2023年08月22日
サバカン SABAKAN 邦画
サバカン SABAKAN 邦画 2022年公開 BS日本映画専門チャンネル
サバカンは、缶詰の「サバ缶」のことなのですが、映画のタイトルの意味として、なんのことだろう? とひっかかりながらの映画鑑賞になりました。
サバカンは、サバカンの中身を寿司だね(具、材料)にするのです。
小学生の男の子が、お金がない貧しい生活だから、自分でサバカンの中身を寿司だねにして、自分で握りずしを握るのです。
そして、こどもに教えるように「さば缶ずし」を握ってくれたのは、今は亡き父親なのです。
この映画は、小学5年生のふたりの男の子の物語です。
ふたりで過ごした夏休みの思い出話です。
時代設定は、1986年(昭和61年)です。
前半は、洋画の「スタンド・バイ・ミー」を観ているようです。
ふたりの少年は、自転車で、ブーメラン島へ向かいます。
ひさちゃん:久田孝明。おとなになったら草彅剛(くさなぎ・つよし)さん。彼のひとり語りナレーションで、物語は進んでいきます。
おとなになったひさちゃんは、小説家になりたいけれどなれなくて、ゴーストライターをしています。(名前で本が売れる人の影の文章作成者)
もうひとりが、たけちゃん:竹本健次。貧しい母子家庭のこども。兄弟姉妹が全員で5人(三男二女)いて、たけちゃんが長男です。
昭和60年前後のこととして、アイドルタレントの斉藤由貴さんのことが流れます。ポスターとか流行歌とかがなつかしい。
映像を観ていて思うのは、もっと登場人物同士の会話がほしい。
音楽(BGM)で観ている人の感情をひっぱる手法です。
ビンボーをばかにしたり、いじめのネタにしたりするのですが、同じく母子家庭だったわたしのときは、時代がもっとさかのぼるのですが、ビンボーが理由でいじめにあうようなことはなかった記憶です。なぜなら当時は、みんながビンボーだったからです。(昭和30年代~40年代。1955年代)
こどものころのビンボー体験は、おとなになってから役に立ちます。こどものときにビンボーだったからといって、一生ビンボーが続くと決定したわけではありません。
とりあえず勉強することです。テストで点がとれて勉強ができるようになれば、ビンボーから脱出する可能性が高まります。
「ジャミラ」という怪獣がなつかしい。
30分10円で、父親の肩をたたく。(こどものころの自分にもそんな体験があります。まだ父親も生きていました)
自分は九州生まれなので、劇中の九州弁がなつかしい。
なんだか、生活臭が強いこどもの映画です。
男は働いて給料を稼ぐ。女は家で家事をして、夫の給料が安いと、妻が夫に給料のことで文句を言う。男尊女卑とか女性差別とか、女性の自立とか、いろいろつっこみどころは多い話の展開です。
オヤジ(父親)は下ネタが多い。多いけれど、人情は濃い(こい)。いい人です。きれいごとじゃなくて、社会の現実をこどもに教育しています。
ひさちゃんも、たけちゃんも、まあ、かなりきつい日常生活の暮らしぶりです。映像ですから演技です。これが現実だと、こどもはつらい。
カセットテープが出てきました。カセットテープを、最近は見かけなくなりました。
映像にあるような暮らしがじっさいにありました。
昔は、映画館にいくと、スクリーンの中に映っている暮らしと、観客席で笑って観ているこちらの暮らしぶりが、同じでした。(『男はつらいよ フーテンの寅さん』とかの作品で、渥美清さんが主演でした)。そういう時代がありました。
長崎とか熊本県天草(あまくさ)の島あたりの海にはイルカの群生がいます。
たぶん自分がこどものころにもいたと思うのですが、観光として話題になることはありませんでした。
映画の中には、両親の離婚とか、親権者を決めてこどもの引き取りとか、離婚後こどもと別れて暮らす父親と子の面会とか、母子家庭とか、両親のいない兄弟姉妹の分離とか、けっこうつらい設定が出てきます。人間はどうして、ふつーに時を過ごすことができないのだろう。
他人同士の男女が生涯添い遂げるのはむずかしい。お互いに思いやりが必要です。片方にばかり負担させてはいけません。夫は、文句を言わず「おまかせします」と相手に言えることが、長続きのコツです。
映像を観ていて、これまでに読んだ本を2冊思い出しました。
『風を追いかけて、海へ 高森千穂 国土社』
タイトル「風を追いかけて」の風は、亡くなったおとうさんとの思い出を指します。4年1組水原一樹くんは、川崎市から江ノ島まで、小さな頃におとうさんと一緒に鎌倉の海で写った写真をもって、自転車で旅します。彼につきあってくれるのが、同級生の新城拓人くんです。
『オルゴォル 朱川湊人(しゅかわみなと) 講談社』
両親が離婚した小学生男児が、離婚後東京から大阪に移り住んだ父親にひとりで会いにいくのです。鉄道で大阪まで行ったところ、父親は女性と再婚・同居しており、女性は赤ちゃんを妊娠していて、少年にとっての異母きょうだいが生まれるのですが、周囲の人々は、少年を温かく迎え入れてくれたのです。
さらに、東京で少年と暮らしている実母には彼氏がいるのです。
自分の生活環境を、どうすることもできない小学生男児の姿が切ない。少し内容が違うかもしれませんがそんなふうだった記憶です。
魅力的な文章と文脈の流れが心地よく、作者のもち味のひとつとなっていました。
さて、映画のほうは、主人公であるひさちゃんの母親がかなり怖い。(こわい)まあ、おやじさんも柄(がら)が悪いから、似たもの夫婦です。ああ、そして、ひさちゃんには弟がいます。
韓国の話もでますが、話はふくらみません。なにかしら含みをもたせてあります。九州北部地域は韓国の人が多い。地理的に、韓国が近い位置にあります。
映像は昭和61年の設定で、車は軽トラで、壊れた自転車を荷台に乗せて、あわせて、荷台にこどもふたりも座って乗って移動します。ほんとは危険だから、荷台に人をのせてはいけないのでしょう。
わたしがこどもだった昭和40年ごろは(1965年ごろ)、トラックの荷台に何人も乗って、荷台には、幌(ほろ)をかぶせて外から荷台にいる人が見えないようにして移動することがありました。そうやって、いとこやおじさんたちと海水浴に行った思い出があります。
そのころ、座席にシートベルトというものはありませんでした。
鍵を握る言葉が『またねーー』です。何度も繰り返されます。『またねーー』『またねーー』
友情物語です。
わたしはわからないのですが、BGM(バックグラントミュージック)の使い方が、ロバート・デ・ニーロ映画に似ていると、いっしょに観ていた家族が言っていました。
不満をいくつか書いておきます。
・あいかわらず喫煙シーンが多い日本映画です。不快感しかありません。
・女子高生役の人の存在意味の披露がありませんでした。あわせて、ヤンキーたちのボスについても同様です。
・すでに書きましたが、もっと演者に会話をさせてほしい。
人情に熱い物語でした。
つらいことがいっぱいあります。
『負けんなよ!』のセリフが良かった。
サバカンは、缶詰の「サバ缶」のことなのですが、映画のタイトルの意味として、なんのことだろう? とひっかかりながらの映画鑑賞になりました。
サバカンは、サバカンの中身を寿司だね(具、材料)にするのです。
小学生の男の子が、お金がない貧しい生活だから、自分でサバカンの中身を寿司だねにして、自分で握りずしを握るのです。
そして、こどもに教えるように「さば缶ずし」を握ってくれたのは、今は亡き父親なのです。
この映画は、小学5年生のふたりの男の子の物語です。
ふたりで過ごした夏休みの思い出話です。
時代設定は、1986年(昭和61年)です。
前半は、洋画の「スタンド・バイ・ミー」を観ているようです。
ふたりの少年は、自転車で、ブーメラン島へ向かいます。
ひさちゃん:久田孝明。おとなになったら草彅剛(くさなぎ・つよし)さん。彼のひとり語りナレーションで、物語は進んでいきます。
おとなになったひさちゃんは、小説家になりたいけれどなれなくて、ゴーストライターをしています。(名前で本が売れる人の影の文章作成者)
もうひとりが、たけちゃん:竹本健次。貧しい母子家庭のこども。兄弟姉妹が全員で5人(三男二女)いて、たけちゃんが長男です。
昭和60年前後のこととして、アイドルタレントの斉藤由貴さんのことが流れます。ポスターとか流行歌とかがなつかしい。
映像を観ていて思うのは、もっと登場人物同士の会話がほしい。
音楽(BGM)で観ている人の感情をひっぱる手法です。
ビンボーをばかにしたり、いじめのネタにしたりするのですが、同じく母子家庭だったわたしのときは、時代がもっとさかのぼるのですが、ビンボーが理由でいじめにあうようなことはなかった記憶です。なぜなら当時は、みんながビンボーだったからです。(昭和30年代~40年代。1955年代)
こどものころのビンボー体験は、おとなになってから役に立ちます。こどものときにビンボーだったからといって、一生ビンボーが続くと決定したわけではありません。
とりあえず勉強することです。テストで点がとれて勉強ができるようになれば、ビンボーから脱出する可能性が高まります。
「ジャミラ」という怪獣がなつかしい。
30分10円で、父親の肩をたたく。(こどものころの自分にもそんな体験があります。まだ父親も生きていました)
自分は九州生まれなので、劇中の九州弁がなつかしい。
なんだか、生活臭が強いこどもの映画です。
男は働いて給料を稼ぐ。女は家で家事をして、夫の給料が安いと、妻が夫に給料のことで文句を言う。男尊女卑とか女性差別とか、女性の自立とか、いろいろつっこみどころは多い話の展開です。
オヤジ(父親)は下ネタが多い。多いけれど、人情は濃い(こい)。いい人です。きれいごとじゃなくて、社会の現実をこどもに教育しています。
ひさちゃんも、たけちゃんも、まあ、かなりきつい日常生活の暮らしぶりです。映像ですから演技です。これが現実だと、こどもはつらい。
カセットテープが出てきました。カセットテープを、最近は見かけなくなりました。
映像にあるような暮らしがじっさいにありました。
昔は、映画館にいくと、スクリーンの中に映っている暮らしと、観客席で笑って観ているこちらの暮らしぶりが、同じでした。(『男はつらいよ フーテンの寅さん』とかの作品で、渥美清さんが主演でした)。そういう時代がありました。
長崎とか熊本県天草(あまくさ)の島あたりの海にはイルカの群生がいます。
たぶん自分がこどものころにもいたと思うのですが、観光として話題になることはありませんでした。
映画の中には、両親の離婚とか、親権者を決めてこどもの引き取りとか、離婚後こどもと別れて暮らす父親と子の面会とか、母子家庭とか、両親のいない兄弟姉妹の分離とか、けっこうつらい設定が出てきます。人間はどうして、ふつーに時を過ごすことができないのだろう。
他人同士の男女が生涯添い遂げるのはむずかしい。お互いに思いやりが必要です。片方にばかり負担させてはいけません。夫は、文句を言わず「おまかせします」と相手に言えることが、長続きのコツです。
映像を観ていて、これまでに読んだ本を2冊思い出しました。
『風を追いかけて、海へ 高森千穂 国土社』
タイトル「風を追いかけて」の風は、亡くなったおとうさんとの思い出を指します。4年1組水原一樹くんは、川崎市から江ノ島まで、小さな頃におとうさんと一緒に鎌倉の海で写った写真をもって、自転車で旅します。彼につきあってくれるのが、同級生の新城拓人くんです。
『オルゴォル 朱川湊人(しゅかわみなと) 講談社』
両親が離婚した小学生男児が、離婚後東京から大阪に移り住んだ父親にひとりで会いにいくのです。鉄道で大阪まで行ったところ、父親は女性と再婚・同居しており、女性は赤ちゃんを妊娠していて、少年にとっての異母きょうだいが生まれるのですが、周囲の人々は、少年を温かく迎え入れてくれたのです。
さらに、東京で少年と暮らしている実母には彼氏がいるのです。
自分の生活環境を、どうすることもできない小学生男児の姿が切ない。少し内容が違うかもしれませんがそんなふうだった記憶です。
魅力的な文章と文脈の流れが心地よく、作者のもち味のひとつとなっていました。
さて、映画のほうは、主人公であるひさちゃんの母親がかなり怖い。(こわい)まあ、おやじさんも柄(がら)が悪いから、似たもの夫婦です。ああ、そして、ひさちゃんには弟がいます。
韓国の話もでますが、話はふくらみません。なにかしら含みをもたせてあります。九州北部地域は韓国の人が多い。地理的に、韓国が近い位置にあります。
映像は昭和61年の設定で、車は軽トラで、壊れた自転車を荷台に乗せて、あわせて、荷台にこどもふたりも座って乗って移動します。ほんとは危険だから、荷台に人をのせてはいけないのでしょう。
わたしがこどもだった昭和40年ごろは(1965年ごろ)、トラックの荷台に何人も乗って、荷台には、幌(ほろ)をかぶせて外から荷台にいる人が見えないようにして移動することがありました。そうやって、いとこやおじさんたちと海水浴に行った思い出があります。
そのころ、座席にシートベルトというものはありませんでした。
鍵を握る言葉が『またねーー』です。何度も繰り返されます。『またねーー』『またねーー』
友情物語です。
わたしはわからないのですが、BGM(バックグラントミュージック)の使い方が、ロバート・デ・ニーロ映画に似ていると、いっしょに観ていた家族が言っていました。
不満をいくつか書いておきます。
・あいかわらず喫煙シーンが多い日本映画です。不快感しかありません。
・女子高生役の人の存在意味の披露がありませんでした。あわせて、ヤンキーたちのボスについても同様です。
・すでに書きましたが、もっと演者に会話をさせてほしい。
人情に熱い物語でした。
つらいことがいっぱいあります。
『負けんなよ!』のセリフが良かった。
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