2023年06月09日
マチズモを削り取れ 武田砂鉄
マチズモを削り取れ 武田砂鉄 集英社
以前同作者の『偉い人ほどすぐ逃げる 武田砂鉄(たけだ・さてつ) 文藝春秋』を読みました。
痛快なエッセイ集でした。
2020年の東京オリンピックについてのエッセイには、いろいろ考えさせられました。
結果論ですが、コロナ禍によって、無観客での開催ならば、わざわざ国立競技場を新しいものに建て替える必要もありませんでした。競技場の建て替えにともなって、周辺地域にあった古い文化的な建物も取り壊されたようです。
すったもんだがいろいろあった無理やり開催のオリンピック開催でした。マラソンについては、猛暑対策で、札幌での開催に変更されました。
大会は終わりましたが、その後、汚職が明らかになりました。贈収賄(ぞうしゅうわい)です。結局のところ、選手たちを広告塔にして、組織の上層部にいた人間たちが私腹を肥やしたのです。
ばれて損をしたのは当事者ですが。(地位や職権を利用して、利益を自分のポケットに入れる行為があった)一部の企業の信用は地に落ちました。
さて、こちらの本にある『マチズモ』の意味は、読み始める今、わたしにはわかりません。
マージャン用語しか、思い浮かびません。あがりハイを待つのが『マチ』で、並べてある山からハイをもってくることが『ツモ』です。(でもよく見ると「ツモ」ではなく「ズモ」でした)
本の帯を見ると『マチズモ=男性優位主義』と書いてあります。調べたらスペイン語だそうです。マッチョ=男らしいです。男らしい男。筋肉質で好戦的なイメージがあります。男性優位主義です。女性ではだめなのです。
そうか、「男尊女卑反対」ということが、この本のメッセージだなと理解しました。
以前読んだ本が『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン著 すんみ、小山内園子 訳 タバブックス』と『説教したがる男たち レベッカ・ソルニット ハーン小路恭子・訳 左右社』でした。どちらも男性優先社会の構造に女性が強く反対する内容でした。
日本も男性社会です。
ただ、歳をとってみてわかったことがあります。
人間は年寄りになると、性別が不明朗になるのです。
全員が男性のようでもあるし、全員が女性のようでもあります。中性的になるのです。もう性別はどちらでもいいのです。おじいさんのようなおばあさんもいますし、おばあさんのようなおじいさんもいます。
病院の待合室のベンチで自分が呼ばれるのを座って待っていて、お隣に座っていた人が名前を呼ばれて立ち上がった時に、それまで、その人をおじいさんだと思っていたら、おばあさんだったので、びっくりしたということが、最近ありました。
長い間生きてきて、体のあちこちが壊れていきます。もう元には戻りません。
脳みその働きも衰えてきています。
だれしも入院して、あっちを切ったり、何かを突っ込まれたり、体をひっくりかえされたり、人に見られたくない姿をさらけだしたり、そのうち羞恥心(しゅうちしん。はずかしいと思う気持ち)はなくなります。
手術となれば、まな板の上の鯉(こい)という状態で、どうにでもしてくれです。好いた(すいた)、惚れた(ほれた)の色気もなにもありません。ヨロヨロのヨボヨボで、しわくちゃです。
老いてみて、気が付くのです。性別にこだわることは無意味なことだと。男でも女でもどちらでもいいじゃないかと。
では読み始めます。
石垣島でのお土産屋(おみやげや)の話です。
シーサーのことが、男女のことにからめて、説明が、男のほうが優位に書いてあると指摘があります。
「お母さんは福を呼ぶ」:お母さんの手元には「福」がない。
「お父さんは福を逃さない(にがさない)」:お父さんの手元には「福」がすでにある。
男女平等じゃない。不公平じゃないかという理屈です。(なるほど)
男女雇用機会均等法:わたしが二十代のときの仕事場の宴会で、上司がそういう法律ができたから、これからは女性活躍の時代だとあいさつされたことを覚えています。
あれから四十年以上が経ちました。さて、世の中は女性活躍の社会になったのかと問われると「いいえ」としか言いようがありません。「多少は……」とは言えそうです。
Kさん:雑誌『すばる』の編集女性。男性優位主義について、いつも怒っているそうです。二十代だそうです。(この本を読み終える頃には、本の中で三十代になられました)
都会の夜道は、女性のひとり歩きは怖いというようなことが書いてあります。
それとは別に都会人の歩き方のおかしさについて書いてあります。(人ごみの中を縫うように歩く。女性は男をよけるように歩く)
おもしろい内容になりそうです。
(つづく)
駅で若い女性にぶつかりながら歩く若い男性のことが書いてあります。女性のおっぱいに自分のひじを瞬間的に当てるそうです。エロいにいさんですな。脳みその一部がいかれています。やられたほうは泣き寝入りですが、最近は、防犯カメラ類が整備されているので、男の行為が録画されていて、ネットで流されているそうです。姿が丸見えですな。そのうち個人が特定されますな。ばちが当たりますな。
『……温厚な人は、むしゃくしゃの管理がなんとか上手くいっているだけで……』(なるほど。うまく管理できないと奇妙な行動に出るのか)
女性の賃金は安い。(なるほど。「女は家で家事」という意識が今もありますな。夫とこどもに尽くせですな。夫の親の世話が加わる時もありますな。いい嫁を演じるのは、つらそうです)
逆じゃないかという日本社会の過去が紹介されています。
ベビーカーはじゃまだから、電車に乗る時は、母親は、まわりの人間に配慮しろみたいなことです。
日本はいじめ社会です。強い者は、弱い者をいじめて、憂さ晴らしをします。(うさばらし)
以前読んだ建築家さんが書いた本に、従事者を日本人だけにするといじめが始まるので、スタッフには必ず外国人を入れるようにしているというコメントがありました。
1970年代のことが書いてあります。
今思い出すと異常な時代でした。
弱肉強食の時代でした。
金もうけ第一主義です。
物事を決定する基準は『損か得か』です。
三密(密閉、密集、密接)の空間が多い大都会では、子育てがたいへんそうです。こどものことで、周囲に気を使うことばかりです。
譲らない男たちがいます。競争主義社会の中で育ってきたから、譲ってくれません。自分のことが最優先です。不公平には敏感です。
男は、トラブルが起これば、原因を女のせいにします。
(つづく)
第一章から第十二章まである本です。これから二章以下を読みます。
細かく書くと文章が長くなりそうなので、感想メモは、おおまかに書きます。それでも長くなりそうです。
大都市の満員電車、通勤や通学で女性が痴漢にあうことが書いてあります。
痴漢も盗撮も脳みその病気だと思います。治りません。変態です。(異常、病的)
なんだか、女性が気の毒になってきます。電車はおそろしい乗り物です。
田舎から夢をもって大都会に出て来て、毎日満員電車で痴漢行為にあう。まわりにいる人たちは知らん顔で助けてくれません。日本人の冷酷さがあります。なかには、にやにや笑っているだけの人もいるそうです。(その後、コロナ禍で、乗客数が減少して、環境がいい方向へと変わったのだろうか)
都会で暮らしてなにが幸せなのだろう。田舎には満員電車はありません。暮らしていくうえで快適な空間があるのは、いなかのほうです。
痴漢の加害者を責めると痴漢の加害者の親があやまりに来るそうです。案外、立派な親のこどもが痴漢の加害者だったりもします。親ごさんの苦労がしのばれます。何回も何回も謝りに行くことが続くのでしょう。こどもなんていないほうがいいと思うかもしれません。
男優遇の社会があります。女を叩いて(たたいて)、いじめて嬉しがる(うれしがる)社会です。そういえば、企業の幹部や有名な俳優がセクハラ、パワハラをしたニュースを何度か耳にしました。英雄は色を好む。しかたがない。ほかのことで成果を出しているからいいじゃないかと許容される男社会です。お金や人事の権力をもった男にさからうことはむずかしい。
女性は『自衛(じえい。自分で自分の身を守る)』するしかない。大都会暮らしでの、女性が快適に過ごせる空間は狭い。
男にしても女にしても、人の体にそれほどの違いはない。つくりは同じです。異性の体が素敵だと感じていたのは錯覚だったと歳をとるとわかります。この世は、誤解と錯覚でできあがっているのです。映画やドラマ、小説の中の男女関係は金もうけのために意図的に加工されて美化された世界です。にせものです。現実とはかけ離れています。
医大の受験で女性の受験者が合格点に達しているのに、女だからという理由で不合格にさせられたというニュースに関する記述があります。当然、著者は反発しています。ごもっともです。
不正で不祥事なのに、この出来事を擁護(ようご。いいじゃないか。しかたがないじゃないか)する男性たち、しかも地位の高い男たちがいます。自分が異常なことに気づけていません。ふんぞり返っています。
あたりまえのことをあたりまえにやれない社会があります。
『カネ(金)、カネ、カネ』の社会があります。
学歴差別があって、性別の差別があります。
男が楽をする社会。男だけがいい思いをする社会があります。
ただ、それでもかまわないという女性もいるようです。責任は男に負わせて、自分は責任の小さい立場で男のそばにいられれば得です。
まだ、自分が十代だったころ、どうして女子が、当時の職業の呼び方ですが『スチュワーデス』になりたいのか理解できませんでした。
喫茶店のウェイトレスの仕事を飛行機の機内でやるだけのことではないか。そう考えていました。
この本では、スチュワーデスの採用の話が出ています。ふくらはぎがきれいなこと。ほかにもありますが省略します。男目線の採用基準です。美人コンテストです。見た目が大事です。
ロボットのことが出ています。受付のロボットは、美しい女性型です。なぜそうなのか。男がつくったロボットです。男の受付ロボットは見かけません。
トイレのことが書いてあります。
国会内のトイレの一部には、男女共用トイレがあるそうです。(本会議場の横)男子トイレの半分を女性用にしてあるそうです。びっくりしました。そうか、女性議員が少ないからか。(演劇の劇場で、男子トイレの数が少ないことの反対なのでしょう)
あんなに立派な国会議事堂の中にあるトイレが男女公平につくられていない。おかしな話ではありますが、いくら女性議員が少ないからといって、男子トイレを女性議員に使わせるのは狂っています。おしっこをする音が聞こえてきそうです。
国会は男社会なのでしょう。
国会という『箱』の中で生活を送っている人たちです。
箱の中にいるうちは、箱の中の常識で生きていけるのでしょうが、箱を出たとたん袋叩きにあいそうです。議員だけでなく、そこで働く国家公務員も同じでしょう。
新幹線のトイレの話があります。
昔のこととして、たしかに、わたしがこどもだったときの在来線のトイレは、汚物が、線路上に落ちるしかけでした。
本の中では話がいろいろ広がります。おしっこのときに、洋式トイレを男性は座ってすべきだというご意見です。男が洋式トイレに立っておしっこをすると、便座におしっこが飛び散って汚いそうです。男女共用の便座です。わたしも同感です。
いつでもどこでも立っておしっこをしようとする男は傲慢だ(ごうまん:威張っている。わがまま)です。
トイレの歴史をふりかえてみると、今の若い人たちは恵まれていると思います。
むかしは、どっぽん便所で、男女無関係の共同トイレで、女子のおしっこの音は響き渡っていて、女性はたいへんだったと思います。(もしかしたら今もそういう職場は残っているのかもしれません)
著者は、目の付け所が(視点)がいい。発想がおもしろい。
裁判官の中には、変な判決を出す人がいるらしい。(強姦事件の加害者を無罪にした。女性の明確な拒否がなければ、同意があったと判断するらしい。(その後の第二審で、有罪になって確定しています))男尊女卑の思考をもつ裁判官がいる。
自分は賃貸物件の内覧という体験がありませんが、アパートを借りる時の内覧は襲われたり、襲ったりという危険があるそうです。男性の不動産あっせん会社の従業員が女性客を襲う。あるいは、案内をする同社の女性従業員が、男性客に襲われることもあるでしょう。もう犬猫ですな。嘆かわしい。厳罰を下さねば。(くださねば)
田舎から夢をもって大都会に出て来て、満員電車で痴漢にあい、アパート探しの内覧で襲われる。夢もふっとびそうです。
日本人男性は、エロ業界によってつくられた、誤った情報に洗脳されているらしい。錯覚です。架空の加工された世界が現実も同じだと勘違いしている。
読んでいるとさみしくなってくる内容です。女性として社会で生きていくことはつらい。
まあ、そんな悪い男ばかりではありません。いい人もたくさんいます。あまり口にする人はいませんが、ひとりの異性を一生愛し続けることができる人はいます。そして、たいていの人はそうなのです。
(つづく)
冠婚葬祭の儀式の話です。
結婚式について、いまどきの世間の人たちは、開催について否定的です。
しかたがありません。
昔のようにショーのような盛大な結婚式は減りました。
されど、最低限のことはやっておきたい。
人生の節目です。
結婚式をやらない理由は、お金の負担がまっさきにくるのですが、本当にそうなのだろうか。めんどうくさいが一番の理由ではなかろうか。うっとおしい親戚づきあいを避けたいということもあるのでしょうが、がっかりします。お葬式も含め冠婚葬祭に関して、あれもしない。これもしないでは、生きている意味があるのだろうかという疑問が生じます。
昔と違って、親族同士が助け合わなくても暮らしていける社会に変わりました。
なんでもかんでもめんどくさいからしないという風潮になってしまいました。
儀式というものは、なぜそうするのか。ここまで生きてくることができたことに感謝するからだと思います。むかしは、こどもが病気や事故で死ぬことが多かった。一日一日生きて、成長してということが喜びだった。
今まで積み重ねてきた長い歴史を否定して、これからの日本では、希薄な人間関係がさらにうすくなっていって、孤独な暮らしを送る人が増えていくのでしょう。
本のほうは、『花嫁』として扱われる女性の不都合について書いてあります。女性はこうあるべきだという決めつけに反発する内容になっています。
飲食をしながら雑談することで生れてくる心の交流はあります。
人生の節目で記念写真を残しておくころは『思い出づくり』になります。
人間の体はやがて動かなくなります。
自分が三十歳のころ、女性が書いた自費出版の本を読んだことがあります。フランスで過ごしたときのことが書いてありました。内容を読んで、お元気な方だなと思ったのですが、本の最後に『今は歳をとって病院に入院していて、どこにも行けない体になってしまいました』という文章にぶつかりました。そんなふうにして、人は活発な時期を経て、人生を終えていくのです。『思い出』が多い人生がいい人生です。トラブルがあったとしても、それもまたいい思い出です。
(つづく)
男性社会の中で、女性の社員が仲間はずれにされて、男性社員たちの会話の輪に女性社員が入れてもらえないという話です。
女性差別です。女性の能力を下に見ている男たちがいます。
『女性』は、そこにいても、いないものとして扱われるのです。
女性にとっては、けっこうつらいしきつい。
存在しない人間扱いです。男性が女性の扱いを知らない。男性が女性に対して気をつかわない構図があります。
株式投資の銘柄探しと旅情報の取得のために、自分は定額無制限読書システムでたくさんの電子書籍の流し読みをしているのですが、週刊誌の記事はつまらない。いろいろなマニュアル(手引き、手順書)はあるけれど、そこに人間の『気持ち』はない。『学び』がありません。
エロ小説やエロ写真の記事をつくっている人はどんな気持ちで働いているのだろうかと思うことがあります。『お金のため』という理由しか浮かんできません。モデルもカメラマンもライターもお金のために女性の肉体をさらしている。男にとって女性は道具扱いです。
男中心社会の大企業の食堂での食事風景があります。異様です。異様だけれどだれも文句は言いません。長年の慣行があるからでしょう。ボスと子分たちがいて、いつもいっしょに行動します。食事もいっしょです。
リタイアしたマニュアル型サラリーマン体験者は、地域社会では迷惑者です。
地域社会の活動には、権利義務関係はありません。強制力も命令もありません。企業人のふるまいは、地域社会では通用しません。
(つづく)
高校野球甲子園をめざしての野球部女子マネージャーの扱いについて書いてあります。
女子マネージャーは、男子部員のユニフォームを洗濯するためにいるんじゃない! という主張です。男尊女卑の慣例を批判されています。
高校生女子マネージャーが野球部の練習に付き合っていて、熱中症で亡くなった話題があります。悲惨です。親は泣きます。
高校野球の記事は、男のために、意図的に美談として加工されている。女子は、男子よりも下の扱いで書かれている。
男に対する文句があります。自分のことは自分でやれ!です。(ごもっともです)
女は男のための飯炊き女(めしたきおんな)ではない。
(つづく)
体育会系、スポーツ部活動のあり方に対する批判があります。
著者の心は冷めています。
暴力的な指導者の教え方、女子をエロの対象として扱うという周囲の環境に憤りをもっておられます。(いきどおり:強い不満、怒り(いかり)、反発心)読んでいて共感します。
『体育会に所属すると、徹底的に「理不尽(りふじん:人の道に反すること。道徳に反すること)」を浴びる』とあります。
体育会系ではありませんが、高校生になったとき、いきなり上級生たちが一年生の教室にどなりこんできて、威嚇(いかく)で下級生を統制しようとしていました。
縦型社会で、たとえば、1年1組、2年1組、3年1組でひとつのグループを組んで、体育祭ほかの学校行事で競い合うのです。わたしも顔つきとふてぶてしい態度だけで、そのグループの応援団に入れられました。こんなことは、おかしいとは思いましたが、がんばりました。
教師たちはそのような暴挙を知っていて知らぬふりでした。伝統なのです。いままでずっとそうして統治してきた。生徒は、学年が変わるごとに立場を変えながら続いてきた。怒鳴られた下級生が上級生になると下級生をどなります。今はもうそのようなことはないだろうし、通用しないでしょう。
本にはいろいろ書いてあります。たしかに、第二次世界大戦後の影がまだ残っていた昭和の時代には、異常な精神論がありました。
見た目で選別される。性の対象として見られる。実績のある有名な女子スポーツ選手も同様です。 女性が女性として社会で活動していくことは苦労があります。
エロコンテンツの素材としてアスリートが使われる。
ものが売れるからつくる人間がいる。
買う人間がいる。
盗撮をする人間がいる。
そういう行為をするのが、案外、人の道を教える立場の人間だったりもする。
この世は理不尽(りふじん)なのです。
周囲に訴えても知らん顔をされる。(アイドル男子でも同じ。どこかの芸能事務所のようです)
自分のことは、自分で守るしかないのか……
(つづく)
お寿司屋でのことが書いてあります。
家で料理をするのは女性で、商売で料理を出す料理人は男性なのかについて考察します。とくにお寿司屋さんのことです。
女性をばかにするテレビ番組があります。
テレビ番組には、できないことを笑いにする陰険さ(いんけんさ。いじわる)があります。(自分はあまり見ないようにしています)
男性料理人は女性料理人を見下す。人として扱わないというような内容です。
男たちは、高級寿司店で、うんちくをたれる。(知識を披露する。よく聞くと、中身はないという分析と批評があります。単なる雰囲気づくり。自慢とお世辞(おせじ:喜ばせるほめ言葉)の空間)女性を性的な対象にしたり、見下したりする話題もある。(虚飾の空間です。きょしょく:中身のないうわべだけのもの)
男は師匠の言うことを受け入れる。
師匠が黒いものを白と言ったら、白だと受け入れるのが弟子の基本姿勢です。
男は『選民(せんみん。人間を区分けする。区別する。上下のランク付けをする)』をしたがる。
男にとっていいことは書いてありません。
この部分を読んで、食事は気楽が一番と思いました。
世の中には、男と女しかいないのに、ややこしい。
(つづく)
コロナウィルス感染拡大にちなんで『密閉、密集、密接』の話になりました。(最近は、この言葉も聞かなくなりました)
女性がいる世界が、密閉、密集、密接なのです。犯罪が近い。
『あおり運転』の話が出ます。
あおり運転をするのは男性で、女性があおり運転をしているというテレビ報道は見たことがありません。そんなことが書いてあります。あおり運転をするのは、四十代男性が多い。イライラしている。感情的になって、力づく(ちからづく)でうさ晴らしをしようとする。
もう忘れてしまった言葉として『フラリーマン』(コロナ禍で仕事帰りに居酒屋に立ち寄れなくなったサラリーマンたちが、仕事が終わっても直接家へ帰る気持ちになれない)
この部分を読んでいて『パチンコ』が攻撃されていたことを思い出しました。(感染の場所としてとらえられていた)パチンコ依存症の人たちが悩んでいました。
定番となった編集者女性二十代Kさんからの檄文(げきぶん。意見を強く主張して同意を求める)が届きます。(あたりまえのことが書いてあるのですが、ときに、気の毒で読むことがつらい。男に虐げられている(しいたげられている。いじめられている)女性の叫びが書いてあります。男性が女性よりも優位な公共の場所と空間があります。女性から見れば、むなしい世界です)(次の「章」にKさんの言葉がありました。この本の記事の連載開始当時は27歳だったけれど、30歳になられたそうです)
(つづく)
女性が男性に『人事』をにぎられる話が出てきます。人事権です。人事異動の権限を男性がもっています。採用時のこともあるでしょう。エロ目的の病的な大企業人事担当部署男性社員の懲戒解雇記事をニュースで読んだことがあります。ひどい奴です。会社の信用まで落としてしまいます。就活セクハラです。(読み進めていたら292ページにそんな記事が出てきました。人事担当若手男性社員が、先輩や上司の態度をまねていると分析と評価があります)
『日本社会の随所に存在する男女格差の問題』があって、国は『女性活躍』(そんな言葉がありました)をアピールしたけれどそうならなかった。
かつて、女性にとって職場は『夫となる人』を探す場所であった。結婚したら寿退社(ことぶきたいしゃ)という言葉で退職していた。
そして今は、女性も男性も結婚しなくなった。
読み終えました。
なかなかいい本でした。
以前同作者の『偉い人ほどすぐ逃げる 武田砂鉄(たけだ・さてつ) 文藝春秋』を読みました。
痛快なエッセイ集でした。
2020年の東京オリンピックについてのエッセイには、いろいろ考えさせられました。
結果論ですが、コロナ禍によって、無観客での開催ならば、わざわざ国立競技場を新しいものに建て替える必要もありませんでした。競技場の建て替えにともなって、周辺地域にあった古い文化的な建物も取り壊されたようです。
すったもんだがいろいろあった無理やり開催のオリンピック開催でした。マラソンについては、猛暑対策で、札幌での開催に変更されました。
大会は終わりましたが、その後、汚職が明らかになりました。贈収賄(ぞうしゅうわい)です。結局のところ、選手たちを広告塔にして、組織の上層部にいた人間たちが私腹を肥やしたのです。
ばれて損をしたのは当事者ですが。(地位や職権を利用して、利益を自分のポケットに入れる行為があった)一部の企業の信用は地に落ちました。
さて、こちらの本にある『マチズモ』の意味は、読み始める今、わたしにはわかりません。
マージャン用語しか、思い浮かびません。あがりハイを待つのが『マチ』で、並べてある山からハイをもってくることが『ツモ』です。(でもよく見ると「ツモ」ではなく「ズモ」でした)
本の帯を見ると『マチズモ=男性優位主義』と書いてあります。調べたらスペイン語だそうです。マッチョ=男らしいです。男らしい男。筋肉質で好戦的なイメージがあります。男性優位主義です。女性ではだめなのです。
そうか、「男尊女卑反対」ということが、この本のメッセージだなと理解しました。
以前読んだ本が『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン著 すんみ、小山内園子 訳 タバブックス』と『説教したがる男たち レベッカ・ソルニット ハーン小路恭子・訳 左右社』でした。どちらも男性優先社会の構造に女性が強く反対する内容でした。
日本も男性社会です。
ただ、歳をとってみてわかったことがあります。
人間は年寄りになると、性別が不明朗になるのです。
全員が男性のようでもあるし、全員が女性のようでもあります。中性的になるのです。もう性別はどちらでもいいのです。おじいさんのようなおばあさんもいますし、おばあさんのようなおじいさんもいます。
病院の待合室のベンチで自分が呼ばれるのを座って待っていて、お隣に座っていた人が名前を呼ばれて立ち上がった時に、それまで、その人をおじいさんだと思っていたら、おばあさんだったので、びっくりしたということが、最近ありました。
長い間生きてきて、体のあちこちが壊れていきます。もう元には戻りません。
脳みその働きも衰えてきています。
だれしも入院して、あっちを切ったり、何かを突っ込まれたり、体をひっくりかえされたり、人に見られたくない姿をさらけだしたり、そのうち羞恥心(しゅうちしん。はずかしいと思う気持ち)はなくなります。
手術となれば、まな板の上の鯉(こい)という状態で、どうにでもしてくれです。好いた(すいた)、惚れた(ほれた)の色気もなにもありません。ヨロヨロのヨボヨボで、しわくちゃです。
老いてみて、気が付くのです。性別にこだわることは無意味なことだと。男でも女でもどちらでもいいじゃないかと。
では読み始めます。
石垣島でのお土産屋(おみやげや)の話です。
シーサーのことが、男女のことにからめて、説明が、男のほうが優位に書いてあると指摘があります。
「お母さんは福を呼ぶ」:お母さんの手元には「福」がない。
「お父さんは福を逃さない(にがさない)」:お父さんの手元には「福」がすでにある。
男女平等じゃない。不公平じゃないかという理屈です。(なるほど)
男女雇用機会均等法:わたしが二十代のときの仕事場の宴会で、上司がそういう法律ができたから、これからは女性活躍の時代だとあいさつされたことを覚えています。
あれから四十年以上が経ちました。さて、世の中は女性活躍の社会になったのかと問われると「いいえ」としか言いようがありません。「多少は……」とは言えそうです。
Kさん:雑誌『すばる』の編集女性。男性優位主義について、いつも怒っているそうです。二十代だそうです。(この本を読み終える頃には、本の中で三十代になられました)
都会の夜道は、女性のひとり歩きは怖いというようなことが書いてあります。
それとは別に都会人の歩き方のおかしさについて書いてあります。(人ごみの中を縫うように歩く。女性は男をよけるように歩く)
おもしろい内容になりそうです。
(つづく)
駅で若い女性にぶつかりながら歩く若い男性のことが書いてあります。女性のおっぱいに自分のひじを瞬間的に当てるそうです。エロいにいさんですな。脳みその一部がいかれています。やられたほうは泣き寝入りですが、最近は、防犯カメラ類が整備されているので、男の行為が録画されていて、ネットで流されているそうです。姿が丸見えですな。そのうち個人が特定されますな。ばちが当たりますな。
『……温厚な人は、むしゃくしゃの管理がなんとか上手くいっているだけで……』(なるほど。うまく管理できないと奇妙な行動に出るのか)
女性の賃金は安い。(なるほど。「女は家で家事」という意識が今もありますな。夫とこどもに尽くせですな。夫の親の世話が加わる時もありますな。いい嫁を演じるのは、つらそうです)
逆じゃないかという日本社会の過去が紹介されています。
ベビーカーはじゃまだから、電車に乗る時は、母親は、まわりの人間に配慮しろみたいなことです。
日本はいじめ社会です。強い者は、弱い者をいじめて、憂さ晴らしをします。(うさばらし)
以前読んだ建築家さんが書いた本に、従事者を日本人だけにするといじめが始まるので、スタッフには必ず外国人を入れるようにしているというコメントがありました。
1970年代のことが書いてあります。
今思い出すと異常な時代でした。
弱肉強食の時代でした。
金もうけ第一主義です。
物事を決定する基準は『損か得か』です。
三密(密閉、密集、密接)の空間が多い大都会では、子育てがたいへんそうです。こどものことで、周囲に気を使うことばかりです。
譲らない男たちがいます。競争主義社会の中で育ってきたから、譲ってくれません。自分のことが最優先です。不公平には敏感です。
男は、トラブルが起これば、原因を女のせいにします。
(つづく)
第一章から第十二章まである本です。これから二章以下を読みます。
細かく書くと文章が長くなりそうなので、感想メモは、おおまかに書きます。それでも長くなりそうです。
大都市の満員電車、通勤や通学で女性が痴漢にあうことが書いてあります。
痴漢も盗撮も脳みその病気だと思います。治りません。変態です。(異常、病的)
なんだか、女性が気の毒になってきます。電車はおそろしい乗り物です。
田舎から夢をもって大都会に出て来て、毎日満員電車で痴漢行為にあう。まわりにいる人たちは知らん顔で助けてくれません。日本人の冷酷さがあります。なかには、にやにや笑っているだけの人もいるそうです。(その後、コロナ禍で、乗客数が減少して、環境がいい方向へと変わったのだろうか)
都会で暮らしてなにが幸せなのだろう。田舎には満員電車はありません。暮らしていくうえで快適な空間があるのは、いなかのほうです。
痴漢の加害者を責めると痴漢の加害者の親があやまりに来るそうです。案外、立派な親のこどもが痴漢の加害者だったりもします。親ごさんの苦労がしのばれます。何回も何回も謝りに行くことが続くのでしょう。こどもなんていないほうがいいと思うかもしれません。
男優遇の社会があります。女を叩いて(たたいて)、いじめて嬉しがる(うれしがる)社会です。そういえば、企業の幹部や有名な俳優がセクハラ、パワハラをしたニュースを何度か耳にしました。英雄は色を好む。しかたがない。ほかのことで成果を出しているからいいじゃないかと許容される男社会です。お金や人事の権力をもった男にさからうことはむずかしい。
女性は『自衛(じえい。自分で自分の身を守る)』するしかない。大都会暮らしでの、女性が快適に過ごせる空間は狭い。
男にしても女にしても、人の体にそれほどの違いはない。つくりは同じです。異性の体が素敵だと感じていたのは錯覚だったと歳をとるとわかります。この世は、誤解と錯覚でできあがっているのです。映画やドラマ、小説の中の男女関係は金もうけのために意図的に加工されて美化された世界です。にせものです。現実とはかけ離れています。
医大の受験で女性の受験者が合格点に達しているのに、女だからという理由で不合格にさせられたというニュースに関する記述があります。当然、著者は反発しています。ごもっともです。
不正で不祥事なのに、この出来事を擁護(ようご。いいじゃないか。しかたがないじゃないか)する男性たち、しかも地位の高い男たちがいます。自分が異常なことに気づけていません。ふんぞり返っています。
あたりまえのことをあたりまえにやれない社会があります。
『カネ(金)、カネ、カネ』の社会があります。
学歴差別があって、性別の差別があります。
男が楽をする社会。男だけがいい思いをする社会があります。
ただ、それでもかまわないという女性もいるようです。責任は男に負わせて、自分は責任の小さい立場で男のそばにいられれば得です。
まだ、自分が十代だったころ、どうして女子が、当時の職業の呼び方ですが『スチュワーデス』になりたいのか理解できませんでした。
喫茶店のウェイトレスの仕事を飛行機の機内でやるだけのことではないか。そう考えていました。
この本では、スチュワーデスの採用の話が出ています。ふくらはぎがきれいなこと。ほかにもありますが省略します。男目線の採用基準です。美人コンテストです。見た目が大事です。
ロボットのことが出ています。受付のロボットは、美しい女性型です。なぜそうなのか。男がつくったロボットです。男の受付ロボットは見かけません。
トイレのことが書いてあります。
国会内のトイレの一部には、男女共用トイレがあるそうです。(本会議場の横)男子トイレの半分を女性用にしてあるそうです。びっくりしました。そうか、女性議員が少ないからか。(演劇の劇場で、男子トイレの数が少ないことの反対なのでしょう)
あんなに立派な国会議事堂の中にあるトイレが男女公平につくられていない。おかしな話ではありますが、いくら女性議員が少ないからといって、男子トイレを女性議員に使わせるのは狂っています。おしっこをする音が聞こえてきそうです。
国会は男社会なのでしょう。
国会という『箱』の中で生活を送っている人たちです。
箱の中にいるうちは、箱の中の常識で生きていけるのでしょうが、箱を出たとたん袋叩きにあいそうです。議員だけでなく、そこで働く国家公務員も同じでしょう。
新幹線のトイレの話があります。
昔のこととして、たしかに、わたしがこどもだったときの在来線のトイレは、汚物が、線路上に落ちるしかけでした。
本の中では話がいろいろ広がります。おしっこのときに、洋式トイレを男性は座ってすべきだというご意見です。男が洋式トイレに立っておしっこをすると、便座におしっこが飛び散って汚いそうです。男女共用の便座です。わたしも同感です。
いつでもどこでも立っておしっこをしようとする男は傲慢だ(ごうまん:威張っている。わがまま)です。
トイレの歴史をふりかえてみると、今の若い人たちは恵まれていると思います。
むかしは、どっぽん便所で、男女無関係の共同トイレで、女子のおしっこの音は響き渡っていて、女性はたいへんだったと思います。(もしかしたら今もそういう職場は残っているのかもしれません)
著者は、目の付け所が(視点)がいい。発想がおもしろい。
裁判官の中には、変な判決を出す人がいるらしい。(強姦事件の加害者を無罪にした。女性の明確な拒否がなければ、同意があったと判断するらしい。(その後の第二審で、有罪になって確定しています))男尊女卑の思考をもつ裁判官がいる。
自分は賃貸物件の内覧という体験がありませんが、アパートを借りる時の内覧は襲われたり、襲ったりという危険があるそうです。男性の不動産あっせん会社の従業員が女性客を襲う。あるいは、案内をする同社の女性従業員が、男性客に襲われることもあるでしょう。もう犬猫ですな。嘆かわしい。厳罰を下さねば。(くださねば)
田舎から夢をもって大都会に出て来て、満員電車で痴漢にあい、アパート探しの内覧で襲われる。夢もふっとびそうです。
日本人男性は、エロ業界によってつくられた、誤った情報に洗脳されているらしい。錯覚です。架空の加工された世界が現実も同じだと勘違いしている。
読んでいるとさみしくなってくる内容です。女性として社会で生きていくことはつらい。
まあ、そんな悪い男ばかりではありません。いい人もたくさんいます。あまり口にする人はいませんが、ひとりの異性を一生愛し続けることができる人はいます。そして、たいていの人はそうなのです。
(つづく)
冠婚葬祭の儀式の話です。
結婚式について、いまどきの世間の人たちは、開催について否定的です。
しかたがありません。
昔のようにショーのような盛大な結婚式は減りました。
されど、最低限のことはやっておきたい。
人生の節目です。
結婚式をやらない理由は、お金の負担がまっさきにくるのですが、本当にそうなのだろうか。めんどうくさいが一番の理由ではなかろうか。うっとおしい親戚づきあいを避けたいということもあるのでしょうが、がっかりします。お葬式も含め冠婚葬祭に関して、あれもしない。これもしないでは、生きている意味があるのだろうかという疑問が生じます。
昔と違って、親族同士が助け合わなくても暮らしていける社会に変わりました。
なんでもかんでもめんどくさいからしないという風潮になってしまいました。
儀式というものは、なぜそうするのか。ここまで生きてくることができたことに感謝するからだと思います。むかしは、こどもが病気や事故で死ぬことが多かった。一日一日生きて、成長してということが喜びだった。
今まで積み重ねてきた長い歴史を否定して、これからの日本では、希薄な人間関係がさらにうすくなっていって、孤独な暮らしを送る人が増えていくのでしょう。
本のほうは、『花嫁』として扱われる女性の不都合について書いてあります。女性はこうあるべきだという決めつけに反発する内容になっています。
飲食をしながら雑談することで生れてくる心の交流はあります。
人生の節目で記念写真を残しておくころは『思い出づくり』になります。
人間の体はやがて動かなくなります。
自分が三十歳のころ、女性が書いた自費出版の本を読んだことがあります。フランスで過ごしたときのことが書いてありました。内容を読んで、お元気な方だなと思ったのですが、本の最後に『今は歳をとって病院に入院していて、どこにも行けない体になってしまいました』という文章にぶつかりました。そんなふうにして、人は活発な時期を経て、人生を終えていくのです。『思い出』が多い人生がいい人生です。トラブルがあったとしても、それもまたいい思い出です。
(つづく)
男性社会の中で、女性の社員が仲間はずれにされて、男性社員たちの会話の輪に女性社員が入れてもらえないという話です。
女性差別です。女性の能力を下に見ている男たちがいます。
『女性』は、そこにいても、いないものとして扱われるのです。
女性にとっては、けっこうつらいしきつい。
存在しない人間扱いです。男性が女性の扱いを知らない。男性が女性に対して気をつかわない構図があります。
株式投資の銘柄探しと旅情報の取得のために、自分は定額無制限読書システムでたくさんの電子書籍の流し読みをしているのですが、週刊誌の記事はつまらない。いろいろなマニュアル(手引き、手順書)はあるけれど、そこに人間の『気持ち』はない。『学び』がありません。
エロ小説やエロ写真の記事をつくっている人はどんな気持ちで働いているのだろうかと思うことがあります。『お金のため』という理由しか浮かんできません。モデルもカメラマンもライターもお金のために女性の肉体をさらしている。男にとって女性は道具扱いです。
男中心社会の大企業の食堂での食事風景があります。異様です。異様だけれどだれも文句は言いません。長年の慣行があるからでしょう。ボスと子分たちがいて、いつもいっしょに行動します。食事もいっしょです。
リタイアしたマニュアル型サラリーマン体験者は、地域社会では迷惑者です。
地域社会の活動には、権利義務関係はありません。強制力も命令もありません。企業人のふるまいは、地域社会では通用しません。
(つづく)
高校野球甲子園をめざしての野球部女子マネージャーの扱いについて書いてあります。
女子マネージャーは、男子部員のユニフォームを洗濯するためにいるんじゃない! という主張です。男尊女卑の慣例を批判されています。
高校生女子マネージャーが野球部の練習に付き合っていて、熱中症で亡くなった話題があります。悲惨です。親は泣きます。
高校野球の記事は、男のために、意図的に美談として加工されている。女子は、男子よりも下の扱いで書かれている。
男に対する文句があります。自分のことは自分でやれ!です。(ごもっともです)
女は男のための飯炊き女(めしたきおんな)ではない。
(つづく)
体育会系、スポーツ部活動のあり方に対する批判があります。
著者の心は冷めています。
暴力的な指導者の教え方、女子をエロの対象として扱うという周囲の環境に憤りをもっておられます。(いきどおり:強い不満、怒り(いかり)、反発心)読んでいて共感します。
『体育会に所属すると、徹底的に「理不尽(りふじん:人の道に反すること。道徳に反すること)」を浴びる』とあります。
体育会系ではありませんが、高校生になったとき、いきなり上級生たちが一年生の教室にどなりこんできて、威嚇(いかく)で下級生を統制しようとしていました。
縦型社会で、たとえば、1年1組、2年1組、3年1組でひとつのグループを組んで、体育祭ほかの学校行事で競い合うのです。わたしも顔つきとふてぶてしい態度だけで、そのグループの応援団に入れられました。こんなことは、おかしいとは思いましたが、がんばりました。
教師たちはそのような暴挙を知っていて知らぬふりでした。伝統なのです。いままでずっとそうして統治してきた。生徒は、学年が変わるごとに立場を変えながら続いてきた。怒鳴られた下級生が上級生になると下級生をどなります。今はもうそのようなことはないだろうし、通用しないでしょう。
本にはいろいろ書いてあります。たしかに、第二次世界大戦後の影がまだ残っていた昭和の時代には、異常な精神論がありました。
見た目で選別される。性の対象として見られる。実績のある有名な女子スポーツ選手も同様です。 女性が女性として社会で活動していくことは苦労があります。
エロコンテンツの素材としてアスリートが使われる。
ものが売れるからつくる人間がいる。
買う人間がいる。
盗撮をする人間がいる。
そういう行為をするのが、案外、人の道を教える立場の人間だったりもする。
この世は理不尽(りふじん)なのです。
周囲に訴えても知らん顔をされる。(アイドル男子でも同じ。どこかの芸能事務所のようです)
自分のことは、自分で守るしかないのか……
(つづく)
お寿司屋でのことが書いてあります。
家で料理をするのは女性で、商売で料理を出す料理人は男性なのかについて考察します。とくにお寿司屋さんのことです。
女性をばかにするテレビ番組があります。
テレビ番組には、できないことを笑いにする陰険さ(いんけんさ。いじわる)があります。(自分はあまり見ないようにしています)
男性料理人は女性料理人を見下す。人として扱わないというような内容です。
男たちは、高級寿司店で、うんちくをたれる。(知識を披露する。よく聞くと、中身はないという分析と批評があります。単なる雰囲気づくり。自慢とお世辞(おせじ:喜ばせるほめ言葉)の空間)女性を性的な対象にしたり、見下したりする話題もある。(虚飾の空間です。きょしょく:中身のないうわべだけのもの)
男は師匠の言うことを受け入れる。
師匠が黒いものを白と言ったら、白だと受け入れるのが弟子の基本姿勢です。
男は『選民(せんみん。人間を区分けする。区別する。上下のランク付けをする)』をしたがる。
男にとっていいことは書いてありません。
この部分を読んで、食事は気楽が一番と思いました。
世の中には、男と女しかいないのに、ややこしい。
(つづく)
コロナウィルス感染拡大にちなんで『密閉、密集、密接』の話になりました。(最近は、この言葉も聞かなくなりました)
女性がいる世界が、密閉、密集、密接なのです。犯罪が近い。
『あおり運転』の話が出ます。
あおり運転をするのは男性で、女性があおり運転をしているというテレビ報道は見たことがありません。そんなことが書いてあります。あおり運転をするのは、四十代男性が多い。イライラしている。感情的になって、力づく(ちからづく)でうさ晴らしをしようとする。
もう忘れてしまった言葉として『フラリーマン』(コロナ禍で仕事帰りに居酒屋に立ち寄れなくなったサラリーマンたちが、仕事が終わっても直接家へ帰る気持ちになれない)
この部分を読んでいて『パチンコ』が攻撃されていたことを思い出しました。(感染の場所としてとらえられていた)パチンコ依存症の人たちが悩んでいました。
定番となった編集者女性二十代Kさんからの檄文(げきぶん。意見を強く主張して同意を求める)が届きます。(あたりまえのことが書いてあるのですが、ときに、気の毒で読むことがつらい。男に虐げられている(しいたげられている。いじめられている)女性の叫びが書いてあります。男性が女性よりも優位な公共の場所と空間があります。女性から見れば、むなしい世界です)(次の「章」にKさんの言葉がありました。この本の記事の連載開始当時は27歳だったけれど、30歳になられたそうです)
(つづく)
女性が男性に『人事』をにぎられる話が出てきます。人事権です。人事異動の権限を男性がもっています。採用時のこともあるでしょう。エロ目的の病的な大企業人事担当部署男性社員の懲戒解雇記事をニュースで読んだことがあります。ひどい奴です。会社の信用まで落としてしまいます。就活セクハラです。(読み進めていたら292ページにそんな記事が出てきました。人事担当若手男性社員が、先輩や上司の態度をまねていると分析と評価があります)
『日本社会の随所に存在する男女格差の問題』があって、国は『女性活躍』(そんな言葉がありました)をアピールしたけれどそうならなかった。
かつて、女性にとって職場は『夫となる人』を探す場所であった。結婚したら寿退社(ことぶきたいしゃ)という言葉で退職していた。
そして今は、女性も男性も結婚しなくなった。
読み終えました。
なかなかいい本でした。
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