2023年11月27日

出川哲朗の充電バイクの旅 福島県白河小峰城→伊佐須美神社

出川哲朗の充電バイクの旅 福島県白河小峰城→伊佐須美神社(いさすみじんじゃ) TVer(ティーバー)

出川哲朗の充電させてもらえませんか? 絶景の福島をズズーっと128キロ!白河から“猪苗代湖(いなわしろこ)”を通って“縁結び”パワスポ神社へ!ですが今田耕司&松村沙友里が奔放すぎて哲朗タジタジ!ヤバイよヤバイよSP

 ディレクターの土方(ひじかた)さんは、昔のバス旅のえびすよしかずさんみたいなポジションで、ドジなタレントさんの役割を担っています。(になっています:引き受ける。担当する)
 ディレクターなのに、訪問地の説明はあやふやで、道案内は大事なところで間違えます。ゲストに対する忖度(そんたく:心配り)はいっさいなく、ジャンケンでは、必ずと言っていいほどゲストに勝って、自分は裏方なのに、いいポジションを手に入れます。(業界の裏方役としては珍しい個性です)そこが、おもしろい。
 今回もいつものように抜けていました。旅館の部屋割りで、ゲストの村松沙友里さんは、ジャンケンで土方さんに負けて、土方さんが三部屋あるうちの一番いい部屋を手に入れていました。

 出川さんが、『城は見るもの』と発言します。(同感です)
 されど、土方さんは出川さんの勧めに従いません。しばらくふたりはもめて、それでも城にのぼって、天守閣からの見晴らしは無くて、意味のない時間帯を撮影しました。

 ウルトラマンのマネをしてくれた男の子のウルトラマンの衣服がかっこいい。
 初代ウルトラマンの変身のしかた、ウルトラセブンの変身のしかた、とてもじょうずでした。
 熊じいさんが小学生のときに見たウルトラマンの動作を、いまどきのちびっこがしたので共感がありました。
 このあと、ウルトラマンミュージアムの紹介がありました。こちらは、ウルトラマンの生みの親である円谷英二さん(つぶらや・えいじさん)の出身地だそうです。

 『さゆりんご』をキャッチフレーズにがんばる村松沙友里さんでした。元乃木坂46だそうです。タレントさんだから、自分を売り込むために『さゆりんご』を連呼し続けるのだと理解しました。連呼された『さゆりんご』が耳に残りました。

 充電バイクで走る沿線風景では、収穫期を迎えた黄金色(こがねいろ)の稲田(いなだ)がきれいでした。

 駅伝部のこどもたちとの勝負が良かった。ゲストたち1周VSこどもたち2周は、さすがにゲストのハンデが良すぎました。ゲストの勝ちです。

 会津磐梯山(あいずばんだいさん)の映像が流れます。実物を観たことはありませんせんが、もう歳をとったので、映像で観るだけで満足できます。そこまで行くのはしんどい。会津磐梯山は、猪苗代湖(いなわしろこ)の北に位置しています。栃木県日光市にある中禅寺湖のそばの男体山(なんたいさん)のようなレイアウトです。

 猪苗代湖の北にある猪苗代町にある『野口英世記念館』が出てきました。お名前は有名だけれど、何をした人なのかを出演者のだれも答えることができません。
 野口英世:1876年(明治9年)-1928年(昭和3年)現在のガーナ共和国にて、黄熱病に感染して51歳で死去。医師、細菌学者。黄熱病を発見した。1歳のときに囲炉裏(いろり)に落ちて左手に大やけどを負った。のちに手術を受けて少し動かすことができるようになった。現在の千円札の肖像画に採用されている。

 ロケ地で出川さんは偶然いとこの女性と遭遇します。
 芸能人でも日常生活は芸能人じゃない人と同じです。
 タレントという自分に向いた仕事をしているだけです。
 身近な親族との付き合いはだいじです。
 おふたりは、前回は、どなたかのお葬式で会われたそうです。

 白虎隊の会津鶴ヶ城も見学します。いろいろ歴史がある土地です。
 白虎隊(びゃっこたい):幕末維新の旧幕府軍VS新政府軍の戦いのうち、1868年(慶応4年。明治元年)会津戦争で会津藩の武家男子(16歳~17歳)16人が、飯森山で自刃した。(自刃:じじん。刀剣で自殺すること)
 
 夕映えの風景映像がきれいです。
 いなかの人たちは、自然と一体で生活していることがわかります。いいなあ~

 最後は神社でお参りです。ゲストの今田耕司さんの神社やお寺の話が続きます。今田耕司さんはお寺さんの息子さんだそうです。
 寺とは:仏像がある。仏教。インド生まれの仏陀(ブッダ)が開いた。大陸から中国経由で日本に伝わった。
 神社とは:ご神体(しんたい)。神が宿るもの。例として、岩石、樹木、鏡、玉、剣など。神道(しんとう)日本古来の宗教。『八百万の神(やおよろずのかみ)自然、人、物、土地など、すべてのものに神が宿っている』

 今田耕司さんの結婚話がときおり出ますが、今さら感もあります。テレビ向けのサービストークでしょう。現在57歳だそうです。
 それよりも、神社で、いくらお賽銭(おさいせん)を入れられるのかに目が行きました。明石家さんまさんのときは、お賽銭は野口英世さんの肖像画が描いてある千円札でした。今田耕司さんもお札を入れられていました。いくらのお札かはわかりませんでした。
 クロちゃんのときはひどかった。スタッフから小銭をもらってお賽銭箱に入れていました。
 そういえば、ディレクターの土方さんもしょぼかった。広い敷地にいくつも社(やしろ)があるところで、一か所で小銭のお賽銭を出したら、以降は出さないという方針でした。
 まあ、人間なんてそんなものということもあります。神さまも苦笑しておられることでしょう。

この記事へのトラックバックURL

http://kumataro.mediacat-blog.jp/t153167
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません
上の画像に書かれている文字を入力して下さい