2023年06月13日
11ぴきのねことあほうどり 馬場のぼる
11ぴきのねことあほうどり 馬場のぼる こぐま社
かなりおもしろいです。
こんど親戚のちびっこたちに会ったときにプレゼントする候補の一冊に入れておきます。
以前読んだ同作者の絵本が『11ぴきのねこ 馬場のぼる こぐま社』1967年が初版(昭和42年)でした。
これから読む『11ぴきのねことあほうどり』は、1972年初版です。(昭和47年)ロングセラーの絵本です。
『11ぴきのねこが コロッケのみせをはじめました』から始まります。
コロッケ販売店です。『ごっこ遊び』があります。
ちびっこは『ごっこ遊び』が大好きです。
じゃがいもをゆでて、つぶして、パン粉をつけて、油であげます。
どんどんつくって、どんどん売ります。
たくさんつくりすぎて、売れ残ったコロッケを毎日食べるねこ11ぴきです。
コロッケを食べ飽きました。
熊じいさんも、以前、健康にいいと聞き、鶏(にわとり)のレバーを食べ続けていたら、レバーは、もうやめてくれと、体が拒否するようになって、今では1個もレバーを食べられません。
ねこたちは、もうコロッケはいい。とりの丸焼きを食べたいと言い出します。
そこへ、とりが一羽入ってきます。あほうどりです。
こわ~いふんいきがあります。ねこたちが、あほうどりを食べようと考えています。
ねこたちは、あほうどりをだまそうとします。
たくさんのコロッケをあほうどりに提供します。
(人間界にもありそうです。ブラックユーモアです。こどもさんにはわからないでしょう)
どうなるんだろう?
あほうどりにコロッケをたくさん食べさせてからあほうどりを食べる。太らせてから食べる。
そういえば、前回読んだ『11ぴきのねこ』でも『食べる』がテーマで、食べられるのは大きなお魚でした。
ねこが11ぴきいます。
あほうどりが言うには、あほうどりも家に帰れば11わいるそうです。
一匹のねこが各自lわのあほうどりを食べることができる。
しめしめと思う11ぴきのねこたちです。
夢があります。
おさかなバルーンにぶら下がったゴンドラに11ぴきのねこたちが乗っています。気球です。気球は、あほうどりの家へ向かっています。
あほうどりのメンバーが1わずつ登場してきます。(どうなる?!)
ねこたちは、うれしそうです。
到着したあほうどりの家では、固まっている11ぴきのねこたちを、あほうどりたちがじょじょに囲んでいきます。つかまえられているのは、ねこたちのほうです。立場が逆転しつつあります。
うわーー 怪獣だーー さいごの11わめが、巨大なあほうどりだーー おもしろい!
ねこたちの逆転負けです。
本読みをしたら、ちびっこたちは、あほうどりのみかたの立場になって、おおよろこびすることでしょう。
あほどりたちの要求をのんで、ねこたちは、必死であほうどりがたべるためのコロッケをつくるのでした。
かなりおもしろいです。
こんど親戚のちびっこたちに会ったときにプレゼントする候補の一冊に入れておきます。
以前読んだ同作者の絵本が『11ぴきのねこ 馬場のぼる こぐま社』1967年が初版(昭和42年)でした。
これから読む『11ぴきのねことあほうどり』は、1972年初版です。(昭和47年)ロングセラーの絵本です。
『11ぴきのねこが コロッケのみせをはじめました』から始まります。
コロッケ販売店です。『ごっこ遊び』があります。
ちびっこは『ごっこ遊び』が大好きです。
じゃがいもをゆでて、つぶして、パン粉をつけて、油であげます。
どんどんつくって、どんどん売ります。
たくさんつくりすぎて、売れ残ったコロッケを毎日食べるねこ11ぴきです。
コロッケを食べ飽きました。
熊じいさんも、以前、健康にいいと聞き、鶏(にわとり)のレバーを食べ続けていたら、レバーは、もうやめてくれと、体が拒否するようになって、今では1個もレバーを食べられません。
ねこたちは、もうコロッケはいい。とりの丸焼きを食べたいと言い出します。
そこへ、とりが一羽入ってきます。あほうどりです。
こわ~いふんいきがあります。ねこたちが、あほうどりを食べようと考えています。
ねこたちは、あほうどりをだまそうとします。
たくさんのコロッケをあほうどりに提供します。
(人間界にもありそうです。ブラックユーモアです。こどもさんにはわからないでしょう)
どうなるんだろう?
あほうどりにコロッケをたくさん食べさせてからあほうどりを食べる。太らせてから食べる。
そういえば、前回読んだ『11ぴきのねこ』でも『食べる』がテーマで、食べられるのは大きなお魚でした。
ねこが11ぴきいます。
あほうどりが言うには、あほうどりも家に帰れば11わいるそうです。
一匹のねこが各自lわのあほうどりを食べることができる。
しめしめと思う11ぴきのねこたちです。
夢があります。
おさかなバルーンにぶら下がったゴンドラに11ぴきのねこたちが乗っています。気球です。気球は、あほうどりの家へ向かっています。
あほうどりのメンバーが1わずつ登場してきます。(どうなる?!)
ねこたちは、うれしそうです。
到着したあほうどりの家では、固まっている11ぴきのねこたちを、あほうどりたちがじょじょに囲んでいきます。つかまえられているのは、ねこたちのほうです。立場が逆転しつつあります。
うわーー 怪獣だーー さいごの11わめが、巨大なあほうどりだーー おもしろい!
ねこたちの逆転負けです。
本読みをしたら、ちびっこたちは、あほうどりのみかたの立場になって、おおよろこびすることでしょう。
あほどりたちの要求をのんで、ねこたちは、必死であほうどりがたべるためのコロッケをつくるのでした。
2023年06月12日
太川&えびすのバス旅 宮崎県青島から長崎市グラバー園 再放送
太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第23弾 宮崎県青島から長崎市グラバー園 2016年放送分の再放送 BSテレ東
今年の二月に大分県にある別府温泉へ行ったので、番組に出てくる別府市街地のようすに見覚えがあり親しみをもちました。映像を観ながら、別府に行って良かったなーという気分になりました。
番組の最初に太川さんが九州の地図を広げるのですが『祖母山(そぼさん)』の地名が目に飛び込んできてなつかしかった。
まだ、17歳高校二年生のときに頂上まで登りました。祖母山の隣に傾山(かたむきやま)という山があり、ふたつの山の尾根を縦走(じゅうそう)しました。九州の屋根と呼ばれている山岳地帯でした。
太川陽介さんとえびすよしかずさんとゲストのはいだしょうこさんの三人は、最初は体力があって元気がいい。
三泊四日の路線バス乗り継ぎをしながら、だんだん心身ともにボロボロになっていきます。
ふたりから『なんとか湿原(しつげん。地名)』を『(えびすさんのクセである)失言』とからめて、からかわれるえびすさんです。えびすさんは言ってはいけないことを言ってしまう正直者ですが、けして悪人ではありません。善人です。
バス停の時刻表示があいまい(白色塗料で塗りつぶしてあるが、はがれている)な場所で、はいだしょうこさんが近づいてくるバスを見つけて『(こっちに曲がって)入って来るんじゃないですか?!』と連呼する声がおもしろかった。(乗りたかったバスは、三人が立つバス停には寄らず離れた道を通り過ぎていってしまいました。どうもバス停の位置が変わっていたようです)
道ばたにあったお店で食べた宮崎名物マンゴーがおいしそうでした。
九州は大きいようでそうでもありません。鉄道を使えば福岡県にある博多駅から鹿児島までの時間はそれほどかかりません。新幹線だと1時間半ぐらい。(名古屋-東京が、1時間40分ぐらいです)
車を使えば、あちこち行けます。
はいだしょうこさんは、前向きで強気です。
はいだしょうこさんの声は独特で張りがあります。あんな細い体から人心に感動を与える説得力のある声が出てくることが不思議です。
阿蘇山(あそざん)の草千里(くさせんり)あたりの風景は懐かしい(なつかしい)。そこで休憩したあと、噴火口(ふんかこう)を見に行ったことがあります。韓国からのおじさん観光客の方たちが集まっていてにぎやかでした。
刺身がにがてなえびすさんは、焼き鳥が大好きです。お肉の串焼きがおいしそう。レンコンの串焼きもおいしそう。
別府から福岡を抜けて佐賀・長崎へのルート取りがすごい。みんな路線バスです。コミュニティバスのときもあります。
三泊四日の四日目は、疲れているふたりです。(えびすさんとはいだしょうこさん。太川さんはがんばる人です)
(以前観たときの感想文です。2022年2月のとき)
太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第23弾 宮崎県青島から長崎市グラバー園 2016年放送分の再放送 BSテレ東
以前DVDで観たことがありますが、再放送があったので、録画してまた観ました。
ゲストのはいだしょうこさんのきれいな歌声が今も耳に残っています。
長崎県内にある絵本に出てくるようなバス停の中で歌っておられました。
えびすさんが『歌がうまいねー』とほめていました。
えびすさんは、はいだしょうこさんが歌を歌う人であることを知らないようで、きっと今も知らなくて、認知症になって、もう、はいだしょうこさんのことも忘れてしまっているのでしょう。
いろいろと、何度見ても新しい発見がある番組です。
以前見た時は、どうして、熊本空港から熊本市内に行くバスに乗らないのだろうと疑問をもちました。今回もう一度見て、大分県別府市がチェックポイントになっていたことを知りました。
ぼんやり見ていたので気づきませんでした。
この番組で、認知症予防の訓練をしているようなものです。
おいしいお料理として、宮崎県の地鶏(じどり)のあぶり焼き、鶏南蛮(とりなんばん)、マンゴー太陽のタマゴ、たけのこのてんぷらなど。
また、三人とも長時間歩いています。
二時間とかの歩きのときもあります。
気の毒です。
海岸線沿いの道路を路線バスとか乗用車で移動するのは、意外と退屈です。
バスの車内だといねむりしてしまいそうです。
はいだしょうこさんの歌声が美しい。
トトロのものまね。くまモンの歌。手拍子を入れたおもちゃのチャチャチャ。
やはり、バス停でのワンショットが光っています。曲名は知りませんが、『空にあこがれて 空に駆けていく(かけていく)』とお歌いになられた声が美しかった。いつまでも記憶に残ります。才能を感じました。はいだしょうこさんは、いい人でした。(曲名はユーミンの『ひこうき雲』でした)
映像に出てくる阿蘇の草千里の詩があったはずです。(草千里には行ったことがあります)
歳をとりました。草千里の詩があったことは覚えていますが、詩の内容は忘れています。
この番組を観た頃に『海馬 脳は疲れない 池谷裕二 糸井重里』という本を読んでいました。
脳みそにある海馬(かいばという部分)は、記憶の内容について、取捨選択をしますというようなことが書いてありました。
元気はつらつとしていた人が記憶障害になることがあります。90歳近くになって、昔のことは覚えているけれど、ここ数日のことは覚えていない。脳細胞の半分が死んでいる。
残った半分の脳細胞を大事にする。残った半分を生かし続けて、なおかつ、半分だけど、記憶能力をパワーアップさせる。
読んでいた本には、そんなことが書いてありました。
自分は認知症にはなりたくないけれど、もしかしたら、なってしまうかもしれません。
自分の配偶者が認知症になると、けっこうつらい。
自分だけではなく、予防のために、配偶者にも、頭を使わせなきゃいけません。
映像に出てきた九州を横断するやまなみハイウェイは高校生の時に、林間学校のバスで通過しました。
夏の青空に晴れ渡った風景が、実に素晴らしかった。
車窓から見えた大分県にある由布岳(ゆふだけ)の姿も絶景で雄大でした。
映像を観ていて、同じく、高校生だった別の時期に、大分県別府駅で、長時間の電車の待ち時間を体験したことを思い出しました。
自分は行かずに待合室で荷物番をしていましたが、クラブの先輩たちは、市内にある温泉につかりに行きました。
太川さんたちは、一時的にその場所を通過する旅人です。
通過するのと、そこで暮らすのとは、ずいぶん違います。
お店のテーブルに並んで、ちゃんぽんを食べるえびす三きょうだい(姉、兄、ご本人)の姿からは、九州人の家族だなという、あったかみが伝わってきました。
(2021年1月の番組視聴感想メモから)
太川陽介&蛭子能収のローカル路線バス乗継の旅 第23弾 宮崎-長崎 DVD 2016年放映分
以前、テレビでチラリと短いシーンだけ観たことがあります。別府鉄輪温泉(かんなわおんせん)で無駄なバスの利用があったところと、長崎のグラバー園で蛭子能収さんがごきょうだいと対面されたところのシーンでした。
テレビ放映のときは、熊本地震のときと重なって、放映を先延ばしにされたとの記憶です。
地震の発生が、2016年4月14日夜、同じく16日のお昼で、ロケが、4月12日から15日の3泊4日です。宿泊場所は、12日が宮崎県高千穂、13日が別府鉄輪温泉、14日が佐賀市です。
映像で街並みを見ながら自分も行った気分になれました。やはり九州はのんびりした田舎でいい雰囲気です。
不思議だったのは、ルートを見ていると、熊本空港から熊本駅方向へ行くバスに乗ればいいのに大分、別府方面へ回っています。
蛭子能収(えびすよしかず)さん語録として、
「自分が神さま(えびすだから)自分は神さま仏さまを信じない」
九州長崎出身者ですが、どうも九州の地理には詳しくない。
「(長崎で)兄貴に会うよりも大村ボート(競艇場)へ行ったほうがよい」
「グラバー邸はたいしたことないけれど、そこからの(海をのぞむ)景色がいい」
ロケはたいへんです。とくにマドンナは大変です。今回は、はいだしょうこさんでした。長崎のみかんの形をしたバス停の中で歌ったときの歌声がよかった。そこはフルーツ街道で、メロン、スイカ、イチゴの形をしたバス停が続いていました。
自分も行ったことがある場所がいくつも出てきてなつかしかった。九州の人の言葉もなつかしい。
有明海でとれた海苔(のり)、魚のてんぷらの揚げ物がおいしそうでした。
今年の二月に大分県にある別府温泉へ行ったので、番組に出てくる別府市街地のようすに見覚えがあり親しみをもちました。映像を観ながら、別府に行って良かったなーという気分になりました。
番組の最初に太川さんが九州の地図を広げるのですが『祖母山(そぼさん)』の地名が目に飛び込んできてなつかしかった。
まだ、17歳高校二年生のときに頂上まで登りました。祖母山の隣に傾山(かたむきやま)という山があり、ふたつの山の尾根を縦走(じゅうそう)しました。九州の屋根と呼ばれている山岳地帯でした。
太川陽介さんとえびすよしかずさんとゲストのはいだしょうこさんの三人は、最初は体力があって元気がいい。
三泊四日の路線バス乗り継ぎをしながら、だんだん心身ともにボロボロになっていきます。
ふたりから『なんとか湿原(しつげん。地名)』を『(えびすさんのクセである)失言』とからめて、からかわれるえびすさんです。えびすさんは言ってはいけないことを言ってしまう正直者ですが、けして悪人ではありません。善人です。
バス停の時刻表示があいまい(白色塗料で塗りつぶしてあるが、はがれている)な場所で、はいだしょうこさんが近づいてくるバスを見つけて『(こっちに曲がって)入って来るんじゃないですか?!』と連呼する声がおもしろかった。(乗りたかったバスは、三人が立つバス停には寄らず離れた道を通り過ぎていってしまいました。どうもバス停の位置が変わっていたようです)
道ばたにあったお店で食べた宮崎名物マンゴーがおいしそうでした。
九州は大きいようでそうでもありません。鉄道を使えば福岡県にある博多駅から鹿児島までの時間はそれほどかかりません。新幹線だと1時間半ぐらい。(名古屋-東京が、1時間40分ぐらいです)
車を使えば、あちこち行けます。
はいだしょうこさんは、前向きで強気です。
はいだしょうこさんの声は独特で張りがあります。あんな細い体から人心に感動を与える説得力のある声が出てくることが不思議です。
阿蘇山(あそざん)の草千里(くさせんり)あたりの風景は懐かしい(なつかしい)。そこで休憩したあと、噴火口(ふんかこう)を見に行ったことがあります。韓国からのおじさん観光客の方たちが集まっていてにぎやかでした。
刺身がにがてなえびすさんは、焼き鳥が大好きです。お肉の串焼きがおいしそう。レンコンの串焼きもおいしそう。
別府から福岡を抜けて佐賀・長崎へのルート取りがすごい。みんな路線バスです。コミュニティバスのときもあります。
三泊四日の四日目は、疲れているふたりです。(えびすさんとはいだしょうこさん。太川さんはがんばる人です)
(以前観たときの感想文です。2022年2月のとき)
太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第23弾 宮崎県青島から長崎市グラバー園 2016年放送分の再放送 BSテレ東
以前DVDで観たことがありますが、再放送があったので、録画してまた観ました。
ゲストのはいだしょうこさんのきれいな歌声が今も耳に残っています。
長崎県内にある絵本に出てくるようなバス停の中で歌っておられました。
えびすさんが『歌がうまいねー』とほめていました。
えびすさんは、はいだしょうこさんが歌を歌う人であることを知らないようで、きっと今も知らなくて、認知症になって、もう、はいだしょうこさんのことも忘れてしまっているのでしょう。
いろいろと、何度見ても新しい発見がある番組です。
以前見た時は、どうして、熊本空港から熊本市内に行くバスに乗らないのだろうと疑問をもちました。今回もう一度見て、大分県別府市がチェックポイントになっていたことを知りました。
ぼんやり見ていたので気づきませんでした。
この番組で、認知症予防の訓練をしているようなものです。
おいしいお料理として、宮崎県の地鶏(じどり)のあぶり焼き、鶏南蛮(とりなんばん)、マンゴー太陽のタマゴ、たけのこのてんぷらなど。
また、三人とも長時間歩いています。
二時間とかの歩きのときもあります。
気の毒です。
海岸線沿いの道路を路線バスとか乗用車で移動するのは、意外と退屈です。
バスの車内だといねむりしてしまいそうです。
はいだしょうこさんの歌声が美しい。
トトロのものまね。くまモンの歌。手拍子を入れたおもちゃのチャチャチャ。
やはり、バス停でのワンショットが光っています。曲名は知りませんが、『空にあこがれて 空に駆けていく(かけていく)』とお歌いになられた声が美しかった。いつまでも記憶に残ります。才能を感じました。はいだしょうこさんは、いい人でした。(曲名はユーミンの『ひこうき雲』でした)
映像に出てくる阿蘇の草千里の詩があったはずです。(草千里には行ったことがあります)
歳をとりました。草千里の詩があったことは覚えていますが、詩の内容は忘れています。
この番組を観た頃に『海馬 脳は疲れない 池谷裕二 糸井重里』という本を読んでいました。
脳みそにある海馬(かいばという部分)は、記憶の内容について、取捨選択をしますというようなことが書いてありました。
元気はつらつとしていた人が記憶障害になることがあります。90歳近くになって、昔のことは覚えているけれど、ここ数日のことは覚えていない。脳細胞の半分が死んでいる。
残った半分の脳細胞を大事にする。残った半分を生かし続けて、なおかつ、半分だけど、記憶能力をパワーアップさせる。
読んでいた本には、そんなことが書いてありました。
自分は認知症にはなりたくないけれど、もしかしたら、なってしまうかもしれません。
自分の配偶者が認知症になると、けっこうつらい。
自分だけではなく、予防のために、配偶者にも、頭を使わせなきゃいけません。
映像に出てきた九州を横断するやまなみハイウェイは高校生の時に、林間学校のバスで通過しました。
夏の青空に晴れ渡った風景が、実に素晴らしかった。
車窓から見えた大分県にある由布岳(ゆふだけ)の姿も絶景で雄大でした。
映像を観ていて、同じく、高校生だった別の時期に、大分県別府駅で、長時間の電車の待ち時間を体験したことを思い出しました。
自分は行かずに待合室で荷物番をしていましたが、クラブの先輩たちは、市内にある温泉につかりに行きました。
太川さんたちは、一時的にその場所を通過する旅人です。
通過するのと、そこで暮らすのとは、ずいぶん違います。
お店のテーブルに並んで、ちゃんぽんを食べるえびす三きょうだい(姉、兄、ご本人)の姿からは、九州人の家族だなという、あったかみが伝わってきました。
(2021年1月の番組視聴感想メモから)
太川陽介&蛭子能収のローカル路線バス乗継の旅 第23弾 宮崎-長崎 DVD 2016年放映分
以前、テレビでチラリと短いシーンだけ観たことがあります。別府鉄輪温泉(かんなわおんせん)で無駄なバスの利用があったところと、長崎のグラバー園で蛭子能収さんがごきょうだいと対面されたところのシーンでした。
テレビ放映のときは、熊本地震のときと重なって、放映を先延ばしにされたとの記憶です。
地震の発生が、2016年4月14日夜、同じく16日のお昼で、ロケが、4月12日から15日の3泊4日です。宿泊場所は、12日が宮崎県高千穂、13日が別府鉄輪温泉、14日が佐賀市です。
映像で街並みを見ながら自分も行った気分になれました。やはり九州はのんびりした田舎でいい雰囲気です。
不思議だったのは、ルートを見ていると、熊本空港から熊本駅方向へ行くバスに乗ればいいのに大分、別府方面へ回っています。
蛭子能収(えびすよしかず)さん語録として、
「自分が神さま(えびすだから)自分は神さま仏さまを信じない」
九州長崎出身者ですが、どうも九州の地理には詳しくない。
「(長崎で)兄貴に会うよりも大村ボート(競艇場)へ行ったほうがよい」
「グラバー邸はたいしたことないけれど、そこからの(海をのぞむ)景色がいい」
ロケはたいへんです。とくにマドンナは大変です。今回は、はいだしょうこさんでした。長崎のみかんの形をしたバス停の中で歌ったときの歌声がよかった。そこはフルーツ街道で、メロン、スイカ、イチゴの形をしたバス停が続いていました。
自分も行ったことがある場所がいくつも出てきてなつかしかった。九州の人の言葉もなつかしい。
有明海でとれた海苔(のり)、魚のてんぷらの揚げ物がおいしそうでした。
2023年06月09日
マチズモを削り取れ 武田砂鉄
マチズモを削り取れ 武田砂鉄 集英社
以前同作者の『偉い人ほどすぐ逃げる 武田砂鉄(たけだ・さてつ) 文藝春秋』を読みました。
痛快なエッセイ集でした。
2020年の東京オリンピックについてのエッセイには、いろいろ考えさせられました。
結果論ですが、コロナ禍によって、無観客での開催ならば、わざわざ国立競技場を新しいものに建て替える必要もありませんでした。競技場の建て替えにともなって、周辺地域にあった古い文化的な建物も取り壊されたようです。
すったもんだがいろいろあった無理やり開催のオリンピック開催でした。マラソンについては、猛暑対策で、札幌での開催に変更されました。
大会は終わりましたが、その後、汚職が明らかになりました。贈収賄(ぞうしゅうわい)です。結局のところ、選手たちを広告塔にして、組織の上層部にいた人間たちが私腹を肥やしたのです。
ばれて損をしたのは当事者ですが。(地位や職権を利用して、利益を自分のポケットに入れる行為があった)一部の企業の信用は地に落ちました。
さて、こちらの本にある『マチズモ』の意味は、読み始める今、わたしにはわかりません。
マージャン用語しか、思い浮かびません。あがりハイを待つのが『マチ』で、並べてある山からハイをもってくることが『ツモ』です。(でもよく見ると「ツモ」ではなく「ズモ」でした)
本の帯を見ると『マチズモ=男性優位主義』と書いてあります。調べたらスペイン語だそうです。マッチョ=男らしいです。男らしい男。筋肉質で好戦的なイメージがあります。男性優位主義です。女性ではだめなのです。
そうか、「男尊女卑反対」ということが、この本のメッセージだなと理解しました。
以前読んだ本が『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン著 すんみ、小山内園子 訳 タバブックス』と『説教したがる男たち レベッカ・ソルニット ハーン小路恭子・訳 左右社』でした。どちらも男性優先社会の構造に女性が強く反対する内容でした。
日本も男性社会です。
ただ、歳をとってみてわかったことがあります。
人間は年寄りになると、性別が不明朗になるのです。
全員が男性のようでもあるし、全員が女性のようでもあります。中性的になるのです。もう性別はどちらでもいいのです。おじいさんのようなおばあさんもいますし、おばあさんのようなおじいさんもいます。
病院の待合室のベンチで自分が呼ばれるのを座って待っていて、お隣に座っていた人が名前を呼ばれて立ち上がった時に、それまで、その人をおじいさんだと思っていたら、おばあさんだったので、びっくりしたということが、最近ありました。
長い間生きてきて、体のあちこちが壊れていきます。もう元には戻りません。
脳みその働きも衰えてきています。
だれしも入院して、あっちを切ったり、何かを突っ込まれたり、体をひっくりかえされたり、人に見られたくない姿をさらけだしたり、そのうち羞恥心(しゅうちしん。はずかしいと思う気持ち)はなくなります。
手術となれば、まな板の上の鯉(こい)という状態で、どうにでもしてくれです。好いた(すいた)、惚れた(ほれた)の色気もなにもありません。ヨロヨロのヨボヨボで、しわくちゃです。
老いてみて、気が付くのです。性別にこだわることは無意味なことだと。男でも女でもどちらでもいいじゃないかと。
では読み始めます。
石垣島でのお土産屋(おみやげや)の話です。
シーサーのことが、男女のことにからめて、説明が、男のほうが優位に書いてあると指摘があります。
「お母さんは福を呼ぶ」:お母さんの手元には「福」がない。
「お父さんは福を逃さない(にがさない)」:お父さんの手元には「福」がすでにある。
男女平等じゃない。不公平じゃないかという理屈です。(なるほど)
男女雇用機会均等法:わたしが二十代のときの仕事場の宴会で、上司がそういう法律ができたから、これからは女性活躍の時代だとあいさつされたことを覚えています。
あれから四十年以上が経ちました。さて、世の中は女性活躍の社会になったのかと問われると「いいえ」としか言いようがありません。「多少は……」とは言えそうです。
Kさん:雑誌『すばる』の編集女性。男性優位主義について、いつも怒っているそうです。二十代だそうです。(この本を読み終える頃には、本の中で三十代になられました)
都会の夜道は、女性のひとり歩きは怖いというようなことが書いてあります。
それとは別に都会人の歩き方のおかしさについて書いてあります。(人ごみの中を縫うように歩く。女性は男をよけるように歩く)
おもしろい内容になりそうです。
(つづく)
駅で若い女性にぶつかりながら歩く若い男性のことが書いてあります。女性のおっぱいに自分のひじを瞬間的に当てるそうです。エロいにいさんですな。脳みその一部がいかれています。やられたほうは泣き寝入りですが、最近は、防犯カメラ類が整備されているので、男の行為が録画されていて、ネットで流されているそうです。姿が丸見えですな。そのうち個人が特定されますな。ばちが当たりますな。
『……温厚な人は、むしゃくしゃの管理がなんとか上手くいっているだけで……』(なるほど。うまく管理できないと奇妙な行動に出るのか)
女性の賃金は安い。(なるほど。「女は家で家事」という意識が今もありますな。夫とこどもに尽くせですな。夫の親の世話が加わる時もありますな。いい嫁を演じるのは、つらそうです)
逆じゃないかという日本社会の過去が紹介されています。
ベビーカーはじゃまだから、電車に乗る時は、母親は、まわりの人間に配慮しろみたいなことです。
日本はいじめ社会です。強い者は、弱い者をいじめて、憂さ晴らしをします。(うさばらし)
以前読んだ建築家さんが書いた本に、従事者を日本人だけにするといじめが始まるので、スタッフには必ず外国人を入れるようにしているというコメントがありました。
1970年代のことが書いてあります。
今思い出すと異常な時代でした。
弱肉強食の時代でした。
金もうけ第一主義です。
物事を決定する基準は『損か得か』です。
三密(密閉、密集、密接)の空間が多い大都会では、子育てがたいへんそうです。こどものことで、周囲に気を使うことばかりです。
譲らない男たちがいます。競争主義社会の中で育ってきたから、譲ってくれません。自分のことが最優先です。不公平には敏感です。
男は、トラブルが起これば、原因を女のせいにします。
(つづく)
第一章から第十二章まである本です。これから二章以下を読みます。
細かく書くと文章が長くなりそうなので、感想メモは、おおまかに書きます。それでも長くなりそうです。
大都市の満員電車、通勤や通学で女性が痴漢にあうことが書いてあります。
痴漢も盗撮も脳みその病気だと思います。治りません。変態です。(異常、病的)
なんだか、女性が気の毒になってきます。電車はおそろしい乗り物です。
田舎から夢をもって大都会に出て来て、毎日満員電車で痴漢行為にあう。まわりにいる人たちは知らん顔で助けてくれません。日本人の冷酷さがあります。なかには、にやにや笑っているだけの人もいるそうです。(その後、コロナ禍で、乗客数が減少して、環境がいい方向へと変わったのだろうか)
都会で暮らしてなにが幸せなのだろう。田舎には満員電車はありません。暮らしていくうえで快適な空間があるのは、いなかのほうです。
痴漢の加害者を責めると痴漢の加害者の親があやまりに来るそうです。案外、立派な親のこどもが痴漢の加害者だったりもします。親ごさんの苦労がしのばれます。何回も何回も謝りに行くことが続くのでしょう。こどもなんていないほうがいいと思うかもしれません。
男優遇の社会があります。女を叩いて(たたいて)、いじめて嬉しがる(うれしがる)社会です。そういえば、企業の幹部や有名な俳優がセクハラ、パワハラをしたニュースを何度か耳にしました。英雄は色を好む。しかたがない。ほかのことで成果を出しているからいいじゃないかと許容される男社会です。お金や人事の権力をもった男にさからうことはむずかしい。
女性は『自衛(じえい。自分で自分の身を守る)』するしかない。大都会暮らしでの、女性が快適に過ごせる空間は狭い。
男にしても女にしても、人の体にそれほどの違いはない。つくりは同じです。異性の体が素敵だと感じていたのは錯覚だったと歳をとるとわかります。この世は、誤解と錯覚でできあがっているのです。映画やドラマ、小説の中の男女関係は金もうけのために意図的に加工されて美化された世界です。にせものです。現実とはかけ離れています。
医大の受験で女性の受験者が合格点に達しているのに、女だからという理由で不合格にさせられたというニュースに関する記述があります。当然、著者は反発しています。ごもっともです。
不正で不祥事なのに、この出来事を擁護(ようご。いいじゃないか。しかたがないじゃないか)する男性たち、しかも地位の高い男たちがいます。自分が異常なことに気づけていません。ふんぞり返っています。
あたりまえのことをあたりまえにやれない社会があります。
『カネ(金)、カネ、カネ』の社会があります。
学歴差別があって、性別の差別があります。
男が楽をする社会。男だけがいい思いをする社会があります。
ただ、それでもかまわないという女性もいるようです。責任は男に負わせて、自分は責任の小さい立場で男のそばにいられれば得です。
まだ、自分が十代だったころ、どうして女子が、当時の職業の呼び方ですが『スチュワーデス』になりたいのか理解できませんでした。
喫茶店のウェイトレスの仕事を飛行機の機内でやるだけのことではないか。そう考えていました。
この本では、スチュワーデスの採用の話が出ています。ふくらはぎがきれいなこと。ほかにもありますが省略します。男目線の採用基準です。美人コンテストです。見た目が大事です。
ロボットのことが出ています。受付のロボットは、美しい女性型です。なぜそうなのか。男がつくったロボットです。男の受付ロボットは見かけません。
トイレのことが書いてあります。
国会内のトイレの一部には、男女共用トイレがあるそうです。(本会議場の横)男子トイレの半分を女性用にしてあるそうです。びっくりしました。そうか、女性議員が少ないからか。(演劇の劇場で、男子トイレの数が少ないことの反対なのでしょう)
あんなに立派な国会議事堂の中にあるトイレが男女公平につくられていない。おかしな話ではありますが、いくら女性議員が少ないからといって、男子トイレを女性議員に使わせるのは狂っています。おしっこをする音が聞こえてきそうです。
国会は男社会なのでしょう。
国会という『箱』の中で生活を送っている人たちです。
箱の中にいるうちは、箱の中の常識で生きていけるのでしょうが、箱を出たとたん袋叩きにあいそうです。議員だけでなく、そこで働く国家公務員も同じでしょう。
新幹線のトイレの話があります。
昔のこととして、たしかに、わたしがこどもだったときの在来線のトイレは、汚物が、線路上に落ちるしかけでした。
本の中では話がいろいろ広がります。おしっこのときに、洋式トイレを男性は座ってすべきだというご意見です。男が洋式トイレに立っておしっこをすると、便座におしっこが飛び散って汚いそうです。男女共用の便座です。わたしも同感です。
いつでもどこでも立っておしっこをしようとする男は傲慢だ(ごうまん:威張っている。わがまま)です。
トイレの歴史をふりかえてみると、今の若い人たちは恵まれていると思います。
むかしは、どっぽん便所で、男女無関係の共同トイレで、女子のおしっこの音は響き渡っていて、女性はたいへんだったと思います。(もしかしたら今もそういう職場は残っているのかもしれません)
著者は、目の付け所が(視点)がいい。発想がおもしろい。
裁判官の中には、変な判決を出す人がいるらしい。(強姦事件の加害者を無罪にした。女性の明確な拒否がなければ、同意があったと判断するらしい。(その後の第二審で、有罪になって確定しています))男尊女卑の思考をもつ裁判官がいる。
自分は賃貸物件の内覧という体験がありませんが、アパートを借りる時の内覧は襲われたり、襲ったりという危険があるそうです。男性の不動産あっせん会社の従業員が女性客を襲う。あるいは、案内をする同社の女性従業員が、男性客に襲われることもあるでしょう。もう犬猫ですな。嘆かわしい。厳罰を下さねば。(くださねば)
田舎から夢をもって大都会に出て来て、満員電車で痴漢にあい、アパート探しの内覧で襲われる。夢もふっとびそうです。
日本人男性は、エロ業界によってつくられた、誤った情報に洗脳されているらしい。錯覚です。架空の加工された世界が現実も同じだと勘違いしている。
読んでいるとさみしくなってくる内容です。女性として社会で生きていくことはつらい。
まあ、そんな悪い男ばかりではありません。いい人もたくさんいます。あまり口にする人はいませんが、ひとりの異性を一生愛し続けることができる人はいます。そして、たいていの人はそうなのです。
(つづく)
冠婚葬祭の儀式の話です。
結婚式について、いまどきの世間の人たちは、開催について否定的です。
しかたがありません。
昔のようにショーのような盛大な結婚式は減りました。
されど、最低限のことはやっておきたい。
人生の節目です。
結婚式をやらない理由は、お金の負担がまっさきにくるのですが、本当にそうなのだろうか。めんどうくさいが一番の理由ではなかろうか。うっとおしい親戚づきあいを避けたいということもあるのでしょうが、がっかりします。お葬式も含め冠婚葬祭に関して、あれもしない。これもしないでは、生きている意味があるのだろうかという疑問が生じます。
昔と違って、親族同士が助け合わなくても暮らしていける社会に変わりました。
なんでもかんでもめんどくさいからしないという風潮になってしまいました。
儀式というものは、なぜそうするのか。ここまで生きてくることができたことに感謝するからだと思います。むかしは、こどもが病気や事故で死ぬことが多かった。一日一日生きて、成長してということが喜びだった。
今まで積み重ねてきた長い歴史を否定して、これからの日本では、希薄な人間関係がさらにうすくなっていって、孤独な暮らしを送る人が増えていくのでしょう。
本のほうは、『花嫁』として扱われる女性の不都合について書いてあります。女性はこうあるべきだという決めつけに反発する内容になっています。
飲食をしながら雑談することで生れてくる心の交流はあります。
人生の節目で記念写真を残しておくころは『思い出づくり』になります。
人間の体はやがて動かなくなります。
自分が三十歳のころ、女性が書いた自費出版の本を読んだことがあります。フランスで過ごしたときのことが書いてありました。内容を読んで、お元気な方だなと思ったのですが、本の最後に『今は歳をとって病院に入院していて、どこにも行けない体になってしまいました』という文章にぶつかりました。そんなふうにして、人は活発な時期を経て、人生を終えていくのです。『思い出』が多い人生がいい人生です。トラブルがあったとしても、それもまたいい思い出です。
(つづく)
男性社会の中で、女性の社員が仲間はずれにされて、男性社員たちの会話の輪に女性社員が入れてもらえないという話です。
女性差別です。女性の能力を下に見ている男たちがいます。
『女性』は、そこにいても、いないものとして扱われるのです。
女性にとっては、けっこうつらいしきつい。
存在しない人間扱いです。男性が女性の扱いを知らない。男性が女性に対して気をつかわない構図があります。
株式投資の銘柄探しと旅情報の取得のために、自分は定額無制限読書システムでたくさんの電子書籍の流し読みをしているのですが、週刊誌の記事はつまらない。いろいろなマニュアル(手引き、手順書)はあるけれど、そこに人間の『気持ち』はない。『学び』がありません。
エロ小説やエロ写真の記事をつくっている人はどんな気持ちで働いているのだろうかと思うことがあります。『お金のため』という理由しか浮かんできません。モデルもカメラマンもライターもお金のために女性の肉体をさらしている。男にとって女性は道具扱いです。
男中心社会の大企業の食堂での食事風景があります。異様です。異様だけれどだれも文句は言いません。長年の慣行があるからでしょう。ボスと子分たちがいて、いつもいっしょに行動します。食事もいっしょです。
リタイアしたマニュアル型サラリーマン体験者は、地域社会では迷惑者です。
地域社会の活動には、権利義務関係はありません。強制力も命令もありません。企業人のふるまいは、地域社会では通用しません。
(つづく)
高校野球甲子園をめざしての野球部女子マネージャーの扱いについて書いてあります。
女子マネージャーは、男子部員のユニフォームを洗濯するためにいるんじゃない! という主張です。男尊女卑の慣例を批判されています。
高校生女子マネージャーが野球部の練習に付き合っていて、熱中症で亡くなった話題があります。悲惨です。親は泣きます。
高校野球の記事は、男のために、意図的に美談として加工されている。女子は、男子よりも下の扱いで書かれている。
男に対する文句があります。自分のことは自分でやれ!です。(ごもっともです)
女は男のための飯炊き女(めしたきおんな)ではない。
(つづく)
体育会系、スポーツ部活動のあり方に対する批判があります。
著者の心は冷めています。
暴力的な指導者の教え方、女子をエロの対象として扱うという周囲の環境に憤りをもっておられます。(いきどおり:強い不満、怒り(いかり)、反発心)読んでいて共感します。
『体育会に所属すると、徹底的に「理不尽(りふじん:人の道に反すること。道徳に反すること)」を浴びる』とあります。
体育会系ではありませんが、高校生になったとき、いきなり上級生たちが一年生の教室にどなりこんできて、威嚇(いかく)で下級生を統制しようとしていました。
縦型社会で、たとえば、1年1組、2年1組、3年1組でひとつのグループを組んで、体育祭ほかの学校行事で競い合うのです。わたしも顔つきとふてぶてしい態度だけで、そのグループの応援団に入れられました。こんなことは、おかしいとは思いましたが、がんばりました。
教師たちはそのような暴挙を知っていて知らぬふりでした。伝統なのです。いままでずっとそうして統治してきた。生徒は、学年が変わるごとに立場を変えながら続いてきた。怒鳴られた下級生が上級生になると下級生をどなります。今はもうそのようなことはないだろうし、通用しないでしょう。
本にはいろいろ書いてあります。たしかに、第二次世界大戦後の影がまだ残っていた昭和の時代には、異常な精神論がありました。
見た目で選別される。性の対象として見られる。実績のある有名な女子スポーツ選手も同様です。 女性が女性として社会で活動していくことは苦労があります。
エロコンテンツの素材としてアスリートが使われる。
ものが売れるからつくる人間がいる。
買う人間がいる。
盗撮をする人間がいる。
そういう行為をするのが、案外、人の道を教える立場の人間だったりもする。
この世は理不尽(りふじん)なのです。
周囲に訴えても知らん顔をされる。(アイドル男子でも同じ。どこかの芸能事務所のようです)
自分のことは、自分で守るしかないのか……
(つづく)
お寿司屋でのことが書いてあります。
家で料理をするのは女性で、商売で料理を出す料理人は男性なのかについて考察します。とくにお寿司屋さんのことです。
女性をばかにするテレビ番組があります。
テレビ番組には、できないことを笑いにする陰険さ(いんけんさ。いじわる)があります。(自分はあまり見ないようにしています)
男性料理人は女性料理人を見下す。人として扱わないというような内容です。
男たちは、高級寿司店で、うんちくをたれる。(知識を披露する。よく聞くと、中身はないという分析と批評があります。単なる雰囲気づくり。自慢とお世辞(おせじ:喜ばせるほめ言葉)の空間)女性を性的な対象にしたり、見下したりする話題もある。(虚飾の空間です。きょしょく:中身のないうわべだけのもの)
男は師匠の言うことを受け入れる。
師匠が黒いものを白と言ったら、白だと受け入れるのが弟子の基本姿勢です。
男は『選民(せんみん。人間を区分けする。区別する。上下のランク付けをする)』をしたがる。
男にとっていいことは書いてありません。
この部分を読んで、食事は気楽が一番と思いました。
世の中には、男と女しかいないのに、ややこしい。
(つづく)
コロナウィルス感染拡大にちなんで『密閉、密集、密接』の話になりました。(最近は、この言葉も聞かなくなりました)
女性がいる世界が、密閉、密集、密接なのです。犯罪が近い。
『あおり運転』の話が出ます。
あおり運転をするのは男性で、女性があおり運転をしているというテレビ報道は見たことがありません。そんなことが書いてあります。あおり運転をするのは、四十代男性が多い。イライラしている。感情的になって、力づく(ちからづく)でうさ晴らしをしようとする。
もう忘れてしまった言葉として『フラリーマン』(コロナ禍で仕事帰りに居酒屋に立ち寄れなくなったサラリーマンたちが、仕事が終わっても直接家へ帰る気持ちになれない)
この部分を読んでいて『パチンコ』が攻撃されていたことを思い出しました。(感染の場所としてとらえられていた)パチンコ依存症の人たちが悩んでいました。
定番となった編集者女性二十代Kさんからの檄文(げきぶん。意見を強く主張して同意を求める)が届きます。(あたりまえのことが書いてあるのですが、ときに、気の毒で読むことがつらい。男に虐げられている(しいたげられている。いじめられている)女性の叫びが書いてあります。男性が女性よりも優位な公共の場所と空間があります。女性から見れば、むなしい世界です)(次の「章」にKさんの言葉がありました。この本の記事の連載開始当時は27歳だったけれど、30歳になられたそうです)
(つづく)
女性が男性に『人事』をにぎられる話が出てきます。人事権です。人事異動の権限を男性がもっています。採用時のこともあるでしょう。エロ目的の病的な大企業人事担当部署男性社員の懲戒解雇記事をニュースで読んだことがあります。ひどい奴です。会社の信用まで落としてしまいます。就活セクハラです。(読み進めていたら292ページにそんな記事が出てきました。人事担当若手男性社員が、先輩や上司の態度をまねていると分析と評価があります)
『日本社会の随所に存在する男女格差の問題』があって、国は『女性活躍』(そんな言葉がありました)をアピールしたけれどそうならなかった。
かつて、女性にとって職場は『夫となる人』を探す場所であった。結婚したら寿退社(ことぶきたいしゃ)という言葉で退職していた。
そして今は、女性も男性も結婚しなくなった。
読み終えました。
なかなかいい本でした。
以前同作者の『偉い人ほどすぐ逃げる 武田砂鉄(たけだ・さてつ) 文藝春秋』を読みました。
痛快なエッセイ集でした。
2020年の東京オリンピックについてのエッセイには、いろいろ考えさせられました。
結果論ですが、コロナ禍によって、無観客での開催ならば、わざわざ国立競技場を新しいものに建て替える必要もありませんでした。競技場の建て替えにともなって、周辺地域にあった古い文化的な建物も取り壊されたようです。
すったもんだがいろいろあった無理やり開催のオリンピック開催でした。マラソンについては、猛暑対策で、札幌での開催に変更されました。
大会は終わりましたが、その後、汚職が明らかになりました。贈収賄(ぞうしゅうわい)です。結局のところ、選手たちを広告塔にして、組織の上層部にいた人間たちが私腹を肥やしたのです。
ばれて損をしたのは当事者ですが。(地位や職権を利用して、利益を自分のポケットに入れる行為があった)一部の企業の信用は地に落ちました。
さて、こちらの本にある『マチズモ』の意味は、読み始める今、わたしにはわかりません。
マージャン用語しか、思い浮かびません。あがりハイを待つのが『マチ』で、並べてある山からハイをもってくることが『ツモ』です。(でもよく見ると「ツモ」ではなく「ズモ」でした)
本の帯を見ると『マチズモ=男性優位主義』と書いてあります。調べたらスペイン語だそうです。マッチョ=男らしいです。男らしい男。筋肉質で好戦的なイメージがあります。男性優位主義です。女性ではだめなのです。
そうか、「男尊女卑反対」ということが、この本のメッセージだなと理解しました。
以前読んだ本が『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン著 すんみ、小山内園子 訳 タバブックス』と『説教したがる男たち レベッカ・ソルニット ハーン小路恭子・訳 左右社』でした。どちらも男性優先社会の構造に女性が強く反対する内容でした。
日本も男性社会です。
ただ、歳をとってみてわかったことがあります。
人間は年寄りになると、性別が不明朗になるのです。
全員が男性のようでもあるし、全員が女性のようでもあります。中性的になるのです。もう性別はどちらでもいいのです。おじいさんのようなおばあさんもいますし、おばあさんのようなおじいさんもいます。
病院の待合室のベンチで自分が呼ばれるのを座って待っていて、お隣に座っていた人が名前を呼ばれて立ち上がった時に、それまで、その人をおじいさんだと思っていたら、おばあさんだったので、びっくりしたということが、最近ありました。
長い間生きてきて、体のあちこちが壊れていきます。もう元には戻りません。
脳みその働きも衰えてきています。
だれしも入院して、あっちを切ったり、何かを突っ込まれたり、体をひっくりかえされたり、人に見られたくない姿をさらけだしたり、そのうち羞恥心(しゅうちしん。はずかしいと思う気持ち)はなくなります。
手術となれば、まな板の上の鯉(こい)という状態で、どうにでもしてくれです。好いた(すいた)、惚れた(ほれた)の色気もなにもありません。ヨロヨロのヨボヨボで、しわくちゃです。
老いてみて、気が付くのです。性別にこだわることは無意味なことだと。男でも女でもどちらでもいいじゃないかと。
では読み始めます。
石垣島でのお土産屋(おみやげや)の話です。
シーサーのことが、男女のことにからめて、説明が、男のほうが優位に書いてあると指摘があります。
「お母さんは福を呼ぶ」:お母さんの手元には「福」がない。
「お父さんは福を逃さない(にがさない)」:お父さんの手元には「福」がすでにある。
男女平等じゃない。不公平じゃないかという理屈です。(なるほど)
男女雇用機会均等法:わたしが二十代のときの仕事場の宴会で、上司がそういう法律ができたから、これからは女性活躍の時代だとあいさつされたことを覚えています。
あれから四十年以上が経ちました。さて、世の中は女性活躍の社会になったのかと問われると「いいえ」としか言いようがありません。「多少は……」とは言えそうです。
Kさん:雑誌『すばる』の編集女性。男性優位主義について、いつも怒っているそうです。二十代だそうです。(この本を読み終える頃には、本の中で三十代になられました)
都会の夜道は、女性のひとり歩きは怖いというようなことが書いてあります。
それとは別に都会人の歩き方のおかしさについて書いてあります。(人ごみの中を縫うように歩く。女性は男をよけるように歩く)
おもしろい内容になりそうです。
(つづく)
駅で若い女性にぶつかりながら歩く若い男性のことが書いてあります。女性のおっぱいに自分のひじを瞬間的に当てるそうです。エロいにいさんですな。脳みその一部がいかれています。やられたほうは泣き寝入りですが、最近は、防犯カメラ類が整備されているので、男の行為が録画されていて、ネットで流されているそうです。姿が丸見えですな。そのうち個人が特定されますな。ばちが当たりますな。
『……温厚な人は、むしゃくしゃの管理がなんとか上手くいっているだけで……』(なるほど。うまく管理できないと奇妙な行動に出るのか)
女性の賃金は安い。(なるほど。「女は家で家事」という意識が今もありますな。夫とこどもに尽くせですな。夫の親の世話が加わる時もありますな。いい嫁を演じるのは、つらそうです)
逆じゃないかという日本社会の過去が紹介されています。
ベビーカーはじゃまだから、電車に乗る時は、母親は、まわりの人間に配慮しろみたいなことです。
日本はいじめ社会です。強い者は、弱い者をいじめて、憂さ晴らしをします。(うさばらし)
以前読んだ建築家さんが書いた本に、従事者を日本人だけにするといじめが始まるので、スタッフには必ず外国人を入れるようにしているというコメントがありました。
1970年代のことが書いてあります。
今思い出すと異常な時代でした。
弱肉強食の時代でした。
金もうけ第一主義です。
物事を決定する基準は『損か得か』です。
三密(密閉、密集、密接)の空間が多い大都会では、子育てがたいへんそうです。こどものことで、周囲に気を使うことばかりです。
譲らない男たちがいます。競争主義社会の中で育ってきたから、譲ってくれません。自分のことが最優先です。不公平には敏感です。
男は、トラブルが起これば、原因を女のせいにします。
(つづく)
第一章から第十二章まである本です。これから二章以下を読みます。
細かく書くと文章が長くなりそうなので、感想メモは、おおまかに書きます。それでも長くなりそうです。
大都市の満員電車、通勤や通学で女性が痴漢にあうことが書いてあります。
痴漢も盗撮も脳みその病気だと思います。治りません。変態です。(異常、病的)
なんだか、女性が気の毒になってきます。電車はおそろしい乗り物です。
田舎から夢をもって大都会に出て来て、毎日満員電車で痴漢行為にあう。まわりにいる人たちは知らん顔で助けてくれません。日本人の冷酷さがあります。なかには、にやにや笑っているだけの人もいるそうです。(その後、コロナ禍で、乗客数が減少して、環境がいい方向へと変わったのだろうか)
都会で暮らしてなにが幸せなのだろう。田舎には満員電車はありません。暮らしていくうえで快適な空間があるのは、いなかのほうです。
痴漢の加害者を責めると痴漢の加害者の親があやまりに来るそうです。案外、立派な親のこどもが痴漢の加害者だったりもします。親ごさんの苦労がしのばれます。何回も何回も謝りに行くことが続くのでしょう。こどもなんていないほうがいいと思うかもしれません。
男優遇の社会があります。女を叩いて(たたいて)、いじめて嬉しがる(うれしがる)社会です。そういえば、企業の幹部や有名な俳優がセクハラ、パワハラをしたニュースを何度か耳にしました。英雄は色を好む。しかたがない。ほかのことで成果を出しているからいいじゃないかと許容される男社会です。お金や人事の権力をもった男にさからうことはむずかしい。
女性は『自衛(じえい。自分で自分の身を守る)』するしかない。大都会暮らしでの、女性が快適に過ごせる空間は狭い。
男にしても女にしても、人の体にそれほどの違いはない。つくりは同じです。異性の体が素敵だと感じていたのは錯覚だったと歳をとるとわかります。この世は、誤解と錯覚でできあがっているのです。映画やドラマ、小説の中の男女関係は金もうけのために意図的に加工されて美化された世界です。にせものです。現実とはかけ離れています。
医大の受験で女性の受験者が合格点に達しているのに、女だからという理由で不合格にさせられたというニュースに関する記述があります。当然、著者は反発しています。ごもっともです。
不正で不祥事なのに、この出来事を擁護(ようご。いいじゃないか。しかたがないじゃないか)する男性たち、しかも地位の高い男たちがいます。自分が異常なことに気づけていません。ふんぞり返っています。
あたりまえのことをあたりまえにやれない社会があります。
『カネ(金)、カネ、カネ』の社会があります。
学歴差別があって、性別の差別があります。
男が楽をする社会。男だけがいい思いをする社会があります。
ただ、それでもかまわないという女性もいるようです。責任は男に負わせて、自分は責任の小さい立場で男のそばにいられれば得です。
まだ、自分が十代だったころ、どうして女子が、当時の職業の呼び方ですが『スチュワーデス』になりたいのか理解できませんでした。
喫茶店のウェイトレスの仕事を飛行機の機内でやるだけのことではないか。そう考えていました。
この本では、スチュワーデスの採用の話が出ています。ふくらはぎがきれいなこと。ほかにもありますが省略します。男目線の採用基準です。美人コンテストです。見た目が大事です。
ロボットのことが出ています。受付のロボットは、美しい女性型です。なぜそうなのか。男がつくったロボットです。男の受付ロボットは見かけません。
トイレのことが書いてあります。
国会内のトイレの一部には、男女共用トイレがあるそうです。(本会議場の横)男子トイレの半分を女性用にしてあるそうです。びっくりしました。そうか、女性議員が少ないからか。(演劇の劇場で、男子トイレの数が少ないことの反対なのでしょう)
あんなに立派な国会議事堂の中にあるトイレが男女公平につくられていない。おかしな話ではありますが、いくら女性議員が少ないからといって、男子トイレを女性議員に使わせるのは狂っています。おしっこをする音が聞こえてきそうです。
国会は男社会なのでしょう。
国会という『箱』の中で生活を送っている人たちです。
箱の中にいるうちは、箱の中の常識で生きていけるのでしょうが、箱を出たとたん袋叩きにあいそうです。議員だけでなく、そこで働く国家公務員も同じでしょう。
新幹線のトイレの話があります。
昔のこととして、たしかに、わたしがこどもだったときの在来線のトイレは、汚物が、線路上に落ちるしかけでした。
本の中では話がいろいろ広がります。おしっこのときに、洋式トイレを男性は座ってすべきだというご意見です。男が洋式トイレに立っておしっこをすると、便座におしっこが飛び散って汚いそうです。男女共用の便座です。わたしも同感です。
いつでもどこでも立っておしっこをしようとする男は傲慢だ(ごうまん:威張っている。わがまま)です。
トイレの歴史をふりかえてみると、今の若い人たちは恵まれていると思います。
むかしは、どっぽん便所で、男女無関係の共同トイレで、女子のおしっこの音は響き渡っていて、女性はたいへんだったと思います。(もしかしたら今もそういう職場は残っているのかもしれません)
著者は、目の付け所が(視点)がいい。発想がおもしろい。
裁判官の中には、変な判決を出す人がいるらしい。(強姦事件の加害者を無罪にした。女性の明確な拒否がなければ、同意があったと判断するらしい。(その後の第二審で、有罪になって確定しています))男尊女卑の思考をもつ裁判官がいる。
自分は賃貸物件の内覧という体験がありませんが、アパートを借りる時の内覧は襲われたり、襲ったりという危険があるそうです。男性の不動産あっせん会社の従業員が女性客を襲う。あるいは、案内をする同社の女性従業員が、男性客に襲われることもあるでしょう。もう犬猫ですな。嘆かわしい。厳罰を下さねば。(くださねば)
田舎から夢をもって大都会に出て来て、満員電車で痴漢にあい、アパート探しの内覧で襲われる。夢もふっとびそうです。
日本人男性は、エロ業界によってつくられた、誤った情報に洗脳されているらしい。錯覚です。架空の加工された世界が現実も同じだと勘違いしている。
読んでいるとさみしくなってくる内容です。女性として社会で生きていくことはつらい。
まあ、そんな悪い男ばかりではありません。いい人もたくさんいます。あまり口にする人はいませんが、ひとりの異性を一生愛し続けることができる人はいます。そして、たいていの人はそうなのです。
(つづく)
冠婚葬祭の儀式の話です。
結婚式について、いまどきの世間の人たちは、開催について否定的です。
しかたがありません。
昔のようにショーのような盛大な結婚式は減りました。
されど、最低限のことはやっておきたい。
人生の節目です。
結婚式をやらない理由は、お金の負担がまっさきにくるのですが、本当にそうなのだろうか。めんどうくさいが一番の理由ではなかろうか。うっとおしい親戚づきあいを避けたいということもあるのでしょうが、がっかりします。お葬式も含め冠婚葬祭に関して、あれもしない。これもしないでは、生きている意味があるのだろうかという疑問が生じます。
昔と違って、親族同士が助け合わなくても暮らしていける社会に変わりました。
なんでもかんでもめんどくさいからしないという風潮になってしまいました。
儀式というものは、なぜそうするのか。ここまで生きてくることができたことに感謝するからだと思います。むかしは、こどもが病気や事故で死ぬことが多かった。一日一日生きて、成長してということが喜びだった。
今まで積み重ねてきた長い歴史を否定して、これからの日本では、希薄な人間関係がさらにうすくなっていって、孤独な暮らしを送る人が増えていくのでしょう。
本のほうは、『花嫁』として扱われる女性の不都合について書いてあります。女性はこうあるべきだという決めつけに反発する内容になっています。
飲食をしながら雑談することで生れてくる心の交流はあります。
人生の節目で記念写真を残しておくころは『思い出づくり』になります。
人間の体はやがて動かなくなります。
自分が三十歳のころ、女性が書いた自費出版の本を読んだことがあります。フランスで過ごしたときのことが書いてありました。内容を読んで、お元気な方だなと思ったのですが、本の最後に『今は歳をとって病院に入院していて、どこにも行けない体になってしまいました』という文章にぶつかりました。そんなふうにして、人は活発な時期を経て、人生を終えていくのです。『思い出』が多い人生がいい人生です。トラブルがあったとしても、それもまたいい思い出です。
(つづく)
男性社会の中で、女性の社員が仲間はずれにされて、男性社員たちの会話の輪に女性社員が入れてもらえないという話です。
女性差別です。女性の能力を下に見ている男たちがいます。
『女性』は、そこにいても、いないものとして扱われるのです。
女性にとっては、けっこうつらいしきつい。
存在しない人間扱いです。男性が女性の扱いを知らない。男性が女性に対して気をつかわない構図があります。
株式投資の銘柄探しと旅情報の取得のために、自分は定額無制限読書システムでたくさんの電子書籍の流し読みをしているのですが、週刊誌の記事はつまらない。いろいろなマニュアル(手引き、手順書)はあるけれど、そこに人間の『気持ち』はない。『学び』がありません。
エロ小説やエロ写真の記事をつくっている人はどんな気持ちで働いているのだろうかと思うことがあります。『お金のため』という理由しか浮かんできません。モデルもカメラマンもライターもお金のために女性の肉体をさらしている。男にとって女性は道具扱いです。
男中心社会の大企業の食堂での食事風景があります。異様です。異様だけれどだれも文句は言いません。長年の慣行があるからでしょう。ボスと子分たちがいて、いつもいっしょに行動します。食事もいっしょです。
リタイアしたマニュアル型サラリーマン体験者は、地域社会では迷惑者です。
地域社会の活動には、権利義務関係はありません。強制力も命令もありません。企業人のふるまいは、地域社会では通用しません。
(つづく)
高校野球甲子園をめざしての野球部女子マネージャーの扱いについて書いてあります。
女子マネージャーは、男子部員のユニフォームを洗濯するためにいるんじゃない! という主張です。男尊女卑の慣例を批判されています。
高校生女子マネージャーが野球部の練習に付き合っていて、熱中症で亡くなった話題があります。悲惨です。親は泣きます。
高校野球の記事は、男のために、意図的に美談として加工されている。女子は、男子よりも下の扱いで書かれている。
男に対する文句があります。自分のことは自分でやれ!です。(ごもっともです)
女は男のための飯炊き女(めしたきおんな)ではない。
(つづく)
体育会系、スポーツ部活動のあり方に対する批判があります。
著者の心は冷めています。
暴力的な指導者の教え方、女子をエロの対象として扱うという周囲の環境に憤りをもっておられます。(いきどおり:強い不満、怒り(いかり)、反発心)読んでいて共感します。
『体育会に所属すると、徹底的に「理不尽(りふじん:人の道に反すること。道徳に反すること)」を浴びる』とあります。
体育会系ではありませんが、高校生になったとき、いきなり上級生たちが一年生の教室にどなりこんできて、威嚇(いかく)で下級生を統制しようとしていました。
縦型社会で、たとえば、1年1組、2年1組、3年1組でひとつのグループを組んで、体育祭ほかの学校行事で競い合うのです。わたしも顔つきとふてぶてしい態度だけで、そのグループの応援団に入れられました。こんなことは、おかしいとは思いましたが、がんばりました。
教師たちはそのような暴挙を知っていて知らぬふりでした。伝統なのです。いままでずっとそうして統治してきた。生徒は、学年が変わるごとに立場を変えながら続いてきた。怒鳴られた下級生が上級生になると下級生をどなります。今はもうそのようなことはないだろうし、通用しないでしょう。
本にはいろいろ書いてあります。たしかに、第二次世界大戦後の影がまだ残っていた昭和の時代には、異常な精神論がありました。
見た目で選別される。性の対象として見られる。実績のある有名な女子スポーツ選手も同様です。 女性が女性として社会で活動していくことは苦労があります。
エロコンテンツの素材としてアスリートが使われる。
ものが売れるからつくる人間がいる。
買う人間がいる。
盗撮をする人間がいる。
そういう行為をするのが、案外、人の道を教える立場の人間だったりもする。
この世は理不尽(りふじん)なのです。
周囲に訴えても知らん顔をされる。(アイドル男子でも同じ。どこかの芸能事務所のようです)
自分のことは、自分で守るしかないのか……
(つづく)
お寿司屋でのことが書いてあります。
家で料理をするのは女性で、商売で料理を出す料理人は男性なのかについて考察します。とくにお寿司屋さんのことです。
女性をばかにするテレビ番組があります。
テレビ番組には、できないことを笑いにする陰険さ(いんけんさ。いじわる)があります。(自分はあまり見ないようにしています)
男性料理人は女性料理人を見下す。人として扱わないというような内容です。
男たちは、高級寿司店で、うんちくをたれる。(知識を披露する。よく聞くと、中身はないという分析と批評があります。単なる雰囲気づくり。自慢とお世辞(おせじ:喜ばせるほめ言葉)の空間)女性を性的な対象にしたり、見下したりする話題もある。(虚飾の空間です。きょしょく:中身のないうわべだけのもの)
男は師匠の言うことを受け入れる。
師匠が黒いものを白と言ったら、白だと受け入れるのが弟子の基本姿勢です。
男は『選民(せんみん。人間を区分けする。区別する。上下のランク付けをする)』をしたがる。
男にとっていいことは書いてありません。
この部分を読んで、食事は気楽が一番と思いました。
世の中には、男と女しかいないのに、ややこしい。
(つづく)
コロナウィルス感染拡大にちなんで『密閉、密集、密接』の話になりました。(最近は、この言葉も聞かなくなりました)
女性がいる世界が、密閉、密集、密接なのです。犯罪が近い。
『あおり運転』の話が出ます。
あおり運転をするのは男性で、女性があおり運転をしているというテレビ報道は見たことがありません。そんなことが書いてあります。あおり運転をするのは、四十代男性が多い。イライラしている。感情的になって、力づく(ちからづく)でうさ晴らしをしようとする。
もう忘れてしまった言葉として『フラリーマン』(コロナ禍で仕事帰りに居酒屋に立ち寄れなくなったサラリーマンたちが、仕事が終わっても直接家へ帰る気持ちになれない)
この部分を読んでいて『パチンコ』が攻撃されていたことを思い出しました。(感染の場所としてとらえられていた)パチンコ依存症の人たちが悩んでいました。
定番となった編集者女性二十代Kさんからの檄文(げきぶん。意見を強く主張して同意を求める)が届きます。(あたりまえのことが書いてあるのですが、ときに、気の毒で読むことがつらい。男に虐げられている(しいたげられている。いじめられている)女性の叫びが書いてあります。男性が女性よりも優位な公共の場所と空間があります。女性から見れば、むなしい世界です)(次の「章」にKさんの言葉がありました。この本の記事の連載開始当時は27歳だったけれど、30歳になられたそうです)
(つづく)
女性が男性に『人事』をにぎられる話が出てきます。人事権です。人事異動の権限を男性がもっています。採用時のこともあるでしょう。エロ目的の病的な大企業人事担当部署男性社員の懲戒解雇記事をニュースで読んだことがあります。ひどい奴です。会社の信用まで落としてしまいます。就活セクハラです。(読み進めていたら292ページにそんな記事が出てきました。人事担当若手男性社員が、先輩や上司の態度をまねていると分析と評価があります)
『日本社会の随所に存在する男女格差の問題』があって、国は『女性活躍』(そんな言葉がありました)をアピールしたけれどそうならなかった。
かつて、女性にとって職場は『夫となる人』を探す場所であった。結婚したら寿退社(ことぶきたいしゃ)という言葉で退職していた。
そして今は、女性も男性も結婚しなくなった。
読み終えました。
なかなかいい本でした。
2023年06月08日
太川&えびすのバス旅 茨城県偕楽園から長野県善光寺 再放送
太川&えびすのローカル路線バス乗り継ぎの旅 第22弾 茨城県偕楽園(かいらくえん)から長野県善光寺 2016年1月放送分の再放送 BSテレ東
えびすさんの靴下の色が右足と左足で違います。黒と紺です。笑いました。わたしも間違えたことがあります。黒い靴下と紺色の靴下は似ています。
群馬県にある『桐生(きりゅう)』のことが、路線バスのルート取りで案として出てきます。先日の夜、BSテレ東で観た『村井美樹さんと林家三平さんが出てくる「ローカル線よくばり絶景旅 わたらせ渓谷鉄道」』で出てきた地名で親しみを感じました。
歩いてばかりの路線バスの旅です。かなり気の毒です。
二時間ぐらいは歩きます。何度も歩きます。
すごいなあ偉業です。
ラーメンがおいしそう。(栃木県佐野市)
この番組は、昭和時代に若い頃を過ごした今は老齢期を迎えたおとうさん、おかあさんが好きな番組でしょう。
昭和時代には路線バスを利用することが多かった。
自家用車を庶民がもてるようになったのは、昭和40年代後半ぐらいからの記憶です。(1970年昭和45年大阪万博のあとあたりから)
当時は旅行もなかなか行けなかった。職場の親睦会で毎月給料から積み立てをして、年に1回か2回土日で観光バスを借りて一泊二日の温泉旅行を楽しみました。
夜は畳敷きの広間で演芸大会なんかをして盛り上がりました。『カラオケ』というものはなくて、手拍子で歌を歌っていました。
当時はまだ、週休二日制ではありませんでした。旅行をするということが特別なことで、そうやって積み立てをして行くバス旅行が、生まれて初めて行く有名な温泉観光地だったり、いい旅館だったりして、みんなの楽しみでした。
そのころ海外旅行に行ける人は少なかった。飛行機に乗れる人は特別な人という感じでした。
番組では、地方都市の幹線道路での夕方渋滞の映像が流れますが、しかたがありません。地方では、都会ほど道路が整備されてはいません。
長野県の善光寺までは行けませんでしたが、茨城県の水戸から長野県の上田までは移動できました。すごい。南明奈さんもがんばりました。太川陽介さんもいいかげんなギャンブル好き、競艇(きょうてい)好きなえびすよしかずさんに本気でおこりながらえびすさんを引っ張っていきました。
目的を達成できず、連敗を悔いる(くいる)太川さんですが、次回の長崎市編では、大成功されます。長崎市は、えびすさんのふるさとであり、えびすさんのごきょうだいとの出会いもあります。ゲストのはいだしょうこさんの美声が良かった。観るのが楽しみです。
(2022年2月のときの感想)
太川&えびすのローカル路線バス乗り継ぎの旅 茨城県偕楽園(かいらくえん)から長野県善光寺 2016年1月放送分の再放送 BSテレ東
再放送ですが、観たのは初めてです。
茨城県にある偕楽園は、小学3年生か4年生の時に学校からバス旅行で行きました。アルバムのどこかにテレビ番組のウルトラマンだったか、ウルトラQだったかに登場していたピグモンのかっこうをして友だちと写った白黒写真があります。
両手の手のひらを胸の前でたらんとたらしたポーズです。
母親に、写真を撮ってもらう時は、ちゃんとした格好(かっこう)で写りなさいと叱られた思い出が残っています。
長野県にある善光寺は、これまでご縁がなかったのか、行ったことがありません。いつか行ってみたい。(追記:この年2022年の5月に訪問してきました。善光寺はとてもいいところでした)
ゲストは、南明奈(みなみ・あきな アッキーナ)さんです。お笑いコンビよゐこ(よいこ)の濱口優(はまぐち・まさる)さんがご主人です。おふたりとも性格がいい方なので、出演される番組は安心して見ていられます。
結果は、長野県善光寺の手前40kmのところで、その日乗れるバスがなくなってしまったので、目的を達成することができませんでしたが、それでも、よくそこまで行けたと三人の努力を讃えたい(たたえたい。ほめる)気持ちでいっぱいになりました。本当によく歩かれました。
自分が路線バスの番組を楽しむのは、①自分が以前行ったことがある場所が映像に出てくるのが楽しみ ②親族や友人が住んでいるところの景色が映像に出てくるのが楽しみ ③これからどこを観光しようかと映像に出てくる景色を参考にするのが楽しみ。 ということです。旧作では、そこに、えびすよしかずさんのおもしろおかしい言動が加わります。
えびすよしかずさんが、あいかわらずだめなおとなを演じています。
南明奈さんに何度も会っているのに、えびすさんはアッキーナさんに何度も初対面だと言い張ります。ひどいおとなです。たぶん、南明奈さんはえびすよしかずさんの好みではないのでしょう。えびすさんは根がばか正直です。(性格)
えびすさんは、バスの車内で出会った親切な大学の先生に向かって、教授と女子大生の不倫話をして、質問します。(いつもだれに対しても無礼(ぶれい。礼儀知らず)です)
頭の中はお金のことばかり考えているギャンブル依存症のえびすよしかずさんです。金銭欲と性欲が、かいま見える、どこにでもいそうな正直おじさんです。
茨城県水戸市内では、江戸時代のトイレを見学しました。
きっと都会で生まれ育って、都会で亡くなっていく人たちは、知らずに人生を終わると思いますが、今でも、汲み取り便所や、浄化槽方式(じょうかそう)のトイレは各地に残っています。
太川陽介さんは、ときおりルート選択や場所を発見できないミスがあります。
コツとして、歩道は、目的地に向かって、左側の歩道を歩いたほうがいい。(バス停の存在を見落とさないため)
それから、信号機にくっついている地名表示板の文字をしっかり見る。(見落とし防止のため)
昭和時代の小物がたくさん置いてある喫茶店が出てきました。
映像を観ながら、昔をなつかしむことができました。
えびすさんの靴下の色が右足と左足で違います。黒と紺です。笑いました。わたしも間違えたことがあります。黒い靴下と紺色の靴下は似ています。
群馬県にある『桐生(きりゅう)』のことが、路線バスのルート取りで案として出てきます。先日の夜、BSテレ東で観た『村井美樹さんと林家三平さんが出てくる「ローカル線よくばり絶景旅 わたらせ渓谷鉄道」』で出てきた地名で親しみを感じました。
歩いてばかりの路線バスの旅です。かなり気の毒です。
二時間ぐらいは歩きます。何度も歩きます。
すごいなあ偉業です。
ラーメンがおいしそう。(栃木県佐野市)
この番組は、昭和時代に若い頃を過ごした今は老齢期を迎えたおとうさん、おかあさんが好きな番組でしょう。
昭和時代には路線バスを利用することが多かった。
自家用車を庶民がもてるようになったのは、昭和40年代後半ぐらいからの記憶です。(1970年昭和45年大阪万博のあとあたりから)
当時は旅行もなかなか行けなかった。職場の親睦会で毎月給料から積み立てをして、年に1回か2回土日で観光バスを借りて一泊二日の温泉旅行を楽しみました。
夜は畳敷きの広間で演芸大会なんかをして盛り上がりました。『カラオケ』というものはなくて、手拍子で歌を歌っていました。
当時はまだ、週休二日制ではありませんでした。旅行をするということが特別なことで、そうやって積み立てをして行くバス旅行が、生まれて初めて行く有名な温泉観光地だったり、いい旅館だったりして、みんなの楽しみでした。
そのころ海外旅行に行ける人は少なかった。飛行機に乗れる人は特別な人という感じでした。
番組では、地方都市の幹線道路での夕方渋滞の映像が流れますが、しかたがありません。地方では、都会ほど道路が整備されてはいません。
長野県の善光寺までは行けませんでしたが、茨城県の水戸から長野県の上田までは移動できました。すごい。南明奈さんもがんばりました。太川陽介さんもいいかげんなギャンブル好き、競艇(きょうてい)好きなえびすよしかずさんに本気でおこりながらえびすさんを引っ張っていきました。
目的を達成できず、連敗を悔いる(くいる)太川さんですが、次回の長崎市編では、大成功されます。長崎市は、えびすさんのふるさとであり、えびすさんのごきょうだいとの出会いもあります。ゲストのはいだしょうこさんの美声が良かった。観るのが楽しみです。
(2022年2月のときの感想)
太川&えびすのローカル路線バス乗り継ぎの旅 茨城県偕楽園(かいらくえん)から長野県善光寺 2016年1月放送分の再放送 BSテレ東
再放送ですが、観たのは初めてです。
茨城県にある偕楽園は、小学3年生か4年生の時に学校からバス旅行で行きました。アルバムのどこかにテレビ番組のウルトラマンだったか、ウルトラQだったかに登場していたピグモンのかっこうをして友だちと写った白黒写真があります。
両手の手のひらを胸の前でたらんとたらしたポーズです。
母親に、写真を撮ってもらう時は、ちゃんとした格好(かっこう)で写りなさいと叱られた思い出が残っています。
長野県にある善光寺は、これまでご縁がなかったのか、行ったことがありません。いつか行ってみたい。(追記:この年2022年の5月に訪問してきました。善光寺はとてもいいところでした)
ゲストは、南明奈(みなみ・あきな アッキーナ)さんです。お笑いコンビよゐこ(よいこ)の濱口優(はまぐち・まさる)さんがご主人です。おふたりとも性格がいい方なので、出演される番組は安心して見ていられます。
結果は、長野県善光寺の手前40kmのところで、その日乗れるバスがなくなってしまったので、目的を達成することができませんでしたが、それでも、よくそこまで行けたと三人の努力を讃えたい(たたえたい。ほめる)気持ちでいっぱいになりました。本当によく歩かれました。
自分が路線バスの番組を楽しむのは、①自分が以前行ったことがある場所が映像に出てくるのが楽しみ ②親族や友人が住んでいるところの景色が映像に出てくるのが楽しみ ③これからどこを観光しようかと映像に出てくる景色を参考にするのが楽しみ。 ということです。旧作では、そこに、えびすよしかずさんのおもしろおかしい言動が加わります。
えびすよしかずさんが、あいかわらずだめなおとなを演じています。
南明奈さんに何度も会っているのに、えびすさんはアッキーナさんに何度も初対面だと言い張ります。ひどいおとなです。たぶん、南明奈さんはえびすよしかずさんの好みではないのでしょう。えびすさんは根がばか正直です。(性格)
えびすさんは、バスの車内で出会った親切な大学の先生に向かって、教授と女子大生の不倫話をして、質問します。(いつもだれに対しても無礼(ぶれい。礼儀知らず)です)
頭の中はお金のことばかり考えているギャンブル依存症のえびすよしかずさんです。金銭欲と性欲が、かいま見える、どこにでもいそうな正直おじさんです。
茨城県水戸市内では、江戸時代のトイレを見学しました。
きっと都会で生まれ育って、都会で亡くなっていく人たちは、知らずに人生を終わると思いますが、今でも、汲み取り便所や、浄化槽方式(じょうかそう)のトイレは各地に残っています。
太川陽介さんは、ときおりルート選択や場所を発見できないミスがあります。
コツとして、歩道は、目的地に向かって、左側の歩道を歩いたほうがいい。(バス停の存在を見落とさないため)
それから、信号機にくっついている地名表示板の文字をしっかり見る。(見落とし防止のため)
昭和時代の小物がたくさん置いてある喫茶店が出てきました。
映像を観ながら、昔をなつかしむことができました。
2023年06月07日
「株で1000万円を失ってわかった!!」投資の心理 中村紀典
なぜ損切りできないのか? 「株で1000万円を失ってわかった!!」投資の心理 NPO法人セルフ・カウンセリング普及協会 理事 中村紀典 Kindle Unlimited 電子書籍
この本の主題である『カウンセリング』の部分には関心は湧かないのですが、損をしないためにあえてマイナスで株を売却しようという視点に関心が湧いたので読んでみることにしました。
ご本人の株式投資体験において、1990年代のバブル崩壊で1000万円を失ったそうです。
31歳から52年間株式投資を続けて、現在は82歳の方です。(この本の出版時)ベテラン投資家です。
自分のような失敗をほかの人たちには、しないでほしいそうです。
最近、政府は『投資』を勧めているけれど、気をつけてほしいというメッセージがあるのです。良心的です。
株式投資の人生をふりかえって計算し直すと、適切に『損切り』をしていれば、600万円が手元に残っていたそうです。
損切りして、手元に戻ってきた資金で、別の有望株に投資しなおしたほうが、損が少ないということはあります。
下がってしまった株の株価が再び上がる可能性は4割ぐらいで、6割の株の株価は下がり続ける。
ご自身は、10%株価が下がったら『損切り』すると決めていたのに実行できなかった。どうして実行できなかったのかを考えるのがこの本の素材です。『心理上のカラクリ』があるそうです。
しろうと投資家がもうかっている状態は、単に経済の景気がいいからだった。高度経済成長期のご自身のことをそう割り切られています。自分の実力ではなかった。だれがやっても、だれもが、もうかった時代だった。
1989年日経平均株価最高¥38,915-が、2003年には¥7,607-です。
重ねての記述になりますが、そのときに、ご自身の保有する株の含み益1000万円が、溶けてなくなっています。当時著者は63歳です。
ご自身の投資が失敗した原因は、株式相場の動きではなく、ご自身の心の働きにあると決定づけられておられます。
10%下落したら『損切りする』というご自身で決めたルールを守っていたら、1000万円を失うことはなかった。記録をもとに計算したところ、手もとに600万円が残っていたそうです。
自己管理というような、自分で自分の心の動きをコントロールする力をつけるというようなご趣旨の本に思えます。うーむ。熊じいさん自身はわりと自分で自分をコントロールできるとうぬぼれています。ときに失敗もありますが、完ぺきにはできないし、完ぺきをめざしてもいません。
さて、どんなことが書いてあるのだろうか。
自分の欲望を満たす理屈をつくることを『やりくり』と表現されています。(なるほど)
1971年3月から始まる思い出話です。昭和46年です。昭和45年が大阪万博でした。
『商船三井』『日立』『新潟鉄工』の3つの株を購入されています。
1973年第一次石油ショック(昭和48年)中東情勢の悪化が原因:店舗からトイレットペーパーが消えました。
『信用取引』というものは、自分は知りませんが、知らないほうがいいと思っています。著者は手を出しておられます。(証券会社から株(お金)を借りて取引するようです)
1979年第二次石油ショック(昭和54年)イラン革命:これまでのもうけ300万円全てを失った。
読んでいると、今とはシステムがだいぶ違うことがわかります。パソコンもスマホもない時代です。
グラフであるチャートも今のように簡単に見ることはできなかった。
バブル景気:利益が800万円になった。
バブル経済の崩壊:1989年12月がピークで、大暴落になった。その後も、いつかは株価が上がると思い込んでいて、株を売却しなかった。株価は上がらなかった。『損をしたくない』という気持ちが、株の売却を思いとどまらせていた。結果的に1000万円の大損になってしまった。
先日読んだ『最短でラクラク2000万 手堅く稼ぐ! 成長株 集中投資術 株の買い時・著 KADOKAWA Kindle Unlimited 電子書籍』では『損切り』について、「7~8%損失が出たら売る」と書いてありました。こちらの本では「10%」です。だいたいそのあたりが、損切りをするときの目安(めやす。基準)なのでしょう。
この本を読んでいて歴史が感じられたので、思いついたことがあります。
わたしが保有する株ではありませんが、わたしの親族が保有する株をわたしが管理している銘柄があります。わたしに売買する権利はありません。めんどくさがりやで、事務仕事がにがてな親族なので、わたしが代わりに値動きなどを記録して管理しているだけです。かなり古い取得年月日です。購入後放置状態になっています。銘柄は書きにくいので、アルファベットにして考察してみます。
A社:1988年10月17日取得(昭和63年)1株8,610円 2023年5月某日現在1株13,165円
B社:1989年3月28日取得(平成元年。この年の12月がピークで大暴落します)1株4,210円 2023年5月某日現在1株2,003円
C社:1998年10月13日取得(平成10年)1株4,880円 2023年5月某日現在1株8,080円
D社:2001年2月20日取得(平成13年)1株21,710円 2023年5月某日現在1株2,411円
銘柄によって、大きく上がっているものもありますし、逆に、10分の1ぐらいに下がっているものもあります。合計では損失が出ています。まあ、なんともいいようがありません。購入した本人は、高齢になったあと、もう天国へ行かれてしまいました。形見として相続で保管してあるだけの株です。売却の予定もなく、配当金だけは相続した親族が毎年受け取り続けています。これらの株は、このまま次の世代へ引き継いでいく財産になる可能性が高いです。
なんというか、人は自分の死期が近づくにつれて思うことがあります。『自分がこの時代に、この場所にいたという証拠を残しておきたい』
そのひとつが『株』であったりもします。自分が残した株が子孫代々引き継がれていきます。株からは毎年『配当金』が子孫に対して支給されます。遺族年金のようなものです。子孫は先祖に感謝するでしょう。先祖の名前を忘れず、代々語り継がれることでしょう。あの人はいい人だったと。
こちらの本の著者は、株価が波瀾万丈(はらんばんじょう。いろいろ苦労があった)の経過をたどる時代を生き抜かれて、現在八十代になっておられるという実感をもって、この本を読み続けてみます。
人間の欲求について考える。
自分を肯定したい。
自分を否定したくない。
『やりくり』(自分の欲望を満たすための理由づくり)が始まると、現実と妄想との距離ができる。乖離(かいり。離れている状態)が起きる。喜怒哀楽の感情を抜いての理論的な判断ができなくなる。
参考になるかどうかわかりませんが、わたしは、ああしたい、こうしたいという欲望が満ちてきたときは、自分がつくった言葉に従うようにしています。『ひとつがまんすれば、ふたついいことがある』お得なのです。たいてい、ふたついいことがあります。ひとつは災難を避けることができる。(株取引の場合は、思いがけない下落があります)、そして、もうひとつは、「もうかる」です。あんがい、いい確率でラッキーなことがあります。『ひとつがまんすれば、ふたついいことがある』のです。
自分の体験からいうと、株価の最高値ぐらい(ピーク)で売却することはとてもむずかしい。これまで、たいていは、売却したあと、株価はさらに上がりました。もうそのへんになると、個人が生まれ持っている『金運』次第だと割り切るようにしています。あきらめます。
事前に、この価格になったら売る、この価格になったら買うと決めておいて、ロボットのような意識になって、機械的に処理したほうがいい結果につながる気がします。
本のほうは、株の売買取引で、なかなか迷う著者です。優柔不断なところがあります。自分でつくったルールをなかなか守れません。悩みます。人間らしくていい。
『やりくり』をしないことをめざしておられます。
『ノートに書く』という手法はなかなかいいと思います。わたしもメモ魔なので、たくさん書きます。メモ用紙、手帳、小型のノート、広告の裏紙白紙などに書きまくります。
書きながら頭の中を整理して行きます。ときには、言葉を図や大小の矢印に変えてみて思考したりもします。アイデアが湧いてきます。
本の最後のほうに書いてありますが、現実の勝率は6割程度だという考察があります。同感です。わたしも自分の方針として『人生は60点で十分生きていける』という自分でつくった言葉があります。勝負も6勝4敗でいいのです。全戦全勝なんてできません。
この本の主題である『カウンセリング』の部分には関心は湧かないのですが、損をしないためにあえてマイナスで株を売却しようという視点に関心が湧いたので読んでみることにしました。
ご本人の株式投資体験において、1990年代のバブル崩壊で1000万円を失ったそうです。
31歳から52年間株式投資を続けて、現在は82歳の方です。(この本の出版時)ベテラン投資家です。
自分のような失敗をほかの人たちには、しないでほしいそうです。
最近、政府は『投資』を勧めているけれど、気をつけてほしいというメッセージがあるのです。良心的です。
株式投資の人生をふりかえって計算し直すと、適切に『損切り』をしていれば、600万円が手元に残っていたそうです。
損切りして、手元に戻ってきた資金で、別の有望株に投資しなおしたほうが、損が少ないということはあります。
下がってしまった株の株価が再び上がる可能性は4割ぐらいで、6割の株の株価は下がり続ける。
ご自身は、10%株価が下がったら『損切り』すると決めていたのに実行できなかった。どうして実行できなかったのかを考えるのがこの本の素材です。『心理上のカラクリ』があるそうです。
しろうと投資家がもうかっている状態は、単に経済の景気がいいからだった。高度経済成長期のご自身のことをそう割り切られています。自分の実力ではなかった。だれがやっても、だれもが、もうかった時代だった。
1989年日経平均株価最高¥38,915-が、2003年には¥7,607-です。
重ねての記述になりますが、そのときに、ご自身の保有する株の含み益1000万円が、溶けてなくなっています。当時著者は63歳です。
ご自身の投資が失敗した原因は、株式相場の動きではなく、ご自身の心の働きにあると決定づけられておられます。
10%下落したら『損切りする』というご自身で決めたルールを守っていたら、1000万円を失うことはなかった。記録をもとに計算したところ、手もとに600万円が残っていたそうです。
自己管理というような、自分で自分の心の動きをコントロールする力をつけるというようなご趣旨の本に思えます。うーむ。熊じいさん自身はわりと自分で自分をコントロールできるとうぬぼれています。ときに失敗もありますが、完ぺきにはできないし、完ぺきをめざしてもいません。
さて、どんなことが書いてあるのだろうか。
自分の欲望を満たす理屈をつくることを『やりくり』と表現されています。(なるほど)
1971年3月から始まる思い出話です。昭和46年です。昭和45年が大阪万博でした。
『商船三井』『日立』『新潟鉄工』の3つの株を購入されています。
1973年第一次石油ショック(昭和48年)中東情勢の悪化が原因:店舗からトイレットペーパーが消えました。
『信用取引』というものは、自分は知りませんが、知らないほうがいいと思っています。著者は手を出しておられます。(証券会社から株(お金)を借りて取引するようです)
1979年第二次石油ショック(昭和54年)イラン革命:これまでのもうけ300万円全てを失った。
読んでいると、今とはシステムがだいぶ違うことがわかります。パソコンもスマホもない時代です。
グラフであるチャートも今のように簡単に見ることはできなかった。
バブル景気:利益が800万円になった。
バブル経済の崩壊:1989年12月がピークで、大暴落になった。その後も、いつかは株価が上がると思い込んでいて、株を売却しなかった。株価は上がらなかった。『損をしたくない』という気持ちが、株の売却を思いとどまらせていた。結果的に1000万円の大損になってしまった。
先日読んだ『最短でラクラク2000万 手堅く稼ぐ! 成長株 集中投資術 株の買い時・著 KADOKAWA Kindle Unlimited 電子書籍』では『損切り』について、「7~8%損失が出たら売る」と書いてありました。こちらの本では「10%」です。だいたいそのあたりが、損切りをするときの目安(めやす。基準)なのでしょう。
この本を読んでいて歴史が感じられたので、思いついたことがあります。
わたしが保有する株ではありませんが、わたしの親族が保有する株をわたしが管理している銘柄があります。わたしに売買する権利はありません。めんどくさがりやで、事務仕事がにがてな親族なので、わたしが代わりに値動きなどを記録して管理しているだけです。かなり古い取得年月日です。購入後放置状態になっています。銘柄は書きにくいので、アルファベットにして考察してみます。
A社:1988年10月17日取得(昭和63年)1株8,610円 2023年5月某日現在1株13,165円
B社:1989年3月28日取得(平成元年。この年の12月がピークで大暴落します)1株4,210円 2023年5月某日現在1株2,003円
C社:1998年10月13日取得(平成10年)1株4,880円 2023年5月某日現在1株8,080円
D社:2001年2月20日取得(平成13年)1株21,710円 2023年5月某日現在1株2,411円
銘柄によって、大きく上がっているものもありますし、逆に、10分の1ぐらいに下がっているものもあります。合計では損失が出ています。まあ、なんともいいようがありません。購入した本人は、高齢になったあと、もう天国へ行かれてしまいました。形見として相続で保管してあるだけの株です。売却の予定もなく、配当金だけは相続した親族が毎年受け取り続けています。これらの株は、このまま次の世代へ引き継いでいく財産になる可能性が高いです。
なんというか、人は自分の死期が近づくにつれて思うことがあります。『自分がこの時代に、この場所にいたという証拠を残しておきたい』
そのひとつが『株』であったりもします。自分が残した株が子孫代々引き継がれていきます。株からは毎年『配当金』が子孫に対して支給されます。遺族年金のようなものです。子孫は先祖に感謝するでしょう。先祖の名前を忘れず、代々語り継がれることでしょう。あの人はいい人だったと。
こちらの本の著者は、株価が波瀾万丈(はらんばんじょう。いろいろ苦労があった)の経過をたどる時代を生き抜かれて、現在八十代になっておられるという実感をもって、この本を読み続けてみます。
人間の欲求について考える。
自分を肯定したい。
自分を否定したくない。
『やりくり』(自分の欲望を満たすための理由づくり)が始まると、現実と妄想との距離ができる。乖離(かいり。離れている状態)が起きる。喜怒哀楽の感情を抜いての理論的な判断ができなくなる。
参考になるかどうかわかりませんが、わたしは、ああしたい、こうしたいという欲望が満ちてきたときは、自分がつくった言葉に従うようにしています。『ひとつがまんすれば、ふたついいことがある』お得なのです。たいてい、ふたついいことがあります。ひとつは災難を避けることができる。(株取引の場合は、思いがけない下落があります)、そして、もうひとつは、「もうかる」です。あんがい、いい確率でラッキーなことがあります。『ひとつがまんすれば、ふたついいことがある』のです。
自分の体験からいうと、株価の最高値ぐらい(ピーク)で売却することはとてもむずかしい。これまで、たいていは、売却したあと、株価はさらに上がりました。もうそのへんになると、個人が生まれ持っている『金運』次第だと割り切るようにしています。あきらめます。
事前に、この価格になったら売る、この価格になったら買うと決めておいて、ロボットのような意識になって、機械的に処理したほうがいい結果につながる気がします。
本のほうは、株の売買取引で、なかなか迷う著者です。優柔不断なところがあります。自分でつくったルールをなかなか守れません。悩みます。人間らしくていい。
『やりくり』をしないことをめざしておられます。
『ノートに書く』という手法はなかなかいいと思います。わたしもメモ魔なので、たくさん書きます。メモ用紙、手帳、小型のノート、広告の裏紙白紙などに書きまくります。
書きながら頭の中を整理して行きます。ときには、言葉を図や大小の矢印に変えてみて思考したりもします。アイデアが湧いてきます。
本の最後のほうに書いてありますが、現実の勝率は6割程度だという考察があります。同感です。わたしも自分の方針として『人生は60点で十分生きていける』という自分でつくった言葉があります。勝負も6勝4敗でいいのです。全戦全勝なんてできません。
2023年06月06日
出川哲朗の充電バイク旅 千葉県鋸山から八坂神社
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 千葉県南房総 鋸山(のこぎりやま)から八坂神社 テレビ東京
千葉県房総半島にある鋸山(のこぎりやま)は行ったことがあるので、楽しみながら観ました。鋸山は高い位置に岩が突き出した狭い展望場所があるスリル満点のところです。そのあたりから、東京湾の向こうに富士山が見えることもあると知ったのは行ったあとでした。
ゲストの福士蒼汰さん(ふくしそうたさん)もお友だちとその場所に行ったことがあるそうです。
ゲストの福士蒼汰さんですが、この4月から熊じいさんは毎日、NHKのBSテレビで『あまちゃん』の再放送を観ているので親しみが湧きます。
リアルタイムでの放送当時は、福士蒼汰さんも、のんさんも、橋本愛さんもまだ十代だったようで、みなさんお若い。小泉今日子さんも絡んで(からんで)、会話のテンポがよく、笑いが連続的に生れて、観ていて気持ちがいい。宮本信子さん始め芸達者の役者さんがそろっています。
朝の連続ドラマでみなさんが歌っていた『潮騒のメモリーズ』が、こちらの充電バイク旅のBGM(バックグラウンドミュージック)で流れて、いい感じでした。
福士蒼汰さんは、充電先を探すのにたいへん苦労されました。孤立無援状態です。
ようやく見つけた充電先のお宅で、出川哲朗さんと一緒に、お宅で寝たきりのような状態のおばあちゃんと三人で写真におさまっていました。ベッド上の高齢者女性は感激されていました。記念撮影は大事です。人生の記録として、みんなで写る写真を残しておくべきです。
福士蒼汰さんは、貝を食べることが好きだそうです。
ようやく見つけた食堂で食べた生ガキがおいしそうでした。わたしもそのシーンを見ながら、今年三月下旬に千葉駅近くのお店で食べておいしかった生ガキ(東北地方のもの)を思い出しました。こぶりでしたが、とてもおいしかった。潮(しお)の香りがして、海辺にいるような気分になれました。
キャンプ場でのこどもさんたちとのやりとりがおもしろかった。出川さんは、いつもこどもさんに優しい。こどもたちからは、何をしても感情的になって真剣に怒らない人と思われているから、出川さんは、こどもさんたちに人気があります。こどもさんたちと出川さんの距離は近い。
(続く。2週で2回に分けて放送がありました)
後半のゲストは友近さんでした。
ロケ慣れ、場慣れされているためなのか、無難なロケで終わりました。特段、特記するような出来事もありませんでした。あたりさわりのない経過をたどって終わりました。
85歳のお元気なおじいさんが良かった。
お寿司屋さんの前にいたちっちゃな男の子がかわいかった。
クジラ料理のお店でのカニ料理をめぐっての出川さんとちびっこたちとのやりとりにほのぼのしました。ちびっこたちが、自分たちが食べているカニ料理を出川さんたちに勧めるのです。
充電をさせてくださる地元の方たちが、心優しい。
最近は、凶悪事件のニュースが続いていますが、世の中、悪い人ばかりではありません。いい人もいっぱいいます。この番組は、見ていて、気持ちがほっとします。
番組企画として、ときおり『夕日鑑賞』にこだわるのですが、どうして夕日にこだわるのかわかりません。番組内ではたいてい、夕日を見ることができせん。天候とか、到着時刻の遅れが原因です。たしか、時刻には間に合っていたけれど、べちゃくちゃしゃべっていたら、肝心(かんじん)の夕日が沈んでしまったということもありました。たしか、いつもドジな土方(ひじかた)ディレクターのときでした。それはそれでそれなりにおもしろかった。
どちらかといえば、熊じいさんは、すがすがしい朝日を見たいものです。
千葉県房総半島にある鋸山(のこぎりやま)は行ったことがあるので、楽しみながら観ました。鋸山は高い位置に岩が突き出した狭い展望場所があるスリル満点のところです。そのあたりから、東京湾の向こうに富士山が見えることもあると知ったのは行ったあとでした。
ゲストの福士蒼汰さん(ふくしそうたさん)もお友だちとその場所に行ったことがあるそうです。
ゲストの福士蒼汰さんですが、この4月から熊じいさんは毎日、NHKのBSテレビで『あまちゃん』の再放送を観ているので親しみが湧きます。
リアルタイムでの放送当時は、福士蒼汰さんも、のんさんも、橋本愛さんもまだ十代だったようで、みなさんお若い。小泉今日子さんも絡んで(からんで)、会話のテンポがよく、笑いが連続的に生れて、観ていて気持ちがいい。宮本信子さん始め芸達者の役者さんがそろっています。
朝の連続ドラマでみなさんが歌っていた『潮騒のメモリーズ』が、こちらの充電バイク旅のBGM(バックグラウンドミュージック)で流れて、いい感じでした。
福士蒼汰さんは、充電先を探すのにたいへん苦労されました。孤立無援状態です。
ようやく見つけた充電先のお宅で、出川哲朗さんと一緒に、お宅で寝たきりのような状態のおばあちゃんと三人で写真におさまっていました。ベッド上の高齢者女性は感激されていました。記念撮影は大事です。人生の記録として、みんなで写る写真を残しておくべきです。
福士蒼汰さんは、貝を食べることが好きだそうです。
ようやく見つけた食堂で食べた生ガキがおいしそうでした。わたしもそのシーンを見ながら、今年三月下旬に千葉駅近くのお店で食べておいしかった生ガキ(東北地方のもの)を思い出しました。こぶりでしたが、とてもおいしかった。潮(しお)の香りがして、海辺にいるような気分になれました。
キャンプ場でのこどもさんたちとのやりとりがおもしろかった。出川さんは、いつもこどもさんに優しい。こどもたちからは、何をしても感情的になって真剣に怒らない人と思われているから、出川さんは、こどもさんたちに人気があります。こどもさんたちと出川さんの距離は近い。
(続く。2週で2回に分けて放送がありました)
後半のゲストは友近さんでした。
ロケ慣れ、場慣れされているためなのか、無難なロケで終わりました。特段、特記するような出来事もありませんでした。あたりさわりのない経過をたどって終わりました。
85歳のお元気なおじいさんが良かった。
お寿司屋さんの前にいたちっちゃな男の子がかわいかった。
クジラ料理のお店でのカニ料理をめぐっての出川さんとちびっこたちとのやりとりにほのぼのしました。ちびっこたちが、自分たちが食べているカニ料理を出川さんたちに勧めるのです。
充電をさせてくださる地元の方たちが、心優しい。
最近は、凶悪事件のニュースが続いていますが、世の中、悪い人ばかりではありません。いい人もいっぱいいます。この番組は、見ていて、気持ちがほっとします。
番組企画として、ときおり『夕日鑑賞』にこだわるのですが、どうして夕日にこだわるのかわかりません。番組内ではたいてい、夕日を見ることができせん。天候とか、到着時刻の遅れが原因です。たしか、時刻には間に合っていたけれど、べちゃくちゃしゃべっていたら、肝心(かんじん)の夕日が沈んでしまったということもありました。たしか、いつもドジな土方(ひじかた)ディレクターのときでした。それはそれでそれなりにおもしろかった。
どちらかといえば、熊じいさんは、すがすがしい朝日を見たいものです。