2023年08月18日
太川&えびすのバス旅 最終回 会津若松市から由利本荘市
太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第25弾 最終回 福島県会津若松市から秋田県由利本荘市 2017年1月放送分の再放送 BSテレ東
昨年に引き続き今年も初回から最終回までを放映していただきありがとうございました。
昨年見落とした最初のほうを、今年は観ることができました。これで、きちんと全部を観ました。ありがたい。
えびすよしかずさんは、この番組を終えることができるのがうれしそうです。えびすさんらしい。
最終回の今回は難解ルートなので、始まってもなかなか前へ進むことができません。
ゲストは新田恵利さんです。
えびすさんはお金の話が好きです。お金が好きなのに、金銭管理はできていなさそうだし、競艇以外にお金は使っていなさそうで不思議です。
ちらほら雪が降る中を三人で歩きます。
もう二度と、そんなシーンはこの三人の未来にはありません。
よく歩いたなあ。約10年間、25回目のチャレンジです。バス旅というよりも歩く旅でした。
三人を見ていると、江戸時代の旅人のイメージがあります。
路線バスは短い距離を刻みながら進む。ジグザグのルートをつくりながら進みます。
雪、雪、雪の連続です。かなりきつい。
自分が昨秋行ったことがある『仙台駅』に到着です。でもまだ目的地の秋田県は遠い。
仙台以降も苦悩しながらルートどりをします。そして最後に、バスは尽きました。まるで、命が尽きるように路線バス乗り継ぎの旅という人生のようなこの番組は終わりました。
太川陽介さん『あきらめます』『だめでした……』
えびすよしかずさん『暗く終わっちゃう』
三人で『ありがとう』最後は感謝で終わりたい。
ナレーションのキートン山田さん『笑いと感動をありがとう!!』
継続は力なりという言葉を思い出しました。このあと、太川陽介さんと村井美樹さんとの対決とか、太川陽介さんと松本利夫さん、河合郁人さんとの対決につながっていくのです。
えびすさんお疲れさまでした。余生をゆっくりすごしてください。自分は週刊誌に掲載されているえびすさんのコラムを楽しみに読んでいます。(電子図書週刊誌の短いエッセイ。随筆)
(2022年3月25日の感想文)
太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第25弾 最終回 福島県会津若松市から秋田県由利本荘市 2017年1月放送分の再放送 BSテレ東
最後の回になりました。ロケは、2016年(平成28年)12月です。
自分がこの回の番組を観たのは、今回が初めてです。
残念ながら失敗に終わっています。
とにかくバスがない。あっても、待ち時間が長い。待つか、歩くかでいつも迷う。体力・気力があれば歩きます。
頼りはコミュニティバスです。
今回も歩きが長い。つらい。
吹雪みたいな景色の中を歩くことが続きます。
自分もいっしょに歩いているような気分で映像を見ていました。
福島県から宮城県、山形県から秋田県をめざします。
雪降る寒い一日だから、地元の人たちが提供してくれる暖かい部屋がありがたい。
ゲストの新田恵利さんは、芸能人らしくない気さくな方でした。さっぱりとしていて、親しみやすい。
えびすさんは、番組がなくなるのに、最終回が嬉しそうです。根が正直です。
この番組を観たころにえびすよしかずさんの本を読んでいました。
認知症になる前に発行された本で『死にたくない 一億総終活時代の人生観』2019年発行です。今回の番組のなかでもご本人から発言があるのですが、長崎県にいた高校生時代にアルバイトとして、路線バス車内で車掌をしていたそうです。本には『はじめてやった仕事がバスに乗ることで、71歳になったいまも仕事でバスにのっているのだから、なんだか不思議な感じがします。』と書いてありました。
自分も熊本県にいた小学校一年生のころを思い出すと、確かに路線バスに車掌さんがいました。一度、母親と弟と三人で出かけた帰りに、勘違いをして、バスの乗車口位置を間違えてしまい、バスの乗車口の反対側に行って乗ろうとしたら扉がなくておろおろしてしまい、バスが発車してしまったことがあります。
今から半世紀以上昔のいなかであったがゆえに、今のように一般車両の往来はなく、道も舗装されていなかった覚えがあります。バスが遠ざかりつつ、道のまんなかに置き去りにされそうになった自分は、必死に手を振って、泣きながら走ってバスを追いかけました。
しばらくして、バスは止まってくれました。バスに乗りこんだら、みんながどうしたんだと笑っていました。たぶん、車掌と母親が運転手に向かって止めてくれ!と叫んでいたのでしょう。
太川陽介さんは、バス案内所で問い合わせをするのですが、加齢による老化なのか、耳が遠くなってきているようで、同じことを何度も聞き返します。本人は自覚が薄いのでしょう。
福島県郡山(こおりやま)から乗車したあとに、バスの車窓から見えた紅色の(くれないいろの)朝焼けがきれいでした。
途中で道案内相談のために町役場に立ち寄ります。
始業時の朝礼の最中(さいちゅう)でした。
朝礼は大事です。今日一日のお互いの予定の確認、チームワークで取り組むための声かけをします。連絡不足でミスが起きないようにします。
町役場の職員さんたちは頭脳集団です。太川陽介さんたちは、バスの詳しい乗りかえルートを教えてもらいました。
ありがたい。
その後の、バスの車窓から見えた、蔵王連峰の雪山がきれいでした。
温泉に浸(つ)かって、そのあとのバスの中では、当然眠ります。
雪中行軍(せっちゅうこうぐん)のようすを見ていると気の毒になってきます。もっと若い人たちにチャレンジしてもらったほうがいいのではないかと。
2時間ぐらいの歩きが続きます。
人見知りなのか、まわりにいる一般人の人たちのなかには、撮影ロケのそばにいても、知らんふりをする人たちがいます。
どうしてみんな知らんふりをするのだろう。関係ないというそぶりです。ちょっとさみしい。
まわりの乗客に迷惑をかけないためなのか、撮影がやりやすいためなのか、ロケが土日の設定というのが厳しい(土日は通勤・通学の乗客がいないようで、土日運休の路線があります)
歩いてばかりでした。よくがんばった。
三人は、残念でしたと、暗く終わりました。最終回なのに、かわいそう。
これでいったんBS放送でのこのシリーズの再放送は終りとなりました。
2007年(平成19年)から2017年(平成29年)の放映まで続いた番組でした。
今回、再放送がされていることに気づいたのが遅かったので、初めのほうで放送された番組を見落としました。観たことがない回がまだあります。
また、最初から再放送していただけると助かります。また観ます。
昨年に引き続き今年も初回から最終回までを放映していただきありがとうございました。
昨年見落とした最初のほうを、今年は観ることができました。これで、きちんと全部を観ました。ありがたい。
えびすよしかずさんは、この番組を終えることができるのがうれしそうです。えびすさんらしい。
最終回の今回は難解ルートなので、始まってもなかなか前へ進むことができません。
ゲストは新田恵利さんです。
えびすさんはお金の話が好きです。お金が好きなのに、金銭管理はできていなさそうだし、競艇以外にお金は使っていなさそうで不思議です。
ちらほら雪が降る中を三人で歩きます。
もう二度と、そんなシーンはこの三人の未来にはありません。
よく歩いたなあ。約10年間、25回目のチャレンジです。バス旅というよりも歩く旅でした。
三人を見ていると、江戸時代の旅人のイメージがあります。
路線バスは短い距離を刻みながら進む。ジグザグのルートをつくりながら進みます。
雪、雪、雪の連続です。かなりきつい。
自分が昨秋行ったことがある『仙台駅』に到着です。でもまだ目的地の秋田県は遠い。
仙台以降も苦悩しながらルートどりをします。そして最後に、バスは尽きました。まるで、命が尽きるように路線バス乗り継ぎの旅という人生のようなこの番組は終わりました。
太川陽介さん『あきらめます』『だめでした……』
えびすよしかずさん『暗く終わっちゃう』
三人で『ありがとう』最後は感謝で終わりたい。
ナレーションのキートン山田さん『笑いと感動をありがとう!!』
継続は力なりという言葉を思い出しました。このあと、太川陽介さんと村井美樹さんとの対決とか、太川陽介さんと松本利夫さん、河合郁人さんとの対決につながっていくのです。
えびすさんお疲れさまでした。余生をゆっくりすごしてください。自分は週刊誌に掲載されているえびすさんのコラムを楽しみに読んでいます。(電子図書週刊誌の短いエッセイ。随筆)
(2022年3月25日の感想文)
太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第25弾 最終回 福島県会津若松市から秋田県由利本荘市 2017年1月放送分の再放送 BSテレ東
最後の回になりました。ロケは、2016年(平成28年)12月です。
自分がこの回の番組を観たのは、今回が初めてです。
残念ながら失敗に終わっています。
とにかくバスがない。あっても、待ち時間が長い。待つか、歩くかでいつも迷う。体力・気力があれば歩きます。
頼りはコミュニティバスです。
今回も歩きが長い。つらい。
吹雪みたいな景色の中を歩くことが続きます。
自分もいっしょに歩いているような気分で映像を見ていました。
福島県から宮城県、山形県から秋田県をめざします。
雪降る寒い一日だから、地元の人たちが提供してくれる暖かい部屋がありがたい。
ゲストの新田恵利さんは、芸能人らしくない気さくな方でした。さっぱりとしていて、親しみやすい。
えびすさんは、番組がなくなるのに、最終回が嬉しそうです。根が正直です。
この番組を観たころにえびすよしかずさんの本を読んでいました。
認知症になる前に発行された本で『死にたくない 一億総終活時代の人生観』2019年発行です。今回の番組のなかでもご本人から発言があるのですが、長崎県にいた高校生時代にアルバイトとして、路線バス車内で車掌をしていたそうです。本には『はじめてやった仕事がバスに乗ることで、71歳になったいまも仕事でバスにのっているのだから、なんだか不思議な感じがします。』と書いてありました。
自分も熊本県にいた小学校一年生のころを思い出すと、確かに路線バスに車掌さんがいました。一度、母親と弟と三人で出かけた帰りに、勘違いをして、バスの乗車口位置を間違えてしまい、バスの乗車口の反対側に行って乗ろうとしたら扉がなくておろおろしてしまい、バスが発車してしまったことがあります。
今から半世紀以上昔のいなかであったがゆえに、今のように一般車両の往来はなく、道も舗装されていなかった覚えがあります。バスが遠ざかりつつ、道のまんなかに置き去りにされそうになった自分は、必死に手を振って、泣きながら走ってバスを追いかけました。
しばらくして、バスは止まってくれました。バスに乗りこんだら、みんながどうしたんだと笑っていました。たぶん、車掌と母親が運転手に向かって止めてくれ!と叫んでいたのでしょう。
太川陽介さんは、バス案内所で問い合わせをするのですが、加齢による老化なのか、耳が遠くなってきているようで、同じことを何度も聞き返します。本人は自覚が薄いのでしょう。
福島県郡山(こおりやま)から乗車したあとに、バスの車窓から見えた紅色の(くれないいろの)朝焼けがきれいでした。
途中で道案内相談のために町役場に立ち寄ります。
始業時の朝礼の最中(さいちゅう)でした。
朝礼は大事です。今日一日のお互いの予定の確認、チームワークで取り組むための声かけをします。連絡不足でミスが起きないようにします。
町役場の職員さんたちは頭脳集団です。太川陽介さんたちは、バスの詳しい乗りかえルートを教えてもらいました。
ありがたい。
その後の、バスの車窓から見えた、蔵王連峰の雪山がきれいでした。
温泉に浸(つ)かって、そのあとのバスの中では、当然眠ります。
雪中行軍(せっちゅうこうぐん)のようすを見ていると気の毒になってきます。もっと若い人たちにチャレンジしてもらったほうがいいのではないかと。
2時間ぐらいの歩きが続きます。
人見知りなのか、まわりにいる一般人の人たちのなかには、撮影ロケのそばにいても、知らんふりをする人たちがいます。
どうしてみんな知らんふりをするのだろう。関係ないというそぶりです。ちょっとさみしい。
まわりの乗客に迷惑をかけないためなのか、撮影がやりやすいためなのか、ロケが土日の設定というのが厳しい(土日は通勤・通学の乗客がいないようで、土日運休の路線があります)
歩いてばかりでした。よくがんばった。
三人は、残念でしたと、暗く終わりました。最終回なのに、かわいそう。
これでいったんBS放送でのこのシリーズの再放送は終りとなりました。
2007年(平成19年)から2017年(平成29年)の放映まで続いた番組でした。
今回、再放送がされていることに気づいたのが遅かったので、初めのほうで放送された番組を見落としました。観たことがない回がまだあります。
また、最初から再放送していただけると助かります。また観ます。