2018年06月17日

謎解きはディナーのあとで

謎解きはディナーのあとで 邦画DVD 2013年公開

 ショーで赤いドレスを着ていた歌手、りんこという役の女優さんの歌が良かった。雰囲気ある英語の歌でした。

 男が外国人の男を銃殺した。
 上から人が落ちてきた。豪華客船なので、遺体は海に落ちた。
 シージャックか。
 シンガポールまであと7日
 石川さんがいなくなった。
 終始コミカルな映画でした。出ている方は豪華キャストです。

2012年6月10日の読書感想文です。
謎解きはディナーのあとで 東川篤哉(ひがしかわとくや) 小学館
 短編ミステリーが6本収録されています。1本は約40ページで、20分ぐらいで読み終えることができます。その点で、本屋さんが忙しい現代人に売りたい本なのでしょう。
 短文に情報がいっぱい詰まっていることが特徴です。濃度の濃い作品群です。注意深く読むこと、読んだ小さな部分を記憶しておくことが、最後の謎解きで爽快感を得る秘訣です。
 こちら葛飾区亀有公園前派出所のようでもあるし、名探偵コナンのようでもある。漫画の原作本のようでもあります。宝生グループ総帥のひとり娘で大金持ちの宝生麗子(ほうしょうれいこ)刑事は、こち亀の秋本麗子警察官と中川圭一警察官のミックスのようでもある。謎を解く宝生麗子の執事影山が江戸川コナン(工藤新一)で、風祭警部は、私立探偵毛利小五郎で、それらの点で、人物配置は、独自性が薄い。
 舞台は東京都多摩地区、国分寺市とありますが、土地勘のない人には、比較的裕福な人たちが住む静かな住宅地という印象を受けます。犯人となる対象者は基本的にお金持ちの人たちです。
 物語の展開はワンパターンとなります。殺人発生ー風祭警部と宝生麗子のやりとりー執事影山の謎解き。わたしは第四話「花嫁は密室の中でございます」が6本のなかで一番気に入りました。最後まで犯人隠匿の手法がわかりませんでした。わかったとき、ほーっとうなりました。  

2018年06月16日

万引き家族 映画館

万引き家族 映画館

 観る前に予想していたよりも静かな映画でした。秘密につつまれた静かな映画です。

 カメラマンの視線で、映像の視界を追う鑑賞から始まります。
 万引きのてはずは、あうんの呼吸です。(話さなくてもふたりの気持ちが一致するタイミング)
 2000円ぐらいの品物に対して、「高い」というセリフに「買えばな」の返答には笑えます。

 児童虐待の素材は現在の社会問題でちょうど提起されておりタイムリーです。
 疑似家族の気配は始まってしばらくで気づきます。血のつながりが感じられない。(本来おばあさんのひとり暮らしなのに、おばあさんの年金を食い物にするために人が集まってきている。)
 民生委員のよねやまさんのお話で気配が伝わってきました。

 底辺の暮らしぶりです。生きることの意味を問う。幸せとは何かを考える。
 スリルがあります。
 心持ちの優しい映画です。
 田中邦衛さんの演技を思い出すリリー・フランキーさん
 役者としての演技上手な安藤サクラさん
 どうしてそこにいるのかという樹木希林さんの孫らしき松岡茉憂さん
 女の子のような左利き少年の子役さんとかわいそうな女児役の子役さん

 病んでいます。虐待。貧困。自殺企図の傷だろうか。(仕事と虐待のやけどでした。)つらいなあ。

 4番さんは、障害者だろうか。

 食べ物つながりがあります。最初のほうは見落としましたが(コロッケ始まり)、途中から、キムチ鍋に見えましたが実はすきやき、お麩(ふ)、ソーメン、とうもろこし、シュークリームみたいなものショートケーキらしい。あと、カップラーメン。やきそば、チャーハンもあったような。

 ゆびかくしの手品は久しぶりに見ました。こどもの頃に、死んだオヤジがやってました。

 樹木希林さんという役者さんがいなくなったらこの路線はだれが引き継ぐのだろう。
 クレヨン青塗りの絵に続く、5人の海での姿が、ハイライトです。それを見ている樹木希林さんがいます。でも、本当ではないおばあちゃんです。

 おふろのなかで歌っていた数え唄が伏線になる。
 捨てられたひとたちです。その捨てられた人がまた、仲間を捨てる。
 よりどころがない。
 空中に浮かんでいるような不安定感があります。

 不登校じゃないのに学校に行っていない少年へかけるアドバイスが、「外に出れば、出会いがある。」

 魚釣り、少年が左利きでの食事、ゲップのシーン、よかった。

 サイドストーリーとしての駄菓子屋ヤマトヤ店主柄本明さんとこどもとのふれあいが良かった。

 劇中のしみじみとしたセリフとして、絆ってなんだろう。なにが、人と人をつないでいるのだろうというのがあります。こたえは「お金」と返ってきます。きれいごとではなく、やはり、まずは、お金です。


続けて、本も読んでみました。

万引き家族 是枝裕和 宝島社

 映画の冒頭では万引きしたみかんをその場でむいて食べていると勘違いしました。本では試食用とあります。

 万引きが見つかって捕まったら、すべてが崩壊するという危機感をはらんで進行します。

 虐待されていた女児の居場所が画面ではわかりにくかったのですが、あとで、ベランダをおおう塀囲いのすき間から見えていたとわかりました。
 めんとむかって、親から「産みたくて産んだんじゃない」と言われたら、子どもはたまりません。だったら産むなよです。

 「爪」の連続性がいい。

 良かった表現の趣旨として、「他人の幸せにケチをつけると胸がスッとする。」、「いたいのいたいのとんでけー」、「自分に守りたいものができた。」、「営業スマイル」、「仕事あきらめて、家族(ほんとうはちがうけれど)とすごす時間を選択する。」、「(血縁よりも)自分で選んだ方が絆が強い。」、「家にあったのはおとなの打算(損得勘定)」、「これからどこにいこう。」
 
 味方だと思っていたら実は敵だったということはたまにあります。

 少年は小学校に通っていない。4年生ぐらい。

 映画の映像で見落としたこと、聞き漏らしたことを補充する読書です。小説は、台本内容で、進行していきます。

 娘の名前の由来「さやか」が判明しました。錦糸町という場所はそういう街なのか。「テンガ:アダルトグッズ」

 100ページ付近、ここまで読んで、底辺で暮らす人々の気持ちをそれで良しとしている。未来への希望が見えてこない作品です。継続でとどまっています。
善意を逆手にとって、相手をだまして、相手から銭や物を盗る。最低の暮らしと行為がありますが、人間生活ってそんなものというメッセージを否定できません。そういう点で、全面賛成、すべて高評価とはいきません。

 本当の家族じゃないから、少年は、常に自分の立場を確認しながら幸せでいようと努力している。

 スイミーのお話はよく理解できませんでした。海で小魚たちが協力して大きな魚を追い出す物語らしい。(こざかなが集まって、巨大なさかなの形をつくる。)

 本には、映画には出ていない登場人物の過去とか心情が出ています。

 夫から妻に対する暴力、親から子どもに対する暴力。深刻で暗い。

 少し、作品「八日目の蝉」を思い出します。

 樹木希林さんのもつ理屈として、今、幸せである人は、その幸せの犠牲になった人間に慰謝料を払わなければならない。(だから寄付をしようという呼びかけと受け取るのは深読みかもしれませんが。)

 虐待した親は虐待された子どもにいつか仕返しされる。

 映画を見たときは、万引きしたあと逃げるシーンで、どうして袋入りミカンを捨てて逃げないのか不可解でしたが、本には若干記述がありますが、真相はわかりません。(少年の声として、わざとつかまったというものがあります。だからみかんを捨てることができなかった。樹木希林さんがいなくなって疑似家族は解散の時期を迎えたと少年は悟ったととるのか。)

 警察とか役所に対する対抗心、反発心があります。(公権力に対する対抗心です。)
 
 「母」とはなにかを考える作品でもあります。産んだだけでは母にはなれない。

 親子は、思い出をいっしょにつくらないと親子になれない。

最後は、喪失感でした。(大切なものを失ったときのむなしい気持ち)

 映画のラストシーンで勘違いしたのですが、女児は、引っ越しをして、引っ越したあとの住宅にいると勘違いしました。同じ住宅でした。結局、最初に戻った。それが、喪失感につながります。  

2018年06月15日

いのちは贈りもの ホロコーストを生きのびて 2018課題図書

いのちは贈りもの ホロコーストを生きのびて フランシーヌ・クリストフ著 河野万里子訳 岩崎書店 2018課題図書

 夏の課題図書には毎年1冊はユダヤ人虐殺の本がとりいれられます。今年はこの1冊です。課題図書を読むのも今年はこれが最後の1冊になりました。ゆっくり読んでみます。

(つづく)

「ホロコースト:ユダヤ人大虐殺。600万人ぐらいがドイツナチスに殺された。」
「なぜユダヤ人は差別されるのか。ユダヤ人がイエス・キリストを磔(はりつけ)の刑に差し出した。ユダヤ人が金もうけに恵まれた。ユダヤ教が他の宗教と協調しない。」

 多神教、無神論者、単一民族の日本人には理解しがたいものがあります。

 本を読み始めるにあたり、地図が2枚登場します。ヨーロッパの大部分とフランス国の地図です。ユダヤ人の女性著者が日本でいうところの小学生ぐらいの頃、ユダヤ人収容所を転々とした地点が記されています。

 50ページぐらい読みました。冒頭付近に著者の言葉があるとおり、小説ではなく、記録をメモとしておとした内容です。戦後何十年かたって、自分はあのとき殺されていたかもしれないという恐怖を克服して出版された本です。

 ユダヤ人である著者フランシーヌさんの生家はやはりお金持ちです。フランス南部地中海に面した別荘から始まります。祖母はおしゃれな衣料品店を経営しているようです。

 1939年8月著者6歳半から始まります。1941年に父親がドイツ軍の捕虜となり、1942年にユダヤ人だからという理由で著者は母親とともにドイツ軍に捕まります。
 読んでいると昔観た名画を思い出します。「ライフ・イズ・ビューティフル」イタリア映画でした。収容所までの経過が目に浮かびます。

「カーキ色:土色、茶色」
「アーリア人:インド、ヨーロッパ語族」

 「自由」を制限されるということ。午後8時以降は外出禁止、旅行禁止(移動禁止)、就労禁止(労働禁止、職業選択禁止)、公共の場所への出入り禁止(美術館、劇場、映画館、公園、カフェ)、犬とユダヤ人は公園へ入るべからずとは、ひどい人権侵害です。

 禁止事項とは、逆に、服に黄色い星を付けてユダヤ人であることを表示しなければならない。人種差別です。徹底的なイジメがあります。
 
 読んでいると、あまりにもひどい仕打ちで、被害者は、ドイツ人に対して仕返しをしたくなるのではないかと推測します。単に、たとえば、あなたが日本人だから、抹殺しますでは被害者は納得しません。どうしてこんな国、ドイツと日本が同盟を組んだのか、ドイツ同様日本もうらまれる立場です。国でも組織でも「独裁者」をつくってはいけない。許してはいけない。無関心であってはいけない。グループで秩序をコントロールしなければなりません。

 著者は、絶対に殺されないという「特別扱い」をされます。戦時国際法のジュネーブ条約の決め事で、著者の父親はフランス国軍人中尉という立場での戦争捕虜であり、そのフランス人兵士の妻子は「人質」として生かされます。ここは、本人にとっては複雑な心境になるところです。彼女と彼女の母親以外の人たちは、収容所から別の場所へ連れて行かれます。おそらくアウシュビッツなどのガス室送りでしょう。連れて行かれる人たちは特別扱いの彼女たちをどんな目で見ていたのか考えると恐ろしい。悪いのはドイツです。
 ユダヤ人ではあるけれど、フランス軍の軍人であれば命が保障される。条約という文書の取り決めで命が守られる。ここは大事なところです。話し合いと文書による協定(約束)は守られる。だから人は話し合い文書を残す。

 フランス人なのにナチスドイツに協力する人間がいます。だれしも、生き残るためです。力の強いものが悪いことをして生き残る。そこに民主主義はありません。

 ユダヤ人が人間扱いされない悲惨な状況が続きます。著者が今生きていたとして85歳です。まだ、6歳ぐらいから12歳ぐらいのころの思い出ですが、忘れることはできないでしょう。その瞬間が映像となって次々と脳裏に浮かびあがります。フラッシュバックです。

「ブーレ:フランスの踊りの曲。17世紀に流行した。」

 収容所に収容された人たちは色とりどりの優秀な人材です。文化、芸術、学問に精通した人が多い。みんな亡くなった。惜しい。
 収容所で気が変になったふりをしていた人たちは、本当に気が変になってしまった。

著者の「フランシーヌ」という名前の文字がページに出るたびに、昔はやった「フランシーヌの場合は」という暗く沈んだ悲しげな歌を思い出してしまいます。

 著者の言葉の趣旨としてぐっときたのは、「あの人たちは移送されて、わたしの人生からふっと消えてしまった。」
 それから、「自分の年をわすれてしまった。」これは、老化したことを意味します。

「割礼:かつれい。性器の一部を切開する。ユダヤ教徒の宗教的儀式として行われる。それがユダヤ人の目印になる。」
 
 ドイツ人の性格は「徹底的」、日本人はさらに「上乗せしてなにかを創造する」そういう記事を昔読んだことがあります。たとえば、一定区画内の草取りを命じると、ドイツ人は、1本の草も残さず抜く。日本人はさらに、なにもなくなった区画のなかに役に立つ何かをつくりだす。そういう日本人の特性は、世代が変わるにつれなくなってきている感じがします。

 本の中で、戦争は救出シーンに近づいてきます。ノルマンディー上陸作戦。英米の連合軍200万人の兵隊がフランスノルマンディー半島に上陸してフランスを占領しているドイツ軍に反撃をしかける。1944年6月6日です。しかし、即効果が出たわけではなく時間がかかったと以前別の本で読みました。逆転までに1年間ぐらいかかっています。

 ユダヤ人虐殺で、最大の被害者を出した国、ポーランド国。世界で殺されたユダヤ人600万人の犠牲者のうち半分ぐらい300万人がポーランドにいた人数だったと思います。
 書中では、続いて、フランス人、オランダ人、ギリシャ人とドイツ人と、個々の民族の特徴が語られます。同じ土地の上に複数の民族がいる。島国日本人にはなかなか理解しがたい面があります。
 
「イディッシュ語:ユダヤ人に使用されている言葉」
「アドルフ・ヒトラー:1889年-1945年」
「アルバニア人:地図で言うとイタリアの右側アドリア海の右、コソボ国に住む人」
「SS:ナチスドイツ親衛隊ヒトラーのボディーガード」
「口唇裂:こうしんれつ。うわくちびるのまんなかがたてに割れている。」
「乳兄弟:ほんとうの兄弟ではない。同じ女性の乳で育てられた。」
「カポ:収容所におけるナチスドイツ軍の手先。囚人のボス。ユダヤ人はなれない。」
「チフス:細菌感染。高熱。発疹」
「ホロコースト:ユダヤ人大量虐殺」
 
 記述内容はどんどん悲惨を極めていきます。死体に囲まれた生活です。死体を償却する業務につくことが、収容所での毎日です。
 フランシーヌの父親は、捕虜生活が続くなか、小説を書き始めたのか。

 不潔な生活環境が続きます。
 空腹です。
 
 従わなければ、暴力、毒、拷問、ガス室です。

 ユダヤ人であることを「無国籍者」とまで自分で自分を追い詰めます。祖国がない。

 女性の視点から見た「戦争」です。女性の武器とか、婚外子とかの話が出ます。
 1945年4月23日に解放されます。ソ連人に何人かと問われて、ユダヤ人とは答えずに「フランス人」と答えています。

「ライプツィヒ:ドイツにある。」

 アメリカ軍兵士に救われます。アメリカ人兵隊は、整然とした秩序を保っています。倫理的にも学問的にもいい状態でコントロールされています。かくあるべきという人間の暮らしです。アメリカ人兵隊や看護師、看護婦は、ユダヤ人被害者をだいじにして、こどもとはいっしょに遊んだ。

 良かった表現の趣旨として、「ドイツ軍にとられたフランスの機関車と車両を連合軍が取り戻してくれた。」、「ママが胃けいれんで食べ物を欲しがった。パパが食べものを探しに行った。生きのびた人のひとりが、リンゴをパパにくれた。」、健康診断であちこちからだに問題があると医師に言われて、「だけど、生きている。」 生きていればいい。
 援助の品々に素直に感謝する。

 戦争で離ればなれになったフランシーヌとパパは、6年かけて再会しました。ママは頭がおかしくなってしまいましたが、ユダヤ人親子3人が生き延びることができたのは珍しいそうです。フランシーヌは別れた時6歳でした。そして本の中で今は12歳です。そして、現実の今は84歳です。
 
 戦争を生き延びた人でも、戦後まもなく亡くなった若い人たちがたくさんいるそうです。体を壊したようです。夫婦やカップルで再会できても、その後別れたふたりもいるそうです。人生は先はどうなるかわかりません。事故や病気、事件に巻き込まれることを避けられません。
 フランシーヌはその強烈な体験から、これまで仲の良かった友達とはふつうにしゃべれなくなります。こどもなのに同い年の相手がこどもに見えるのです。フランシーヌは老成します。

 ユダヤ人であるということは、ユダヤ人を差別してくる人を憎んではいけない。長い歴史の間ずっと差別されてきた立場から、自分たちが差別をする人になってはいけない。ユダヤ人に生まれるとは、そういう覚悟で生きていく決心をもつこと。ユダヤ人同士、ユダヤ人に理解を示してくれる人と苦悩を分かち合いながら苦悩を克服していく運命にある民族と理解します。他の民族を憎んではいけないと結んであります。ユダヤ人は絶滅はしないという強い意思表示が感じられる1冊でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:12Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2018年06月14日

わたしがいどんだ戦い1939年 2018課題図書

わたしがいどんだ戦い1939年 キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー作 大作道子訳(おおさく・みちこ) 2018課題図書

 舞台はイギリスロンドン、タイトルにある戦いの相手は、母親であり、自分であり、世間であり、対処は、「障害者差別」です。時代背景として、第二次世界大戦、ドイツの独裁者ヒトラーがいます。

 右足首がねじれていて、歩行に障害がある主人公は女性で10歳、名前をエイダといいます。弟の名前がジェイミーで6歳、外国だから、新学期が9月で、この秋に小学校1年生になります。ただし、第二次世界大戦が始まったので、ロンドンはドイツ軍に空襲されるおそれがあるので、ふたりは、田舎へと疎開します。(避難する。)

 エイダのような足首に障害がある(ねじれて、足の裏が上を向いている。)人を見たことがあります。ちゃんと仕事をしていて、電車で通勤をされていました。たいへんだろうなあと思いましたが、かわってあげることは物理的にできません。

 ふたりのこどもはロンドンのスラム街にいます。昔、ロンドンには貧民街があったという小説を昔読んだことがあります。テムズ川の話を思い出しました。川をさらうといいものが出てくるのです。貧民はそれを拾って生きる。
 エイダは差別を受けています。行為者は母親です。父親はいないようです。外に出してもらえません。みにくい、みっともないというのが、外出禁止の理由です。歩こうと思えば歩けるのにです。ひどいしうちです。母親は娘エイダを「怪物」と呼びます。本当の母親なのだろうか。
 障害者を家の中に隠す習慣は昔の日本にもありました。今も一部残っているのでしょう。
 
 人間はだれしも、としをとって、体がいうことをきかなくなります。歩行困難で車いすになったり、人工透析を受けたり、記憶がとんだりします。つまり、人間は最後はだれしも障害者になるのです。だから、障害者の人は心苦しく思う必要はないのです。早いか遅いかの違いがあるだけです。

 歩く練習をする。狭い部屋の中ばかりにいたら練習になりません。

 差別用語として、「ちょっと足りない人」
 どうも、エイダは母親から、ドイツ軍の空襲で死んでもいい人と思われている。
 近所に住むスティーブン・ホワイトがそんな様子を見て言います。「おかしいよ。」 たしかに、おかしい。
 エイダは、家出同然で避難列車に弟と乗り込み、母親から分離、つまり、自由になりました。列車の窓から、ポニー(子馬)にのった少女の姿が見えました。彼女も障害者で歩けないのかもしれない。読み手の期待がふくらみます。ピョンチャンオリンピックのパラリンピックを思い出します。

 列車は人身売買のようなことをするためにこどもたちをのせていました。もらい子なのです。障害者のエイダとその弟のジェイミーはもらい手が現れませんでした。まるで子犬のやりとりです。

(つづく)

 ふたりの姉・弟のもらい手は、スーザン・スミスさん、中年のこどものいない女性です。彼女の家は牧場のそばにある。隣が軍の飛行場。イギリスの島の南東部フランス寄りの地域ケント州に住んでいます。お金持ちのようです。スーザン・スミスさんはとってもいい人です。

 ここまで出てこなかった「松葉杖」が出てきます。どうして右足首に障害があるエイダが使用しないのか不思議でした。「内反足(ないはんそく)」という病気です。エイダの病気の正式名称も出てきました。
「足が悪いからといって、頭が悪いことにはならない。」

 こどもふたりは、生年月日が不明です。戸籍制度がない外国ではよくあることです。いつ生まれたのかは問題ではない地域や国があります。

 聞いたことのない病名も出てきます。「膿痂疹:のうかしん。皮膚病。黄色いかさぶたみたい。」、「くる病:ほねの障害」、「栄養失調:栄養不良で不健康」

「ベッキーのハンター:ベッキー所有の(馬の種類)高級馬」
「スイカズラ:つる」
「あぶみ:乗馬をするときに両足をのせる部分」
「内反足のフォウル:内反足の馬のあかちゃんということ。」
「ライサンダー:第二次世界大戦中のイギリスの飛行機。小型輸送機10人乗り」
「スイスのロビンソン:スイスの児童文学作品。船が難破して孤島で暮らすファミリー」

「(第二次世界大戦の)勝利とは、平和のこと。」

 たたみかけるような項目ごとの展開です。

「スコーン:スコットランド料理。パン」

 放置、放任主義のエイダの母親を責めることはできません。母親の気持ちは理解できますエイダの世話ができる環境にあればそうするのですが、そうできない事情があります。お金と言えや土地があるスーザン・スミスさんならできます。

 聖書とは何だろう。左利きの弟ジェイミーが責められます。左利きは悪魔の印(しるし)だそうです。証拠はありません。

 蹄(ひづめ)、書中にあるように爪です。切っても馬は痛くありません。むしろ切らねばなりません。エイダは自分の爪を切ったことがない。歯で噛み切っていたと話すのはかわいそうでした。弟のジェイミーのおねしょはあいかわらず止まりません。精神的なものが原因でしょう。

ネコの名前が、「オナガ―」

「ほんものの家族」ってなんだろう。血縁関係は重要なのか、それとも、気持ちが重要なのか。

 読み書きができるようになりましょうという「教育」の志があります。エイダは、右足内反足という障害に対する劣等感が強い。

(つづく)

「ガチョウのロースト:オーブンで焼く。串にさしてあぶる。」
「チャー:賃金の安い掃除婦」
「6月のダンケルク撤退作戦:1940年。ドイツ軍におされて、イギリス軍はフランスダンケルクからイギリスへ撤退した。40万人の軍人があらゆる船に乗船してフランスからイギリスへ帰国した。」
「ウィストン・チャーチル首相:

 エイダは思春期に近づいてきたためか、自立心が強くなってきます。反抗的です。ある意味、それまでの自分をくつがえすための自分とのたたかいです。
 「内反足」を治す手術を受けたい。ちゃんと歩きたい。閉所恐怖症を克服したい。母親からの虐待を受けて、戸棚に閉じ込められた体験があります。巻末をみると作者自身も虐待を受けた体験があるとあります。作者はこの本を書くことで親に仕返しをしたのかもしれません。こどもを虐待する母親は母親ではない。子は母親を捨てた方がいい。子どもが欲しくなかった女性、望まない妊娠をした女性もいる。人間界は厳しい。

「戦争に感傷は禁物」

 スーザンは責任をきちんと果たす人です。

「ローズマリー、ラベンダー、セージ:セージだけがわかりませんでした。多年草、薬草」
「ランドガール:イギリス。婦人農耕部隊」

 最後の盛り上げ方は、すばらしかった。  

Posted by 熊太郎 at 06:21Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2018年06月13日

太陽と月の大地 2018課題図書

太陽と月の大地 コンチャ・ロペス=ナルバエス作 宇野和美訳 福音館 2018課題図書

 スペインの昔の話です。50ページぐらいまで読んだところで感想を書き始めます。

 1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見しています。日本は、室町時代です。

 宗教の対立があります。キリスト教とイスラム教です。100年間ぐらいかけて、イスラム教徒がキリスト教徒に追い出されたような内容と、冒頭付近を読むと、書いてあります。
 キリスト教が上で、イスラム教が下みたいな雰囲気がただよいます。

 スペインの南部地中海寄りのアンダルシア地方グラナダアルハンブラ宮殿の名称は、クラシックギターの名曲を思い出させてくれます。

 架空の人物として、マリア(若い女性、キリスト教徒伯爵の娘)、ミゲル(若い男性、農夫の子。山賊になる。元イスラム教徒でキリスト教徒に改宗、モリスコという)、エルナンド(若い男性、ミゲルの弟、モリスコ、農夫の子)、ディエゴ・ディアス(ミゲルとエルナンドのおじいさん。モリスコ)
 マリアの亡くなったおじいさんとエルナンドの生きているおじいさんとは少年時代からの親友だった。

「ベガ:グラナダの沃野よくや:肥えた土地。平野
「メルコ―チャ:蜂蜜を使ったお菓子」
「バジル:さわやかな香りの草」

(つづく)

 読み終えました。スペインの歴史物語でした。日本の関ヶ原の合戦みたいなことが、キリスト教徒がイスラム教徒を国から排除するという方針で書かれています。
 ポイントは、「悲恋」、おさななじみで仲のよかったキリスト教徒伯爵の子の女性と、戦争でキリスト教徒を恨むようになるイスラム教徒の農夫の子男性エルナンドの関係です。キリスト教徒の女性マリアの愛情はなかなかイスラム教徒の男性エルナンドには届きません。エルナンドは自尊心を傷つけられたのです。

 人間はなにかに寄りかかっていないと生きていけない。寄りかかるものが「宗教」

「レダマ、ゴジアオイ:地中海沿岸に咲くマメ科の落葉低木と同じく地中海沿岸に咲く花」
「ギョリュウ、キョウチクトウ:落葉小高木と常緑小高木・八重の赤い花、一重の白い花が咲く」
「アトリとクロウタドリ:全長16㎝スズメの仲間と体長28㎝カラスみたいな鳥」
「絹の天蓋:きぬのてんがい。貴人の寝台の上に設置する覆い(おおい)」
「ガレー船:人力でこぐ軍艦。地中海で使用。帆船部分あり。」
「レコンキスタ:キリスト教国家によるイベリア半島支配(スペイン、ポルトガルのある半島)」

気に入った表現の趣旨として、「月の光で川の水が銀色に染まった。」

 時代は、1492年に始まり(イスラム王朝倒れる)、1567年にイスラム教徒弾圧に対するイスラム教徒の蜂起(ほうき、反乱)があり、イスラム教徒はキリスト教徒に敗北する。状況としては、蜂起の呼びかけに応じるイスラム教徒が少なかったような記述です。キリスト教への改宗者が多かったのかもしれません。戦争に負けたイスラム教徒は奴隷として売られる。戦前親しかったキリスト教徒が友人のイスラム教徒を救うために彼を奴隷として購入する。買われたイスラム教徒の気持ちは複雑で、救ってくれたキリスト教徒と別れたい。また、夫婦でイスラム教徒とキリスト教徒の場合もあり、ややこしい。
 1573年にスペインを逃れてアフリカへ渡ったイスラム教徒男子エルナンドからスペインに住む幼なじみキリスト教徒マリアあてに手紙あり。次の手紙は1615年に出されています。時間の隔たりがとても遠い。

 異教徒同士は仲良くなれないのか。多神教の日本人にはわかりにくい。

 平和が大事。なにかしら対立して恨むという、人間には欠陥があります。  

Posted by 熊太郎 at 05:58Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2018年06月12日

105度 佐藤まどか

105度 佐藤まどか あすなろ書房 2018課題図書

 「105度」とは、温度ではありません。椅子の背もたれの角度です。この小説は中学生向けで、椅子のデザインを素材にしたものです。珍しい。

 33ページまで読みました。途中ですが、感想文を書き始めてみます。
 主人公は、大木戸真(おおきど・しん)、中学3年生ですが、身長177cmと高い。神奈川県逗子市内の(ずししない)の公立中学から、東京都内の中高一貫教育の大学付属高校へ中学3年の4月に編入しています。
 「イスが好き」と自己紹介したところから、「イス男」扱いです。椅子好きは、椅子職人の祖父の影響です。椅子に座った人たちの気配を感じることが快感だそうです。
 今後、スラカワという早川(同級生女子、同じくイスのデザイン好きらしい)とともに物語を進行していきます。

「バリトンの声:低くていい声。テノールは高い、バスは渋い低音」

 主人公大木戸真のきちょうめんさが表れています。椅子設計者の片りんをのぞかせています。教室内の机位置図を書いて、生徒の名前・特徴を記していく。デザイナーの素質があります。

「LC4:1928年にル・コルビュジエほか2名がデザインした寝椅子(シェーズロング)」(1928年昭和3年。体を横たえることができる長椅子)

(つづく)

 書中に出てくる本のなまえが、「イスのデザインミュージアム」 見たこともありません。

 映画「ガタカ」知りません。97年アメリカSF映画。DNAの元素の頭文字の合体がガタカ。
 「ゼロ・グラヴィティ(無重力)」は、映画館で観ました。良かった。女性宇宙飛行士が宇宙でひとりぼっちになる。地球への生還を目指す。
 「2001年宇宙の旅」観たことはありますが、それほど好きではありません。

「モデラ―:本編の場合、イスのデザイナーがデザインしたイスを実際にイスにする椅子づくり職人と解しました。」

セーディア社:椅子の会社。早川女子の祖父の家業。祖父は早川宗二朗(はやかわ・そうじろう)
原寸模型:モックアップ
試作品:プロトタイプ
スツール:背もたれ、ひじかけのないシンプルなイス
アームチェア:ひじかけつきイス
ラグ:ちいさいカーペット
オットマン:足のせ台
ウォールナットのフローリング:色のこと。黒系深いこげ茶。
ブルーカラー:肉体労働者。職人系。モデラ―
ホワイトカラー:頭脳労働者。事務系。建築家、デザイナー
インハウス・デザイナー:企業内デザイナー
サブカル系:一部の人の独特な文化
プライウッド:合板
スタビー:ドライバーの種類。持つところが太くて短い。

 女子差別とか、学歴こだわる話があります。

全国学生チェアデザインコンペ:本当にあるのだろうか。なさそう。家でくつろぐイスか、家で仕事や勉強をするイスをデザインする。

羽田に飛行場ができる前:できたのは、1931年8月、昭和8年、生まれた人は今なら87歳。

大木戸真のおじいさんの会社:大木製作所

 97ページ、化粧合板のくだりが良かった。見た目だけきれいで、役に立たない人はいます。

 100ページまで読んで、消化不良な部分があります。イスというふだん考えが及ばない素材がテーマであることと、言い回しです。しっくりきません。
 大木戸真の父親が、真が中高一貫教育の学校にいるのにもかかわらず、他校の高校を受験させるという指示・命令が理解できません。その父親が自分で風呂も沸かさないということがまた、不可解です。風呂はボタンを押すだけで誰でも沸かせるし、父親が沸かしてもおかしくはない。

 気に入ったフレーズです。「じいちゃんのような、しなやかな老人になる。」

 124ページ付近、イスづくりのマニュアルを読み始めたような気分です。
 父と息子の対立があります。父親の意識が極端すぎます。美術、デザイン、文学の道を選択してはいけない。食えない。いい大学を出て、官僚等安定した仕事に就く。いい大学に入っても、その大学での落ちこぼれはいます。卒業後、入った組織で役に立たず迷惑をかける人もいます。
 進路は本来本人が定めるものです。本人の人生です。親の人生ではありません。

 コンテストに出すイスですが、105度というのが、適度なイスの角度と紹介が始まります。角度と人間関係がからめて説明してあります。ふたりの人間は105度の角度で支え合ってちょうどいい。それ以上の角度で相手に寄りかかると共倒れになってしまう。
 105度って、どれくらいかなと考えました。そばに分度器がなかったので、頭の中で想像しました。

 イスの上下にあたり、ガス圧式シリンダーを避けますが、わたしは好きです。

 良かった表現の要旨として、「コツコツやってもだめ。デザインは頭のひらめき」、「ゲームもスマホもやらずに、イスに没頭しているこども」、「ぼくの自慢話と苦労話を聞いてくれ。」
 
 父親が、みそ汁もつくれない、アイロンかけもできないというのは、あきれました。

 プロダクトデザイン事務所スタジオ・テラダの人の話を息子に聞きに行かせる設定は強引です。

 進路指導の本にも思えてきました。

(つづく)

 説教くさい部分があります。父親の言葉、父親の友人の言葉、芸術系の道に進んでもうまくいかないことが多いという内容です。そこまでおさえなくてもという気持ちをもちながら読み続けました。若いときは、言葉では理解しません。痛い思いをしないとわかりません。寺田さん、吉野さん、城谷さん。お話の中身は暗い。

 弟力(りき)くんの扱いもずさんです。病弱だから生きているだけでいいと言われたら本人はへこみます。いじめがない学費が高い私立の学校へ行くそうです。

 イスのデザインで食べていけるのだろうか。イス以外のなんでもデザインするのではないか。結局行きつくところは販売する、営業職ではなかろうか。

 イスの本場はオランダなのだろうか。オランダ人男子の平均身長が184cm、高い。日本人が171cm、そんなに高いだろうか。もっと低い気がする。長い時間座れないイスづくりもある、客商売では、長時間座っていてほしくないお客さんもいる。そういう人について現実には、イスなしのハイカウンターで応対する。
 日本人女子の平均身長が、159cmとありますが、もっと低い気がします。若い人はそうかもしれませんが、中高年は低い。もっとも、コンパクトなほうが暮らしやすい(進化している)とわたしは勝ってに解釈しています。

 主人公大木戸真は、この世に完ぺきなイスはないと悟る。

 この本を読んでいるあいだ、新聞広告にはさまってくるイスの広告を見ました。1脚1万円前後の値段のイスが多い。一般人は、機能よりもまず値段から入ります。

 後半部、たんぽぽの話は唐突(とうとつ。突然すぎる)でした。

 こんなおとうさんいるのかなあ。

 あとがきで、90歳で絵をかくおばあさんのお話が良かった。何歳になっても将来の夢をもちたいものです。だから、若いときに芸術系の仕事につけなかったとしても、定年後にやろうと思って、実労期間中の長い年月を実力の蓄積にあてればいいのです。長生きしなきゃいけません。  

Posted by 熊太郎 at 05:50Comments(0)TrackBack(0)読書感想文