2023年11月22日

東京市ヶ谷『JICA(ジャイカ)地球ひろば』の見学とランチ

東京市ヶ谷にある『JICA(ジャイカ 独立行政法人 国際協力機構)地球ひろば』を見学して、世界のランチを食べる。

 世界のランチをお目当てにして訪れました。(豪華ランチを楽しむということではなく、発展途上国の昼ごはんを食べるのです。現地の人が食べている、ふだんのお昼ごはんです)
 この日の世界のランチはペルーのごはんでした。どこのお国でも日常生活のなかで食べるごはんはシンプルなものだと思います。

 J‘s Cafe という食堂で、雰囲気としては、大きな市の市役所の中にある食堂のようでした。こちらの食堂は、大規模改修工事のため、このあと、12月から1月は利用できないそうです。

 ペルー共和国の『アヒデ・ガ・ジーナ』というごはんでした。鶏肉のシチューです。
 自衛隊の施設がそばにあるので、制服姿のかっこいい隊員さんたちとか、このJICA自体が、今、改修工事をしているらしく工事会社の人たちとかが食事に来られていました。

 入口入って、料理の券売機があります。券売機で食券を買うのは久しぶりだったので、熊太郎夫婦はとまどいましたが、うしろに並んでいる人に教えてもらって食券を買うことができました。
 けっこう利用者は多い。料理の受け取りは長いカウンターがあって、定食類と麺類は場所が分かれていました。

 1階が展示スペース、『地球ひろば』で、二階が会議室、研修室、食堂、3階以上は事務室でしょう。
 1階では、ペルー共和国の展示がされていました。



 掲示してあった『ペルーと日本』を読んでびっくりしたのですが、観光地で有名な、『マチュピチュ(インカ帝国の遺跡。標高2430mにある。インカ帝国(1533年スペインに滅ぼされた)』の初代村長は日本人野内与吉さんだったそうです。
 1917年(大正6年)21歳の移民として日本からペルーに渡られた野内与吉(のうち・よきち。福島県出身)さんが中心になって、マチュピチュへ行くための鉄道をつくったそうです。
 遠く離れた南半球の土地で、日本人が初代村長をしていたとは驚きです。
 そおいえば、最近皇室のメンバーの方がペルーを訪問されたニュースが流れていました。







 次の写真ですが、有名な人たちのサインが展示されていました。
 左が、『さかなクン』、まんなかが、『広瀬すずさん』で、右が、『尾木ママ』です。



 この動物は、アルパカだったと思います。






 JR山手線の市ヶ谷駅で降りて、お堀にかかる橋を渡って、急な坂道を登って行きました。
 ジャイカの建物のそばに防衛省の広い敷地がありました。
 思い出すに、わたしがまだ子どもだったころ、三島由紀夫氏が、自決をされたところでもあります。
 小説作品『潮騒』(NHK朝ドラ『あまちゃん』の素材にもなっていました)とか、『金閣寺』、『三島由紀夫レター教室』、『仮面の告白』を読んだことがあります。
 愛知県渥美半島にある伊良湖岬から三重県鳥羽市へ渡るフェリーに乗ったときは、潮騒の舞台の素材になった『神島』を船から間近で見ました。
 ジャイカを見学したあと、JR市ヶ谷駅に向かう急な下り坂を歩きながら、そんなこんなを思い出しながら、ころばぬよう気をつけてゆっくり歩きました。
 『昔日の客(せきじつのきゃく) 関口良雄 夏葉社(なつばしゃ)』では、1955年(昭和30年)ころ、まだ30歳ぐらいの三島由紀夫氏がひとり、あるいは、新婚の奥さんといっしょに、著者が営む地元の古本屋をちょくちょく訪ねてくることが書いてあります。同氏は小説家として世界的に有名になってからは古本屋には来なくなったそうです。1970年(昭和45年)に、ここ市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自ら命を絶っておられます。
 世界的に有名になって、なにかをなさねばならぬというプレッシャーがあったのだろうかと思いつつ、超有名人になるって、何なのだろうかと思いを巡らせながら坂道をくだったのです。

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