2023年11月09日
渇水(かっすい) 邦画 2023年
渇水(かっすい) 邦画 2023年 動画配信サービス 1時間40分
ほかの方のブログを観て回っていて、この映画がいい映画だったとありました。興味をもったので観てみることにしました。ただ、あまりよくなかったという鑑賞評価の人もいました。なんというか、内容が、自分自身の人生体験と重なるものがあれば共感できるし、類似体験がなければ、なんのことやらということはあります。わたしがこの映画を観た限りでは、う~む。どうかなでした。
映像の最初に戻って、ふりかえりながらの感想を並べてみます。
雨が降らない暑い夏です。
水不足による『渇水』と、水道料金の未納、滞納による『停水』処置が並べてありますが、いくら考えても両者の共通点とか、つながりが、わたしにはあるようには思えませんでした。水不足がある。停水処置をされると停水された者が、水が使えず困るということなのか。
水不足なら、一般的に、そのあたり一帯に住む人たちの全世帯が一時的に停水で、給水できなくなるような状態になります。それとも、映画で出てくるこどもの姉妹がいる世帯だけが『渇水』という表現なのだろうか。よくわかりません。
姉妹がいます。中学一年生か小学六年生の姉に見えます。妹は、小学二年生ぐらいに見えます。
母子家庭で、母親が家を出て行ってしまって(母親の言い分として:中卒の女は金ずるになる男を探すしかない。お金を恵んでくれる男を見つけてついていくのです)、家ではこどもの姉妹だけで学校の夏休みを過ごしています。(そして、水道料金滞納で市役所の水道担当職員である主人公男性に停水処置をされてしまいますが、いろいろツッコミどころは多い)
水不足ゆえに、水のないからっぽのプールで泳ぐマネをする姉妹です。(最後のほうのシーンで再びこの場所のシーンに戻ります。最初に戻るのが映画の基本の手法のひとつです)
主題として、『母子家庭の貧困』があります。貧困の責任は、男(父親)にあります。夫の役割も父親の役割も果たせないふがいない男性像に対する女性の側からの抗議があります。
停水処置をする水道担当である役所の職員宅も家庭が壊れています。
妻と小さな息子は実家へ帰っています。
あまり、書くと文句ばかりの長文になるので、簡単に箇条書きにします。
・水道料金滞納者がいます。(最初から払う気がない。こういう人たちは、ほかのお金も払ってくれません。お金があっても払わない人っています)
・市役所は、こどもだけが暮らす家の水道を止めないと思います。担当者だけの判断はしないでしょう。市役所なら福祉部門へ話が行くでしょう。市役所の立場に立って考えると、たとえ規則に従っていたとしても、こどもがらみの事件や事故が起きるかもしれないという状況をつくるということはマスコミ対策としても回避したい。
・タバコの喫煙シーンがとにかく多い。非喫煙者が見ると、臭いにおいが思い出されて相当不快です。(いったいいつになったら日本映画は喫煙シーンから卒業できるのだろうか……)
・気弱な水道担当職員が出てきます。自分の心情の悩みを上司に投げて相手に答えを求めてはいけません。お金がらみの仕事をするときは、個人的な喜怒哀楽の感情は抜きです。割り切ります。もっと気持ちを強くもってほしい。
・映像の中の母子家庭の母親は、人としての母親には見えませんでした。母親の化粧姿がなにかしらアンバランスでした。ふたりの姉妹の言動、動きも変でした。親子には見えない。
・社会の底辺にいる人間を描く。水の匂い(におい)に関するこだわりと暗示あり。その匂いのこだわりが、ピンときませんでした。
・妊娠したから結婚というパターンは、未来に危険をはらんでいます。結婚は、まずは、男女間の愛情があってこそです。
・こどもに水道業務の『停水』という深刻な仕事の話をして、『停水』処置という物事を決定してはいけません。仕事の話は、必ず親と話をします。ゆるい発想でできたシナリオです。
・伏線として、プール、ヘビイチゴ、ひまわり、金魚、髪の毛を切るなどがありますが、バラバラな感じがしました。
・あんなふうには、こどもを寝かしつけない。(鉄道プラレールの横、散らかったおもちゃがある場所で、うつぶせになっている男児に、タオルケットをかけました。(ちゃんと持ち上げて運んで、おふとんか、ベッドに寝かせます。玩具でちびっこにケガをさせてはいけません))
・『太陽と空気と水はタダという提案』(あまり説得力がないフレーズです)
良かったなと思ったセリフです。
妹『(停水されたから、あるいは渇水だから)雨の神さまにお願いする(というようなセリフ)』
姉が『いないよ。神さまなんて』(そのとおりです)
万引きのシーンは、日本映画にひんぱんに出すべきシーンなのか。わたしが、こどものころに見たドラマなどの映像でも万引きシーンがありました。
自分の思いどおりにならないからといって、(精神的に)切れてはなりません。(暴力的になる)
あきらめるのです。
あきらめることが、おとなになる一歩です。
無理がありすぎる内容でした。
ほかの方のブログを観て回っていて、この映画がいい映画だったとありました。興味をもったので観てみることにしました。ただ、あまりよくなかったという鑑賞評価の人もいました。なんというか、内容が、自分自身の人生体験と重なるものがあれば共感できるし、類似体験がなければ、なんのことやらということはあります。わたしがこの映画を観た限りでは、う~む。どうかなでした。
映像の最初に戻って、ふりかえりながらの感想を並べてみます。
雨が降らない暑い夏です。
水不足による『渇水』と、水道料金の未納、滞納による『停水』処置が並べてありますが、いくら考えても両者の共通点とか、つながりが、わたしにはあるようには思えませんでした。水不足がある。停水処置をされると停水された者が、水が使えず困るということなのか。
水不足なら、一般的に、そのあたり一帯に住む人たちの全世帯が一時的に停水で、給水できなくなるような状態になります。それとも、映画で出てくるこどもの姉妹がいる世帯だけが『渇水』という表現なのだろうか。よくわかりません。
姉妹がいます。中学一年生か小学六年生の姉に見えます。妹は、小学二年生ぐらいに見えます。
母子家庭で、母親が家を出て行ってしまって(母親の言い分として:中卒の女は金ずるになる男を探すしかない。お金を恵んでくれる男を見つけてついていくのです)、家ではこどもの姉妹だけで学校の夏休みを過ごしています。(そして、水道料金滞納で市役所の水道担当職員である主人公男性に停水処置をされてしまいますが、いろいろツッコミどころは多い)
水不足ゆえに、水のないからっぽのプールで泳ぐマネをする姉妹です。(最後のほうのシーンで再びこの場所のシーンに戻ります。最初に戻るのが映画の基本の手法のひとつです)
主題として、『母子家庭の貧困』があります。貧困の責任は、男(父親)にあります。夫の役割も父親の役割も果たせないふがいない男性像に対する女性の側からの抗議があります。
停水処置をする水道担当である役所の職員宅も家庭が壊れています。
妻と小さな息子は実家へ帰っています。
あまり、書くと文句ばかりの長文になるので、簡単に箇条書きにします。
・水道料金滞納者がいます。(最初から払う気がない。こういう人たちは、ほかのお金も払ってくれません。お金があっても払わない人っています)
・市役所は、こどもだけが暮らす家の水道を止めないと思います。担当者だけの判断はしないでしょう。市役所なら福祉部門へ話が行くでしょう。市役所の立場に立って考えると、たとえ規則に従っていたとしても、こどもがらみの事件や事故が起きるかもしれないという状況をつくるということはマスコミ対策としても回避したい。
・タバコの喫煙シーンがとにかく多い。非喫煙者が見ると、臭いにおいが思い出されて相当不快です。(いったいいつになったら日本映画は喫煙シーンから卒業できるのだろうか……)
・気弱な水道担当職員が出てきます。自分の心情の悩みを上司に投げて相手に答えを求めてはいけません。お金がらみの仕事をするときは、個人的な喜怒哀楽の感情は抜きです。割り切ります。もっと気持ちを強くもってほしい。
・映像の中の母子家庭の母親は、人としての母親には見えませんでした。母親の化粧姿がなにかしらアンバランスでした。ふたりの姉妹の言動、動きも変でした。親子には見えない。
・社会の底辺にいる人間を描く。水の匂い(におい)に関するこだわりと暗示あり。その匂いのこだわりが、ピンときませんでした。
・妊娠したから結婚というパターンは、未来に危険をはらんでいます。結婚は、まずは、男女間の愛情があってこそです。
・こどもに水道業務の『停水』という深刻な仕事の話をして、『停水』処置という物事を決定してはいけません。仕事の話は、必ず親と話をします。ゆるい発想でできたシナリオです。
・伏線として、プール、ヘビイチゴ、ひまわり、金魚、髪の毛を切るなどがありますが、バラバラな感じがしました。
・あんなふうには、こどもを寝かしつけない。(鉄道プラレールの横、散らかったおもちゃがある場所で、うつぶせになっている男児に、タオルケットをかけました。(ちゃんと持ち上げて運んで、おふとんか、ベッドに寝かせます。玩具でちびっこにケガをさせてはいけません))
・『太陽と空気と水はタダという提案』(あまり説得力がないフレーズです)
良かったなと思ったセリフです。
妹『(停水されたから、あるいは渇水だから)雨の神さまにお願いする(というようなセリフ)』
姉が『いないよ。神さまなんて』(そのとおりです)
万引きのシーンは、日本映画にひんぱんに出すべきシーンなのか。わたしが、こどものころに見たドラマなどの映像でも万引きシーンがありました。
自分の思いどおりにならないからといって、(精神的に)切れてはなりません。(暴力的になる)
あきらめるのです。
あきらめることが、おとなになる一歩です。
無理がありすぎる内容でした。