2020年10月20日

ちいさなちいさな王様 アクセル・ハッケ

ちいさなちいさな王様 アクセル・ハッケ作 ミヒャエル・ゾーヴァ絵 那須田淳/木本栄 共訳 講談社

 本のカバーに、「ある日、ふらりと僕の部屋にあらわれた、僕の人差し指サイズの気まぐれな小さな王様。」とあります。そのときすぐに、村上春樹作品「騎士団長殺し」が思い浮かびました。なにか関連があるのだろうか。作者はドイツ人です。

 39ページまで読んだところで感想メモを書き始めます。いつつのパートに分かれています。名前は出てきませんが、人間である「僕」と、「十二月王二世」という名前のちっちゃな王様とのふたり会話で話が進んで行きます。王様は人差し指ぐらいの大きさで太っている。

「Ⅰ 大きくなると小さくなる」
 「僕」は人間ですから小さく生まれて成長しながら大きくなります。大学生ぐらいの年齢に思えます。
 「王様」は大きく生まれて成長するにつれて小さくなるそうです。
 おもしろそう。想像世界、空想世界です。逆転の発想があります。
 王様の話しでは、「人生というのは、ある日起き上がって、それですべてがはじまるのだ」そうです。知識は最初から備わっていて、成長するにつれてだんだん忘れていくそうです。逆行です。
 なにかしら哲学的な本かしら。「大きくなることはすばらしいことなのだろうか?」と王様が「僕」にたずねますが僕は明確に答えることができません。王様は生まれたときになにもかも知っているそうです。ベッドで目覚めた時が生まれた時です。成長するにつれて少しずつ忘れていく。いろいろなことができなくなって小さくなっていく。
 不思議な雰囲気のお話です。
 王様は「僕」に言います。人間は生まれた時にすべての可能性を与えられているのに成長するにつれてその可能性が失われていく。想像や空想ができた世界が小さくなっていく。それは素敵じゃないことなんだ。

「Ⅱ 眠っているときに起きている」
 王様が「僕」を自宅に誘います。僕は体を小さくできないから無理だと言うとだいじょうぶだという王様の反応です。僕の体は小さくなります。
 王様の部屋には箱がたくさんあって、箱の中には、王様がみる夢がいっぱい入っているそうです。
 窓のある手こぎボートにのっている夢があります。夢は祖先から相続するそうです。
 小型ジェット戦闘機は車のように路上で駐機ができるそうです。そういう夢です。
 僕はサラリーマンをしているそうです。王様が言います。サラリーマンとして毎日仕事に追われて働いていることの方が実は夢で、本当の現実は、眠っているときにみる「夢」の中にある。

「3 存在しないものが存在する」
 こびとの王様は僕に同行の外出を要求します。
 このあとわかるのですが、場所は、ドイツのミュンヘン市内です。
 ふたりは散歩に出かけます。
 されど、僕は休暇をとってきょうは休みなのです。なのに、こびとの王様は僕の会社へ行く通勤路を歩きたいと熱望します。
 「今日は、『現実』が存在するかしないか」という対立話になります。
 現実というのは、イコール『労働する一日』だと僕は主張します。王様が、きょう君は、現実から解放された一日を過ごせると喜びます。

 王様が言うには、人々が仕事にいきたがらないのは、「竜」のせいだそうです。「竜」とはなんだろう。竜は人を攻撃するそうです。「義務感」だろうか。

 王様は、「グミベアー(菓子。くまのかたちをしたグミ)」が好きです。なにかをグミにたとえてあります。まだ意味がわかりません。

 ダンプリング:小麦粉を練ってゆでただんご

「4 命の終わりは永遠のはじまり」
 王様は亡くなった祖先の霊魂で妖精のようなものだろうか。

 夏の夜にふたりは星を見上げます。
 読んでいて思い出したことがあります。高校二年生のころ、宇宙というのはもしかしたら、大男の胃袋の中にあるんじゃないかと空想したことがあります。
 「小さな王様が欠けていてさびしい思いをしている人が世の中には本当はもっとたくさんいるんだよ。ただ、そのことに気がついていないだけで」という王様の言葉はなにを意味するのだろう。『夢を追う気持ち』だろうか。つまり、想像すること。脳科学みたいな話になってきました。簡単に言えば、「気の持ちよう」なのですが。

 誕生の話になります。
 王様と女王様がしっかりとおたがいを抱きしめあってベランダから飛び降りると地面にトランポリンがあってふたりはトランポリンを使ってジャンプする。ジャンプしたあと夜空から星をひとつとってくる。その星をベッドの中にいれておくと、翌朝、ひとりの人間が目を覚まして生まれるそうです。

「5 忘れていても覚えている」
 王様と僕はメルセデスベンツのトラックにのって王様の知り合いの「偉大な絵持ち」のところへ向かいます。「絵」とは、たぶん、「人生における記憶とか思い出」をさしています。人間のあたまの中、つまり脳です。
 
 ざっとふりかえってみて考えたことです。
 「想像」が中心にあって、人間は生まれた時に、100%の「想像」をもっている。想像は、可能性に言い替えることができて、生まれたての人間は未来に向かって、何にでもなれる可能性を100%もっている。
 人間は成長するにつれて、100%あった「想像」が減少していく。0%になったときに死を迎える。
 小さな王様はその逆で、生まれた時の「想像」は0%に近い。からだが小さくなるに従って、能力は落ちていくけれど、「想像」の割合は増えていく。そして、最後は、たぶん、「死なない」のです。微粒子のまま永遠の命を獲得するのです。なにもかも忘れて浮遊するのです。

 と書いてはみたもののいまだ消化不良です。もう一度読み返してみます。

(再読後の全体の感想)
 読み返したものの、前回以上のなにか新しいものは見つけきれませんでした。
 人間というのは、生まれた時に抽象的だった世界が、だんだん具体的になっていって、制限が加えられていって、狭い世界で生きて最後には消滅していく。そのことを逆にして、具体性が100%で始まって、だんだん小さくなっていくのだけれど、それは、逆に自由度が高くなっていくこと……。うーむ。わかりにくい。
 たとえば、こどものころは、あの大学に行きたいと言っているのだけれど、だんだん自分の学力がわかってきて、大学の水準を落としていく。王さまはその逆とか。
 もうひとつは、将来はこういう人間になりたいとか、こういう職業に就きたいと思っているのだけれどなかなか思いどおりにはいかなくてあきらめてそのときやれることをやる。王さまはその逆とか。
 「想像をしよう」というメッセージだけは確かにあります。

 あとは、人間は生まれて、頭脳は発達していきますが、やがて、ピークを迎えて、能力は低下していきます。人生の後半では、脳が幼児化することもあります。衰えです。そういうこともからんでいるのかもと考えました。  

Posted by 熊太郎 at 07:21Comments(0)TrackBack(0)読書感想文