2018年06月15日
いのちは贈りもの ホロコーストを生きのびて 2018課題図書
いのちは贈りもの ホロコーストを生きのびて フランシーヌ・クリストフ著 河野万里子訳 岩崎書店 2018課題図書
夏の課題図書には毎年1冊はユダヤ人虐殺の本がとりいれられます。今年はこの1冊です。課題図書を読むのも今年はこれが最後の1冊になりました。ゆっくり読んでみます。
(つづく)
「ホロコースト:ユダヤ人大虐殺。600万人ぐらいがドイツナチスに殺された。」
「なぜユダヤ人は差別されるのか。ユダヤ人がイエス・キリストを磔(はりつけ)の刑に差し出した。ユダヤ人が金もうけに恵まれた。ユダヤ教が他の宗教と協調しない。」
多神教、無神論者、単一民族の日本人には理解しがたいものがあります。
本を読み始めるにあたり、地図が2枚登場します。ヨーロッパの大部分とフランス国の地図です。ユダヤ人の女性著者が日本でいうところの小学生ぐらいの頃、ユダヤ人収容所を転々とした地点が記されています。
50ページぐらい読みました。冒頭付近に著者の言葉があるとおり、小説ではなく、記録をメモとしておとした内容です。戦後何十年かたって、自分はあのとき殺されていたかもしれないという恐怖を克服して出版された本です。
ユダヤ人である著者フランシーヌさんの生家はやはりお金持ちです。フランス南部地中海に面した別荘から始まります。祖母はおしゃれな衣料品店を経営しているようです。
1939年8月著者6歳半から始まります。1941年に父親がドイツ軍の捕虜となり、1942年にユダヤ人だからという理由で著者は母親とともにドイツ軍に捕まります。
読んでいると昔観た名画を思い出します。「ライフ・イズ・ビューティフル」イタリア映画でした。収容所までの経過が目に浮かびます。
「カーキ色:土色、茶色」
「アーリア人:インド、ヨーロッパ語族」
「自由」を制限されるということ。午後8時以降は外出禁止、旅行禁止(移動禁止)、就労禁止(労働禁止、職業選択禁止)、公共の場所への出入り禁止(美術館、劇場、映画館、公園、カフェ)、犬とユダヤ人は公園へ入るべからずとは、ひどい人権侵害です。
禁止事項とは、逆に、服に黄色い星を付けてユダヤ人であることを表示しなければならない。人種差別です。徹底的なイジメがあります。
読んでいると、あまりにもひどい仕打ちで、被害者は、ドイツ人に対して仕返しをしたくなるのではないかと推測します。単に、たとえば、あなたが日本人だから、抹殺しますでは被害者は納得しません。どうしてこんな国、ドイツと日本が同盟を組んだのか、ドイツ同様日本もうらまれる立場です。国でも組織でも「独裁者」をつくってはいけない。許してはいけない。無関心であってはいけない。グループで秩序をコントロールしなければなりません。
著者は、絶対に殺されないという「特別扱い」をされます。戦時国際法のジュネーブ条約の決め事で、著者の父親はフランス国軍人中尉という立場での戦争捕虜であり、そのフランス人兵士の妻子は「人質」として生かされます。ここは、本人にとっては複雑な心境になるところです。彼女と彼女の母親以外の人たちは、収容所から別の場所へ連れて行かれます。おそらくアウシュビッツなどのガス室送りでしょう。連れて行かれる人たちは特別扱いの彼女たちをどんな目で見ていたのか考えると恐ろしい。悪いのはドイツです。
ユダヤ人ではあるけれど、フランス軍の軍人であれば命が保障される。条約という文書の取り決めで命が守られる。ここは大事なところです。話し合いと文書による協定(約束)は守られる。だから人は話し合い文書を残す。
フランス人なのにナチスドイツに協力する人間がいます。だれしも、生き残るためです。力の強いものが悪いことをして生き残る。そこに民主主義はありません。
ユダヤ人が人間扱いされない悲惨な状況が続きます。著者が今生きていたとして85歳です。まだ、6歳ぐらいから12歳ぐらいのころの思い出ですが、忘れることはできないでしょう。その瞬間が映像となって次々と脳裏に浮かびあがります。フラッシュバックです。
「ブーレ:フランスの踊りの曲。17世紀に流行した。」
収容所に収容された人たちは色とりどりの優秀な人材です。文化、芸術、学問に精通した人が多い。みんな亡くなった。惜しい。
収容所で気が変になったふりをしていた人たちは、本当に気が変になってしまった。
著者の「フランシーヌ」という名前の文字がページに出るたびに、昔はやった「フランシーヌの場合は」という暗く沈んだ悲しげな歌を思い出してしまいます。
著者の言葉の趣旨としてぐっときたのは、「あの人たちは移送されて、わたしの人生からふっと消えてしまった。」
それから、「自分の年をわすれてしまった。」これは、老化したことを意味します。
「割礼:かつれい。性器の一部を切開する。ユダヤ教徒の宗教的儀式として行われる。それがユダヤ人の目印になる。」
ドイツ人の性格は「徹底的」、日本人はさらに「上乗せしてなにかを創造する」そういう記事を昔読んだことがあります。たとえば、一定区画内の草取りを命じると、ドイツ人は、1本の草も残さず抜く。日本人はさらに、なにもなくなった区画のなかに役に立つ何かをつくりだす。そういう日本人の特性は、世代が変わるにつれなくなってきている感じがします。
本の中で、戦争は救出シーンに近づいてきます。ノルマンディー上陸作戦。英米の連合軍200万人の兵隊がフランスノルマンディー半島に上陸してフランスを占領しているドイツ軍に反撃をしかける。1944年6月6日です。しかし、即効果が出たわけではなく時間がかかったと以前別の本で読みました。逆転までに1年間ぐらいかかっています。
ユダヤ人虐殺で、最大の被害者を出した国、ポーランド国。世界で殺されたユダヤ人600万人の犠牲者のうち半分ぐらい300万人がポーランドにいた人数だったと思います。
書中では、続いて、フランス人、オランダ人、ギリシャ人とドイツ人と、個々の民族の特徴が語られます。同じ土地の上に複数の民族がいる。島国日本人にはなかなか理解しがたい面があります。
「イディッシュ語:ユダヤ人に使用されている言葉」
「アドルフ・ヒトラー:1889年-1945年」
「アルバニア人:地図で言うとイタリアの右側アドリア海の右、コソボ国に住む人」
「SS:ナチスドイツ親衛隊ヒトラーのボディーガード」
「口唇裂:こうしんれつ。うわくちびるのまんなかがたてに割れている。」
「乳兄弟:ほんとうの兄弟ではない。同じ女性の乳で育てられた。」
「カポ:収容所におけるナチスドイツ軍の手先。囚人のボス。ユダヤ人はなれない。」
「チフス:細菌感染。高熱。発疹」
「ホロコースト:ユダヤ人大量虐殺」
記述内容はどんどん悲惨を極めていきます。死体に囲まれた生活です。死体を償却する業務につくことが、収容所での毎日です。
フランシーヌの父親は、捕虜生活が続くなか、小説を書き始めたのか。
不潔な生活環境が続きます。
空腹です。
従わなければ、暴力、毒、拷問、ガス室です。
ユダヤ人であることを「無国籍者」とまで自分で自分を追い詰めます。祖国がない。
女性の視点から見た「戦争」です。女性の武器とか、婚外子とかの話が出ます。
1945年4月23日に解放されます。ソ連人に何人かと問われて、ユダヤ人とは答えずに「フランス人」と答えています。
「ライプツィヒ:ドイツにある。」
アメリカ軍兵士に救われます。アメリカ人兵隊は、整然とした秩序を保っています。倫理的にも学問的にもいい状態でコントロールされています。かくあるべきという人間の暮らしです。アメリカ人兵隊や看護師、看護婦は、ユダヤ人被害者をだいじにして、こどもとはいっしょに遊んだ。
良かった表現の趣旨として、「ドイツ軍にとられたフランスの機関車と車両を連合軍が取り戻してくれた。」、「ママが胃けいれんで食べ物を欲しがった。パパが食べものを探しに行った。生きのびた人のひとりが、リンゴをパパにくれた。」、健康診断であちこちからだに問題があると医師に言われて、「だけど、生きている。」 生きていればいい。
援助の品々に素直に感謝する。
戦争で離ればなれになったフランシーヌとパパは、6年かけて再会しました。ママは頭がおかしくなってしまいましたが、ユダヤ人親子3人が生き延びることができたのは珍しいそうです。フランシーヌは別れた時6歳でした。そして本の中で今は12歳です。そして、現実の今は84歳です。
戦争を生き延びた人でも、戦後まもなく亡くなった若い人たちがたくさんいるそうです。体を壊したようです。夫婦やカップルで再会できても、その後別れたふたりもいるそうです。人生は先はどうなるかわかりません。事故や病気、事件に巻き込まれることを避けられません。
フランシーヌはその強烈な体験から、これまで仲の良かった友達とはふつうにしゃべれなくなります。こどもなのに同い年の相手がこどもに見えるのです。フランシーヌは老成します。
ユダヤ人であるということは、ユダヤ人を差別してくる人を憎んではいけない。長い歴史の間ずっと差別されてきた立場から、自分たちが差別をする人になってはいけない。ユダヤ人に生まれるとは、そういう覚悟で生きていく決心をもつこと。ユダヤ人同士、ユダヤ人に理解を示してくれる人と苦悩を分かち合いながら苦悩を克服していく運命にある民族と理解します。他の民族を憎んではいけないと結んであります。ユダヤ人は絶滅はしないという強い意思表示が感じられる1冊でした。
夏の課題図書には毎年1冊はユダヤ人虐殺の本がとりいれられます。今年はこの1冊です。課題図書を読むのも今年はこれが最後の1冊になりました。ゆっくり読んでみます。
(つづく)
「ホロコースト:ユダヤ人大虐殺。600万人ぐらいがドイツナチスに殺された。」
「なぜユダヤ人は差別されるのか。ユダヤ人がイエス・キリストを磔(はりつけ)の刑に差し出した。ユダヤ人が金もうけに恵まれた。ユダヤ教が他の宗教と協調しない。」
多神教、無神論者、単一民族の日本人には理解しがたいものがあります。
本を読み始めるにあたり、地図が2枚登場します。ヨーロッパの大部分とフランス国の地図です。ユダヤ人の女性著者が日本でいうところの小学生ぐらいの頃、ユダヤ人収容所を転々とした地点が記されています。
50ページぐらい読みました。冒頭付近に著者の言葉があるとおり、小説ではなく、記録をメモとしておとした内容です。戦後何十年かたって、自分はあのとき殺されていたかもしれないという恐怖を克服して出版された本です。
ユダヤ人である著者フランシーヌさんの生家はやはりお金持ちです。フランス南部地中海に面した別荘から始まります。祖母はおしゃれな衣料品店を経営しているようです。
1939年8月著者6歳半から始まります。1941年に父親がドイツ軍の捕虜となり、1942年にユダヤ人だからという理由で著者は母親とともにドイツ軍に捕まります。
読んでいると昔観た名画を思い出します。「ライフ・イズ・ビューティフル」イタリア映画でした。収容所までの経過が目に浮かびます。
「カーキ色:土色、茶色」
「アーリア人:インド、ヨーロッパ語族」
「自由」を制限されるということ。午後8時以降は外出禁止、旅行禁止(移動禁止)、就労禁止(労働禁止、職業選択禁止)、公共の場所への出入り禁止(美術館、劇場、映画館、公園、カフェ)、犬とユダヤ人は公園へ入るべからずとは、ひどい人権侵害です。
禁止事項とは、逆に、服に黄色い星を付けてユダヤ人であることを表示しなければならない。人種差別です。徹底的なイジメがあります。
読んでいると、あまりにもひどい仕打ちで、被害者は、ドイツ人に対して仕返しをしたくなるのではないかと推測します。単に、たとえば、あなたが日本人だから、抹殺しますでは被害者は納得しません。どうしてこんな国、ドイツと日本が同盟を組んだのか、ドイツ同様日本もうらまれる立場です。国でも組織でも「独裁者」をつくってはいけない。許してはいけない。無関心であってはいけない。グループで秩序をコントロールしなければなりません。
著者は、絶対に殺されないという「特別扱い」をされます。戦時国際法のジュネーブ条約の決め事で、著者の父親はフランス国軍人中尉という立場での戦争捕虜であり、そのフランス人兵士の妻子は「人質」として生かされます。ここは、本人にとっては複雑な心境になるところです。彼女と彼女の母親以外の人たちは、収容所から別の場所へ連れて行かれます。おそらくアウシュビッツなどのガス室送りでしょう。連れて行かれる人たちは特別扱いの彼女たちをどんな目で見ていたのか考えると恐ろしい。悪いのはドイツです。
ユダヤ人ではあるけれど、フランス軍の軍人であれば命が保障される。条約という文書の取り決めで命が守られる。ここは大事なところです。話し合いと文書による協定(約束)は守られる。だから人は話し合い文書を残す。
フランス人なのにナチスドイツに協力する人間がいます。だれしも、生き残るためです。力の強いものが悪いことをして生き残る。そこに民主主義はありません。
ユダヤ人が人間扱いされない悲惨な状況が続きます。著者が今生きていたとして85歳です。まだ、6歳ぐらいから12歳ぐらいのころの思い出ですが、忘れることはできないでしょう。その瞬間が映像となって次々と脳裏に浮かびあがります。フラッシュバックです。
「ブーレ:フランスの踊りの曲。17世紀に流行した。」
収容所に収容された人たちは色とりどりの優秀な人材です。文化、芸術、学問に精通した人が多い。みんな亡くなった。惜しい。
収容所で気が変になったふりをしていた人たちは、本当に気が変になってしまった。
著者の「フランシーヌ」という名前の文字がページに出るたびに、昔はやった「フランシーヌの場合は」という暗く沈んだ悲しげな歌を思い出してしまいます。
著者の言葉の趣旨としてぐっときたのは、「あの人たちは移送されて、わたしの人生からふっと消えてしまった。」
それから、「自分の年をわすれてしまった。」これは、老化したことを意味します。
「割礼:かつれい。性器の一部を切開する。ユダヤ教徒の宗教的儀式として行われる。それがユダヤ人の目印になる。」
ドイツ人の性格は「徹底的」、日本人はさらに「上乗せしてなにかを創造する」そういう記事を昔読んだことがあります。たとえば、一定区画内の草取りを命じると、ドイツ人は、1本の草も残さず抜く。日本人はさらに、なにもなくなった区画のなかに役に立つ何かをつくりだす。そういう日本人の特性は、世代が変わるにつれなくなってきている感じがします。
本の中で、戦争は救出シーンに近づいてきます。ノルマンディー上陸作戦。英米の連合軍200万人の兵隊がフランスノルマンディー半島に上陸してフランスを占領しているドイツ軍に反撃をしかける。1944年6月6日です。しかし、即効果が出たわけではなく時間がかかったと以前別の本で読みました。逆転までに1年間ぐらいかかっています。
ユダヤ人虐殺で、最大の被害者を出した国、ポーランド国。世界で殺されたユダヤ人600万人の犠牲者のうち半分ぐらい300万人がポーランドにいた人数だったと思います。
書中では、続いて、フランス人、オランダ人、ギリシャ人とドイツ人と、個々の民族の特徴が語られます。同じ土地の上に複数の民族がいる。島国日本人にはなかなか理解しがたい面があります。
「イディッシュ語:ユダヤ人に使用されている言葉」
「アドルフ・ヒトラー:1889年-1945年」
「アルバニア人:地図で言うとイタリアの右側アドリア海の右、コソボ国に住む人」
「SS:ナチスドイツ親衛隊ヒトラーのボディーガード」
「口唇裂:こうしんれつ。うわくちびるのまんなかがたてに割れている。」
「乳兄弟:ほんとうの兄弟ではない。同じ女性の乳で育てられた。」
「カポ:収容所におけるナチスドイツ軍の手先。囚人のボス。ユダヤ人はなれない。」
「チフス:細菌感染。高熱。発疹」
「ホロコースト:ユダヤ人大量虐殺」
記述内容はどんどん悲惨を極めていきます。死体に囲まれた生活です。死体を償却する業務につくことが、収容所での毎日です。
フランシーヌの父親は、捕虜生活が続くなか、小説を書き始めたのか。
不潔な生活環境が続きます。
空腹です。
従わなければ、暴力、毒、拷問、ガス室です。
ユダヤ人であることを「無国籍者」とまで自分で自分を追い詰めます。祖国がない。
女性の視点から見た「戦争」です。女性の武器とか、婚外子とかの話が出ます。
1945年4月23日に解放されます。ソ連人に何人かと問われて、ユダヤ人とは答えずに「フランス人」と答えています。
「ライプツィヒ:ドイツにある。」
アメリカ軍兵士に救われます。アメリカ人兵隊は、整然とした秩序を保っています。倫理的にも学問的にもいい状態でコントロールされています。かくあるべきという人間の暮らしです。アメリカ人兵隊や看護師、看護婦は、ユダヤ人被害者をだいじにして、こどもとはいっしょに遊んだ。
良かった表現の趣旨として、「ドイツ軍にとられたフランスの機関車と車両を連合軍が取り戻してくれた。」、「ママが胃けいれんで食べ物を欲しがった。パパが食べものを探しに行った。生きのびた人のひとりが、リンゴをパパにくれた。」、健康診断であちこちからだに問題があると医師に言われて、「だけど、生きている。」 生きていればいい。
援助の品々に素直に感謝する。
戦争で離ればなれになったフランシーヌとパパは、6年かけて再会しました。ママは頭がおかしくなってしまいましたが、ユダヤ人親子3人が生き延びることができたのは珍しいそうです。フランシーヌは別れた時6歳でした。そして本の中で今は12歳です。そして、現実の今は84歳です。
戦争を生き延びた人でも、戦後まもなく亡くなった若い人たちがたくさんいるそうです。体を壊したようです。夫婦やカップルで再会できても、その後別れたふたりもいるそうです。人生は先はどうなるかわかりません。事故や病気、事件に巻き込まれることを避けられません。
フランシーヌはその強烈な体験から、これまで仲の良かった友達とはふつうにしゃべれなくなります。こどもなのに同い年の相手がこどもに見えるのです。フランシーヌは老成します。
ユダヤ人であるということは、ユダヤ人を差別してくる人を憎んではいけない。長い歴史の間ずっと差別されてきた立場から、自分たちが差別をする人になってはいけない。ユダヤ人に生まれるとは、そういう覚悟で生きていく決心をもつこと。ユダヤ人同士、ユダヤ人に理解を示してくれる人と苦悩を分かち合いながら苦悩を克服していく運命にある民族と理解します。他の民族を憎んではいけないと結んであります。ユダヤ人は絶滅はしないという強い意思表示が感じられる1冊でした。
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