2023年06月05日

フードバンクどろぼうをつかまえろ! オンジャリQ.ラウフ

フードバンクどろぼうをつかまえろ! オンジャリQ.ラウフ・作 千葉茂樹・訳 スギヤマカナヨ・絵 あすなろ書房

 ちょっとわかりませんが、この物語の作者は女性で、どこのお国の人かわかりませんが、勝手にインドあたりのお国の人だろうかと推測しながら読み始めてみます。(イギリスにお住まいだそうです。国籍はわかりません。シリアかも。性別はもしかしたら、生まれは男性だけれど、本当は女性というパターンかも。妄想(もうそう)はふくらみます。うーむ。インド系イギリス人ということもあるだろうなあ)
 タイトルからすると、福祉施策としてのフードバンクに置いてある食べ物を盗む人間あるいは動物がいるのだろうかという読み始める前の想像です。

 目次を見ると、9つ(ここのつ)の章があります。(9つの小話(こばなし)の連続)
 その下に、登場人物の絵があります。

ネルソン:主人公男子。小学6年生ぐらいに見えます。

アシュリー:ネルソンの妹だそうです。幼稚園の年中さん(5歳)ぐらいに見えます。髪はポニーテール(結んで、子馬のしっぽみたいにしている)愛用のおもちゃがプラスチックの車で、車に名付けた名前が「フレディー」。46ページにアシュリーは、6歳と書いてあるのを見つけました。小学校には行ってはいないまだ幼稚園の年長さんでしょう。たぶん。(外国だから学年の制度が日本とは違うかもしれません)

クリシュ:男の子。ネルソンの同級生に見えます。(ネルソンの親友だそうです)サッカーが好き。スパイダーマンのマスクをつけて食べ物どろぼうを追う。彼はヒンドゥー教徒で、教えに従うと生肉に直接さわれない。ベジタリアン(菜食主義者)

ハリエット:女子。中学生ぐらいに見えます。ネルソンの姉だろうか。(ネルソンの親友だそうです。そうすると同級生でしょう)カーレースが好き。F1(えふわん。カーレース。フォーミュラーワン)のファン。ハリエットの母親は、サッカーのコーチをしている。父親はレストランで働いている。

お母さん(ジェームズ):ネルソンの母親。看護師だそうです。やさしそうな人に見えます。(どうしてだんなさんは女をつくった家を出て行ってしまったのだろう)すらっとしていて背の高い人に見えます。

ラムジット先生:メガネをかけた四十代ぐらいの男性に見えます。小学校の教頭先生。男性。朝食クラブの運営をしている。

ベル先生:やせていて背が高い女性の先生です。小学校の校長先生。女性。朝食クラブの運営をしている。

ノア・エキアーノ:男性。大柄。運動選手のようです。(プロのサッカー選手でした)あだ名が『ビクトリーノ(勝利を意味するビクトリーからきている。ノアが、決勝ゴールをあげてくれる)』がキャッチフレーズのようです。(注目を高める言葉)

パテル:女性。フードバンク(食べものの銀行)の銀行員

アンソニー:男性。フードバンクの銀行員

ナターシャ:女性。フードバンクの銀行員。馬のしっぽみたいな豊かな髪をしている。

モーリーン:給食の配膳係。女性。グレーのカーリーヘア(灰色でチリチリモジャモジャの髪型)

ラビーニア:女子。オレンジ色の髪、ふくらんでいる。

レオン:朝食クラブの利用者男子

ウィリアム:朝食クラブの利用者男子

ケリー:朝食クラブの利用者女子

クワンのおばあちゃん:ケリーの知り合い。近所の人

ユニコーン:一角獣。角が生えた白馬のような獣(けもの)。伝説の生き物

オニオーク・サミュエルズ:グラッドスーパーの店長

 『はらぺこきょうだい』から始まります。ネルソンとアシュリーです。学校の給食しか食事がないようなことをネルソンが言っています。(育ち盛りなのに)

フィッシュフライ:白身魚のフライ
フライドポテト:油でジャガイモを揚げたもの(あげたもの)

 『朝食クラブ(家でごはんを食べるのがむずかしい子どもたちに、無料で朝ごはんを提供してくれるクラブ)』日本における『こども食堂』のようなものだろうか。(無料、安価で、食事を提供する社会活動。月数回、食事ほかの費用は、寄附、助成金などでまかなう)

 『つもりゲーム』食べ物がなくてもある『つもり』になるゲーム。
 むかし、まだ小さかった自分もきょうだいといっしょに料理本の写真を見ながら、そこにある食べ物を食べる動作をしていました。熊じいさんもこの物語の主人公きょうだいと同様に貧しかった。

 兄妹には、母さんはいるけれど、父さんはいないようです。
 ひとり親家庭なのか。(あとから、父さんは、女ができて出て行ったという話が出ます。ひどいやつです。縁を切りましょう)
 熊じいさんも中学のときに親父(おやじ)が病気で死んで、そのあとお金がなくてたいそう苦労しました。ひとり親家庭のこどもの苦労は、体験した者でなければわかりません。結婚して共働きでがんばり始めてから、経済的に楽になりました。

 『ひきかえ券』母親が銀行にもっていくとお金をもらえるようです。なにか、手当でももらっているのか。物ももらえるようです。『スパイスセット』をもらったとあります。それとも銀行というのは、本物の銀行ではなくて、福祉施策としてものがもらえるような銀行だろうか。(お金はもらえませんでした。食べ物との引換券でした)
 木曜日が『ひきかえの日』だそうです。『銀行』は、『フードバンク(食べものの銀行)』だそうです。食べ物をもらうのに、お金はいらないそうです。
 昔、台湾の台北(たいぺい)にある『龍山寺(りゅうざんじ)』を訪れた時のことを思い出しました。この本に書かれていることに似ている事例がありました。
 とても感じのいいお寺さんでした。そのときの訪問メモが残っています。
 『……驚いたのは、お供え物(おそなえもの)の果物・野菜類は、お参りに来た各自がお参りを済ませたあとに持ち帰るのです。願いがかなった人たちがお礼にお供えした(おそなえした)ごりやくがあるその食べ物をまだ願いがかなっていない人たちがいただくのだそうです。日本のようなお賽銭(さいせん)の箱はありませんでした。参拝者は、願い事がかなったときや、その気になったときに、お礼としてお寺さんに食べ物を寄付するそうです。感心しました。いいシステムです(やり方のこと)』
 
 ネルソンは、フードバンクの銀行員に会ってからまる一年ぐらいがたつそうです。(男性のアンソニーと女性のパテルとナターシャに会った)
 
 銀行の引き出しリスト(これまで受け取った食べもの一覧です)
 リストの内容を見ましたが、健康のことを考えるとあまりよくなさそうな食べ物が多い。ピーナッツチョコレート、チョコレートクリーム、ポテトチップ、いわゆるジャンクフードが並んでいます。(栄養価のバランスを欠いた調理済み食品。高カロリー、高塩分など)
 
 宗教のことがあります。
 イスラム教でしょう。断食あけ(だんじきあけ。たしか「ラマダン」という断食の期間がある)のお祭りが『イード』だそうです。
 ヒンドゥー教の新年のお祭りとして『ディワリ』というものがあるそうです。

 シリアル:とうもろこし、麦、米などをすりつぶして加工して、牛乳やヨーグルトなどをかけて食べる。

 朝食クラブ:朝、フードバンクが開いているのだろうか? 小学校に行く前に行くのだろうか? 不思議です。
 『秘密のクラブ』とあります。学校の朝食クラブのことです。小学校に登校する前に行く場所です。秘密のクラブだから、一般に公表されていないのだろうか? 場所は、小学校にある食堂です。
 『朝食クラブのルールはひとつだけ』と書いてあります。朝食クラブのことをだれにも話してはいけないそうです。なぜだろう? とくに、クラブに来ていない人には絶対に話してはいけないそうです。
 朝食クラブには、朝の8時までに行く。8時5分には、着席していなければならない。食べるものは、フルーツひとつ、ドリンク1本、シリアルのボウル(入れ物)をひとつとトーストを1枚がひとりあたりの割り当てだそうです。(わたしは、シリアルを食べる習慣がないので、シリアルとトーストを同時に食べることがちょっと驚きでした。シリアルというものは、ごはんとかパンの代わりだと思っていました)
 フルーツは複数の中から選択制、シリアルの種類も複数ある。トーストは、チェコレートクリーム塗りとジャム塗りの二種類がある。
 金曜日には、おやつがつく。ドーナッツとか、クッキーとか、ヨーグルトとか。
 この部分を読んでいて、思い出した本が二冊あります。『宙ごはん(そらごはん) 町田そのこ 小学館』と『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』です。ちゃんとしたごはんを食べることが幸せへの一歩です。

 お金がある家のこどもであるクリシュ(男の子の同級生)とハリエット(女の子の同級生)は、朝食クラブを利用しない。

 短い文章の中にたくさんの情報が入っています。

 朝食クラブの食べ物のスポンサー(お金を出してくれる人)は、ベル校長だそうです。

 『朝食クラブ』とは別のシステムの『フードバンク』から食べ物を盗む人がいるらしい。
 『フードバンク』と『朝食クラブ』の区別がはっきりしません。同じものなのだろうか? 違うようです。

(つづく)

 主人公のネルソンは貧乏なのでごはんをいっぱい食べられないようです。
 熊じいさんも母子家庭のときは、食べるものが粗末なことと、着る私服がなくて困りました。高校の林間学校のキャンプも制服で行きました。みんなは、Tシャツにジーンズでした。くそったれ! 負けてたまるか! という気持ちをもって参加しました。ネルソンもがんばれ!

 フードバンクの食べ物を盗む人が出てくるようですが、こそこそ盗むのでなく、どろぼうにもどうどうと食べさせてあげればいいと思います。きっとおなかがすいているんです。

 『小さな勇者』:貧困で、しばらくは、十分な量の食事が与えられないという意味だそうです。がまんしてねです。(自分で畑仕事をして農作物をつくれないのだろうか。中学生のころ、サツマイモのつるをむいて炒めて(いためて)味付けをして食べていたと妻に話をしたら、そんなものが食べられるのかと驚いていました。それから、海や川で魚釣りをして釣った魚を食べるということはできないのだろうか。海なら貝拾いでもいい。
 昔グアム島に行ったとき、なにかしら貧困な人たちもいるようで、地元の人が海で魚を釣っているのですが、いかにも、釣った魚を家で食べるんだという真剣味が感じられました。
 だれか人の手伝いをしてお金をもらってもいい。小学生だから賃金は渡せないので、お礼ということで、おこずかいをもらえばいい。この物語のように、人からなにかをもらうよりも、自分で稼ぐ(かせぐ)という自立心がほしい。

料理の達人ゲーム:フードバンクからもらった食べ物を使って料理をするゲーム。キュウリの酢づけサンドイッチ、ツナとジャムのパイ、マスタードとソースをかけてかきまぜたヌードル、びっくりパイナップル(レモネードにひたしたパンをフライパンで焼く。その上に缶詰のパイナップルをのせて、オーブンで焼く)

メニューづくりゲーム:フードバンクでもらってきた食べ物を使ってのメニューをつくる。レタスがついたマッシュルーム、しっぽで立って踊る魚の絵

変身ゲーム:食べたくないものを見ながら、おいしい料理を想像して、そのことをみんなに話す。

 なんというか、いつもはらぺこの主人公ネルソンです。

 フードバンクに出す食材がなくなってきて、フードバンクを閉鎖しなければならなくなりそうだそうです。
 読んでいて疑問がわきます。どうして、人から食べ物をもらおうとするのだろう。
 自分で調達できる方法を考えた方がいい。
 農林水産業、サービス業(労働奉仕)の手段があります。

 物語は、フードバンクで食材を盗む人間をつかまえようという話に発展します。
 (本当に盗まれているのだろうか? うたがわしい思いをいだきながら読んでいます)

 スーパーマーケットからフードバンクに食材は届く。
 スーパーのお客さんからの寄付が提供される食べ物になる。
 どろぼうたちは、フードバンクの場所から食べ物を盗むのではなく、スーパーマーケットから盗んでいるのにちがいない。(どろぼうをつかまえたからといって、こどもたちがすぐその場で食べ物にありつけるわけでもなかろうに。以後のための盗難防止が目的か)
 
 お金がなくなって、お母さんは、おばあちゃんの指輪を質屋(しちや)に持って行ってお金に代えてきました。(わたしの家も貧乏だったので、こどものとき、親といっしょにときどき質屋に行きました。衣類や家具などを持って行くとお金を貸してくれました。期限までにお金を返済しないと預けた物は売却されます)
 
(つづく)

 読み終わりました。うーむ。わたしには合わない作品でした。いろいろ文句を書いてしまいそうです。
 まず、巻末にある122ページから始まる『解説』の記述部分を最初にもってきてほしい。
 一般社団法人の職員さんのコメント部分です。『フードバンク』とは何か。日本におけるフードバンクの現状はこうですとか、『朝食クラブ』とは何かとかが書いてあります。
日本では見聞きしないことがらなので、いきなり物語を読み始めても何のことか理解できません。(外国起源の制度です。スーパーで志(こころざし)のある人たちが、寄附用のカート(手押しかご)に自分が買った食べ物の一部を入れていく。『フードバンクへの寄付はこちらへ』の看板表示あり)

 さて、69ページに戻って感想を続けます。
 少年少女たちは、スーパーマーケットで、寄附用の食べ物が盗まれていると推理してスーパーマーケットで張り込みして、食べ物どろぼうを見つけて追いかけるという展開になっていきました。

 プロサッカーのスター選手であろう『ノア・エキアーノ』という選手がからんだお話になってきます。彼を英雄視します。(抵抗感があります。考えすぎかもしれませんが、意図的に錯覚を生もうとする宗教を思い出しました。中心にカリスマ的指導者の存在がある。(超人間的。教祖。英雄)。熱狂的な会員がいる。ノア・エキアーノ選手のモデルは、イギリスにあるプロサッカーリーグ、マンチェスターユナイテッド所属のマーカス・ラシュフォード選手だそうです。

 少年少女たちは、万引きを捕まえる警備員みたいな行動をしますが、警備員ではありません。

 カートの中にこどもが入って(ネルソンの妹のアシュリー)、それをネルソンが押してどろぼうを追いかけますが、そんなことをしてはいけません。(以前、公共施設で、中学生男子たちが、体が不自由な人のために置いてあった車いすにのって、押して、ふざけて走り回っていたことがあります。びっくりしました。無知すぎます。まるで幼児です)

 記述はマンガのようです。
 食べ物を粗末にします。
 肉を投げたり、ポテトチップスやチョコレートが飛びかったりします。(食べ物をそのように扱ってはいけません)

 フードバンク用の寄付された食べ物を盗む犯人たちについては、今どきの闇バイトで高級時計の強盗をする集団を思い出しました。

 『なぜ、どろぼうはどろぼうになったのか』というところを考えないと説得力のある物語は成立しません。一方的な思い込みは正確ではありません。そんなことを考えました。  

Posted by 熊太郎 at 06:19Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年06月02日

あかちゃん誕生

あかちゃん誕生

 遠方に住む、甥(おい)っこのところに三人目のこどもが生れて、自分のきょうだいから動画が送られてきました。
 自宅のソファーの上で、まだ生まれて一週間ぐらいの男の子のあかちゃんを、兄である二歳半の長男がうしろからじょうずにだっこしています。まったくあぶなげなく、長男は、あかちゃんである弟をだっこしながらニタニタとうれしそうに笑っています。そのようすをもうすぐ五歳になる長女が見ていますが、あかちゃんに小さななにかを渡そうとしています。三人とも可愛い。
 年に二回ぐらい九州に帰省して、きょうだいや、甥姪(おい・めい)とそのこどもたちが集まって、大衆食堂で食事会を開いています。そのときにまた、動画に写っているあかちゃんにさわらせてもらおう。
 もみじのような五本指のちいさなやわらかい手で、熊じいさんの手のひとさし指一本(いっぽん)をぎゅっとつかんでもらうと、幸せな気分になれます。あかちゃんは、幸せ気分を運んでくれる天使です。
 うちの親族には、小学校低学年からあかちゃんまで、十人ぐらいのちびっ子がいて、集まるとにぎやかです。
 熊じいさんは、こどもたちに、絵本やおもちゃをプレゼントします。
 生まれたてのあかちゃんにも、また、読んで楽しい、いい気分になれそうな絵本をさがして渡す準備をしておきます。

 日曜日に放送されているテレビ番組の政治討論会では、少子高齢化のことが叫ばれています。『どうする少子化』です。
 じっさい、自分のまわりを見ると、未婚のまま老齢期を迎えている知人が多い。年齢的に、男も女も親の介護が終わって、今は自宅でひとり暮らしです。
 地域を見渡してみると、夫婦でもお子さんがいない家も多い。それぞれのお考えやご事情があるのでしょう。
 こどもを育てていくことはたいへんです。お金だけではなくて、自分が好きに使いたい自分の時間も子育てに奪われていきます。『こどものために』という、しっかりとした犠牲心と心構えがないと、うまくいかないこともあります。
 いまは、ケースバイケースの時代になりました。(それぞれ個別で事情が違う)
 こどもがたくさんいるところもあるし、そうでないところもあります。
 犠牲心も心構えもないところに、結婚しろ、こどもをつくれと、いくら呼びかけても効果はうすいような気がします。  

Posted by 熊太郎 at 07:05Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り

2023年06月01日

たまごのはなし しおたにまみこ

たまごのはなし しおたにまみこ ブロンズ新社

(1回目の本読み)
 絵本です。評判がいい。
 まず、文章を読まずに、絵だけを目で追って最後のページまでいってみます。

 擬人化(ぎじんか)の場合、動物を人間にたとえることが多い。
 ゆでたまごみたいに見える卵を擬人化するやり方は、初めて見ます。
 独特な絵です。卵に目・鼻・口、そして、手足がついています。
 たまごは、女子に見えます。
 ゆでたまごのイメージです。
 不気味でもある。
 お話が3話あります。『めを さましたら』『さんぽ』『あめのひ』の3話です。
 植木鉢の絵にも顔があります。目、鼻、口があります。手足はありません。
 細かい描写の絵もあります。
 絵の製作には、時間がかかっています。
 顔付きのトイレットペーパーみたいな絵がありますが、トイレットペーパーではないでしょう。いまのところ、それが何なのかはわかりません。お掃除用の手動式ローラーだろうか。(マシュマロでした)
 かわいい絵ではありません。(感じ方は人によりけりですが……)
 この絵本は、こどもに受けるのだろうか? 不審な点ありです。

(2回目の本読み さて、文章を読みます)
 たまごを入れる陶器のコップみたいな器(うつわ)の上に腰かけているのが主役のたまごです。
 おとなの女性のように見えます。

第一話『めをさましたら』
 主役は、卵の妖精だろうか。
 ほかの卵には顔はありません。
 妖精は長い眠りから目を覚ました。そう読み取れます。

 『われ思う ゆえにわれあり(思うから自分の存在がわかる)』というような出だしです。

 たまごが立ち上がります。
 あかちゃんの成長のようです。立って歩きだすのです。

 たまごが妖精でなかったら『突然変異』でしょう。
 たまごに人格が宿っています。人間のようです。

 マシュマロとの出会いがあります。
 マシュマロにも顔があります。手足もあります。たくさんあるマシュマロのなかの、ひとつだけが生きています。
 マシュマロに『孤独』のにおいがあります。

 いい言葉があります。
 『じぶんが かんがえていることは はなさなければ あいてには ほとんどつたわらないんだって。』(そのとおりです。人それぞれの『脳みそにある世界と風景』は、お互いにわかりません。顔やスタイルなどの見た目と本人の中身は一致しません)
 自分の頭の中にあることを、言葉にして、正確に発信することはむずかしいけれど、自分のことを知ってもらうためには必要な作業です。がんばりましょう。
 だまっていると、相手の都合のいいように誤解されます。

 先日、三十歳ぐらいの男の人が、いきなり刃物を出してきて、ふたりの高齢女性を刺したり、猟銃で、警官ふたりを撃ったりした事件がありました。
 卑劣な行為です。(ひれつ:人としてあってはならない行為)
 『自殺』と『殺人』は、人生において、とりかえしがつきません。
 人を殺傷したら自分や自分の家族がそのあとどうなるのか、想像できないとしたら、これまでのその人の人生はなんだったのかということになります。読み書き計算能力を身につけて、不合理、不条理(ふじょうり)、理不尽(りふじん)な社会に気持ちの折り合いをつけて生き抜く工夫(くふう)をしていかねばなりません。

第二話『さんぽ』
 さんぽ=外の世界を知るということでしょう。
 なんとなく、ひきこもりは、ひきこもって、いっけん安全な場所にいるような錯覚をもっているけれど、そうじゃない。
 外には、いいことも、そうでないこともあるけれど、ひきこもっているよりは、いいことがあると示しているような、この章の内容です。

 たまごとマシュマロは、台所の上から台所の床の上に降りてきて、さんぽをしながら、自分が知らない未知の世界を探検します。
 うえきばちとの出会いがあります。うえきばちには、目、鼻、口があります。おもしろい! うえきばちがしゃべります。

 たまごとマシュマロのふたりに、クッションとの出会いがあります。
 クッションが、ふたりにさんぽを勧められましたが、クッションは、さんぽすると自分の体がよごれちゃうと言います。
 たまごがクッションに言葉を返します『よごれても あらえば いいだけだよ』
 そうです。『自殺』と『殺人』以外は、やりなおしはきくのです。
 先日NHKテレビ番組『72時間』を見ました。郵便局での定点観測でした。手紙を出しに来た若い男性が『刑務所で服役している友人に手紙を送る。出所したら、自分が立ち上げる事業をいっしょにやろうと書いた』とお話しされました。ほろりときました。

 たまごとマシュマロのふたりは『とけい(時計)』と出会いました。でも、時計には顔はありません。顔はありませんが、時計がふたりに話しかけてきます。
 とけいは仕事人間です。忠実に時を刻む仕事をしているから自由がありません。時計はそのことに満足していて、自由がないことの不自由さを感じていません。
 ふたりは、時計の乾電池を抜いて、時計を休ませてあげました。仕事で脳みそが麻痺(まひ)して『過労死』してはだめなんです。

第三話『あめのひ』
 熊じいさんは、雨はイヤです。でも雨は必要です。

 たまごが言います。自分は雨の日が好きだ。雨の日は、考えごとができるから好きだ。
 自分のことについて考えるそうです。
 どうして自分はたまごなんだろう。どんなたまごなんだろう。いいたまご? わるいたまご? へいぼんなたまご? ばかなたまご? (なかなか深い思索があります。しさく:考えること)
 自分じゃ、自分の中身を見ることができないからわからない。(黄身があるとか、白身があるとかがわからない……)

 34ページにあるたまごが、たいそう(体操)をする姿がおもしろい。

 ひとりでさんぽに行っていたマシュマロの話が紹介されます。
 ナッツ(豆)たちがケンカをしていたそうです。
 アーモンド、カシューナッツ、ピーナッツ、ピーカンナッツがそのメンバーだった。
 それぞれの特徴をお互いにけなしあっていた。
 人間の『標準化』という視点があります。義務教育における人間の標準化教育が、昭和の時代にはあったという記憶です。社会にとって(企業や組織にとって)都合のいい人間を学校での教育で育てるのです。
 それぞれ個性があるナッツは、自己主張が強い。
 『みんな おなじがいい』ナッツたちが出した結論です。
 たまごは、みんながおなじになるように、ナッツたちを粉にしてしようと提案します。
 マシュマロが、それはナッツじゃないとつぶやきます。
 たまごがよかれと思ってやろうとしたことは、ナッツたちには受け入れられませんでした。
 『共存』というヒントがあります。違う者同士が、お互いに妥協点を見つけて共存するのです。どちらかが、この世からすべていなくなるなんてことは無理なんです。
 思考はさらに伸びていきますが、ここに書くのはやめておきます。考える。考える。考えるです。

 たまごは、大学の先生みたいでした。人間とはなにかを考えるのです。
 人間には多面性がある。
 人間は成長しながら、そのときそのときの年齢になって、多面性の内容が変化することもある。
 (そのとおりなのですが、だからこうすればいいということは、絵本の中にはありません…… 読み手が読み終えてから自分で考えるのです)  

Posted by 熊太郎 at 06:48Comments(0)TrackBack(0)読書感想文