2018年06月24日

猫は抱くもの 大山淳子

猫は抱くもの 大山淳子 キノブックス

 城戸賞(きどしょう)というシナリオの賞を受賞された方と紹介文にあり、読んでみたくなりました。映画化されると書いてあります。公開は6月とありますので今月です。

 最初の章は、擬人法になると読んでいる途中で気づきます。30ページを過ぎたあたりからおもしろくなる。ぐいぐいと引き込まれていきます。
 登場人物青森出身の人大石沙織さんが、東京に出て13年間渋谷に行ったことがないという部分が引き寄せられる魅力があります。そんな人いるのだろうか。たぶん、希少価値があるほど少ないけれど、いるのでしょう。

 桜高校の池永良男は、ロシア系日本人に見えるが、猫でもある。彼に恋をしているのが、この物語の主人公大石沙織である。スーパーにこにこ堂でレジ打ちをしている38歳である。彼女の経歴は珍しい。兄夫婦と甥、両親が住む実家にいづらくなり東北から東京郊外へ引っ越してきている。未婚。

「ダマ:溶けないでできる固まり。小麦粉ほか」

 地名として、「ねこすて橋」、ただし、捨てられた猫に餌を与える人間がいる。それから、青目川、ねこすて橋がかかる小さな川。

「ロシアンブルー:ロシア起源、イギリス原産短毛の猫」

「猫は描くものではなく抱くもの」絵描きと暮らしたことがある三毛猫キイロの言葉である。

ロシアンブルーは、毒殺されたのではないか。

 スーパーマーケットでの就労だから、万引きの記事が出てきました。映画「万引き家族」を思い出します。

 第一話から第五話まであって互いに関連があります。
第一話「良男と沙織」
 主人公クラスらしき大石沙織さんは38歳でもう結婚をあきらめる。これから一生、おばさんをやっていくと決心するような、悟るような言葉がある。さみしい。そういうものか。そういうものなのかもしれない。そうなると頼れるのはお金になる。そうならなくてもお金か。ちなみに彼女のあだながあとから出てきますが「誠実さん」です。

 書き方として特徴的なのは、セリフのかっこ「 」がないことです。登場人物の心境が長文で語り続けられます。いい感じです。

第二話「キイロとゴッホ」
  「猫は描くものではなく抱くものだ」というゴッホの言葉は、「大石沙織は描くものではなく抱くものだ」につながるのだろうか。
 えんえんと読み続けています。作者の深層心理を垣間見る読書です。
 捨て猫のお話です。色弱の話も含めて、なんか、くらい。ゴッホは自活できず生活費をもらってヒモ暮らしみたい。うーむ。これでいいのだろうか。

第三話「哲学者」
 哲学者とは、コサギという一羽の白い鳥を指す。3歳のなっちゃんというが出てくる。なっちゃんには、障害があるのではないかと親が疑っている。
 なにごとも争わず和すことで命を長むる。この言葉が良かった。

第四話「それぞれのクリスマス」
 解析概論:数学を学ぶ人の座右の書(身近におく書物)
 ハインライン「夏への扉」:SF未来小説
 独特です。美男子に生まれた悩みが綴られます。
 良かった表現です。教育者に向いていない。器(うつわ)じゃない。
 Sleigh Ride:管弦楽曲。そりすべり。クリスマスによく流れる。
 リーマン予想:ドイツの数学者による予想

 こちらのほうが覚えていても、相手は忘れているとうの昔のことがあります。去年のクリスマスを忘れてしまった猫たちの会話を読みながら、相手はもう忘れているから気に病むことはないというメッセージをこの部分を読みながら受け取った気がします。いずれにしても、済んだことは済んだこと、済んだことを変えることはできないから未来志向でいこうというメッセージを受け取った気がします。

第五話「ルノワール」
 三毛猫のオスはなかなか生まれないから希少価値があって高価だとあります。そんなことがあるのだろうか。調べました。3万匹に1匹ぐらいしかいないそうです。びっくりしました。染色体の関係だそうです。黒、茶、白の三色猫はメスなのです。

 気にった表現として、猫から見て、「ゴッホ(日本人の絵描きのこと)は、人間のうちに入らない。」

 まだ、いちども人間に名前をつけられたことがない猫が登場します。

 少年、発明家

 100万回生きたねことか、洋画「卒業」が思い浮かびます。

 後半の明治時代の出来事のような記述は難解でした。男女のからみは複雑です。途中、タイトル「ルノワール」との関連がわからず混乱しました。

 柘植(つげ):常緑低木

 悪意の考察があります。ここで、そこまで、こだわらねばならない項目だろうか。

 ルノワールの絵画「猫を抱くこども」。ねこが気持ちよさそうに女の子に抱かれている絵です。

 そうか。名前のなかった猫の名前か。なっちゃんありがとう。やはり、未来志向の小説でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:34Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2018年06月23日

ぬのえほん わくわくのりもの

ぬのえほん わくわくのりもの 交通新聞社

 書店においてある見本はどうぶつのぬの(布)絵本でしたが、贈り先のこどもがぶーぶー(車)に興味が強いので「のりもの」の布絵本にしました。

 創意工夫にあふれています。立体絵本のように、絵本のサイズの規格から外に飛び出したりします。
 ぞうくんが、ポケットに入るということもできます。
 赤い乗用車、赤い消防はしご車、黄色いブルドーザー、赤い電車、青い飛行機です。
 手のひらや指でさわって、感触を楽しむページもあります。
 さて、よろこんでくれるでしょうか。楽しみです。  

Posted by 熊太郎 at 09:54Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2018年06月21日

羊と鋼の森 映画館

羊と鋼の森(ひつじとはがねのもり) 映画館

 本を読んでから2年半が経過していますのであらすじを忘れています。映画を観ながらこういう内容だったかなと疑問をもちながら、それでもまあいいかと最後まで観ました。物語では、ふたごの姉妹の話が中心だったような記憶がかすかに残っています。

 複雑な内容です。譲る者と譲られる者が、調律師とピアニスト、それが、姉と妹、兄と弟と重ねてあります。表に出るスターは、支えられる人、裏に隠れているのは、スターを支える人、そして、人間の大部分は支えて生活を営む人たちです。

 せごどんが、出ていたのでびっくりしました。それから、吉行和子さんは先々週観た「家族はつらいよⅢ」でお元気だったのに、この映画ではセリフもなく亡くなってしまいました。でもいい味、出てました。

 人生は哀しみに満ちている。ぐずぐずいう外村君はわたしのタイプではありません。それでも、そういう人は多い。
 両親の死と愛犬の死でひきこもりになっているピアノ弾きの青年がいる。彼をサポートして、彼の笑顔を見て、この仕事をやって良かったと満足する外村君がいる。
 
 タイトルのネーミングがこっています。よく、こういうタイトルを作者は思いついたものです。羊の毛がフェルトで、鋼が弦で、そのふたつをつなげる木材が調律師のつなぐ役割で、その全体がダンパーで音を消す。ピアニストと聴衆をつなげる役割が調律師です。このへん専門ではないのでもしかしたら違うかもしれません。

 雪の日、雪景色、大空の大きな雲が映像の特徴です。

 外村君はメモ魔です。よく見かける新人の様子です。メモをすると心が落ち着く。

 木の名前、草の名前、花の名前を知っていることは大事なこと。

 おばあさんが見ていたものは、森の奥にある樹齢何百年も経つ大樹。神が宿っている。

 ピアノで食べていくんじゃない。ピアノを食べていくんだ。

 先輩から後輩への伝承を重視するメッセージがあります。

 才能は、好きということ。

 放映開始前に出てくる、とむとむとパンパカパンツのキャラクターがなかなかおもしろく、好みです。



2016年1月2日付けの読書感想文です。
羊と鋼の森(ひつじとはがねのもり) 森下奈都(もりした・なつ) 文藝春秋
 直木賞候補作です。
 いっき読みをしてみます。今、平成27年12月29日(火)午後2時19分です。

(つづく)

 今、42ページに入ったところです。
 ピアノの調律師のお話です。北海道出身、江藤楽器で働く、まだ見習い程度の技術者外村(とむら)男性20歳が主人公です。
 羊は、ピアノの弦を叩くチューニングハンマーの素材となる羊の毛を指します。鋼(はがね)が弦(げん)でしょう。森とは音楽のことです。物語の最初付近では、「森はない」、しかし「森の匂いはする」というような表現から始まります。外村はまだ、高校2年生、山奥の中学を出てひとり暮らしをしながら高校へ通学しています。

 外村は、ふたごの姉妹と出会いました。高校生の佐倉和音(かずね。おとなしい。普通の演奏音)、由仁(ゆに。色彩に満ちている。笑みあり。おもしろい)です。

 この本を読みながら、自分も読書のBGMにピアノ曲を流しています。モーツアルト、ピアノ協奏曲第20番ニ短調という曲です。百田尚樹著「至高の音楽」を読んで手に入れました。美しくて印象深い旋律です。

 気に入った表現として、「ホームランを狙ってはいけない」、「音楽という森の入口に立った僕」

 わからなかった言葉として、「オンコ:樹木の種類。イチイ、これもまたわからない。20mぐらいになる高木。(以前、別の少年少女向け物語で出ていたこわい木がイチイであったことを思い出しました。)」、「馥郁(ふくいく):よい香りがただよっているさま。馥郁たる音色」、「テレパス:テレパシー、精神感応」、「オルフェウスの神話:オルフェウスという楽器と歌がうまい人が、愛する亡き妻を現世に戻そうとしてあの世と交渉してその途中で失敗したお話」、「僥倖(ぎょうこう):偶然の幸い」

 (この物語は、恋愛ものだろうか、それとも殺人推理サスペンスものだろうか。)

(つづく)

 午後3時59分、1時間40分が経過しました。今、113ページ付近を通過中です。モーツアルトピアノ協奏曲は、20番、27番と演奏が終わりましたが、再び、20番をかけて、聴いています。ピアノの音に集中する。タンタンタン・タンタター、切ない響きが繰り返される。

 原民喜(はら・たみき)さんという作家さんのことが出てきますが存じ上げません。彼の目指す文章は、登場するふたごのセットを表しています。おとなしい・明るい、厳しい・深い、夢・現実、相対立するものを両立させる。そこには、困難さがあります。本来、姉妹とか兄弟はライバルです。(後半部分で、音楽と文章表現のリンクがあるのですが、実感が湧きませんでした。)

 調律のテクニックの記述部分は素人なので読んでもわかりません。職人さんの世界です。

 外村の先輩調律師柳さんが、「公衆電話の不自然な緑色」が嫌いというのは、何か深い暗示があるのだろうか。メトロノームで助かったとあります。

(午後5時7分、用事ができたので読書は中断)

(午後6時30分から読書を再開して、同時40分に読了しました。)

 舞台の町、最初は東北地方と思いましたが、どうも道内のようです。
 ピアノ調律師に限らず、広く、働くとはどういうことか(生きがい)、だれのために働くのか(対外的にはお客さま)を考える、あるいは、示唆する内容の小説でした。柳さんという調律師さんが味わいを出していました。

 人それぞれのピアノ(音楽)に寄せる思い、思い出がエピソードとして織り込まれています。ジャンルとしての音楽小説です。北海道を舞台とした大自然との共生もありました。一人前になるには歳月がかかる。

 筋立てはかなり苦しい。ふたご姉妹の未来の夢は対比としてありえない。どちらもスターを目指して競争することが実情です。スターになれないからといって、最初から日陰のポジションを望むことはしない。ましてや相手の引き立て役にはならない。相手はライバルです。身を引く態度は真意ではありません。アニメ「タッチ」を思い出しました。

 音楽の入口に若者たちがようやく立ったというポジションの小説です。もっと、奥へ。

 恋を抑える部分があります。恋は抑えきれない。全体がハッピーな仕上がりで、ほんわかした物語が好きな方向けです。
 悪人は登場しない物語です。三浦しおんさんの辞書を素材にした作品「舟を編む」とか、佐藤多佳子さんのオルガンを素材にした「聖夜」などと合い通じる雰囲気があります。  

2018年06月20日

つゆどきに咲く花

つゆどきに咲く花

あじさい
















ハーブ








あさがお




ゆり








ばら




はなしょうぶ




マリーゴールド、サルビア、ペチュニアなど



  

Posted by 熊太郎 at 06:32Comments(0)TrackBack(0)名古屋市

2018年06月19日

おとこのおばあさん 永六輔

おとこのおばあさん 楽しく年をとる方法 永六輔(えい・ろくすけ) 大和書房

 ページをめくるとふたりの娘さんに捧ぐとあります。先日は、父「永六輔」を看取るという娘さんの書いた本を読みました。2016年たなばたの日に83歳で亡くなっています。
 この本の出版は2013年6月で、その後5刷されています。人気者でした。

 娘さんの書いた本では、本人は、外と内では、違う人だったとありました。外では、永六輔を演じていた。そして、仕事優先の人だった。

 読み始めました。ラジオ番組での発言を整理してまとめたものと解説があります。46年間の長寿番組です。ラジオはこういうことができるという可能性を示しています。
 おじいさんではなく、おばあさんになる。おばあさんのほうが長寿で生命力が強い。おばあさんのほうが楽。背筋を伸ばしてきびきび生きようとすると短命になる。
 男性79.4歳の平均寿命で、永さんは83歳で亡くなっています。この本の当時は77歳ぐらいです。しみじみします。

以下、項目として、共感したものです。
・ふたつのことをいちどにできない。
・ひとつずつ片付ける。

 以下、秘訣として、
・50代で70代のふりをする。(老いる練習をしておく。)
・健康な時に車いすの練習をして慣れておく。

「若く見せるは、むだなんです。」には、笑いました。

パーキンソン症候群:脳神経系の病気。物覚えが悪くなり、ころびやすく、手足が震える。
アルツハイマー型認知症:物忘れ、見当識障害、判断能力低下
メニエール病:内耳の病気。めまい、難聴、耳鳴り。ストレスが原因

 できる限り、自分のことは自分でやる。

 カラオケ嫌いは意外です。

 薬を飲み忘れるので、食後の薬は食前に飲んでいます。(自分のこと)

(つづく)

 パーキンソン病のお話が続きます。くどいので、飽きてきました。おばあさんになる話はどこへいってしまったのだろう。
 転倒注意、多いのは家の中、浴室。
 自力で着替えができない。
 

腎不全:腎臓機能の低下。水がたまるとむくみ、高血圧、老廃物がたまると疲労感、食欲不振、吐き気、けいれん、意識障害
食事療法、薬物療法、血液浄化

「えばって歩く」 胸を張って、上を向いて歩く。パーキンソンじゃないけれどやってみます。

 ここまで読んで、病気の原因は働きすぎではなかろうかと思いました。以前読んだ娘さんの本では、家では、大量の情報を仕入れてかかえて、番組でどういうふうに表現しようかと長時間没頭していたということでした。番組を45年間休まなかったと本文にあります。
 それでも、長生きされて、やりたいことをやりとげられて、それはそれでいいのかもしれないということもあります。

 読んでいて、「時間」について考えました。もう、亡くなっているので、「偲ぶ(しのぶ、なつかしむ)」本です。時間はだれにも平等に経過して、思い出を残していく。時間の使い方を考える。

 ご本人の納豆好きには実感が湧きません。納豆は味がない。健康食だから、しかたなく食べています。
 
 法然と親鸞(しんらん1133年生まれ):念仏。法然(浄土宗)の弟子が親鸞(浄土真宗1173年生まれ西本願寺)

(つづく)

 最後まで読みました。
 病気の話が延々と続き、最後のほうは、クレーマーではないかと、老害まで考えました。
 ラジオ番組の趣旨は、旅に出て、だれかに出会って、なにかしら出来事があってというレポートだったのが、病気になって、病室にしかいなくてみたいに変化して、魅力の出しようがなくなった。

 話題が、「お見舞いのよしあし」、「手術」、「患者のありよう」、「医療従事者」、「車いすでの移動」になるにつれ、わがままや偏った思いこみが出始めます。関係者へのプレッシャーもあります。
 男性が、「おばあさん」になる冒頭付近の話はどこへいってしまったのだろう。残念です。

 登場する有名人の方々のなかで、瀬戸内寂聴さんだけがご存命で長生きされています。
 お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。
 野坂昭如さん2015年 85歳没
 小沢正一さん 2012年 83歳没
 大橋巨泉さん 2016年 82歳没
 中村八大さん 1992年 61歳没

 印象に残った言葉「もう話し相手がいない。一緒にやった仲間がいない。」  

Posted by 熊太郎 at 06:29Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2018年06月18日

ぞうれっしゃがやってきた 小出隆司

ぞうれっしゃがやってきた 小出隆司(こいで・たかし) 岩崎書店

 昔からあるお話です。こどもの頃、学童向け雑誌の記事で読んだ記憶が残っています。
 本のカバーの絵をながめていて、本当にぞうの背中に小学生がのったのだろうかと疑問が湧きました。しらべたところ、乗った人たちの声がありました。すごいなー。ぞうのせなかの毛がチクチクして痛かったそうです。

 第二次世界大戦末期、空襲で、動物園が破壊されると、猛獣が街に逃げ出して、人間に被害を与える。その前に、動物を毒殺、射殺してしまう。人間の勝手さが表れています。
 ただ、捨てる神あれば拾う神ありです。人情ばなしになりますが、動物を守ろうとする人たちも現れます。

 戦争が終わって、日本で生き残ったぞうは、名古屋市にある東山動物園に2頭しかいない。大きなぞうを列車にのせて全国を回ることはできない。逆に、小学生たちを列車に乗せて全国から東山動物園に呼ぶ。
 国とか、自治体とか、鉄道会社とか、教育機関とか、いろいろな組織の協力があって、たくさんのひとたちの力を合わせる意識が合体してできたことです。調整役に走った人たちも多かったことでしょう。

 ぞうにのったことがある人たちの話では、戦後、そのことを忘れていたそうです。ぞうの背中に乗った当時は小学校低学年のようですから無理もありません。それでも、なにかのきっかけで記憶が呼び起こされています。それが感謝につながっています。感謝の連鎖が未来にも続くといい。

 ぞうのなまえは、アドン、キーコ、エルド、マカニーです。サーカスで芸を披露して働いていましたが、東山動物園に売られました。戦時中にそのうちの2頭キーコとアドンは餓死するように死んでしまいます。
 人情もので、見て見ぬ振りがあります。むかしはそれがとおりましたが、いまは、非難される時代です。残念ですがしかたがありません。

 平和であることを願い求める。

 戦争をすると、弱い者にしわよせがいく。

 名古屋市の空襲は、1940年(昭和20年)3月12日、3月19日、5月14日、6月9日あたりが激しかった記憶です。若い頃、もういまは超高齢者になられた先輩から、爆弾の雨の中を逃げ回ったと聞いた記憶があります。

 この本を読んでいて思ったことは、国は国民を守るためにある。なのに動物園の関係者が、「ひこくみんめ」と言われるのはおかしいのではないか。

 ぞうさん、ぞうさん、おはながながいのねという歌を久しぶりに思い出しました。

 1983年初版で、2017年現在39刷もされているロングセラー本です。  

Posted by 熊太郎 at 06:22Comments(0)TrackBack(0)読書感想文