2023年08月04日

さかなのこ 邦画 2022年公開

さかなのこ 邦画 2022年公開 ケーブルテレビ日本映画専門チャンネル

 原作本は読んだことがあります。タレントのさかなクンのことが書いてある本です。
 本を読んだうちの家族が、さかなクンの母親がすばらしいと感嘆していました。

 映画のほうは、自分にとっては、うーむどうかなというできあがりでした。
 さかなクンの成長をドキュメンタリーのように追うのかと思っていたらそうでもありませんでした。
 自分たち世代は、リアルタイムで、まだこどもだった彼がテレビに出て、テレビ番組のさかな通選手権(さかなつうせんしゅけん)のチャンピョンになる経過を見ていたので、映画のほうは、なんだかなあという内容に感じてしまいました。

 いま、BSNHKでの再放送で『あまちゃん』を毎日見ています。
 こちらの映画では、あまちゃんの主演の「のんさん」が出てくるわけで、映画では、あまちゃんの舞台になる岩手県三陸海岸でのシーンと重なるよう映像が何度か出てきました。それはそれで親しみを感じました。
 番組『あまちゃん』での驚きの方言(ほうげん)『じぇじぇじぇ』が、こちらの映画では『ギョギョギョ』です。おもしろい。

 さかなクンご本人が、変な人のような立ち位置で映像に登場します。
 最後は、さかなクンからミー坊(のんさん)につないで、いい感じのラストシーンでした。

 小学校三年生ぐらいのシーン、それから高校生のシーン、そして、今のシーンが行ったり来たりします。
 フナの解剖は、こどものころ、自分もやりました。小学生のころに、近所にあった池でつったフナを解体した記憶があります。映画では、のんさんが、ヤンキーが護身用に持っているナイフでフナの解剖をするわけですが、不良グループとのからみはおもしろくなかった。ほかの設定ができたような気がします。
 
 主人公の性別に関しては、なんの違和感もありませんでした。さかなクンをのんさんが演じているわけですが、ご本人のさかなクンも出演者で出ているので、おかしな設定ではありませんでした。もう今は性別にこだわる時代ではないのでしょう。歳をとってみてわかるのですが、ヒトは、最後には男でも女でもないようなふうになるのです。

 ミー坊の父親はつまらない人格設定でした。父親の脳みその中にあるこどもの未来像(こうあるべき)は、四角四面の箱の中にあるもので、人間の社会を網羅できていません。(もうら:残らずとりいれる)こどもへの強制の度が過ぎると、手を出さなくても家庭内暴力のたぐいになります。

 お話の始まりは幻想的です。(メルヘン)
 高校生メンバーの役者さんたちは、歳がいっているみたいで、高校生の年齢には見えません。
 ミー坊こと、のんさんは、脳みそにあることを言葉に変えて、自分の口からはっきり言っていて気持ちがいい。言いたいことを当事者である相手にはっきり言えることはたいしたものです。
 この映画は、成功はしてはいませんが、人の生き方、人の育て方の教示がある映画です。(きょうじ:教え導き。教えを示す)

 『東野&岡村の旅猿』にゲストでよく登場する鈴木拓さんが(釣りの師匠として)出てきたのでうれしい気持ちになりました。

 この映画は、だれに観てほしい映画なのだろう。はっきりしません。
 アルコールの席とか、ときおり出てくる喫煙シーンとか、つまらない。古い日本映画のシーンづくりです。
 なにかしら、本の趣旨からははずれている。
 底辺の暮らし、底辺で暮らす人間の生活を描くことと『さかなクン』のことが結びつきません。

 『普通』に関するシーンがあります。普通であることを求めると、抗議の声を聴くことがあります。この映画もそうでした。
 わたしは『普通』であることは大事(だいじ)だと思っています。何気ない毎日の生活の中に『幸せ』があると信じています。あいさつをする。お礼を言う。規則正しい生活を送る。毎日入浴する。衣食住の普通の基本ができてから、自分のやりたいことをやる。自分のことで、なるべく人に負担をかけない。自分のことは自分でやる。自立・自活する。

 映画の後半では、何もないところに何かをつくりだすことが、アーチスト(芸術家)の仕事だとわかります。つくって、感動を生む。
 食堂のシャッターに描いた(えがいた)樺太シシャモの絵が良かった。
 
 水族館のシーンでは、何度か訪れたことがある大阪の海遊館の水槽を思い出しました。

 
 参考までに、原作本の感想の一部をここに落としておきます。
 読んだのは、2016年(平成28年)です。
『さかなくんの一魚一会(いちぎょいちえ) さかなクン 講談社』
 むかし、番組「テレビチャンピョン」で1位になれなくて、最後のフランス魚料理の問題が、「フランス料理を食べたことがない」から解けなくて、それを聞いた兄貴が、その後、フランス料理屋に連れて行ってくれて、次回の魚通選手権(さかなつう)選手権で、優勝したという人情話を覚えています。それをきいたときには、兄弟愛に胸が熱くなりました。
 一芸に集中できるけれどそのほかの学習レベルは低かったという内容の部分を通過しましたが、彼の社会への貢献度は高い。数字をながめていたら、数字がみんな魚に見えたとうエピソードには笑いました。
 この本は、主に小学生向けの内容に思えます。全体270ページのうちの136ページまで読んだところで、感想を書き始めます。

 さかなのお話は尽きることがありません。どんどん湧き出してきます。緻密なさかなの描画の紹介があります。中学吹奏楽部(本には水槽学部と勘違いして入部したとありました)での音楽とのつながりもあり芸術的な興味と才能があります。

 彼を見守り育てるお母さんの寛容な態度と包み込む愛情があります。彼の成長経過における母親の役割は大きかった。絵の先生をつけるという話に、先生の物まねになるからやめるという判断には感銘しました。
 さかなクンの、ハゼを釣ってきて自分で育てるという発想は通常ありません。さかなを育てようとする彼の気持ちには、親心を感じます。

 タコ、ウマヅラハギあたりから入っていきます。描画は立体的で本物のよう。今にも動きそうな勢いがあります。

 生活のすべてがおさかなとつながっています。さかなクンの半生を記した本です。機動力として自転車、おとなになった今は、幼児のときに好きだったトラックを運転されているようです。
 外国作品としては、洋画「ファインディング・ニモ」とか、絵本では「にじ色のさかな」が思い浮かびました。

 さわやかな読後感が残りました。
 とくに、お母さんの子育てのあり方が、なかなかできることではないことをなんどかやられていて感銘いたしました。才能を伸ばす。最低限、才能をつぶさない。そいうことが、こどもの未来に有益であることがわかりました。
 定職につくことは標準ですが、標準の枠の外で、個性を生かしていくのがアーティスト(芸術家)です。

 小中学生向けの本ですから、「いじめ」の記事も出てきます。居る世界が狭い(教室、学校)から、「いじめ」が起きるというの は当たっています。

 自分一人では、魚通選手権で優勝することはできなかった。
 博物館勤務では、仕事ができなくて、エビスダイに話を聴いてもらっていた。

(思うこと)
 学校というところは、強制的に不特定多数のこどもを箱の中に押し込めて、義務だとして、教室の中などに拘束(こうそく)して、長時間自由を奪うところだったと、映像を見ながら思いました。自分がこどものときは、そんなことは思いませんでしたが、社会に出て、自分の責任で自由に生きることができる社会を知るとそのことがわかります。

(追記:8月中旬)
 BSNHKの再放送で『あまちゃん』を観ているのですが、112回の放送で、のんさんとさかなクンの共演があったことを知りました。そこが始点になって、この映画に線がのびているのだという気づきがありました。

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