2020年06月09日
横道世之介 邦画DVD
横道世之介 邦画DVD 2013年公開
小説は読んだことがありますが、映画を観たのは初めてです。小説は自分には合わなかった記憶があります。ポイントは記憶していますが、内容はもう忘れてしまいました。読書メモが残っているのでまずそれをここに落とします。
(2013年3月27日読書メモ)
横道世之介 吉田修一 毎日新聞社
第三者の視点で観察記述が続きます。72ページ付近で、読み手は、横道世之介は、もう死んでいるのだろうと気づきます。彼は長崎県から東京の大学へ進学します。時代背景は1970年代後半から80年代前半でしょう。
横道君の個性は明確ではありません。読者は、読み始める前に、横道世之介という氏名から西郷隆盛氏のような豪放快活なイメージをもちますが、彼の性格は平凡です。対して、彼がつきあう与謝野祥子さんの個性は常識を突き抜けています。ふたりがつきあうとは思いがたいのですが、読みながら妥協できます。
1年間の物語です。章は月(1月、2月…)で成り立っています。起承転結の展開ではなく、日記の掘り起こしで出来事がつくられています。読後感は「郷愁」です。
登場人物たちは、理論とか理屈に基づいて動くのではなく、「流れ」とか「勢い」で行動していきます。無駄な動きが多いのですが、それが青春であることには共感します。50代になった今、卒業アルバムの写真を見ながら、このうちの何人が存命しているのだろうかという想いにかられた作品でした。
(以下、映画の感想です)
役者さんたちに幾人かの九州出身者がいることと、映像も長崎県の設定があり、セリフも九州弁があるので、地方から東京に出てきた体験がある人が観るとしみじみした気持ちが押し寄せてきます。昭和50年代に、公衆電話ボックスの中で、通話料の100円玉をたくさん用意して、緑の電話機で遠方の実家に電話をしたことがある人も多いでしょう。
映画が始まってしばらくしたときに、若い人が、「人生って長いじゃん」と言います。だけど、そうとは限りません。
ふたりのカップルの付き合い方は、本当にそれで恋人同士なのかと思われるのですが、ふりかえってみれば、あの当時、お互いを詳しく知らないままに結婚したカップルは多かった。劇中の女子は、まだ主人公が恋人とも確定していないのに、主人公の長崎の実家へ押しかけました。
人間同士のコミュニケーションがあいまいにしてあります。「そこなんだよ」「どこなんだよ」「あれさー」あれ、これ、それの代名詞が多い。なんのことなのかわからないはっきりしない会話です。
「学歴差別(中卒者、高校中退者、高卒も含めて)」がちょっぴり描かれていました。もう今どきは、大学を出なければできない仕事というのは、限られているような気がします。
VHSテープデッキとか、ブラウン管テレビとか、なつかしい。昭和50年代から平成時代初期の風景です。漫画「ベルサイユのばら」も出てきます。
観ながらふと(人間って何なんだろうなあ)と思ってしまいました。
山手線駅での人身事故のニュースが流れます。救おうとした人も亡くなっています。実話です。
良かったところは、できちゃった婚のだんなが、父親になれる喜びを素直に表現して、父親としての責任を果たしていくと宣言するところです。「引っ越しを頼める友だちがおまえ(横道世之介)しかいなかった(ともだちがいない)」「ありがとう」「おれさ、とにかく、ゆいといっしょに、がんばってみる」
主人公カップルのラブシーンで良かったのは、与謝野祥子さんが、カーテンにくるまりながら横道世之介と会話をするところです。
家政婦さんの無言の演技が良かった。
与謝野祥子さんの横道世之介に対するセリフで、「(あなたは)アクティブでアグレッシブ(攻撃的、積極的)でしたわ」
映像に出てくるのは、古いタイプのフィルム式カメラです。思いを込めてできあがった写真は、横道世之介の遺作になりました。おかあさんのお手紙に愛情がこもっていました。「いつまでも、泣いてばかりもいられません。世之介が自分の息子で良かった。世之介に出会えたことが、自分にとっての幸せでした」
小説は読んだことがありますが、映画を観たのは初めてです。小説は自分には合わなかった記憶があります。ポイントは記憶していますが、内容はもう忘れてしまいました。読書メモが残っているのでまずそれをここに落とします。
(2013年3月27日読書メモ)
横道世之介 吉田修一 毎日新聞社
第三者の視点で観察記述が続きます。72ページ付近で、読み手は、横道世之介は、もう死んでいるのだろうと気づきます。彼は長崎県から東京の大学へ進学します。時代背景は1970年代後半から80年代前半でしょう。
横道君の個性は明確ではありません。読者は、読み始める前に、横道世之介という氏名から西郷隆盛氏のような豪放快活なイメージをもちますが、彼の性格は平凡です。対して、彼がつきあう与謝野祥子さんの個性は常識を突き抜けています。ふたりがつきあうとは思いがたいのですが、読みながら妥協できます。
1年間の物語です。章は月(1月、2月…)で成り立っています。起承転結の展開ではなく、日記の掘り起こしで出来事がつくられています。読後感は「郷愁」です。
登場人物たちは、理論とか理屈に基づいて動くのではなく、「流れ」とか「勢い」で行動していきます。無駄な動きが多いのですが、それが青春であることには共感します。50代になった今、卒業アルバムの写真を見ながら、このうちの何人が存命しているのだろうかという想いにかられた作品でした。
(以下、映画の感想です)
役者さんたちに幾人かの九州出身者がいることと、映像も長崎県の設定があり、セリフも九州弁があるので、地方から東京に出てきた体験がある人が観るとしみじみした気持ちが押し寄せてきます。昭和50年代に、公衆電話ボックスの中で、通話料の100円玉をたくさん用意して、緑の電話機で遠方の実家に電話をしたことがある人も多いでしょう。
映画が始まってしばらくしたときに、若い人が、「人生って長いじゃん」と言います。だけど、そうとは限りません。
ふたりのカップルの付き合い方は、本当にそれで恋人同士なのかと思われるのですが、ふりかえってみれば、あの当時、お互いを詳しく知らないままに結婚したカップルは多かった。劇中の女子は、まだ主人公が恋人とも確定していないのに、主人公の長崎の実家へ押しかけました。
人間同士のコミュニケーションがあいまいにしてあります。「そこなんだよ」「どこなんだよ」「あれさー」あれ、これ、それの代名詞が多い。なんのことなのかわからないはっきりしない会話です。
「学歴差別(中卒者、高校中退者、高卒も含めて)」がちょっぴり描かれていました。もう今どきは、大学を出なければできない仕事というのは、限られているような気がします。
VHSテープデッキとか、ブラウン管テレビとか、なつかしい。昭和50年代から平成時代初期の風景です。漫画「ベルサイユのばら」も出てきます。
観ながらふと(人間って何なんだろうなあ)と思ってしまいました。
山手線駅での人身事故のニュースが流れます。救おうとした人も亡くなっています。実話です。
良かったところは、できちゃった婚のだんなが、父親になれる喜びを素直に表現して、父親としての責任を果たしていくと宣言するところです。「引っ越しを頼める友だちがおまえ(横道世之介)しかいなかった(ともだちがいない)」「ありがとう」「おれさ、とにかく、ゆいといっしょに、がんばってみる」
主人公カップルのラブシーンで良かったのは、与謝野祥子さんが、カーテンにくるまりながら横道世之介と会話をするところです。
家政婦さんの無言の演技が良かった。
与謝野祥子さんの横道世之介に対するセリフで、「(あなたは)アクティブでアグレッシブ(攻撃的、積極的)でしたわ」
映像に出てくるのは、古いタイプのフィルム式カメラです。思いを込めてできあがった写真は、横道世之介の遺作になりました。おかあさんのお手紙に愛情がこもっていました。「いつまでも、泣いてばかりもいられません。世之介が自分の息子で良かった。世之介に出会えたことが、自分にとっての幸せでした」
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