2020年10月23日

パンドラの匣(ぱんどらのはこ) 太宰治

パンドラの匣(ぱんどらのはこ) 太宰治 新潮文庫

 パンドラの匣:ギリシャ神話。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬(しっと)、貪欲(どんよく)、猜疑(さいぎ)、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫がはいだし、空をおおってぶんぶん飛びまわり、それ以来、人間は永遠に不幸に悶え(もだえ)なければならなくなったが、しかし、その匣(はこ)の隅に小さい光る石が残っていて、その石にかすかに「希望」という字が書かれていた。(本書の197ページにある記述)

 昭和20年10月22日から翌21年1月7日までの連載で発表された作品です。終戦が昭和20年8月15日です。作者は、昭和23年6月に心中で亡くなっています。

 手紙形式の文章です。
 「僕」である主人公の20歳小柴利助が手紙を書いています。僕は胸の病気があって、「健康道場」と呼ばれる結核療養所に滞在しています。ときおり喀血(かっけつ。肺や気管支から咳とともに出る出血)しているようです。戦時中ですが、兵役は免除でしょう。

 達者な文章です。感銘します。心に深く刻みつけられます。
 「人間はしばしば希望にあざむかれるが、しかし、また、「絶望」という観念にも同様にあざむかれることがある。」とあります。
 太宰治氏らしい文章として、『「自分の生きている事が、人に迷惑をかける。僕は余計者だ。」という意識ほどつらい思いは世の中にない。』
 最初の手紙の日付は、昭和20年8月25日になっています。

 登場人物として、
 僕:小柴利助。20歳。あだなは、「ひばり」
 大月松右衛門:中年男性。東京の新聞記者。妻死去。ひとり娘が療養所の近くに住んでいる。あだなは、「越後獅子」
 木下清七:左官屋。独身28歳。美男。鼻高く、目元涼しい。お尻をふってなよなよ歩く。色白。俳句が好き。あだなは、「かっぽれ」
 西脇一夫:郵便局長。35歳。おとなしそう。小柄。細君あり。あだなは、「つくし」
 須川五郎:法科の大学生。26歳。ロイドメガネ。あだなは、「固パン(かたぱん)」
 三浦正子:看護師18歳。西脇一夫に不倫の恋心あり。あだなは、「マー坊」
 竹中静子:看護師25歳。療養所内で一番の人気者。色気はないが胸は大きい。あだなは、「竹さん」
 呼び名として、院長=場長(田島先生。あだなは清盛、呼び名として、副院長以下の医師=指導員、看護婦=助手、入院患者=塾生)

 日課の説明があります。六時起床、夜九時就寝、途中に運動とか、食事、摩擦(からだをふく)というのがあります。

 ポンポンとはずむような文章が続きます。

 「僕たちの笑いは、あのパンドラの匣の小さな石から発しているのだ」結核という病気に感染して、明日をも知れぬ命の人たちです。
 鳴沢イト子さんという若い女性患者が亡くなり、男性患者23名、女性患者6名で、ご遺体を見送る儀式をしました。

 奥さんのある医師を好きになる看護師をからめた男性患者を含む三角関係の恋愛模様があります。感染する病気の患者がらみなのでちょっと不思議です。
 
 あだなでのやりとり記述がおもしろくて安心できます。

 俳句や短歌の解説が出てきます。

 ここまで読んできて、あだなでのやりとりが多いせいか、夏目漱石氏の作品「坊ちゃん」みたいな雰囲気を感じています。

 終息に向かって、政治の話、選挙の話、天下国家を論じあう、だんだん内容がつまらなくなってきました。たぶん書いている作者自身も勢いが尻すぼみになっていくのが自分でもわかったはずです。りくつっぽくなると、豊かな創造性がおとろえてきます。

 楽天居士(らくてんこじ):くよくよしないで人生を楽観する人
 鬼の霍乱(おにのかくらん):ふだんきわめて健康な人が珍しく病気になること。攪乱は日射病のこと。
 かっぽれ:こっけいな踊り
 ダニエル・ダリュウ:フランスの女優。美女。1917年-2017年。100歳没
 御賢察(ごけんさつ):どうかお察しください。
 匁(もんめ):重さの単位。3.75グラム。
 義を見てせざるは勇無きなり:人としてやるべきことをやらないのは勇気がないということ。
 隅に置けない:油断できない。あなどれない。

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