2023年11月21日
東京JR渋谷駅あたり ハチ公、宮下公園
東京JR渋谷駅あたり ハチ公、宮下公園(MIYASHITA PARK)
60年以上の長い間生きてきましたが、これまで縁がなく、用事もなかったので、初めて渋谷駅そばにある観光名所『忠犬ハチ公像』を見学しました。それほど、広い場所ではなく、外国人観光客のみなさんの撮影順番待ちの長い列ができていました。
自分たち夫婦は、ハチ公の正面から撮影するための列には並ばず、ハチ公からは離れた横方向から自撮りなどで写真撮影をしました。
忠犬ハチ公:秋田犬(あきたいぬ)。1923年(大正12年)-1935年(昭和10年)。飼い主は東京帝国大学教授(1925年(大正14年)死去)。ハチは、飼い主の死後も渋谷駅で飼い主を待ち続けた。1934年(昭和9年)にハチの銅像が完成してハチも除幕式に参列した。銅像は第二次世界大戦中に金属供出で溶解され機関車の部品となったが、戦後1948年(昭和23年)に再建された。
邦画:1987年(昭和62年)公開『ハチ公物語』
洋画:2009年(平成21年)公開『HACHI 約束の犬』(製作:アメリカ合衆国とイギリス)
テレビでよく見る『スクランブル交差点』を初めて見て渡りました。
なにせ、人が多い。外国人観光客も多い。
交差点の広さはまあこんなものだろうと。
ビルが多くて、駅周りは工事中で、なにかしらごちゃごちゃした感じでした。
東京は、人も車も多い、高層が重なる空間世界です。
ちょっと、わたしが住むのには無理な場所です。ひとりになれる自然の風景が暮らしのそばにあってほしい。
大都市は、人が多いので、人の群れの一員になって、同じ方向へ流れるように歩くしかありません。
方向音痴なわたしはいつものように道に迷うばかりです。
ビルの屋上が公園になっている『宮下公園』へ行きました。テレビ番組『出没アドマチック天国』で見たような記憶があります。
あとで、思ったのですが、明治神宮の南(地図で言うと下方向)にあるので、宮下公園というのであろう。もともとは、このビルの敷地、地面の上にあった公園であろう。
下の写真は、ボルダリング(壁登り)ができる壁です。ほかにビーチバレーをやるのだろうと推測できる砂のグラウンドとか、スケートボード(スケボー)を楽しめるコンクリートでできた施設がありました。こどもたちがスケボーを乗り回していました。
次の写真は、クリスマスツリーです。
近くにある劇場でミュージカルを観たあと、夜9時半過ぎに、ライトアップされた宮下公園を観るために同じ場所を再訪しました。
夜は、人がたくさん集まっていたので、クリスマスツリーの写真は遠目から撮影したものをこのあとのせています。
劇場『東急シアターオーブ』のロビーから見えた夜の宮下公園です。紫色の照明が広がっている部分です。
次の写真は、屋上にある公園へ上がる部分です。
昼間は、ちびっこたちが、ドラえもんやのび太のまわりにいました。
この時、もう午後10時に近い夜は、ちびっこはいないので、ゆっくり撮影できました。
遠目にクリスマスツリーが輝いています。
60年以上の長い間生きてきましたが、これまで縁がなく、用事もなかったので、初めて渋谷駅そばにある観光名所『忠犬ハチ公像』を見学しました。それほど、広い場所ではなく、外国人観光客のみなさんの撮影順番待ちの長い列ができていました。
自分たち夫婦は、ハチ公の正面から撮影するための列には並ばず、ハチ公からは離れた横方向から自撮りなどで写真撮影をしました。
忠犬ハチ公:秋田犬(あきたいぬ)。1923年(大正12年)-1935年(昭和10年)。飼い主は東京帝国大学教授(1925年(大正14年)死去)。ハチは、飼い主の死後も渋谷駅で飼い主を待ち続けた。1934年(昭和9年)にハチの銅像が完成してハチも除幕式に参列した。銅像は第二次世界大戦中に金属供出で溶解され機関車の部品となったが、戦後1948年(昭和23年)に再建された。
邦画:1987年(昭和62年)公開『ハチ公物語』
洋画:2009年(平成21年)公開『HACHI 約束の犬』(製作:アメリカ合衆国とイギリス)
テレビでよく見る『スクランブル交差点』を初めて見て渡りました。
なにせ、人が多い。外国人観光客も多い。
交差点の広さはまあこんなものだろうと。
ビルが多くて、駅周りは工事中で、なにかしらごちゃごちゃした感じでした。
東京は、人も車も多い、高層が重なる空間世界です。
ちょっと、わたしが住むのには無理な場所です。ひとりになれる自然の風景が暮らしのそばにあってほしい。
大都市は、人が多いので、人の群れの一員になって、同じ方向へ流れるように歩くしかありません。
方向音痴なわたしはいつものように道に迷うばかりです。
ビルの屋上が公園になっている『宮下公園』へ行きました。テレビ番組『出没アドマチック天国』で見たような記憶があります。
あとで、思ったのですが、明治神宮の南(地図で言うと下方向)にあるので、宮下公園というのであろう。もともとは、このビルの敷地、地面の上にあった公園であろう。
下の写真は、ボルダリング(壁登り)ができる壁です。ほかにビーチバレーをやるのだろうと推測できる砂のグラウンドとか、スケートボード(スケボー)を楽しめるコンクリートでできた施設がありました。こどもたちがスケボーを乗り回していました。
次の写真は、クリスマスツリーです。
近くにある劇場でミュージカルを観たあと、夜9時半過ぎに、ライトアップされた宮下公園を観るために同じ場所を再訪しました。
夜は、人がたくさん集まっていたので、クリスマスツリーの写真は遠目から撮影したものをこのあとのせています。
劇場『東急シアターオーブ』のロビーから見えた夜の宮下公園です。紫色の照明が広がっている部分です。
次の写真は、屋上にある公園へ上がる部分です。
昼間は、ちびっこたちが、ドラえもんやのび太のまわりにいました。
この時、もう午後10時に近い夜は、ちびっこはいないので、ゆっくり撮影できました。
遠目にクリスマスツリーが輝いています。
2023年11月20日
ミュージカル『天使にラブ・ソングを』を渋谷へ観に行く。
ミュージカル『天使にラブ・ソングを』を東京渋谷シアターオーブへ観に行く。
10月のとある夜に、東京帝国劇場でミュージカル『チャーリーとチョコレート工場』を鑑賞しました。
そのとき、同行の妻が、劇場に置いてあったチラシを見せてくれて、「太川陽介さんも出るんだって……」と言ったように聞こえました。太川陽介さんとえびすさんよしかずさんのバス旅ファンのわたしは、そうか、偶然だが、太川陽介さんを見ることができて良かったと思い、ずっと舞台を見ていました。神父役で出てくると妻が言っていたので、いつになったら、神父が出てくるのだろうかと首をかしげながら太川陽介さんの登場を待っていました。(神父役が出てくるシーンあったかなあ)
劇は終わってしまいました。太川陽介さんはいつ、どこのシーンで出てきたのだろう。
妻が笑いながら、別のミュージカルの劇のことだと説明してくれました。映画では観たことがありますが、『天使にラブ・ソングを』という劇のほうでした。『チャーリーとチョコレート工場』に出ていた森公美子さんも(もりくみこさんも)『天使にラブ・ソングを』に出演されています。
東京渋谷にある東急シアターオーブという劇場で11月に上演があるとチラシに書いてありました。オーブというのは、球体だそうです。渋谷に浮かぶ球体、天体にある星というような意味かと理解しました。
そのときは、もうチケットは売れてしまっているだろうと思いこんでいました。
一週間ぐらいがたち、自分はバス旅ファンであるからして、太川陽介さんご本人を実際に観てみたいという欲求が湧いてきました。
調べたら演劇のチケットは、完売にはなっていませんでした。妻に話をして、チケットを手に入れて観劇に行くことにしました。
自分はキリスト教会とか宗教に興味はありませんが、宗教を離れて、娯楽として楽しむつもりです。(実際に舞台を観たとき、そんな話題もセリフとして出ました。警察の指示で、殺人現場の目撃証人として修道院にかくまわれた黒人女性クラブ歌手の主人公デロリスは、禁欲生活を送る歌がへたっぴーな修道女たちに、『ぱーっとやろうぜ!』と、人生の謳歌(おうか:エンジョイしよう!)を呼びかけるのです)
(11月のとある夜 じっさいにミュージカルを鑑賞したときのこと)
念願の太川陽介さんを観ることができて良かった。けっこう長い時間帯、ステージに立たれていました。同世代なのでわかるのですが、ああ、太川陽介さんはアイドルだったのだと実感が湧きました。何か一曲歌われると良かったに、単独での歌唱はありませんでした。太川陽介さんはだいたいステージのまんなかあたりに位置しておられて嬉しそうにニコニコされていました。穏やかな表情が良かった。
太川さんは、テレビで見たとおりの人でした。まじめでさわやかです。バス旅をするときのいつもの表情でした。
生真面目な(きまじめな)神父役です。役柄としてお金がないということばかりを強調するセリフが続きます。経営難の教会ですから、修道女グループの歌唱ショーで、寄付を募って(つのって)、教会の維持を目指します。しかたがありません。お金は大事です。お金がないと組織も人も維持していけません。
劇場の『東急シアターオーブ』は、座席に座って見渡すと映画館のようにきれいでした。(たとえかたが変かもしれません)
客層は、熊太郎夫婦のような年配のカップル、若い女性、小学生の女の子、高校の制服を着た20人ぐらいの女子高生集団もいました。にぎやかでいい雰囲気です。
黒人女性クラブ歌手デロリスを演じるモリクミさんは(森公美子さんは)、なにせ体つきがすごい。ダイナマイトボディです。もう胸はバンバンに張ってはちきれて衣装からはみでそうでした。
舞台は色彩がきれいです。ミラーボールがキラキラ輝いて、光線が規則正しく回転していい感じです。
自分は裏方の立場に立って物事を見るクセがあるのでいろいろ考えを巡らせました。
大きな舞台装置をじょうずに組み合わせて、狭いステージという範囲内を区切ってテレビ映像のようすを表現したり、建物を回転させながら人の移動をリアルに見せたり、観ていてとても感心しました。
背景にあるあの大きな舞台装置をどうやって、ビルの11階にある劇場まで上げて組み立てたのだろうかと思いを巡らせながらステージ上をながめていました。お疲れさまです。
オーケストラのみなさんは、最前列から5列目あたりのスペースにおられて(その部分は、床下のように下にへこませてある)、幕間休憩のときにそこを見ることができたので、ステージ前まで見に行きました。
狭いところに電子ピアノがたくさん並んでいて窮屈そうでした。演奏者のみなさんは、おそらくお互いの体がふれるような状態で汗をかきながら楽器を弾いておられるのでしょう。
なにより感心したのは、指揮者の男性も俳優さんのようになって、観客全体をリード(誘導)されていました。楽団の指揮だけではなく、観客のほうも向いて観客に合図をするように指揮もされていました。
指揮者には天井から垂直におりるスポットライトがあてられて目立っていました。指揮者の方は、かつらのような帽子をかぶって、ローマ法王のような役柄も演じておられました。なかなか良かった。
ミュージカルショーは、午後5時開場、6時スタートで3時間ぐらい。午後9時過ぎぐらいに終わりました。途中25分間の幕間休憩があります。
ステージ上の演者の人たちも観客のみなさんも細い体の人が多い。10人ぐらい横並びの席でも座っている人の膝さきの狭い空間を、すいすい歩いて列のまんなかあたりの席に行かれる女性ばかりでびっくりしました。熊太郎夫婦は、1階の通路に面した2席でした。
幕間のときに、係員の方たちがしきりに、階段状になった通路、端の席の人に荷物を通路に出ないようにしてくださいとお願いして回っておられました。ステージが始まってしばらくすると、修道女のみなさんたちが、ステージから階段を使って下に降りてこられて、観客がいる座席の通路を右に左に前に後ろに縦横無尽にすさまじいスピードで走り回りました。
演者がステージから客席に降りてこられたのでびっくりしました。すごいスピードで、きれいなお顔をされた若い修道女役の女性たちが走り回っていました。ああ、だから、通路にかばんを置かないでねと係員さんがお願いされていた理由がわかりました。足がひっかかってこけたり、バッグをけとばしたりしたらたいへんです。
洋画『サウンドオブミュージック』のようなシーンもあります。デロリスが歌の先生で、生徒たちが修道女のみなさんです。娯楽のショーです。みんなで力強く合唱します。生きている歓喜がありました。迫力とパワー(強力な力)がありました。観客と一体になって、観客の手拍子と歌唱がつながってシアター内に一体感が満ち満ちていました。(みちみちていました)
聖歌隊の中ではとくに、小柄な女性と黒ぶち眼鏡をかけた女性、それから大柄な女性の演技がなかなか良かった。
オンチで下手な歌唱の聖歌隊の人たちを指導するというところで思い出す一冊があります。『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) お笑い芸人チャンス大城 朝日新聞出版』
著者の家族全員がクリスチャンという話が出ます。聖歌隊にお父さんが入っていることが驚きなのですが、お父さんはオンチでまわりに迷惑をかけるので聖歌隊から除外されて、気持ちがふさいで、それでもがんばって再入隊して、だけど、口パク(くちぱく。声はださない。口の開閉だけする)で参加してというくだりに大笑いしました。悲喜(ひき)こもごもです。人生っていいなと思わせてくれます。いい本でした。
歌を通して助け合うということが集団の力を結集して表現されます。
ギャング一味VS修道女グループのシーンがあります。修道女たちは数の力で対抗します。(18人ぐらいおられました。ギャングは数名です)
なんというか、またいらぬことを書くと、こういう集団演技を完璧に完成させようとするといまどきもめている某歌劇団のような統制が必要になります。古くは、軍国主義日本の軍隊のような教育手法です。問答無用で命令に従わないと出来栄えの良い仕事が完成しないのです。もう半世紀ぐらい前、自分の高校生活を振り返っても上級生の指示に対して下級生は服従でした。上級生から下級生に対する荒っぽい暴言もありましたが、先生は知っていても知らぬふりでした。下級生にとって、今を耐えれば自分が上級生になったときには優位に立てるという慰めはありました。というようなやりかたで、多くの日本人年配男女は育ってきました。年功序列社会です。
これからの日本人社会はどうなるのだろう。どうにか保っていた秩序が揺らいで不安定になりそうです。
後半はとにかく、色彩がきれいでした。ツタンカーメン王のマスクのような、黄金色(おうごんいろ)と黒の組み合わせがきれいでした。いろんな色の衣装がとてもきれいです。
観終わって、けっこう感動しました。日本人1億2300万人のなかの、この仕事を適職とする人たちの演技でした。
このショーは10年ぐらい続いているそうで、モリクミさんは、体力的に限界で、今回で降りられるお気持ちがあられるそうですが、それもあってか、全体的に、太っちょネタが多く、モリクミさんを讃えるショーでした。
おすもうさんのような体格の方ですが(失礼しました)、大きな体を動かして、びゅんびゅんダンスもされて、体力以上に、相当の精神力を使われていたと思います。お体を大切にされてください。
モリクミさんのショー最後の声掛けがとても良かった。
『お客さん、サイコーー!!』
劇終了後は、演者のみなさんたちと観客席のみんなで、(1階席は観客も立って)、男優さんの誘導で簡単な踊りをしました。
楽しめました。ありがとう。
まんなかあたりにある工事用赤白クレーンの向こうにある建物が『渋谷ヒカリエ』というビルで、建物横のでっぱっている部分が劇場『東急シアターオーブ』の部分だと思います。手前の背が高いビルは、『渋谷スクランブルスクエア』です。
次の階段をあがったところが劇場です。
ロビーからながめる夜景がきれいでした。
終幕後、午後9時過ぎの山手線渋谷駅あたりです。
次の写真の紫色のところは、『宮下公園』というところで、ビルの屋上が公園になってライトアップされていました。このあと、ビルを出て宮下公園に立ち寄りました。
10月のとある夜に、東京帝国劇場でミュージカル『チャーリーとチョコレート工場』を鑑賞しました。
そのとき、同行の妻が、劇場に置いてあったチラシを見せてくれて、「太川陽介さんも出るんだって……」と言ったように聞こえました。太川陽介さんとえびすさんよしかずさんのバス旅ファンのわたしは、そうか、偶然だが、太川陽介さんを見ることができて良かったと思い、ずっと舞台を見ていました。神父役で出てくると妻が言っていたので、いつになったら、神父が出てくるのだろうかと首をかしげながら太川陽介さんの登場を待っていました。(神父役が出てくるシーンあったかなあ)
劇は終わってしまいました。太川陽介さんはいつ、どこのシーンで出てきたのだろう。
妻が笑いながら、別のミュージカルの劇のことだと説明してくれました。映画では観たことがありますが、『天使にラブ・ソングを』という劇のほうでした。『チャーリーとチョコレート工場』に出ていた森公美子さんも(もりくみこさんも)『天使にラブ・ソングを』に出演されています。
東京渋谷にある東急シアターオーブという劇場で11月に上演があるとチラシに書いてありました。オーブというのは、球体だそうです。渋谷に浮かぶ球体、天体にある星というような意味かと理解しました。
そのときは、もうチケットは売れてしまっているだろうと思いこんでいました。
一週間ぐらいがたち、自分はバス旅ファンであるからして、太川陽介さんご本人を実際に観てみたいという欲求が湧いてきました。
調べたら演劇のチケットは、完売にはなっていませんでした。妻に話をして、チケットを手に入れて観劇に行くことにしました。
自分はキリスト教会とか宗教に興味はありませんが、宗教を離れて、娯楽として楽しむつもりです。(実際に舞台を観たとき、そんな話題もセリフとして出ました。警察の指示で、殺人現場の目撃証人として修道院にかくまわれた黒人女性クラブ歌手の主人公デロリスは、禁欲生活を送る歌がへたっぴーな修道女たちに、『ぱーっとやろうぜ!』と、人生の謳歌(おうか:エンジョイしよう!)を呼びかけるのです)
(11月のとある夜 じっさいにミュージカルを鑑賞したときのこと)
念願の太川陽介さんを観ることができて良かった。けっこう長い時間帯、ステージに立たれていました。同世代なのでわかるのですが、ああ、太川陽介さんはアイドルだったのだと実感が湧きました。何か一曲歌われると良かったに、単独での歌唱はありませんでした。太川陽介さんはだいたいステージのまんなかあたりに位置しておられて嬉しそうにニコニコされていました。穏やかな表情が良かった。
太川さんは、テレビで見たとおりの人でした。まじめでさわやかです。バス旅をするときのいつもの表情でした。
生真面目な(きまじめな)神父役です。役柄としてお金がないということばかりを強調するセリフが続きます。経営難の教会ですから、修道女グループの歌唱ショーで、寄付を募って(つのって)、教会の維持を目指します。しかたがありません。お金は大事です。お金がないと組織も人も維持していけません。
劇場の『東急シアターオーブ』は、座席に座って見渡すと映画館のようにきれいでした。(たとえかたが変かもしれません)
客層は、熊太郎夫婦のような年配のカップル、若い女性、小学生の女の子、高校の制服を着た20人ぐらいの女子高生集団もいました。にぎやかでいい雰囲気です。
黒人女性クラブ歌手デロリスを演じるモリクミさんは(森公美子さんは)、なにせ体つきがすごい。ダイナマイトボディです。もう胸はバンバンに張ってはちきれて衣装からはみでそうでした。
舞台は色彩がきれいです。ミラーボールがキラキラ輝いて、光線が規則正しく回転していい感じです。
自分は裏方の立場に立って物事を見るクセがあるのでいろいろ考えを巡らせました。
大きな舞台装置をじょうずに組み合わせて、狭いステージという範囲内を区切ってテレビ映像のようすを表現したり、建物を回転させながら人の移動をリアルに見せたり、観ていてとても感心しました。
背景にあるあの大きな舞台装置をどうやって、ビルの11階にある劇場まで上げて組み立てたのだろうかと思いを巡らせながらステージ上をながめていました。お疲れさまです。
オーケストラのみなさんは、最前列から5列目あたりのスペースにおられて(その部分は、床下のように下にへこませてある)、幕間休憩のときにそこを見ることができたので、ステージ前まで見に行きました。
狭いところに電子ピアノがたくさん並んでいて窮屈そうでした。演奏者のみなさんは、おそらくお互いの体がふれるような状態で汗をかきながら楽器を弾いておられるのでしょう。
なにより感心したのは、指揮者の男性も俳優さんのようになって、観客全体をリード(誘導)されていました。楽団の指揮だけではなく、観客のほうも向いて観客に合図をするように指揮もされていました。
指揮者には天井から垂直におりるスポットライトがあてられて目立っていました。指揮者の方は、かつらのような帽子をかぶって、ローマ法王のような役柄も演じておられました。なかなか良かった。
ミュージカルショーは、午後5時開場、6時スタートで3時間ぐらい。午後9時過ぎぐらいに終わりました。途中25分間の幕間休憩があります。
ステージ上の演者の人たちも観客のみなさんも細い体の人が多い。10人ぐらい横並びの席でも座っている人の膝さきの狭い空間を、すいすい歩いて列のまんなかあたりの席に行かれる女性ばかりでびっくりしました。熊太郎夫婦は、1階の通路に面した2席でした。
幕間のときに、係員の方たちがしきりに、階段状になった通路、端の席の人に荷物を通路に出ないようにしてくださいとお願いして回っておられました。ステージが始まってしばらくすると、修道女のみなさんたちが、ステージから階段を使って下に降りてこられて、観客がいる座席の通路を右に左に前に後ろに縦横無尽にすさまじいスピードで走り回りました。
演者がステージから客席に降りてこられたのでびっくりしました。すごいスピードで、きれいなお顔をされた若い修道女役の女性たちが走り回っていました。ああ、だから、通路にかばんを置かないでねと係員さんがお願いされていた理由がわかりました。足がひっかかってこけたり、バッグをけとばしたりしたらたいへんです。
洋画『サウンドオブミュージック』のようなシーンもあります。デロリスが歌の先生で、生徒たちが修道女のみなさんです。娯楽のショーです。みんなで力強く合唱します。生きている歓喜がありました。迫力とパワー(強力な力)がありました。観客と一体になって、観客の手拍子と歌唱がつながってシアター内に一体感が満ち満ちていました。(みちみちていました)
聖歌隊の中ではとくに、小柄な女性と黒ぶち眼鏡をかけた女性、それから大柄な女性の演技がなかなか良かった。
オンチで下手な歌唱の聖歌隊の人たちを指導するというところで思い出す一冊があります。『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) お笑い芸人チャンス大城 朝日新聞出版』
著者の家族全員がクリスチャンという話が出ます。聖歌隊にお父さんが入っていることが驚きなのですが、お父さんはオンチでまわりに迷惑をかけるので聖歌隊から除外されて、気持ちがふさいで、それでもがんばって再入隊して、だけど、口パク(くちぱく。声はださない。口の開閉だけする)で参加してというくだりに大笑いしました。悲喜(ひき)こもごもです。人生っていいなと思わせてくれます。いい本でした。
歌を通して助け合うということが集団の力を結集して表現されます。
ギャング一味VS修道女グループのシーンがあります。修道女たちは数の力で対抗します。(18人ぐらいおられました。ギャングは数名です)
なんというか、またいらぬことを書くと、こういう集団演技を完璧に完成させようとするといまどきもめている某歌劇団のような統制が必要になります。古くは、軍国主義日本の軍隊のような教育手法です。問答無用で命令に従わないと出来栄えの良い仕事が完成しないのです。もう半世紀ぐらい前、自分の高校生活を振り返っても上級生の指示に対して下級生は服従でした。上級生から下級生に対する荒っぽい暴言もありましたが、先生は知っていても知らぬふりでした。下級生にとって、今を耐えれば自分が上級生になったときには優位に立てるという慰めはありました。というようなやりかたで、多くの日本人年配男女は育ってきました。年功序列社会です。
これからの日本人社会はどうなるのだろう。どうにか保っていた秩序が揺らいで不安定になりそうです。
後半はとにかく、色彩がきれいでした。ツタンカーメン王のマスクのような、黄金色(おうごんいろ)と黒の組み合わせがきれいでした。いろんな色の衣装がとてもきれいです。
観終わって、けっこう感動しました。日本人1億2300万人のなかの、この仕事を適職とする人たちの演技でした。
このショーは10年ぐらい続いているそうで、モリクミさんは、体力的に限界で、今回で降りられるお気持ちがあられるそうですが、それもあってか、全体的に、太っちょネタが多く、モリクミさんを讃えるショーでした。
おすもうさんのような体格の方ですが(失礼しました)、大きな体を動かして、びゅんびゅんダンスもされて、体力以上に、相当の精神力を使われていたと思います。お体を大切にされてください。
モリクミさんのショー最後の声掛けがとても良かった。
『お客さん、サイコーー!!』
劇終了後は、演者のみなさんたちと観客席のみんなで、(1階席は観客も立って)、男優さんの誘導で簡単な踊りをしました。
楽しめました。ありがとう。
まんなかあたりにある工事用赤白クレーンの向こうにある建物が『渋谷ヒカリエ』というビルで、建物横のでっぱっている部分が劇場『東急シアターオーブ』の部分だと思います。手前の背が高いビルは、『渋谷スクランブルスクエア』です。
次の階段をあがったところが劇場です。
ロビーからながめる夜景がきれいでした。
終幕後、午後9時過ぎの山手線渋谷駅あたりです。
次の写真の紫色のところは、『宮下公園』というところで、ビルの屋上が公園になってライトアップされていました。このあと、ビルを出て宮下公園に立ち寄りました。
2023年11月17日
出川哲朗の充電バイクの旅 青森縦断 十三湖→八甲田山
出川哲朗の充電バイクの旅 青森縦断 十三湖→八甲田山(はっこうださん) TVer(ティーバー)
出川哲朗の充電させてもらえませんか?
行くぞ!青森縦断120キロだ!十三湖から津軽を抜けて“絶景”紅葉の八甲田山へ!ですが井森と安村がウキウキすぎで温泉&グルメに大はしゃぎ!ヤバイよヤバイよ
ときおり映像に出てくるあかちゃんたちがかわいい。
少子化とはいえ、いるところには固まっているあかちゃんたちです。
津軽弁が濃い。
とくに年配の人たちの津軽弁が濃い。
耳を澄ませて聴くと、なんとか、意味は伝わってくるけれど、きちんとは把握できません。
井森美幸さんは仕事モードなので、深夜に起床して、青森に来て、何時ごろ帰るか、自分の担当する時間帯をどう過ごすかという意識です。途中から帰られました。青森空港から飛行機に乗られたのでしょう。
井森美幸さんは、途中、以前の充電バイクの旅に出演したときの思い出話を出川さんやスタッフとされていましたが、北海道ロケと奄美大島ロケでの出来事が混じりあって、会話がかみ合わないシーンもありました。考えすぎのご様子でした。働きすぎに注意しましょう。
京都伏見稲荷の赤い鳥居が続くようなシーンが青森にもありました。
外国人が見ると、興味をもつのでしょう。
神社からの日本海を見渡す景色が美しかった。
水おみくじも楽しかった。(何も書いてない紙を水につけると文字が浮かび上がってくる)
これまた外国人にうけそうです。
土偶(どぐう)の郷(さと)みたいな地域がおもしろかった。(メンバーは間違えてしきりに「はにわ」と表現していました)
土偶の大きな構造物が駅舎にあって、目が光る。こどもさんが駅に行って、頼んでくれて、目を光らせてくれました。(基本は、列車到着時に光る。されど、このとき、次の列車の到着は1時間後でした)いなか風景と、いなかの人づきあいが温かい。
充電バイクで走っていると、雲をかぶった岩木山の大きな山影が見えます。
わたしは、雪が積もった八甲田山の山頂展望台から岩木山を見たことがあります。感動しました。まるで、手を伸ばせば岩木山に手が届くのではないかというような感覚でした。雪が深く積もって、青空が広がって、これまた青い津軽海峡が見渡せて、されど、無音の空間なのです。青森に来て良かったなーーと広い気持ちをもてました。
青森名物はりんごですから、りんごを楽しむメンバーです。
今年は猛暑で、野菜類の値段がとても高い。
トマト1個の値段もとても高い。怖くて手を出せないほどの値段です。飲食店の方たちは、食材の高騰で、苦労されていると思います。
また、いつものように、泊まる宿が見つかりません。満室です。
途中からゲストで出てきた明るい安村さんも動揺しています。
安村さんは、芸が外国で売れて、飛行機移動がひんぱんにあるそうです。ヨーロッパからアメリカ合衆国までかなりの長距離移動です。まあ、空間の中で座っていれば目的地に行けるので、慣れると地球が小さく感じられるでしょう。
(番組は、次週につづくです)
結局のところ、八甲田山の山頂には行けませんでした。山頂付近の映像を楽しみにしていたので残念です。思うに、どうして、スタート地点を八甲田山の山頂にしないのだろう。なにかしら大きなポイントを逸した感じのロケでした。(午後4時20分のロープウェイに乗れなかった。出川さんの到着が、5分遅れました)
なかなか見つかりそうになかった宿泊場所は、いい旅館が見つかりました。店主は出川さんと同じく横浜出身だそうです。地縁はありがたい。良かった。
旅館をシェアハウスにしているという若い働く女性の登場も良かった。館主のご夫婦は早朝からキッチンカーの仕事に出られて、シェアハウスの女性がロケメンバーの対応をされて、館主夫婦からの出川さんたちへのお手紙の紹介があり、古き良き日本の習慣に味わいがあって良かった。心が温まりました。(あたたまりました)。
自分は知らないのですが、芸人のシソンヌじろうさんという方のご実家をたずねて、途中までじろうさんのお父さんお母さんと話をしていると思っていたら、だいぶたってから、おふたりは、シソンヌじろうさんのご両親ではないことがわかったシーンが傑作でした。爆笑できました。おふたりはシソンヌじろうさんのおじさん夫婦でした。
『あれ、お母さんじゃないの?』
女性『ちがうよ!』
大笑いしました。じょうずにできた勘違いでした。
とにかく明るい安村さんのひとこと、『ウマイギリス』はギャクなのか。料理を食べて、おいしいという意味です。
3歳ぐらいの男の子が、ジャンプを繰り返しながら、『(出川さんに、あるいはタレントさんに)初めて会った』と繰り返します。可愛い(かわいい)。
少年野球の中学一年生男子は体が大きい。いくら甲子園球児の安村さんでもいきなりのバッティングでは打てないでしょう。ライトフライでアウトでした。
きれいな田んぼアートを見て、ドライブインで食事をして、いい感じです。
充電バイクロケは、青森へ何回も来ました。青森とか北海道は、車も人も少なく、タレントさんのバイク運転も安全そうです。ロケがやりやすいのでしょう。景色もきれいです。
最後は、自分も見たことがある八甲田山のロープウェイ乗り場です。太川陽介さんとえびすよしかずさんの路線バスの旅でも何度か映像を目にしました。最終便に乗れなくて、とにかく明るい安村さんもがっかりされていました。撮影スタッフの方が、『またお願いします』と安村さんに声をかけます。まあ、次回は、八甲田山山頂をスタート地点にしたほうがよろしいかと思います。
出川哲朗の充電させてもらえませんか?
行くぞ!青森縦断120キロだ!十三湖から津軽を抜けて“絶景”紅葉の八甲田山へ!ですが井森と安村がウキウキすぎで温泉&グルメに大はしゃぎ!ヤバイよヤバイよ
ときおり映像に出てくるあかちゃんたちがかわいい。
少子化とはいえ、いるところには固まっているあかちゃんたちです。
津軽弁が濃い。
とくに年配の人たちの津軽弁が濃い。
耳を澄ませて聴くと、なんとか、意味は伝わってくるけれど、きちんとは把握できません。
井森美幸さんは仕事モードなので、深夜に起床して、青森に来て、何時ごろ帰るか、自分の担当する時間帯をどう過ごすかという意識です。途中から帰られました。青森空港から飛行機に乗られたのでしょう。
井森美幸さんは、途中、以前の充電バイクの旅に出演したときの思い出話を出川さんやスタッフとされていましたが、北海道ロケと奄美大島ロケでの出来事が混じりあって、会話がかみ合わないシーンもありました。考えすぎのご様子でした。働きすぎに注意しましょう。
京都伏見稲荷の赤い鳥居が続くようなシーンが青森にもありました。
外国人が見ると、興味をもつのでしょう。
神社からの日本海を見渡す景色が美しかった。
水おみくじも楽しかった。(何も書いてない紙を水につけると文字が浮かび上がってくる)
これまた外国人にうけそうです。
土偶(どぐう)の郷(さと)みたいな地域がおもしろかった。(メンバーは間違えてしきりに「はにわ」と表現していました)
土偶の大きな構造物が駅舎にあって、目が光る。こどもさんが駅に行って、頼んでくれて、目を光らせてくれました。(基本は、列車到着時に光る。されど、このとき、次の列車の到着は1時間後でした)いなか風景と、いなかの人づきあいが温かい。
充電バイクで走っていると、雲をかぶった岩木山の大きな山影が見えます。
わたしは、雪が積もった八甲田山の山頂展望台から岩木山を見たことがあります。感動しました。まるで、手を伸ばせば岩木山に手が届くのではないかというような感覚でした。雪が深く積もって、青空が広がって、これまた青い津軽海峡が見渡せて、されど、無音の空間なのです。青森に来て良かったなーーと広い気持ちをもてました。
青森名物はりんごですから、りんごを楽しむメンバーです。
今年は猛暑で、野菜類の値段がとても高い。
トマト1個の値段もとても高い。怖くて手を出せないほどの値段です。飲食店の方たちは、食材の高騰で、苦労されていると思います。
また、いつものように、泊まる宿が見つかりません。満室です。
途中からゲストで出てきた明るい安村さんも動揺しています。
安村さんは、芸が外国で売れて、飛行機移動がひんぱんにあるそうです。ヨーロッパからアメリカ合衆国までかなりの長距離移動です。まあ、空間の中で座っていれば目的地に行けるので、慣れると地球が小さく感じられるでしょう。
(番組は、次週につづくです)
結局のところ、八甲田山の山頂には行けませんでした。山頂付近の映像を楽しみにしていたので残念です。思うに、どうして、スタート地点を八甲田山の山頂にしないのだろう。なにかしら大きなポイントを逸した感じのロケでした。(午後4時20分のロープウェイに乗れなかった。出川さんの到着が、5分遅れました)
なかなか見つかりそうになかった宿泊場所は、いい旅館が見つかりました。店主は出川さんと同じく横浜出身だそうです。地縁はありがたい。良かった。
旅館をシェアハウスにしているという若い働く女性の登場も良かった。館主のご夫婦は早朝からキッチンカーの仕事に出られて、シェアハウスの女性がロケメンバーの対応をされて、館主夫婦からの出川さんたちへのお手紙の紹介があり、古き良き日本の習慣に味わいがあって良かった。心が温まりました。(あたたまりました)。
自分は知らないのですが、芸人のシソンヌじろうさんという方のご実家をたずねて、途中までじろうさんのお父さんお母さんと話をしていると思っていたら、だいぶたってから、おふたりは、シソンヌじろうさんのご両親ではないことがわかったシーンが傑作でした。爆笑できました。おふたりはシソンヌじろうさんのおじさん夫婦でした。
『あれ、お母さんじゃないの?』
女性『ちがうよ!』
大笑いしました。じょうずにできた勘違いでした。
とにかく明るい安村さんのひとこと、『ウマイギリス』はギャクなのか。料理を食べて、おいしいという意味です。
3歳ぐらいの男の子が、ジャンプを繰り返しながら、『(出川さんに、あるいはタレントさんに)初めて会った』と繰り返します。可愛い(かわいい)。
少年野球の中学一年生男子は体が大きい。いくら甲子園球児の安村さんでもいきなりのバッティングでは打てないでしょう。ライトフライでアウトでした。
きれいな田んぼアートを見て、ドライブインで食事をして、いい感じです。
充電バイクロケは、青森へ何回も来ました。青森とか北海道は、車も人も少なく、タレントさんのバイク運転も安全そうです。ロケがやりやすいのでしょう。景色もきれいです。
最後は、自分も見たことがある八甲田山のロープウェイ乗り場です。太川陽介さんとえびすよしかずさんの路線バスの旅でも何度か映像を目にしました。最終便に乗れなくて、とにかく明るい安村さんもがっかりされていました。撮影スタッフの方が、『またお願いします』と安村さんに声をかけます。まあ、次回は、八甲田山山頂をスタート地点にしたほうがよろしいかと思います。
2023年11月16日
勝手にふるえてろ 邦画 2018年
勝手にふるえてろ 邦画 2018年(平成30年) 1時間56分 動画配信サービス
観た動機は、今年の前半にNHKBSで再放送『あまちゃん』を楽しんでいたわけで、そこに出ていた松岡茉優(まつおか・まゆ)さんがこの映画で出ていることを知ったからです。同じく、松岡茉優さんが出ていた『万引き家族』は、映画館で観ました。
こちらの『勝手にふるえてろ』の映画を観たら、あまちゃんに出ていた片桐はいりさんもオカリナを吹く女性「岡里奈」として出ていて楽しめました。加えて、こちらの映画に現在NHKの朝ドラ『ブギウギ』で主役を務めておられる趣里さんも出ていて驚きました。
原作は、綿矢りさ小説作品『勝手にふるえてろ』ですが読んだことはありません。
映画は、松岡茉優さんの魅力を十分に発揮するものでした。
はじめのうちは、抽象的で、ストーリーがあるようでないようで、悶々とした(もんもんとした。悩み苦しんでいる状態)心理描写が続きますが、途中からミュージカルのようになって、それから大きく躍動していきます。
冒頭からしばらくは、松岡茉優さんのひとりごとのようなひとり語りがずーっと続きます。幻想の世界です。主人公は、絶滅した動物に興味が強いキャラクターの女性で、古代にいた大きなアンモナイトの化石が大好きです。
見始めて、20分ぐらいが経過したあたりから、じわーっとなんともいえない味わいが出てきました。異質な個人の脳内世界があります。
一般民間会社(けっこう大きそうな会社)のOLたちが出てきます。どうして、畳部屋の更衣室で大勢が横になって寝るのか不思議でした。
まあ、リアルな、会社の裏風景が描かれています。職場結婚目当ての飲み会とか。
まあ、よくある男女の三角関係のような、四画関係のような、あいまいな恋愛状態があります。こちらが好きでも、あちらはこちらに興味がないということはよくあります。いろいろ誤解が生まれます。
東京の夜景の映像がきれいでした。(たまたま数日前に、東京見物に行って、高いビルからJR渋谷駅あたりの夜景を楽しみました。大都会の中心部のクリスマスが近づく今頃の景色は灯り(あかり)でいっぱいです。赤白服を着たサンタクロースが夜空の上空を、そりにのって走っていてもおかしくない夜景のイメージがあります)
伏線として、赤いふせん、絶滅種のたぐい(主人公を絶滅種とたとえる)、
結婚は、一番好きな人としたい。(そうしてください。昔は、一番好きな人とはできない。二番目に好きな人と結婚することが多い。結婚と恋愛は違うという言い伝えがありました)
恋をしている女性は神々しい。(こうごうしい)。
女性の心の成長ストーリーでもあります。
男を巡る女たちの駆け引きはけっこう厳しい。
高層ビル(タワーマンション)の高層階の部屋の中の雰囲気は冷えている。
都会は人がいっぱいいても、自分と関係がある人はほとんどいない。見えている人たちは透明な存在とあります。逆に、自分は(主人公の女性は)、だれからも見えていない存在とあります。孤独です。(先日東京の山手線に乗った時、たくさん人がいても、みんなうつむいてスマホを見て、じーっと黙って座っている光景を見て、この映画のシーンを思い出しました。昔聴いた歌謡曲の詞に「ふたりでいたって、ひとりは消えない(ふたりでいてもひとりぼっち)」というようなフレーズがあったことを思い出しました)
目標として、人に何かをしてもらう人ではなく、人に何かをしてあげる人になる。(人に優しい人になる)
女性の心理はややこしい。
押したり、引いたり、ぐるぐる回る。
いろいろと、プライドを傷つけられて、主人公女性の心が壊れていきます。
妊娠していないのに『産休届』を出す主人公女性です。(同じ発想として、『2020太宰治賞受賞作品 筑摩書房「空芯手帳(くうしんてちょう)」 八木詠美(やぎ・えみ)』があります。なかなかよくできた作品でした。妊娠していないのに、妊娠しているとして、ずーっと周囲をだまし続けることに成功するのです)
主人公女子の心が壊れて、心の声がどんどん表に出てきます。異常です。心を病んでいます。男運もない、男との縁もない人になってしまいます。このまま終わってしまうのか。
人間関係がぎこちない、つないだり、切ったり、不安定な流れです。
BGM(バックグラウンドミュージック)代わりの、片桐はいりさんのオカリナの演奏が良かった。
人は、傷つけあって、仲良くなるということはあります。登場人物男子の言葉として、『人間ってそんなものでしょ』そうです。理想や、きれいごとがあって、だけど、そのようにはやれなくて、しかたなく、『人間ってそんなものでしょ』になるのです。だから、「人間」ということもあります。けして、AIロボット(人工知能ロボット)ではないのです。
後半部にある雨に濡れながらのシーンは、雨の降り方が変で、もうちょっとそれらしいシーンにしてほしかった。
人と付き合うなら、相手が男でも女でも、悪人ではない善人と付き合う。
奇人であってもかまわなけれど、相手は善人であってほしい。
悪人とは距離をおく。悪人とは、関りあいにならないようにする。
むずかしい内容でしたが、心には残る作品でした。
観た動機は、今年の前半にNHKBSで再放送『あまちゃん』を楽しんでいたわけで、そこに出ていた松岡茉優(まつおか・まゆ)さんがこの映画で出ていることを知ったからです。同じく、松岡茉優さんが出ていた『万引き家族』は、映画館で観ました。
こちらの『勝手にふるえてろ』の映画を観たら、あまちゃんに出ていた片桐はいりさんもオカリナを吹く女性「岡里奈」として出ていて楽しめました。加えて、こちらの映画に現在NHKの朝ドラ『ブギウギ』で主役を務めておられる趣里さんも出ていて驚きました。
原作は、綿矢りさ小説作品『勝手にふるえてろ』ですが読んだことはありません。
映画は、松岡茉優さんの魅力を十分に発揮するものでした。
はじめのうちは、抽象的で、ストーリーがあるようでないようで、悶々とした(もんもんとした。悩み苦しんでいる状態)心理描写が続きますが、途中からミュージカルのようになって、それから大きく躍動していきます。
冒頭からしばらくは、松岡茉優さんのひとりごとのようなひとり語りがずーっと続きます。幻想の世界です。主人公は、絶滅した動物に興味が強いキャラクターの女性で、古代にいた大きなアンモナイトの化石が大好きです。
見始めて、20分ぐらいが経過したあたりから、じわーっとなんともいえない味わいが出てきました。異質な個人の脳内世界があります。
一般民間会社(けっこう大きそうな会社)のOLたちが出てきます。どうして、畳部屋の更衣室で大勢が横になって寝るのか不思議でした。
まあ、リアルな、会社の裏風景が描かれています。職場結婚目当ての飲み会とか。
まあ、よくある男女の三角関係のような、四画関係のような、あいまいな恋愛状態があります。こちらが好きでも、あちらはこちらに興味がないということはよくあります。いろいろ誤解が生まれます。
東京の夜景の映像がきれいでした。(たまたま数日前に、東京見物に行って、高いビルからJR渋谷駅あたりの夜景を楽しみました。大都会の中心部のクリスマスが近づく今頃の景色は灯り(あかり)でいっぱいです。赤白服を着たサンタクロースが夜空の上空を、そりにのって走っていてもおかしくない夜景のイメージがあります)
伏線として、赤いふせん、絶滅種のたぐい(主人公を絶滅種とたとえる)、
結婚は、一番好きな人としたい。(そうしてください。昔は、一番好きな人とはできない。二番目に好きな人と結婚することが多い。結婚と恋愛は違うという言い伝えがありました)
恋をしている女性は神々しい。(こうごうしい)。
女性の心の成長ストーリーでもあります。
男を巡る女たちの駆け引きはけっこう厳しい。
高層ビル(タワーマンション)の高層階の部屋の中の雰囲気は冷えている。
都会は人がいっぱいいても、自分と関係がある人はほとんどいない。見えている人たちは透明な存在とあります。逆に、自分は(主人公の女性は)、だれからも見えていない存在とあります。孤独です。(先日東京の山手線に乗った時、たくさん人がいても、みんなうつむいてスマホを見て、じーっと黙って座っている光景を見て、この映画のシーンを思い出しました。昔聴いた歌謡曲の詞に「ふたりでいたって、ひとりは消えない(ふたりでいてもひとりぼっち)」というようなフレーズがあったことを思い出しました)
目標として、人に何かをしてもらう人ではなく、人に何かをしてあげる人になる。(人に優しい人になる)
女性の心理はややこしい。
押したり、引いたり、ぐるぐる回る。
いろいろと、プライドを傷つけられて、主人公女性の心が壊れていきます。
妊娠していないのに『産休届』を出す主人公女性です。(同じ発想として、『2020太宰治賞受賞作品 筑摩書房「空芯手帳(くうしんてちょう)」 八木詠美(やぎ・えみ)』があります。なかなかよくできた作品でした。妊娠していないのに、妊娠しているとして、ずーっと周囲をだまし続けることに成功するのです)
主人公女子の心が壊れて、心の声がどんどん表に出てきます。異常です。心を病んでいます。男運もない、男との縁もない人になってしまいます。このまま終わってしまうのか。
人間関係がぎこちない、つないだり、切ったり、不安定な流れです。
BGM(バックグラウンドミュージック)代わりの、片桐はいりさんのオカリナの演奏が良かった。
人は、傷つけあって、仲良くなるということはあります。登場人物男子の言葉として、『人間ってそんなものでしょ』そうです。理想や、きれいごとがあって、だけど、そのようにはやれなくて、しかたなく、『人間ってそんなものでしょ』になるのです。だから、「人間」ということもあります。けして、AIロボット(人工知能ロボット)ではないのです。
後半部にある雨に濡れながらのシーンは、雨の降り方が変で、もうちょっとそれらしいシーンにしてほしかった。
人と付き合うなら、相手が男でも女でも、悪人ではない善人と付き合う。
奇人であってもかまわなけれど、相手は善人であってほしい。
悪人とは距離をおく。悪人とは、関りあいにならないようにする。
むずかしい内容でしたが、心には残る作品でした。
2023年11月15日
だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― 長谷川和夫
だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― さく・長谷川和夫 え・池田げんえい ぱーそん書房
認知症になったおばあちゃんのお話です。
作者は、認知症の判定方法に使う『長谷川式認知症スケール』を考案された長谷川和夫さんです。
そして、長谷川和夫さんご自身も認知症になられています。
この絵本を読んだあと、『ボクはやっと認知症のことがわかった 長谷川和夫・医師 猪熊律子・読売新聞編集委員 KADOKAWA』を読む予定です。
長谷川和夫さんは、2021年(令和3年)に老衰のため92歳でお亡くなりになっています。お疲れさまでした。
熊太郎は、冗談ではなくて、本当に頭がおかしくなって病院で長谷川式認知症スケールの検査を受けたことがあります。
検査中のかすかな記憶が残っています。自分が今いる病院の名称を別の病院名で言い張っていました。今日の年月日を言い間違えました。季節すら間違えていました。数字の引き算を尋ねられて、なかなか答えが出せずイライラして、どうしてこんな簡単な計算ができないんだと自分に対して怒りすら生まれました。検査の最後では、あろうことか、イスに座っていた自分の体を前かがみにして、目の前に座っている医師の両足首を自分の両方の手でつかんで持ち上げてしまいました。そのあと、その日の深夜に手術を受けました。頭蓋骨(ずがいこつ)に穴を開けて脳にたまっていた血液を抜く手術でした。半年近くかけて頭蓋骨内にある毛細血管からしみ出して脳内にたまった血液が脳みそを圧迫して脳みそが正常に機能しなくなっていました。(半年ぐらい前から耳鳴りがひどかった。耳鳴りの原因がわかりませんでした)
さらに脳脊髄液が、首のあたりから腰に向けて流れているのですが、その脳脊髄液が、背骨のあたりで漏れていることがわかり、別の病院に転入院して手術のような処置をうけました。
もうふらふらでした。幻視もたくさん見ました。認知症になると、こんな感じになるのだなということを体験しました。まわりの人たちにいっぱい迷惑をかけてしまいました。
そんなことを思い出しながら、こちらの絵本を読み始めます。
『だーいすきな ぼくの おばあちゃん。』です。
おばあちゃんは、やさしい。
おばあちゃんは、おばあちゃんということだけで、孫に慕われるわけではありません。
孫の話を叱らずにゆっくり聞いてあげねばなりません。
おもちゃや食べ物を買ってあげねばなりません。
おいしいごはんをつくって、おなかいっぱい食べさせてあげなければなりません。
おこずかいもあげねばなりません。
いっしょに遊ばなければなりません。
おばあちゃんにしてもおじいちゃんにしても、孫になにもしなければ、孫は祖父母になつきません。
絵本のおばあちゃんは、自分の畑でできたスイカを孫にふるまいます。キュウリやトマトもあります。
孫と一緒におでかけもします。動物園へ行きます。(動物園は平和で安全なところです)
ちびっこは遊びの天才ですから、時間にこだわらずに、疲れ果てるまで遊び続けます。付き合うのはけっこう大変です。
でもあきらめて、根気よくいっしょに遊びます。
記憶が維持できないところから認知症が始まります。(昔は、『痴ほう(ちほう)』と表現していました。作者の長谷川和夫さんのご尽力もあって、『痴ほう』が、『認知症』に呼び方を変えたそうです)
絵本の中のおばあちゃんは、物忘れが始まりました。
だれでもそうだと思いますが、加齢で、固有名詞が口から出てこなくなります。人の名前だったり、お店の名称だったり、土地の名称だったりがなかなか出てきません。そのかわりに、『あれ』『それ』『これ』という指示代名詞が多用されます。あうんの呼吸で、何を言っているのかがわかるときもありますが、わからないときもままあります。
『ぼく』が一年生のとき、おばあちゃんが、外で迷子になって警察に保護されました。
(自分がどこにいるのかわからなくなります。熊太郎は、入院している高層ビルの大きな病院内で迷子になったことがあります。どのフロアーも似たつくりで、エレベーターに乗って別のフロアー(階)に行ってしまい、自分の部屋に戻れなくなりました。(自分がいるフロアーから別のフロアーに行っては行けないというきまりがあったそうですが、脳みそが弱っていたので指示を理解できていませんでした。自分の左手首にリストバンドがあって、自分の病室と診察券番号がリストバンドに印字されていましたが、そのことも失念していました。結局ナースセンターの職員の助けで自室に戻ることができました)
迷子になるのは、本人の責任のようで、そうでもないのです。脳みその病気なのです。
『ここはどこ? あなたはだれ?』と言っている本人は、情けない気持ちでいっぱいなのです。
絵本の中のおばあちゃんは、物忘れ外来を受診して、お薬の服用が始まりました。
おばあちゃんの人格が、よくないほうへ変化していきます。
もう別の人です。
怒って物を投げつけたりもします。たいへんです。こどもに戻ったみたいです。
介護保険でいうところの要介護1から5のどれかに該当して、施設入所が必要かなあというような絵本の中の絵です。
秘訣(ひけつ。コツ)が書いてあります。
おばあちゃんが、まわりにいる家族のことをわからなくなってもいいのです。
まわりにいる人たちが、あなたは、わたしたちの家族で、おばあちゃんだから安心してくださいとおばあちゃんに言えばいいのです。わたしたちがわかっているから、おばあちゃんは、わからなくてもだいじょうぶなのです。おばあちゃんは、自分のまわりにいる人がだれなのかを知らなくていいのです。
まわりにいる人間は、認知症の人に気をつかう。
平和であるように気をつかう。
認知症の人が、怒ったり、泣いたりすると、まわりにいる人は困ります。
なになにしてほしいと延々としつこく言い続けられると聞かされる方は嫌になってきます。
介護のつらさは、自分の時間を奪われることです。ああしたい、こうしたいと思っていても介護が必要な人の世話で、自分が自由に使える時間が少なくなります。
うんこ・しっこのお世話もたいへんです。無理をすると共倒れになってしまいます。
ただ、いつかは、終わりの日が来ます。終われば終わったで、気持ちがしみじみします。次は自分がお世話をしてもらう番がいつかはきます。人間は、たいていの人が、人生の最後は、障害者になります。自分の心身を自分で管理(コントロール)することができなくなります。
認知症は、脳みその病気です。
これまでに、何人かの認知症の人たちを見たことがあります。
熊太郎がまだ若い頃、何度か会っているのに『あなたは、初めての方ね』と言われたことがあります。まわりにいた人たちはだまってうつむいていました。(その頃は、『ボケ』という言葉がよく使われていました)
冠婚葬祭の場で、喜怒哀楽のない表情のおじいさんを見たことがあります。無表情で動いていました。ご親族が腕をつかんで誘導されていました。ああ、認知症の人だなとわかりました。
絵本を読み終えました。
心優しい内容でした。
認知症になったおばあちゃんのお話です。
作者は、認知症の判定方法に使う『長谷川式認知症スケール』を考案された長谷川和夫さんです。
そして、長谷川和夫さんご自身も認知症になられています。
この絵本を読んだあと、『ボクはやっと認知症のことがわかった 長谷川和夫・医師 猪熊律子・読売新聞編集委員 KADOKAWA』を読む予定です。
長谷川和夫さんは、2021年(令和3年)に老衰のため92歳でお亡くなりになっています。お疲れさまでした。
熊太郎は、冗談ではなくて、本当に頭がおかしくなって病院で長谷川式認知症スケールの検査を受けたことがあります。
検査中のかすかな記憶が残っています。自分が今いる病院の名称を別の病院名で言い張っていました。今日の年月日を言い間違えました。季節すら間違えていました。数字の引き算を尋ねられて、なかなか答えが出せずイライラして、どうしてこんな簡単な計算ができないんだと自分に対して怒りすら生まれました。検査の最後では、あろうことか、イスに座っていた自分の体を前かがみにして、目の前に座っている医師の両足首を自分の両方の手でつかんで持ち上げてしまいました。そのあと、その日の深夜に手術を受けました。頭蓋骨(ずがいこつ)に穴を開けて脳にたまっていた血液を抜く手術でした。半年近くかけて頭蓋骨内にある毛細血管からしみ出して脳内にたまった血液が脳みそを圧迫して脳みそが正常に機能しなくなっていました。(半年ぐらい前から耳鳴りがひどかった。耳鳴りの原因がわかりませんでした)
さらに脳脊髄液が、首のあたりから腰に向けて流れているのですが、その脳脊髄液が、背骨のあたりで漏れていることがわかり、別の病院に転入院して手術のような処置をうけました。
もうふらふらでした。幻視もたくさん見ました。認知症になると、こんな感じになるのだなということを体験しました。まわりの人たちにいっぱい迷惑をかけてしまいました。
そんなことを思い出しながら、こちらの絵本を読み始めます。
『だーいすきな ぼくの おばあちゃん。』です。
おばあちゃんは、やさしい。
おばあちゃんは、おばあちゃんということだけで、孫に慕われるわけではありません。
孫の話を叱らずにゆっくり聞いてあげねばなりません。
おもちゃや食べ物を買ってあげねばなりません。
おいしいごはんをつくって、おなかいっぱい食べさせてあげなければなりません。
おこずかいもあげねばなりません。
いっしょに遊ばなければなりません。
おばあちゃんにしてもおじいちゃんにしても、孫になにもしなければ、孫は祖父母になつきません。
絵本のおばあちゃんは、自分の畑でできたスイカを孫にふるまいます。キュウリやトマトもあります。
孫と一緒におでかけもします。動物園へ行きます。(動物園は平和で安全なところです)
ちびっこは遊びの天才ですから、時間にこだわらずに、疲れ果てるまで遊び続けます。付き合うのはけっこう大変です。
でもあきらめて、根気よくいっしょに遊びます。
記憶が維持できないところから認知症が始まります。(昔は、『痴ほう(ちほう)』と表現していました。作者の長谷川和夫さんのご尽力もあって、『痴ほう』が、『認知症』に呼び方を変えたそうです)
絵本の中のおばあちゃんは、物忘れが始まりました。
だれでもそうだと思いますが、加齢で、固有名詞が口から出てこなくなります。人の名前だったり、お店の名称だったり、土地の名称だったりがなかなか出てきません。そのかわりに、『あれ』『それ』『これ』という指示代名詞が多用されます。あうんの呼吸で、何を言っているのかがわかるときもありますが、わからないときもままあります。
『ぼく』が一年生のとき、おばあちゃんが、外で迷子になって警察に保護されました。
(自分がどこにいるのかわからなくなります。熊太郎は、入院している高層ビルの大きな病院内で迷子になったことがあります。どのフロアーも似たつくりで、エレベーターに乗って別のフロアー(階)に行ってしまい、自分の部屋に戻れなくなりました。(自分がいるフロアーから別のフロアーに行っては行けないというきまりがあったそうですが、脳みそが弱っていたので指示を理解できていませんでした。自分の左手首にリストバンドがあって、自分の病室と診察券番号がリストバンドに印字されていましたが、そのことも失念していました。結局ナースセンターの職員の助けで自室に戻ることができました)
迷子になるのは、本人の責任のようで、そうでもないのです。脳みその病気なのです。
『ここはどこ? あなたはだれ?』と言っている本人は、情けない気持ちでいっぱいなのです。
絵本の中のおばあちゃんは、物忘れ外来を受診して、お薬の服用が始まりました。
おばあちゃんの人格が、よくないほうへ変化していきます。
もう別の人です。
怒って物を投げつけたりもします。たいへんです。こどもに戻ったみたいです。
介護保険でいうところの要介護1から5のどれかに該当して、施設入所が必要かなあというような絵本の中の絵です。
秘訣(ひけつ。コツ)が書いてあります。
おばあちゃんが、まわりにいる家族のことをわからなくなってもいいのです。
まわりにいる人たちが、あなたは、わたしたちの家族で、おばあちゃんだから安心してくださいとおばあちゃんに言えばいいのです。わたしたちがわかっているから、おばあちゃんは、わからなくてもだいじょうぶなのです。おばあちゃんは、自分のまわりにいる人がだれなのかを知らなくていいのです。
まわりにいる人間は、認知症の人に気をつかう。
平和であるように気をつかう。
認知症の人が、怒ったり、泣いたりすると、まわりにいる人は困ります。
なになにしてほしいと延々としつこく言い続けられると聞かされる方は嫌になってきます。
介護のつらさは、自分の時間を奪われることです。ああしたい、こうしたいと思っていても介護が必要な人の世話で、自分が自由に使える時間が少なくなります。
うんこ・しっこのお世話もたいへんです。無理をすると共倒れになってしまいます。
ただ、いつかは、終わりの日が来ます。終われば終わったで、気持ちがしみじみします。次は自分がお世話をしてもらう番がいつかはきます。人間は、たいていの人が、人生の最後は、障害者になります。自分の心身を自分で管理(コントロール)することができなくなります。
認知症は、脳みその病気です。
これまでに、何人かの認知症の人たちを見たことがあります。
熊太郎がまだ若い頃、何度か会っているのに『あなたは、初めての方ね』と言われたことがあります。まわりにいた人たちはだまってうつむいていました。(その頃は、『ボケ』という言葉がよく使われていました)
冠婚葬祭の場で、喜怒哀楽のない表情のおじいさんを見たことがあります。無表情で動いていました。ご親族が腕をつかんで誘導されていました。ああ、認知症の人だなとわかりました。
絵本を読み終えました。
心優しい内容でした。
2023年11月13日
そんなとき なんていう? セシル・ジョスリン
そんなとき なんていう? セシル・ジョスリン文 モーリス・センダック絵 たにかわしゅんたろう訳 ゆかいなれいぎさほうの ほん 岩波書店
アメリカ合衆国のこどもたちに礼儀作法を教える絵本です。
絵はわかりやすい。『かいじゅうたちのいるところ』という有名な絵本の絵を描いた方です。
2016年(平成28年)初版の絵本です。
なにかしら上流階級のお上品な雰囲気がただよっています。
紳士が、あかちゃんゾウをきみにあげると言う。『そんなときなんていう』というパターンです。
男の子が、『はじめまして』と言う。
あいさつ、礼儀の絵本です。
想定が奇想天外です。
突然竜が出てきて、口から赤い火を吹いた。
ちょうどそのとき勇敢な騎士が現れて、竜の首をちょんぎった。
『そんなときなんていう?』です。
『どうも ありがとう。』
ユーモアをまじえながらお話は進んでいきます。
英語の教習本のようでもあります。
『あらごめんなさい』かなと思ったら、『すみません。』でした。
思いつかない言葉の表現もあります。
『ケーキをとっていただける?』
『もういちどお願いします』かなと思ったら、『しつれい、なんて おっしゃいましたか?』でした。
アメリカ合衆国の人がつくった絵本ですが、都市名として、イギリスの『ロンドン』が出てきます。
女王さまに招待されて、スパゲティの夕食です。
『ごちそうさまでした。もう十分です』かなと思ったら、『さがって よろしいですか?』でした。なかなか当たりません。
次の『ごめんなさい。』は、当たりました。
『おはよう』かと思ったら、『ありがとう、げんきですよ、あなたは?』でした。
不思議な絵本です。
あいさつの本です。
緊迫した状況(たとえば、海賊船の上)が多いのに、平然と、淡々としているのです。じたばたしてもしょうがないからなのか、出てくる人は、きちんとあいさつをされるのです。
最近の日本の出来事ニュースのようです。
熊が出てきました。
熊のオーケストラが出てきて、どういうわけか、演奏のあと、熊が人間を食べちゃうぞーーなのです。
『やめてちょうだい』かと思ったら、『これで おしまい。さようなら』でした。「おしまい」は、熊に食べられておしまいではなくて、笑顔で熊にバイバイの手をふる若い淑女(しゅくじょ。品位のあるおしとやかな女性。つつましくおしとやかな女性)なのです。
アメリカ合衆国のこどもたちに礼儀作法を教える絵本です。
絵はわかりやすい。『かいじゅうたちのいるところ』という有名な絵本の絵を描いた方です。
2016年(平成28年)初版の絵本です。
なにかしら上流階級のお上品な雰囲気がただよっています。
紳士が、あかちゃんゾウをきみにあげると言う。『そんなときなんていう』というパターンです。
男の子が、『はじめまして』と言う。
あいさつ、礼儀の絵本です。
想定が奇想天外です。
突然竜が出てきて、口から赤い火を吹いた。
ちょうどそのとき勇敢な騎士が現れて、竜の首をちょんぎった。
『そんなときなんていう?』です。
『どうも ありがとう。』
ユーモアをまじえながらお話は進んでいきます。
英語の教習本のようでもあります。
『あらごめんなさい』かなと思ったら、『すみません。』でした。
思いつかない言葉の表現もあります。
『ケーキをとっていただける?』
『もういちどお願いします』かなと思ったら、『しつれい、なんて おっしゃいましたか?』でした。
アメリカ合衆国の人がつくった絵本ですが、都市名として、イギリスの『ロンドン』が出てきます。
女王さまに招待されて、スパゲティの夕食です。
『ごちそうさまでした。もう十分です』かなと思ったら、『さがって よろしいですか?』でした。なかなか当たりません。
次の『ごめんなさい。』は、当たりました。
『おはよう』かと思ったら、『ありがとう、げんきですよ、あなたは?』でした。
不思議な絵本です。
あいさつの本です。
緊迫した状況(たとえば、海賊船の上)が多いのに、平然と、淡々としているのです。じたばたしてもしょうがないからなのか、出てくる人は、きちんとあいさつをされるのです。
最近の日本の出来事ニュースのようです。
熊が出てきました。
熊のオーケストラが出てきて、どういうわけか、演奏のあと、熊が人間を食べちゃうぞーーなのです。
『やめてちょうだい』かと思ったら、『これで おしまい。さようなら』でした。「おしまい」は、熊に食べられておしまいではなくて、笑顔で熊にバイバイの手をふる若い淑女(しゅくじょ。品位のあるおしとやかな女性。つつましくおしとやかな女性)なのです。