2023年11月06日
東野&岡村の旅猿24 山口県で歴史巡りの旅
東野&岡村の旅猿24 山口県で歴史巡りの旅 hulu(フールー)とかTVer(ティーバー)
ゲストは、以前徳川家康の歴史巡り旅で愛知県と静岡県を回ったときの歴史好き芸人ロバートの山本博さんです。前回は、時代の出来事に合わせたあちこち行ったり来たりの不思議な移動でしたが、内容はなかなか良かった。
旅猿でまだ行ったことがない県があとふたつで、今回の山口県がそのうちのひとつです。もうひとつが富山県です。もう少しで全国制覇です。
羽田空港から山口宇部空港へ到着したそうです。到着時刻が遅れたので、案内人のロバート山本博さんがあせっています。昼食抜きで回るような勢いですが、東野さんと岡村さんは、ハードスケジュールには乗り気ではありません。
空港から車で2時間半から3時間移動して、山口県の萩市内に着きました。
あまり体を動かしたくない東野・岡村のふたりは、山本さんの指示に乗り気ではありません。じっさい、見学場所が、これはすごいというものでもありません。
山本博さんはいやがるふたりを麓(ふもと)に残して、ひとりで、汗をかきながら、蚊に刺されながら、山の上にある城跡へ登って、ひとりで見学して、下山されました。
ロバート山本さんの語りが熱い。彼の脳の中では、幕末の長州藩(山口県)の若者たちが生き生きと動いているのでしょう。吉田松陰を中心に見学が進んでいきますが、現地は、草ぼうぼうの跡地だったりもして、連れのふたりは、いろいろ文句を言います。
見学時間確保を優先して、車の中で、おにぎりとサンドイッチです。メインのふたりは、ちゃんとごはんを食べたいと訴えます。
その後、食事場所でいただいた『萩御膳(はぎごぜん)』が絶品だったそうです。おいしくて、良かった。
どうも、ゲストとレギュラーメンバーの気持ちのすれ違いがあります。
レギュラーのふたりは、山本博さんが知らないらしきアニメ『ワンピース』の話をだらだらと続けます。だいじょうぶだろうか。山本博さんの心が折れそうです。
(つづく)
なんだか、ロバート山本さんの独断ひとり旅に、旅猿のふたりが連れまわされている構図の旅です。スケージュールが密です。だいじょうぶだろうか。
旅猿のふたりは、もうこの旅を終えたい雰囲気です。
吉田松陰(よしだ・しょういん):長州藩藩士。思想家、教育者。松下村塾で、明治時代を築いた人材を育てた。1830年(江戸時代)-1859年(明治維新が、1868年)29歳没。江戸幕府の要人を暗殺する計画があることを自ら話して処刑された。
塾生は九十余名。伊藤博文(初代総理大臣)、山縣有朋(やまがた・ありとも。三代と九代の総理大臣)、高杉晋作(たかすぎ・しんさく。奇兵隊創設者)、久坂玄瑞(くさか・げんずい。長州藩の中心人物。妻は、吉田松陰の妹)
吉田松陰のことを熱く語るロバート山本さんを見ていると、山本さんが、吉田松陰に見えてきます。吉田松陰は、教育することで、『人に火を付けた』そうです。
尊王攘夷(そんのうじょうい):江戸幕府を倒して、天皇中心の国家をつくり、日本を植民地化しようとする外国を排除して、日本を守るという思想だったのだろうと考えます。天皇中心の世の中づくりが、明治維新につながっていきました。
先日ラジオの国会中継を聴いていたら、吉田松陰を例に出して質問をしている国会議員がいました。もしかしたら、この『旅猿』番組を観て、本人なり、質問文章作成担当のスタッフ(職員)がヒントを得たのではなかろうかと推測してしまいました。
反射炉(はんしゃろ)が出てきます。鉄を溶かして大砲を製造します。熊太郎じいさんは、以前、静岡県の韮山(にらやま)にある反射炉を見学したことがあります。(先日、たまたま、その市で、祭りの山車が(だしが)横転して人身事故が発生してしまいました)
岡村隆史さんが、サッカーのカズ選手の話とか、アクション俳優のブルースリーやジャッキーチェンのことを出して話を盛り上げてくれますが、あとのふたりは、しらーっとした雰囲気でした。
明治時代をつくるために、江戸幕府と戦って、おおぜいの人たちが亡くなっています。まだ、みなさん若かった。
吉田松陰の言葉が紹介されます。『革命は「狂」だ』
山口県萩市内の狭い区域内に有名人の誕生地などがあちこち点在しています。
伊藤博文氏が14歳から27歳で兵庫県知事になるまで住んでいたという家が今も残っています。
山縣有朋氏(やまがた・ありとも氏)も二度総理大臣になっています。
松下村塾(しょうかそんじゅく)は一年間だけだったそうですが、ロバート山本さんの話だと、昼夜の時間に関係なく、吉田松陰は塾生を教えたそうです。
伊藤博文氏は、これといった能力があるわけではないけれど、人と人をつなぐ能力があったとロバート山本さんから説明がありました。
旅猿のふたりは、これで歴史の土地まわりのロケは終わり、夕食のつもりでしたが、まだ回るとローバーと山本さんが言うのでびっくりしたようすです。
なにせ、ロバート山本さんの回り方は効率が悪い。時間が十分あるなら時代の流れの順番どおりに回ればいいと思いますが(近くにある場所をまとめてみるのではなく、出来事が起きた時代の流れに従って順番に、あっちへ行ったあとまた戻ってきたりと、行ったり来たりするのです)、ほぼ日帰りに近いような一泊二日のロケですから疲れてしまいます。回ったところの記憶も残らないかもしれません。
[たまたま、ここまで書いた夜に、動画配信サービスNHK+(プラス)での番組『歴史探偵』で、高杉晋作(たかすぎ・しんさく)の紹介をしていました。なかなか良かった。高杉晋作がいなかったら、明治維新はなかったというテーマ内容でした。高杉晋作のやりかたは、『合理主義』での対応です。奇兵隊は、形式にこだわる江戸幕府の武士と戦って勝っています。あわせて、国家や組織を守り維持していくためにはどうしても軍事力が必要なことがわかりました。もうひとつが、イノベーション(変革)です。今のやりかたに固執しない(こしつしない。こだわらない)]
(つづく)
ロバート山本さんは、吉田松陰のお墓の前で力強い声でお参りをしました。
そのあと、『よし!』『満足でした』『楽しかった』『来て良かった』
山縣有朋(やまがた・ありとも)生誕地を見て、吉田松陰のお墓参りをして、夕食をとって、旅館に着いて、長い一日が終わります。
東野さんの言葉に一同が愕然とします。(がくぜんとする。非常にびっくりする)
『ところで、松下村塾(しょうかそんじゅく)の塾長、だれやった?』
ロバート山本さんが、声も出せません。シーンとした空気が流れました。(なんのための一日だったのか)
東野幸治さんはど忘れとはいえ、アルツハイマー型認知症だったか、レビー小体型認知症の気(け。気配けはい)があるのだろうか。路線バス乗り継ぎ人情バス旅で太川陽介さんの相棒だったえびすよしかずさんのようになってきています。えびすさんは、どこかのお城の欄干(らんかん)部分で市街地を見渡しながら、太川さんとゲストの女性に真顔で、『これからぼくたちは、新幹線でどこに行くの?』と聞いたシーンがありました。(路線バスの乗り継ぎ旅中です)
映像では、東野幸治さんが、松下村塾の塾長がだれなのか気づけず、テーブルの上に置かれていたパンフレットに吉田の「吉」の文字が見えてようやく「吉田松陰」と気づきました。だいじょうぶだろうか。笑いごとではないかもしれません。ヤバいよヤバイよです。
ロバート山本さんが、最後に、歴史ミニミニ紙芝居をやってくれました。
以前の旅のときは、たしか『とりいすねえもん』の紙芝居をやってくれました。その後、大河ドラマ『どうする家康』で、とりいすねえもんを扱った回がありました。内容がよくわかって良かった。
吉田松陰の紙芝居です。9歳、11歳、13歳と長州藩で優秀な実績をあげ、日本国内を回り、ペリーの黒船に弟子の金子重之助と乗り込んで米国渡航を願い出るも江戸幕府の許可はなく牢屋に入れられる。長州で自宅謹慎、松下村塾で一年間弟子たちに(明治維新につながる)思想教育をする。老中暗殺計画を告白して29歳で死罪となり命を落とす。吉田松陰はまじめでまっすぐな人です。そして、弟子たちが、明治維新を成し遂げた。
次回のロバート山本さんによる歴史を訪ねる旅は、鹿児島県の薩摩藩とか、京都とか、福島県の会津藩にしようかという話が出ました。江戸幕府側から観た『正義』があるとロバート山本さんは説きます。(ときます。道筋を述べる)
楽しみにしています。
ゲストは、以前徳川家康の歴史巡り旅で愛知県と静岡県を回ったときの歴史好き芸人ロバートの山本博さんです。前回は、時代の出来事に合わせたあちこち行ったり来たりの不思議な移動でしたが、内容はなかなか良かった。
旅猿でまだ行ったことがない県があとふたつで、今回の山口県がそのうちのひとつです。もうひとつが富山県です。もう少しで全国制覇です。
羽田空港から山口宇部空港へ到着したそうです。到着時刻が遅れたので、案内人のロバート山本博さんがあせっています。昼食抜きで回るような勢いですが、東野さんと岡村さんは、ハードスケジュールには乗り気ではありません。
空港から車で2時間半から3時間移動して、山口県の萩市内に着きました。
あまり体を動かしたくない東野・岡村のふたりは、山本さんの指示に乗り気ではありません。じっさい、見学場所が、これはすごいというものでもありません。
山本博さんはいやがるふたりを麓(ふもと)に残して、ひとりで、汗をかきながら、蚊に刺されながら、山の上にある城跡へ登って、ひとりで見学して、下山されました。
ロバート山本さんの語りが熱い。彼の脳の中では、幕末の長州藩(山口県)の若者たちが生き生きと動いているのでしょう。吉田松陰を中心に見学が進んでいきますが、現地は、草ぼうぼうの跡地だったりもして、連れのふたりは、いろいろ文句を言います。
見学時間確保を優先して、車の中で、おにぎりとサンドイッチです。メインのふたりは、ちゃんとごはんを食べたいと訴えます。
その後、食事場所でいただいた『萩御膳(はぎごぜん)』が絶品だったそうです。おいしくて、良かった。
どうも、ゲストとレギュラーメンバーの気持ちのすれ違いがあります。
レギュラーのふたりは、山本博さんが知らないらしきアニメ『ワンピース』の話をだらだらと続けます。だいじょうぶだろうか。山本博さんの心が折れそうです。
(つづく)
なんだか、ロバート山本さんの独断ひとり旅に、旅猿のふたりが連れまわされている構図の旅です。スケージュールが密です。だいじょうぶだろうか。
旅猿のふたりは、もうこの旅を終えたい雰囲気です。
吉田松陰(よしだ・しょういん):長州藩藩士。思想家、教育者。松下村塾で、明治時代を築いた人材を育てた。1830年(江戸時代)-1859年(明治維新が、1868年)29歳没。江戸幕府の要人を暗殺する計画があることを自ら話して処刑された。
塾生は九十余名。伊藤博文(初代総理大臣)、山縣有朋(やまがた・ありとも。三代と九代の総理大臣)、高杉晋作(たかすぎ・しんさく。奇兵隊創設者)、久坂玄瑞(くさか・げんずい。長州藩の中心人物。妻は、吉田松陰の妹)
吉田松陰のことを熱く語るロバート山本さんを見ていると、山本さんが、吉田松陰に見えてきます。吉田松陰は、教育することで、『人に火を付けた』そうです。
尊王攘夷(そんのうじょうい):江戸幕府を倒して、天皇中心の国家をつくり、日本を植民地化しようとする外国を排除して、日本を守るという思想だったのだろうと考えます。天皇中心の世の中づくりが、明治維新につながっていきました。
先日ラジオの国会中継を聴いていたら、吉田松陰を例に出して質問をしている国会議員がいました。もしかしたら、この『旅猿』番組を観て、本人なり、質問文章作成担当のスタッフ(職員)がヒントを得たのではなかろうかと推測してしまいました。
反射炉(はんしゃろ)が出てきます。鉄を溶かして大砲を製造します。熊太郎じいさんは、以前、静岡県の韮山(にらやま)にある反射炉を見学したことがあります。(先日、たまたま、その市で、祭りの山車が(だしが)横転して人身事故が発生してしまいました)
岡村隆史さんが、サッカーのカズ選手の話とか、アクション俳優のブルースリーやジャッキーチェンのことを出して話を盛り上げてくれますが、あとのふたりは、しらーっとした雰囲気でした。
明治時代をつくるために、江戸幕府と戦って、おおぜいの人たちが亡くなっています。まだ、みなさん若かった。
吉田松陰の言葉が紹介されます。『革命は「狂」だ』
山口県萩市内の狭い区域内に有名人の誕生地などがあちこち点在しています。
伊藤博文氏が14歳から27歳で兵庫県知事になるまで住んでいたという家が今も残っています。
山縣有朋氏(やまがた・ありとも氏)も二度総理大臣になっています。
松下村塾(しょうかそんじゅく)は一年間だけだったそうですが、ロバート山本さんの話だと、昼夜の時間に関係なく、吉田松陰は塾生を教えたそうです。
伊藤博文氏は、これといった能力があるわけではないけれど、人と人をつなぐ能力があったとロバート山本さんから説明がありました。
旅猿のふたりは、これで歴史の土地まわりのロケは終わり、夕食のつもりでしたが、まだ回るとローバーと山本さんが言うのでびっくりしたようすです。
なにせ、ロバート山本さんの回り方は効率が悪い。時間が十分あるなら時代の流れの順番どおりに回ればいいと思いますが(近くにある場所をまとめてみるのではなく、出来事が起きた時代の流れに従って順番に、あっちへ行ったあとまた戻ってきたりと、行ったり来たりするのです)、ほぼ日帰りに近いような一泊二日のロケですから疲れてしまいます。回ったところの記憶も残らないかもしれません。
[たまたま、ここまで書いた夜に、動画配信サービスNHK+(プラス)での番組『歴史探偵』で、高杉晋作(たかすぎ・しんさく)の紹介をしていました。なかなか良かった。高杉晋作がいなかったら、明治維新はなかったというテーマ内容でした。高杉晋作のやりかたは、『合理主義』での対応です。奇兵隊は、形式にこだわる江戸幕府の武士と戦って勝っています。あわせて、国家や組織を守り維持していくためにはどうしても軍事力が必要なことがわかりました。もうひとつが、イノベーション(変革)です。今のやりかたに固執しない(こしつしない。こだわらない)]
(つづく)
ロバート山本さんは、吉田松陰のお墓の前で力強い声でお参りをしました。
そのあと、『よし!』『満足でした』『楽しかった』『来て良かった』
山縣有朋(やまがた・ありとも)生誕地を見て、吉田松陰のお墓参りをして、夕食をとって、旅館に着いて、長い一日が終わります。
東野さんの言葉に一同が愕然とします。(がくぜんとする。非常にびっくりする)
『ところで、松下村塾(しょうかそんじゅく)の塾長、だれやった?』
ロバート山本さんが、声も出せません。シーンとした空気が流れました。(なんのための一日だったのか)
東野幸治さんはど忘れとはいえ、アルツハイマー型認知症だったか、レビー小体型認知症の気(け。気配けはい)があるのだろうか。路線バス乗り継ぎ人情バス旅で太川陽介さんの相棒だったえびすよしかずさんのようになってきています。えびすさんは、どこかのお城の欄干(らんかん)部分で市街地を見渡しながら、太川さんとゲストの女性に真顔で、『これからぼくたちは、新幹線でどこに行くの?』と聞いたシーンがありました。(路線バスの乗り継ぎ旅中です)
映像では、東野幸治さんが、松下村塾の塾長がだれなのか気づけず、テーブルの上に置かれていたパンフレットに吉田の「吉」の文字が見えてようやく「吉田松陰」と気づきました。だいじょうぶだろうか。笑いごとではないかもしれません。ヤバいよヤバイよです。
ロバート山本さんが、最後に、歴史ミニミニ紙芝居をやってくれました。
以前の旅のときは、たしか『とりいすねえもん』の紙芝居をやってくれました。その後、大河ドラマ『どうする家康』で、とりいすねえもんを扱った回がありました。内容がよくわかって良かった。
吉田松陰の紙芝居です。9歳、11歳、13歳と長州藩で優秀な実績をあげ、日本国内を回り、ペリーの黒船に弟子の金子重之助と乗り込んで米国渡航を願い出るも江戸幕府の許可はなく牢屋に入れられる。長州で自宅謹慎、松下村塾で一年間弟子たちに(明治維新につながる)思想教育をする。老中暗殺計画を告白して29歳で死罪となり命を落とす。吉田松陰はまじめでまっすぐな人です。そして、弟子たちが、明治維新を成し遂げた。
次回のロバート山本さんによる歴史を訪ねる旅は、鹿児島県の薩摩藩とか、京都とか、福島県の会津藩にしようかという話が出ました。江戸幕府側から観た『正義』があるとロバート山本さんは説きます。(ときます。道筋を述べる)
楽しみにしています。