2023年12月31日

東野・岡村の旅猿 青森県大間で巨大マグロ捕獲

東野・岡村の旅猿 特別版 奇跡!大間で(おおま。青森県下北半島北端)で120キロ超え巨大マグロ捕獲岡村マグロ解体ショーへの旅 完結編 ロケの直前……岡村まさかのアキレス腱断裂 大ピンチを乗り越え、大間産巨大高級マグロを釣り上げる奇跡の瞬間が!見逃し厳禁です。日本テレビ

 思い起こせば、二年前ぐらい、大阪堺でマグロ解体のための包丁を専門店で購入した岡村隆史さんでした。ようやく、大きな本マグロをさばく日が訪れたようです。
 2022年1月に感想メモの記録が残っていました。以下はその一部です。
『東野・岡村の旅猿20 マグロの解体ショーへの旅 動画配信サービス』
 ロケ地は大阪から始まりました。ゲストは、ジミー大西さんです。岡村さんが、堺市に「マイ包丁」を買いに行くらしい。
 岡村さんがマグロの解体で使用するマイ包丁を大阪堺市の店舗で購入します。切れ味がいいので、見ていてちょっと怖い。 大きなクジラ包丁とか、包丁を何本かしまう包丁ケースというものを初めて見ました。岡村さんが買った包丁は1本4万円もしました。
 
 今回の映像が始まってしばらくは、以前すでに放送した映像の再現であり退屈でした。これまでのふりかえりシーンでした。
 予告として、持田香織さんとか、佐藤栞里さん(さとう・しおりさん)、お笑いコンビのミキの昂生さん(こうせいさん)、石井ブレンドさん(昔、お笑いコンビコマンダンテ(その後解散)の石井輝明さんのお名前で番組旅猿に登場されたことを覚えています)、旅猿釣り部の鈴木拓さんと原西孝行さん、お笑いコンビダイアンのユースケさんと津田篤宏さん、それからあとから博多華丸さんも登場されました。(先日NHKのファミリーヒストリーで出ておられたのを観ました)

 以前、持田香織さんと東野さん・岡村さんで青森県大間に行った番組回を覚えています。とても寒い時期でした。

 番組では、東野さん、原西さん、鈴木拓さんの3名が船出します。今回のロケでは、先発隊で、原西さんと鈴木拓さんとジミー大西さんが現地に乗り込んでマグロ釣りに挑戦されたけれどマグロは釣れていないそうです。
 岡村さんとジミー大西さんは、岡村さんが右足アキレス腱(けん)断裂のケガをしているので、町をぶらりと散策するそうです。(下北半島を南下して、青森県むつ市へ行かれました。恐山(おそれざん)がロケ場所として出てくるかなと思いましたが出てきませんでした。足のケガですから山道は無理ですな。シーズン的に(冬)閉鎖されていたのかもしれません)
 唐揚げを食べることができるラーメン屋とか、名物の菓子があるお菓子屋、それから喫茶店とかに立ち寄られました。
 途中車の中から見えた景色ですが、平地に雪対策を意識した家屋が並んでいるように見えました。

 いっぽう、船上の東野・原西・鈴木拓さんたちですが、海峡(津軽海峡)とはいえ、海は広い。どこに巨大マグロがいるのだろう。魚群探知機を使ってマグロを探し続けます。
 船上でのごはんは、パックの握り寿司を食べる食事でした。
 ジミー大西さんはしきりに、『(本マグロが)釣れるわけがない』と後ろ向きな発言を繰り返します。馬鹿にしたようなしゃべり方です。感じが悪いです。
 
 東野さんは、31キロぐらいの重さのマグロが釣れたらいいと本音を言います。(30キロ以下はこれから先、大きく育つようにリリース(放す(はなす))するルールだそうです。
 エサは生きたサバです。エサのサバは海中を泳ぎます。
 番組内で、船長さんからいろいろ細かい説明を聞いて、本マグロの1本釣りのしかたがよくわかりました。なかなか大変です。最後は、マグロに電気ショックを与えるそうです。大きいものは、釣り上げるまでに1時間半ぐらいかかるそうです。マグロの逃げるための体力が落ちるのを待つのです。糸をゆるめたり、ひっぱったりしてマグロの体力を奪っていくそうです。

 映像を観ていて、『待つ』ということが大事だとわかりました。スリルがあります。
 
 釣れないので、もうきょうは終わりみたいな話が出ます。明日は、天候が悪そうなので漁には出られそうもないというような話になります。
 映像を観ていて、素人ながらに不思議だという疑問をもちました。
 なぜ、午後4時に漁を終えようとするのだろうか。メンバーたちが、ここまで釣りに出ていた午後の時間帯というのは、魚はエサを食べない時間帯ではなかろうか。
 ふつう、魚は早朝にエサを食べるものだという前知識が自分にあります。
 漁師は真夜中に港を出て、漁をするのです。(あんのじょう(不審に思ったとおり)、その後、ロケにしかけがありました)

 なにも釣れず(つれず)、港に戻って、あーあとがっかりしたところで、原西さんから種明かしがありました。どっきりカメラの撮影のようなものです。
 先発で釣りに来ていた原西・鈴木拓・ジミー大西さんたちが、すでに巨大な本マグロを釣り上げていたのです。一発で仕留めています。運があります。たいしたものです。
 (やっぱり、釣れたのは、朝の時間帯でした)
 午前2時に宿泊所を出て、午前3時に出航、午前5時に漁場(ポイント)に到着して、午前7時30分頃に魚群探知機でマグロの魚影を見つけて、一投目で糸を100mたらし、5分後にマグロが針にかかって、マグロと長時間格闘の末、午前9時ごろに釣り上げていると思われました。
 順番に記録していくと、一投目で100mたらし、ヒット(あたり。くいついた)がきて100mもどそうとしたら、マグロが逃げようと猛ダッシュで船から離れていき、300m離れ、365m離れ、450mメートル離れと、マグロが猛スピードで逃げようとしたことがよくわかりました。
 ヒットから20分経過、40分経過、1時間10分経過と時間が過ぎていきます。ヘミングウェイの作品『老人と海』を思い出しました。マグロの体力は徐々に弱っていき、糸は30mまで巻かれ、最後は、糸に電気ショックを与えるための器具が付けられ、最後は銛(もり)を刺して、機械で船上へ持ち上げられました。とても人力で持ち上げることができる重さではありません。
 映像では、東野さんが以前練習していた津軽三味線の音色がバックグラウンドミュージックとして流れていました。いい感じでマッチしていました。
 マグロは、125.4kg 体長2mぐらいです。かなり大きい。テカテカ光っています。輝きがあります。(岡村さんはさばけるのだろうか)

 東野さんの言葉です。『ありがたくだまされました』(同感です。いい番組進行でした。ジミー大西さんがじょうずに人をだましたのでびっくりしました。そういうことができない人だと思っていました。正直にベラベラと自分の気持ちをしゃべってしまう人だと思いこんでいました)

 巨大な本マグロを東京豊洲(とよす)のお店で料理します。
 岡村さんはアキレス腱(けん)断裂のケガをしているので、包丁の入刀(にゅうとう)だけですが、やっぱり、ケガをしていなくても、岡村さんに本マグロ全部をさばくということは無理です。いやいやたいへんです。力がいります。気合もいります。専門の方がさばいてくれました。解体ショーです。カマといわれる部分がすごい。でかい。ちょっとグロテスクではあります。カマを切る。全体で、600人分のお刺身がとれるそうです。食べたい。いい映像です。料理人の方の体は細い。肉の塊(かたまり)をもちあげるのがたいへんそうでした。マグロの中落ち(中骨にくっついている部分)がすごい量です。
 ジミー大西さんの小太鼓叩き(たたき)による景気づけがいい感じです。
 柵(さく)になるまで身を切り出します。そこから、大阪堺で買った包丁で岡村さんが刺身にします。岡村さんの仕事はち密でていねいです。分厚い刺身ができあがっていきます。拍手です。
 食べ物になってくれる生き物がありがたい。
 生き物(マグロ)に感謝です。
 さかのぼって、青森大間では、マグロの心臓料理が出てきました。磯の香りがするお肉だそうです。
 東京豊洲での本マグロ解体の映像を観ながら自分も、『すごい。すごいわ!』を連発しました。立派な本マグロです。
 博多華丸さんの『おめでとうございました』で宴席がスタートします。
 映像を観ていてマグロを食べたくなりました。
 大トロ、中トロ、赤身、中落ちです。
 博多華丸さん『明太子(めんたいこ)以外に赤い食材があるのですね』(福岡出身の方ですから、おもしろかった)
 東野『ねっとりしている』 岡村『甘い』 原西『からみつく』
 そのあとのマグロどんぶりも豪勢で良かった。
 岡村さんが次回は別のお魚釣りと料理に挑戦するというような発言をされていました。ヒラメというような魚の名前が出ていました。楽しみです。  

2023年12月30日

バスVS鉄道旅 宮城県石巻市から岩手県盛岡八幡宮

バスVS鉄道旅 宮城県石巻市鹿島御見神社(かしまみこじんじゃ)から岩手県盛岡八幡宮 テレビ東京

 太川陽介バスチーム:鈴木蘭々(すずき・らんらん) 小田井涼介
 村井美樹鉄道チーム:水野真紀 林家三平

 なかなか良かった。いい勝負でした。村井美樹さんのバスチームの勝利でしたが、わずか9分差の先着でした。太川陽介さんは3連敗になってしまいましたが、以前、村井美樹さんの方が、負けが続いてお気の毒だったときもありました。勝負は、『時の運』です。勝つこともあるし、負けることもあるのが勝負です。

 クライマックス最後の村井鉄道チームの疾走(しっそう。非常に速く走ること)が良かった。昭和世代の村井(43歳)・水野(53歳)・林家(53歳)の3人がゴールを目指して爆走します。ゴール直前ラストの走りがすごかった。『昭和』のど根性を見せてくれました。ゲストから(自分たちは)、ブラックな時代(昭和)を生き抜いてきたというような発言があります。命より仕事のほうが大事だった時代でした。そして、みんな『家族』のためにと念じて(ねんじて)、イヤだと思うこともがまんして働いていました。鉄道チームは今回睡眠時間が2時間ぐらいしかありませんでした。命がけの最後の疾走(しっそう)でした。
 昭和世代は、いろいろ不満があっても、馬鹿になって走りぬくことで生き残ってきました。不合理、不条理、理不尽な職場がありました。パワハラもセクハラも、いじめも、えこひいきもありました。それでも、くそったれ! 負けてたまるか! と思いながら、必死に走ってきた時代がありました。雑草のように踏まれても踏まれても立ち上がりました。
 歳(とし)をとって、体はぼろぼろになったけれど、今は平穏で安心な老後の日々があります。過去をふりかってみて、不満はあっても、あれはあれで良かったと肯定するのです。

 村井美樹さんは相変わらず①地図を読めない(道を間違える) ②グルメ問題を解けない。(太川陽介バスチームはたいてい一発正解に近い。今回村井美樹鉄道チームは7回目でようやく正解しました)村井美樹さんひとりだけにまかせるのではなく、人にはどうしても得手不得手(えてふえて)があるので、3人ワンチームですから三人でよく話し合ってから答えを決めたい。

 朝、出発地の神社で引いたというおみくじがらみの進行話が効果的で、じょうずに仕上げてありました。
 太川陽介さん:『大吉』 大吉は、後は下るだけ(あとはくだるだけ)。
 村井美樹さん:『小吉』 初め危うし後よろし(はじめあやうし、あとよろし)
 おみくじの予言のとおりになりました。

 水野真紀さんの美人女優とは思えない焼き肉爆食に驚きました。力強くて頼もしい。
 郷土料理がおいしいから爆食できるということはあります。なんとなく、宮城県と長崎県は郷土料理の雰囲気が似ているなと感じました。

 太川陽介さんは、『年金受給できますよ』、の通知が届いたそうです。65歳です。何歳から年金をもらい始めるかみたいな話があります。
 わたしが思うに、もらえるものはすぐにもらい始めたほうがいい。先延ばしにはしないほうがいい。人の命はどうなるかわかりません。自分と同世代で、もう亡くなった知人も何人かいます。病気でした。たくさん年金保険料を納めたのに、年金受給開始前に亡くなった人もいました。
 年金というものは、長生きした人が得をする仕組みになっています。
 年金受給に関して言えば、極端な話、長生きをした人が、勝利者なのです。
 あとは、元(もと)を取り戻すことを考えた方がいい。
 自分がこれまでにいくら保険料を納めたのかを知ります。会社勤めだと、事業主負担分もあります。自分が納めた保険料と同じ額を会社も納めています。全体の額を取り戻すためには、けっこうな年数がかかります。長生きしないと損です。
 太川陽介さんは、スタッフから、何歳までこの企画(バス旅)を続けるのかと聞かれて、最初は70歳、次にいや、67歳で考えなければならないと返答されていました。的を射ています。(要点をとらえている)65歳過ぎの心身は、もう若くはありません。
 太川陽介さんのバス旅の昔の相棒だったえびすよしかずさんのコラムを毎週週刊誌で読んでいるのですが、認知症でヨロヨロになっているえびすさんがちゃんとした文章を書けるわけもなく、えびすさんのようすを見ているどなたかが、えびすさんのかわりに、きちんとした文章を書かれているのだろうと推測しています。ときに、文章の書き方がいつもと違うと、ああ、今回は違う人がこの文章を書いたのだろうとピンときます。まあ、ご本人の了解は得てあるのでしょう。
 太川さんもえびすさんも、おふたりとも歳をとられました。録画してある昔のバス旅の映像を観るとおふたりとも顔の肌つやが良く、きらきらと輝いて、生き生きとされています。若いということはありがたいことです。

 こちらの番組では、チェックポイントを巡りながら、ときおり両チームが出会うところが楽しい。敵同士ですからだましあいをします。お互いの心の動きが映像から伝わってきてスリルもあります。
 企画として、タクシー代ゲットの1000円がうれしい。たかが1000円が、勝負の分かれ目なのです。
 
 鉄道チームは鉄道の宿命としてかなりの長距離を歩きます。(路線バスは小回りがききます)鉄道チームのメンバーには、歩いて、疲れ果てて、もう笑うしかないというシーンが登場します。

 宮城県気仙沼駅前(けせんぬまえきまえ)の食堂で出てきた大きなカキフライを見て、昨年晩秋に、宮城県塩釜のお寿司屋さんで食べた生ガキを思い出しました。とても大きかった。そして、おいしかった。

 陸前髙田の『奇跡の一本松』がなつかしい。津波被害からもう10年以上が経過しました。たしか、東日本大震災の復興応援で、名古屋市からも陸前髙田市に職員が派遣されています。

 東北地方にあるリアス式海岸の海の風景がきれいです。

 宮城県の方言当ての問題がむずかしかった。
 かっぱじょす=踏み外す(ふみはずす)
 しぇわすねぇ=騒がしい
 むんじぇ=かわいそう
 かっぽり=(水たまりに)はまる
 たんげばんこ=かわりばんこ
 たんぱら=短気
 けっちゃ=裏がえし
 方言解読のための鈴木蘭々さんと小田井涼介さんの思考力に感心しました。

 この番組を観た後、TVer(ティーバー)で、タビリスさんが登場する答え合わせの番組も観ました。タクシーの使い方で太川陽介チームが圧勝もできた可能性があるという内容でした。そうかーーと思いつつもなかなかそうもできなかったと太川さん同様自分もふりかえったのです。

 村井美樹さんの鉄道チームは、もう何度目かわからないほど、鉄道のアクシデントに見舞われました。今回は、強風で列車が動かないのです。まるで人生です。予定通りには運ばないのです。
 ようやく来た電車を見て、林家三平さんが、『銀河鉄道』みたいだと発言されます。宮沢賢治作品『銀河鉄道の夜』は、今年の夏に東京下北沢の本多劇場で演劇を観たことを思い出しました。東北と岩手県出身宮沢賢治作品はマッチ(一体)します。
 鉄道チームの最後のかけ声は、『行こう!』。ゴールに向かって全力疾走でした。とても良かった。

 ふと思い出したことがあります。
 村井美樹さんと林家三平さんは、今年6月放映のBS旅番組でご一緒されていました。
 『ローカル線よくばり絶景旅 村井美樹が行く わたらせ渓谷鉄道 新名所&穴場徹底満喫スペシャル BSテレ東京』という番組でした。
 林家三平さんは、やはり、村井さんと縁があって、今回の番組に出演されたのでしょう。村井美樹さんとこどもさんも含めての家族同士のお付き合いがあるそうです。今回の番組の中でお子さんのお話をされていました。  

2023年12月29日

出川哲朗の充電バイクの旅 大分県九重から湯平温泉

出川哲朗の充電させてもらえませんか? 大分県・熊本県 九重(くじゅう)、黒川温泉、由布岳にはたどりつけず、湯平温泉(ゆのひらおんせん)でゴール TVer(ティーバー) 

行くぞ!九州最強の温泉街道120キロ!九重(くじゅう)“夢”大吊橋(おおつりばし)から“黒川温泉”を通って名湯“湯布院”へ!ですが竹山&咲楽(さくら)がノンビリすぎて前に進まなーい!ヤバイよヤバイよSP井上


 前半のカンニング竹山さんのほうは、泊まる旅館が見つからず(黒川温泉は紅葉の時期でどこも満室)、長時間の宿探しで終わったような感じでした。

 後半の井上咲楽さんは、井上さんの体当たりの演技に圧倒されました。混浴をいとわず、丸見えの河原にある温泉に入られていました。井上さんは美人ですが、やることは、親しみあるおばちゃんのようです。酪農家が育てている黒毛和牛を観て、『おいしそう』の第一声があります。そういえば、太川陽介さんと村井美樹さんの路線バスVS鉄道旅に出て、村井美樹さんの鉄道チームだった時、歩いていた道ばたで虫を見つけて、『おいしそう』とも発言されていました。(井上咲楽さんは、昆虫食をする人です)

 井上咲楽さんのお名前は(本名)、邦画『男はつらいよ』に出てくる倍賞千恵子さんの役名『さくら』からきているという話が出て、その後、偶然、同映画のロケ地の温泉地をたずねる流れになって、気持ちがほろりとくるシーンがありました。井上咲楽さんのお父さんが、フーテンの寅さん演じる『男がつらいよ』のファンだそうです。お父さんは葛飾柴又のご出身だそうです。
 今回のロケ地となった湯平温泉(ゆのひらおんせん)山城屋には、寅さんのポスターがいっぱいはってありました。記録を観たら、第30作を観たときの感想が残っていたのでここに落としてみます。
 『男はつらいよ DVD 第30作 花も嵐も寅次郎」
 1982年 昭和57年12月 沢田研二 田中裕子
 ジュリーと田中裕子さんはこの映画が縁で結婚したのだろうか。この映画のときが、34歳です。
 冒頭から寅さんと家族のケンカの始まりで、おいちゃんの「出ていけ-」で、とらやを出て行ってしまう寅さんです。この頃、渥美清さん54歳で体力的に少し弱くなったような雰囲気があります。今回の寅さんは、沢田さんと田中さんの恋をとりもつキューピッド役です。
 公衆電話がなつかしい。
 前回の作品第29作で、いしだあゆみさんに言い寄られた寅さんが、沢田研二さんに言い寄られて困っている田中裕子さんにアドバイスを送ります。
 大分県別府鉄輪温泉(かんなわ)の風情を見ていると、全国の神社仏閣が果たしてきた役割は大きいと感じます。』

 井上咲楽さんの姉妹は、咲楽さんの下に妹が三人いるそうで(井上咲楽さんは、4人姉妹の長女)、一番下とは11歳、歳(とし)が離れているそうで、番組の映像のなかでは、たまたま知り合ったお宅の小さな女の子をおんぶされていました。いつも妹たちをおんぶしてましたみたいなコメントがあって、好感をもちました。
 井上咲楽さんも出川哲朗さんもちびっこに優しい。井上咲楽さんは、小学生に見えた実は幼稚園の年長さんらしき坊主頭の男の子に、『どこに住んでいるの?』と聞かれて、東京の目黒区だよと返事をして、『泊まりに来ていいよ』と声をかけたのでびっくりしました。男の子は、『おかあさんがいいって言ったらね』と返していました。ほほえましい。井上咲楽さんは、人慣れしています。

 黒川温泉あたりには行ったことがあるなあと思いながら映像を観ていましたが、どうも違うようだと思い出し、ああ、菊池温泉と間違えていたと気づきました。阿蘇から福岡県への車での移動の途中で菊池温泉を通過したことがあります。
 映像で観ると、どこも山の中です。

 後半は、今回の旅の湯布院(ゆふいん)へは、時間切れでたどり着けませんでしたが、井上咲楽さんと温泉の人たちとのいい出会いがあり良かった。

 ほかの旅番組も含めて、九州について観ていると、食べ物はおいしいし、物価は都市部ほど高くないし、山や川、田んぼや畑、海に加えてたくさんの温泉地や歴史ある土地があって、住みやすいと思うのです。
 気持ちがのんびりしています。せかせかしていません。九州の旅館の日中は休憩タイムなので、予約しようと電話をしてもだれも出ないというような体験が昔の自分にありました。
 世の中、少子化とはいいますが、映像で観るとちびっこたちも多い。今回は、目と目の間に大きなばんそうこうをはった女の子がいました。かわいらしい。

 出川哲朗さんが、来年、北里柴三郎の日本円の新札が出ることを知らなかったことは意外でした。撮影しているカメラマンも知らなかったことが話題として映像に出ています。知識って、そんなものなのだろうかとちょっとびっくりしました。時間に追われて働いている人は、自分の身の回り2.5m以内の出来事にしか興味がないように見えます。
 日本円の新札の発行:2024年(令和6年)7月3日から開始。
 1万円札は、渋沢栄一(明治・大正時代に活躍した実業家。日本での資本主義を構築した。慈善事業家。一橋慶喜(江戸幕府最後の将軍。ひとつばし・よしのぶ)に仕えた(つかえた)。株式の取引所を設立した)
 5000円札は、津田梅子。教育者。6歳からの留学で11年間、米国での暮らしを体験して、帰国後、女性の地位向上のために女性教育に力を注いだ。帰国した時日本語は話せなかった。明治時代に、津田塾大学を創立した。
 1000円札は、北里柴三郎。伝染病予防に貢献した細菌学者。こちらの充電バイクの番組では、出身地として、熊本県小国町(おぐにまち)生まれとして紹介のシーンが出ていました。

 泊まる旅館では部屋割りにこだわるカンニング竹山さんです。3人で2部屋だけど、どうしても個室がいい。それを許さない出川さんです。ジャンケン勝負です。(ふつう、ゲストの意向を優先させると思うのですが、出川さんとスタッフは、笑えるシーンを撮りたいようです)
 寝るときに個室を望む芸人さんは多い。以前、別の芸人さんのときももめました。その人の名前が思い出せません…… 思い出しました。狩野英孝さんでした。(かのうえいこうさん)

 うなぎがおいしそうでした。いなかはどこもうなぎがおいしそうです。

 大分県の由布岳の姿がきれいです。

 来年放送の初回は、富士山一周だそうです。
 楽しみです。ゲストは、佐藤隆太さん、長島一茂さん、佐藤栞さんと最後に紹介がありました。  

2023年12月28日

続 窓ぎわのトットちゃん 黒柳徹子

続 窓ぎわのトットちゃん 黒柳徹子 講談社

 最初の本、『窓ぎわのトットちゃん』は昔読んだことがあります。
 それから、ご本人の講演を聴いたことがあります。場所は静岡県内でした。もう、35年ぐらい前のことです。テーマは忘れましたが、90分間、おそらくご本人の頭の中にひらめくままに、機関銃のようにおしゃべりをされて、聴いていて圧倒された覚えがあります。
 ユニセフの活動についてのお話があった記憶です。ユニセフ:国連児童基金。黒柳徹子さんは、ユニセフの国際親善大使です。

 テレビ番組『徹子の部屋』は、毎日楽しみに観ています。いろんな人がいるなあとゲストに興味があります。最近は、親の介護の話が多い。お笑い芸人さんが出ると、黒柳徹子さんは、芸をやらせてすべらせて、神妙な雰囲気になるという特徴があります。
 テレビ番組アメトークで、そんな話題でトークショーがあったことを思い出します。黒柳徹子さんは、忖度(そんたく。相手に会わせて面白くなくても笑う)ということをされません。「それのどこがおもしろいの?」という質問が出たりもします。そこがおもしろい。
 以前フワちゃんが出たときに、(乱暴な言葉づかいをする)フワちゃんが黒柳徹子さんの家に遊びに行きたいと言ったら、黒柳さんが即答で、『来ないで!』と言ったときがあって笑いました。

 さて、読み始めます。最初は、『寒いし、眠いし、おなかがすいた』です。物語が始まるころのトットちゃんは、小学校低学年ぐらいです。
 わたしの親の世代の方です。1933年(昭和8年)生まれ。90歳。わたしの実母も同じぐらいの生まれです。先日九州の実家まで行って会ってきました。ふたりを比較すると、黒柳徹子さんはかなりお元気です。びっくりします。私の実母は、耳は遠くなり、腰は曲がって圧迫骨折をしており、入院の空きベッド待ちでした。ただ、口は達者で元気です。(その後入院しました。ほっとしました)

 23ページまで読んで、いろいろと驚かされました。
 まだ、戦前のことですが、黒柳徹子さんは、欧米風の暮らしを送られていた上流階級のお嬢さまです。貧民の庶民とは違います。
 第二次世界大戦が、1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)ですから、そのころ、黒柳徹子さんは、8歳から12歳です。
 ペットはシェパード犬の『ロッキー』です。軍用犬で使うため、軍隊に連れていかれたらしい。突然いなくなったそうです。
 
 トットちゃんのいわれ(由来):『徹子(てつこ)』をてつこと発音できず、自分自身で、『トット』と自分のことを言っていたから。

 本の文章はしっかりしています。文章量もボリュームがあります。ここ数年で書かれた文章ではありません。前作から42年経過する中で書かれた文章です。

 全体のつくりは、エッセイ(随筆)です。主に、思い出話です。

 食事は、バナナ(わたしがこどものころの昭和30年代から40年代は、バナナは高価なくだものでした)
 黒柳徹子さん宅の朝食は、パンとコーヒー(庶民は、ごはんにみそ汁、つけもの、卵料理でした)
 パンは、パン屋さんが、毎朝ご自宅に配達してくれたそうです。
 黒柳徹子さんの夕食は牛肉。(庶民は鶏肉(とりにく)しか食べられなかった。あとは魚ばかりです)
 寝るのはベッド(庶民は、ふとん)
 庭付きの洋風一戸建て住まい(庶民は長屋)
 
 遊んだのは、勝海舟の別荘だった空き家のお屋敷だったそうです。(西郷隆盛も来たことがあるそうです。先日鹿児島市を訪問した時に、バスの窓から西郷隆盛さんの大きな銅像を観ました)

 アイスクリームを食べて、銀座を散策する。三越デパートでおもちゃを買ってもらう。

 猩紅熱(しょうこうねつ):感染症。発熱。喉痛、舌が赤くはれる。全身に赤い発疹(ほっしん)が出る。

 徹子さんの父:ヴァイオリン奏者。昭和19年秋の終わりに、今の中国華北地方へ出征した。敗戦でシベリアの捕虜収容所に抑留された。(よくりゅう:強制的にその場におかれた)。昭和24年に帰国した。軍歌は演奏しない主義をもっていた。
 徹子さんの母:エッセイスト黒柳朝(くろやなぎ・ちょう)。
 徹子さん:長女。1933年生まれ。
 弟:明兒(めいじ)さん。1944年(昭和19年)5月に敗血症で死去。はいけつしょう:細菌感染
 下の弟:紀明さん。1940年生まれ。
 妹:眞理(まり)さん。1944年生まれ。


 品川とか、忠犬ハチ公像がある渋谷とか、自分も行ったことがある場所が本に出てくるので身近に感じられます。
 1941年(昭和16年)当時、徹子さんは8歳ぐらいです。
 
 青森で、電車の中で、りんごがらみで、地元のおじさんと仲良くなります。(それが縁で、その後、青森に疎開することになります。沼畑さんです)

 本をツケ(後払い)で買う。
 
 戦争は悪化しています。食べ物がほとんどありません。
 
 出征兵士を日の丸の旗を振りながら、『バンザーイ』と見送るときに、スルメの足がもらえたそうです。(初耳です)
 徹子さんは、スルメの足ほしさに、学校の授業中でも出征兵士を見送りに行かれたそうです。(学校を抜けだしても何も言われなかった。そういう時代だったそうです)
 のちに、するめ欲しさの行為を後悔されています。でも、まだ8歳ぐらいです。

 家族をつなぐものとして音楽があります。
 
 防空壕(ぼうくうごう)の話があります。
 わたしも小学校低学年のときに、家の近くの里山の斜面に掘ってあった防空壕で近所のこどもたちと遊びました。防空壕の中はとても広かった記憶です。防空壕はその後封鎖されてしまいました。安全対策のためでしょう。

 昭和20年(1945年)3月10日東京大空襲。約10万5400人が亡くなる。現在のパレスチナガザ地区の惨状が目に浮かびます。

 63ページに、『パンダ』のことが出てきます。アメリカ帰りの伯父さんからもらった白黒のクマのぬいぐるみを防空壕へ連れていかれています。

『トット疎開する(そかい。米軍の空襲から逃げるためにいなかへ避難する)』
 なかなか苦労されています。たいへんな思いをされています。
 東京上野駅から、青森の今でいう八戸市あたりまで、おそらく蒸気機関車で移動したであろう昭和20年のことですが、お母さんと弟、妹さんは列車に乗れましたが、黒柳さんは上野駅に置き去りになっています。黒柳さんは当時11歳ぐらいだと思いますが、夜の8時に出発する次の列車で、ひとりで青森をめざしておられます。ものすごい乗客の数です。でも、まわりにいる人たちが優しい。みんな苦労しています。戦争なんかしちゃいけないのです。
 上野-福島-仙台-盛岡-尻内(八戸)のルートです。長い。時間がかかります。お母さんが書いてくれたルートのメモを手に握って移動です。
 黒柳さんは、やむなく、列車の窓からおしっこをされています。ただ、負けていません。明るい。
 列車が空襲で狙われるかもしれないので、灯火管制で、列車の中は真っ暗でした。
 人は苦労をしながら気持ちが強くなっていくことがわかります。めそめそしていてもしょうがないのです。
 黒柳さんが愛着をもっておられるパンダとの縁が書いてあります。アメリカへ行ったことがある叔父さんからのおみやげで熊のような動物のぬいぐるみをもらったそうです。そのときは、パンダということがわからなかったそうです。疎開するときにリュックに入っていた。心の支えだった。話し相手だったのでしょう。絵本『こんとあき 林明子 福音館書店』を思い出しました。

 ちゃんとしたお米のおにぎりがありがたい。
 現在90歳ぐらいをすぎた人たちの世代のご苦労がわかります。
 
 宗教の話が出ます。キリスト教です。
 青森県内にキリストのお墓があるらしい。昔、テレビで見たことがあります。まあ、本物ではないでしょう。なんだか、九州長崎、熊本の隠れキリシタンみたいな話です。

 北千束(きたせんぞく:地名を読めませんでした。東京都大田区、黒柳さんの家があったところです。

 疎開先は親族宅ではなく、たまたま旅先で知り合ったりんご農家のおじさんの家です。他人さまに家や仕事の世話をお願いします。夫が中国の戦地へ行って、母子家庭状態でこども3人連れて、徹子さんのおかあさんはころがりこみます。すごいなあ。たくましい。働いて、食べ物商売まで始めます。
 リンゴ泥棒を見張る八畳の小屋での生活です。電気も水道もありません。もちろんテレビもありません。(テレビ放送開始は1953年(昭和28年)です)石油ランプと水は隣の製材所からもらいます。川がそばにあるので、川で洗濯できます)
 家庭菜園をつくって、自分たちで自分たちが食べる野菜をつくります。
 徹子さんが11歳か12歳ぐらい、弟の紀明さんが5歳、眞理(まり)さんが1歳ぐらいです。

  青森県の方言の話がおもしろかった。
 『おつるひとがしんでから乗ってけれ』路線バスのバスガール(車掌でしょう。切符を売る人がわたしがこどもの頃にもバスに乗っていました)の言葉です。死んでからのってくれと聞こえます。
 正解は、『降りる人が済んでから乗ってください』です。
 
 徹子さんは、ジョジョッコの絵を描く。
 ジョジョッコ:青森の方言で、『人形』

 北海道の滝川で暮らしていた母方の祖母については考えさせられました。亡くなった母方の祖父は開業医だったそうです。
 祖母の気位が(きぐらい)が高いのです。祖母の実家の教えが、『ごはんを自分で炊かなくては(たかなくては)ならない家には、お嫁に出さない』嫁いだ家はお医者さんで、裕福な暮らしで、暇さえあれば聖書を読んでいた。看護師やお手伝いさんが、炊事や洗濯をやっていたそうです。(凡人には考えられない生活です。されど、考えてみると、例えばプロのピアニストだと一日中ピアノを弾(ひ)いているわけで、衣食住にかかわる生活の活動は、他人にやってもらっているのだろうと。芸術家のパトロン(出資者。援助者)みたいな存在があるのです)そういう暮らし方をする人もいます)

 黒柳ファミリーが、青森大空襲を運よく避けられた話が出ます。
 明石家さんまさんの話を思い出しました。1985年(昭和60年)夏、御巣鷹山(おすたかやま)に墜落した日航ジャンボ機に搭乗予定だったさんまさんは、たまたま仕事が早く終わって、1本前の飛行機に乗って命拾いをしたそうです。生き抜くためには、『運』がいります。『生きてるだけで丸儲け(まるもうけ)』が明石家さんまさんの座右の銘です。(ざゆうのめい:自分を励ますため、日ごろから心にとめている言葉)娘さんのお名前、『いまる IMALU (生きてるだけで・丸儲け)』につながっているそうです。お母さんの大竹しのぶさんの解釈が、『今を生きる』だそうです。

 黒柳徹子さんのほうは、なにせ、母親のがんばりがすごい! とにかく働きます。

 8月15日、終戦の日が訪れました。

 徹子さんは、旗の台(はたのだい)というところにある『香蘭女学校(こうらんじょがっこう)』に進学します。私立の中学・高校なのでしょう。キリスト教のミッションスクールですが、校舎は、仏教のお寺さんの敷地にあるお寺の建物です。空襲で学校が焼け落ちたからです。

『咲くはわが身のつとめなり(自分を咲かせる。昔は『結婚』することが女性のつとめだった)』
 小学生の時の恋心と失恋のことが書いてあります。あこがれの相手はだいぶ年上の男性で教会関係者です。

 サツマイモの茶巾絞り(ちゃきんしぼり):布で絞った和菓子

 逆に中学生のときに知らない男子からラブレターをもらったことが書いてあります。手紙の出だしにあった『ふかしたてのサツマイモのようなあなたへ』という文章に怒って手紙を即破いたそうです。戦後の食糧難だったことを考えると悪気はなかったものとあとで気づいたとのこと。

 蝋石(ろうせき):そういうものがあったことを思い出しました。こどもの遊びで、地面に絵や文字を描いていました。

 『やさしい人間になるには教養を身に着けなくてはならないし、そのためには本を読むことが大事だと考えるようになった。』

 16歳のときに占い師に手相を見てもらった。
 見料(けんりょう):手相などをみてもらうときの料金
 天眼鏡(てんがんきょう):やや大型の凸レンズ(とつれんず)
 占い師による占いの結果です。『結婚は遅いです。とても遅いです』『お金には困りません』『あなたの名前は、津々浦々(つつうらうら)に広まります』(よくあたっています)
 
 チャプレン先生:牧師の先生。チャペル(教会)を守る人

 太鼓橋(たいこばし):丸くそったアーチ橋

 先日観ていた『徹子の部屋』で、昔の映像ですが、ゲストのこどもさんに、こどものころ将来何になりたかったか?と聞かれた徹子さんです。『スパイ』という答えに、こどもさんはとまどって、苦笑いをしていました。(にがわらい:どう反応していいのかわからない)
 こちらの本では、『小さい頃は、スパイとチンドン屋さんと駅で切符を売る人になりたかった』と書いてあります。
 私立の女子中学生のときに、洋画『トスカ』を観て、オペラ歌手を目指すことにして、東洋音楽学校に入学されています。
 学校に対するお金の寄付の話やら、徹子さんのお父さんがヴァイオリン演奏者で超有名人だったことがわかる話やらが書いてあります。
 
 番組『徹子の部屋』のオープニング曲には、もともと歌詞があって、『コロラチューラ』という言葉が使用されていたと書いてあります。コロラチューラというのは、オペラでの歌い方だそうです。

 お父さんがシベリアから復員してきます。昭和24年の年末です。5年ぶりの再会です。
 弟紀明さんは9歳、妹眞理さんは5歳、徹子さんは、16歳ぐらいでしょう。
 お父さんは、東京交響楽団にコンサートマスターとして迎えられ、ヴァイオリニストとして復帰されました。コンサートマスター:まとめ役

 徹子さんは、人形劇『雪の女王』を観て、結婚を意識して、こどもさんむけに人形劇をやりたいと思うようになります。お母さんに新聞の求人欄でも見なさいと言われて観たのが、NHK専属俳優募集の記事で、それがきっかけになって、試験に合格して、NHKの劇団員になられています。
 まだ、テレビ放送は始まっていません。テレビ放送は、1953年(昭和28年)から始まります。当時のNHKは、日比谷公園にある日比谷公会堂の近くにあったようです。
 まあ、どたばたです。ぎりぎりに申し込んで、試験会場を間違えて、試験に遅刻して、それでも合格されています。才能ある人は、どういう状況に合っても世に出てきます。
 徹子さんは、試験会場で試験官に、筆記試験の答えを教えていただけませんか?と声をかけています。(ちょっと考えられません)試験官の返事は、『いやです』でした。

 徹子さんは当時、『若干名(じゃっかんめい。数人)』を、『わかぼしめい』と読んでおられます。

 ここまで読んできて、今は、180ページにいます。

(全体を読み終えました。253ページまでありました)
 第二次世界大戦に重点を置いた内容でした。
 もうすぐ、戦争を知らない世代の時代が日本に訪れます。
 戦争の怖さを知らないから、戦争をしてもいいという意見が前面に出てきそうな気配があります。
 相手が攻めてくるから対抗する。たくさんの人が死にます。
 戦争をしなくてもいいように、共存できる知恵を絞る。『平和』をめざす姿勢をもたないと、戦火は再び開かれます。
 徹子さんは、この本で、戦争反対を強く訴えられています。
 この本は、終戦後の昭和時代を表した歴史書のようでもありました。

『トット、女優になる』
 徹子さんが、HNK専属東京放送劇団第五期生採用試験に合格したのが、昭和28年2月です。
 2月1日からNHKのテレビ放送が始まっています。徹子さんは、養成期間を経て、昭和29年4月に正式採用されています。合格者は17人でした。
 
 東京の地名がたくさん出てきます。
 昨年、今年と、都内を散策したので、地理がだいたいわかります。記述内容が身近に感じられて心地よい。
 なつかしい俳優さんたちのお名前が出てきますが、もうみなさん、天国へ旅立たれています。
 同じ時代を生きてきた人が読んだら胸にじんとくるものがあります。
 
 黒柳徹子さんが最終選考で残った理由は、個性的であったこと、それから、養成期間中、無遅刻無欠勤であったことと読み取れる部分があります。無遅刻無欠勤が、長年続くテレビ番組『徹子の部屋』につながっているのでしょう。『継続』があたりまえのこととして身についている人については、『継続』が苦痛にはなりません。

 昭和29年ラジオドラマ『君の名は』に、通行人のがやがやの声として参加されています。いろいろうまくいかなかったことが書いてあります。
 現在NHK朝ドラの素材になっておられる笠置シヅ子さんとの仕事も書いてあります。徹子さんの演技を否定する人もいます。でも、応援する人たちもたくさんいます。

 ラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』三匹の白い子ザルのお話に参加されます。
 ほめ上手な先生がおられます。
 叱ってつぶすのではなく、ほめて伸ばす。
 いろんな人がいます。多少のことでめげないほうがいい。チャンスが逃げていきます。
 
 結婚に関してです。お見合いを3回されています。脳外科医の方と結婚を考えられています。見合いではなく、恋愛をして結婚したいという理由で、結局断られています。

 『紅白歌合戦』の司会者でドタバタしたことが書いてあります。
 昭和33年第9回紅白歌合戦です。
 徹子さんは25歳です。白組の司会者は、高橋圭三さんです。
 場所は、『新宿コマ劇場』です。今はもうありません。熊太郎は若い頃にその劇場を見たことがあります。中に入ったことはありません。
 徹子さんの紅白歌合戦にこめる気持ちが強い。
 
 昭和40年代というのは、『命』よりも『仕事』を優先する時代だったというような表現があります。同感です。徹子さんは体を壊します。当時、『ストレス』とういう言葉は聞かなかった覚えです。『モーレツ』という言葉はよく聞きました。

 『ブーフーウー』三匹の子ブタの兄弟のお話です。なつかしい。
 
 渥美清さんが出てきます。
 1996年に亡くなられて、もう27年がたちますが、BS放送では毎週土曜日に『男はつらいよ』が放送されています。(これを書いている)昨夜見ました。マドンナは栗原小巻さんで、タコ社長の娘が美保純さんでした。

 向田邦子さんのお名前も出てきます。
 先日、鹿児島市を訪れたおりに、城山展望台付近で、向田邦子さんが通っていた小学校のこどもさんたちが、かけっこをしていました。
 徹子さんは向田さんのアパートに入りびたっていたそうです。

 帝国劇場の劇に出演された。
 今年帝国劇場でミュージカルを観たので身近に感じられました。

 日本の歴史、東京の地理書を読むようです。

 人間は、外見で、人間を判断するというようなことが書かれています。
 変装のように俳優として化粧した徹子さんに気付かず、冷たい対応をする人たちがいます。
 
 昭和46年10月、アメリカ合衆国ニューヨークへ女優としての演技を学ぶために留学されています。

 あとがきにはやはり、戦争のことが書いてあります。戦争体験者の生々しい声があります。
 
 全体を読み終えて、この本は、まだ続きがあると確信しました。
 原稿はすでに手元にあられることでしょう。
 徹子さんは職業柄きちょうめんな方だと思うのです。記録はしっかりとってあると思います。
 もっともっと長生きしてください。  

Posted by 熊太郎 at 07:56Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年12月27日

その本は 又吉直樹 ヨシタケシンスケ 

その本は 又吉直樹 ヨシタケシンスケ ポプラ社

 おもしろそうです。
 王さまが、又吉直樹さんとヨシタケシンスケさんに指令を出します。
 世界を回って、『めずらしい本』の話を集めてきて、わたしに教えてくれというパターンです。

 この本自体は分厚いのですが、ページをめくると、児童文学のようでもあり、絵本のようでもあります。
 絵は、ヨシタケシンスケさんの絵で色合いも人物絵もきれいです。
 似顔絵です。本の中に、又吉直樹さんとヨシタケシンスケさんがおられます。

 なにが始まるのだろう。
 ふたりが一年後、珍しい本探しのための世界の旅から王宮に帰ってきました。
 どうもふたりはいっしょに回ったのではなく、それぞれで回ったらしい。
 
『第1夜』
 又吉直樹さんの姿が絵であります。
 ①とんでもない速さで走っている本
 ②ふたごの本
 (う~む。意味がわからない)
 ③警察に追われている本
 (本=人間なのか)
 ④『日本』という本
 (クイズ、だじゃれ、なぞなぞなのか)
 第1話を読み終えて:なんじゃらほい?!

『第2夜』
 ヨシタケシンスケさんの姿が絵であります。
 こちらは、マンガのような絵がいっぱいです。
 期間として『3ポーレは、800年間』のこと。
 アイデア、発想があります。
 幼児でないと理解できないことがある。(そういうことってあると思います)
 『ソの本』は:『ファの本』と『ラの本』の間にある。(なるほど。こどもさんがこの部分を読むとどんな感想をもつのだろうかと興味が湧きました)

『第3夜』
 再び又吉直樹さんの登場です。
 なかなかいい感じです。
 『その本は、しおりを食べる……』(殺人事件に発展します)
 『その本は、人を選ぶ。』(意味深い。本を読む人について書いてあります)
 『その本は、かなり大きな声で笑うので真夜中は冷蔵庫で……』
 『その本は、高いところから落とすと猫みたいに回転して……』
 (おもしろいうなあ。『思考遊び』があります)
 『…… やさしい本を食べると怪物はやさしくなるらしい』
(う~む。たいしたものだと唸りました(うなりました))

『第4夜』
 ヨシタケシンスケさんの番です。
 (いいなあ~)
 その本は:いつかぼくを救ってくれるはずだ。いつかぼくを大金持ちにしてくれるはずだ。いつかぼくは生まれ変わる。
 その本は、私が5歳の時、書いたものだ…… (本づくりの楽しみがあります。人生の楽しみにつながります)

『第5夜』
 又吉直樹さんの番です。
 意味深い。『本=人』ととらえる。
 人間はやっぱり、見た目よりも中身です。
 
 老化について考えることがあります。
 長い間生きてきて、自分と同世代の人たちの若かった頃の見た目を覚えていて、語弊がありますが、(ごへい。誤解を生みそうになる)若い頃いくらかっこよくて、イケメンや、美人でも、50年ぐらいがたつと、見た目はどうしても『劣化』します。あんなにかっこよかったのにとか、あんなに素敵だったのに…… 歳(とし)をとってしまったということはあります。
 本の55ページに、『その本は、「わかいころはモテた」がくちぐせです。』とあります。

 『その本はボロボロである』(紙の本だからぼろぼろになれます。深くて、大きくて、広い感情が、文章にこめられています)

 本をペットにたとえる。
 『その本は、僕になついていて、いつも(僕の)右肩にのっている……』

『第6夜』
 ヨシタケシンスケさんの番です。
 亡き父が自分の人生を書いた本があります。
 人生をふりかえって思うに、『自分の人生は(これで)上出来だった。(じょうできだった)』
 
『第7夜』
 又吉直樹さんの番です。
 この部分はとても長かった。78ページから118ページまで続きます。
 今年読んで良かった一冊になりました。
 語るのが、小学5年生の岬真一で、彼のパートナーが、小学校に転校してきた女子である竹内春(たけうち・はる)です。
 力作です。小学生同士の恋話ですが、『うまい!』
 ふたりは将来絵本作家になりたいという共通の夢をもっています。

 竹内春:おかっぱあたま。髪の毛がきれい。色白。切れ長の両目をしている。おとなっぽい。知的。声がよく通る。写真のような絵を描く。父親がアルコール依存症のDV男(暴力、暴言男)です。竹内春は父親を、『鬼』と呼びます。

岬真一:感情が屈折している。絵が得意。岬真一は、『鬼』を金属バットでめちゃめちゃに叩きたい(たたきたい)。竹内春を守りたい。

 ふたりの間で、マンガノートの交換が始まります。それはやがて、『交換日記』に発展します。

 アイデアが尽きません。
 湧き出る泉の水が尽きない(つきない)ようすに似ています。
 『遊びなのか修行なのかわからなくなってきた』とあります。
 『好きであることは間違いないだろうけど、それは自分よりも面白い絵を描ける人として惹かれていたり(ひかれていたり)、恐怖を感じている気持ちの方が強いのかもしれなかった』
 明文堂:めいぶんどう。文房具店
 『…… でも竹内と話していると一人のときよりも楽しいかもしれない……』
 『イエスタディワンスモア カーペンターズ』(1973年(昭和48年)ころ、よくはやりました。洋楽曲です)

 長い文章を続けて読みながら、(最後はたぶんふたりは別れるのだろうな)と思う。
 そのとおりになりました。

 絵本作家どうしはライバルになることはありません。友だちどうしになることはあります。

 お酒のみと結婚すると、普通なら体験しなくてもいい苦労を体験することになります。
 結婚相手を選ぶ時の物差し(ものさし。基準)です。何をする人かではなく、なにをしない人かという視点に立って相手の人を評価したほうが賢明(けんめい。かしこい)です。
 大酒飲みはアウトです。喫煙者もやめたほうがいい。無用なトラブルに巻き込まれて苦労します。暴力・暴言をふるう人もダメです。
 一見優しそうに見えても、家の中に入ると暴れる人っています。自分の思いどおりにならないと、机をたたいたり、椅子をけったりする人は危険です。
 調子のいい噓つきも排除したい。ひとつ嘘をつく人は、いくらでも嘘をつきます。
 相手を、よーく観察したほうがいい。人はたいてい、いいところもあれば、そうでないところももっています。ひとつでも尊敬できるところがあれば、ほかのいやなところはがまんできて、付き合いを続けることができるということはあります。
 竹内春の言葉として、『鬼はお母さんのことを叩いたり怒鳴ったりします……』
 
 30年に1回巡ってくるという流星群のことが出てきます。

『第8夜』
 この部分は、ヨシタケシンスケさんの語りで、人生の本について書いてありました。
 ちょっとわかりにくかった。

『第9夜』
 この部分は、又吉直樹さんです。
 『その本は、ゾンビが怖くなくなる方法について書かれている』(この部分を読んで考えたことです。自分も悪人になって悪の世界になじめば悪の世界にいるうちは生きていけるとも受け取れます)

 文章を読むとマンガの絵が頭に浮かびます。
 絵はありませんが、マンガの世界です。本を図書館の本棚に置くと、ゴゴゴゴゴゴーと地響きがして、大きな本棚が左右にわれて、床から光かがやく別の巨大な本棚があがってきて…… となるのです。

 『その本は、まっしろである。』
 病気で亡くなったお父さんが、生きていた時に撮影したビデオ映像が、その後成長した娘さんの結婚式で披露されます。
 撮影されたのは、2009年4月8日に撮(と)られたものです。映像の中でお父さんが、『あいこ、結婚おめでとう!』とメッセージを送ります。(でも、おとうさんは、もうずーっと前に、天国に行かれています)
 わたしは読んでいて、遺言(ゆいごん)の『付言(ふげん)』を思い出しました。
 わたしは今年の春、司法書士事務所の人に関り(かかわり)になってもらって、公証人役場で遺言の手続きをしました。
 そのとき、司法書士事務所に、遺族(妻子)に読んでもらう『付言』を預けました。わたしが死んだあと、妻やこどもたちに手渡しされます。
 わたしのメッセージを読む遺族の状態が、こちらの本のこの部分に書いてあると思いました。
 本では、亡くなったお父さんが動画の中で、トランペットを吹きます。『ザ・ローズ』という曲です。純粋です。損得勘定の意識はありません。胸にジンときました。

『第10夜』
 ヨシタケシンスケさんの番です。
 なるほどと思わせてくれる短文です。
 邦画『転校生』のパターンで、本と人間が入れ替わります。
 人間の意識をもった『本』は、病院への入院で体を動かせない状態になった人の心持ちに似ています。
 『もしかしたら、ぼくはもともと本だったのかもしれない……』
 すごい発想力です。
 
『第11夜』
 又吉直樹さんの番です。
 『その本は、夢のなかでしか読むことができない……』
 こどもさんが、教室の中で、どうやって友だちをつくったらいいかの問いかけです。
 わたしは、『ありがとう』と言えば、友だちができると思っています。『ありがとう』と言われて怒る(おこる)人はいません。いろいろ付け加えると、『あいづちをうつ。(人はたいてい、自分が言いたいことを言いたい。反対に、人の話は聞きたくないか、聞いているふりをしていて聞いていない。だから、きちんとした会話をしていなくてもだいじょうぶ。雑談は、発表ではありません)』『相手に負担をかけない。(相手を質問攻めしない。相手が話したことを否定しない)』『共通の話題をもつ』これぐらいあれば、雑談がなりたってともだちのような関係ができあがります。

『第12夜』
 『その本は、評判が悪かった…… ヒーローが負ける話だったからだ。』
 だけど、それが励ましになった。なにもかもがうまくいかない人生だった。
 亡き父親の話が出てきて、亡き父親の知り合いがいて、永い時を経て、一冊の本が、亡き父親の息子の気持ちを助けます。
 わたしが思うに、奇跡というのは、奇跡ではなくて、『必然(ひつぜん。必ずそうなる)』なのです。確率が低くても、そうなるのです。
 本と人との出会いについて書いてありました。

『第13夜』
 最後の夜になりました。
 又吉直樹さんの番です。
 『その本は、まだ生まれていません……』
 小説家がその本を書いている途中なのです。
 小説家はがんばっています。

『エピローグ(最後の言葉)』
 この本のからくり(仕組み)について書いてあります。
 又吉直樹さんとヨシタケシンスケさんが登場します。
 王さまへの報告に関する詳細です。
 王さまはふたりの報告を聴(き)いたあと亡くなってしまいました。
 オチがおもしろい。ここには書きません。
 なかなかいい本でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:33Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年12月26日

2023年 今年読んで良かった本

2023年 今年読んで良かった本

『トラのじゅうたんになりたかったトラ ジェラルド・ローズ(香港生まれ、イギリス育ち)/文と絵 ふしみ・みさを/訳 岩波書店』
 タイトルを見て? トラはトラではないのか。トラはトラであるからして、わざわざじゅうたんになる必要はなかろうに。こどもさん向けの絵本です。

『無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒(やまもと・ふみお) 新潮社』
 亡くなった女性小説家の方の日記です。おととし2021年10月13日(令和3年)に、すい臓がんのため58歳で逝去されています。
 同作者の作品『自転しながら公転する 新潮社』を読んだのは、2021年5月のことでした。その本は、いつも自分たち家族がごはんを食べる部屋にある本棚に立ててあります。(著者への癌の宣告は同年4月でした)

『彼女の家計簿 原田ひ香 光文社』
 主人公 瀧本里里(りり):32歳。シングルマザー。未婚の母。銀行員から転職して今は、女性向け情報サイトの会社『ホワイトスノウクラブ』で働いている。
 瀧本啓(けい):里里(りり)の娘。2歳半。非嫡出子(婚姻関係にない男女の子ども。ひちゃくしゅつし)。誕生日は秋。

『いたずらおばあさん 高楼方子(たかどの・ほうこ)・作 千葉史子(ちば・ちかこ)・絵 フレーベル館』
 小学校低学年のこどもさん向けの本でしょう。
 エラババ先生:84歳。洋服研究家の偉い先生だそうです。絵では、体は小柄で背が低い。息子の家族と同居している。
 ヒョコルさん:68歳。エラババ先生が講義するおしゃれ講座の生徒。エラババの弟子となる。体は細くて背が高い。夫あり。
 エラちゃん:8歳ですから小学2年生ぐらい。おしゃれといたずらが好き。いけすかない大人がきらい。いけすかない:どうにも気にくわない。
 ヒョコちゃん:8歳。おとなしい。

『めくってわかる*からだのしくみ 人体絵本(じんたいえほん) ジュリアーノ・フォルナーリ・作 加藤季子(かとう・すえこ)・訳 ポプラ社』
 こどもさん向けの人体解剖図です。とてもいい本です。今年読んで良かった一冊になりました。

『夜に星を放つ(よるにほしをはなつ) 窪美澄(くぼ・みすみ) 文藝春秋』
 好みの作家さんです。味わい深い文章を書かれる作家さんです。本は直木賞受賞作です。いつかは、同賞を受賞される作家さんだと思っていました。おめでとうございます。短編5本です。

『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝 文春文庫』
 著者は昭和10年生まれ(1935年)で、わたしの親の世代です。満州で生れて、第二次世界大戦後、帰国されています。たいへんなご苦労があった戦争体験者の世代です。ご本人は平成20年(2008年)に72歳でご逝去されています。

『ウクライナ戦争 小泉悠(こいずみ・ゆう) ちくま新書』
 BSや地上波のテレビ報道番組でよく見かけるお方(おかた)です。軍事評論家としてのわかりやすい解説に好感をもっています。奥さんがロシア人、複雑なお心もちでしょう。この本は売れています。

『信仰から解放されない子どもたち #宗教2世に信教の自由を 横道誠 編・著 明石書店』
 2022年7月8日、前総理大臣の銃撃事件があった昨年夏から話題になっていることがらです。 新刊書をチェックしていて目に留まり、興味を持ち取り寄せました。
 執筆者は、元統一教会2世信者、元オウム真理教2世信者、天理教5世信者、元エホバの証人2世信者、元創価学会2世信者、教育学者、社会福祉士、ジャーナリスト(報道に関わる人)、宗教社会学者などの方々です。

『育児まんが日記 せかいはことば 齋藤陽道(さいとう・はるみち) ナナロク社』
 この本と同時進行で読み始める本があります。『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』
 ろう(聾):聴力を失っている。耳が聞こえない。
 本の帯に『耳の聞こえない母が大嫌いだった。』と書いてあります。
 コーダ:耳が聞こえない・聞こえにくい親ももつこどものこと。著者の両親は、ふたりとも耳が聴こえないと本の帯に書いてあります。五十嵐さんの本は、ろうの両親から生まれたこどもさんが書いた本です。
 そして、対比するようにこれから読むこの本のほうは、ふたりのお子さんをもつ、ろうのご両親のうちのパパが書いたこちらの本です。
 本の帯にあるメッセージは『毎日は、いつもおもしろい』です。0才と3才のこどもさんがおられます。2018年生まれの長男とあります。うちの孫よりは年下です。
 ろう者のこどもの立場の人が書いたほうは暗そうな内容、親の立場の人が書いたほうは明るそうな内容です。さて、どのような感想になるか楽しみです。

『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』
 ろう(聾):聴力を失っている。耳が聞こえない。本の帯に『耳の聞こえない母が大嫌いだった。』と書いてあります。

『宙ごはん(そらごはん) 町田そのこ 小学館』
 宙(そら):女の子 産みの親である実母が川瀬花野で、育ての親が、川瀬花野の妹である日坂風海(ひさか・ふみ)。冒頭付近で、宙は自分のことをクレヨンの灰色にたとえます。日の崎第二小学校の小学1年生です。

『ゆらゆらばしのうえで きむらゆういち・文 はたこうしろう・絵 福音館書店』
 きむらゆういちさんの作品では、『あらしのよるに』が有名で、自分もそのシリーズのファンです。
 話の筋立ては一貫しています。(いっかん。つらぬいてある一本)。食べるもの(動物)と食べられるもの(動物)が、会話をお互いにするなかで、仲良しになっていくのです。

『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) 朝日新聞出版』
 著者は、太川陽介さんの路線バス対決旅で見たことがあります。大城さんは、太川チームのゲストで参加されました。熊太郎自身でも、いつ情報を脳みそに仕入れたのか記憶が定かではないのですが、大城さんのこの本が爆発的におもしろいと聞きました。読んでみたくなりました。

『がまんのケーキ かがくいひろし 教育画劇』
 おもしろそうな絵です。絵には特徴があります。絵はシャープ(するどい)ではありません。もったりしています。どじょうのようなものがいちごケーキにはりついています。それは、なまずのようでもあります。ケーキを山登りのように登っているように見えます。その右側には、ヒゲを生やした、あやしげなカメが、これまた山登りのような姿勢で、ケーキにしがみついています。

『あしたから出版社 島田潤一郎(しまだ・じゅんいちろう) ちくま文庫』
 『とても生きにくい世の中だと思う…… 若いころにちゃんと働いてこなかった人間にとって…… 本当は就職をしたかったのだ……』(始まりにある魅力的な文章です。読む意欲が湧いてきます)

『にゃんこ大戦争で学ぶ!お金のヒミツ KADOKAWA』
 こちらはかなりいい本です。思うに学校で国語算数理科社会を学ぶように、お金のことを学んだほうがいい。お金の管理ができなくて破綻(はたん)する人がいます。働いて稼いで貯めるとか、ローンを組んで車や家を買うとか、教育資金とか、少しはずれて、貸した金は返ってこないとか、保証人になったら全財産を失うこともあるとか、そういう現実的な学びが必要です。

『なつみはなんにでもなれる ヨシタケシンスケ PHP』
 なかなかいい絵本でした。色がきれいで、絵が優しい(やさしい)ことがこの作者さんの特徴です。 そして、発想がいっぱいです。(アイデア豊富)

『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』
 姉崎さんはこどものころから働き続けて17歳で自分たち家族の家を建てています。この時代の生活が、このあと読んでいるとよく伝わってきます。日本人が大正時代から昭和時代にかけて生きてきた歴史書であり、読むことで、読み手は疑似体験ができます。良書です。今年読んで良かった一冊に加えておきます。

『定本 本屋図鑑 本屋図鑑編集部 編 徳地直美 絵 夏葉社』
 古いものを追う企画にみえます。消えていくものです。(町の本屋が消えていきます)。1995年(平成7年)、ウィンドウズ95が発表されて以降、物の流通が大きく変化していきました。
 ネットで注文、配達、電子書籍の登場です。町の本屋がたくさんなくなりました。
 憩いの場であった町の本屋です。こちらの本に、そんな本屋の紹介が盛りだくさんです。
 全国47都道府県を回っておられます。取材は、2012年(平成24年)11月から2013年(平成25年)6月の約半年間と2020年(令和2年)以降です。

『敗北からの芸人論 平成ノブシコブシ 徳井健太 新潮社』
 著者は、こどものころ母親が統合失調症で、ヤングケアラーをしていたという記事をどこかで読みました。この本はご本人の自伝だろうと思って買いました。違っていました。(53ページに、ご本人のその件に関するコメントがあります。お母さんは自殺されています)

『おかあちゃんがつくったる 長谷川義史(はせがわ・よしふみ) 講談社』
 2012年(平成24年)初版の絵本ですが、内容は、昭和30年代から40年代初めの内容です。
 すごい絵本です。胸が熱くなります。死別母子家庭の母親とこどものお話です。ジンとくる結末です。

『ボクはやっと認知症のことがわかった 医師 長谷川和夫 読売新聞編集委員 猪熊律子(いのくま・りつこ) KADOKAWA』
 こちらの本では、認知症の医療や介護にかかわってきた自分自身が認知症になりましたと書かれています。2017年(平成29年)88歳のときに公表されています。(この部分の文章は、2020年(令和2年)になるころに書かれています。著者は、2021年(令和3年)に老衰により92歳で亡くなられています)

『喫茶店で松本隆さんから聞いたこと 山下賢二 夏葉社』
 松本隆:作詞家。ミュージシャン。グループ活動として、ロックバンド『はっぴいえんど』。作詞作品として、アグネス・チャンの『ポケットいっぱいの秘密』、チューリップの『夏色の思い出』、太田裕美の『木綿のハンカチーフ』、そのほか、ヒット曲多数。細野晴臣さん、大瀧詠一さんほかと交流がある。

『歌うように、伝えたい 人生を中断した私の再生と希望 塩見三省(しおみ・さんせい) 角川春樹事務所』
 今年4月以降、NHKBSの再放送で、『あまちゃん』を見ていました。塩見三省さんは、岩手県三陸を舞台に勉さん(べんさん)を演じておられました。琥珀をいつも大事そうに磨いておられました。
 熊太郎『塩見三省さんは病気になって亡くなったねーー』
 熊太郎の妻『そうだね。お気の毒だったねぇ』
 調べたら塩見三省さんはご存命でした。失礼しました。

『その本は 又吉直樹 ヨシタケシンスケ ポプラ社』
 おもしろそうです。
 王さまが、又吉直樹さんとヨシタケシンスケさんに指令を出します。
 世界を回って、『めずらしい本』の話を集めてきて、わたしに教えてくれというパターンです。  

Posted by 熊太郎 at 07:06Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り