2023年08月07日

太川&えびすの路線バス旅 山口県錦帯橋から京都府天橋立

太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第24弾 山口県錦帯橋(きんたいきょう)から京都府天橋立(あまのはしだて) 2016年(平成28年)9月放送分の再放送 BSテレ東

 番組の途中福山城の展望ができるあたりでえびすよしかずさんが奇妙なことを言います。
 バス旅の途中なのに、自分たちはこれから新幹線に乗ってどこに行くのか?と、太川陽介さんとゲストの熊切あさ美さんに質問します。しばし間があきます。たずねられたふたりは頭が真っ白になっています。
 このころからえびすよしかずさんの認知症の症状はあったのでしょう。
 次回の第25弾でこの企画は終わりになっています。

 そんなことを書いている自分も歳をとってきました。
 このシリーズを何回見てもシーンを忘れています。歳をとりました。
 最近は人の名前やグループ名、地名がぱっと出てこない。記憶力が低下しています。
 ゆえに、何度見ても感動できます。
 
 自分が行ったことがある山口県錦帯橋(きんたいきょう)から、自分が行ったことがない京都府天橋立(あまのはしだて)までです。天橋立にはいつか行きたい。
 えびすよしかずさんは69歳です。すごくがんばっています。

 自分が見たこれまでの人生体験だと、人間は90歳ぐらいになると、歩き方がペンギンみたいになります。よちよち歩きです。歳をとって、幼児に戻るのです。若いころ、びゅんびゅん体が動いていた人でもそうなります。
 超高齢者になると、戸建て住宅の二階に上がれなくなります。階段を上がれないのです。二階に部屋があっても、一階だけで暮らすようになります。
 しかたがないのです。老いはだれにでも訪れます。

 番組の映像で見る瀬戸内海の海面は湖のようです。おだやかです。バスの車窓から見える瀬戸内海の景色がきれいです。
 広島県にある宮島(みやじま)には何度か行きました。
 初めて宮島の海に浮かぶ赤い鳥居(とりい)を見たのは中学校の修学旅行列車『飛梅号(とびうめごう)』の車窓からでした。まだ自分は14歳でした。福岡県内地元の駅(今はもう廃線)から京都駅までが往復のルートでした。ディーゼルカーでした。

 バス旅の演者三人は、移動の途中で、名も知れぬ小さな公園でたわむれながら遊びます。
 なにげないことが、あとあと、いい思い出に変わります。

 夜の風景の中を走る路線バスには風情があります。

 先日女性三人による路線バス乗り継ぎの旅を観ました。赤江珠緒さんと三船美佳さんと高城れにさんでした。
 旧シリーズだと、宿泊するホテルで、えびすさんのベッドに太川陽介さんとゲストがジャンプするのですが(えびすさんがかなりいやがります)、新企画の旅、W(「ダブリュー」)ウーメン。女性の意味)でも出演者の方々がベッドにジャンプされていました。

 自分たちが広島県の尾道に行ったときに、尾道ラーメンを食べたことを思い出しました。夕ご飯は、道路沿いにあった街の中華屋に入って、家族でばか食いしました。いろんなことがありました。旅は思い出の一里塚です。(いちりづか。記憶のめじるし)

 緑が色濃い風景の中を、田舎(いなか)の路線バスは走ります。

 地方では、お手頃な値段で、おいしいごはんを食べることができます。
 いろいろ番組を見ていて、長崎県はとくにその傾向が強いことがわかりました。

 三人で(スタッフも入れて)がんばる。
 汗をかいて坂をのぼる。
 バス路線がないから長い時間歩く。
 歩く先にあるバス停が目標地です。
 (ふと思うに違いない。温泉に入りたいと)

 鳥取砂丘の話が出ます。
 最近のニュースで、鳥取砂丘では、草が生えてきたので、みんなで草刈りをしているそうです。
 暑いのにたいへんです。

 毎回見て思うのですが、すごいなあ。
 たしかゲストのどなたかが言っていたのですが、路線バスの旅は、人生そのものだ。(乗り継ぎが)うまくいくこともあるし、うまくいかないこともある。それでもめげずに前に進むしかない。


(2022年3月のときの感想メモ)
太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第24弾 山口県錦帯橋から京都府天橋立(あまのはしだて) 2016年(平成28年)9月放送分の再放送 BSテレ東

 映像に出てくるところで、自分が行ったことがある場所です。錦帯橋、竹原、尾道、鳥取駅。錦帯橋は旅番組に良く登場します。先日動画配信サービスで『相席食堂』を見た時には、(自分のことを)男なんとかです。というギャングみたいなことを放つ(はなつ)年配の男性が番組のゲストで出ていました。ボクシングの不正判定で不祥事があった奈良の方です。また、錦帯橋では、出川哲朗さんの充電バイクの旅でもロケがあった番組を観たことがあります。

 タレントの旅番組『相席食堂』というのは、見る前は、お料理番組だと思っていました。旅番組でした。今年になってから誤解していたことに気づきました。番組内容は、なかなか楽しいです。(その後:あまりにも内容が下品なときが多いので、観るのをやめました。関心があるゲストの時だけ見ています)

 今回のバス番組で、自分が行ったことがないのが、天橋立(あまのはしだて)です。うちの奥さんは天橋立には行ったことがあるけれど、かがんで、おまたの間からうしろをのぞいた記憶はあるけれど、そのほかのことは、なにも覚えていないそうです。我が家の『コロナがおさまったら旅に行くのだリスト』に天橋立(あまのはしだて)も入れることにしました。

 番組ゲストの熊切あさ美さんは、このロケの頃、男女がらみの三角関係でごたごたがあったようです。
 映像の中では、熊切あさ美さんは、えびすさんにかなりいじられていました。また、行く先々の町中(まちなか)で、地元の、とくに女性の方々から励まされていました。みなさん、心根(こころね)が優しい。
 えびすさんの暴言として、「(熊切あさ美さんは)男で悩んでいる」「全部負けてるでしょ(相手の男を全部ほかの女に盗られているでしょという意味)」
 熊切あさ美さんは、けなげです。(一生懸命やっているけれど、むくわれない)
 一生懸命がんばって、うまくいったり、うまくいかなかったりは「運」です。
 熊切あさ美さんをとりまく励ましの人たちのようすを見ていて悟ったことです。とりあえず、自分と関わりになった人とは、良くも悪くも仲良くやっていくのが、世間を渡っていくコツ(秘訣ひけつ)でしょう。けして相手を責めてはいけないのです。

 えびすよしかずさんは、冒頭で太川陽介さんに、誕生日と年齢をたずねられましたが、しっかり返答することができません。もう、この頃から、認知症のきざしがあったのでしょう。
 バス旅の途中なのに、福山城の展望スペースで、「おれたち、新幹線で行くんだ」という真顔(まがお)での発言があります。
 いまちょうどえびすよしかずさんの本を読んでいます。2019年発行『死にたくない 一億総終活時代の人生観』本が出た当時はまだ本人の認知症のことが表には出ていませんでした。翌年オープンになっています。

 バスのちょっとした時間での乗り遅れが続きます。
 乗り遅れると、次のバスまでの待ち時間がとても長い。
 たいへんです。

 三人が見晴らしのいい絶景を見ながら歩いている姿を映像で見ていると、自分もいっしょに歩いているような気分になれます。
 スタッフのご苦労がありがたい。スタッフの努力が、心に伝わってきます。

 バスの車内にいる三人はとても疲れています。
 夏の暑い日のロケです。長時間の徒歩は過酷です。
 途中で、バスの行き先表示板が壊れてしまうトラブルで、バスがしばらく止まってしまいました。旅に予定外のトラブルはつきものです。

 鳥取砂丘です。
 別の砂丘に行ったことがありますが、砂丘とか、お城とか、万里の長城とか、富士山もそうですが、自分は、遠景で美しいものは、遠くからながめるだけでいいです。近くまで行くと体がたいへんです。

 日本には、温泉がいっぱいあることが再確認できました。

(2019年10月のときの感想メモ)
太川陽介&蛭子能収ローカル路線バスの旅 山口県錦帯橋~京都府天橋立 再放送

 予定されていた箱根編が台風19号の被災に配慮して、この再放送に差し替えられたのですが、自分にとっては見たことがないので新作です。
 冒頭、ふたりが立っている錦帯橋のそばに自分も立ったことがあるので身近に感じました。次に移動した竹原市もそのときに車で行ったので覚えています。
 路線バスの旅は最終的にゴールしたので良かった。
 蛭子能収さんのあいかわらずの言葉として、「山がはびこっている(中国山地)」、「(えびすさんは2日前のことも覚えていない)自分は、今、この1秒を生きている」、「(運転手に)バスで連れて行ってください(もう歩きたくない)」運転手が、「ここで終点です」
 県境を越える歩きがつらそうでした。熊切あさ美さんは、あんな細い足でよく歩けるものだと感心しました。  

2023年08月04日

さかなのこ 邦画 2022年公開

さかなのこ 邦画 2022年公開 ケーブルテレビ日本映画専門チャンネル

 原作本は読んだことがあります。タレントのさかなクンのことが書いてある本です。
 本を読んだうちの家族が、さかなクンの母親がすばらしいと感嘆していました。

 映画のほうは、自分にとっては、うーむどうかなというできあがりでした。
 さかなクンの成長をドキュメンタリーのように追うのかと思っていたらそうでもありませんでした。
 自分たち世代は、リアルタイムで、まだこどもだった彼がテレビに出て、テレビ番組のさかな通選手権(さかなつうせんしゅけん)のチャンピョンになる経過を見ていたので、映画のほうは、なんだかなあという内容に感じてしまいました。

 いま、BSNHKでの再放送で『あまちゃん』を毎日見ています。
 こちらの映画では、あまちゃんの主演の「のんさん」が出てくるわけで、映画では、あまちゃんの舞台になる岩手県三陸海岸でのシーンと重なるよう映像が何度か出てきました。それはそれで親しみを感じました。
 番組『あまちゃん』での驚きの方言(ほうげん)『じぇじぇじぇ』が、こちらの映画では『ギョギョギョ』です。おもしろい。

 さかなクンご本人が、変な人のような立ち位置で映像に登場します。
 最後は、さかなクンからミー坊(のんさん)につないで、いい感じのラストシーンでした。

 小学校三年生ぐらいのシーン、それから高校生のシーン、そして、今のシーンが行ったり来たりします。
 フナの解剖は、こどものころ、自分もやりました。小学生のころに、近所にあった池でつったフナを解体した記憶があります。映画では、のんさんが、ヤンキーが護身用に持っているナイフでフナの解剖をするわけですが、不良グループとのからみはおもしろくなかった。ほかの設定ができたような気がします。
 
 主人公の性別に関しては、なんの違和感もありませんでした。さかなクンをのんさんが演じているわけですが、ご本人のさかなクンも出演者で出ているので、おかしな設定ではありませんでした。もう今は性別にこだわる時代ではないのでしょう。歳をとってみてわかるのですが、ヒトは、最後には男でも女でもないようなふうになるのです。

 ミー坊の父親はつまらない人格設定でした。父親の脳みその中にあるこどもの未来像(こうあるべき)は、四角四面の箱の中にあるもので、人間の社会を網羅できていません。(もうら:残らずとりいれる)こどもへの強制の度が過ぎると、手を出さなくても家庭内暴力のたぐいになります。

 お話の始まりは幻想的です。(メルヘン)
 高校生メンバーの役者さんたちは、歳がいっているみたいで、高校生の年齢には見えません。
 ミー坊こと、のんさんは、脳みそにあることを言葉に変えて、自分の口からはっきり言っていて気持ちがいい。言いたいことを当事者である相手にはっきり言えることはたいしたものです。
 この映画は、成功はしてはいませんが、人の生き方、人の育て方の教示がある映画です。(きょうじ:教え導き。教えを示す)

 『東野&岡村の旅猿』にゲストでよく登場する鈴木拓さんが(釣りの師匠として)出てきたのでうれしい気持ちになりました。

 この映画は、だれに観てほしい映画なのだろう。はっきりしません。
 アルコールの席とか、ときおり出てくる喫煙シーンとか、つまらない。古い日本映画のシーンづくりです。
 なにかしら、本の趣旨からははずれている。
 底辺の暮らし、底辺で暮らす人間の生活を描くことと『さかなクン』のことが結びつきません。

 『普通』に関するシーンがあります。普通であることを求めると、抗議の声を聴くことがあります。この映画もそうでした。
 わたしは『普通』であることは大事(だいじ)だと思っています。何気ない毎日の生活の中に『幸せ』があると信じています。あいさつをする。お礼を言う。規則正しい生活を送る。毎日入浴する。衣食住の普通の基本ができてから、自分のやりたいことをやる。自分のことで、なるべく人に負担をかけない。自分のことは自分でやる。自立・自活する。

 映画の後半では、何もないところに何かをつくりだすことが、アーチスト(芸術家)の仕事だとわかります。つくって、感動を生む。
 食堂のシャッターに描いた(えがいた)樺太シシャモの絵が良かった。
 
 水族館のシーンでは、何度か訪れたことがある大阪の海遊館の水槽を思い出しました。

 
 参考までに、原作本の感想の一部をここに落としておきます。
 読んだのは、2016年(平成28年)です。
『さかなくんの一魚一会(いちぎょいちえ) さかなクン 講談社』
 むかし、番組「テレビチャンピョン」で1位になれなくて、最後のフランス魚料理の問題が、「フランス料理を食べたことがない」から解けなくて、それを聞いた兄貴が、その後、フランス料理屋に連れて行ってくれて、次回の魚通選手権(さかなつう)選手権で、優勝したという人情話を覚えています。それをきいたときには、兄弟愛に胸が熱くなりました。
 一芸に集中できるけれどそのほかの学習レベルは低かったという内容の部分を通過しましたが、彼の社会への貢献度は高い。数字をながめていたら、数字がみんな魚に見えたとうエピソードには笑いました。
 この本は、主に小学生向けの内容に思えます。全体270ページのうちの136ページまで読んだところで、感想を書き始めます。

 さかなのお話は尽きることがありません。どんどん湧き出してきます。緻密なさかなの描画の紹介があります。中学吹奏楽部(本には水槽学部と勘違いして入部したとありました)での音楽とのつながりもあり芸術的な興味と才能があります。

 彼を見守り育てるお母さんの寛容な態度と包み込む愛情があります。彼の成長経過における母親の役割は大きかった。絵の先生をつけるという話に、先生の物まねになるからやめるという判断には感銘しました。
 さかなクンの、ハゼを釣ってきて自分で育てるという発想は通常ありません。さかなを育てようとする彼の気持ちには、親心を感じます。

 タコ、ウマヅラハギあたりから入っていきます。描画は立体的で本物のよう。今にも動きそうな勢いがあります。

 生活のすべてがおさかなとつながっています。さかなクンの半生を記した本です。機動力として自転車、おとなになった今は、幼児のときに好きだったトラックを運転されているようです。
 外国作品としては、洋画「ファインディング・ニモ」とか、絵本では「にじ色のさかな」が思い浮かびました。

 さわやかな読後感が残りました。
 とくに、お母さんの子育てのあり方が、なかなかできることではないことをなんどかやられていて感銘いたしました。才能を伸ばす。最低限、才能をつぶさない。そいうことが、こどもの未来に有益であることがわかりました。
 定職につくことは標準ですが、標準の枠の外で、個性を生かしていくのがアーティスト(芸術家)です。

 小中学生向けの本ですから、「いじめ」の記事も出てきます。居る世界が狭い(教室、学校)から、「いじめ」が起きるというの は当たっています。

 自分一人では、魚通選手権で優勝することはできなかった。
 博物館勤務では、仕事ができなくて、エビスダイに話を聴いてもらっていた。

(思うこと)
 学校というところは、強制的に不特定多数のこどもを箱の中に押し込めて、義務だとして、教室の中などに拘束(こうそく)して、長時間自由を奪うところだったと、映像を見ながら思いました。自分がこどものときは、そんなことは思いませんでしたが、社会に出て、自分の責任で自由に生きることができる社会を知るとそのことがわかります。

(追記:8月中旬)
 BSNHKの再放送で『あまちゃん』を観ているのですが、112回の放送で、のんさんとさかなクンの共演があったことを知りました。そこが始点になって、この映画に線がのびているのだという気づきがありました。  

2023年08月03日

どんぐりむらのぱんやさん なかや・みわ

どんぐりむらのぱんやさん なかや・みわ作 学研

 表紙のカバーの一部分を切り取って組み立てるとお人形さんあそびができるようです。どんぐりのキャラクターとぱんやの店舗がつくれます。ぱんやさんごっこです。

 絵本の中には、どんぐり新聞とか、広告パンフレットがはさみこんであります。学研らしい手法の売り方です。おまけで購買意欲を誘います。わたしはこういうやりかたは好みません。絵本なら絵本本体の中身で勝負してほしい。

 表紙をめくって、絵がかわいい。
 こどもさんに好かれるでしょう。
 ぱんやは、朝が早い。
 どんぐりのかぞくがぱんやをいとなんでいます。
 ぱぱとままが朝早くからぱんをつくっています。

 ほんわかとした世界です。
 やさしい世界です。
 茶色がベース(下地したじ)の絵の色合いがいい。
 働くぱぱとままですから、ちびっこふたりは保育園に通っています。
 この絵本は、両親が働いているこどもが読むと、こどもさんに実感がわく絵本です。

 この絵本の特徴は、文章運びとか、ストーリー展開よりも、絵の描写に力が入っている絵本と感じられます。絵が生き生きとしています。

 両親が共働きだから、家族メンバーにとって、思いどおりにならないこともあります。
 予定していた遊園地遊びに行けません。

 新しいぱんをつくる話がでます。
 新しいぱんづくりはうまくいきません。
 なんというか、ものごとというものは、新しいから、いいというものでもありません。
 新しいから、いいと考えるのは勘違いのときもあります。
 昔からあるものを未来に向かっても続けていくことが、いいこともあります。
 先日観たテレビ番組『出川哲郎の充電させてもらえませんか?』では、江戸時代以前、戦国時代の400年以上前から続いているおもちの和菓子が紹介されていました。たしか『うばがもち』という滋賀県のものでした。心のこもった一品(いっぴん)をそのまま続けていってもいいのです。

 両親にだまって、新しいぱんづくりをするこどもたちですが、両親にだまっていては、うまくありません。脳みそのなかにあることは、なるべく言葉に変えて、口から声を出して、相手に伝えるようにしたほうがいい。だまっていると誤解が生まれて人間関係がうまく運ばなくなります。

 どんぐりが、ぱんをつくるという設定はかわいらしくていい。

 さいごにできたあたらしいぱんの絵を見てびっくりしました。
 さきほど書いた『うばがもち』に似ています。
 やはり、いいものは同じ形に落ち着くのです。  

Posted by 熊太郎 at 06:21Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年08月02日

魔女だったかもしれないわたし エル・マクニコル

魔女だったかもしれないわたし エル・マクニコル・著 櫛田理恵・訳 PHP

 小学生高学年向けの児童文学です。読みながら感想を書き足していきます。
 まず、自分としては『魔女』という存在が、日本人にはなじみが少ないと思いつきます。
 ハリーポッターぐらいでしょうか。
 自分がこどものころに見ていたマンガ『魔法使いサリー』とか『秘密のアッコちゃん』も魔法使いだったとは思いますが、もう歳をとってしまって、はっきりとは思い出せません。

 宗教のからみでしょうか。魔女とか魔法とか悪魔とかは、ヨーロッパ、とくにイギリスの独特な文化と感じます。日本にはありません。ゆえにピンときません。
 外国人は犯罪をすると、たまに『悪魔』がその行為をするようにしむけたと弁明することがあります。日本人には理解できないいいわけです。悪魔のせいにして、すべてが許される風土が外国にはあるのでしょうか。

 そんな、なんやかんやを思いながらの読書が始まります。
 場所はイギリスのジュニパーという村です。(家は少ない。歯医者、医者がひとりずつ。教会、学校、スーパー、葬儀場、銀行がそれぞれひとつある。こぢんまりとした小さな村)
 グーグルマップで見つけました。イギリスの島のまんなかあたりです。北にグラスゴー、南にマンチェスターがあります。グラスゴーの東にエジンバラがあります。
物語の中の季節は9月です。外国ですから新学期です。ひとクラスは34人ぐらい。

 アディ(アディライン):主人公11歳女子。小学生でしょう。5人家族。両親とふたごの姉がいる。なにやら、村で開催される委員会で『過去に、ここにいた魔女の慰霊碑(いれいひ)』をつくろうと提案します。(最初は無視される。そのあとは、これから読むのでわかりませんが、きっと慰霊碑ができて、シャンシャンの結末を迎えるのではないと予想をつけてみる)(左に書いた予想は当たりました)
 サメが好き。サメには骨がない。サメには、第六感がある。電気を感知できる。血のにおいがわかる。ヨシキリザメ。ニシオンデンザメ。
 イルカはみんな同じ顔をしている。イルカは社会性があるとされることについて、アディはなんの関心ももてない。イルカに対して、サメは個体ごとに個性が異なる。それぞれがまるっきり違う。
 読んでいると、登場人物の何人かは、なんだか心身に障害があることで差別されているみたいです。まだ最初のほうを読んだだけですが……

 アディの父親:月曜日は父親がパスタをつくる。スーパーで働いている。

 アディの母親:夜勤がある仕事をしている。職業はわかりません。

 キーディ・ダロウ:ふたごの姉のうちのひとり。大学生。背が高い。18歳。妹とは11歳違い。自閉的だそうです。自閉的:対人関係がにがて。強いこだわりをもつ。アディも自閉的。キーディは、仮面をかぶっているらしい。魔女の本を読んでいる。なんだか、キーディが魔女のような見た目に思えてきます。

 ニナ:ふたごの姉のうちのもうひとり。大学には行っていない。動画の投稿をしている。(ユーチューバーか)。茶色の髪。ピアス。
 キーディとニナは双子だが、一卵性ではないから似ていない。キーディの顔は丸くてすっきりしているが、ニナの顔は彫り(ほり)が深い。

 ジェンナ:主人公アディの親友。お互いに幼稚園のときからの友だち。将来は美容師をめざしている。

 マーフィ先生(アディのクラスの担任):もともとの担任は、ブライト先生だった。マーフィ先生は自閉的児童を嫌う。扱いやすい児童が好き。アディをいじめる。同じく自閉的なアディの姉キーディもいじめた。仕事で楽をしたい。自分に手がかかる児童はあてがうなという主張あり。教師歴は30年。無知でおく病で、人を差別する人間

 オードリー:ロンドンからの転校生 ひだりきき。背が高い。黒髪、黒い目をしている。(昔、ひだりききは『魔女』とされていた)。オードリーの兄ダニエルは、オックスフォードの大学に通っている。
 ロンドンにいるときは、カナリーワーフというところに住んでいた。(ロンドン東部)。オードリーはいつかアメリカ合衆国のニューヨークに住みたい。オードリーという名前は、映画女優「オードリーヘップバーン」からとった。オードリーは、歌手になりたい。

 エミリー:クラスメート。エミリーは、アディを好きではないようす。自閉的なアディをいじめるのですが、どうもエミリー自身にも障害があるようです。識字障害か。むずかしい文章の本を読むことができない。エミリーはアディの類語辞典の理解力をねたんでいる。アディの集中力をねたんでいる。(ねたむ:人の高い能力をうらむ。にくむ。自分よりも高い位置にいることを許せない)

 マッキントッシュ:地域の委員会の委員長

 リサ・マクラーレン:地域住民のひとり。委員会で、公園について提案した。夜間、若者が公園に出入りすることを禁止してほしい。喫煙ほか非行の場所、たまり場になっている。

 レアード:住民。ジュニパークにいるガチョウを処分しろという提案。却下

 フラハティのおばあさん:住民。バス停を坂道ではなく、平坦な道のところへ移動してほしい。

 ミリアム・ジェンセン:老女。金持ちの世捨て人。ジュニパーの森にゴミが捨てられていることについて、問題であるから解決しなければならないという趣旨で、村の委員会にゴミ対策を提案する。
 アーネストという名前を付けたカメを飼っている。

 クレイグ:キーディ三姉妹の子守りだが、児童に暴力をふるう。

 ジャッキー:主人公宅のお隣さん

 マギー:ずいぶん昔のことですが、ジュニパー出身で魔女扱いされて苦労した女性。悪魔と結婚していると言われたそうです。おそらく、肉体的な苦痛を与えられて(拷問:ごうもん)、「自分は魔女だ」と自白(じはく。自分の口から言う)したのだろうとのこと。

 図書館司書アリソン先生:くりくりの黒髪に大きめの眼鏡をかけている。背が高い。たぶん男性(外国人は名前だけでは男女の区別がつきにくいです)

 パターソン:エジンバラ大学で博士号をとっている。歴史の先生のようです。魔女の歴史を紹介します。

 ジーン:魔女狩りの犠牲者。人づきあいが悪かった。いつもひとり。ぼそぼそ話す。けんか相手に呪い(のろい)の言葉をあびせた。(悪意のあるおまじない)<自分が思うに、この世に、呪いも魔法も存在しません>

 メアリー:過去の人。魔女狩りの犠牲者。村で変人扱いされていた。お金を恵んでもらっていた。頭が弱いと思われていた。今でいうところの知的障害だった。私的制裁にかけられた。でっちあげ(無実の罪)だった。メアリーには否定する能力がなかった。メアリーは自分が魔法を使ったと認めた。

 ロバート・バーンズ:スコットランドの国民的詩人。1759年-1796年。37歳没。作品として「蛍の光」「故郷の空」

 ラティーマ先生:演劇の先生

 ボニー:ふたごの姉のキーディが13歳ぐらいのころのキーディの友だち女子。母子家庭のこども。精神病の施設に強制的に入れられた。メルトダウンの発作があった。(メルトダウン:精神的に追い詰められてパニックになる)。キーディにとっての親友

 マクブライド:村の委員会の委員。カラザーズという豚を飼っている。そのブタは、ブタ競争の全国大会で5回優勝している。イギリス王室主催のハイランド・ショーにも出場する予定がある。

 ラッジ:アディ宅の隣人

 ブライト先生:ニナが小学生だった時の担任の先生。こどもみんなをわけへだてなく大事にしてくれた。

 クラス担任のマーフィ先生が、主人公のアディを叱っているシーンから始まります。『なんですか、このひどい字は』(字がじょうずに書けない人もいますが、まずは、読めればいいのではないか)アディがつくった物語の文章を見て腹を立てて、その紙を破っているところからこの話はスタートするのです。

 アディのひとり語りが続きます。
 
 スティミング:自己刺激行動。同じ動作や音を繰り返す行動。主人公のアディと姉のキーディにある。手をひらひらさせる。手で頭の後ろをたたく。ニューロティピカル(定型発達の人)。仮面をかぶる。いろいろたいへんそうです。

 ジャーマンシェパード:ドイツ原産の犬。シェパード

 昔、魔女の疑いをかけられて、処刑された女性たちがいたそうです。裁判にかけられて処刑される。(真実としては『魔女』ではなかった)手足をしばられて、ノア湖に投げこまれた。(ノア湖は、現在プリンセス・ストリート・ガーデンと呼ばれる公園になっている)拷問(ごうもん。肉体的な苦痛を与えて自白を強制する)があった。

 スコットランド:島の北部。イギリスを構成する地域
 『スコットランドの魔女裁判』
 
 36ページまできました。あまりおもしろくありません。
 
 村役場で村の委員会が開催される。月に2回あるそうです。どうして、委員会において、11歳、未成年で選挙権のないアディに意見を言う発言権があるのか不思議です。地域の単なる集会か。
 委員会の委員のメンバーは、男性が5人、女性が1人。委員長が、マッキントッシュさん。(マッキントッシュは「レインコート」という意味だそうです)

 アディの委員会での提案理由は、罪のない女性たちを弔いたい。慰霊碑を建てたい。(とむらいたい。魔女とされて、処刑された女性たちの気持ちに気づいてなぐさめたい。不当に命が奪われた)<観光地をめざしている村の方針に逆らう提案だと指摘されました>
 障害があるアディと姉のキーディは、昔なら、自分たちは『魔女扱い』されて処刑されていたと理解しているようです。

 ユーチューバーのニナが、動画で情報と意見を発信するようです。
 
 コンシーラ:化粧品。隠す。目の下のクマや顔のシミを隠すために使う。

(うーむ。慰霊碑をつくるだけのことなら、村の委員会にかけなくても、自力で、有志を募って(ゆうしをつのって。同じ意見をもつ人たちで集まってお金を集めて)、土地と場所、お金を用意して、慰霊碑をつくればいいだけの話ではなかろうか…… 人にやってもらおうとするからうまくいかない。有志を募って(つのって)協力すればいい)(読み続けていたら137ページに『お金なら自分でなんとかします!』というアディの言葉が出てきました)(最終的にはお金持ちのスポンサー(援助者)が現れています)
 
 自閉症の人の脳みその中を表現してあります。
 昔、自閉症とか知的障害の人が『魔女』扱いされたと読み取れます。
 障害者差別があります。
 ものごとの悪いことは、魔女のせいにするのです。
 『呪われた子(のろわれたこ)』『悲劇』などと指摘されます。
 いじめです。
 命まで奪います。
 人間がもつ『悪』について書いてあります。

 自閉症の人の脳みその中の状態のひとつが書いてあります。
 『ときどき、人の表情を読み取るのがすごく大変なことがある。本心と違う表情をされると、わけがわからなくなる』

 もうひとつは『欲』について書いてあります。
 ユーチューバーの人がもつ『欲』です。
 “たくさんの人に動画をみてもらいたい”
 だから、人の目を引くために、してはいけないことをします。
 物語では、障害者をさらしものにします。
 障害者差別があります。
 
 学校というきゅうくつな世界です。
 学校は、卒業してしまえば、時間がたつごとに遠ざかっていく世界です。
 社会に出ると、学校でなにがあったのかは無関係です。

 リース川へ遠足に行く。
 魔女の歴史や当時のようすについて説明がある。
 魔女と疑われたものは裁判にかけられる。
 宗教がからんでいます。
 教区ごとに長老会がある。そこで尋問と証拠の提出がある。
 エジンバラにある組織が刑を執行する。
 しかし、ルール破りの私的制裁があった。法律によらず、勝手に制裁を加えた。
 自閉的なアディの脳みその中ではリアルな光景が展開されます。
 スコットランド(イギリスの地域)の話が出ます。魔女裁判の記録がよく残っている。ロージアン地域に魔女が多くいた。魔女は、キャッスルヒルに連れていかれて殺された。拷問も多かった。
 処刑の方法として、吊るし首(つるしくび。イングランドが一般的)、スコットランドは火刑(かけい。ひあぶり)。
 アディは、魔女とされた女性たちが自分と似ていると気づきます。
 
 障害児は普通学級ではなく、特別支援学校に行かせたほうがいいというような争論話があります。
 基準を人情におくなら、普通学級で健常者の児童と一緒に学ばせましょうとなります。ただ、それは感情論です。うまくいかないような気がします。
 喜怒哀楽の感情を抜いて、冷静にこどものことを中心に考えるなら専門の学校へ行かせたほうがいい。以前読んだ本に、障害児を普通学級に行かせた不幸が書いてありました。
 『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐大(いがらし・だい) 幻冬舎』
 著者の父親:後天性の聴覚障害者。幼少期の病気が原因で聴覚を失った。
 著者の母親:生まれつき音を知らない先天性の聴覚障害者
 著者の母親について、次のような記述がありました。
 (母方の)祖父母は障害をもつ子の親の気持ちとして、養護学校ではなく、著者の母親を普通学級に通わせた。そのことで、母親は言葉をわからないままに育つことになった。

 もう一冊あります。
 『育児まんが日記 せかいはことば 齋藤陽道(さいとう・はるみち) ナナロク社』
 著者は、耳が不自由だったのですが、学校は普通学校で補聴器をつけて学習していたのですが、その後補聴器をつけない生活を選択されています。その部分を読んだ時の読書メモです。
 「著者は、小中学生のころ普通学級に行っています。中学校卒業後、ろう学校に入学されています。そのあいだ、補聴器を付けて無理に聴こえない音を聴こうとして苦しんでいました。著者は、二十歳の誕生日で補聴器を付けることをやめました。楽になれました」補聴器がなくても、聴覚障害者としての学習で、日常生活を送ることができるのです。

 魔女の本では、86ページに『……一対一で面倒(めんどう)をみてもらえるところへ移ったほうがいいんじゃないかと(アディについて)』と教師の勧めがあります。
 母親は教師の勧めをきっぱりと断りました。(その場はかっこいいけれど、こどものためにはならないのです。まずこどもにとっての良き未来を考えたい)

 アディの両親は働いていて、家族全員がそろって夕食をとることは少ない。

 ジャコバイトの劇:反革命勢力(王さま側)1688年イングランドで起きた名誉革命
 マリー・アントワネット:フランス国王ルイ16世の妻。フランス革命で処刑された。1755年-1793年。37歳没
 ロバート一世:スコットランドの国王。1274年-1329年。54歳没

 算数や数学の問題を解くのは、たいていは学校にいるときだけです。おとなになると、お金の計算はしますが、たいていの計算は、そこまでです。
 国語も同様で、社会人で漢字を書けない人もけっこういます。
 本の中では先生がアディに対して、けっこうきつい態度です。自閉的な児童が嫌いなことがよくわかります。先生は、標準的な人間が好きなのです。標準的な人間は先生にとって手がかからず扱いやすいからです。

 今を生きている人が、遠い過去(魔女のことは、日本では1500年代の戦国時代のころと思われる)にしばられなければならないのだろうか。(慰霊碑をつくるというアディの希望に対して、174ページに、「……関係した人たちはみな、とっくに亡くなってるんだよ。なんの意味があるわけ?」とあります。そのことに対して、アディが反論しています。障害者差別があった。記録を残しておかないと未来において同じことが起こるということがアディの主張です)なんというか、歴史は繰り返すものです。それが人間です。なかなかとめられません。人間は世代交代していくから、過去の悔いを体験していない世代は、同じ間違いをおかすのです。

 村の委員会では、老人(老害)VS若者たちという構図があります。
 委員長のマッキントッシュの権限が強い。どうして、なんでもかんでも否決する権限が委員長に与えられているのだろうか? 民主主義は多数決です。

 ちょくちょく出てくるのが、アディが使っている『類語辞典』です。自閉的なアディの心の友です。辞典の中身を暗記することができるのがアディの能力です。
 
 エミリーは、アディをトイレに呼び出して、いじわるなことをします。
 アディがついにきっぱりと断りました。
 『またトイレでエミリーから意地悪されるのはごめんだから』(呼び出されても、わたしはトイレには行かない)
 「もう行かない!」(相手の言いなりにならないことはだいじです)
 共感できない人とはつきあう必要はありません。とかく、学校はきゅうくつです。

 スコットランドの5ポンド(紙幣):日本円には両替できないようです。感覚としては850円ぐらいか(自分なりの感じです)アディが寄付で隣人ラッジからもらった額です。

 ドゥリヒ:スコットランド語。どんよりとした。みじめな。

 事件が起きます。エミリーが、アディの類語辞典をハサミで切ります。アディは発狂したようになりエミリーに暴力をふるい続けます。アディの類語辞典にエミリーの字で「知恵遅れ」と書いてあります。

 続けて、激しい内容の記述があります。
 わたしはその部分を読みながら思いました。
 アディの気持ちはわかるけれど、自分は歳(とし)をとった。もう不正な行為を糾弾(きゅうだん。悪いことだと指摘して非難すること)するような情熱が体の中から出てこない。自分はこの物語でいう村の委員会の委員長のマッキントッシュ氏のような立ち位置です。保守的です。変化することが苦手です。

 校庭監視員:よくわかりませんが、イギリスにある、保護者なり学校関係者が、いじめ行為がないか監視するシステムようです。

 学校の先生というのは、いい先生とそうでない先生がいます。
 いい先生は、こどものことを最優先で考えてくれています。
 なかには悪人(いじめる側。いじめる側に地元の有力者がいたりする)の味方をする先生もいます。
 
 日本だと人権擁護委員会(じんけんようごいいんかい。法務省の管轄)に申し立てをしなければならないような事案に発展していきます。
 障害者団体に相談ということもあるでしょう。

 小学生にはむずかしい本です。

 三人姉妹が協力する姿が素敵です。

 読んでいて、いじめってなんだろうなあと考えます。いじめをする人の性格についてです。
 自分の体験だと、いじめる人は、人生の途中でいじめをやめる人がいます。
 ご本人が大病などして苦労されると、いじめをしなくなる性格に変化されます。
 苦労体験をされないと、ずーっといじめる人として人生を過ごしてお亡くなりになります。全部がそうだとは言えませんが……
 
 サメが物語の伏線になっています。予定調和で仲良しに見えるイルカはよくて、孤独で行動しそうに見えるサメはだめという感じ方があります。
 『海にはあらゆる魚が欠かせない』(アディの姉であるキーディの声)

 アディは、魔女だと指摘された女性たちと自分は同じだと主張します。標準的ではないことで差別されてみせしめに殺された。
 社会が『標準的』であることを求めた。あるいは、当時の権力者や権力をもつ組織が大衆に自分たちにとって支配するのに都合(つごう)のいい『人間像』を求めるようにしむけた。
 イルカが標準で、サメが例外的な存在です。イルカはみんな同じ顔をして仲良しごっこをしている。サメは一匹一匹が違っていて、それぞれ特別な能力を身に着けている。(そんな書きぶりです)
 
 『スコットランド類語辞典』(オードリーからアディへのプレゼント本)

 ショートブレッド:スコットランドの伝統的な菓子。ビスケットみたいな感じ。
 ハロウィーン:毎年10月31日に開催されるお祭り。古代アイルランドが起源。現代は、宗教色はない。商業的なお祭り。

 なかなか重い話題でした。
 印象的だったのは、ふたごの姉妹で、自閉的な姉には、友だちが障害者の女性ひとりしかいなかったが、ふたりのきずなは強かった。
 いっぽう、社交的な妹にはおおぜいのとりまきの女ともだちがいたが、年月が流れてみると、たくさんいた友だちはひとりもいなくなっていた。最初から本当の意味での友だちはひとりもいなかったという部分でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:05Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年08月01日

バスvs鉄道 乗り継ぎ対決旅16 北海道 テレビ東京

バスvs鉄道 乗り継ぎ対決旅16 北海道 テレビ東京

太川陽介バスチーム:武田梨奈(女優。空手家) 豊ノ島(元力士)
村井美樹鉄道チーム:ねお お見送り芸人しんいち

 すもうはいつも見ているので、豊ノ島さんはわかりますが、ほかのゲストの方はわかりません。体重がある豊ノ島さんはよくこの企画を受けたと思いました。長時間歩くので体重があると不利です。
 番組企画の中で、羊の群れを追う武田梨奈さんの姿から、武田梨奈さんは、アクション女優ということでいいのでしょう。
 ねおさんという方は、ファッションモデル、YouTuberだそうですが、ユーチューバーのことは、年寄りのわたしにはよくわかりません。Z世代とも言われていました。2000年前後の生まれ? 根性・努力・忍耐が嫌い? この企画はその三つがないと勝てません。
 テレビの宣伝では、村井美樹さんの号泣が強調されていましたが、むしろ、最後は、ねおさんの号泣が良かった。(勝利を手に入れてのうれし涙です)気持ちがよく伝わってきました。
 しんいちさんという方は、芸人のキャラクターではなく、最初から素(す)のままでやられたほうが良かった。わざと嫌われるような言動をされるのがキャラみたいですが、見ていて、いい気持ちがしませんでした。それでも、素(す)はちゃんとした好青年であることはよくわかりました。

 大激闘でした。過酷(かこく。つらさ)の限界線がとても高い。
 村井美樹さんに勝ってほしかったので、とてもうれしい。太川陽介さんは、なかなか手強い。(てごわい)
 前回の北海道編は覚えています。絶対に村井美樹さんが勝っていたはずなのです。されど、鉄道が動かなかった。事故だという記憶でしたが、今回見ると、気象が原因だったようです。なのに、今回も大雨で鉄道がストップしています。鉄道チームの三人は歩くのです。すごい。かなりの長距離です。

 出発地点の『旭川空港』それからゴールの『十勝川温泉(とかちがわおんせん)花時計』は、どちらも行ったことがあります。演者のみなさんたちが途中立ち寄るところで行ったことがあるところもあり、非常に身近に感じながら映像を見ていました。自分たち夫婦といっしょに行ったこどもはまだ幼児でした。そのころ自分たちはまだ若かった。十勝川温泉(とかちがわおんせん)に宿泊して、花時計前で記念写真も撮ったりして、レンタカーを運転していったので、大きな長い橋を渡った記憶もよみがえりました。

 チェックポイントででてきた白金温泉(しろがねおんせん)にも宿泊したことがあるので、道路状況とか、距離感がわかります。北海道ですから、道はまっすぐです。道の両側に白樺並木があった記憶です。

 しんいちさんの一枚地図四つ折り作戦がおもしろかった。思いどおりにいくようでいかないのがこの世の常(つね。いつものこと)です。
 しんいちさんには『知恵』があります。ねおさんも賢い。(かしこい)

 雨がきつい。
 そして、熊もいるそうです。
 北海道は基本的には車で移動する場所です。
 バスも鉄道も利用者は少なそうです。
 この番組参加者にとっては、なかなかきついところです。

 気になったことがひとつあります。
 前回の村井美樹さんの苦闘の映像をドラマ仕立てのように移動の途中で何回も流していましたが意味がありません。無用です。その時間帯を今回の対決シーンの場面で使ったほうがよかった。今回、村井美樹さんが号泣していたような印象がありません。鬼将軍というニックネームどおりにまい進されていました。(邁進まいしん:まっしぐらに突き進む)。