2020年06月18日

転々 邦画DVD

転々 邦画DVD 2007年公開 再鑑賞

 筋書と味わいのある内容はわかっているので、今回は、東京都内の散歩風景を楽しみながらの再鑑賞です。東京には意外と地方都市の雰囲気があります。道幅の狭い路地がいろんな場所で何度も出てきます。
 映画では、鉄道駅の改札口で駅員が切符を手で回収しています。自動改札機はありません。昔はそういうふうでした。
 最初のほうのシーンは、吉祥寺近くの井の頭恩賜公園にある池です。(植物園みたいなところは別の場所だそうです。調布市内の神代植物公園)
 日本大学の映像があります。
 映画なので、とびとびに別の場所で撮影したものをつなげてあるのでしょう。
 セスナ機が飛び立つ飛行場は、調布飛行場でしょう。東京タワーが少し見えたような。気のせいだろうか。東京都庁の建物の下のほうの部分の映像が何度か出てきたような気がしましたがそれが正しいかどうかはわかりません。
 地図を見ながら映像とにらめっこです。行ったことはありませんが、新宿駅西側にある「思い出横丁」の狭い路地裏ではなかろうか。
 愛玉子(オーギョーチー)という食べ物が出てきました。食べ物というか、ゼリーです。劇中のふたり(三浦友和さんとオダギリジョーさん)の話では、レモン味だそうです。
 ふたりは、阿佐ヶ谷のボロアパートを見に行きますが、取り壊されてさら地になっていました。
 いちょうの黄色い落ち葉が歩道にいっぱいです。神宮球場あたりの並木道でしょう。
 あとは、百人町という表示が出ていたので、大久保駅前あたりかもしれません。
 最後のほうは、皇居のお堀あたりと警視庁あたり。
 映像は途中、浅草花やしきのジェットコースターを写し出します。オダギリジョーさんは、捨て子で育ったらしく、本人は父も母も知らない。オダギリジョーさんは、小学生ぐらいのこどものころ、父親とジェットコースターに乗りたかった。三浦友和さんが疑似父親になってくれて、ふたりで花やしきのジェットコースターに乗ります。ふたりとも無邪気です。
 夫婦喧嘩の最中に、傷害致死で、自分でつい殺してしまった女房との思い出がある三浦友和さん、小泉今日子さんや、吉高由里子さんたちと関わりをもって家庭の温かみを知るオダギリジョーさんです。
 三浦友和さんの奥さんがときおりベッドの上であおむけに寝ている映像が写ります。亡くなっているという設定です。ひとことのセリフもなく終わりました。珍しい。それから、奥さんの職場の同僚三人が、奥さんが出勤してこないので心配して奥さんの様子を見に行こうとするのですが、いろいろあって、なかなか家にたどりつけません。のんびりしているといえばのんびりしていますが、そういうことってあるなあと納得できます。
 おもしろかったセリフなどとして、小泉今日子さんの「肛門の筋が(すじが)1本少ないから(言動がおかしい)なんじゃないか」「(なかなか出かけることができなくて玄関で何度も)あと1分」だれのセリフか忘れましたが、「(でかけるときに)女子は準備に時間がかかる」
 チャツネ:調味料。カレーに入れるらしい。
 オダギリジョーさんがカレーを食べながら泣くシーンは名シーンです。もらい泣きしてしまいそうです。
 みんな、こうやってこのまちで生きている。
 ギターの伴奏音がやさしい。
 細い路地がいっぱいの歴史あるまちの形状をたくさん観ました。東京に対する愛情が感じられる作品でした。思い浮かんだ言葉が、「あれは、あれで良かった。(後悔してもどうにもならないことはもう後悔しない)」
 ナンセンスでマンガチックなばかばかしいシーンもたまにはありました。それはそれで良かった。


(過去の鑑賞メモ 転々 映画DVD 2013年10月1日記事)
 奇妙な筋書きですが、とても楽しめました。「転々」とは、東京都内を転々と散歩することを指します。散歩するのは、三浦友和さんとオダギリジョーさんです。福原愛一郎を演じる三浦さんは、夫婦喧嘩の最中にカッときて、どうも奥さんを殺してしまったらしい。自首するために自宅賃貸マンションから霞ヶ関にある警視庁方向へ歩き出します。途中で拾った大学8年生のオダギリジョーさんが、道連れです。オダギリさんは、天涯孤独、感情をもたない人格設定で、涙を流すことがありません。
 道中、ふたりは、休憩したり、宿泊したりします。福原さんは、妻を愛していました。妻との思い出がある場所を再訪します。家族のぬくもりを感じる映画です。小泉今日子さんをはじめとした俳優陣がふたりの男性の周りを固めてくれます。庶民の暮らしぶりがリアルに再現されています。B級グルメであったり、古い商店街でのコミュニケーションであったりします。いい意味で力の抜けた佳作で、擬似家族のようすは、ほんわかとあたたかい。いいこともわるいことも夢の中です。ローカルな風景描写と狭い道、撮影場所がわかると楽しみは倍増するでしょう。
 三浦さんが警察に出頭する前日、カレーライスを食べながら、オダギリジョーさんが、涙をぼろぼろ流します。泣かない人が泣く人に変わります。オダギリさんは、人の気持ちがわかるようになりました。
 「道草」を推奨する映画です。目的を目指して一直線で行けばすぐ着いてしまう。だけど人間はそうしない。回り道をするのです。三浦さんの奥さんの職場の同僚たちは、奥さんが出勤しないことを心配して家庭訪問しようとしますが、いつも方向を違えてしまいます。「道草」の中にささやかなしあわせがあります。   

2020年06月17日

魔女ラグになれた夏 蓼内明子

魔女ラグになれた夏 蓼内明子(たてない・あきこ) PHP

 小学生女子にはなぜ「魔女」が、人気があるのだろう。読み始めた動機です。
 まず、45ページまで読んだところですが、まだ、「魔女」は出てきません。最初のページに、「魔女ラグのキーホルダー」をどうもだれかにもっていかれたという記事があるのですが、まだ、なんのことかわかりません。読みながら感想を付け足していきます。

 東京オリンピックは、2020年3月24日に新型ウィルス感染拡大の影響で延期されてしまいましたが、2020年3月3日に出版されたこの作品の中では開催されています。現実とは合致しない児童文学小説の内容になってしまいました。こういうことはとても珍しい。最近は、何百年に1回の自然災害があったりして、予定が予定通りにできないことが多くなりました。先が読めない世の中になりました。
 オリンピックをからめなくても成立できた作品なら、からめなくてもよかったのかもという思いで、まずは、40ページ付近まで読みました。

 棚山さんのご家族が、タナヤマストアというスーパーを、自営で経営されています。
 父親、母親、長女光希(みつき)さん大学2年生、次女富美(とみ)さん高校1年生、三女岬さん小学6年生です。三女の岬さんが、この物語の進行役です。舞台は青森県です。

 棚山家の父親と次女富美(とみ。自称あてね。アテネオリンピックの年に生まれたから)が対立しています。「確執:かくしつ険悪な対立」があるそうです。長女と次女の比較もあるようです。原因は、父親が次女の高校進学で干渉したことらしい。それからこどもの名前の付け方。ありがちなことです。
 作品中のお父さんにアドバイスをひとつおくるなら、次女の人生は次女のものであり、父親のものではありません。父親は、次女が行きたいという高校に行かせるべきです。父親には、こどもの進学先や就職先、結婚相手を否定する権利なんてないのです。そこでこどもと対立すると、父親は先々後悔することになります。父親というものは、なにが起こっても大丈夫だという覚悟を決めて、どっしりと構えて、もっと気楽にしていればいいのです。理屈じゃなくて、そういうものだという現象でとらえるのです。そうすれば、きっと、明るく幸せな未来が迎えてくれます。

 調べた言葉などとして、
 仙台にあるアースソングエコのお店:よくわかりませんが、洋服屋さんのようです。
 わんつか時間あるがな:少し時間がある。青森津軽弁。(調べる前は、わんつかというのは、「たくさん」という意味かと思いました)
 ポケバイ:ポケットバイク。ちっちゃなオートバイ
 バイクのカウリング:シートの下のほうにある風よけ。プラスチック製
 ねぶた:青森県で8月初旬に行われるお祭り。新型ウィルスの影響で、東京オリンピックと同様に2020年は開催されないそうです。でも物語の中では開催されています。うーむ。作品に運がない。
 ツーブロック:ヘアースタイル。トップは長く、サイドは短く。
 ワックス:整髪料
 ユーリンチー:中華料理。揚げ鶏
 BMX:バイシクルモトクロス。自転車競技。レース、フリースタイル(技を競う)東京オリンピックにもフリースタイルの競技あり。
 缶の中の「魔女ラグのもと」:ワックス(整髪料)魔女ラグノアの髪型にする。
 ドゥカティ:イタリアのオートバイメーカー
 ノースポール:白いキク科の花
 
 次女高校1年生富美(ふみ)の生理痛の話が出ました。女子向けの児童文学だと「生理」のお話は必須のようです。

 魔女のラグというのは、『光の魔女メルン』というアニメ番組に登場する悪役の魔女の名前だそうです。悪役ですが、主人公の小学6年生棚山岬は気に入っています。光の国所属で通称メル(主人公メルン)VS闇の国所属で通称ラグ(敵対役ラグノア)
 
 「魔女ラグキーホルダー事件」なるものが、主人公岬の幼稚園時代にあったらしい。(とても記憶力がいい。よほどショッキングなことがあったのにちがいない)
 
 三人娘のきょうだいだと、まんなかの女子は、ほったらかしになりそうな気がします。まあ、三人兄弟の男子の場合も同様でしょう。
 まんなかのポジションにいる「あてねちゃん」次女富美(とみ)の立場に光が当てられます。

 お父さんが内臓系の病気のようですが、次女の富美さんは家出をしてしまいました。東京へ行くそうです。スマホで連絡を取り合うとかはないようです。(作品では、このへんの記述が中途半端でした)
 三女の岬さんはお父さんのことが心配です。親孝行な娘さんです。ほめたい。
 魔女ラグの話はどうなったのだろうか。

 次女富美(とみ)さんの家出にあたっての意思表示がなぜ、置手紙ではなく、「ふせん」なのだろうか。メモ程度の軽微な連絡事項という意味を含んでいるということか。

 家出人を探すにあたって、2020年の時代背景で、「携帯電話やスマートフォンへの電話」とか、「メールの送信」という記事が出てきません。(このあと、メールの記事は出てきました)

 高校1年生次女の家出話への対応は、主人公である三女小学6年生の岬がどうこうできることではないような。

 青森から東京は高校1年生の女子にとってはそれほど遠いとは感じられません。新幹線で3時間ぐらい。飛行機でも1時間15分ぐらい。日帰りも可能。便利な世の中になりました。物語の中にも商店街で化粧品店をしている若子さんの言葉があります。「ちょっとだけ東京をのぞきにいった。それだけのことよ」(あとで、青森から東京までの移動手段が、新幹線でも飛行機でもなかったので、少々驚きました。そういうことかと納得もしました)

 古いことわざですが、「可愛い子には旅をさせよ」
 最終的には、こどもがひとりで、自立して自活できるようにするのが親の努めです。昔は地方に住むこどもたちは、中学を出ると列車に乗せられて、親元を離れて集団就職をして、都会で住み込み就労をしたものです。(教訓めいてしまいました)

 合法的な家出があります。たいてい、こどもは、いまいる家がいやになって、高校卒業後は家を出ます。わざわざすったもんだして学年の途中で学校を辞めて家を出なくても、卒業すればすんなり家を出ることができます。自分では、このことを、「合法的な家出」と言っています。振り返れば、自分自身もそうでした。卒業までは、しんぼうなのです。

 父親の病気の話がでますが、基本的には、病気への対応は、父親自身が自分で体調管理をしていくことです。体のことは、本人以外はわかりません。父親の病気のことでこどもになにかを負担させてはいけません。家族に甘えてもしかたがありません。むしろ、父親は、自分の病気のために家族を犠牲にしないことが家族への思いやりです。

 『意思疎通』がテーマです。相手に、『言いたいことがあったら相手にはっきり言おう。もしかしたら、自分が相手を誤解しているかもしれないから』ということが、作品から読者へのメッセージです。
 言いたいことがあったら、はっきり言ってほしいということはありますが、それも、相手によりけりということもあります。言いにくいことはあります。言わないほうがいいこともあります。むずかしい。
 とかく、意思疎通はむずかしいですが、本当にお互いに意思疎通が正しくできるようになったときに、人は、夫婦や親子になれるし、友情が生まれることを体験できたりもします。
 「一度しか言わないよ」というような文節が出てきたと思います。強調するための「一度しか」なのでしょうが、べつに同じことを何度言ってもいいと思うのです。なにせ、小説のメッセージが、「自分が言いたいことを相手にはっきり伝わるように表現する」なのですから。
 正直な感想をいろいろと書いてみました。  

Posted by 熊太郎 at 07:03Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年06月16日

ピンポン 邦画DVD

ピンポン 邦画DVD 2002年公開

 名作ときいて、見始めましたが、前半から中盤までにかけて、マンガチックで、おおげさで、極端に誇張されています。まあ、原作が漫画なのですが、うーむとうなっていたら、最後の最後で盛り上がりました。幼なじみの友情です。「ヒーロー見参(けんざん)!」が良かった。人生を永い目で見る視点が良かった。

 高校卓球部の活動のお話です。舞台は、神奈川県鎌倉あたりの湘南です。江の島を背景にした砂浜の映像はちょっと見飽きましたが、青春時代を表現するための定番舞台です。

 スコンクで負けました:卓球の試合で、1点もとれずに負けたという意味
 真っ黒のユニフォームの高校、中国人がいるところ、正直高校生に見えないぐらいみなさん年齢がいっているような。あわせて、みなさんが、背が高すぎて、卓球選手には見えなくて、ちょっと距離感をもちながら鑑賞していました。

 「ビールの嫌いなドイツ人もいる」というところで笑いました。

 地味で静かな流れです。ラリーの映像は最初のうち、それほど多くありませんでした。切り取ったシーンをくっつけていくような感じの映像でした。曲芸のような打ち込みです。

 「僕の血は鉄の味がする」というフレーズにこだわりがあります。

 ひとりひとりがとても気取っています。

 平成13年度の大会です。ずいぶん昔のことになりました。

 まだまだ、これから先の人生が永い青春時代のひとコマでした。  

2020年06月15日

ジョゼと虎と魚たち 邦画DVD

ジョゼと虎と魚たち 邦画DVD 2003年公開

 いい映画でした。今年観て良かった1本です。
 原作は、田辺聖子さんの恋愛小説です。

 ジョゼは、足が悪くて歩行ができない20代の身体障害者女性で、本名は、「くみ子」さんですが、ご自身が、フランソワーズ・サガンの小説「すばらしい雲」を読んで、その主人公ジョゼから名前をもらって、自称「ジョゼ」で通しています。池脇千鶴さんが好演しています。毎度映画で演技を観るたびに、芸達者な役者さんだと感服しています。
 ジョゼの恋愛相手になるのが、大学4年生、麻雀荘でアルバイトをしている恒夫くんで、妻夫木聡さんが演じます。

 タイトルにある「虎」というのは、ふたりで、動物園で見た「虎」、「魚たち」は、ふたりで、水族館で観たかったけれど観ることができなかった「魚たち」だと思います。

 冒頭にある麻雀荘のシーンは、麻雀荘の雰囲気とか、麻雀のゲーム内容を知らない人が観たら、実感がわかないかもしれません。麻雀がわかる人にとっては、おもしろい導入手法です。麻雀荘で飼っている子犬のミミーちゃんをお散歩させるのもバイト仕事のうちです。

 本来、赤ちゃんや幼児が乗るベビーカーに、足の悪い成人女性が毛布をかぶって顔を隠しながら乗っているというのもすごいのですが、男女ふたりの最初の出会いのシーンが、かなり恐ろしい瞬間があって、びっくりして映像に引きつけられました。

 ジョゼが住む老朽平屋建て家屋の雰囲気がいい。おいしい朝ごはん。出し巻き卵のシーンがいい。池脇千鶴さんはほんとうに演技がうまい。

 女性たちのがら(素行、言葉づかい)が悪い映画です。そこが、おもしろい。
 「うちあんたのお母さんになったるわ」は、詩の世界です。映像に現れるしばらく前に不祥事で消えてしまった男優さんも若くて演技上手です。できることなら、17年前の彼に戻してあげたい。

 障害者である女性との両思いがあります。
 障害者女性ジョゼの祖母の言葉がきついけれど、祖母の言葉に対しては、なかなか反論はできません。「あのこは、こわれもんです。あんたみたいな人に、どないかできるもんではありません。もうここへは、こんといてください」
 関西弁の祖母を演じる亡新谷英子さん(しんや・えいこさん)と、九州弁で演じる妻夫木聡さんです。
 観ていて、人が人を好きになるって、なんなんだろうなあと考えこみました。根本は、お互いに支えあいたい、支えたいと思うことなのですが、相手が障害者だと、克服するべきハードルが上がるのだろうか。されど、現実社会では、障害者同士の結婚もあります。
 「人生は、傷だらけ」そんな、文節が思い浮かびました。
 
 『ばあちゃんが、死んだ』ジョゼと恒夫の久しぶりの再会で、ジョゼが、「帰れ」と繰り返しながら、妻夫木聡さんの背中をたたき続けます。胸が痛んでせつなくなるシーンでした。

 妻夫木さんを巡る女同士のたたき合いに、小学生低学年の女児が背中を向けるシーンも胸にぐっときました。女の世界があります。
 障害者は、強気に攻めないと、言いくるめられて、損をしてしまう。ジョゼは、障害者を見下す健常者の意識の根底にある心理と闘います。妻夫木さんの元カノから、「障害者のくせして、私の彼氏を奪うなんて」という差別発言が、どーんと出ます。ただ、妻夫木君の元カノの気持ちもつらいのが、観ていてわかります。障害の有無とは関係なく、女子が好きになった男子の取り合いです。三角関係です。

 少人数の演劇を観ているようでした。
 後半部に、ジョゼの本音がゆっくり語られます。胸にぐっときます。目を閉じて、「うちがおった世界や。光も音もなくて……」今年観て良かった1本です。

 厳しいけれど優しくて、温かい映画でした。

 ふたりのツーショットを撮った男性が、昔のカメラのシャッターを半押ししてピントを合わせて、「ハトが出るよー」とふたりに声をかけたシーンが、ほほえましくて笑えました。

 それから、ジョゼが妻夫木さんに、「ごほうびに、この世で一番……していいよ」のくだりも良かった。

 あとは、歩けないジョゼが、妻夫木君の背中にのっかっているシーンも良かった。

 後半に向かって、情感が深まっていく映画でした。終わり方も良かった。がんばろうという気持ちになれます。  

2020年06月14日

小学館の図鑑 NEO(ねお) まどあけずかん きょうりゅう

小学館の図鑑 NEO(ねお) まどあけずかん きょうりゅう

 なにかのアニメ番組を見ているときにこの本のコマーシャルが流れて、孫への誕生日祝いのプレゼントに向いていそうだったので購入しました。

 NEO:たしか、ネイチャー(自然)、アース(地球)、オリジン(起源)という意味でした。

 絵本形式です。16のシーンとなっています。
 窓を開くように一部分をめくると別の絵が出てきます。最初は少し固定してあるので、ちいさなこどもさんの指では開けにくい。取扱いの説明にもありましたが、あらかじめおとなが、ちょっとめくっておいたほうがいいでしょう。

 こどもの反応が楽しみです。めくることのほうに夢中になりそうなので、恐竜の名前などはすぐに頭に入ってこないかもしれません(おとなの考えなのでじっさいはどうかわかりません)
 めくって出てくる情報はけっこうおもしろい。恐竜の胃袋の中には、植物をすりつぶすために小石が入っているとか、きょうりゅうはつま先で立っている。かかとは、クッション代わりのお肉で固まっているなど。

 めくると骨格標本に早変わり。わかりやすくて、おもしろい。

 口を開けると歯がいっぱい。でも、とってもきれいな歯並びで感心しました。

 化石発見の模擬試掘を楽しめます。

 骨格標本のつくり方もめくりながら教わります。

 はくぶつかん、たまご、はくあき、ページをめくるごとに世界が変化していきます。地球上には昔きょうりゅうがいっぱいいたことがわかりました。  

Posted by 熊太郎 at 05:54Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年06月13日

ホットロード 邦画DVD

ホットロード 邦画DVD 2014年公開

 前半の1時間は疑問の連続で首をひねりましたが、後半の1時間で、しみじみと味わいが心に広がっていきました。

 全体的にはイメージビデオのようなできあがりで、雰囲気をかもしだす映像です。騒いでいるようで、じつは、そうではなく、静かです。

 観始めた最初のうちは、配役がミスキャストではないかと感じました。俳優さんの個性と役の個性が一致しないので違和感がありました。見た目の人柄として、もっと癖があって、斜に構えたような役者さんたちのほうが適役だったような。じっさいは成人しているであろう女優さんが演じる14歳という設定もけっこう苦しい。親子の母子のようには見えませんでした。「あまちゃん」でのじぇじぇじぇのイメージが強かった。
 あとは、映像がなんだかもったいない。生活感のないリビングダイニング、幻想の世界です。意図的にそうしてあるようですが良い効果があったとは感じられませんでした。現実味がありません。
 暴走族はたぶん昭和50年代の様子なのでしょうが、その時代を知る者としては、実際は、映像にあるような感じではありませんでした。登場している人たちは、暴走族の団員としての構成メンバーには見えません。
 スローテンポで、なにもかもがきれいな映画です。
 ガラ系とかスマホの映像はありません。緑色の電話がある公衆電話ボックスです。
 
 片親で、母親と娘がうまくいっておらず、娘の恋人もシングルマザーのこどもで、さらに親の不倫話もあり、家庭環境に恵まれない思春期のこどもの苦悩と苦闘があります。

 心に響いたセリフなどとして。
「命なんて簡単になくなる」(バイク事故)
「(離婚してこどもを)おいていくほうも、すげー、悲しいんじゃないの」
 チューリップ畑の記憶が誤解だったと気づいた時のようす(父だと思っていた人がそうではなかった)
「今まで、人をいっぱい傷つけました。これからはそのぶん、人の痛みがわかる人になりたい」
「いつか春山のあかちゃんのおかあさんになりたい。それが、わたしの小さな夢です」

 こどもがいても母親の役割を果たせない女性がいます。
 「親子とは」を問う映画であり、かつ、男女が支え合うラブストーリーです。
 こどもは、気持ちに折り合いをつけて、大人の世界に入っていきます。