2023年08月22日
サバカン SABAKAN 邦画
サバカン SABAKAN 邦画 2022年公開 BS日本映画専門チャンネル
サバカンは、缶詰の「サバ缶」のことなのですが、映画のタイトルの意味として、なんのことだろう? とひっかかりながらの映画鑑賞になりました。
サバカンは、サバカンの中身を寿司だね(具、材料)にするのです。
小学生の男の子が、お金がない貧しい生活だから、自分でサバカンの中身を寿司だねにして、自分で握りずしを握るのです。
そして、こどもに教えるように「さば缶ずし」を握ってくれたのは、今は亡き父親なのです。
この映画は、小学5年生のふたりの男の子の物語です。
ふたりで過ごした夏休みの思い出話です。
時代設定は、1986年(昭和61年)です。
前半は、洋画の「スタンド・バイ・ミー」を観ているようです。
ふたりの少年は、自転車で、ブーメラン島へ向かいます。
ひさちゃん:久田孝明。おとなになったら草彅剛(くさなぎ・つよし)さん。彼のひとり語りナレーションで、物語は進んでいきます。
おとなになったひさちゃんは、小説家になりたいけれどなれなくて、ゴーストライターをしています。(名前で本が売れる人の影の文章作成者)
もうひとりが、たけちゃん:竹本健次。貧しい母子家庭のこども。兄弟姉妹が全員で5人(三男二女)いて、たけちゃんが長男です。
昭和60年前後のこととして、アイドルタレントの斉藤由貴さんのことが流れます。ポスターとか流行歌とかがなつかしい。
映像を観ていて思うのは、もっと登場人物同士の会話がほしい。
音楽(BGM)で観ている人の感情をひっぱる手法です。
ビンボーをばかにしたり、いじめのネタにしたりするのですが、同じく母子家庭だったわたしのときは、時代がもっとさかのぼるのですが、ビンボーが理由でいじめにあうようなことはなかった記憶です。なぜなら当時は、みんながビンボーだったからです。(昭和30年代~40年代。1955年代)
こどものころのビンボー体験は、おとなになってから役に立ちます。こどものときにビンボーだったからといって、一生ビンボーが続くと決定したわけではありません。
とりあえず勉強することです。テストで点がとれて勉強ができるようになれば、ビンボーから脱出する可能性が高まります。
「ジャミラ」という怪獣がなつかしい。
30分10円で、父親の肩をたたく。(こどものころの自分にもそんな体験があります。まだ父親も生きていました)
自分は九州生まれなので、劇中の九州弁がなつかしい。
なんだか、生活臭が強いこどもの映画です。
男は働いて給料を稼ぐ。女は家で家事をして、夫の給料が安いと、妻が夫に給料のことで文句を言う。男尊女卑とか女性差別とか、女性の自立とか、いろいろつっこみどころは多い話の展開です。
オヤジ(父親)は下ネタが多い。多いけれど、人情は濃い(こい)。いい人です。きれいごとじゃなくて、社会の現実をこどもに教育しています。
ひさちゃんも、たけちゃんも、まあ、かなりきつい日常生活の暮らしぶりです。映像ですから演技です。これが現実だと、こどもはつらい。
カセットテープが出てきました。カセットテープを、最近は見かけなくなりました。
映像にあるような暮らしがじっさいにありました。
昔は、映画館にいくと、スクリーンの中に映っている暮らしと、観客席で笑って観ているこちらの暮らしぶりが、同じでした。(『男はつらいよ フーテンの寅さん』とかの作品で、渥美清さんが主演でした)。そういう時代がありました。
長崎とか熊本県天草(あまくさ)の島あたりの海にはイルカの群生がいます。
たぶん自分がこどものころにもいたと思うのですが、観光として話題になることはありませんでした。
映画の中には、両親の離婚とか、親権者を決めてこどもの引き取りとか、離婚後こどもと別れて暮らす父親と子の面会とか、母子家庭とか、両親のいない兄弟姉妹の分離とか、けっこうつらい設定が出てきます。人間はどうして、ふつーに時を過ごすことができないのだろう。
他人同士の男女が生涯添い遂げるのはむずかしい。お互いに思いやりが必要です。片方にばかり負担させてはいけません。夫は、文句を言わず「おまかせします」と相手に言えることが、長続きのコツです。
映像を観ていて、これまでに読んだ本を2冊思い出しました。
『風を追いかけて、海へ 高森千穂 国土社』
タイトル「風を追いかけて」の風は、亡くなったおとうさんとの思い出を指します。4年1組水原一樹くんは、川崎市から江ノ島まで、小さな頃におとうさんと一緒に鎌倉の海で写った写真をもって、自転車で旅します。彼につきあってくれるのが、同級生の新城拓人くんです。
『オルゴォル 朱川湊人(しゅかわみなと) 講談社』
両親が離婚した小学生男児が、離婚後東京から大阪に移り住んだ父親にひとりで会いにいくのです。鉄道で大阪まで行ったところ、父親は女性と再婚・同居しており、女性は赤ちゃんを妊娠していて、少年にとっての異母きょうだいが生まれるのですが、周囲の人々は、少年を温かく迎え入れてくれたのです。
さらに、東京で少年と暮らしている実母には彼氏がいるのです。
自分の生活環境を、どうすることもできない小学生男児の姿が切ない。少し内容が違うかもしれませんがそんなふうだった記憶です。
魅力的な文章と文脈の流れが心地よく、作者のもち味のひとつとなっていました。
さて、映画のほうは、主人公であるひさちゃんの母親がかなり怖い。(こわい)まあ、おやじさんも柄(がら)が悪いから、似たもの夫婦です。ああ、そして、ひさちゃんには弟がいます。
韓国の話もでますが、話はふくらみません。なにかしら含みをもたせてあります。九州北部地域は韓国の人が多い。地理的に、韓国が近い位置にあります。
映像は昭和61年の設定で、車は軽トラで、壊れた自転車を荷台に乗せて、あわせて、荷台にこどもふたりも座って乗って移動します。ほんとは危険だから、荷台に人をのせてはいけないのでしょう。
わたしがこどもだった昭和40年ごろは(1965年ごろ)、トラックの荷台に何人も乗って、荷台には、幌(ほろ)をかぶせて外から荷台にいる人が見えないようにして移動することがありました。そうやって、いとこやおじさんたちと海水浴に行った思い出があります。
そのころ、座席にシートベルトというものはありませんでした。
鍵を握る言葉が『またねーー』です。何度も繰り返されます。『またねーー』『またねーー』
友情物語です。
わたしはわからないのですが、BGM(バックグラントミュージック)の使い方が、ロバート・デ・ニーロ映画に似ていると、いっしょに観ていた家族が言っていました。
不満をいくつか書いておきます。
・あいかわらず喫煙シーンが多い日本映画です。不快感しかありません。
・女子高生役の人の存在意味の披露がありませんでした。あわせて、ヤンキーたちのボスについても同様です。
・すでに書きましたが、もっと演者に会話をさせてほしい。
人情に熱い物語でした。
つらいことがいっぱいあります。
『負けんなよ!』のセリフが良かった。
サバカンは、缶詰の「サバ缶」のことなのですが、映画のタイトルの意味として、なんのことだろう? とひっかかりながらの映画鑑賞になりました。
サバカンは、サバカンの中身を寿司だね(具、材料)にするのです。
小学生の男の子が、お金がない貧しい生活だから、自分でサバカンの中身を寿司だねにして、自分で握りずしを握るのです。
そして、こどもに教えるように「さば缶ずし」を握ってくれたのは、今は亡き父親なのです。
この映画は、小学5年生のふたりの男の子の物語です。
ふたりで過ごした夏休みの思い出話です。
時代設定は、1986年(昭和61年)です。
前半は、洋画の「スタンド・バイ・ミー」を観ているようです。
ふたりの少年は、自転車で、ブーメラン島へ向かいます。
ひさちゃん:久田孝明。おとなになったら草彅剛(くさなぎ・つよし)さん。彼のひとり語りナレーションで、物語は進んでいきます。
おとなになったひさちゃんは、小説家になりたいけれどなれなくて、ゴーストライターをしています。(名前で本が売れる人の影の文章作成者)
もうひとりが、たけちゃん:竹本健次。貧しい母子家庭のこども。兄弟姉妹が全員で5人(三男二女)いて、たけちゃんが長男です。
昭和60年前後のこととして、アイドルタレントの斉藤由貴さんのことが流れます。ポスターとか流行歌とかがなつかしい。
映像を観ていて思うのは、もっと登場人物同士の会話がほしい。
音楽(BGM)で観ている人の感情をひっぱる手法です。
ビンボーをばかにしたり、いじめのネタにしたりするのですが、同じく母子家庭だったわたしのときは、時代がもっとさかのぼるのですが、ビンボーが理由でいじめにあうようなことはなかった記憶です。なぜなら当時は、みんながビンボーだったからです。(昭和30年代~40年代。1955年代)
こどものころのビンボー体験は、おとなになってから役に立ちます。こどものときにビンボーだったからといって、一生ビンボーが続くと決定したわけではありません。
とりあえず勉強することです。テストで点がとれて勉強ができるようになれば、ビンボーから脱出する可能性が高まります。
「ジャミラ」という怪獣がなつかしい。
30分10円で、父親の肩をたたく。(こどものころの自分にもそんな体験があります。まだ父親も生きていました)
自分は九州生まれなので、劇中の九州弁がなつかしい。
なんだか、生活臭が強いこどもの映画です。
男は働いて給料を稼ぐ。女は家で家事をして、夫の給料が安いと、妻が夫に給料のことで文句を言う。男尊女卑とか女性差別とか、女性の自立とか、いろいろつっこみどころは多い話の展開です。
オヤジ(父親)は下ネタが多い。多いけれど、人情は濃い(こい)。いい人です。きれいごとじゃなくて、社会の現実をこどもに教育しています。
ひさちゃんも、たけちゃんも、まあ、かなりきつい日常生活の暮らしぶりです。映像ですから演技です。これが現実だと、こどもはつらい。
カセットテープが出てきました。カセットテープを、最近は見かけなくなりました。
映像にあるような暮らしがじっさいにありました。
昔は、映画館にいくと、スクリーンの中に映っている暮らしと、観客席で笑って観ているこちらの暮らしぶりが、同じでした。(『男はつらいよ フーテンの寅さん』とかの作品で、渥美清さんが主演でした)。そういう時代がありました。
長崎とか熊本県天草(あまくさ)の島あたりの海にはイルカの群生がいます。
たぶん自分がこどものころにもいたと思うのですが、観光として話題になることはありませんでした。
映画の中には、両親の離婚とか、親権者を決めてこどもの引き取りとか、離婚後こどもと別れて暮らす父親と子の面会とか、母子家庭とか、両親のいない兄弟姉妹の分離とか、けっこうつらい設定が出てきます。人間はどうして、ふつーに時を過ごすことができないのだろう。
他人同士の男女が生涯添い遂げるのはむずかしい。お互いに思いやりが必要です。片方にばかり負担させてはいけません。夫は、文句を言わず「おまかせします」と相手に言えることが、長続きのコツです。
映像を観ていて、これまでに読んだ本を2冊思い出しました。
『風を追いかけて、海へ 高森千穂 国土社』
タイトル「風を追いかけて」の風は、亡くなったおとうさんとの思い出を指します。4年1組水原一樹くんは、川崎市から江ノ島まで、小さな頃におとうさんと一緒に鎌倉の海で写った写真をもって、自転車で旅します。彼につきあってくれるのが、同級生の新城拓人くんです。
『オルゴォル 朱川湊人(しゅかわみなと) 講談社』
両親が離婚した小学生男児が、離婚後東京から大阪に移り住んだ父親にひとりで会いにいくのです。鉄道で大阪まで行ったところ、父親は女性と再婚・同居しており、女性は赤ちゃんを妊娠していて、少年にとっての異母きょうだいが生まれるのですが、周囲の人々は、少年を温かく迎え入れてくれたのです。
さらに、東京で少年と暮らしている実母には彼氏がいるのです。
自分の生活環境を、どうすることもできない小学生男児の姿が切ない。少し内容が違うかもしれませんがそんなふうだった記憶です。
魅力的な文章と文脈の流れが心地よく、作者のもち味のひとつとなっていました。
さて、映画のほうは、主人公であるひさちゃんの母親がかなり怖い。(こわい)まあ、おやじさんも柄(がら)が悪いから、似たもの夫婦です。ああ、そして、ひさちゃんには弟がいます。
韓国の話もでますが、話はふくらみません。なにかしら含みをもたせてあります。九州北部地域は韓国の人が多い。地理的に、韓国が近い位置にあります。
映像は昭和61年の設定で、車は軽トラで、壊れた自転車を荷台に乗せて、あわせて、荷台にこどもふたりも座って乗って移動します。ほんとは危険だから、荷台に人をのせてはいけないのでしょう。
わたしがこどもだった昭和40年ごろは(1965年ごろ)、トラックの荷台に何人も乗って、荷台には、幌(ほろ)をかぶせて外から荷台にいる人が見えないようにして移動することがありました。そうやって、いとこやおじさんたちと海水浴に行った思い出があります。
そのころ、座席にシートベルトというものはありませんでした。
鍵を握る言葉が『またねーー』です。何度も繰り返されます。『またねーー』『またねーー』
友情物語です。
わたしはわからないのですが、BGM(バックグラントミュージック)の使い方が、ロバート・デ・ニーロ映画に似ていると、いっしょに観ていた家族が言っていました。
不満をいくつか書いておきます。
・あいかわらず喫煙シーンが多い日本映画です。不快感しかありません。
・女子高生役の人の存在意味の披露がありませんでした。あわせて、ヤンキーたちのボスについても同様です。
・すでに書きましたが、もっと演者に会話をさせてほしい。
人情に熱い物語でした。
つらいことがいっぱいあります。
『負けんなよ!』のセリフが良かった。
2023年08月21日
くもをさがす 西加奈子
くもをさがす 西加奈子 河出書房新社
(1回目の本読み)
ページを全部、ゆっくり最後までめくってみます。
タイトル『くもをさがす』とはどういう意味だろうか。
『雲をさがす』だという思いこみがありました。
7ページに『蜘蛛(くも)』が出てきました。雲ではなく蜘蛛(くも)なのか……
19ページに『8月17日 今日から日記をつけようと思う』という記述があります。2021年(令和3年)のことです。
20ページに『バンクーバー』とあります。カナダにある都市です。著者の居住地です。カナダの西にあります。カナダの首都は東にあるオタワです。東にあるケベック州はフランス語を話す人が多い。同州にモントリオールがあります。
入院体験について考えてみます。
本書はがん闘病記という前知識は自分にあります。
人によって入院体験は違います。
老齢になるまで、入院体験がない人もいます。
生まれてすぐに入院体験があって、こどものまま亡くなっていくこどもさんもあります。
『電池が切れるまで 宮本雅史 角川つばさ文庫』
私自身は、二十代のときと五十代のときにそれぞれ三か月程度の入院体験があります。最初は内臓の病気、二度目は脳の病気でした。
入院体験があるかないかで、がんを宣告された時の心の持ち方には違いがあると思います。初めて入院される方は、かなりショックを受けると思います。
がんと言われたら、まずは『治療に専念』だと思います。逆に、がんだから働いてはいけないということもないと思います。ケースバイケースです。
『治療に専念』パターンだと、それまでの生活が切断されます。別世界へ、体も心も送り込まれます。
57ページに『10月3日 体が重くて起き上がれない……』とあります。がんではありませんでしたが、二十代の頃の自分の入院体験だと、背中に2トンぐらいの大きな岩がのっかっている感じがしてベッドからなかなか起き上がることができませんでした。
63ページに『ジョージ・ソーンダーズ『十二月の十日』』とあります。読んだことがあります。
そのときの感想メモの一部です。
十二月の十日(じゅうにがつのとおか) ジョージ・ソーンダーズ(米国作家。男性) 岸本佐知子=訳 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)
本の帯に『全米ベストセラー第1位!!!』とあります。知りませんでした。長編小説かと思ったら短編集でした。日本で言うところの、星新一さんのショートショートのようです。全部で10編あります。 購買を誘ううたい文句として、①親しみやすい ②共感を呼ぶ ③笑わせてくれる ④ダメ人間の優しさ、尊厳、奇想 ⑤独創的な文体 とあります。
こちらの本に戻って、112ページに項目としての章が『3 身体は、みじめさの中で』
172ページまでめくって、同じく作家の加納朋子さんの本を思い出しました。白血病になられています。『無菌病棟より愛をこめて 加納朋子 文藝春秋』
そしてもう一冊『無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒(やまもと・ふみお。女性) 新潮社』山本文緒さんは、すい臓がんのため2021年(令和3年)に58歳でご逝去されています。(こちらの本を読み続けていたら、75ページに山本文緒さんのことが出てきました)
作家の職業にある人間は、「作家」ですから、自分が病気になれば、自分の病気のことを文章化します。文章化する行為が 作家の心を支えてくれます。
180ページに、2021年3月名古屋入国在留管理局で、病院受診をさせてもらえず亡くなった外国人のことが書いてあります。
たまたま用事があって、昨年何度か同管理局の前の道路を車で行ったり来たりしました。立派な建物です。でも、密室の中でのことは外にはわかりません。
224ページ、日本国前首相が狙撃される。
リアルな時の流れがあります。ひとつの命が消えて、自分の命も消えるのではないかという不安があります。
(そのときのことですが)241ページ、今朝方(けさがた)読み終えた本に載っていたシンガーソングライターのお名前が出てきました。椎名林檎さんです。
読んだ本は『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) 朝日新聞出版』です。
(2回目の本読み)
ちょっとびっくりしたのは、蜘蛛(くも)に関する記述が、自分と同じ心持ち、体験でした。
わたしがこどもだったころ、だれかに教えてもらったこととして『蜘蛛(くも)は先祖の生まれ変わりだから殺してはいけない』というものがあります。
この本では、著者の亡くなった母方祖母であるサツキさんが蜘蛛になって、著者を噛んで、著者ががんであることを著者に教えてくれたという流れの文脈になっています。
だから『くもをさがす(蜘蛛を探す)』という本のタイトルなのです。ただ、今読んでいるページでは、まだ「さがす」の部分の意味はわかりません。(25ページまで読んだところです)
ご自宅にいた蜘蛛に刺されたことが、乳がんの発見につながっています。
著者の右の胸にしこりがあります。
右胸にしこりができて、超音波検査に行く。紹介状をもらった。2021年(令和3年)5月のことです。3週間後が検査でした。
日本では2020年(令和2年)初春からコロナ禍のごたごたが始まっています。
カナダの医療制度のことが書いてあります。
日本とはだいぶ異なります。読んでいて、日本は恵まれていると思いました。
カナダでは、直接各科目のクリニックの受診はできない。
ファミリードクター(総合医)をまず受診する。ファミリードクターがいない人は、ウォークインクリニックを受診する。紹介状をもらってから専門医を受診する。
救急は混んでいる。8時間から9時間は待たされる。(「救急」とは、なのれないのではないか)
著者が12歳のときに胃がんで亡くなった母方祖母のサツキさんは、電車で席がないと、床に新聞紙を敷いて座っていたそうです。
自分にも同様の体験があります。
まだ自分が小学生だったころ、家族で、夜中に走る、たぶん急行列車で、日本列島を東へ西へとかなりの長距離を移動していました。乗客で混雑しているときは、床に新聞紙を敷いて座っていました。
著者はお酒好きだったそうですが、がんの宣告を受けて断酒したそうです。
不思議だった記事があります。19ページに『(たぶんがんの宣告を受けたから)8月17日 今日から日記をつけようと思う。』とあります。
私が思うに、作家は、こどものときからずーっと日記をつけることを習慣としている。作家は、日記から創作のヒントをつかむ。でも、著者は違います。意外でした。
20ページ付近まで読みましたが、がんの宣告を受けて、著者は混乱しています。
コロナ禍もあって、さらに、外国にいることもあって、著者の心は混乱しています。著者の英会話はペラペラというわけではなさそうです。医療の専門用語はわからない。
著者は一般的な日本人から見ると、特別な世界にいるように見えます。血族や姻族(いんぞく。婚姻による親族関係)に頼るよりも、身近な友人たちに頼る。
カナダで長年暮らしている日本人とか、カナダ人であろう友人とか。著者の夫はカナダ人で、デヴィッドさんです。ベジタリアンのヨギーだそうです。(菜食主義。ヨガを行う人)。編集者をされているそうです。こどもさんはおひとりで、お名前は『S』で書中に出てきます。
(外国住まいで、親戚づきあいが薄いことは、61ページに記述があります)
(92ページに、義母とはもう2年間会っていないと記事があります)
がんの治療内容です。
1タームが3週間。8ターム続ける。
4タームまで:パクリタキセルを投与する。
3週間に1回:カルボプラチンも投与する。
後半4ターム:AC療法(乳がんの抗がん剤治療)。
後半、3週間に1回:シクロホスファミドとドキソルビシンを投与する。
その後、4月ころに手術をする。(乳房を切除する)
侵潤性乳管がん:しんじゅんせいにゅうかんがん
MSPの履歴:マネージドサービスプロバイダ。コンピューターやネットワークのシステム管理
イースター:復活祭。イエス・キリストの復活
(なんというか、文章を読んでいて、著者が、ノートパソコンなり、タブレットの画面なりに、がんがん文字を打ち込んでいる光景が頭に浮かびました)(読み終えて違っていました。自筆の日記を出版化してあるそうです)
72ページまでの第1章部分を読み終えて、著者はがんの宣告を受けて、心が不安定になり混乱しています。
たくさんの名前が出てきます。わからない単語も出てきます。
著者は自分に向けて、文章を書き続けていると思います。(自筆の日記と聞いて納得できます)
9月2日メディカルクリニック受診。ロナルド医師と面談。診断は、トリプルネガティブ(転移が多いがん)
自然が豊かで、街中に女性蔑視の広告がないバンクーバーと、そうではない東京の比較があります。
日本人男性の感覚はマヒしています。女性を商品として扱うことになんの違和感ももっていません。そして、そういう人が社会で権力を握っています。
トレイル:歩くための道
PET検査:がんの検査。がんの有無、転移、治療効果、再発など。
Spotify:デジタル配信サービス
生検査:病変の一部を顕微鏡で詳しく調べる。
実母の気持ちとして『お母さんには、祈ることしか出来ひんから。』(自分でどうすることもできないとき、人は祈ります)
いろいろ読んでいると、著者はがんの家系に生まれたことがわかります。がんで亡くなっている人が多い。
著者は小泉今日子さんとZoomでお話をされています。(私は毎朝NHK朝ドラの再放送で『あまちゃん』を見ているので、毎日のように小泉今日子さんが登場します。本を読んでいて身近に感じます)Zoomズーム:Web会議サービス
1977年5月7日生まれ。
著者は抗がん剤治療の副作用で髪の毛が抜け落ちていきます。
悲惨です。
鼻毛も、だいじなところの毛も抜けます。
鼻毛が抜けると鼻くそがたまるそうです。
患者と医療事務関係者との立場は対等です。
患者は王様ではない。
日本だと、お客さまは神様というような扱い方がありますが、間違っています。
サービスを提供する者も受ける者も立場は対等です。
2019年12月(令和元年)にバンクーバーに来た。
海をながめるビーチのようすが素敵です。
がんになって、海を見る。
波の音を聴く。
自分の人生について深く考える。
著者はむずかしい精神世界の中で生きています。
日本とはずいぶん違う医療システムです。
救急外来に行っても、医師にみてもらえるまでに8時間もかかっています。(ご主人の胆石による痛みにて)
カナダのバンクーバーでは、日本のように、従業員が組織を代表して謝るという習慣がないそうです。
自分は〇〇の担当だから、〇〇のことをしているから、自分は自分の仕事をきちんとしている。
相手にとって不都合な点は、自分の職務怠慢が原因でないときは謝らない。
悪いのは、会社や組織の運営にある。というような理屈で、それが外国での常識です。
著者は、それはそれで良しとしています。
客がいないのに、持ち場でじっとしている日本人は奇異なのです。
くわえて、日本のように、黙っていても人がやってくれるという意識でいたら外国ではやっていけないというような表現があります。自分のことは自分で調べてどんどん聞く。たしかに、自分のことを自分でやらず、人にやらせようとする人は多い。
著者は、抗がん剤治療をしている自分と、自分が拾ってきて飼っていたネコ『エキ』のことを重ねます。『エキ』は、電車の車庫で保護したので『エキ』という名前のネコです。『エキ』は、病気です。
79ページに、角田光代さんとの対談に関する記事があります。
2019年12月6日(令和元年)。著者夫婦は、バンクーバーに到着した。
バンクーバー滞在は2年間の予定だった。
パニックアタック:ストレスで、息ができなくなる。よつんばいになる。床にうつぶせで倒れこむ。
吐く(はく)。かなりしんどそうです。
赤い尿が出る。
セージのお香:ハーブの一種
ときおり、ゴシック体の太字で、本から引用した文章がページ上(じょう)に置かれています。
心の支えです。読書が、心をささえています。
カナダバンクーバーの歴史や風土のことが書いてあります。(カナダの首都は東部にあるオタワ)
いいところもあるし、そうでないところもあります。
バンクーバーでの暮らしはお金がかかる。高額な家賃。キツラノ:キツラノ地区。都会のビーチ
広告が少ない。消費衝動をあおらない。
先住民が暮らしていた土地を白人が奪ってカナダという国をつくった。
アルコール中毒や薬物中毒が社会的な問題になっている。薬物使用者が多い。路上で薬物注射をしている人がいる。
日本で、薬物使用で逮捕された芸能人の話があります。最近は、大学運動部の部員が逮捕されて大きな問題になっています。
オーバードーズ:薬の過剰摂取
スティグマ:否定されて、不当な扱いを受ける。
ハウスレス:ホームレス。家のない人
矜持(きょうじ):プライド。誇り
(つづく)
第3章の部分です。『身体は、みじめさの中で』
112ページ、全体の半分ぐらい、ここまで読んできて、この本の内容を理解するためにはそれなりの労力を要します。
いくつかの雑誌でこの本の書評や感想を読みましたが、どれも似たような内容でした。本当にきちんと読んで感想を書かれたのだろうか……(本を売るためと自身の収入を得るための書評なのか)
饒舌な(じょうぜつ。おしゃべりな)文章が続きます。
命の喪失の未来について考察するのなら、言葉数はもう少し少なくても良かった。
文学作品として考えるならば、読み手にとって、情報が多すぎます。
かなり長時間の読書になりました。
疲れました。
両方の乳房を失う手術を受けるそうです。(術後は、二本の赤い線がある状態と、うしろのページで読みました。そうなのか)(右胸にしこりがあって、しこりがない左胸も切除するのか。そういうときもあるのでしょう)(乳首を残すか残さないかの話が出ます)
手術は12時スタート、午後3時15分終了、その日に退院だそうです。びっくり。
ドレーンケア:体内にたまった血液、膿(うみ)、浸出液を体外に出す。
タイレノール:痛み止め
手術当日は、自宅で、午前5時起床でした。
あっという間に手術が終わります。本人は麻酔で手術中の記憶はありません。夕方退院しました。
疾病の状況とは関係のない友人・知人のプライベートな家族関係に関する記述が多い。
著者の不安と緊張、ストレスとパニックの現れなのでしょう。混乱して心理の自己コントールが失われています。
150ページから流し読みに入りました。ちょっと読書が苦痛になってきました。
ときおり、ゴシック体太字で、他の本の引用文が出てくるのですが、必要なものなのだろうか。著者にとっては必要なのでしょうが、読み手にとってはそうでもありません。文章全体にくどさが目立ちます。
全部をなんとか読み終えて思ったことです。著者はパワフルな人だ。
私は、タイピングで書いた文章だと思っていました。
違っていました。
自筆の筆記で、日記として書いたそうです。
出版の予定もなかったそうです。
ゆえにとめどない文章なのでしょう。
夏目漱石作品『吾輩は猫である』に似ています。
谷川俊太郎さんの同作品評論にありましたが、牛がよだれをたらしているような文章がとめどなく続くのです。
キャンサーフリー:治療後、がんの再発はないということ。著者のことです。
本のタイトルにある蜘蛛(くも)はどこに行ったのだろう。
読み手である自分が蜘蛛の居場所を探します。
197ページで見つけました。
著者の寝室にいました。(蜘蛛は母方祖母の生まれかわりです)
2022年(令和4年)、日本への一時帰国があります
マスクがらみの日本社会の不自由さがあります。
東京の街の狭苦しさが、カナダのバンクーバーと比較して分析があります。
日本人は『お金』を大切にする。いっぽう、バンクーバーの人は『自分が自由に使える時間』を大切にすると読み取れます。
日本人は、自分の居場所を守るために、必死で生きている。ほかの人のスペースを尊重できなくなるほど心理的に追い詰められているという分析があります。
論文のようです。日本人論(にほんじんろん)です。
おおむねあたっています。そして、日本人の多くは人間関係で悩みをもっています。
著者は再びカナダへ戻っています。
がんサバイバー:がんの診断を受けたあと生きていく人々
すさまじい量の文字数でした。
疲れました。
(翌日朝のこと)
がんの治療をしている人がこの本を読んでもあまり参考にならないような気がします。
一冊思い浮かぶ本があります。
『がん患者の語りを聴くということ 病棟での心理療法の実践から L・ゴールディ/J・デマレ編 平井正三/鈴木誠 監訳 誠信書房』
一冊3520円と、ちょっと高いですけれど、いい本でした。
(1回目の本読み)
ページを全部、ゆっくり最後までめくってみます。
タイトル『くもをさがす』とはどういう意味だろうか。
『雲をさがす』だという思いこみがありました。
7ページに『蜘蛛(くも)』が出てきました。雲ではなく蜘蛛(くも)なのか……
19ページに『8月17日 今日から日記をつけようと思う』という記述があります。2021年(令和3年)のことです。
20ページに『バンクーバー』とあります。カナダにある都市です。著者の居住地です。カナダの西にあります。カナダの首都は東にあるオタワです。東にあるケベック州はフランス語を話す人が多い。同州にモントリオールがあります。
入院体験について考えてみます。
本書はがん闘病記という前知識は自分にあります。
人によって入院体験は違います。
老齢になるまで、入院体験がない人もいます。
生まれてすぐに入院体験があって、こどものまま亡くなっていくこどもさんもあります。
『電池が切れるまで 宮本雅史 角川つばさ文庫』
私自身は、二十代のときと五十代のときにそれぞれ三か月程度の入院体験があります。最初は内臓の病気、二度目は脳の病気でした。
入院体験があるかないかで、がんを宣告された時の心の持ち方には違いがあると思います。初めて入院される方は、かなりショックを受けると思います。
がんと言われたら、まずは『治療に専念』だと思います。逆に、がんだから働いてはいけないということもないと思います。ケースバイケースです。
『治療に専念』パターンだと、それまでの生活が切断されます。別世界へ、体も心も送り込まれます。
57ページに『10月3日 体が重くて起き上がれない……』とあります。がんではありませんでしたが、二十代の頃の自分の入院体験だと、背中に2トンぐらいの大きな岩がのっかっている感じがしてベッドからなかなか起き上がることができませんでした。
63ページに『ジョージ・ソーンダーズ『十二月の十日』』とあります。読んだことがあります。
そのときの感想メモの一部です。
十二月の十日(じゅうにがつのとおか) ジョージ・ソーンダーズ(米国作家。男性) 岸本佐知子=訳 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)
本の帯に『全米ベストセラー第1位!!!』とあります。知りませんでした。長編小説かと思ったら短編集でした。日本で言うところの、星新一さんのショートショートのようです。全部で10編あります。 購買を誘ううたい文句として、①親しみやすい ②共感を呼ぶ ③笑わせてくれる ④ダメ人間の優しさ、尊厳、奇想 ⑤独創的な文体 とあります。
こちらの本に戻って、112ページに項目としての章が『3 身体は、みじめさの中で』
172ページまでめくって、同じく作家の加納朋子さんの本を思い出しました。白血病になられています。『無菌病棟より愛をこめて 加納朋子 文藝春秋』
そしてもう一冊『無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒(やまもと・ふみお。女性) 新潮社』山本文緒さんは、すい臓がんのため2021年(令和3年)に58歳でご逝去されています。(こちらの本を読み続けていたら、75ページに山本文緒さんのことが出てきました)
作家の職業にある人間は、「作家」ですから、自分が病気になれば、自分の病気のことを文章化します。文章化する行為が 作家の心を支えてくれます。
180ページに、2021年3月名古屋入国在留管理局で、病院受診をさせてもらえず亡くなった外国人のことが書いてあります。
たまたま用事があって、昨年何度か同管理局の前の道路を車で行ったり来たりしました。立派な建物です。でも、密室の中でのことは外にはわかりません。
224ページ、日本国前首相が狙撃される。
リアルな時の流れがあります。ひとつの命が消えて、自分の命も消えるのではないかという不安があります。
(そのときのことですが)241ページ、今朝方(けさがた)読み終えた本に載っていたシンガーソングライターのお名前が出てきました。椎名林檎さんです。
読んだ本は『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) 朝日新聞出版』です。
(2回目の本読み)
ちょっとびっくりしたのは、蜘蛛(くも)に関する記述が、自分と同じ心持ち、体験でした。
わたしがこどもだったころ、だれかに教えてもらったこととして『蜘蛛(くも)は先祖の生まれ変わりだから殺してはいけない』というものがあります。
この本では、著者の亡くなった母方祖母であるサツキさんが蜘蛛になって、著者を噛んで、著者ががんであることを著者に教えてくれたという流れの文脈になっています。
だから『くもをさがす(蜘蛛を探す)』という本のタイトルなのです。ただ、今読んでいるページでは、まだ「さがす」の部分の意味はわかりません。(25ページまで読んだところです)
ご自宅にいた蜘蛛に刺されたことが、乳がんの発見につながっています。
著者の右の胸にしこりがあります。
右胸にしこりができて、超音波検査に行く。紹介状をもらった。2021年(令和3年)5月のことです。3週間後が検査でした。
日本では2020年(令和2年)初春からコロナ禍のごたごたが始まっています。
カナダの医療制度のことが書いてあります。
日本とはだいぶ異なります。読んでいて、日本は恵まれていると思いました。
カナダでは、直接各科目のクリニックの受診はできない。
ファミリードクター(総合医)をまず受診する。ファミリードクターがいない人は、ウォークインクリニックを受診する。紹介状をもらってから専門医を受診する。
救急は混んでいる。8時間から9時間は待たされる。(「救急」とは、なのれないのではないか)
著者が12歳のときに胃がんで亡くなった母方祖母のサツキさんは、電車で席がないと、床に新聞紙を敷いて座っていたそうです。
自分にも同様の体験があります。
まだ自分が小学生だったころ、家族で、夜中に走る、たぶん急行列車で、日本列島を東へ西へとかなりの長距離を移動していました。乗客で混雑しているときは、床に新聞紙を敷いて座っていました。
著者はお酒好きだったそうですが、がんの宣告を受けて断酒したそうです。
不思議だった記事があります。19ページに『(たぶんがんの宣告を受けたから)8月17日 今日から日記をつけようと思う。』とあります。
私が思うに、作家は、こどものときからずーっと日記をつけることを習慣としている。作家は、日記から創作のヒントをつかむ。でも、著者は違います。意外でした。
20ページ付近まで読みましたが、がんの宣告を受けて、著者は混乱しています。
コロナ禍もあって、さらに、外国にいることもあって、著者の心は混乱しています。著者の英会話はペラペラというわけではなさそうです。医療の専門用語はわからない。
著者は一般的な日本人から見ると、特別な世界にいるように見えます。血族や姻族(いんぞく。婚姻による親族関係)に頼るよりも、身近な友人たちに頼る。
カナダで長年暮らしている日本人とか、カナダ人であろう友人とか。著者の夫はカナダ人で、デヴィッドさんです。ベジタリアンのヨギーだそうです。(菜食主義。ヨガを行う人)。編集者をされているそうです。こどもさんはおひとりで、お名前は『S』で書中に出てきます。
(外国住まいで、親戚づきあいが薄いことは、61ページに記述があります)
(92ページに、義母とはもう2年間会っていないと記事があります)
がんの治療内容です。
1タームが3週間。8ターム続ける。
4タームまで:パクリタキセルを投与する。
3週間に1回:カルボプラチンも投与する。
後半4ターム:AC療法(乳がんの抗がん剤治療)。
後半、3週間に1回:シクロホスファミドとドキソルビシンを投与する。
その後、4月ころに手術をする。(乳房を切除する)
侵潤性乳管がん:しんじゅんせいにゅうかんがん
MSPの履歴:マネージドサービスプロバイダ。コンピューターやネットワークのシステム管理
イースター:復活祭。イエス・キリストの復活
(なんというか、文章を読んでいて、著者が、ノートパソコンなり、タブレットの画面なりに、がんがん文字を打ち込んでいる光景が頭に浮かびました)(読み終えて違っていました。自筆の日記を出版化してあるそうです)
72ページまでの第1章部分を読み終えて、著者はがんの宣告を受けて、心が不安定になり混乱しています。
たくさんの名前が出てきます。わからない単語も出てきます。
著者は自分に向けて、文章を書き続けていると思います。(自筆の日記と聞いて納得できます)
9月2日メディカルクリニック受診。ロナルド医師と面談。診断は、トリプルネガティブ(転移が多いがん)
自然が豊かで、街中に女性蔑視の広告がないバンクーバーと、そうではない東京の比較があります。
日本人男性の感覚はマヒしています。女性を商品として扱うことになんの違和感ももっていません。そして、そういう人が社会で権力を握っています。
トレイル:歩くための道
PET検査:がんの検査。がんの有無、転移、治療効果、再発など。
Spotify:デジタル配信サービス
生検査:病変の一部を顕微鏡で詳しく調べる。
実母の気持ちとして『お母さんには、祈ることしか出来ひんから。』(自分でどうすることもできないとき、人は祈ります)
いろいろ読んでいると、著者はがんの家系に生まれたことがわかります。がんで亡くなっている人が多い。
著者は小泉今日子さんとZoomでお話をされています。(私は毎朝NHK朝ドラの再放送で『あまちゃん』を見ているので、毎日のように小泉今日子さんが登場します。本を読んでいて身近に感じます)Zoomズーム:Web会議サービス
1977年5月7日生まれ。
著者は抗がん剤治療の副作用で髪の毛が抜け落ちていきます。
悲惨です。
鼻毛も、だいじなところの毛も抜けます。
鼻毛が抜けると鼻くそがたまるそうです。
患者と医療事務関係者との立場は対等です。
患者は王様ではない。
日本だと、お客さまは神様というような扱い方がありますが、間違っています。
サービスを提供する者も受ける者も立場は対等です。
2019年12月(令和元年)にバンクーバーに来た。
海をながめるビーチのようすが素敵です。
がんになって、海を見る。
波の音を聴く。
自分の人生について深く考える。
著者はむずかしい精神世界の中で生きています。
日本とはずいぶん違う医療システムです。
救急外来に行っても、医師にみてもらえるまでに8時間もかかっています。(ご主人の胆石による痛みにて)
カナダのバンクーバーでは、日本のように、従業員が組織を代表して謝るという習慣がないそうです。
自分は〇〇の担当だから、〇〇のことをしているから、自分は自分の仕事をきちんとしている。
相手にとって不都合な点は、自分の職務怠慢が原因でないときは謝らない。
悪いのは、会社や組織の運営にある。というような理屈で、それが外国での常識です。
著者は、それはそれで良しとしています。
客がいないのに、持ち場でじっとしている日本人は奇異なのです。
くわえて、日本のように、黙っていても人がやってくれるという意識でいたら外国ではやっていけないというような表現があります。自分のことは自分で調べてどんどん聞く。たしかに、自分のことを自分でやらず、人にやらせようとする人は多い。
著者は、抗がん剤治療をしている自分と、自分が拾ってきて飼っていたネコ『エキ』のことを重ねます。『エキ』は、電車の車庫で保護したので『エキ』という名前のネコです。『エキ』は、病気です。
79ページに、角田光代さんとの対談に関する記事があります。
2019年12月6日(令和元年)。著者夫婦は、バンクーバーに到着した。
バンクーバー滞在は2年間の予定だった。
パニックアタック:ストレスで、息ができなくなる。よつんばいになる。床にうつぶせで倒れこむ。
吐く(はく)。かなりしんどそうです。
赤い尿が出る。
セージのお香:ハーブの一種
ときおり、ゴシック体の太字で、本から引用した文章がページ上(じょう)に置かれています。
心の支えです。読書が、心をささえています。
カナダバンクーバーの歴史や風土のことが書いてあります。(カナダの首都は東部にあるオタワ)
いいところもあるし、そうでないところもあります。
バンクーバーでの暮らしはお金がかかる。高額な家賃。キツラノ:キツラノ地区。都会のビーチ
広告が少ない。消費衝動をあおらない。
先住民が暮らしていた土地を白人が奪ってカナダという国をつくった。
アルコール中毒や薬物中毒が社会的な問題になっている。薬物使用者が多い。路上で薬物注射をしている人がいる。
日本で、薬物使用で逮捕された芸能人の話があります。最近は、大学運動部の部員が逮捕されて大きな問題になっています。
オーバードーズ:薬の過剰摂取
スティグマ:否定されて、不当な扱いを受ける。
ハウスレス:ホームレス。家のない人
矜持(きょうじ):プライド。誇り
(つづく)
第3章の部分です。『身体は、みじめさの中で』
112ページ、全体の半分ぐらい、ここまで読んできて、この本の内容を理解するためにはそれなりの労力を要します。
いくつかの雑誌でこの本の書評や感想を読みましたが、どれも似たような内容でした。本当にきちんと読んで感想を書かれたのだろうか……(本を売るためと自身の収入を得るための書評なのか)
饒舌な(じょうぜつ。おしゃべりな)文章が続きます。
命の喪失の未来について考察するのなら、言葉数はもう少し少なくても良かった。
文学作品として考えるならば、読み手にとって、情報が多すぎます。
かなり長時間の読書になりました。
疲れました。
両方の乳房を失う手術を受けるそうです。(術後は、二本の赤い線がある状態と、うしろのページで読みました。そうなのか)(右胸にしこりがあって、しこりがない左胸も切除するのか。そういうときもあるのでしょう)(乳首を残すか残さないかの話が出ます)
手術は12時スタート、午後3時15分終了、その日に退院だそうです。びっくり。
ドレーンケア:体内にたまった血液、膿(うみ)、浸出液を体外に出す。
タイレノール:痛み止め
手術当日は、自宅で、午前5時起床でした。
あっという間に手術が終わります。本人は麻酔で手術中の記憶はありません。夕方退院しました。
疾病の状況とは関係のない友人・知人のプライベートな家族関係に関する記述が多い。
著者の不安と緊張、ストレスとパニックの現れなのでしょう。混乱して心理の自己コントールが失われています。
150ページから流し読みに入りました。ちょっと読書が苦痛になってきました。
ときおり、ゴシック体太字で、他の本の引用文が出てくるのですが、必要なものなのだろうか。著者にとっては必要なのでしょうが、読み手にとってはそうでもありません。文章全体にくどさが目立ちます。
全部をなんとか読み終えて思ったことです。著者はパワフルな人だ。
私は、タイピングで書いた文章だと思っていました。
違っていました。
自筆の筆記で、日記として書いたそうです。
出版の予定もなかったそうです。
ゆえにとめどない文章なのでしょう。
夏目漱石作品『吾輩は猫である』に似ています。
谷川俊太郎さんの同作品評論にありましたが、牛がよだれをたらしているような文章がとめどなく続くのです。
キャンサーフリー:治療後、がんの再発はないということ。著者のことです。
本のタイトルにある蜘蛛(くも)はどこに行ったのだろう。
読み手である自分が蜘蛛の居場所を探します。
197ページで見つけました。
著者の寝室にいました。(蜘蛛は母方祖母の生まれかわりです)
2022年(令和4年)、日本への一時帰国があります
マスクがらみの日本社会の不自由さがあります。
東京の街の狭苦しさが、カナダのバンクーバーと比較して分析があります。
日本人は『お金』を大切にする。いっぽう、バンクーバーの人は『自分が自由に使える時間』を大切にすると読み取れます。
日本人は、自分の居場所を守るために、必死で生きている。ほかの人のスペースを尊重できなくなるほど心理的に追い詰められているという分析があります。
論文のようです。日本人論(にほんじんろん)です。
おおむねあたっています。そして、日本人の多くは人間関係で悩みをもっています。
著者は再びカナダへ戻っています。
がんサバイバー:がんの診断を受けたあと生きていく人々
すさまじい量の文字数でした。
疲れました。
(翌日朝のこと)
がんの治療をしている人がこの本を読んでもあまり参考にならないような気がします。
一冊思い浮かぶ本があります。
『がん患者の語りを聴くということ 病棟での心理療法の実践から L・ゴールディ/J・デマレ編 平井正三/鈴木誠 監訳 誠信書房』
一冊3520円と、ちょっと高いですけれど、いい本でした。
2023年08月19日
東山動物園で遊ぶ
東山動物園で遊ぶ
台風7号が通過したあと、名古屋の東山公園へ、小学校低学年の孫たちと遊びに行ってきました。
真夏の昼間の動物園はシーズンオフです。すいています。
ただし、ナイトズーは大人気です。うちのメンバーが夕方帰るころには、混雑が始まっていました。
北園入口から入って左手にある食堂は穴場です。
ゆっくりリラックスして食事を楽しめます。
コアラのカレー、おいしかった。
ジェットコースターやちびっこ向けの「くまさんコースター」にも乗りました。
このこどものゾウが、かなりかわいい。(水で濡れています)
飼育員がホースで水をかけて、水浴びをさせていたのですが、ちっちゃい体が、コロコロと園庭の中をあっちへいったり、こっちへきたりと、細かく動き回って、見ている人たちの笑顔をさそっていました。
体の高さは135cmぐらいに見えました。(わたしが見た感じです。もうちょっと高いかもしれません)
女の子である、このこどもゾウのお名前は『うらら』です。去年(2022年)6月22日生まれです。
最近きれいに整備された区域です。『アジアの熱帯雨林エリア 新トラ・オランウータン舎』付近です。
スマトラトラです。
スマトラオランウータンです。
キリンのこどもです。前回見た、生まれてまもなくのときは体高が165cmぐらいでしたが、この日は、自分の感覚ですが、3m近くに見えました。2020年10月誕生。この女の子の名前は『カンナ』です。
以前いたホッキョクグマの『サスカッチ』は2020年(令和2年)5月に老齢で亡くなりました。
こちらは、秋田県の男鹿水族館GAO(おがすいぞくかんガオ)から今年(2023年)3月に来てくれた男の子の『フブキ』です。遠くから来てくれてありがとう。サスカッチよりも体が大きくて太くてびっくりしました。まだ2歳8か月ぐらいです。
定番のコアラです。(定番(ていばん):いつもの。ここでは代表的な)
おねんねです。
東山のボートにも乗りました。池の名称は『上池(かみいけ)』です。なかなか良かった。
外国の人たちがいっぱい足こぎボートをこいでいました。
アジア系、アラブ系、欧米系、南米系、いろんなお国のご家族やカップルが、水面移動を楽しんでおられました。
岸にボートが展示されていて『僕たちは別れません』という宣言がボートの側面に書いてあったのがほほえましかった。
ここでボートに乗った恋愛中のカップルは、別れるというジンクスがあります。(ジンクス:えんぎの悪い言い伝え)
台風7号が通過したあと、名古屋の東山公園へ、小学校低学年の孫たちと遊びに行ってきました。
真夏の昼間の動物園はシーズンオフです。すいています。
ただし、ナイトズーは大人気です。うちのメンバーが夕方帰るころには、混雑が始まっていました。
北園入口から入って左手にある食堂は穴場です。
ゆっくりリラックスして食事を楽しめます。
コアラのカレー、おいしかった。
ジェットコースターやちびっこ向けの「くまさんコースター」にも乗りました。
このこどものゾウが、かなりかわいい。(水で濡れています)
飼育員がホースで水をかけて、水浴びをさせていたのですが、ちっちゃい体が、コロコロと園庭の中をあっちへいったり、こっちへきたりと、細かく動き回って、見ている人たちの笑顔をさそっていました。
体の高さは135cmぐらいに見えました。(わたしが見た感じです。もうちょっと高いかもしれません)
女の子である、このこどもゾウのお名前は『うらら』です。去年(2022年)6月22日生まれです。
最近きれいに整備された区域です。『アジアの熱帯雨林エリア 新トラ・オランウータン舎』付近です。
スマトラトラです。
スマトラオランウータンです。
キリンのこどもです。前回見た、生まれてまもなくのときは体高が165cmぐらいでしたが、この日は、自分の感覚ですが、3m近くに見えました。2020年10月誕生。この女の子の名前は『カンナ』です。
以前いたホッキョクグマの『サスカッチ』は2020年(令和2年)5月に老齢で亡くなりました。
こちらは、秋田県の男鹿水族館GAO(おがすいぞくかんガオ)から今年(2023年)3月に来てくれた男の子の『フブキ』です。遠くから来てくれてありがとう。サスカッチよりも体が大きくて太くてびっくりしました。まだ2歳8か月ぐらいです。
定番のコアラです。(定番(ていばん):いつもの。ここでは代表的な)
おねんねです。
東山のボートにも乗りました。池の名称は『上池(かみいけ)』です。なかなか良かった。
外国の人たちがいっぱい足こぎボートをこいでいました。
アジア系、アラブ系、欧米系、南米系、いろんなお国のご家族やカップルが、水面移動を楽しんでおられました。
岸にボートが展示されていて『僕たちは別れません』という宣言がボートの側面に書いてあったのがほほえましかった。
ここでボートに乗った恋愛中のカップルは、別れるというジンクスがあります。(ジンクス:えんぎの悪い言い伝え)
2023年08月18日
太川&えびすのバス旅 最終回 会津若松市から由利本荘市
太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第25弾 最終回 福島県会津若松市から秋田県由利本荘市 2017年1月放送分の再放送 BSテレ東
昨年に引き続き今年も初回から最終回までを放映していただきありがとうございました。
昨年見落とした最初のほうを、今年は観ることができました。これで、きちんと全部を観ました。ありがたい。
えびすよしかずさんは、この番組を終えることができるのがうれしそうです。えびすさんらしい。
最終回の今回は難解ルートなので、始まってもなかなか前へ進むことができません。
ゲストは新田恵利さんです。
えびすさんはお金の話が好きです。お金が好きなのに、金銭管理はできていなさそうだし、競艇以外にお金は使っていなさそうで不思議です。
ちらほら雪が降る中を三人で歩きます。
もう二度と、そんなシーンはこの三人の未来にはありません。
よく歩いたなあ。約10年間、25回目のチャレンジです。バス旅というよりも歩く旅でした。
三人を見ていると、江戸時代の旅人のイメージがあります。
路線バスは短い距離を刻みながら進む。ジグザグのルートをつくりながら進みます。
雪、雪、雪の連続です。かなりきつい。
自分が昨秋行ったことがある『仙台駅』に到着です。でもまだ目的地の秋田県は遠い。
仙台以降も苦悩しながらルートどりをします。そして最後に、バスは尽きました。まるで、命が尽きるように路線バス乗り継ぎの旅という人生のようなこの番組は終わりました。
太川陽介さん『あきらめます』『だめでした……』
えびすよしかずさん『暗く終わっちゃう』
三人で『ありがとう』最後は感謝で終わりたい。
ナレーションのキートン山田さん『笑いと感動をありがとう!!』
継続は力なりという言葉を思い出しました。このあと、太川陽介さんと村井美樹さんとの対決とか、太川陽介さんと松本利夫さん、河合郁人さんとの対決につながっていくのです。
えびすさんお疲れさまでした。余生をゆっくりすごしてください。自分は週刊誌に掲載されているえびすさんのコラムを楽しみに読んでいます。(電子図書週刊誌の短いエッセイ。随筆)
(2022年3月25日の感想文)
太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第25弾 最終回 福島県会津若松市から秋田県由利本荘市 2017年1月放送分の再放送 BSテレ東
最後の回になりました。ロケは、2016年(平成28年)12月です。
自分がこの回の番組を観たのは、今回が初めてです。
残念ながら失敗に終わっています。
とにかくバスがない。あっても、待ち時間が長い。待つか、歩くかでいつも迷う。体力・気力があれば歩きます。
頼りはコミュニティバスです。
今回も歩きが長い。つらい。
吹雪みたいな景色の中を歩くことが続きます。
自分もいっしょに歩いているような気分で映像を見ていました。
福島県から宮城県、山形県から秋田県をめざします。
雪降る寒い一日だから、地元の人たちが提供してくれる暖かい部屋がありがたい。
ゲストの新田恵利さんは、芸能人らしくない気さくな方でした。さっぱりとしていて、親しみやすい。
えびすさんは、番組がなくなるのに、最終回が嬉しそうです。根が正直です。
この番組を観たころにえびすよしかずさんの本を読んでいました。
認知症になる前に発行された本で『死にたくない 一億総終活時代の人生観』2019年発行です。今回の番組のなかでもご本人から発言があるのですが、長崎県にいた高校生時代にアルバイトとして、路線バス車内で車掌をしていたそうです。本には『はじめてやった仕事がバスに乗ることで、71歳になったいまも仕事でバスにのっているのだから、なんだか不思議な感じがします。』と書いてありました。
自分も熊本県にいた小学校一年生のころを思い出すと、確かに路線バスに車掌さんがいました。一度、母親と弟と三人で出かけた帰りに、勘違いをして、バスの乗車口位置を間違えてしまい、バスの乗車口の反対側に行って乗ろうとしたら扉がなくておろおろしてしまい、バスが発車してしまったことがあります。
今から半世紀以上昔のいなかであったがゆえに、今のように一般車両の往来はなく、道も舗装されていなかった覚えがあります。バスが遠ざかりつつ、道のまんなかに置き去りにされそうになった自分は、必死に手を振って、泣きながら走ってバスを追いかけました。
しばらくして、バスは止まってくれました。バスに乗りこんだら、みんながどうしたんだと笑っていました。たぶん、車掌と母親が運転手に向かって止めてくれ!と叫んでいたのでしょう。
太川陽介さんは、バス案内所で問い合わせをするのですが、加齢による老化なのか、耳が遠くなってきているようで、同じことを何度も聞き返します。本人は自覚が薄いのでしょう。
福島県郡山(こおりやま)から乗車したあとに、バスの車窓から見えた紅色の(くれないいろの)朝焼けがきれいでした。
途中で道案内相談のために町役場に立ち寄ります。
始業時の朝礼の最中(さいちゅう)でした。
朝礼は大事です。今日一日のお互いの予定の確認、チームワークで取り組むための声かけをします。連絡不足でミスが起きないようにします。
町役場の職員さんたちは頭脳集団です。太川陽介さんたちは、バスの詳しい乗りかえルートを教えてもらいました。
ありがたい。
その後の、バスの車窓から見えた、蔵王連峰の雪山がきれいでした。
温泉に浸(つ)かって、そのあとのバスの中では、当然眠ります。
雪中行軍(せっちゅうこうぐん)のようすを見ていると気の毒になってきます。もっと若い人たちにチャレンジしてもらったほうがいいのではないかと。
2時間ぐらいの歩きが続きます。
人見知りなのか、まわりにいる一般人の人たちのなかには、撮影ロケのそばにいても、知らんふりをする人たちがいます。
どうしてみんな知らんふりをするのだろう。関係ないというそぶりです。ちょっとさみしい。
まわりの乗客に迷惑をかけないためなのか、撮影がやりやすいためなのか、ロケが土日の設定というのが厳しい(土日は通勤・通学の乗客がいないようで、土日運休の路線があります)
歩いてばかりでした。よくがんばった。
三人は、残念でしたと、暗く終わりました。最終回なのに、かわいそう。
これでいったんBS放送でのこのシリーズの再放送は終りとなりました。
2007年(平成19年)から2017年(平成29年)の放映まで続いた番組でした。
今回、再放送がされていることに気づいたのが遅かったので、初めのほうで放送された番組を見落としました。観たことがない回がまだあります。
また、最初から再放送していただけると助かります。また観ます。
昨年に引き続き今年も初回から最終回までを放映していただきありがとうございました。
昨年見落とした最初のほうを、今年は観ることができました。これで、きちんと全部を観ました。ありがたい。
えびすよしかずさんは、この番組を終えることができるのがうれしそうです。えびすさんらしい。
最終回の今回は難解ルートなので、始まってもなかなか前へ進むことができません。
ゲストは新田恵利さんです。
えびすさんはお金の話が好きです。お金が好きなのに、金銭管理はできていなさそうだし、競艇以外にお金は使っていなさそうで不思議です。
ちらほら雪が降る中を三人で歩きます。
もう二度と、そんなシーンはこの三人の未来にはありません。
よく歩いたなあ。約10年間、25回目のチャレンジです。バス旅というよりも歩く旅でした。
三人を見ていると、江戸時代の旅人のイメージがあります。
路線バスは短い距離を刻みながら進む。ジグザグのルートをつくりながら進みます。
雪、雪、雪の連続です。かなりきつい。
自分が昨秋行ったことがある『仙台駅』に到着です。でもまだ目的地の秋田県は遠い。
仙台以降も苦悩しながらルートどりをします。そして最後に、バスは尽きました。まるで、命が尽きるように路線バス乗り継ぎの旅という人生のようなこの番組は終わりました。
太川陽介さん『あきらめます』『だめでした……』
えびすよしかずさん『暗く終わっちゃう』
三人で『ありがとう』最後は感謝で終わりたい。
ナレーションのキートン山田さん『笑いと感動をありがとう!!』
継続は力なりという言葉を思い出しました。このあと、太川陽介さんと村井美樹さんとの対決とか、太川陽介さんと松本利夫さん、河合郁人さんとの対決につながっていくのです。
えびすさんお疲れさまでした。余生をゆっくりすごしてください。自分は週刊誌に掲載されているえびすさんのコラムを楽しみに読んでいます。(電子図書週刊誌の短いエッセイ。随筆)
(2022年3月25日の感想文)
太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第25弾 最終回 福島県会津若松市から秋田県由利本荘市 2017年1月放送分の再放送 BSテレ東
最後の回になりました。ロケは、2016年(平成28年)12月です。
自分がこの回の番組を観たのは、今回が初めてです。
残念ながら失敗に終わっています。
とにかくバスがない。あっても、待ち時間が長い。待つか、歩くかでいつも迷う。体力・気力があれば歩きます。
頼りはコミュニティバスです。
今回も歩きが長い。つらい。
吹雪みたいな景色の中を歩くことが続きます。
自分もいっしょに歩いているような気分で映像を見ていました。
福島県から宮城県、山形県から秋田県をめざします。
雪降る寒い一日だから、地元の人たちが提供してくれる暖かい部屋がありがたい。
ゲストの新田恵利さんは、芸能人らしくない気さくな方でした。さっぱりとしていて、親しみやすい。
えびすさんは、番組がなくなるのに、最終回が嬉しそうです。根が正直です。
この番組を観たころにえびすよしかずさんの本を読んでいました。
認知症になる前に発行された本で『死にたくない 一億総終活時代の人生観』2019年発行です。今回の番組のなかでもご本人から発言があるのですが、長崎県にいた高校生時代にアルバイトとして、路線バス車内で車掌をしていたそうです。本には『はじめてやった仕事がバスに乗ることで、71歳になったいまも仕事でバスにのっているのだから、なんだか不思議な感じがします。』と書いてありました。
自分も熊本県にいた小学校一年生のころを思い出すと、確かに路線バスに車掌さんがいました。一度、母親と弟と三人で出かけた帰りに、勘違いをして、バスの乗車口位置を間違えてしまい、バスの乗車口の反対側に行って乗ろうとしたら扉がなくておろおろしてしまい、バスが発車してしまったことがあります。
今から半世紀以上昔のいなかであったがゆえに、今のように一般車両の往来はなく、道も舗装されていなかった覚えがあります。バスが遠ざかりつつ、道のまんなかに置き去りにされそうになった自分は、必死に手を振って、泣きながら走ってバスを追いかけました。
しばらくして、バスは止まってくれました。バスに乗りこんだら、みんながどうしたんだと笑っていました。たぶん、車掌と母親が運転手に向かって止めてくれ!と叫んでいたのでしょう。
太川陽介さんは、バス案内所で問い合わせをするのですが、加齢による老化なのか、耳が遠くなってきているようで、同じことを何度も聞き返します。本人は自覚が薄いのでしょう。
福島県郡山(こおりやま)から乗車したあとに、バスの車窓から見えた紅色の(くれないいろの)朝焼けがきれいでした。
途中で道案内相談のために町役場に立ち寄ります。
始業時の朝礼の最中(さいちゅう)でした。
朝礼は大事です。今日一日のお互いの予定の確認、チームワークで取り組むための声かけをします。連絡不足でミスが起きないようにします。
町役場の職員さんたちは頭脳集団です。太川陽介さんたちは、バスの詳しい乗りかえルートを教えてもらいました。
ありがたい。
その後の、バスの車窓から見えた、蔵王連峰の雪山がきれいでした。
温泉に浸(つ)かって、そのあとのバスの中では、当然眠ります。
雪中行軍(せっちゅうこうぐん)のようすを見ていると気の毒になってきます。もっと若い人たちにチャレンジしてもらったほうがいいのではないかと。
2時間ぐらいの歩きが続きます。
人見知りなのか、まわりにいる一般人の人たちのなかには、撮影ロケのそばにいても、知らんふりをする人たちがいます。
どうしてみんな知らんふりをするのだろう。関係ないというそぶりです。ちょっとさみしい。
まわりの乗客に迷惑をかけないためなのか、撮影がやりやすいためなのか、ロケが土日の設定というのが厳しい(土日は通勤・通学の乗客がいないようで、土日運休の路線があります)
歩いてばかりでした。よくがんばった。
三人は、残念でしたと、暗く終わりました。最終回なのに、かわいそう。
これでいったんBS放送でのこのシリーズの再放送は終りとなりました。
2007年(平成19年)から2017年(平成29年)の放映まで続いた番組でした。
今回、再放送がされていることに気づいたのが遅かったので、初めのほうで放送された番組を見落としました。観たことがない回がまだあります。
また、最初から再放送していただけると助かります。また観ます。
2023年08月17日
東野&岡村の旅猿 狩野英孝プロデュース宮城県の旅
東野&岡村の旅猿 狩野英孝(かのう・えいこう)プロデュース宮城県の旅 動画配信サービスHulu(フールー)
仙台駅からロケのスタートです。自分が昨秋訪れた場所です。ただし、駅の東口がロケ場所のようです。自分は西口にいたので、初めて見る場所の映像です。
修学旅行生が無表情で三人のそばを進んでいきます。(不思議?)台湾からの修学旅行生でした。三人が日本のタレントであることを誰も知らない。台湾から来た高校生たちの反応がないところがおもしろかった。
4回放送の3回目まで見たところで感想を書き始めます。
狩野英孝さんの案内がなかなかいい。
狩野英孝さんは地元のことをよくご存じです。
地元愛が伝わってきました。
レンタカーの中で、話がはずみます。
狩野英孝さんは実家が神社です。神社の息子さんです。(ロケの途中で、実家にも立ち寄ってお母さんに挨拶をしました)
車の中で『神さま』はいるかいないかの話になります。
わたしは、長いこと生きてきて神さまを見たことが一度もありません。神さまがいるといいなとは思いますが、いません。狩野英孝さんも同じような発言をされていました。
宗教二世のこどもたち(宗教二世は悩んでいます)が気の毒です。宗教でこどもの日常生活をしばることはやめましょう。(参考図書として『信仰から解放されない子どもたち #宗教2世に信教の自由を 横道誠 編・著 明石書店』)
塩釜港の会長さんと呼ばれる男性が登場しました。
塩釜には昨秋行きました。おいしいお寿司をいただきました。
お店の男性が、岡村隆史さんにマグロの解体を見せてくださいました。(岡村さんは、自分が旅猿の番組で、マグロの解体ショーをすることを目標にされています)
解体の映像を見ました。すごいなあ。
その後食事です。宮城の赤貝、アイナメ、マグロ、おつゆ…… うまそう。いいなあ。
(東野さんと岡村さんは、毎週のように美食です。食べ過ぎて体をこわさないようにコントロールしてくださいな)
狩野英孝さんは、見ていて気持ちがいい人です。スタッフにもお寿司をふるまいます。いい人です。
漫画家石ノ森章太郎さんの萬画館です。仮面ライダーがいます。
以前読んだことがある赤塚不二夫さんの本を思い出しました。
石ノ森章太郎さんはマンガの天才なのです。
『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝 文春文庫』以下は感想メモの一部です。
中卒の20歳ぐらいの赤塚不二夫さんが、2歳年下高校生の石森章太郎(いしのもりしょうたろう)さんに気を使います。中学卒の赤塚不二夫さんは、高校生である石森正太郎さんが書いた難しい漢字入りの文章に驚嘆されています。
昭和30年8月に長谷邦夫(ながたにくにお)さんを含む3人は、手塚治虫先生(てづかおさむせんせい)に会っています。 先生から、漫画だけじゃだめだ。ほかのことも体験しなさいというアドバイスをもらっています。
石森章太郎(いしのもり・しょうたろう):本の中の記述では、漫画づくりの天才です。1938年(昭和13年)-1998年(平成10年)60歳没
漫画家志望者の若者たちが集まっていた『トキワ荘』のお話が出ます。
昭和32年、著者の母親もトキワ荘に来ます。著者のかあちゃんは、トキワ荘のみんなの食事をつくり始めます。藤子不二雄さんのふたりのお母さんもいます。石森章太郎さんのお姉さんもいます。他人同士が家族のように固まって暮らしています。なんだか、すごい。なんだか、天才バカボンとドラえもんとサイボーグ009が同居しているような錯覚におちいります。
萬画館での仮面ライダー変身体験をするのには、体力がいります。自分がやるよりも人がやっているのを見るほうがおもしろい。
昼食場所は、熊肉のうどんを食べるところでした。肉の臭み(くさみ)はないそうです。おいしい、いなかうどんだそうです。東北らしい。
狩野英孝さんのご実家である神社に立ち寄りました。
そういえば、狩野英孝さんの姿は、最近、出川哲朗さんの『充電させてもらえません?』でお見かけしました。旅番組でがんばっている狩野英孝さんです。
ご実家の神社は山の中にあるイメージでしたが平野(へいや)でした。たんぼが広がっています。
サンドイッチマンの白い像がありました。
お母さんのお話を聞きます。親心がありがたい。
狩野英孝さんは心遣いの人(こころづかいのひと)です。
邦画『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン〜』のロケ地を見学します。
偶然ですが、つい最近テレビでその映画を観ました。日本映画専門チャンネルで放送されていました。
物語の中の舞台は、九州福岡県にある筑豊炭田ですが、映画のロケ地はここ宮城県栗原市にあった鉱山だったそうです。両者ともに風景がよく似ています。
立ち寄ったのは、細倉マインパークというところでした。見学場所である、坑道の長さ777mは、そうとう長い。東野・岡村のふたりは、半そでTシャツだから寒そうです。不安そうな顔で坑道を歩いておられました。
この鉱山は、1200年前からあったそうです。知りませんでした。
砂金すくい体験はなかなかいい。楽しそうでした。
狩野英孝さんは地元の人だけあって土地に詳しい。
地元愛が強い。
宮城県ではありませんが、今再放送で見ている岩手県を舞台にした『あまちゃん』のじぇじぇじぇを思い出します。東京上野にGMTというアイドルグループがあって、意味は、地元を愛そうということです。
水族館の映像が良かった。水槽の絵が(映像が)、雄大で幻想的です。きれいです。海の中にいるようです。すごい。
イワシが2万5000匹もいるそうです。
3・11の東日本大震災で松島湾の牡蠣(かき)が全滅して、その後、過去に牡蠣をプレゼントしたことがあるフランスから牡蠣の提供があって、再び松島湾で牡蠣の生産が開始されたという狩野英孝さんによるいきさつ話には、ほろりとくるものがありました。
『人にはやさしく』が基本です。
夕食のこととかハンバーガーのこととかいろいろあります。
じぇじぇじぇのあまちゃんのウニも思い浮かべます。
ホヤという海の幸(さち)も出ます。
日本酒、牛タン、おいしいものばかりです。地方はいいなあ。
(最終回 4回目の放送)
出川哲朗の充電の充電させてもらえませんか? に狩野英孝さんが出たのですが、宿泊するのがホテルではなくて、和風旅館だったので狩野英孝さんは、かなり嫌がりました。
ディレクターが裸足で畳に上がったので本気で怒っていました。見ていてびっくりしました。
今回はどうなるのだろうかと思ってみていたらやはり、三人同室で寝るのは嫌だからと個室を要求されていました。自分の時間を大切にされたいようすです。旅猿では珍しく、ゲストだけが同じ旅館のひとり部屋で寝ました。
狩野英孝さんはマイペースです。ゆずれないものがあります。
番組のタイトルを『旅猿』ではなく『猿旅』と狩野英孝さんが言われた時には、だいじょうぶだろうかと不安になりました。
おそばやさんでおいしい朝ごはんをいただいて、座敷で狩野英孝さんのオバケ話を聞いて、最後はパワースポットである滝の風景を見て終わりました。なかなか充実した旅でした。
滝のようすは、自分自身が行くのはたいへんなので、こうして映像で見るだけで満足ですという気分になりました。
仙台駅からロケのスタートです。自分が昨秋訪れた場所です。ただし、駅の東口がロケ場所のようです。自分は西口にいたので、初めて見る場所の映像です。
修学旅行生が無表情で三人のそばを進んでいきます。(不思議?)台湾からの修学旅行生でした。三人が日本のタレントであることを誰も知らない。台湾から来た高校生たちの反応がないところがおもしろかった。
4回放送の3回目まで見たところで感想を書き始めます。
狩野英孝さんの案内がなかなかいい。
狩野英孝さんは地元のことをよくご存じです。
地元愛が伝わってきました。
レンタカーの中で、話がはずみます。
狩野英孝さんは実家が神社です。神社の息子さんです。(ロケの途中で、実家にも立ち寄ってお母さんに挨拶をしました)
車の中で『神さま』はいるかいないかの話になります。
わたしは、長いこと生きてきて神さまを見たことが一度もありません。神さまがいるといいなとは思いますが、いません。狩野英孝さんも同じような発言をされていました。
宗教二世のこどもたち(宗教二世は悩んでいます)が気の毒です。宗教でこどもの日常生活をしばることはやめましょう。(参考図書として『信仰から解放されない子どもたち #宗教2世に信教の自由を 横道誠 編・著 明石書店』)
塩釜港の会長さんと呼ばれる男性が登場しました。
塩釜には昨秋行きました。おいしいお寿司をいただきました。
お店の男性が、岡村隆史さんにマグロの解体を見せてくださいました。(岡村さんは、自分が旅猿の番組で、マグロの解体ショーをすることを目標にされています)
解体の映像を見ました。すごいなあ。
その後食事です。宮城の赤貝、アイナメ、マグロ、おつゆ…… うまそう。いいなあ。
(東野さんと岡村さんは、毎週のように美食です。食べ過ぎて体をこわさないようにコントロールしてくださいな)
狩野英孝さんは、見ていて気持ちがいい人です。スタッフにもお寿司をふるまいます。いい人です。
漫画家石ノ森章太郎さんの萬画館です。仮面ライダーがいます。
以前読んだことがある赤塚不二夫さんの本を思い出しました。
石ノ森章太郎さんはマンガの天才なのです。
『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝 文春文庫』以下は感想メモの一部です。
中卒の20歳ぐらいの赤塚不二夫さんが、2歳年下高校生の石森章太郎(いしのもりしょうたろう)さんに気を使います。中学卒の赤塚不二夫さんは、高校生である石森正太郎さんが書いた難しい漢字入りの文章に驚嘆されています。
昭和30年8月に長谷邦夫(ながたにくにお)さんを含む3人は、手塚治虫先生(てづかおさむせんせい)に会っています。 先生から、漫画だけじゃだめだ。ほかのことも体験しなさいというアドバイスをもらっています。
石森章太郎(いしのもり・しょうたろう):本の中の記述では、漫画づくりの天才です。1938年(昭和13年)-1998年(平成10年)60歳没
漫画家志望者の若者たちが集まっていた『トキワ荘』のお話が出ます。
昭和32年、著者の母親もトキワ荘に来ます。著者のかあちゃんは、トキワ荘のみんなの食事をつくり始めます。藤子不二雄さんのふたりのお母さんもいます。石森章太郎さんのお姉さんもいます。他人同士が家族のように固まって暮らしています。なんだか、すごい。なんだか、天才バカボンとドラえもんとサイボーグ009が同居しているような錯覚におちいります。
萬画館での仮面ライダー変身体験をするのには、体力がいります。自分がやるよりも人がやっているのを見るほうがおもしろい。
昼食場所は、熊肉のうどんを食べるところでした。肉の臭み(くさみ)はないそうです。おいしい、いなかうどんだそうです。東北らしい。
狩野英孝さんのご実家である神社に立ち寄りました。
そういえば、狩野英孝さんの姿は、最近、出川哲朗さんの『充電させてもらえません?』でお見かけしました。旅番組でがんばっている狩野英孝さんです。
ご実家の神社は山の中にあるイメージでしたが平野(へいや)でした。たんぼが広がっています。
サンドイッチマンの白い像がありました。
お母さんのお話を聞きます。親心がありがたい。
狩野英孝さんは心遣いの人(こころづかいのひと)です。
邦画『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン〜』のロケ地を見学します。
偶然ですが、つい最近テレビでその映画を観ました。日本映画専門チャンネルで放送されていました。
物語の中の舞台は、九州福岡県にある筑豊炭田ですが、映画のロケ地はここ宮城県栗原市にあった鉱山だったそうです。両者ともに風景がよく似ています。
立ち寄ったのは、細倉マインパークというところでした。見学場所である、坑道の長さ777mは、そうとう長い。東野・岡村のふたりは、半そでTシャツだから寒そうです。不安そうな顔で坑道を歩いておられました。
この鉱山は、1200年前からあったそうです。知りませんでした。
砂金すくい体験はなかなかいい。楽しそうでした。
狩野英孝さんは地元の人だけあって土地に詳しい。
地元愛が強い。
宮城県ではありませんが、今再放送で見ている岩手県を舞台にした『あまちゃん』のじぇじぇじぇを思い出します。東京上野にGMTというアイドルグループがあって、意味は、地元を愛そうということです。
水族館の映像が良かった。水槽の絵が(映像が)、雄大で幻想的です。きれいです。海の中にいるようです。すごい。
イワシが2万5000匹もいるそうです。
3・11の東日本大震災で松島湾の牡蠣(かき)が全滅して、その後、過去に牡蠣をプレゼントしたことがあるフランスから牡蠣の提供があって、再び松島湾で牡蠣の生産が開始されたという狩野英孝さんによるいきさつ話には、ほろりとくるものがありました。
『人にはやさしく』が基本です。
夕食のこととかハンバーガーのこととかいろいろあります。
じぇじぇじぇのあまちゃんのウニも思い浮かべます。
ホヤという海の幸(さち)も出ます。
日本酒、牛タン、おいしいものばかりです。地方はいいなあ。
(最終回 4回目の放送)
出川哲朗の充電の充電させてもらえませんか? に狩野英孝さんが出たのですが、宿泊するのがホテルではなくて、和風旅館だったので狩野英孝さんは、かなり嫌がりました。
ディレクターが裸足で畳に上がったので本気で怒っていました。見ていてびっくりしました。
今回はどうなるのだろうかと思ってみていたらやはり、三人同室で寝るのは嫌だからと個室を要求されていました。自分の時間を大切にされたいようすです。旅猿では珍しく、ゲストだけが同じ旅館のひとり部屋で寝ました。
狩野英孝さんはマイペースです。ゆずれないものがあります。
番組のタイトルを『旅猿』ではなく『猿旅』と狩野英孝さんが言われた時には、だいじょうぶだろうかと不安になりました。
おそばやさんでおいしい朝ごはんをいただいて、座敷で狩野英孝さんのオバケ話を聞いて、最後はパワースポットである滝の風景を見て終わりました。なかなか充実した旅でした。
滝のようすは、自分自身が行くのはたいへんなので、こうして映像で見るだけで満足ですという気分になりました。
2023年08月16日
出川哲朗の充電バイクの旅 長野県諏訪大社から天竜峡
ありがたやー! 諏訪大社から超絶景の信州パワースポット街道120キロ! ゴールは神秘の天竜峡なんですが、尾上松也と狩野英孝が大興奮で哲朗タジタジヤバいよヤバいよSP
ゲストは、尾上松也さん(おのえまつやさん。あいにく、わたしは、よく知りません)18歳の少年のような意識をもっている人だと感じました。
ジンギスカン料理がお好きだそうで、番組では、次のゲストと交代する前に、ジンギスカンの焼き肉料理を楽しんでおられました。
少年野球のシーンが良かった。みなさんと楽しんでおられました。
狩野英孝(かのうえいこうさん):この番組を見たときですが、『東野&岡村の旅猿』という番組で、狩野英孝さんが、旅猿のふたりを宮城県でもてなしている放送を、数回のシリーズで紹介していました。
宮城県のほうは、狩野英孝さんのふるさとなので、狩野英孝さんが、生き生きとされていますが、こちらの長野県の充電旅では、うってかわって苦労されています。
狩野英孝さんが、すごく神経質な性格であることがわかりました。(狩野英孝さんが、「泊まるのはホテルじゃないとだめ」と主張したのですが、出川哲朗さんの判断で旅館にしたところ、旅館で、番組の土方(ひじかた)ディレクターが素足で旅館の部屋の畳にあがったら、狩野英孝さんが(不潔だからと)顔色を変えて興奮しながら怒っていました。
旅猿のほうの岡村隆史さんも同様に神経質な人なので、芸人さんには、潔癖でデリケート(繊細せんさい)な人がいることわかります。
充電バイク旅のルートである諏訪湖あたりは、自分もよく知っているところで、30年前ぐらいによく行きました。
旅の途中で立ち寄る光前寺(こうぜんじ)とか、元善光寺、天竜峡(てんりゅうきょう)にも行ったことがあります。
メンバーは、途中立ち寄った神社で結婚式のカップルに遭遇します。
最近は結婚式をしないカップルが増えましたが、コロナ禍もおさまったので、親族と親しい友人だけでも結婚の儀式をして、集合写真を残しておいたほうがいいと自分は思っています。
人生の節目の儀式は大事です。そこまでくるまでには、まわりにいる人間も含めて、それぞれ苦労があったのです。(でも、さきざき別れるようなら、何もしないほうがいいのかもしれません。なんだかよくわからない世の中になってしまいました。昔はあった社会の秩序が消えていく傾向にあります(秩序:整った状態であるための順序ややり方))
出川哲朗さんは『中仙道(なかせんどう)』が、なんなのかが、わからないようです。
東京の日本橋と京都の三条大橋を結ぶ街道で、山の中を歩くルートです。
なんというか、数学のむずかしい数式ができなくても、漢字が十分に書けなくても、仕事はできます。最低限の読み書き計算ができれば、あとは、偏った(かたよった)知識と技能、個人の個性とガッツで勝負できます。そういう労働環境の世界もあります。
途中で出てきた小さな男の子がかわいい。
志村けんさんの『変なおじさん』とか『だっふんだ』のギャクをやってくれました。
諏訪湖の湖畔です。いいお天気で良かった。湖面もおだやかでした。
少年野球チームとの対戦で、出川哲朗さんがランニングホームランをかっとばしました。守っているこどもたちが10人以上いたのにすごい。楽しいひとときでした。
土方(ひじかた)ディレクターはあいかわらずドジで、ピッチャーが投げた球(たま)が男の大事なところに当たって苦しんでおられましたが、まわりは爆笑でした。
天竜川近くの立派なお宅の雰囲気も良かった。
みなさん、人が優しい。
ゲストは、尾上松也さん(おのえまつやさん。あいにく、わたしは、よく知りません)18歳の少年のような意識をもっている人だと感じました。
ジンギスカン料理がお好きだそうで、番組では、次のゲストと交代する前に、ジンギスカンの焼き肉料理を楽しんでおられました。
少年野球のシーンが良かった。みなさんと楽しんでおられました。
狩野英孝(かのうえいこうさん):この番組を見たときですが、『東野&岡村の旅猿』という番組で、狩野英孝さんが、旅猿のふたりを宮城県でもてなしている放送を、数回のシリーズで紹介していました。
宮城県のほうは、狩野英孝さんのふるさとなので、狩野英孝さんが、生き生きとされていますが、こちらの長野県の充電旅では、うってかわって苦労されています。
狩野英孝さんが、すごく神経質な性格であることがわかりました。(狩野英孝さんが、「泊まるのはホテルじゃないとだめ」と主張したのですが、出川哲朗さんの判断で旅館にしたところ、旅館で、番組の土方(ひじかた)ディレクターが素足で旅館の部屋の畳にあがったら、狩野英孝さんが(不潔だからと)顔色を変えて興奮しながら怒っていました。
旅猿のほうの岡村隆史さんも同様に神経質な人なので、芸人さんには、潔癖でデリケート(繊細せんさい)な人がいることわかります。
充電バイク旅のルートである諏訪湖あたりは、自分もよく知っているところで、30年前ぐらいによく行きました。
旅の途中で立ち寄る光前寺(こうぜんじ)とか、元善光寺、天竜峡(てんりゅうきょう)にも行ったことがあります。
メンバーは、途中立ち寄った神社で結婚式のカップルに遭遇します。
最近は結婚式をしないカップルが増えましたが、コロナ禍もおさまったので、親族と親しい友人だけでも結婚の儀式をして、集合写真を残しておいたほうがいいと自分は思っています。
人生の節目の儀式は大事です。そこまでくるまでには、まわりにいる人間も含めて、それぞれ苦労があったのです。(でも、さきざき別れるようなら、何もしないほうがいいのかもしれません。なんだかよくわからない世の中になってしまいました。昔はあった社会の秩序が消えていく傾向にあります(秩序:整った状態であるための順序ややり方))
出川哲朗さんは『中仙道(なかせんどう)』が、なんなのかが、わからないようです。
東京の日本橋と京都の三条大橋を結ぶ街道で、山の中を歩くルートです。
なんというか、数学のむずかしい数式ができなくても、漢字が十分に書けなくても、仕事はできます。最低限の読み書き計算ができれば、あとは、偏った(かたよった)知識と技能、個人の個性とガッツで勝負できます。そういう労働環境の世界もあります。
途中で出てきた小さな男の子がかわいい。
志村けんさんの『変なおじさん』とか『だっふんだ』のギャクをやってくれました。
諏訪湖の湖畔です。いいお天気で良かった。湖面もおだやかでした。
少年野球チームとの対戦で、出川哲朗さんがランニングホームランをかっとばしました。守っているこどもたちが10人以上いたのにすごい。楽しいひとときでした。
土方(ひじかた)ディレクターはあいかわらずドジで、ピッチャーが投げた球(たま)が男の大事なところに当たって苦しんでおられましたが、まわりは爆笑でした。
天竜川近くの立派なお宅の雰囲気も良かった。
みなさん、人が優しい。