2023年11月15日
だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― 長谷川和夫
だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― さく・長谷川和夫 え・池田げんえい ぱーそん書房
認知症になったおばあちゃんのお話です。
作者は、認知症の判定方法に使う『長谷川式認知症スケール』を考案された長谷川和夫さんです。
そして、長谷川和夫さんご自身も認知症になられています。
この絵本を読んだあと、『ボクはやっと認知症のことがわかった 長谷川和夫・医師 猪熊律子・読売新聞編集委員 KADOKAWA』を読む予定です。
長谷川和夫さんは、2021年(令和3年)に老衰のため92歳でお亡くなりになっています。お疲れさまでした。
熊太郎は、冗談ではなくて、本当に頭がおかしくなって病院で長谷川式認知症スケールの検査を受けたことがあります。
検査中のかすかな記憶が残っています。自分が今いる病院の名称を別の病院名で言い張っていました。今日の年月日を言い間違えました。季節すら間違えていました。数字の引き算を尋ねられて、なかなか答えが出せずイライラして、どうしてこんな簡単な計算ができないんだと自分に対して怒りすら生まれました。検査の最後では、あろうことか、イスに座っていた自分の体を前かがみにして、目の前に座っている医師の両足首を自分の両方の手でつかんで持ち上げてしまいました。そのあと、その日の深夜に手術を受けました。頭蓋骨(ずがいこつ)に穴を開けて脳にたまっていた血液を抜く手術でした。半年近くかけて頭蓋骨内にある毛細血管からしみ出して脳内にたまった血液が脳みそを圧迫して脳みそが正常に機能しなくなっていました。(半年ぐらい前から耳鳴りがひどかった。耳鳴りの原因がわかりませんでした)
さらに脳脊髄液が、首のあたりから腰に向けて流れているのですが、その脳脊髄液が、背骨のあたりで漏れていることがわかり、別の病院に転入院して手術のような処置をうけました。
もうふらふらでした。幻視もたくさん見ました。認知症になると、こんな感じになるのだなということを体験しました。まわりの人たちにいっぱい迷惑をかけてしまいました。
そんなことを思い出しながら、こちらの絵本を読み始めます。
『だーいすきな ぼくの おばあちゃん。』です。
おばあちゃんは、やさしい。
おばあちゃんは、おばあちゃんということだけで、孫に慕われるわけではありません。
孫の話を叱らずにゆっくり聞いてあげねばなりません。
おもちゃや食べ物を買ってあげねばなりません。
おいしいごはんをつくって、おなかいっぱい食べさせてあげなければなりません。
おこずかいもあげねばなりません。
いっしょに遊ばなければなりません。
おばあちゃんにしてもおじいちゃんにしても、孫になにもしなければ、孫は祖父母になつきません。
絵本のおばあちゃんは、自分の畑でできたスイカを孫にふるまいます。キュウリやトマトもあります。
孫と一緒におでかけもします。動物園へ行きます。(動物園は平和で安全なところです)
ちびっこは遊びの天才ですから、時間にこだわらずに、疲れ果てるまで遊び続けます。付き合うのはけっこう大変です。
でもあきらめて、根気よくいっしょに遊びます。
記憶が維持できないところから認知症が始まります。(昔は、『痴ほう(ちほう)』と表現していました。作者の長谷川和夫さんのご尽力もあって、『痴ほう』が、『認知症』に呼び方を変えたそうです)
絵本の中のおばあちゃんは、物忘れが始まりました。
だれでもそうだと思いますが、加齢で、固有名詞が口から出てこなくなります。人の名前だったり、お店の名称だったり、土地の名称だったりがなかなか出てきません。そのかわりに、『あれ』『それ』『これ』という指示代名詞が多用されます。あうんの呼吸で、何を言っているのかがわかるときもありますが、わからないときもままあります。
『ぼく』が一年生のとき、おばあちゃんが、外で迷子になって警察に保護されました。
(自分がどこにいるのかわからなくなります。熊太郎は、入院している高層ビルの大きな病院内で迷子になったことがあります。どのフロアーも似たつくりで、エレベーターに乗って別のフロアー(階)に行ってしまい、自分の部屋に戻れなくなりました。(自分がいるフロアーから別のフロアーに行っては行けないというきまりがあったそうですが、脳みそが弱っていたので指示を理解できていませんでした。自分の左手首にリストバンドがあって、自分の病室と診察券番号がリストバンドに印字されていましたが、そのことも失念していました。結局ナースセンターの職員の助けで自室に戻ることができました)
迷子になるのは、本人の責任のようで、そうでもないのです。脳みその病気なのです。
『ここはどこ? あなたはだれ?』と言っている本人は、情けない気持ちでいっぱいなのです。
絵本の中のおばあちゃんは、物忘れ外来を受診して、お薬の服用が始まりました。
おばあちゃんの人格が、よくないほうへ変化していきます。
もう別の人です。
怒って物を投げつけたりもします。たいへんです。こどもに戻ったみたいです。
介護保険でいうところの要介護1から5のどれかに該当して、施設入所が必要かなあというような絵本の中の絵です。
秘訣(ひけつ。コツ)が書いてあります。
おばあちゃんが、まわりにいる家族のことをわからなくなってもいいのです。
まわりにいる人たちが、あなたは、わたしたちの家族で、おばあちゃんだから安心してくださいとおばあちゃんに言えばいいのです。わたしたちがわかっているから、おばあちゃんは、わからなくてもだいじょうぶなのです。おばあちゃんは、自分のまわりにいる人がだれなのかを知らなくていいのです。
まわりにいる人間は、認知症の人に気をつかう。
平和であるように気をつかう。
認知症の人が、怒ったり、泣いたりすると、まわりにいる人は困ります。
なになにしてほしいと延々としつこく言い続けられると聞かされる方は嫌になってきます。
介護のつらさは、自分の時間を奪われることです。ああしたい、こうしたいと思っていても介護が必要な人の世話で、自分が自由に使える時間が少なくなります。
うんこ・しっこのお世話もたいへんです。無理をすると共倒れになってしまいます。
ただ、いつかは、終わりの日が来ます。終われば終わったで、気持ちがしみじみします。次は自分がお世話をしてもらう番がいつかはきます。人間は、たいていの人が、人生の最後は、障害者になります。自分の心身を自分で管理(コントロール)することができなくなります。
認知症は、脳みその病気です。
これまでに、何人かの認知症の人たちを見たことがあります。
熊太郎がまだ若い頃、何度か会っているのに『あなたは、初めての方ね』と言われたことがあります。まわりにいた人たちはだまってうつむいていました。(その頃は、『ボケ』という言葉がよく使われていました)
冠婚葬祭の場で、喜怒哀楽のない表情のおじいさんを見たことがあります。無表情で動いていました。ご親族が腕をつかんで誘導されていました。ああ、認知症の人だなとわかりました。
絵本を読み終えました。
心優しい内容でした。
認知症になったおばあちゃんのお話です。
作者は、認知症の判定方法に使う『長谷川式認知症スケール』を考案された長谷川和夫さんです。
そして、長谷川和夫さんご自身も認知症になられています。
この絵本を読んだあと、『ボクはやっと認知症のことがわかった 長谷川和夫・医師 猪熊律子・読売新聞編集委員 KADOKAWA』を読む予定です。
長谷川和夫さんは、2021年(令和3年)に老衰のため92歳でお亡くなりになっています。お疲れさまでした。
熊太郎は、冗談ではなくて、本当に頭がおかしくなって病院で長谷川式認知症スケールの検査を受けたことがあります。
検査中のかすかな記憶が残っています。自分が今いる病院の名称を別の病院名で言い張っていました。今日の年月日を言い間違えました。季節すら間違えていました。数字の引き算を尋ねられて、なかなか答えが出せずイライラして、どうしてこんな簡単な計算ができないんだと自分に対して怒りすら生まれました。検査の最後では、あろうことか、イスに座っていた自分の体を前かがみにして、目の前に座っている医師の両足首を自分の両方の手でつかんで持ち上げてしまいました。そのあと、その日の深夜に手術を受けました。頭蓋骨(ずがいこつ)に穴を開けて脳にたまっていた血液を抜く手術でした。半年近くかけて頭蓋骨内にある毛細血管からしみ出して脳内にたまった血液が脳みそを圧迫して脳みそが正常に機能しなくなっていました。(半年ぐらい前から耳鳴りがひどかった。耳鳴りの原因がわかりませんでした)
さらに脳脊髄液が、首のあたりから腰に向けて流れているのですが、その脳脊髄液が、背骨のあたりで漏れていることがわかり、別の病院に転入院して手術のような処置をうけました。
もうふらふらでした。幻視もたくさん見ました。認知症になると、こんな感じになるのだなということを体験しました。まわりの人たちにいっぱい迷惑をかけてしまいました。
そんなことを思い出しながら、こちらの絵本を読み始めます。
『だーいすきな ぼくの おばあちゃん。』です。
おばあちゃんは、やさしい。
おばあちゃんは、おばあちゃんということだけで、孫に慕われるわけではありません。
孫の話を叱らずにゆっくり聞いてあげねばなりません。
おもちゃや食べ物を買ってあげねばなりません。
おいしいごはんをつくって、おなかいっぱい食べさせてあげなければなりません。
おこずかいもあげねばなりません。
いっしょに遊ばなければなりません。
おばあちゃんにしてもおじいちゃんにしても、孫になにもしなければ、孫は祖父母になつきません。
絵本のおばあちゃんは、自分の畑でできたスイカを孫にふるまいます。キュウリやトマトもあります。
孫と一緒におでかけもします。動物園へ行きます。(動物園は平和で安全なところです)
ちびっこは遊びの天才ですから、時間にこだわらずに、疲れ果てるまで遊び続けます。付き合うのはけっこう大変です。
でもあきらめて、根気よくいっしょに遊びます。
記憶が維持できないところから認知症が始まります。(昔は、『痴ほう(ちほう)』と表現していました。作者の長谷川和夫さんのご尽力もあって、『痴ほう』が、『認知症』に呼び方を変えたそうです)
絵本の中のおばあちゃんは、物忘れが始まりました。
だれでもそうだと思いますが、加齢で、固有名詞が口から出てこなくなります。人の名前だったり、お店の名称だったり、土地の名称だったりがなかなか出てきません。そのかわりに、『あれ』『それ』『これ』という指示代名詞が多用されます。あうんの呼吸で、何を言っているのかがわかるときもありますが、わからないときもままあります。
『ぼく』が一年生のとき、おばあちゃんが、外で迷子になって警察に保護されました。
(自分がどこにいるのかわからなくなります。熊太郎は、入院している高層ビルの大きな病院内で迷子になったことがあります。どのフロアーも似たつくりで、エレベーターに乗って別のフロアー(階)に行ってしまい、自分の部屋に戻れなくなりました。(自分がいるフロアーから別のフロアーに行っては行けないというきまりがあったそうですが、脳みそが弱っていたので指示を理解できていませんでした。自分の左手首にリストバンドがあって、自分の病室と診察券番号がリストバンドに印字されていましたが、そのことも失念していました。結局ナースセンターの職員の助けで自室に戻ることができました)
迷子になるのは、本人の責任のようで、そうでもないのです。脳みその病気なのです。
『ここはどこ? あなたはだれ?』と言っている本人は、情けない気持ちでいっぱいなのです。
絵本の中のおばあちゃんは、物忘れ外来を受診して、お薬の服用が始まりました。
おばあちゃんの人格が、よくないほうへ変化していきます。
もう別の人です。
怒って物を投げつけたりもします。たいへんです。こどもに戻ったみたいです。
介護保険でいうところの要介護1から5のどれかに該当して、施設入所が必要かなあというような絵本の中の絵です。
秘訣(ひけつ。コツ)が書いてあります。
おばあちゃんが、まわりにいる家族のことをわからなくなってもいいのです。
まわりにいる人たちが、あなたは、わたしたちの家族で、おばあちゃんだから安心してくださいとおばあちゃんに言えばいいのです。わたしたちがわかっているから、おばあちゃんは、わからなくてもだいじょうぶなのです。おばあちゃんは、自分のまわりにいる人がだれなのかを知らなくていいのです。
まわりにいる人間は、認知症の人に気をつかう。
平和であるように気をつかう。
認知症の人が、怒ったり、泣いたりすると、まわりにいる人は困ります。
なになにしてほしいと延々としつこく言い続けられると聞かされる方は嫌になってきます。
介護のつらさは、自分の時間を奪われることです。ああしたい、こうしたいと思っていても介護が必要な人の世話で、自分が自由に使える時間が少なくなります。
うんこ・しっこのお世話もたいへんです。無理をすると共倒れになってしまいます。
ただ、いつかは、終わりの日が来ます。終われば終わったで、気持ちがしみじみします。次は自分がお世話をしてもらう番がいつかはきます。人間は、たいていの人が、人生の最後は、障害者になります。自分の心身を自分で管理(コントロール)することができなくなります。
認知症は、脳みその病気です。
これまでに、何人かの認知症の人たちを見たことがあります。
熊太郎がまだ若い頃、何度か会っているのに『あなたは、初めての方ね』と言われたことがあります。まわりにいた人たちはだまってうつむいていました。(その頃は、『ボケ』という言葉がよく使われていました)
冠婚葬祭の場で、喜怒哀楽のない表情のおじいさんを見たことがあります。無表情で動いていました。ご親族が腕をつかんで誘導されていました。ああ、認知症の人だなとわかりました。
絵本を読み終えました。
心優しい内容でした。