2020年06月02日
バトル・ロワイアル 邦画DVD
バトル・ロワイアル 邦画DVD 2000年公開
タイトルの意味は、生き残りのための死闘ととらえます。もう20年も前の映画になってしまいました。観るのは初めてです。昔、雑誌で、脚本の最初のほうの部分だけ読んだ記憶があります。中学生同士の殺し合いで最後にひとりだけが生き残るということで、当時の国会で良くない映画としてとりあげられた記憶があります。映画はあくまで虚構です。さらに、観たい人が観るだけです。悲惨な殺戮(さつりく)シーンもありますが、すべて、演技だという前提で観ています。バッタバッタと死んでいくわけですが、撮影中に監督の「カット!」という声がかかると、死んだ人たちがむっくと起き上がって、「おつかれさまでしたー」と言い合って、そのあと、みんなで、お酒やジュースを飲んで、おいしいものを食べて、おしゃべりを楽しんで、パーっとやっているにちがいないと思って、残酷シーンを観ています。そうすると恐怖が薄らぎます。邪道の鑑賞方法かもしれませんが、これでいいと思っています。
「新世紀教育改革法」というのが、「バトル・ロワイアル法」で、どうも、大人たちがこどもをコントロールできなくなって、そのはらいせに、こどもどうしにケンカをさせるような趣旨の法律と受け止めました。
いまとなっては古い映像ですが、ホラーかと思うほど、血まみれ、首つり、どん底生活、爆死、首輪、戦争、いじめ、ヤクザ映画か、銃から何発弾(たま)が出てくるのだろう、片手で機関銃をあんなふうに軽やかには撃てない、と続き、あまりにも人殺しが続くので、最初は刺激的でしたが、だんだん単調になり、手りゅう弾もマシンガンもおもちゃに見えて、恐怖感は小さくなっていきます。そして最後は、笑いが生まれて、爽快感が残る映画でした。
中川典子(前田亜季)、七原秋也(ななはら・しゅうや、藤原竜也)、川田章吾(山本太郎)の三人がストーリを引っ張っていきます。ほかの人たちも含めて、大人びた人が多いので、とても中学生には見えません。
こどものほうからの立場で、おとなに対する強い反発があります。親が親の役割を果たしてくれていないということがあります。
七原秋也(ななはら・しゅうや)の母親は、家を出て行って行方不明です。父親は首つり自殺をしています。父親は、こどもの秋也には、「ガンバレ!!」と書き残したくせに、自分はがんばりきれずメンタルのようになってしまいました。この人(父)を頼っても頼りにならない。産(う)むだけ産んでおいて、誕生させるところだけやって、両親ともいなくなってしまった。これからは、自分で生き抜いていかなければなりません。そのときの頼りが、中川典子の存在です。自立心の喚起というメッセージが作品から伝わってきました。
印象的だったセリフなどとして、北野武さんの「人生は、(生き残り)ゲームです」、戦闘グループ結成後に「脱出するときは、みんな一緒だ」、ガリベン中学生男子の「生き残って、いい高校に入ってやる」、ひとりにひとつずつ与えられる武器として、ひとりは「ナベのフタ」もうひとりは「双眼鏡」
軍人たちは、立っているだけに見えました。人形みたい。
BR法の条文は明らかにならない。
声が吹き替えに見える部分がありました。
昔、爆破事件であった「腹腹時計」という爆弾の作り方の本のことが出ていました。そんなこともありました。
仲間割れで、人間の悪い部分が表に出てきます。組織というものは、外からの力ではなく、内部からの力で壊れていきます。
話のつくり方として、生き物は他者から攻撃を受けたとき一般的に次のように対処します。「じっとしている」→「逃げる」→「戦う」
タイトルの意味は、生き残りのための死闘ととらえます。もう20年も前の映画になってしまいました。観るのは初めてです。昔、雑誌で、脚本の最初のほうの部分だけ読んだ記憶があります。中学生同士の殺し合いで最後にひとりだけが生き残るということで、当時の国会で良くない映画としてとりあげられた記憶があります。映画はあくまで虚構です。さらに、観たい人が観るだけです。悲惨な殺戮(さつりく)シーンもありますが、すべて、演技だという前提で観ています。バッタバッタと死んでいくわけですが、撮影中に監督の「カット!」という声がかかると、死んだ人たちがむっくと起き上がって、「おつかれさまでしたー」と言い合って、そのあと、みんなで、お酒やジュースを飲んで、おいしいものを食べて、おしゃべりを楽しんで、パーっとやっているにちがいないと思って、残酷シーンを観ています。そうすると恐怖が薄らぎます。邪道の鑑賞方法かもしれませんが、これでいいと思っています。
「新世紀教育改革法」というのが、「バトル・ロワイアル法」で、どうも、大人たちがこどもをコントロールできなくなって、そのはらいせに、こどもどうしにケンカをさせるような趣旨の法律と受け止めました。
いまとなっては古い映像ですが、ホラーかと思うほど、血まみれ、首つり、どん底生活、爆死、首輪、戦争、いじめ、ヤクザ映画か、銃から何発弾(たま)が出てくるのだろう、片手で機関銃をあんなふうに軽やかには撃てない、と続き、あまりにも人殺しが続くので、最初は刺激的でしたが、だんだん単調になり、手りゅう弾もマシンガンもおもちゃに見えて、恐怖感は小さくなっていきます。そして最後は、笑いが生まれて、爽快感が残る映画でした。
中川典子(前田亜季)、七原秋也(ななはら・しゅうや、藤原竜也)、川田章吾(山本太郎)の三人がストーリを引っ張っていきます。ほかの人たちも含めて、大人びた人が多いので、とても中学生には見えません。
こどものほうからの立場で、おとなに対する強い反発があります。親が親の役割を果たしてくれていないということがあります。
七原秋也(ななはら・しゅうや)の母親は、家を出て行って行方不明です。父親は首つり自殺をしています。父親は、こどもの秋也には、「ガンバレ!!」と書き残したくせに、自分はがんばりきれずメンタルのようになってしまいました。この人(父)を頼っても頼りにならない。産(う)むだけ産んでおいて、誕生させるところだけやって、両親ともいなくなってしまった。これからは、自分で生き抜いていかなければなりません。そのときの頼りが、中川典子の存在です。自立心の喚起というメッセージが作品から伝わってきました。
印象的だったセリフなどとして、北野武さんの「人生は、(生き残り)ゲームです」、戦闘グループ結成後に「脱出するときは、みんな一緒だ」、ガリベン中学生男子の「生き残って、いい高校に入ってやる」、ひとりにひとつずつ与えられる武器として、ひとりは「ナベのフタ」もうひとりは「双眼鏡」
軍人たちは、立っているだけに見えました。人形みたい。
BR法の条文は明らかにならない。
声が吹き替えに見える部分がありました。
昔、爆破事件であった「腹腹時計」という爆弾の作り方の本のことが出ていました。そんなこともありました。
仲間割れで、人間の悪い部分が表に出てきます。組織というものは、外からの力ではなく、内部からの力で壊れていきます。
話のつくり方として、生き物は他者から攻撃を受けたとき一般的に次のように対処します。「じっとしている」→「逃げる」→「戦う」
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