2023年11月30日

ボクはやっと認知症のことがわかった 医師 長谷川和夫

ボクはやっと認知症のことがわかった 医師 長谷川和夫 読売新聞編集委員 猪熊律子(いのくま・りつこ) KADOKAWA

 先日は同作者の絵本『だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― さく・長谷川和夫 え・池田げんえい ぱーそん書房』を読みました。こんどはこちらの本を読んでみます。

(1回目の本読み 全部のページをゆっくり最後までめくってみました)
 『はじめに』の部分に、『みなさんは「長谷川指揮官知能評価スケール」(以下、長谷川式スケール)という言葉をお聞きになったことがありますか?』と問いかけがあります。
 わたしは体験したことがあります。絵本のところで書いた感想メモの一部を再掲します。
『 熊太郎は、冗談ではなくて、本当に頭がおかしくなって病院で長谷川式認知症スケールの検査を受けたことがあります。
 検査中のかすかな記憶が残っています。自分が今いる病院の名称を別の病院名で言い張っていました。今日の年月日を言い間違えました。季節すら間違えていました。
 数字の引き算を尋ねられて、なかなか答えが出せずイライラして、どうしてこんな簡単な計算ができないんだと自分に対して怒りすら生まれました。
 検査の最後では、あろうことか、イスに座っていた自分の体を前かがみにして、目の前に座っている医師の両足首を自分の両方の手でつかんで持ち上げてしまいました。
 そのあと、その日の深夜に手術を受けました。頭蓋骨(ずがいこつ)に穴を開けて脳にたまっていた血液を抜く手術でした。
 半年近くかけて頭蓋骨内にある毛細血管からしみ出して脳内にたまった血液が脳みそを圧迫して脳みそが正常に機能しなくなっていました。(半年ぐらい前から耳鳴りがひどかった。耳鳴りの原因がわかりませんでした)
 さらに脳脊髄液が、首のあたりから腰に向けて流れているのですが、その脳脊髄液が、背骨のあたりで漏れていることがわかり、別の病院に転入院して手術のような処置をうけました。
 もうふらふらでした。幻視もたくさん見ました。認知症になると、こんな感じになるのだなということを体験しました。まわりの人たちにいっぱい迷惑をかけてしまいました。』
『(もうひとつ、絵本の中の記述として)「ぼく」が一年生のとき、おばあちゃんが、外で迷子になって警察に保護されました。
(自分がどこにいるのかわからなくなります。熊太郎は、入院している高層ビルの大きな病院内で迷子になったことがあります。どのフロアーも似たつくりで、エレベーターに乗って別のフロアー(階)に行ってしまい、自分の部屋に戻れなくなりました。(自分がいるフロアーから別のフロアーに行っては行けないというきまりがあったそうですが、脳みそが弱っていたので指示を理解できていませんでした。自分の左手首にリストバンドがあって、自分の病室と診察券番号がリストバンドに印字されていましたが、そのことも失念していました。結局ナースセンターの職員の助けで自室に戻ることができました)
 迷子になるのは、本人の責任のようで、そうでもないのです。脳みその病気なのです。
 「ここはどこ? あなたはだれ?」と言っている本人は、情けない気持ちでいっぱいなのです。』

 こちらの本の感想メモに戻ります。
 目次です。『第1章 認知症になったボク(医者も人間です。認知症にもなるし癌にもなります)』
 112ページに、長谷川式で、『「93から7を引く」は間違い』とあります。100から7を順番に引いてください。から始まって、100から7を引いたあとの質問は、「そこからまた7を引いてください」と問うそうです。熊太郎が受けたときはどう聞かれたのか記憶が残っていませんが、かなり時間がかかって、医師に、絶対答えを出すから教えないでくださいと言った記憶はあります。かなり時間がかかりましたが、答えはたぶんあっていたと思います。86です。
 150ページに『クルマの運転(高齢者が加害者になる死亡事故が絶えません。以前読んで参考になった本があります。『高齢ドライバーの意識革命 安全ゆとり運転で事故防止 松浦常夫 福村出版 2019年東京池袋の暴走死亡事故のあと自主返納者が全国で60万人に達したというニュースを聞いたときは、たくさんの人たちが返納したのだなと納得しましたが、この本によると、65歳以上の高齢ドライバーは、1900万人もいるそうです。』
 まずは、自分自身が道を歩くときは、もしかしたらお年寄りの運転する車が自分に向かって突っ込んでくるかもしれないと警戒しながら歩いたほうが良さそうです。
 長谷川さんのこちらの本では、長谷川さんが車の運転が好きなことが、まずは書いてあります。でも運転はやめたそうです。

 153ページに絵本づくりのことが書いてあります。熊太郎は、絵は描けませんが、文章はかけるので、いくつかのこどもさん向けのお話はつくりました。

 168ページにアリセプトというお薬の説明があります。レビー小体型認知症の効果があるそうです。続けて薬の副作用の説明があります。また、アルツハイマー型認知症の原因が、アミロイドβ(ベータ―)やタウというたんぱく質と書いてあります。

 後半で、読書を趣味にするお話が書いてあります。
 老いの準備(死を迎える準備)、宗教的なこと、死をじょうずに受け入れることなどが書いてあります。そして、老衰のためお亡くなりになっています。

 最後は編集者の方の解説です。

(2回目の本読み)
『はじめに』
 記述にある有吉佐和子小説作品『恍惚の人(こうこつのひと) 新潮社』は読んだことがあります。映画も見ました。たいへんなのです。ようやく亡くなったと思った当時で言えばボケ、あるいは、痴ほう老人が映画では、息を吹き返すラストなのです。
 1974年(昭和49年)公表のお話です。まわりの人たちがぐったりして終わるのです。
 小説の方は、最後は静かな時が訪れます。以下は小説を読んだときの自分の感想メモの一部です。
 『夫の父のめんどうをみるお嫁さんの苦労と自分や夫も認知症になるのではないかという不安と怖れ。厳格でわがままだった夫の父が幼児へと回帰する。自分のこどもたちの顔と名前を忘れる。さらに話は進み近所の高齢者女性から恋愛攻勢を受け始めたところまできました。老いたというのに妖艶なしぐさの女性。さて、人はどのように老いていくべきなのかを考えるのです。 後半部分はまるで別のお話のようです。最後には静かな平和が訪れます。「老いる」ということについて考えさせられました。』

 こちらの長谷川さんの本では、認知症の医療や介護にかかわってきた自分自身が認知症になりましたと書かれています。
 2017年(平成29年)88歳のときに公表されています。(この部分の文章は、2020年(令和2年)になるころに書かれています。著者は、2021年(令和3年)に老衰により92歳で亡くなられています)
 長谷川さんの予測では、2025年(令和7年)に認知症患者の割合は5人にひとりだそうです。高確率です。自分は当たらないという保証はありません。
 
 ご自分の認知症を分析しておられます。
 波がある。朝はしっかりはっきりしている。調子がいい。だんだん疲れてきて、夕方になると頭の中が混乱する。

『第1章 認知症になったボク』
 2016年(平成28年)からおかしくなった。目的地にたどり着かない。今日が何月何日かわからない、今日の予定もわからない……
 
 文章中に小さいゴシック体で書かれている部分はご本人の言葉ではないのでしょう。説明、解説文章が付記されています。
 1963年(昭和38年)のとき100歳以上は日本で153人だった。2019年(令和元年)では、7万1274人(うち女性が6万2810人)とあります。とても増えました。
 
 高齢になればだれでも認知症になる。100歳を過ぎるとほとんどの人がなるし、今元気でも歳を重ねれば必ず認知症になるそうです。

 認知症になった人の言葉として、『なぜ自分なのか(自分はならないと思いこんでおられた)』(なったものはしかたがないと考える)というアドバイスがあります)

 『ボクは若いころから、精神的に落ち込んで、悲観的になることが時折ありました。』(意外です)

 ご本人の病気は、『アルツハイマー型認知症』ではなく、『しぎんかりゅうせいにんちしょう「嗜銀顆粒性認知症』という病名だそうです。
 
 著者の言葉として、『少なくとも、認知症であることをさげすんだり、恥ずかしいと思わせてしまったりする社会であってほしくはありません。』とあります。ごもっともです。

『第2章 認知症とは何か』
 この部分は、著者が認知症になる前に発表されたことも加えて書かれています。ゆえに、しっかりした学問の文章です。
 この認知症の定義の部分を読んで、認知症の分析とか、考察は、けっこうむずかしいと感じました。『成年期以降に、記憶や言語、知覚、思考などに関する脳の機能の低下が起こり、日常生活に支障をきたすようになった状態』とあります。
 脳の神経細胞が、外傷、感染症、血管障害などさまざまな原因で障害を受けたときに起きる。
 脳の神経細胞同士のつながりがなくなり、働かなくなる。(機能しなくなる)

 「朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、出かける準備をして、後片付けをして、掃除や洗濯をして……」が、できなくなる。手順がわからなくなるのでしょう。

 読んでいて、思うのは、家族がいない人が認知症になったら、どうなるのかということです。ちょっと恐ろしい。(おそろしい)
 病気になった本人に自覚がありません。

 アルツハイマー型認知症:アロイス・アルツハイマー(1864年-1915年)ドイツ精神科医が最初に症例を報告した。
 脳を解剖した。萎縮、細胞の脱落、シミ状の斑点、繊維のもつれが見つかった。アミロイドβ(ベーター)というたんぱく質が沈着していた。

 記憶障害:もの忘れ
 見当識障害:時間や場所がわからなくなる。

 重度になると、自力での食事、着替え、意思疎通ができなくなる。
 座ることができなくなり、寝たきり、意識低下、昏睡状態、死という経過をたどっていく。

 48ページに図と解説があります。
 67.6%が、アルツハイマー型認知症です。19.5%が脳血管性認知症です。4.3%がレビー小体型認知症です。ほかに前頭側頭方認知症とかアルコール性などがあります。
 
 幻視について書いてあります。熊太郎も脳の具合が悪くなった時に幻視をたくさん見ました。そのときに、これは記録に残しておいた方がいいと思って、見えたものを記録したメモが残っています。その記録からピックアップしてみると、次のようなものが見えました。

『 最初に、視界に入って来たのは、「1→2→3→4→〈ちなみに矢印→は見えない〉」と続く数字の世界だ。次に視界に入って来たのは、「A→B→C→D→」と順番に続くアルファベットの世界」だ。〈念のためアルファベットについても、矢印は見えていないと付記する〉
 わたしはベッドで仰向けになって、天井や壁に映し出される数字とアルファベットという記号の世界を見ている。目を閉じてもその世界は目の前から消えてくれない。
 わたしは長時間、そういう言葉のない世界をさまよう。深夜の暗い病室で、ベッドの上で、じっと目を閉じてまぶたの裏側で展開される数値とアルファベットの動きを見ている。
 閉じたまぶたの裏側で数字とアルファベットが回転していく。ぐるぐるぐると、1・2・3・4、A・B・C・Dと変わってゆく。

 次から次へと、単語が目の前の空間に浮かぶ。問題が提示されて解答が示されるパターンだ。
 3Dというのだろうか、縦、横、奥行きのある立体図で問題や課題が流れ出てくる。矢印やその幅で、課題の解決困難さの分量や難易度が表示される。
 図形は、分離されたり、合体されたりして、解答という立体図形に形を変えボールのように返ってくる。返ってきたら、課題の解決策提示は、そこで終わりだ。』

『 午前3時だ。薄暗い病室のベッドに寝ていると天井、そして、ベッドの左側の壁、右側の閉じたカーテンに、あるものが現れた。
 それらは左方向から出てきた。もともと、天井と壁とカーテンには何も書かれていない。白い天井と壁である。ベージュ色をしたカーテンである。ベッドを回りこむ形式で設置された遮断の役割をもったカーテンだ。
 念のために手を伸ばして壁にある電灯のスイッチを押して病室を明るくもしてみたが、天井にも壁にもカーテンにも何も書かれていない。白い壁、ベージュのカーテン、ただ一色のものだ。
 左方向から視界に入って来たのは、「横書き漢字の群れ」である。それも、リズムにのって右へ出たかと思うと左へ引っ込んでしまう。出たり引っ込んだりしながら、漢字の群れがわたしのご機嫌を伺う。
 漢字のひと文字は、大きかったり、小さかったりする。さらに、ひらべったかったり、角が丸まっていたり、角張っていたりする。文字の字体とか、大小は「ポイント」と呼ぶのだろう。
 目の前に現れたのは、見たこともない漢字ばかりだ。自分の脳のデータにこのような情報が入っているのかと驚愕する。
 遠慮がちに、出ようか、出まいかしていた漢字群が、いっきに激しく動き出した。左から右方向に向けて踊るように上下左右に動き、体を揺らしながら右方向へ川の流れのように流れ出した。力強く勇壮な流れだ。圧倒される。
 長い時間、漢字群は目前から消えてくれなかった。ようやくシーンの転換時期は訪れた。次は、青白映画〈白黒映画ではなく青白映画〉映像は、ヨーロッパ映画の世界だ。』

 異常な体験の時間帯が長引いている。これまでの漢字字体オンパレードに代わって登場したのは、無数のムービースクリーンだ。それらは美しい。キラキラと耀いている。同時に寒気に襲われる。どのような風景、光景が映し出されたとしても、氷の冷たさが体にしっかり伝わってくる。
 〈わたしは、やっぱり、このまま死んでしまうのかもしれない。お迎えが近そうだ〉
 横長スクリーンの量は半端な数ではない。大きいものから小さなものまで、なかには、巨大なスクリーンも出てきて、次々と現れては消えていく。まるで、打ち上げ花火のようだ。
 映し出されるのは、実際には見た体験のないヨーロッパの北の海だ。実際に見たことはないが、昔観たドイツ映画のシーンと同じだ。青緑色をした力のこもった大波が砂浜でできた岸に向かって寄せては返していく。波にもまれているのは大木の樹木だ。砂浜に立って、左手を振り返ると、砂浜や海岸線を横切る防風樹林帯が見えた。
 大空から地上を見下ろす空撮は、昔、国内開催二度目の万博会場にあったパビリオンで見た中欧の街並み風景に似ている。(愛知万博です)
 映画のスクリーン群は、さきほど見えた漢字文字とは異なる動きをしている。漢字文字は、左から右へと小川のように、ときには大河のように流れ続けていた。対して青白ムービーは、浮かんでは消えていく。点滅するような動きで、無数の風景が転換し続ける。
 特徴は、人物映像がひとりも出ないことだ。建物群の風景ばかりが続く。人間がいないということは、人類が絶滅したということだろう。まさか、人口(じんこう。人数)の全員が家を留守にしているわけではあるまい。主(ぬし)の居ない、からっぽの家ばかりが並んでいる。
    *
 次に姿を見せたのは、ニワトリのヒナであるところの「ひよこくん」だ。さきほどまで、視界に広がっていたスクリーン群が消えると、天井に黒いふたつの穴が見えた。
 あとで知ったことだが、それは穴ではなく、突き出たスポットライト〈ごく小さな電球〉部分であった。しかし、わたしには、照明器具には見えなかった。ニワトリのヒナであるひよこくんに見えた。
 まず、その丸い形がひよこの左片方の羽に見える。その羽に足が出て、首が伸びて、顔がついた。いわゆる幻視である。ひよこくんは動き出す。それも1羽ではない。スポットライトは2個並んでいたから2羽のひよこくんがふたごのように並んで、同一方向へ行ったり戻ったりする動きを始める。〈可愛い(かわいい)〉ファンタジーだ。心がほかほかになる。
 天井には照明のほか、よくわからないが、なにかをひっかけるフック〈鉤かぎ〉とか、細かな水滴が出るスプリンクラーの吹き出し口とか、今はもう忘れてしまったけれど、なんやかんやの物体が設置されていた。
 今やそれらすべてに羽が生え、足が出て、ひよこくんとなり、天井や壁をところ狭しと動き出した。
 ダンスのパフォーマンスだ。バックにミュージックという幻聴まで聴こえだす。楽しい。とっても楽しい。たぶん人間が死ぬ瞬間に体験するであろうタイミングのちょびっと前の光景をわたしは今、観ている。
 死ぬ気はないけれど、テーマパークのアトラクションのようなこの風景は、まだずっと、ながめていたい。
      *
 図形でものごとを考える。ひよこくんたちの世界が終わると、今度は図形の世界が訪れた。
 矢印〈↑・↓・←・→)は、目標を指している。その太さと面積は〈⇒〉という形で、形状によって、「思い」の「量」を表している。視界にあるのは矢印、そして、矢印のうしろにくっついてつづく四角〈□〉い面だけだ。言葉や単語の類〈たぐい〉はない。頭の中で、理論展開をするときに文字はいらない。
 展開するのは、ものごとの考え方だ。図は、大小さまざま、色は複数、事柄を図に変換して、イメージでとらえて結論を導き出す。
 わたしの脳血管障害による脳内の出血状態は、頭蓋骨に穴を開けたあとの手術後、脳の中をめまぐるしく働かせていた。
 その分、首から下は死んでいるも同然だ。体中の血液のほとんどが、脳みそに集中している。
 今このときこの脳みそは充実の時を迎えた。天才の頭脳というのは、このようになっているのではないか。天才というのは、何でも一度見ただけで写真撮影したあとのように正確な記憶が脳の一部分に残される。そして、記憶は正しくスピーディに復活する。
 物事を考える時に、余計なもの〈感情、気持ち〉を最初からどかして、考えることができる。
 「美」の形成に向けて、音や、色や、形をつくることができる。歴史を飾ってきた偉人たち、天才たちの脳はきっとそのようにできあがっている。
 その能力と引き換えに、奇異な行動や偏った言動が残る。あるいは現れる。
 脳を科学する。そんなフレーズがある。今のわたしは、自らの脳を科学している。
     *
 時間は流れた。ついに、ここまでたどり着いてしまった。それは、「霊感」である。怖くはない。
 感じる。夜の病室に、いや、昼間でも。病室にだれかがいる。しかし、そのだれかの姿は見えない。
 感じる。この病室で、病気とケガで亡くなった人が、天国へ行けずに、思いをこの世に残したまま、まだこの部屋の中にいる。
 あそこと、むこうと、すぐそこにいる気配がある。黒い影のような気配があるが、実際はなにも見えない。怖くはない。事実としてとらえる。無の中の在り〈あり〉だ。
 姿は見えないが、音が聞こえる。ページをめくる音だ。週刊誌のページをめくっている。もうひとりは、新聞紙のページをめくっている。めくる音ははっきり聞こえる。しかし、その方向に人の姿はない。
 これは、暗い夜だけではない。明るい昼間でも起こる現象だ。音が聞こえる。姿は見えない。試しに付き添いに来ていた家族に聞いてみた。
 「聞こえるでしょ?」
 「聞こえる」という家族の返事だ。聞こえる方向は、カーテンで仕切られただれもいないベッドだけの空間である。ページをめくっている人物の姿が見えるか見えないかは聞かない。怖がらせたくない。家族は、そこに患者がいると思っている。だけど、本当はだれもいない。
 これが、今、わたしがいる世界だ。風が吹いている。風の吹く音が聞こえる。
 死ぬときの状態として、三途の川(さんずのかわ)の二、三歩手前にいる。だけど、わたしは、手術後だから、命は助かっているはず。「死ぬ」という到着点はあり得ない。だから、安心していい。何度もそう自分に言い聞かせている。
 術後でも、死ぬ患者がいるということに気づいたのは、ずいぶんあとのことだった。

*ずいぶん長い記述です。もう何年も前のことですが、一時期自分はすごい世界にいたのだと改めて驚きました。

 52ページ、こちらの長谷川さんの本では、わかりやすい文章が続きます。
 54ページに、認知症の要因となる病名がたくさん書いてあります。熊太郎が、り患した病名もあります。り患:病気にかかること。
 62ページに強調されたポイントがあります。『認知症の予防は、「一生ならない」ことよりも、いかに「なる時期を遅らせられるか」が重要になります。』(認知症になることを止めることはできないと理解しました)

『第3章 認知症になってわかったこと』
 (認知症になった長谷川さんご自身について)意識が混乱する状態に波があると説明されています。
 朝起きてから午後1時ぐらいまではだいじょうぶ。そのあと、頭がおかしくなるそうです。自分が今どこにいるのか、今何をしているのかがわからなくなるそうです。
 
 認知症患者のご希望として、(自分を)あちら側の人として、おいてきぼりにしないでほしい。
 認知症患者に、わからないだろうということで、平気でひどいことを言う人がいるが、ちゃんと聞こえているし、言われた言葉を理解もできている。
 『こうしましょう』ではなく、『今日は何をなさりたいですか?』と話しかけられたい。あわせて、『きょうは、なにをなさりたくないですか?』ともたずねてほしい。

 なにをするにしても時間がかかるから、『待つ』とか『聴く(きく)』という姿勢で対応してほしい。

 認知症になっても、心の動きは変わらない。嫌なことを言われれば傷つくし、ほめてもらえば嬉しい(うれしい)。

 『笑い』が大切。

 パーソン・センタード・ケア:たとえば、倒れているこどもをかかえて起こすのではなくて、自分もいっしょに倒れた姿勢になって、こどもに、「起きようね」と声をかけて、ふたりで起き上がることとあります。

 認知症の人を部屋に閉じ込めない。薬を飲ませておとなしくさせないことが原則という趣旨の記述があります。

 著者は二泊三日の老人ホームのショートスティを利用されています。本当は、行きたくないけれど、介護をしてくれる奥さんを休ませたいから行くと、その理由を記述されています。家にいると生活臭があるのがいい。電話が鳴ったり、宅急便が来たり、近所の人の声が聞こえたり、そういったことで気持ちが安定するそうです。

 認知症の人にウソを言わないでほしい。だまさないでほしいとあります。
 普通に接してほしい。

『第4章 「長谷川式スケール」開発秘話』
 『長谷川式簡易知能評価スケール』の誕生話です。
 1974年(昭和49年)公表、1991年(平成3年)に改訂版発表です。
 最初の公表時にあった質問として、『日本の総理大臣の名前』『大東亜戦争(第二次世界大戦)の終戦年』『1年間の日数』があったことは知りませんでした。
 1 『記憶』を調べる。 2 『見当識(時間と場所)』を調べる。 3 『計算力と注意力』を調べる。 4 『記銘力(きめいりょく。記憶の第一段階。学習したことを覚えこむ)』 5 言葉がスラスラと出てくるかを調べる。
 
 読んでいて視力検査と似ているなと感じました。見えているものは、見えているし、見えていないものは見えていない。あいまいさの排除です。
 著者の恩師として、『新福尚武先生(しんふく・なおたけせんせい)』慈恵医大教授。精神病理学、老年精神医学の大家(たいか。その分野で特に優れた人)
 著者は、1956年(昭和31年)にアメリカ合衆国ワシントンへ留学されていますが、船旅、鉄道旅です。ハワイ経由でアメリカ合衆国西海岸サンフランシスコまで2週間かかっています。そこから東海岸にあるワシントンまで鉄道です。1ドルが360円だったとあります。現在は147円ぐらいです。
 言葉(英語)が通じないし、わからなくて、困ったとあります。なんとか克服されています。

『第5章 認知症の歴史』
 たくさんの調査をしたことが書いてあります。
 1973年春(昭和48年)からの調査で、認知症の人たちが、納屋に閉じ込められています。寝たきりの人の横には、おにぎりが置かれていたりもします。認知症の人は、「役立たず」「家の恥」扱いです。
 認知症の人の意見を聴く耳はありません。閉じ込められたら、だれでも、出してくれーーと大声をあげてあばれるでしょう。

 ようやく、「アルツハイマー」という言葉が世に出てきます。

 2000年に介護保険制度がスタートします。
 
 痴ほうは、「あほう」「ばか」という相手を見下しばかにする言葉です。痴ほうに変わる言葉として「認知症」が適切と検討会で報告が出た。

 蓋然性(がいぜんせい):確実性の度合い。確からしさ。

『第6章 社会は、医療は何ができるか』
 認知症になった人がしてはいけないこととして、『クルマの運転』が提示されています。当然です。被害者は、やられ損になってしまいます。被害者になって命まで奪われても、運転をしていた加害者である認知症の人は、お詫びの態度もないようすだったりもします。
 高齢者ドライバーの運転はやめたほうがいいとか、安全に自動的に停止できる車を使用するなどのアドバイス本としてさきほど紹介した本があります。『高齢ドライバーの意識革命 安全ゆとり運転で事故防止 松浦常夫 福村出版』
 『補償運転』この言葉がキーワード(鍵を握る単語)でした。単純にいうと「ゆとりある運転」のことです。言い換えて『安全ゆとり運転』を強調されていました。加齢による運転技能の衰えを保障するための運転をするのです。
 
 長谷川さんの本にも、松浦さんの本にも、運転免許の返納について書いてあります。長谷川さんは車の運転が好きでしたが、80歳になったころ、小さな接触事故をするようになったことがきっかけになって運転免許証を返納されています。

 認知症に関する絵本づくりのことが書いてあります。
 先日読みました。『だいじょうぶだよ ―ぼくのおばあちゃん― さく・長谷川和夫 え・池田げんえい ぱーそん書房』心優しい内容でした。
 秘訣(ひけつ。コツ)が書いてありました。おばあちゃんが、まわりにいる家族のことをわからなくなってもいいのです。まわりにいる人たちが、あなたは、わたしたちの家族で、おばちゃんだから安心してくださいとおばあちゃんに言えばいいのです。わたしたちがわかっているから、おばあちゃんは、わからなくてもだいじょうぶなのです。おばあちゃんは、自分のまわりにいる人がだれなのかを知らなくていいのです。

 認知症になられた長谷川さんご本人の認知症の状態のことが書いてあります。
 自宅近くの幹線道路を渡っているときに道のまんなかあたりで転倒してしまった。通りかかった車の人に助けてもらった。近所の人にも世話になった。地面に顔を打ち付けて、血だらけになっていたとのことです。けっこうひどい状態だったそうです。近所付き合いがあったので、近所の人たちに助けてもらえたと感謝されています。

 認知症の治療についての苦悩が書かれています。認知症を治せないのです。
 完治する薬はないのです。医療の無力さで悩まれています。なにせ、ご自身の認知症も治せない自分自身が認知症担当の医師なのです。
 薬のことが書いてあります。アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症患者に使う『アリセプト』について、症状の進行を抑制するだけとあります。
 熊太郎は株式投資をしているのでわかるのですが、今年話題になったアルツハイマー型認知症の薬でエーザイの『レカネマブ』も同様です。
 脳みその中にできてしまう『アミロイドβ(ベーター)』とか『タウ』と呼ばれる特定のたんぱく質が神経細胞を殺しているそうです。
 
 本を読んでいると、長谷川さんの熱意が伝わってきます。
 後輩医師に対して、厳しい面もあるお人柄だったようですが、周りの医療従事者(看護師)の思い出話を読むと誠実なお人だったことがよくわかります。患者は権威ある医師の指示には弱いのです。看護師の指示には従わなくても主治医の言うことはきくという人間的な話が書いてあります。
 担当する入院患者全員に朝のあいさつをされていたそうです。信頼関係を築くためでしょう。

『第7章 日本人に伝えたい遺言』
 ご自身の認知症の状態を説明されています。
 日にちがわからない。午前中はいいけれど、午後からは疲れてもやもや状態になる。
 買い物をしてお金を払ったのに、払ったことを忘れてしまう。情けなくもどかしい。
 朝食と床屋が好き。映画と読書が好き。ほかに、音楽がお好きだそうです。
 宗教に頼ることが書いてあります。長谷川さんはキリスト教徒です。
 
 意識不明になっているように見える人の意識のことが書いてあります。
 意識はあるのです。
 熊太郎が二十代のときに内臓の病気になって入院した時、全身がだるくて、背中に2トンぐらいの岩がのっかっているような気分になったことがあります。朝、意識はあるのですが、家でも病院でも寝床の中で身動きができません。寝返りも打てず、まぶたを開けることもできません。でも、意識はあるのです。まわりで話をしている人の声は聞こえます。でも、声を出すことができません。そんな状態から40分ぐらいたつとようやく体を動かせました。そんな体験をしたことがあります。ゆえに、病人が動けない状態のときでも、まわりでしゃべっている人の声は本人に聞こえているので、けして、本人の悪口などは言わないほうがいいです。
 こちらの本にも似たようなことが書いてあります。

 生かされている状態だけになったら延命治療はしないでほしいとあります。(同感です)

 認知症だから本人はなんにもわからないというのは誤解ですとあります。わかっているけれど対応ができないのです。

 健康のためとして、食事を三食きちんと食べること。あまり脂っこいものやコレステロールの高いものはとらないこととあります。

 宗教が心の支えになるとあります。長谷川さんは、第二次世界大戦のときに東京大空襲を体験されて、さらに沼津大空襲を体験されて、心のよりどころがほしいと思って洗礼を受けられたそうです。
 熊太郎が自分なりに考えると、『神さま』というものは、自分自身の胸の中(心の中)にあって、自分で自分を信じて考えて、次の進路を選択して、うまくいくこともあるし、うまくいかないこともあるしで、毎日を過ごしていけたらいいと思っています。自分自身が『神』だからだいじょうぶだと自信をもてばいいと思っています。それで、だめなときは、あきらめるだけです。すべてがうまくいく人生なんてないのです。

 死ぬことは怖いことだから、認知症になることによって、死の恐怖心を和らげてくれている(やわらげている)という考えをお持ちだそうです。(なるほど)

 今年読んで良かった一冊でした。

 本は、『二〇一九年十月に記す』で終わっています。

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