2020年10月25日

ハッピーエンドが書けるまで アメリカ映画DVD

ハッピーエンドが書けるまで アメリカ映画DVD 2012年米国公開

 アメリカンファミリーといわれる恋愛の自由を優先した結果にできあがった家族形態を描く作品です。日本人にはわかりずらい面があります。アメリカ国民は病んでいる。家庭に闇がある。されど、復活していこうという強い意志表示が示されます。

 ビル・ボーゲンズという有名作家がいます。長男と長女と同居しています。こどもたちふたりも作家です。長女のほうが先に作家として売れています。
 有名な作家でも家庭は壊れています。妻は不倫をして家を出て行きました。2年ぐらいが立ちます。離婚です。
 
 見ていて、日本の名作ドラマ「北の国から」を思い出しました。
 父親の黒板五郎とまだ小学校低学年の娘だった蛍が、妻であり、母親である令子さんの不倫現場を偶然目撃してしまいます。それから、つらくて悲しい物語が始まります。両親は離婚して、父とこどもふたりは東京から引っ越して、父の故郷である北海道富良野(ふらの)のほったて小屋で暮らし始めます。螢は、父親の手前、母親を拒否しますが、本当は母親に甘えたい。たしか、富良野のよその家のダイヤル式電話からこっそり東京のダイヤルを回して母親の働く美容院に電話をして、母親の声を聞いたあと、なにも言わずに電話を切ります。
 この映画でも類似のそこが原点になって、長女が母親を嫌います。拒否して、母親とは口をきかなくなります。

 この映画の場合は、アメリカ合衆国ですので、大麻の薬物使用とか、自由な異性との交遊とか、アメリカ社会で青春時代を送る若者たちの乱れた部分も出てきます。ドラマですので、つくったような言い争い、つくったようなシーンが、順番に続いていきます。

 元夫に別の女性との再婚を勧める元妻です。
 長男ラスティの恋愛は臆病ですが、元薬物中毒だった女性ケイトと知り合います。長女サマンサはかなり変わっていて、脳における思考が機械的です。彼女をつけまわしていたルイスと付き合いますが、ふたりの相性がいいとは思えませんでした。

 押したら引く、引いたら押すの男女の駆け引きがあります。
 
 作家が三人もいますので、「本」の話がたくさん出ます。
 親子三人の作品の具体的な内容提示はありません。
 全体をとおして、アメリカ白人社会のドラマという印象が残りました。  

2020年10月24日

出川哲朗充電バイクの旅 伊豆半島東回り

出川哲朗充電バイクの旅 神奈川県箱根神社から静岡県土肥温泉(といおんせん) 伊豆半島東回り 2018年1月6日放送分のふりかえり

 ゲストは、前半が、ロッチの中岡創一さん、後半が、小島よしおさんです。

 ぶっつけ本番の旅なのでトラブルが多い。魚市場が休みだったり、食事処が休業だったり、行った先が時間的に終わっていたり、遊覧船の営業が波が高くて欠航だったり、温泉から夕日を見られなかったり。そこがまたおもしろいのですが、あまりにもうまくいかないところが多かった。そうそう、出川哲朗さんが目的のお茶屋のお店を間違えてもいました。ハプニングの連続で、出川哲朗さんは赤っ恥をかいていました。
 あとは、小島よしおさんが道ばたで偶然ご自身の親せきに会ったりしておもしろかった。

 土方(ひじかた)ディレクターがおもしろい。話がかみ合わなかったり、段取りが悪かったりします。ふつうなら責められるところですがおもしろいので許せます。蛭子能収さん(えびすよしかずさん)と類似の個性です。

 長生きの女性がおふたり登場して驚かされました。
 おひとりは、古くからある旅館の女将さんで93歳、おふろで、「脱ぎましょうか」とか、「いっしょに入りましょうか」「チューしちゃうわ」など、色っぽくてよかった。
 ふたりめは充電先のお宅の92歳の女性で、小島よしおさんと出川哲朗さんの裸を見せられて、上手なやりとりをされていました。それぞれ、現在も96歳と95歳でご存命ですので、これからもご健康で長生きしてください。

 食堂のカツどんがおいしそうでした。
 伊東市の海岸付近の景色が美しかった。青い海、空にぽっかり浮かぶ白い雲。12月頃で空気が澄んでいる景色なのでしょう。
 漁村の赤い屋根をドローンを使って上空から見るとカラフルで明るくてきれいでした。
 伊豆半島西海岸から見る富士山も幽玄で良かった。神秘的な山頂付近でした。駿河湾の向こうに見える富士山の絶景が続きました。

 こどもたちも楽しかった。野球少年の中学生たち(26歳の若い監督でしたが、チームはよく訓練されていてプレイがうまかった)、定食屋を案内してくれた少年、それから、長嶋茂雄さんの大学野球部時代の先輩だったというおじいさんも良かった。  

2020年10月23日

パンドラの匣(ぱんどらのはこ) 太宰治

パンドラの匣(ぱんどらのはこ) 太宰治 新潮文庫

 パンドラの匣:ギリシャ神話。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬(しっと)、貪欲(どんよく)、猜疑(さいぎ)、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫がはいだし、空をおおってぶんぶん飛びまわり、それ以来、人間は永遠に不幸に悶え(もだえ)なければならなくなったが、しかし、その匣(はこ)の隅に小さい光る石が残っていて、その石にかすかに「希望」という字が書かれていた。(本書の197ページにある記述)

 昭和20年10月22日から翌21年1月7日までの連載で発表された作品です。終戦が昭和20年8月15日です。作者は、昭和23年6月に心中で亡くなっています。

 手紙形式の文章です。
 「僕」である主人公の20歳小柴利助が手紙を書いています。僕は胸の病気があって、「健康道場」と呼ばれる結核療養所に滞在しています。ときおり喀血(かっけつ。肺や気管支から咳とともに出る出血)しているようです。戦時中ですが、兵役は免除でしょう。

 達者な文章です。感銘します。心に深く刻みつけられます。
 「人間はしばしば希望にあざむかれるが、しかし、また、「絶望」という観念にも同様にあざむかれることがある。」とあります。
 太宰治氏らしい文章として、『「自分の生きている事が、人に迷惑をかける。僕は余計者だ。」という意識ほどつらい思いは世の中にない。』
 最初の手紙の日付は、昭和20年8月25日になっています。

 登場人物として、
 僕:小柴利助。20歳。あだなは、「ひばり」
 大月松右衛門:中年男性。東京の新聞記者。妻死去。ひとり娘が療養所の近くに住んでいる。あだなは、「越後獅子」
 木下清七:左官屋。独身28歳。美男。鼻高く、目元涼しい。お尻をふってなよなよ歩く。色白。俳句が好き。あだなは、「かっぽれ」
 西脇一夫:郵便局長。35歳。おとなしそう。小柄。細君あり。あだなは、「つくし」
 須川五郎:法科の大学生。26歳。ロイドメガネ。あだなは、「固パン(かたぱん)」
 三浦正子:看護師18歳。西脇一夫に不倫の恋心あり。あだなは、「マー坊」
 竹中静子:看護師25歳。療養所内で一番の人気者。色気はないが胸は大きい。あだなは、「竹さん」
 呼び名として、院長=場長(田島先生。あだなは清盛、呼び名として、副院長以下の医師=指導員、看護婦=助手、入院患者=塾生)

 日課の説明があります。六時起床、夜九時就寝、途中に運動とか、食事、摩擦(からだをふく)というのがあります。

 ポンポンとはずむような文章が続きます。

 「僕たちの笑いは、あのパンドラの匣の小さな石から発しているのだ」結核という病気に感染して、明日をも知れぬ命の人たちです。
 鳴沢イト子さんという若い女性患者が亡くなり、男性患者23名、女性患者6名で、ご遺体を見送る儀式をしました。

 奥さんのある医師を好きになる看護師をからめた男性患者を含む三角関係の恋愛模様があります。感染する病気の患者がらみなのでちょっと不思議です。
 
 あだなでのやりとり記述がおもしろくて安心できます。

 俳句や短歌の解説が出てきます。

 ここまで読んできて、あだなでのやりとりが多いせいか、夏目漱石氏の作品「坊ちゃん」みたいな雰囲気を感じています。

 終息に向かって、政治の話、選挙の話、天下国家を論じあう、だんだん内容がつまらなくなってきました。たぶん書いている作者自身も勢いが尻すぼみになっていくのが自分でもわかったはずです。りくつっぽくなると、豊かな創造性がおとろえてきます。

 楽天居士(らくてんこじ):くよくよしないで人生を楽観する人
 鬼の霍乱(おにのかくらん):ふだんきわめて健康な人が珍しく病気になること。攪乱は日射病のこと。
 かっぽれ:こっけいな踊り
 ダニエル・ダリュウ:フランスの女優。美女。1917年-2017年。100歳没
 御賢察(ごけんさつ):どうかお察しください。
 匁(もんめ):重さの単位。3.75グラム。
 義を見てせざるは勇無きなり:人としてやるべきことをやらないのは勇気がないということ。
 隅に置けない:油断できない。あなどれない。  

Posted by 熊太郎 at 06:41Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年10月22日

となりのせきのますだくん・ますだくんのランドセル武田美穂

「となりのせきのますだくん」「ますだくんのランドセル」 武田美穂 作・絵 ポプラ社

 「となりのせきのますだくん」だけ読むと気持ちが沈みます。「ますだくんのランドセル」と合わせて読むと心が晴れやかになります。二冊ワンセットで読んだ方がよいマンガ絵本です。

「となりのせきのますだくん」
 見る人によっては、「ますだくん」が気持ち悪い。もともと赤色と緑色を対比させる派手な絵です。にぎやかであるというメリットの反面、強烈すぎるというデメリットがあります。そこに、カエルのような、恐竜のような、ますだくんの姿があります。絵を見て、こわがるこどもさんもいることでしょう。
 緑色のますだくんは見るからに、「いじめっこ」です。女の子を困らせている表紙の絵です。机に線をひいて、「こっちからでたら、ぶつからな。」と女の子をおどしています。
 ページをめくると、「あたしきょう がっこうへいけない きがする。」から始まります。登校拒否かと思わせてくれます。でも、女の子は小学校へ行きます。
 学校にいきたくない気持ちが女の子の表情にありありと表れています。
 女の子の名前は、「みほちゃん」です。
 教室で、みほちゃんのとなりのせきのますだくんは、気に入らないことがあるとイスをけります。暴力です。
 どうも、みほちゃんは勉強も体育もにがてなようすです。
 給食を食べるのもにがてです。
 みほちゃんは、いいとこなしです。
 なんだかかわいそうなみほちゃんです。
 みほちゃんはともだちがいなくてひとりぼっちのようです。
 けっきょく、みほちゃんの相手をしてくれるのは、ますだくんしかいないし、ますだくんは、みほちゃんが好きなのです。好きだからちょっかいを出すのです。たまには、みほちゃんが、ますだくんをこうげきしたほうがいい。
 読む前の期待は裏切られました。消化不良な読後感でした。

「ますだくんのランドセル」
 1年1組のますだけんいちくんです。ますだくんが、今度は、人間の姿で登場しました。ますだくんのうしろには、前作で出ていた緑色のカエル恐竜みたいなものが立っています。
 ますだくんが、ふつうの男の子の姿かたちをしているので、ほっとしました。
 前作とセットで読まないと判断が不公平になってしまいます。
 タイトルは、「ますだくんの赤いランドセル」のほうが意味が通って良かった。
 「ぼくのなまえは ますだけんいちです。5さいです。」から始まります。6年生の姉ひとり、4年生と3年生の兄ふたり、さらに1さい半ぐらいの妹えりこちゃんがいる5人きょうだいです。
 ますだくんが小学1年生にあがります。ランドセルは中学生になるおねえちゃんのおさがりです。だから赤いランドセルです。でも、ますだくんが、赤色がいい、おねえちゃんが使っていたランドセルがいいと主張したのです。
 内容はちょっと古いかな。最近は広場で野球をしている小学生は見かけなくなりました。絵の中の世界は、昭和時代の出来事です。
 赤いランドセルをしょって小学校に行く、ますだけんいちくんです。そして、前作のみほちゃんは、青いランドセルをしょっているのです。(青色は、ママの好みだそうです。みほちゃん本人は青色ランドセルをいやがっています)みほちゃんは、小学生になったのに、「ようちえんにいきたいよー」と言って泣いています。きょうだいがいないのでしょうか。みほちゃんは、人にもまれていないので、弱虫です。
 ますだくんは、泣き虫のみほちゃんを強くリードします。「泣くな!」と叱りながら励まします。
 二冊合わせて読み終えて、救われる気持ちになりました。よかった。  

Posted by 熊太郎 at 07:27Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年10月21日

しんかんせんでいこう 作・絵 間瀬なおかた

しんかんせんでいこう 日本列島北から南へ 日本列島南から北へ 作・絵 間瀬なおかた ひさかたチャイルド

 どちらの方向からも読める絵本です。なかなかの良書です。ことし読んで良かった一冊になりました。鉄道好きなこどもさんにプレゼントすると喜ばれるでしょう。

 最初に北海道から九州方向へと目を通して読みました。
 感想は、再び九州から北海道へと読みながら書いてみます。

 鹿児島中央駅のプラットホームには心温まる見送りと出迎えの風景があります。
 線路わきの風景は桜の花が満開です。
 ここで新幹線の愛称を整理してみます。ひかり、こだま、のぞみぐらいしか記憶がありません。
 いつのまにかずいぶん増えました。

 東海道・山陽新幹線:のぞみ、ひかり、こだま
 山陽・九州新幹線:みずほ、さくら、つばめ
 東北・北海道新幹線:はやぶさ、はやて、やまびこ、なすの
 山形新幹線:つばさ
 秋田新幹線:こまち
 上越新幹線:とき、たにがわ
 北陸新幹線:かがやき、はくたか、あさま、つるぎ

 絵本には、飛行機や船の絵もたくさんあります。
 鉄道線の名称や観光地も書き入れてあって親切です。
 こんなところもと驚くぐらい細かくていねいでわかりやすい。
 絵本をめくるだけで、日本一周をしたような体験をもつことができます。
 
 四国は本当に交通の便が良くなりました。50年前とは大違いです。本州とのあいだにたくさん橋ができました。

 絵を見ていると、こどもさんは、新幹線に乗ってみたいと思うことでしょう。また、いろいろなところへ行ってみたいと胸をふくらませることでしょう。

 乗ったことがあるローカル路線もいくつか書いてあってなつかしい。

 年配の人はSL蒸気機関車に愛着がありますが、いまどきのこどもたちは、スピード重視、かっこよさ重視で、SLよりも新幹線のほうが好きなようです。

 いつの日にか、リニア中央新幹線が絵本に加わるときが来るのでしょう。

 ページをめくってきて、北海道のページまできました。北海道では、自然が豊かで動物たちの国というイメージが湧きました。
 新函館北斗駅の駅風景です。
 女児が手にしている黄色いお花がきれいです。お花は、おじいちゃんとおばあちゃんへのプレゼントです。
 日本はお年寄りからちっちゃなこどもまで、みんなが、幸せに暮らしていると思えるプラットホームの風景でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:26Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年10月20日

ちいさなちいさな王様 アクセル・ハッケ

ちいさなちいさな王様 アクセル・ハッケ作 ミヒャエル・ゾーヴァ絵 那須田淳/木本栄 共訳 講談社

 本のカバーに、「ある日、ふらりと僕の部屋にあらわれた、僕の人差し指サイズの気まぐれな小さな王様。」とあります。そのときすぐに、村上春樹作品「騎士団長殺し」が思い浮かびました。なにか関連があるのだろうか。作者はドイツ人です。

 39ページまで読んだところで感想メモを書き始めます。いつつのパートに分かれています。名前は出てきませんが、人間である「僕」と、「十二月王二世」という名前のちっちゃな王様とのふたり会話で話が進んで行きます。王様は人差し指ぐらいの大きさで太っている。

「Ⅰ 大きくなると小さくなる」
 「僕」は人間ですから小さく生まれて成長しながら大きくなります。大学生ぐらいの年齢に思えます。
 「王様」は大きく生まれて成長するにつれて小さくなるそうです。
 おもしろそう。想像世界、空想世界です。逆転の発想があります。
 王様の話しでは、「人生というのは、ある日起き上がって、それですべてがはじまるのだ」そうです。知識は最初から備わっていて、成長するにつれてだんだん忘れていくそうです。逆行です。
 なにかしら哲学的な本かしら。「大きくなることはすばらしいことなのだろうか?」と王様が「僕」にたずねますが僕は明確に答えることができません。王様は生まれたときになにもかも知っているそうです。ベッドで目覚めた時が生まれた時です。成長するにつれて少しずつ忘れていく。いろいろなことができなくなって小さくなっていく。
 不思議な雰囲気のお話です。
 王様は「僕」に言います。人間は生まれた時にすべての可能性を与えられているのに成長するにつれてその可能性が失われていく。想像や空想ができた世界が小さくなっていく。それは素敵じゃないことなんだ。

「Ⅱ 眠っているときに起きている」
 王様が「僕」を自宅に誘います。僕は体を小さくできないから無理だと言うとだいじょうぶだという王様の反応です。僕の体は小さくなります。
 王様の部屋には箱がたくさんあって、箱の中には、王様がみる夢がいっぱい入っているそうです。
 窓のある手こぎボートにのっている夢があります。夢は祖先から相続するそうです。
 小型ジェット戦闘機は車のように路上で駐機ができるそうです。そういう夢です。
 僕はサラリーマンをしているそうです。王様が言います。サラリーマンとして毎日仕事に追われて働いていることの方が実は夢で、本当の現実は、眠っているときにみる「夢」の中にある。

「3 存在しないものが存在する」
 こびとの王様は僕に同行の外出を要求します。
 このあとわかるのですが、場所は、ドイツのミュンヘン市内です。
 ふたりは散歩に出かけます。
 されど、僕は休暇をとってきょうは休みなのです。なのに、こびとの王様は僕の会社へ行く通勤路を歩きたいと熱望します。
 「今日は、『現実』が存在するかしないか」という対立話になります。
 現実というのは、イコール『労働する一日』だと僕は主張します。王様が、きょう君は、現実から解放された一日を過ごせると喜びます。

 王様が言うには、人々が仕事にいきたがらないのは、「竜」のせいだそうです。「竜」とはなんだろう。竜は人を攻撃するそうです。「義務感」だろうか。

 王様は、「グミベアー(菓子。くまのかたちをしたグミ)」が好きです。なにかをグミにたとえてあります。まだ意味がわかりません。

 ダンプリング:小麦粉を練ってゆでただんご

「4 命の終わりは永遠のはじまり」
 王様は亡くなった祖先の霊魂で妖精のようなものだろうか。

 夏の夜にふたりは星を見上げます。
 読んでいて思い出したことがあります。高校二年生のころ、宇宙というのはもしかしたら、大男の胃袋の中にあるんじゃないかと空想したことがあります。
 「小さな王様が欠けていてさびしい思いをしている人が世の中には本当はもっとたくさんいるんだよ。ただ、そのことに気がついていないだけで」という王様の言葉はなにを意味するのだろう。『夢を追う気持ち』だろうか。つまり、想像すること。脳科学みたいな話になってきました。簡単に言えば、「気の持ちよう」なのですが。

 誕生の話になります。
 王様と女王様がしっかりとおたがいを抱きしめあってベランダから飛び降りると地面にトランポリンがあってふたりはトランポリンを使ってジャンプする。ジャンプしたあと夜空から星をひとつとってくる。その星をベッドの中にいれておくと、翌朝、ひとりの人間が目を覚まして生まれるそうです。

「5 忘れていても覚えている」
 王様と僕はメルセデスベンツのトラックにのって王様の知り合いの「偉大な絵持ち」のところへ向かいます。「絵」とは、たぶん、「人生における記憶とか思い出」をさしています。人間のあたまの中、つまり脳です。
 
 ざっとふりかえってみて考えたことです。
 「想像」が中心にあって、人間は生まれた時に、100%の「想像」をもっている。想像は、可能性に言い替えることができて、生まれたての人間は未来に向かって、何にでもなれる可能性を100%もっている。
 人間は成長するにつれて、100%あった「想像」が減少していく。0%になったときに死を迎える。
 小さな王様はその逆で、生まれた時の「想像」は0%に近い。からだが小さくなるに従って、能力は落ちていくけれど、「想像」の割合は増えていく。そして、最後は、たぶん、「死なない」のです。微粒子のまま永遠の命を獲得するのです。なにもかも忘れて浮遊するのです。

 と書いてはみたもののいまだ消化不良です。もう一度読み返してみます。

(再読後の全体の感想)
 読み返したものの、前回以上のなにか新しいものは見つけきれませんでした。
 人間というのは、生まれた時に抽象的だった世界が、だんだん具体的になっていって、制限が加えられていって、狭い世界で生きて最後には消滅していく。そのことを逆にして、具体性が100%で始まって、だんだん小さくなっていくのだけれど、それは、逆に自由度が高くなっていくこと……。うーむ。わかりにくい。
 たとえば、こどものころは、あの大学に行きたいと言っているのだけれど、だんだん自分の学力がわかってきて、大学の水準を落としていく。王さまはその逆とか。
 もうひとつは、将来はこういう人間になりたいとか、こういう職業に就きたいと思っているのだけれどなかなか思いどおりにはいかなくてあきらめてそのときやれることをやる。王さまはその逆とか。
 「想像をしよう」というメッセージだけは確かにあります。

 あとは、人間は生まれて、頭脳は発達していきますが、やがて、ピークを迎えて、能力は低下していきます。人生の後半では、脳が幼児化することもあります。衰えです。そういうこともからんでいるのかもと考えました。  

Posted by 熊太郎 at 07:21Comments(0)TrackBack(0)読書感想文