2023年11月30日

ボクはやっと認知症のことがわかった 医師 長谷川和夫

ボクはやっと認知症のことがわかった 医師 長谷川和夫 読売新聞編集委員 猪熊律子(いのくま・りつこ) KADOKAWA

 先日は同作者の絵本『だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― さく・長谷川和夫 え・池田げんえい ぱーそん書房』を読みました。こんどはこちらの本を読んでみます。

(1回目の本読み 全部のページをゆっくり最後までめくってみました)
 『はじめに』の部分に、『みなさんは「長谷川式簡易知能評価スケール」(以下、長谷川式スケール)という言葉をお聞きになったことがありますか?』と問いかけがあります。
 わたしは体験したことがあります。絵本のところで書いた感想メモの一部を再掲します。
『 熊太郎は、冗談ではなくて、本当に頭がおかしくなって病院で長谷川式認知症スケールの検査を受けたことがあります。
 検査中のかすかな記憶が残っています。自分が今いる病院の名称を別の病院名で言い張っていました。今日の年月日を言い間違えました。季節すら間違えていました。
 数字の引き算を尋ねられて、なかなか答えが出せずイライラして、どうしてこんな簡単な計算ができないんだと自分に対して怒りすら生まれました。
 検査の最後では、あろうことか、イスに座っていた自分の体を前かがみにして、目の前に座っている医師の両足首を自分の両方の手でつかんで持ち上げてしまいました。
 そのあと、その日の深夜に手術を受けました。頭蓋骨(ずがいこつ)に穴を開けて脳にたまっていた血液を抜く手術でした。
 半年近くかけて頭蓋骨内にある毛細血管からしみ出して脳内にたまった血液が脳みそを圧迫して脳みそが正常に機能しなくなっていました。(半年ぐらい前から耳鳴りがひどかった。耳鳴りの原因がわかりませんでした)
 さらに脳脊髄液が、首のあたりから腰に向けて流れているのですが、その脳脊髄液が、背骨のあたりで漏れていることがわかり、別の病院に転入院して手術のような処置をうけました。
 もうふらふらでした。幻視もたくさん見ました。認知症になると、こんな感じになるのだなということを体験しました。まわりの人たちにいっぱい迷惑をかけてしまいました。』
『(もうひとつ、絵本の中の記述として)「ぼく」が一年生のとき、おばあちゃんが、外で迷子になって警察に保護されました。
(自分がどこにいるのかわからなくなります。熊太郎は、入院している高層ビルの大きな病院内で迷子になったことがあります。どのフロアーも似たつくりで、エレベーターに乗って別のフロアー(階)に行ってしまい、自分の部屋に戻れなくなりました。(自分がいるフロアーから別のフロアーに行っては行けないというきまりがあったそうですが、脳みそが弱っていたので指示を理解できていませんでした。自分の左手首にリストバンドがあって、自分の病室と診察券番号がリストバンドに印字されていましたが、そのことも失念していました。結局ナースセンターの職員の助けで自室に戻ることができました)
 迷子になるのは、本人の責任のようで、そうでもないのです。脳みその病気なのです。
 「ここはどこ? あなたはだれ?」と言っている本人は、情けない気持ちでいっぱいなのです。』

 こちらの本の感想メモに戻ります。
 目次です。『第1章 認知症になったボク(医者も人間です。認知症にもなるし癌にもなります)』
 112ページに、長谷川式で、『「93から7を引く」は間違い』とあります。100から7を順番に引いてください。から始まって、100から7を引いたあとの質問は、「そこからまた7を引いてください」と問うそうです。熊太郎が受けたときはどう聞かれたのか記憶が残っていませんが、かなり時間がかかって、医師に、絶対答えを出すから教えないでくださいと言った記憶はあります。かなり時間がかかりましたが、答えはたぶんあっていたと思います。86です。
 150ページに『クルマの運転(高齢者が加害者になる死亡事故が絶えません。以前読んで参考になった本があります。『高齢ドライバーの意識革命 安全ゆとり運転で事故防止 松浦常夫 福村出版 2019年東京池袋の暴走死亡事故のあと自主返納者が全国で60万人に達したというニュースを聞いたときは、たくさんの人たちが返納したのだなと納得しましたが、この本によると、65歳以上の高齢ドライバーは、1900万人もいるそうです。』
 まずは、自分自身が道を歩くときは、もしかしたらお年寄りの運転する車が自分に向かって突っ込んでくるかもしれないと警戒しながら歩いたほうが良さそうです。
 長谷川さんのこちらの本では、長谷川さんが車の運転が好きなことが、まずは書いてあります。でも運転はやめたそうです。

 153ページに絵本づくりのことが書いてあります。熊太郎は、絵は描けませんが、文章はかけるので、いくつかのこどもさん向けのお話はつくりました。

 168ページにアリセプトというお薬の説明があります。レビー小体型認知症の効果があるそうです。続けて薬の副作用の説明があります。また、アルツハイマー型認知症の原因が、アミロイドβ(ベータ―)やタウというたんぱく質と書いてあります。

 後半で、読書を趣味にするお話が書いてあります。
 老いの準備(死を迎える準備)、宗教的なこと、死をじょうずに受け入れることなどが書いてあります。そして、老衰のためお亡くなりになっています。

 最後は編集者の方の解説です。

(2回目の本読み)
『はじめに』
 記述にある有吉佐和子小説作品『恍惚の人(こうこつのひと) 新潮社』は読んだことがあります。映画も見ました。たいへんなのです。ようやく亡くなったと思った当時で言えばボケ、あるいは、痴ほう老人が映画では、息を吹き返すラストなのです。
 1974年(昭和49年)公表のお話です。まわりの人たちがぐったりして終わるのです。
 小説の方は、最後は静かな時が訪れます。以下は小説を読んだときの自分の感想メモの一部です。
 『夫の父のめんどうをみるお嫁さんの苦労と自分や夫も認知症になるのではないかという不安と怖れ。厳格でわがままだった夫の父が幼児へと回帰する。自分のこどもたちの顔と名前を忘れる。さらに話は進み近所の高齢者女性から恋愛攻勢を受け始めたところまできました。老いたというのに妖艶なしぐさの女性。さて、人はどのように老いていくべきなのかを考えるのです。 後半部分はまるで別のお話のようです。最後には静かな平和が訪れます。「老いる」ということについて考えさせられました。』

 こちらの長谷川さんの本では、認知症の医療や介護にかかわってきた自分自身が認知症になりましたと書かれています。
 2017年(平成29年)88歳のときに公表されています。(この部分の文章は、2020年(令和2年)になるころに書かれています。著者は、2021年(令和3年)に老衰により92歳で亡くなられています)
 長谷川さんの予測では、2025年(令和7年)に認知症患者の割合は5人にひとりだそうです。高確率です。自分は当たらないという保証はありません。
 
 ご自分の認知症を分析しておられます。
 波がある。朝はしっかりはっきりしている。調子がいい。だんだん疲れてきて、夕方になると頭の中が混乱する。

『第1章 認知症になったボク』
 2016年(平成28年)からおかしくなった。目的地にたどり着かない。今日が何月何日かわからない、今日の予定もわからない……
 
 文章中に小さいゴシック体で書かれている部分はご本人の言葉ではないのでしょう。説明、解説文章が付記されています。
 1963年(昭和38年)のとき100歳以上は日本で153人だった。2019年(令和元年)では、7万1274人(うち女性が6万2810人)とあります。とても増えました。
 
 高齢になればだれでも認知症になる。100歳を過ぎるとほとんどの人がなるし、今元気でも歳を重ねれば必ず認知症になるそうです。

 認知症になった人の言葉として、『なぜ自分なのか(自分はならないと思いこんでおられた)』(なったものはしかたがないと考える)というアドバイスがあります)

 『ボクは若いころから、精神的に落ち込んで、悲観的になることが時折ありました。』(意外です)

 ご本人の病気は、『アルツハイマー型認知症』ではなく、『しぎんかりゅうせいにんちしょう「嗜銀顆粒性認知症』という病名だそうです。
 
 著者の言葉として、『少なくとも、認知症であることをさげすんだり、恥ずかしいと思わせてしまったりする社会であってほしくはありません。』とあります。ごもっともです。

『第2章 認知症とは何か』
 この部分は、著者が認知症になる前に発表されたことも加えて書かれています。ゆえに、しっかりした学問の文章です。
 この認知症の定義の部分を読んで、認知症の分析とか、考察は、けっこうむずかしいと感じました。『成年期以降に、記憶や言語、知覚、思考などに関する脳の機能の低下が起こり、日常生活に支障をきたすようになった状態』とあります。
 脳の神経細胞が、外傷、感染症、血管障害などさまざまな原因で障害を受けたときに起きる。
 脳の神経細胞同士のつながりがなくなり、働かなくなる。(機能しなくなる)

 「朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、出かける準備をして、後片付けをして、掃除や洗濯をして……」が、できなくなる。手順がわからなくなるのでしょう。

 読んでいて、思うのは、家族がいない人が認知症になったら、どうなるのかということです。ちょっと恐ろしい。(おそろしい)
 病気になった本人に自覚がありません。

 アルツハイマー型認知症:アロイス・アルツハイマー(1864年-1915年)ドイツ精神科医が最初に症例を報告した。
 脳を解剖した。萎縮、細胞の脱落、シミ状の斑点、繊維のもつれが見つかった。アミロイドβ(ベーター)というたんぱく質が沈着していた。

 記憶障害:もの忘れ
 見当識障害:時間や場所がわからなくなる。

 重度になると、自力での食事、着替え、意思疎通ができなくなる。
 座ることができなくなり、寝たきり、意識低下、昏睡状態、死という経過をたどっていく。

 48ページに図と解説があります。
 67.6%が、アルツハイマー型認知症です。19.5%が脳血管性認知症です。4.3%がレビー小体型認知症です。ほかに前頭側頭方認知症とかアルコール性などがあります。
 
 幻視について書いてあります。熊太郎も脳の具合が悪くなった時に幻視をたくさん見ました。そのときに、これは記録に残しておいた方がいいと思って、見えたものを記録したメモが残っています。その記録からピックアップしてみると、次のようなものが見えました。

『 最初に、視界に入って来たのは、「1→2→3→4→〈ちなみに矢印→は見えない〉」と続く数字の世界だ。次に視界に入って来たのは、「A→B→C→D→」と順番に続くアルファベットの世界」だ。〈念のためアルファベットについても、矢印は見えていないと付記する〉
 わたしはベッドで仰向けになって、天井や壁に映し出される数字とアルファベットという記号の世界を見ている。目を閉じてもその世界は目の前から消えてくれない。
 わたしは長時間、そういう言葉のない世界をさまよう。深夜の暗い病室で、ベッドの上で、じっと目を閉じてまぶたの裏側で展開される数値とアルファベットの動きを見ている。
 閉じたまぶたの裏側で数字とアルファベットが回転していく。ぐるぐるぐると、1・2・3・4、A・B・C・Dと変わってゆく。

 次から次へと、単語が目の前の空間に浮かぶ。問題が提示されて解答が示されるパターンだ。
 3Dというのだろうか、縦、横、奥行きのある立体図で問題や課題が流れ出てくる。矢印やその幅で、課題の解決困難さの分量や難易度が表示される。
 図形は、分離されたり、合体されたりして、解答という立体図形に形を変えボールのように返ってくる。返ってきたら、課題の解決策提示は、そこで終わりだ。』

『 午前3時だ。薄暗い病室のベッドに寝ていると天井、そして、ベッドの左側の壁、右側の閉じたカーテンに、あるものが現れた。
 それらは左方向から出てきた。もともと、天井と壁とカーテンには何も書かれていない。白い天井と壁である。ベージュ色をしたカーテンである。ベッドを回りこむ形式で設置された遮断の役割をもったカーテンだ。
 念のために手を伸ばして壁にある電灯のスイッチを押して病室を明るくもしてみたが、天井にも壁にもカーテンにも何も書かれていない。白い壁、ベージュのカーテン、ただ一色のものだ。
 左方向から視界に入って来たのは、「横書き漢字の群れ」である。それも、リズムにのって右へ出たかと思うと左へ引っ込んでしまう。出たり引っ込んだりしながら、漢字の群れがわたしのご機嫌を伺う。
 漢字のひと文字は、大きかったり、小さかったりする。さらに、ひらべったかったり、角が丸まっていたり、角張っていたりする。文字の字体とか、大小は「ポイント」と呼ぶのだろう。
 目の前に現れたのは、見たこともない漢字ばかりだ。自分の脳のデータにこのような情報が入っているのかと驚愕する。
 遠慮がちに、出ようか、出まいかしていた漢字群が、いっきに激しく動き出した。左から右方向に向けて踊るように上下左右に動き、体を揺らしながら右方向へ川の流れのように流れ出した。力強く勇壮な流れだ。圧倒される。
 長い時間、漢字群は目前から消えてくれなかった。ようやくシーンの転換時期は訪れた。次は、青白映画〈白黒映画ではなく青白映画〉映像は、ヨーロッパ映画の世界だ。』

 異常な体験の時間帯が長引いている。これまでの漢字字体オンパレードに代わって登場したのは、無数のムービースクリーンだ。それらは美しい。キラキラと耀いている。同時に寒気に襲われる。どのような風景、光景が映し出されたとしても、氷の冷たさが体にしっかり伝わってくる。
 〈わたしは、やっぱり、このまま死んでしまうのかもしれない。お迎えが近そうだ〉
 横長スクリーンの量は半端な数ではない。大きいものから小さなものまで、なかには、巨大なスクリーンも出てきて、次々と現れては消えていく。まるで、打ち上げ花火のようだ。
 映し出されるのは、実際には見た体験のないヨーロッパの北の海だ。実際に見たことはないが、昔観たドイツ映画のシーンと同じだ。青緑色をした力のこもった大波が砂浜でできた岸に向かって寄せては返していく。波にもまれているのは大木の樹木だ。砂浜に立って、左手を振り返ると、砂浜や海岸線を横切る防風樹林帯が見えた。
 大空から地上を見下ろす空撮は、昔、国内開催二度目の万博会場にあったパビリオンで見た中欧の街並み風景に似ている。(愛知万博です)
 映画のスクリーン群は、さきほど見えた漢字文字とは異なる動きをしている。漢字文字は、左から右へと小川のように、ときには大河のように流れ続けていた。対して青白ムービーは、浮かんでは消えていく。点滅するような動きで、無数の風景が転換し続ける。
 特徴は、人物映像がひとりも出ないことだ。建物群の風景ばかりが続く。人間がいないということは、人類が絶滅したということだろう。まさか、人口(じんこう。人数)の全員が家を留守にしているわけではあるまい。主(ぬし)の居ない、からっぽの家ばかりが並んでいる。
    *
 次に姿を見せたのは、ニワトリのヒナであるところの「ひよこくん」だ。さきほどまで、視界に広がっていたスクリーン群が消えると、天井に黒いふたつの穴が見えた。
 あとで知ったことだが、それは穴ではなく、突き出たスポットライト〈ごく小さな電球〉部分であった。しかし、わたしには、照明器具には見えなかった。ニワトリのヒナであるひよこくんに見えた。
 まず、その丸い形がひよこの左片方の羽に見える。その羽に足が出て、首が伸びて、顔がついた。いわゆる幻視である。ひよこくんは動き出す。それも1羽ではない。スポットライトは2個並んでいたから2羽のひよこくんがふたごのように並んで、同一方向へ行ったり戻ったりする動きを始める。〈可愛い(かわいい)〉ファンタジーだ。心がほかほかになる。
 天井には照明のほか、よくわからないが、なにかをひっかけるフック〈鉤かぎ〉とか、細かな水滴が出るスプリンクラーの吹き出し口とか、今はもう忘れてしまったけれど、なんやかんやの物体が設置されていた。
 今やそれらすべてに羽が生え、足が出て、ひよこくんとなり、天井や壁をところ狭しと動き出した。
 ダンスのパフォーマンスだ。バックにミュージックという幻聴まで聴こえだす。楽しい。とっても楽しい。たぶん人間が死ぬ瞬間に体験するであろうタイミングのちょびっと前の光景をわたしは今、観ている。
 死ぬ気はないけれど、テーマパークのアトラクションのようなこの風景は、まだずっと、ながめていたい。
      *
 図形でものごとを考える。ひよこくんたちの世界が終わると、今度は図形の世界が訪れた。
 矢印〈↑・↓・←・→)は、目標を指している。その太さと面積は〈⇒〉という形で、形状によって、「思い」の「量」を表している。視界にあるのは矢印、そして、矢印のうしろにくっついてつづく四角〈□〉い面だけだ。言葉や単語の類〈たぐい〉はない。頭の中で、理論展開をするときに文字はいらない。
 展開するのは、ものごとの考え方だ。図は、大小さまざま、色は複数、事柄を図に変換して、イメージでとらえて結論を導き出す。
 わたしの脳血管障害による脳内の出血状態は、頭蓋骨に穴を開けたあとの手術後、脳の中をめまぐるしく働かせていた。
 その分、首から下は死んでいるも同然だ。体中の血液のほとんどが、脳みそに集中している。
 今このときこの脳みそは充実の時を迎えた。天才の頭脳というのは、このようになっているのではないか。天才というのは、何でも一度見ただけで写真撮影したあとのように正確な記憶が脳の一部分に残される。そして、記憶は正しくスピーディに復活する。
 物事を考える時に、余計なもの〈感情、気持ち〉を最初からどかして、考えることができる。
 「美」の形成に向けて、音や、色や、形をつくることができる。歴史を飾ってきた偉人たち、天才たちの脳はきっとそのようにできあがっている。
 その能力と引き換えに、奇異な行動や偏った言動が残る。あるいは現れる。
 脳を科学する。そんなフレーズがある。今のわたしは、自らの脳を科学している。
     *
 時間は流れた。ついに、ここまでたどり着いてしまった。それは、「霊感」である。怖くはない。
 感じる。夜の病室に、いや、昼間でも。病室にだれかがいる。しかし、そのだれかの姿は見えない。
 感じる。この病室で、病気とケガで亡くなった人が、天国へ行けずに、思いをこの世に残したまま、まだこの部屋の中にいる。
 あそこと、むこうと、すぐそこにいる気配がある。黒い影のような気配があるが、実際はなにも見えない。怖くはない。事実としてとらえる。無の中の在り〈あり〉だ。
 姿は見えないが、音が聞こえる。ページをめくる音だ。週刊誌のページをめくっている。もうひとりは、新聞紙のページをめくっている。めくる音ははっきり聞こえる。しかし、その方向に人の姿はない。
 これは、暗い夜だけではない。明るい昼間でも起こる現象だ。音が聞こえる。姿は見えない。試しに付き添いに来ていた家族に聞いてみた。
 「聞こえるでしょ?」
 「聞こえる」という家族の返事だ。聞こえる方向は、カーテンで仕切られただれもいないベッドだけの空間である。ページをめくっている人物の姿が見えるか見えないかは聞かない。怖がらせたくない。家族は、そこに患者がいると思っている。だけど、本当はだれもいない。
 これが、今、わたしがいる世界だ。風が吹いている。風の吹く音が聞こえる。
 死ぬときの状態として、三途の川(さんずのかわ)の二、三歩手前にいる。だけど、わたしは、手術後だから、命は助かっているはず。「死ぬ」という到着点はあり得ない。だから、安心していい。何度もそう自分に言い聞かせている。
 術後でも、死ぬ患者がいるということに気づいたのは、ずいぶんあとのことだった。

*ずいぶん長い記述です。もう何年も前のことですが、一時期自分はすごい世界にいたのだと改めて驚きました。

 52ページ、こちらの長谷川さんの本では、わかりやすい文章が続きます。
 54ページに、認知症の要因となる病名がたくさん書いてあります。熊太郎が、り患した病名もあります。り患:病気にかかること。
 62ページに強調されたポイントがあります。『認知症の予防は、「一生ならない」ことよりも、いかに「なる時期を遅らせられるか」が重要になります。』(認知症になることを止めることはできないと理解しました)

『第3章 認知症になってわかったこと』
 (認知症になった長谷川さんご自身について)意識が混乱する状態に波があると説明されています。
 朝起きてから午後1時ぐらいまではだいじょうぶ。そのあと、頭がおかしくなるそうです。自分が今どこにいるのか、今何をしているのかがわからなくなるそうです。
 
 認知症患者のご希望として、(自分を)あちら側の人として、おいてきぼりにしないでほしい。
 認知症患者に、わからないだろうということで、平気でひどいことを言う人がいるが、ちゃんと聞こえているし、言われた言葉を理解もできている。
 『こうしましょう』ではなく、『今日は何をなさりたいですか?』と話しかけられたい。あわせて、『きょうは、なにをなさりたくないですか?』ともたずねてほしい。

 なにをするにしても時間がかかるから、『待つ』とか『聴く(きく)』という姿勢で対応してほしい。

 認知症になっても、心の動きは変わらない。嫌なことを言われれば傷つくし、ほめてもらえば嬉しい(うれしい)。

 『笑い』が大切。

 パーソン・センタード・ケア:たとえば、倒れているこどもをかかえて起こすのではなくて、自分もいっしょに倒れた姿勢になって、こどもに、「起きようね」と声をかけて、ふたりで起き上がることとあります。

 認知症の人を部屋に閉じ込めない。薬を飲ませておとなしくさせないことが原則という趣旨の記述があります。

 著者は二泊三日の老人ホームのショートスティを利用されています。本当は、行きたくないけれど、介護をしてくれる奥さんを休ませたいから行くと、その理由を記述されています。家にいると生活臭があるのがいい。電話が鳴ったり、宅急便が来たり、近所の人の声が聞こえたり、そういったことで気持ちが安定するそうです。

 認知症の人にウソを言わないでほしい。だまさないでほしいとあります。
 普通に接してほしい。

『第4章 「長谷川式スケール」開発秘話』
 『長谷川式簡易知能評価スケール』の誕生話です。
 1974年(昭和49年)公表、1991年(平成3年)に改訂版発表です。
 最初の公表時にあった質問として、『日本の総理大臣の名前』『大東亜戦争(第二次世界大戦)の終戦年』『1年間の日数』があったことは知りませんでした。
 1 『記憶』を調べる。 2 『見当識(時間と場所)』を調べる。 3 『計算力と注意力』を調べる。 4 『記銘力(きめいりょく。記憶の第一段階。学習したことを覚えこむ)』 5 言葉がスラスラと出てくるかを調べる。
 
 読んでいて視力検査と似ているなと感じました。見えているものは、見えているし、見えていないものは見えていない。あいまいさの排除です。
 著者の恩師として、『新福尚武先生(しんふく・なおたけせんせい)』慈恵医大教授。精神病理学、老年精神医学の大家(たいか。その分野で特に優れた人)
 著者は、1956年(昭和31年)にアメリカ合衆国ワシントンへ留学されていますが、船旅、鉄道旅です。ハワイ経由でアメリカ合衆国西海岸サンフランシスコまで2週間かかっています。そこから東海岸にあるワシントンまで鉄道です。1ドルが360円だったとあります。現在は147円ぐらいです。
 言葉(英語)が通じないし、わからなくて、困ったとあります。なんとか克服されています。

『第5章 認知症の歴史』
 たくさんの調査をしたことが書いてあります。
 1973年春(昭和48年)からの調査で、認知症の人たちが、納屋に閉じ込められています。寝たきりの人の横には、おにぎりが置かれていたりもします。認知症の人は、「役立たず」「家の恥」扱いです。
 認知症の人の意見を聴く耳はありません。閉じ込められたら、だれでも、出してくれーーと大声をあげてあばれるでしょう。

 ようやく、「アルツハイマー」という言葉が世に出てきます。

 2000年に介護保険制度がスタートします。
 
 痴ほうは、「あほう」「ばか」という相手を見下しばかにする言葉です。痴ほうに変わる言葉として「認知症」が適切と検討会で報告が出た。

 蓋然性(がいぜんせい):確実性の度合い。確からしさ。

『第6章 社会は、医療は何ができるか』
 認知症になった人がしてはいけないこととして、『クルマの運転』が提示されています。当然です。被害者は、やられ損になってしまいます。被害者になって命まで奪われても、運転をしていた加害者である認知症の人は、お詫びの態度もないようすだったりもします。
 高齢者ドライバーの運転はやめたほうがいいとか、安全に自動的に停止できる車を使用するなどのアドバイス本としてさきほど紹介した本があります。『高齢ドライバーの意識革命 安全ゆとり運転で事故防止 松浦常夫 福村出版』
 『補償運転』この言葉がキーワード(鍵を握る単語)でした。単純にいうと「ゆとりある運転」のことです。言い換えて『安全ゆとり運転』を強調されていました。加齢による運転技能の衰えを保障するための運転をするのです。
 
 長谷川さんの本にも、松浦さんの本にも、運転免許の返納について書いてあります。長谷川さんは車の運転が好きでしたが、80歳になったころ、小さな接触事故をするようになったことがきっかけになって運転免許証を返納されています。

 認知症に関する絵本づくりのことが書いてあります。
 先日読みました。『だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― さく・長谷川和夫 え・池田げんえい ぱーそん書房』心優しい内容でした。
 秘訣(ひけつ。コツ)が書いてありました。おばあちゃんが、まわりにいる家族のことをわからなくなってもいいのです。まわりにいる人たちが、あなたは、わたしたちの家族で、おばちゃんだから安心してくださいとおばあちゃんに言えばいいのです。わたしたちがわかっているから、おばあちゃんは、わからなくてもだいじょうぶなのです。おばあちゃんは、自分のまわりにいる人がだれなのかを知らなくていいのです。

 認知症になられた長谷川さんご本人の認知症の状態のことが書いてあります。
 自宅近くの幹線道路を渡っているときに道のまんなかあたりで転倒してしまった。通りかかった車の人に助けてもらった。近所の人にも世話になった。地面に顔を打ち付けて、血だらけになっていたとのことです。けっこうひどい状態だったそうです。近所付き合いがあったので、近所の人たちに助けてもらえたと感謝されています。

 認知症の治療についての苦悩が書かれています。認知症を治せないのです。
 完治する薬はないのです。医療の無力さで悩まれています。なにせ、ご自身の認知症も治せない自分自身が認知症担当の医師なのです。
 薬のことが書いてあります。アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症患者に使う『アリセプト』について、症状の進行を抑制するだけとあります。
 熊太郎は株式投資をしているのでわかるのですが、今年話題になったアルツハイマー型認知症の薬でエーザイの『レカネマブ』も同様です。
 脳みその中にできてしまう『アミロイドβ(ベーター)』とか『タウ』と呼ばれる特定のたんぱく質が神経細胞を殺しているそうです。
 
 本を読んでいると、長谷川さんの熱意が伝わってきます。
 後輩医師に対して、厳しい面もあるお人柄だったようですが、周りの医療従事者(看護師)の思い出話を読むと誠実なお人だったことがよくわかります。患者は権威ある医師の指示には弱いのです。看護師の指示には従わなくても主治医の言うことはきくという人間的な話が書いてあります。
 担当する入院患者全員に朝のあいさつをされていたそうです。信頼関係を築くためでしょう。

『第7章 日本人に伝えたい遺言』
 ご自身の認知症の状態を説明されています。
 日にちがわからない。午前中はいいけれど、午後からは疲れてもやもや状態になる。
 買い物をしてお金を払ったのに、払ったことを忘れてしまう。情けなくもどかしい。
 朝食と床屋が好き。映画と読書が好き。ほかに、音楽がお好きだそうです。
 宗教に頼ることが書いてあります。長谷川さんはキリスト教徒です。
 
 意識不明になっているように見える人の意識のことが書いてあります。
 意識はあるのです。
 熊太郎が二十代のときに内臓の病気になって入院した時、全身がだるくて、背中に2トンぐらいの岩がのっかっているような気分になったことがあります。朝、意識はあるのですが、家でも病院でも寝床の中で身動きができません。寝返りも打てず、まぶたを開けることもできません。でも、意識はあるのです。まわりで話をしている人の声は聞こえます。でも、声を出すことができません。そんな状態から40分ぐらいたつとようやく体を動かせました。そんな体験をしたことがあります。ゆえに、病人が動けない状態のときでも、まわりでしゃべっている人の声は本人に聞こえているので、けして、本人の悪口などは言わないほうがいいです。
 こちらの本にも似たようなことが書いてあります。

 生かされている状態だけになったら延命治療はしないでほしいとあります。(同感です)

 認知症だから本人はなんにもわからないというのは誤解ですとあります。わかっているけれど対応ができないのです。

 健康のためとして、食事を三食きちんと食べること。あまり脂っこいものやコレステロールの高いものはとらないこととあります。

 宗教が心の支えになるとあります。長谷川さんは、第二次世界大戦のときに東京大空襲を体験されて、さらに沼津大空襲を体験されて、心のよりどころがほしいと思って洗礼を受けられたそうです。
 熊太郎が自分なりに考えると、『神さま』というものは、自分自身の胸の中(心の中)にあって、自分で自分を信じて考えて、次の進路を選択して、うまくいくこともあるし、うまくいかないこともあるしで、毎日を過ごしていけたらいいと思っています。自分自身が『神』だからだいじょうぶだと自信をもてばいいと思っています。それで、だめなときは、あきらめるだけです。すべてがうまくいく人生なんてないのです。

 死ぬことは怖いことだから、認知症になることによって、死の恐怖心を和らげてくれている(やわらげている)という考えをお持ちだそうです。(なるほど)

 今年読んで良かった一冊でした。

 本は、『二〇一九年十月に記す』で終わっています。  

Posted by 熊太郎 at 07:44Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年11月29日

さみしい夜にはペンを持て 古賀史健

さみしい夜にはペンを持て 古賀史健(こが・ふみたけ) 絵・ならの ポプラ社

 売れている本だそうです。読んでみます。

 31ページまで読んでみました。
 中学校の教室の中の世界です。海の生き物に擬人化してあります。
タコジロー:主人公男子。中学三年生。時期としては、卒業まであと半年ぐらい。タコジロー少年は気弱です。地味。帰宅部。 いじめっ子の策略による投票で、体育祭での宣誓役を押し付けられて悩んでいます。緊張すると顔が真っ赤になるからタコジローです。ゆでダコジローとからかわれる。
ヤドカリのおじさん:白い殻(から)のヤドカリです。タコジロー少年のアドバイザー(助言者)役でしょう。タコジローと師弟関係になりそうです。10日間の出来事でタコジロー少年は救われたとあります。『永遠みたいなひとりの夜をどうすごせばいいのか』をヤドカリおじさんが教えてくれた。『さみしい夜にはペンをもて』です。
 以下、クラスメートとして
ウツボリとアナゴウ:タコジローと同じく帰宅部。冴えない(さえない)
トビオ:元気な少年
イカリ:サッカー部元キャプテン。イカリとタコジロー少年は、小学生のときは仲が良かったが、中学生になってからふたりに距離感ができた。(ふたりが卒業したあと、小学校は廃校になった)
カニエ先生:担任教師
フグイ:ソフトボール部。女子
アジキリ:駅伝部。学級委員
キンメダイのおばあさん
クラゲ
サヨリ先生:保健の先生

 目次に目を通しました。
 自分だけのダンジョン:ダンジョンは、『地下牢(ちかろう)』(あとでわかりましたが、ロールプレイングゲームRPGの世界のことを示しています。冒険の場所です)
 出来事ではなく「考えたこと」を書く。
 どんな文章にも、読者がいる。
 手紙のようにメモを書く。
 どうすれば日記から愚痴(ぐち)や悪口が消えるのか。
 どうして日記は長続きしないんだろう?

 タレントのさかなクンの本みたいです。
 絵があります。「うみのなか中学校」「シロサンゴの森」「うみのなか市民公園」「病院」「イソギンチャクの草原」「アカサンゴの森」(これもまた、読み終えて理解しましたが、うみのなか中学校は、海の中にあるのです)

 孤独な出だしです。
 『うみのなか中学校に、タコはぼくひとりしかいない……』(ひとりぼっちなのか)
 シーチューブ:ユーチューブのことか。
 中学校には、弱い者いじめがありそうです。
 海の中の世界ですが、路線バスに乗って中学校に行きます。(私立中学校なのだろうか。通常は徒歩圏内に中学校があります)
 タコジロー少年は学校をずる休みです。登校拒否児になりそうです。
 うみのなか市民公園で、タコジローは、ヤドカリのおじさんと出会って、ヤドカリのおじさんの世界へと導かれる。クラゲはヤドカリおじさんの仲間です。
 シェルフォン:スマートフォンのことでしょう。
 キーワードとして、『……タコジローくんの部屋だって、ほんとはこれくらい広いはずだよ(ヤドカリおじさんの部屋はとても広い)』

『1章 「思う」と「考える」はなにが違う?』
 空想をめぐらせながら読む読書になりました。
 ヤドカリおじさんの殻の(からの)中は、無限に広い空間が広がっているようです。
 そこは、『頭の中』だそうです。なんとなくわかるような気がします。頭の中は無限です。それなのに人間は狭い領域で暮らそうとします。お金を稼いで生活しなければならないからでしょう。
 ヤドカリおじさんから助言があります。『ことばにすることのよろこび』だそうです。それから、『自分に相談する』『ぼくたちは「消しゴム」を持っている(書いては消しを繰り返すことができる)』

 コトバクラゲというのが出てきます。
 コトバクラゲは、コトバミマン(言葉にならない思い)の泡を集めて『ことば』に変えて、出口へ運ぶそうな。出口は、人間でいうところの『口(くち)』です。
 
 哲学書のようです。人はどうあるべきか。どう生きるかです。

『2章 自分だけのダンジョンを冒険するために』
 中学生向けのメッセージ文章です。
 『ダンジョン(地下牢)』の表現がピンときません。わかりにくい。(どうも、ゲームの設定のようです。調べたらRPGゲームソフトというものを見つけました。ロールプレイングゲームです。ダンジョンは、「冒険が行われる場所」とありました)
 パターンとしては、昔読んだことがある『夢をかなえるゾウ』を思い出します。
『夢をかなえるゾウ 水野敬也(みずのけいや) 飛鳥新社』
 登場人物は「僕(なまえはない)」と「ガネーシャ(象の姿かたちをしたインド出身の関西弁の神様」だけです。途中、富士急ハイランドで釈迦が登場しますが彼の出番は長時間ではありません。
 ふたりの関係は、「ドラエもん」のドラエもんとのび太、「ヒカルの碁」のヒカルと佐為(さい)のようです。先生役であるガネーシャはいささかいいかげんです。たばこは吸うわ、くいしんぼうのメタボで、うそつきです。とても神様とは思えません。ときにふたりのやりとりは夫婦げんかのようでした。
 こちらの本『さみしい夜にはペンを持て』では、ヤドカリおじさんが、ガネーシャのポジションを果たしそうです。

 日記を毎日書く。
 出来事ではなく「考えたこと」を書く。(熊太郎は中学生のころからの習慣で日記を書きますが、いまどきは、いつどこでなにがあったかの記録を箇条書きするだけです。考えたことを書くのは、青春期にありました。もう今は老齢期で、考えることは少なくなりました)
 
 学生だった頃、提出する文章を書く時は、ウソを書いていた。(ありがちです)
 ほめてもらうことが目的だった。
 おとなの顔色をうかがって、おとなに好まれる文章を書いていた。
 『へんなこと』は書いちゃいけないと思っていた。
 その気持ちが、『考えること』を奪っていた。(真実を指摘してあります)
 自分の気持ちと書いたことに距離感があった。(ウソを書いていた)

 よくある書き方の手法として、『おもしろかった』が提示してあります。中身がない表現です。
 例示として、太宰治作品『走れメロス』をもじって、『泳げメロス』という作品が出てきます。
 
 話は進んで、『言葉の暴力』に関する説明があります。
 言葉は、相手の気持ちを傷つけることができる。
 『面倒くさい』から、口論をする。大声で怒鳴った者が勝ったりする。(コスパがいい。手間を省ける。効率的。費用対効果)
 基本は、ていねいに論理的に説明する。
 
 『さみしさ』について考える。
 こどものさみしさとおとなのさみしさは違う。
 こどものさみしさは、そばにだれもいないさみしさである。
 おとなのさみしさは、そばにたくさん人がいても、自分はひとりだというさみしさだ。ときには、ひとりきりになりたいという欲望も生まれる。心が疲れているからひとりになりたい。自分のまわりに人がいると、自分が自分ではない自分のような者を演じていて疲れると読みとれます。
 
 『書くことでひとりになる』
 『ダンジョン(地下牢)=自分』
 『最大の謎は「自分」』
 たとえがダンジョンです。わかりやすそうで、わかりにくいダンジョンです。
 自分で自分を好きになる。ありのままの自分を好きになる。「アナと雪の女王」みたいな気持ちだろうか。

 『話せばスッキリする』続けて、『書けばスッキリする』という展開だろうか。
 
『3章 きみの日記にも読者がいる』
 読者というのは、最低限のこととして、『自分自身』です。もっと説明を加えると、『未来の自分』です。納得します。なるほど。

 登場人物の『ぼく』は、中学校でいじめられている。『タコ』と呼ばれている。学校に行きたくないと思っている。ひきこもりになりそうとあります。タコジロー少年です。

 白い殻のヤドカリおじさんは、今度は、ピンクの殻で再登場します。
 登校拒否気味のタコジロー少年を、『シロサンゴの森』に誘います。
 
 日記を書く。
 『文章ってね、書こうとすると書けなくなっちゃうんだよ』
 文章の書き方の教えがあります。スケッチするように文章を書く。『あの時の気持ち』を書く。
 (このあたりは、技術的な話で、最初はそうであっても、慣れてくると『いまの気持ち』を書けるようになると考えました)
 思うに、文章というのは、スポーツ系の運動と同じで、だれしもが書けるわけではない。生まれもった能力、才能ということはあります。

 書きながら自問自答する。
 これはこうだと決めつけない。
 いつだって、バックできる。
 変更はいつだってできる。

 どこのだれだかわからない人のアドバイスはあてにならない。

 自分で考える習慣を身に着けるために、『書く習慣』を身に着ける。

 『言い負かす=勝つこと』というやり方はしないほうがいい。
 同じようなことが、先日読んだ本にも書いてありました。
 『恐れのない組織 エイミー・C・エドモンドソン 野津智子・訳 村瀬俊朗・解説 英治出版に 『人間は衝突すると、つい競いたくなる。議論に「勝とう」としてはいけない(自分の間違いに気づける人間になる)』とありました。

 『人と人とをつないでいるロープの姿は、「言葉」である』

 タコジロー少年は、10日間、日記を書き続けることにしました。
 
 次につながる出来事として、『だれかが、タコジロー少年とヤドカリおじさんの姿を盗撮しました』

 タコジロー少年が3日ぶりに中学校に行く。(少年は、体育祭で、選手宣誓をやりたくない。いじめの結果、選手宣誓を押し付けられた。そんなことが中学校に行きたくない理由です)

 イカリがけがをして入院した。タコジロー少年は病院へ見舞に行った。
 イカリが、トビオが、たこ少年をからかう理由を話す。
 トビオには、プレッシャーがある。自分はおもしろいことを言わなきゃいけない立場にあるというプレッシャー(圧力、緊張感、義務感)をもっている。

『4章 冒険の剣と、冒険の地図』
 アカサンゴの森へ行く。(イソギンチャクがたくさんです)
 
 『書くことが楽しくなる方法=キーワードは、「表現力」』
 ボキャブラリー:たくさんの言葉を知って使いこなす。
 『スローモーションの文章』と『早送りの文章』
 
 夏目漱石作品『吾輩は猫である』にひっかけて、『吾輩はウニである』という文章があります。

 『すり抜けていく感情をキャッチする網が、言葉』

 『ノートの目的は、「写す」ことではなく、自分の考えを書くこと』

 読みながら自分が思ったこととして、『過去のことについて、自分が覚えていることでも、ほかの人は覚えていないことがある。「関心」というものは、人によって異なる』

 『スイムダンク』は、マンガ『スラムダンク』にひっかけてあるのでしょう。

 ダンジョンを冒険する話です。
 ひきこもりの状態にあるこどもを励ます本ですが、ダンジョンでの楽しみを知ると、さらに引きこもり状態が続いてしまうような感じもします。

 『タコっち』イカリが、タコジロー少年をそう呼びました。なにか意味があります。(小学生時代のあだなだそうです)

 クラスの進行方向は、リーダーが決めているのではなくて、ナンバー2の人物が決めているのではないかと分析がとあります。

『5章 ぼくたちが書く、ほんとうの理由』
 知っていても言えないことがある。
 
 世の中は、誤解と錯覚で成り立っている。そんなお話です。
 先日観た邦画『勝手にふるえてろ 邦画 2018年(平成30年) 動画配信サービス』では、主人公の若い女性が10年間ぐらい片思いを続けている同級生だった男性に近づいていい感じになったのですが、その男性が主人公の女性をいつも『君(きみ)』と呼ぶのです。女性が、『イチは(彼氏の名前)、人をきみと呼ぶ人なんだね』と声をかけるとその男性が、『キミはなんていう名前なの?』と聞き返してきたのです。主人公の女性は、『キミはだれ?』とたたみかけるように質問されたのです。主人公女性の気持ちは大きく落ち込みます。彼女は相手の異性から、なんとも思われていない存在だったのです。
 こちらが強く相手を愛しているからといって、相手もこちらを愛してくれているわけではないのです。きちんと言葉をかわして確認しないと、相手の脳みそのなかにある世界はわからないのです。

 『タコでもいい部分もある』(なんというか、物事というものは、たいてい二面性があります。いいこともあれば、そうでないこともあります)
 日記(小説)を書くことで、悩み事を克服するコツを教えてくれるアドバイス本です。

 『読書感想文も作文も、嘘が書いてある。人目を気にするから嘘を書く』だから、本音(ほんね)を日記に書く。自分だけしか読まない日記を書く。そうすると、日記の中にもうひとりの自分が誕生するという流れです。(なるほど)『ダンジョンを進んだ先に待っているラスボス(コンピューターゲームで最後に登場する相手)は、ドラゴンじゃなくて自分なんだ』(やっぱりロールプレイングゲームにたとえてあるのか)

『6章 「書くもの」だった日記が「読むもの」になる日』
 日記には、今の気持ちを書かない。過去のこととして記述する。今の気持ちを書くと、感情的になって、心が乱れるから。

 継続できる状態とは:自分が成長していることを実感できる状態があること。

 語り手は、『わかってもららおう』という意欲を持つ。聴き手は、『わかろう』という意識をもつ。それがないと、メッセージはなかなか伝わらない。それがないと、『わかったふり』の状態になる。
 『わからせてやろう』では、聴き手はそっぽを向く。(無視する)

 感情をぶちまけるだけの日記について解説が書いてあります。ふと、以前読んだ本に、そのような日記を書いていたタレントさんがいたことを思い出しました。
 『天才はあきらめた 山里亮太 朝日文庫』
 (そのときの感想メモの一部です)山里亮太さんの手元に『地獄ノート』というものがあります。呪い(のろい)のノートです。邦画『デスノート』を思い出します。他人に対するうらみつらみが延々と、粘着質に書かれています。復讐心を叩きつけるように書いてあります。

 最後のほうになってようやく、海の中での出来事だったのかと理解できました。それまでは、地上の話を聴く意識で読んでいました。ゆえに、ちょっとわかりにくかった。
 
 最後、タコジロー少年は、時が流れて、高校三年生になっています。
 学校でなにがあったかは、社会人になると、なんの関係もありません。
 本格的な人生が始まるのは、就職して働いて自分で稼ぐようになってからです。そこからが、はるかに長い。子育てなんかは、気が遠くなるほどの忍耐の積み重ねです。それでもたまに幸せだなあと思うときがあります。
 学校は狭くて窮屈(きゅうくつ)な世界です。人間社会は無限の広がりをもっています。若い人たちには、箱の中のロールプレイングゲームではなく、現実の社会で躍動するように冒険して活躍してほしい。社会には、自分が好きなところに住んで、自分が好きなことができる『自由』があります。(おとといから読み始めた本『しごとへの道 パン職人 新幹線運転士 研究者 鈴木のりたけ ブロンズ新社』の第一話で、パン職人になった女性が、いろいろな体験を経て、34歳になって千葉市内にて、個人営業のパン屋を営むようになったことが書いてあります。北海道の牧場に行ったり、ブラジルやフランスに行ったりして、修行をして、資格をとってと努力をしながら人生を楽しんでおられます。
 登校拒否やひきこもりで、家の中でじっとしていてもなにもかわりません。社会にはパワハラやセクハラなどのいじめをするようなイヤな人もいますが、心優しい、いい人もたくさんいます。ヤドカリのおじさんとか、同級生イカリくんのような善人もいます)  

Posted by 熊太郎 at 06:47Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年11月28日

東野&岡村の旅猿24 関西でオリックスを応援しようの旅

東野&岡村の旅猿24 関西でオリックスを応援しようの旅 TVer(ティーバー)とかhulu(フールー)とか。

 ゲストは、以前グリーンスタジアム神戸を訪れた旅で熱くオリックスファンであることを語っておられた「ますだおかだ」の岡田圭右さん(おかだ・けいすけさん)です。

 最初のシーンです。京セラドーム前から始まりました。
 プロ野球日本シリーズ第二戦の日です。番組のスタートはそこですが、野球観戦は、神戸グリーンスタジアムへ移動して、グラウンドにある大きな電光掲示板を見ながらの応援だそうです。旅猿メンバーの貸し切りだそうです。変ですが、京セラドームではロケをしにくいそうです。ごもっともです。
 京セラドームでオリックスの応援ができると楽しみにしていた岡村隆史さんは失望していますが、それもまたごもっともです。岡村さんは右足首のアキレス腱を切るケガをされていて、松葉づえ姿です。心配しましたが、ご本人はいたってお元気で、ケガを笑いのネタに変えておられました。神経質できれい好きな方なので、靴をはけず、靴下のまま外歩きをすることがとても苦痛だと訴えておられます。

 『京セラドーム』はまだできて間もない頃、名称が『大阪ドーム』でしたが、当時ソフトボール部に入っていた小学生の息子とふたりでドームツアーのような施設案内プランに参加したことがあります。
 スタンド下にあるダッグアウトで、ピッチングをさせてもらいました。バックネット裏のシートは豪華でした。
 もうお名前は忘れましたが、とても背が高いアメリカ人ピッチャーがスタンド席通路をジョギングしていて、『すいませ~ん』だったか『ごめんなさ~い』だったかの声をかけられました。グランドのふちっこ周囲を、当時近鉄でコーチをされていた真弓明信さんがジョギングされていました。
 映像にスタンド風景が出てきてなつかしい。とてもきれいで美しいスタジアムです。

 演者たちの気兼ねない発言の連続が楽しい。素に(すに)近い状態での芸能人の姿を映像で観ることができます。
 メンバーは、吉本の芸人さんたちが集まるという居酒屋に立ち寄りました。お店の店長さんのお話がとてもおもしろくて笑いました。芸能人の裏話です。『笑いは人を救う』と悟りました。(さとりました)。
 『肉吸い(にくすい)』という料理は初めて見ました。大阪名物だそうです。うどんの麺がないスープに見えました。おいしいと思います。肉の吸い物です。
 こちらのお店は、ライバル店の料理をテイクアウトで手に入れて、自分の店でつくって出す。なんでもありです。おもしろい。ああだこうだと、理屈のような言葉を並べて明るい雰囲気です。

(つづく)

 三人は、心斎橋角座(かどざ)というところを訪問します。松竹芸能所属タレントの劇場だそうです。
 にぎやかでなかなか良かった。自分は知らない芸人さんたちのこういう世界があるということが分かって良かった。同時代を生きる仲間のみなさんです。がんばってください。
 三人組の漫才で、チキチキジョニー(岩見正利、かみじょうたけし、石原祐美子)
 手品じょうずな、マジシャン、ビックリツカサ
 元ミヤ蝶美、蝶子のパピヨンズ
 コンビ9年目のW刑事(竹下ポップ、華井二等兵)
 太鼓叩き(たいこたたき)3年目のはっぴちゃん
 女子プロレスを披露する、いちご女子プロレス(カゲロウ、ぽっぽ)
 五木ひろしの物まねをする、横山ひろしさん
 旅猿メンバーの三人の目の前でライブをやれて、かみじょうたけしさんという方は感激して涙ぐんでおられました。

 そのあと訪れたのが、大阪城のそばにあるグランドのバックネットが見えるお堀のそばです。
 なんでも、大阪東リトルリーグに所属していた岡田圭右さんが小学生のときに、岸和田リトルリーグに所属していた中学一年生の清原和博選手(当時はピッチャー)と対戦した話があります。
 結果は一打席だけ対戦して、ストライク、ストライク、バント失敗のポップフライでアウトだったそうです。清原選手は当時から体が大きく、中学一年生でしたが高校生ぐらいの体格があったそうです。生まれもった才能、恐るべしです。(おそるべしです。たいしたものだ)

(つづく)

 最後の放送回を観ました。
 三人とも少年のようです。
 はしゃぎまわる少年です。家庭のにおいはしない。

 喫茶店で、バファラテというコーヒーをいただいて、ほっともっとフィールドのグラウンドで阪神対オリックスの日本シリーズ観戦です。
 バックスクリーンにテレビ映像が出るのかと思ったら、もちこみのテレビでした。三人も巨大画面を期待していた様子でした。
 グラウンドにはほかにだれもいません。静かです。
 グランド借用の制限時間がきたのか、三人は夕食会場へ移動しました。移動中の車の中で三人が応援するオリックスが勝利しました。途中電波が途切れたりしてゴタゴタ・グズグズがありました。
 まあ、どたばた騒ぎで終わりました。さきざき、オリックスの春のキャンプ(集団練習)を見に行きたいそうです。場所は宮崎だと思います。

 次回の旅猿放映は4度目のインド訪問だそうです。楽しみです。  

2023年11月27日

出川哲朗の充電バイクの旅 福島県白河小峰城→伊佐須美神社

出川哲朗の充電バイクの旅 福島県白河小峰城→伊佐須美神社(いさすみじんじゃ) TVer(ティーバー)

出川哲朗の充電させてもらえませんか? 絶景の福島をズズーっと128キロ!白河から“猪苗代湖(いなわしろこ)”を通って“縁結び”パワスポ神社へ!ですが今田耕司&松村沙友里が奔放すぎて哲朗タジタジ!ヤバイよヤバイよSP

 ディレクターの土方(ひじかた)さんは、昔のバス旅のえびすよしかずさんみたいなポジションで、ドジなタレントさんの役割を担っています。(になっています:引き受ける。担当する)
 ディレクターなのに、訪問地の説明はあやふやで、道案内は大事なところで間違えます。ゲストに対する忖度(そんたく:心配り)はいっさいなく、ジャンケンでは、必ずと言っていいほどゲストに勝って、自分は裏方なのに、いいポジションを手に入れます。(業界の裏方役としては珍しい個性です)そこが、おもしろい。
 今回もいつものように抜けていました。旅館の部屋割りで、ゲストの村松沙友里さんは、ジャンケンで土方さんに負けて、土方さんが三部屋あるうちの一番いい部屋を手に入れていました。

 出川さんが、『城は見るもの』と発言します。(同感です)
 されど、土方さんは出川さんの勧めに従いません。しばらくふたりはもめて、それでも城にのぼって、天守閣からの見晴らしは無くて、意味のない時間帯を撮影しました。

 ウルトラマンのマネをしてくれた男の子のウルトラマンの衣服がかっこいい。
 初代ウルトラマンの変身のしかた、ウルトラセブンの変身のしかた、とてもじょうずでした。
 熊じいさんが小学生のときに見たウルトラマンの動作を、いまどきのちびっこがしたので共感がありました。
 このあと、ウルトラマンミュージアムの紹介がありました。こちらは、ウルトラマンの生みの親である円谷英二さん(つぶらや・えいじさん)の出身地だそうです。

 『さゆりんご』をキャッチフレーズにがんばる村松沙友里さんでした。元乃木坂46だそうです。タレントさんだから、自分を売り込むために『さゆりんご』を連呼し続けるのだと理解しました。連呼された『さゆりんご』が耳に残りました。

 充電バイクで走る沿線風景では、収穫期を迎えた黄金色(こがねいろ)の稲田(いなだ)がきれいでした。

 駅伝部のこどもたちとの勝負が良かった。ゲストたち1周VSこどもたち2周は、さすがにゲストのハンデが良すぎました。ゲストの勝ちです。

 会津磐梯山(あいずばんだいさん)の映像が流れます。実物を観たことはありませんせんが、もう歳をとったので、映像で観るだけで満足できます。そこまで行くのはしんどい。会津磐梯山は、猪苗代湖(いなわしろこ)の北に位置しています。栃木県日光市にある中禅寺湖のそばの男体山(なんたいさん)のようなレイアウトです。

 猪苗代湖の北にある猪苗代町にある『野口英世記念館』が出てきました。お名前は有名だけれど、何をした人なのかを出演者のだれも答えることができません。
 野口英世:1876年(明治9年)-1928年(昭和3年)現在のガーナ共和国にて、黄熱病に感染して51歳で死去。医師、細菌学者。黄熱病を発見した。1歳のときに囲炉裏(いろり)に落ちて左手に大やけどを負った。のちに手術を受けて少し動かすことができるようになった。現在の千円札の肖像画に採用されている。

 ロケ地で出川さんは偶然いとこの女性と遭遇します。
 芸能人でも日常生活は芸能人じゃない人と同じです。
 タレントという自分に向いた仕事をしているだけです。
 身近な親族との付き合いはだいじです。
 おふたりは、前回は、どなたかのお葬式で会われたそうです。

 白虎隊の会津鶴ヶ城も見学します。いろいろ歴史がある土地です。
 白虎隊(びゃっこたい):幕末維新の旧幕府軍VS新政府軍の戦いのうち、1868年(慶応4年。明治元年)会津戦争で会津藩の武家男子(16歳~17歳)16人が、飯森山で自刃した。(自刃:じじん。刀剣で自殺すること)
 
 夕映えの風景映像がきれいです。
 いなかの人たちは、自然と一体で生活していることがわかります。いいなあ~

 最後は神社でお参りです。ゲストの今田耕司さんの神社やお寺の話が続きます。今田耕司さんはお寺さんの息子さんだそうです。
 寺とは:仏像がある。仏教。インド生まれの仏陀(ブッダ)が開いた。大陸から中国経由で日本に伝わった。
 神社とは:ご神体(しんたい)。神が宿るもの。例として、岩石、樹木、鏡、玉、剣など。神道(しんとう)日本古来の宗教。『八百万の神(やおよろずのかみ)自然、人、物、土地など、すべてのものに神が宿っている』

 今田耕司さんの結婚話がときおり出ますが、今さら感もあります。テレビ向けのサービストークでしょう。現在57歳だそうです。
 それよりも、神社で、いくらお賽銭(おさいせん)を入れられるのかに目が行きました。明石家さんまさんのときは、お賽銭は野口英世さんの肖像画が描いてある千円札でした。今田耕司さんもお札を入れられていました。いくらのお札かはわかりませんでした。
 クロちゃんのときはひどかった。スタッフから小銭をもらってお賽銭箱に入れていました。
 そういえば、ディレクターの土方さんもしょぼかった。広い敷地にいくつも社(やしろ)があるところで、一か所で小銭のお賽銭を出したら、以降は出さないという方針でした。
 まあ、人間なんてそんなものということもあります。神さまも苦笑しておられることでしょう。  

2023年11月24日

東京駅丸の内駅前広場

東京駅丸の内駅前広場

 帰りの新幹線の発車時刻まで時間があったので、駅前広場で座れるところに腰かけてぼーっとしながらしばらく過ごしました。
 まわりにもちらほらと、時間つぶしのような人たちが座っていました。お年寄りもいるし、女性のグループもいるし、アジア系と思われる海外の人たちもいました。
 ときおりスズメが、なにかくれ~というように、コンクリートでできた地べたから、こちらの顔を見上げてきます。







 次の写真は、駅構内、天井の部分です。とてもきれいです。



 まわりは背の高いビルディングばかりが林立しています。
 思うに、東京の高層ビルだらけの風景は、普通ではない、異常な風景です。
 コンクリートとアスファルト、ガラスと金属と石でできあがった効率最優先の世界です。
 自然に満ちた山も川も畑も田んぼもないという世界です。自然との共生というよりも自然との戦いに勝った世界です。
 地方に暮らす者にとっては、東京駅丸の内駅前広場というこの場所は、一生に一度も来ない。あるいは、数回しか来ない場所です。
 毎朝ここを通勤で通る人たちは、いつもなにかに追いたてられ、たいてい、なにものかと競争する毎日を送っているように思えます。
 競争ができるだけの精神力と体力があるうちはいいけれど、歳をとると体力が落ちて、思考力も弱くなってきます。
 ここは、長い人生のうちの一時期を過ごすだけの場所だと思うのです。















 このあと新幹線に乗って家に帰りました。
 いつも品川駅で新幹線に乗降することが多いです。
 始発の東京駅だと、ホームへの入線時刻が案外早いのだと気づきました。発車時刻の15分前から20分前ぐらいに指定席券を買った乗車する新幹線が入ってきます。
 ありがたい。車内が待合室みたいなものです。  

Posted by 熊太郎 at 07:52Comments(0)TrackBack(0)東京

2023年11月22日

東京市ヶ谷『JICA(ジャイカ)地球ひろば』の見学とランチ

東京市ヶ谷にある『JICA(ジャイカ 独立行政法人 国際協力機構)地球ひろば』を見学して、世界のランチを食べる。

 世界のランチをお目当てにして訪れました。(豪華ランチを楽しむということではなく、発展途上国の昼ごはんを食べるのです。現地の人が食べている、ふだんのお昼ごはんです)
 この日の世界のランチはペルーのごはんでした。どこのお国でも日常生活のなかで食べるごはんはシンプルなものだと思います。

 J‘s Cafe という食堂で、雰囲気としては、大きな市の市役所の中にある食堂のようでした。こちらの食堂は、大規模改修工事のため、このあと、12月から1月は利用できないそうです。

 ペルー共和国の『アヒデ・ガ・ジーナ』というごはんでした。鶏肉のシチューです。
 自衛隊の施設がそばにあるので、制服姿のかっこいい隊員さんたちとか、このJICA自体が、今、改修工事をしているらしく工事会社の人たちとかが食事に来られていました。

 入口入って、料理の券売機があります。券売機で食券を買うのは久しぶりだったので、熊太郎夫婦はとまどいましたが、うしろに並んでいる人に教えてもらって食券を買うことができました。
 けっこう利用者は多い。料理の受け取りは長いカウンターがあって、定食類と麺類は場所が分かれていました。

 1階が展示スペース、『地球ひろば』で、二階が会議室、研修室、食堂、3階以上は事務室でしょう。
 1階では、ペルー共和国の展示がされていました。



 掲示してあった『ペルーと日本』を読んでびっくりしたのですが、観光地で有名な、『マチュピチュ(インカ帝国の遺跡。標高2430mにある。インカ帝国(1533年スペインに滅ぼされた)』の初代村長は日本人野内与吉さんだったそうです。
 1917年(大正6年)21歳の移民として日本からペルーに渡られた野内与吉(のうち・よきち。福島県出身)さんが中心になって、マチュピチュへ行くための鉄道をつくったそうです。
 遠く離れた南半球の土地で、日本人が初代村長をしていたとは驚きです。
 そおいえば、最近皇室のメンバーの方がペルーを訪問されたニュースが流れていました。







 次の写真ですが、有名な人たちのサインが展示されていました。
 左が、『さかなクン』、まんなかが、『広瀬すずさん』で、右が、『尾木ママ』です。



 この動物は、アルパカだったと思います。






 JR山手線の市ヶ谷駅で降りて、お堀にかかる橋を渡って、急な坂道を登って行きました。
 ジャイカの建物のそばに防衛省の広い敷地がありました。
 思い出すに、わたしがまだ子どもだったころ、三島由紀夫氏が、自決をされたところでもあります。
 小説作品『潮騒』(NHK朝ドラ『あまちゃん』の素材にもなっていました)とか、『金閣寺』、『三島由紀夫レター教室』、『仮面の告白』を読んだことがあります。
 愛知県渥美半島にある伊良湖岬から三重県鳥羽市へ渡るフェリーに乗ったときは、潮騒の舞台の素材になった『神島』を船から間近で見ました。
 ジャイカを見学したあと、JR市ヶ谷駅に向かう急な下り坂を歩きながら、そんなこんなを思い出しながら、ころばぬよう気をつけてゆっくり歩きました。
 『昔日の客(せきじつのきゃく) 関口良雄 夏葉社(なつばしゃ)』では、1955年(昭和30年)ころ、まだ30歳ぐらいの三島由紀夫氏がひとり、あるいは、新婚の奥さんといっしょに、著者が営む地元の古本屋をちょくちょく訪ねてくることが書いてあります。同氏は小説家として世界的に有名になってからは古本屋には来なくなったそうです。1970年(昭和45年)に、ここ市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自ら命を絶っておられます。
 世界的に有名になって、なにかをなさねばならぬというプレッシャーがあったのだろうかと思いつつ、超有名人になるって、何なのだろうかと思いを巡らせながら坂道をくだったのです。  

Posted by 熊太郎 at 07:53Comments(0)TrackBack(0)東京