話はさかのぼり、ユンジュの数え年6歳(実年齢4歳)から始まりました。

(つづく)

 ユンジュのひとり語りで進行していきます。
 12歳ぐらいの男子が、けんかなのか、おおぜいの人間に撲殺されそうです。このときユンジュはまだ満4歳です。
 なんだか、人が死ぬ話が重なって、でも感情がないからどうにもならなくて、豪快な出だしです。

 ほんの数ページ読んだだけですが、お母さんのユンジュに対する愛情が感じられる文脈です。
 障害児をもった母親のことを読んでいると、「産むのもたいへん、産んでからもたいへん」という気持ちが伝わってきます。失感情症(アレキシサイミア)感情がないというよりも、感情を表現する力が乏しいようです。それにしては、この物語は、ユンジュの舵取りひとり語りで進んで行っているわけで、違和感があります。成長して、感情表現を上手にできるようになったのだろうか。

 人はユンジュを、「普通の子じゃない」
 本人いわく、「僕は笑うことがなかった」
 祖母は、いい意味でユンジュを「怪物」と言って可愛がります。
 
 母親による、「ふりをする」教育が始まります。喜怒哀楽があるような演技をするのです。目標は、「目立たないこと」
 「喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲」のポーズとセリフを教える教育が始まりました。
 秘訣として、「沈黙は金なり」

 ソン・ユンジュの両親の出会いと別れの内輪話があります。母は祖母の反対を押し切ってできちゃった婚をした。父親は、ソン・ユンジュが母親のおなかの中にいるときに交通事故の被害者で死んだ。母と祖母はケンカ別れをしていて、母は、夫を亡くしたことが理由で、7年ぶりに祖母に再会して、ソン・ユンジュも入れて三人で生活を始めた。家族は、古本屋「ジウン書房」を営み始めた。祖母は母を指して、「この腐れ女(あま)」と言う。同じく祖母は、ソン・ユンジュを指して、「世界で一番かわいい怪物」と、愛情を込めて言う。

 スユドン:ソウル市内
 トッポッキ:韓国料理。餅炒め
 チョンゲチョン:ソウルの中心部にある河川(自分自身が、韓国旅行に行ったときに観光バスの車窓からこの川を見たことがあるのを思い出しました。市街地のなかにあって、護岸がコンクリートでしっかり固められていました)
 デミアン:ヘルマン・ヘッセの小説。脅されていた10歳の少年がデミアンに救われる。
 100万ウォン:約10万円
 デリムドン:ソウル市内
 カカオトーク:韓国企業のカカオが開発したスマホ用の無料通話

 数行で、惨劇が表現されます。片手にナイフ、もう片方の手にハンマーをもった40代に見えるスーツ姿の男が群衆に向けて襲い掛かりました。幸せそうに笑っている人間が彼にとっての標的です。家は半地下の部屋とあるので、観ていませんが映画「パラサイト」の住人なのでしょう。本人も自殺したので、救いようがない通り魔連続殺人事件です。

(これからどうなるのだろうか)
(もうひとりのだれかが、登場してくる)
 
 経営している古本屋の2階で、元心臓外科医で、パン屋を営むシム教授が、ソン・ユンジュに接触してきました。彼は妻を心臓病で亡くして医師を辞めています。ソン・ユンジュは、シム教授の知り合いのユン教授の息子ユン・イス(ゴニ)と中学で、同じクラスになります。それまでにすったもんだがあります。そして、そのあとも、すったもんだがあります。

 ゴニがどうして、ソン・ユンジュのクラスに転校してくるという展開になるのか理解できません。
 現在16歳のゴニが、13年前に母子二人で行った遊園地のメリーゴーランドで行方不明になったということにリアリティがありません。母親がすぐそばにいたのにゴニは消えたのです。誘拐されたのかどうかはまだ説明がありません。母親は有名な記者だった。記者ゆえに人からうらまれることもあったのか。うらんだ人間がこどもを誘拐してどこかにこどもを移したのか。
 ゴニとソン・ユンジュは、顔が似ているという理由で、ゴニの父親にソン・ユンジュは利用されました。ふたりのこどもの不幸の始まりとあります。ふたりのこどもの顔は似ているらしいのですが、体格はぜんぜん違います。ゴニは浮浪児のようです。されど筋肉質で小柄なれど手足が長かった。ボクサーのようだった。

 『アーモンド』に関する詳細な話はあまり出てこない。(生まれつきの小さい偏桃体、覚醒水準の低い大脳皮質と後記にありました)

 少年ゴニは、生物学上の父親であるユン教授を父親とは思っていない。

 韓国では児童誘拐が多いのだろうか。
 
 ソン・ユンジュは、ゴニから世の中を学ぼうとした。暴れん坊のゴニが、感情のないロボット状態のソン・ユンジュに感情を教えます。乱暴者のゴニだけど、小さいころに拉致されて他人から世話を受けたり、施設で育ったりした彼のつらさが伝わってきます。彼は自分を親から捨てられた人間だと思い込んでいます。

 ソン・ユンジュの人間らしい感情がこもったセリフが、「母さんにそういう人(こどもの障害の秘密を相談した相手であるパン屋の経営者元心臓外科医のシム教授)がいて、本当に良かった」

 8月末に新学期が始まります。
 ソン・ユンジュは、イ・ドラという女子に恋をします。恋をして、感情の芽生えがみられます。恋をすることで感情が生まれます。

 新しい出会いがあれば、別れがあります。ゴニは、ソン・ユンジュの前から姿を消しました。人々から無実なのに犯罪者と疑われたこと、歳をとったこと、これから新しい世界に挑戦したいこと。そんなことが、ゴニがいなくなった理由です。

 読み終わりましたが、期待した内容とは異なっていました。
 ソン・ユンジュが、感情をもつことができない人間として、脳科学的に変わることができないという設定でずっといくと思っていましたが、そうではありませんでした。もともと、感情はあったと考えられるような記述の流れでした。最後は、ソン・ユンジュとゴニとの『友情』で結びます。現実味のない創作作品で自分の好みには合いませんでした。

 まだ、未成年のこどもの世界です。いっぽう、おとなたちのことを見ると、親の役割を果たすことができないおとなたちです。こどもは悩んでいる。だから、こどもは、自活を目指す。

 「そして僕は死んでしまった」というところは、よくわからない。
 
 気に入った表現として、「人が痛がっているのを見れば自分も痛いと思う子」「そもそも人間とはどのように設計されているのか」  

Posted by 熊太郎 at 07:40Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年06月10日

ローカル路線バス乗継対決旅 下田市~芦ノ湖元箱根港

ローカル路線バス乗継対決旅 静岡県下田市~神奈川県芦ノ湖元箱根港 テレビ番組

 太川陽介チーム:丸山桂里奈(まるやま・かりな 元サッカー選手日本代表) 塚田僚一(A.B.C-Z エー、ビー、シー-ズィー)
 川崎麻世チーム:西野未姫(にしの・みき 元AKB) 河合郁人(A.B.C-Z エー、ビー、シー-ズィー)

 ルールは、下田から芦ノ湖までにある19市町の名物、名所巡りで、早い者勝ちでゲットした数で競いました。いい勝負でした。

 一泊二日で、タクシー代は1万円以内。宿泊するホテルは、その場で、飛び込みで申し込みでした。じゃんけんの結果で、太川陽介チームが伊豆半島の西方向、川崎麻世チームが東方向へスタートでした。

 前半は、太川陽介チームの一方的な優勢もあり、ゆるい感じでしたが、後半は、川崎麻世チームが豪快な手法で、急激に追い上げてきて、素晴らしかった。見ていてハラハラドキドキしました。緊張感があっておもしろかった。
 順番にポイントをゲットするのではなく、まず、要所の場所を相手よりも先に押さえることが優位に立つ秘訣だということが判明しました。まるで武士による戦国時代の戦法のようでした。

 ローカル路線バス乗継の旅は、蛭子能収さんが抜けてから、真剣勝負の内容となり、バスの車中でのゲストと乗客の女子高生との会話とか、地元の人たちとのふれあいの会話とかの時間がなくなってしまい残念だったのですが、丸山桂里奈さんがおもしろいことを次々と言ってくれるので笑えました。「(メロンモナカを食べながら)海にもぐったようなみずみずしさ」「昔、堂ヶ島温泉の旅館に、元カレと行った。(太川陽介さんが、心配して、「テレビで流していいの?」に、「かまわない。もう昔のこと」「(お茶の味がするおまんじゅうを食べて)お茶っぱを口に入れられたみたい」
 あとは、太川陽介さんが、川崎麻世さんに対して、「(離婚裁判を意識して)あいつは、修羅場に強い」

 川崎麻世チームは、「運」に恵まれました。太川陽介さんは、路線バス利用者としての経験が輝いていました。失敗もありましたが、失敗はつきものです。未来に何が起きるかは問題じゃありません。何が起こっても切り抜けていくんだというガッツが大事です。

 ポイント地点として指定されていたウナギ屋が定休日だったのには笑いました。メンバーは、せっかく来たのに、相当なショックだったでしょう。

 川崎麻世チームが訪れていた静岡県裾野市にある五竜の滝の景色がきれいでした。

 後半、将棋の言葉で、「王手、飛車とり」とか、「王手、飛車角とり」が、状況と合致している表現で気持ちが良かった。
  

2020年06月09日

横道世之介 邦画DVD

横道世之介 邦画DVD 2013年公開

 小説は読んだことがありますが、映画を観たのは初めてです。小説は自分には合わなかった記憶があります。ポイントは記憶していますが、内容はもう忘れてしまいました。読書メモが残っているのでまずそれをここに落とします。

(2013年3月27日読書メモ)
 横道世之介 吉田修一 毎日新聞社
 第三者の視点で観察記述が続きます。72ページ付近で、読み手は、横道世之介は、もう死んでいるのだろうと気づきます。彼は長崎県から東京の大学へ進学します。時代背景は1970年代後半から80年代前半でしょう。
 横道君の個性は明確ではありません。読者は、読み始める前に、横道世之介という氏名から西郷隆盛氏のような豪放快活なイメージをもちますが、彼の性格は平凡です。対して、彼がつきあう与謝野祥子さんの個性は常識を突き抜けています。ふたりがつきあうとは思いがたいのですが、読みながら妥協できます。
 1年間の物語です。章は月(1月、2月…)で成り立っています。起承転結の展開ではなく、日記の掘り起こしで出来事がつくられています。読後感は「郷愁」です。
 登場人物たちは、理論とか理屈に基づいて動くのではなく、「流れ」とか「勢い」で行動していきます。無駄な動きが多いのですが、それが青春であることには共感します。50代になった今、卒業アルバムの写真を見ながら、このうちの何人が存命しているのだろうかという想いにかられた作品でした。

(以下、映画の感想です)
 役者さんたちに幾人かの九州出身者がいることと、映像も長崎県の設定があり、セリフも九州弁があるので、地方から東京に出てきた体験がある人が観るとしみじみした気持ちが押し寄せてきます。昭和50年代に、公衆電話ボックスの中で、通話料の100円玉をたくさん用意して、緑の電話機で遠方の実家に電話をしたことがある人も多いでしょう。
 映画が始まってしばらくしたときに、若い人が、「人生って長いじゃん」と言います。だけど、そうとは限りません。
 ふたりのカップルの付き合い方は、本当にそれで恋人同士なのかと思われるのですが、ふりかえってみれば、あの当時、お互いを詳しく知らないままに結婚したカップルは多かった。劇中の女子は、まだ主人公が恋人とも確定していないのに、主人公の長崎の実家へ押しかけました。
 人間同士のコミュニケーションがあいまいにしてあります。「そこなんだよ」「どこなんだよ」「あれさー」あれ、これ、それの代名詞が多い。なんのことなのかわからないはっきりしない会話です。
 「学歴差別(中卒者、高校中退者、高卒も含めて)」がちょっぴり描かれていました。もう今どきは、大学を出なければできない仕事というのは、限られているような気がします。
 VHSテープデッキとか、ブラウン管テレビとか、なつかしい。昭和50年代から平成時代初期の風景です。漫画「ベルサイユのばら」も出てきます。
 観ながらふと(人間って何なんだろうなあ)と思ってしまいました。
 山手線駅での人身事故のニュースが流れます。救おうとした人も亡くなっています。実話です。
 良かったところは、できちゃった婚のだんなが、父親になれる喜びを素直に表現して、父親としての責任を果たしていくと宣言するところです。「引っ越しを頼める友だちがおまえ(横道世之介)しかいなかった(ともだちがいない)」「ありがとう」「おれさ、とにかく、ゆいといっしょに、がんばってみる」
 
 主人公カップルのラブシーンで良かったのは、与謝野祥子さんが、カーテンにくるまりながら横道世之介と会話をするところです。

 家政婦さんの無言の演技が良かった。

 与謝野祥子さんの横道世之介に対するセリフで、「(あなたは)アクティブでアグレッシブ(攻撃的、積極的)でしたわ」

 映像に出てくるのは、古いタイプのフィルム式カメラです。思いを込めてできあがった写真は、横道世之介の遺作になりました。おかあさんのお手紙に愛情がこもっていました。「いつまでも、泣いてばかりもいられません。世之介が自分の息子で良かった。世之介に出会えたことが、自分にとっての幸せでした」
  

2020年06月08日

おかあさんの木 邦画DVD

おかあさんの木 邦画DVD 2015年

 素直ないい映画でした。複雑にひねらず、すんなりと悲しみが心にしみるようにつくってあります。この映画を観るであろう年配の女性、こどもさんたちを意識したのでしょう。国家間の戦争が個人の幸せを奪っていくことがよくわかりました。
 こどもさんたちが、次々と戦死します。こどもさんの存在がわかりやすいように、名づけがシンプルです。一郎、二郎、三郎、四郎、五郎、誠(養子に出したからひとりだけ違うパターンの名前)、六郎(生まれたのは七番目)です。
 出征していく息子さんを死なせまいと、駅のホームで、軍服姿で列車に乗り込もうとする息子の体にしがみついて引き留める母親の姿には、胸が引き裂かれる思いがします。母親に対して、厳しく強く責める罵声(ばせい)や非難が浴びせられます。息子が、母親に声をかけます。「かあさん、お願いです。離してください」母親に対して、どけー、離せー、非国民!の怒号が飛び交います。
 
 1915年、大正4年からスタートします。
 文字が読めないまだ若いミツさんが、ラブレターをもらいます。そういえば、今から、半世紀ぐらい前、50年ぐらい前でも、文字の読み書きができないお年寄りはちょこちょこいました。教育を受けられなかったからです。戦後、義務教育が始まってからだいぶ改善されたのでしょう。
 冒頭付近では、自転車で郵便配達をするシーンが出てくるのですが、昔、長嶋一茂さんが主役で出た「ポストマン」という映画を思い出しました。自転車で配達すること、『手紙』を大事にすること。ふたつのことにとことんこだわる映画でした。今の時代にあてはめると、ずれているのでしょうが、感じ方しだいで、必要なこととも思えます。

 自宅で産婆さんにとりあげてもらう出産が一般的でした。わたしやわたしのきょうだいもそうでした。病院での出産の歴史は浅い。
 子だくさんで、養子に行くこどももいる。ふつうのことでした。日本人の歴史をさかのぼる映画でもあります。
 徴兵検査:人間を品物のように分けていきます。差別的です。甲種(身長152cm以上、頑健、合格)、乙種(合格)、丙種(国内勤務のみ)、丁種(不合格、心身に不適格あり)、戊種(病人)
 
 雪の上で、まだこどもだったおおぜいの兄弟たちが、楽しく遊ぶシーンがあります。人生でいちばん幸せだった時期かも。こどもを戦争で次々と亡くしていく母親の悲しみがあります。母親は、家のそばに木を植えて、こどもの名前を付けた木と会話をします。

 「すべてはお国のため」映画全体に、国家とか行政組織に対する強い批判の意識が流れていました。戦争に行かせるために子どもをたくさん産ませて、子どもたちを戦争でたくさん死なせたことを、してはいけないことだったと後悔しています。
 思うのは、駅のホームで、見送っていた人たちは、母親を責める気持ちの人たちだけではなく、こんなことはおかしいと思っていた人たちもいたはずです。だけど、声を出せなかった。『発言の自由』は大事です。  

2020年06月07日

信長協奏曲 邦画DVD

信長協奏曲(のぶながコンツェルト) 邦画DVD 2016年

 明智光秀を主人公としたNHK大河ドラマ「麒麟が来る」で、信長が仮病を使って、実の弟を謀殺したシーンを観た翌日にこの映画を観ました。映画は、重厚な時代劇であろうと想像していました。映画の始まりは火災シーンで緊張感がありましたが、そのあとこけました。ギャグ? コメディ コミックマンガの映画化でした。
 現代で生活している男子高校生がタイムスリップして、時代をさかのぼり、彼が信長になるという展開です。
 この映画は、もともと、この内容で放映されていたテレビドラマの続きのようになっているようで、最初からいきなりこの映画だけを見た者にとっては、最初は内容が、チンプンカンプンでした。イメージしていたものと違うので、ついていけるだろうかと心配になりました。
 昔の映画、『戦国自衛隊』とか、『影武者』を思い出しました。

 小栗旬さんが、二役です。織田信長と男子高校生のサブロー(小栗さんは、とても高校生には見えませんが)です。
 
 セリフは現代語です。いやはやどうなることか。「オレ、未来から来たんだ」
 
 BGMによる感情誘導、それから、おそらくコンピューター・グラフィックなのでしょう。家屋内全体に燃え広がることのない火事の炎。いろいろ工夫がしてありました。

 「夫婦」の愛情(信長と帰蝶(きちょう、濃姫))の強い愛情を前面に出してあります。ラブコメディの部分へのこだわりがあります。伏線は、指輪です。それから、「うつけ」という帰蝶の呼びかけ。後半への展開は予測できますが、ひと息ついたあとのラストは、濃厚で良かった。