2023年01月31日

彼女の家計簿 原田ひ香 

彼女の家計簿 原田ひ香 光文社

 主人公 瀧本里里(りり):32歳。シングルマザー。未婚の母。銀行から転職して今は、女性向け情報サイトの会社『ホワイトスノウクラブ』で働いている。

 瀧本啓(けい):里里の娘。二歳半。非嫡出子(婚姻関係にない男女の子ども。ひちゃくしゅつし)。誕生日は秋。

 瀧本朋子(たきもと・ともこ):瀧本里里の母親。(親として、よくわからない個性をもつ人)昭和23年5月21日生まれ。<1948年>。『みっともないこと』が嫌いな人です。

 三浦晴美:(まだ読み始めで)身元不明な女性。東京谷中(やなか)居住。A4サイズ封筒を瀧本朋子に送った関係者。(その後判明したこととして)NPO法人『夕顔ネット』代表(夜働く女性をサポートする。水商売、風俗関係の仕事をしてきて高齢になった女性の再就職や就職訓練の手伝いをする。組織の前身が「女性自立推進協会」)
 三浦晴美は42歳。築50年以上の古い家屋を事務所にしている。土地家屋は寄附で受け取った。土地家屋の所有者は『NPO法人夕顔ネット』。寄附を受ける前は、1階が定食屋。2階が五十鈴加寿(いすず・かず)の住居だった。五十鈴加寿の死後、1階を夕顔ネットの事務所、2階を物置・更衣室として使用している。
 三浦晴美は未婚。親族は故郷に母だけがいる。(三浦晴美はふと思う。「死んだあと、(自分にとって)何も残らないのが、ふとさびしい(自分には、配偶者も子どもも、ほかの親族もいない)」
 三浦晴美にはわけありの過去があるらしい。(149ページに自分は人を殺した女とあります。まあ、直接犯行をしたわけではないでしょう。そうなら刑務所に収監されています)

 曽我真紀子:五十代。夕顔ネットの事務局で経理担当。(後記する生前の五十鈴加寿と面識あり)。家庭もち。配偶者とこどもあり。

 檜山彩恵(ひやま・さえ):三十代。夕顔ネットのスタッフ。家庭持ち。夕顔ネットという組織には、ほかに5・6人のスタッフがいる。

 ミキちゃん:五十がらみ。名古屋出身。夕顔ネットの掃除担当

 経理の斉藤:五十代前半の年齢。夫死去。子どもが三人いる。瀧本里里が働いていた銀行の労働組合の女子部長。

 高橋良子:女社長。
 
 町山:初老で、背の低い男性医師。

 読み始めで(どうして、こどもに「啓」という名前を付けたのだろうという疑問が生まれました。性別がどちらかわかりません)
 この件については、16ページに母親である瀧本里里の願いが書いてありました。
 男女平等を訴えるメッセージが、この本にあるのかもしれません。

 20ページまで読んで思ったことです。
 こどものころに親戚づきあいをしたことがない人は、おとなになってからも、親戚づきあいができにくい。

(つづく)

 以下の登場人物は、書中にある昭和17年2月23日(1942年)のことをからめると次のようになります。
 第二次世界大戦の日本の開戦が昭和16年12月で、終戦が昭和20年8月です。
 物語の場所は東京谷中(やなか)です。上野の北北西方向にある地域です。

 五十鈴善吉(いすず・よしきち)大正9年5月23日生まれ。(1920年生まれ)。瀧本里里の話だと、無口な人だった。瀧本里里の祖父。

 五十鈴加寿:五十鈴善吉の妻。大正9年10月6日生まれ。(1920年生まれ)。義母が、五十鈴加寿に家計簿を買ってあげた。一か月の家計費として、五十鈴加寿は、月々14円を預かる。五十鈴加寿は、大柄ではない。五十鈴加寿は『夕顔ネット』のために土地・建物を寄附した。土地は、60坪(198㎡ぐらい)お話の始まりからしばらくは、五十鈴加寿が、瀧本里里の祖母であることが不明朗です。

 五十鈴とめ:五十鈴加寿の義母。五十鈴善吉の実母。明治33年7月2日生まれ。(1900年生まれ)

 倉田義信:夕顔ネット元代表倉田伸子の夫。現在の夕顔ネット代表の三浦晴美とは面識がない。三浦晴美と倉田伸子が出会った時には、倉田義信はすでに死去していた。

 倉田伸子:倉田義信の妻。(倉田伸子は、『夕顔ネット』の元代表)水商売とか風俗で働いていた女性を支援してきた人。三浦晴美と面識あり。ふたりの関係においては、三浦晴美が15年前に倉田伸子と会った当時、倉田伸子は60歳だった。倉田伸子は、体は大柄ではない。倉田伸子は、夕顔ネットの前身となる『女性自立推進協会』を立ち上げた。

 五十鈴加寿の遺品として、大量の家計簿あり。相当古い。(9冊。第二次世界大戦中から戦後まもなくまでの記録)

 (今同時進行で『老害の人 内館牧子 講談社』を読んでいるのですが、どちらの本も登場人物の数が多く多彩で、読み始めで把握に苦労しています。使用済みの大型カレンダーの裏面白色を利用して、家系図をつくるように、人物相関図をつくっています)

(つづく)

 京本:瀧本里里が勤める女性向け情報サイトの会社『ホワイトスノウクラブ』の副社長。

 平原:瀧本里里が銀行に入社して2年目のとき、3年先輩の男性社員だった。瀧本里里と結婚したがっていた。
 
 河西隆(かさい・たかし):瀧本里里の不倫相手。瀧本里里より十歳年上。シングルマザー瀧本里里の子ども啓(けい。女の子)の父親。河西隆は妻子持ち。こどもが三人いる。

 瀧本里里の両親は不思議な夫婦であり、不思議な親だった。
 母親は瀧本里里が小さい頃から瀧本里里とのスキンシップを嫌った。
 両親は瀧本里里が中学生のときに離婚した。瀧本里里は母親に引き取られたが、母親は親らしくなかった。別れた父親はこどものいる女性と再婚した。
 瀧本里里は、両親に愛されているということがなかった。スキンシップを拒否されたこども時代が瀧本里里にはある。
 (瀧本里里はなかなか複雑な家庭で育っています。ファーザーコンプレックスで、妻子ある十歳年上の男性と不倫をしてこども瀧本啓を産んだのかと思ってしまいます)
 
 三浦晴美から瀧本里里の母親瀧本朋子に送られてきて、瀧本里里の母親瀧本朋子経由で送られてきた五十鈴加寿の『家計簿』がこの物語の肝(きも。ポイント)になっていくのでしょう。
 瀧本里里の祖父五十鈴善吉(いすず・よしきち)の妻(妻は、外に男をつくって心中したらしいという設定になっています)、五十鈴善吉と心中した妻のふたりの子どもが瀧本里里の母親瀧本朋子というような設定ですがはっきりしません。(なかなか厳しくせつないものがありそうです)

 昭和17年国民小学校6年担任飯田辰一(いいだ・しんいち)教頭先生の訪問あり。五十鈴加寿に代用教員の依頼があるも義母五十鈴とめが断る。

(つづく)

 82ページまで読みましたが、親族関係がややこしいので、整理します。

 五十鈴善吉(よしきち)の妻は、浮気相手の男と心中をして亡くなった。(読み終えて、そうではありませんでした)
 主人公瀧本里里(りり32歳)の母親瀧本朋子(昭和23年生まれ)は五十鈴善吉の娘だが、母親がはっきりしない。(戸籍を見ればわかるような気がしますが、事実は、読み進めていると、その後わかります)

 瀧本里里は、妻子ある男性と不倫をして、瀧本啓(けい。二歳半女児)をもうけてシングルマザーとしてひとり親家庭を営んでいる)

 凪子(なぎこ):里里の母親瀧本朋子のいとこ。五十鈴善吉の弟の末娘。水商売歴あり。

 悠木南帆(ゆうき・なほ):本名野村みずき。有名なAV女優だったが引退した。26歳だが、見た目は十代に見える。何か事務的な職を得たいが、パソコンはできない。広島の母方実家に住んだことがある。海のそばの家だった。優しい祖父母だった。貧乏だった。魚はいっぱいあった。母はその後再婚して、母子は広島を離れた。

 家計簿は、昭和17年(1942年)『模範家計簿』から始まります。全部で9冊。
 なかなか中身が濃い。
 専業主婦も働く主婦も生活して残るお金は変わらない。
 働く主婦は稼いでも費やす(ついやす)ものも多い。子育ての必要経費がかかる。
 
 日記メモがある家計簿は昭和18年(1943年)の日付です。もう、書いた人は亡くなっています。亡くなってからもう何年もたっています。この本は何を読者に訴えるのか。五十鈴加寿は、代用教員として採用されています。

 38万円の仏像が欲しかったが買わなかった(三浦晴美の話)
 永田義道と付き合った。(たぶん)別れた。(三浦晴美の話)
 
 真菜(まな):三浦晴美47歳が代表をしているNPO法人『夕顔ネット』のアルバイト。大学生ボランティアとの記事もあります。小柄で小太りのころころした体型。

 パーツモデル:手とか足とかのモデル。

 昭和18年当時の五十鈴加寿が教えていたこどもたちの名前として、
 加納やす子、山下たま、洋子、ひろ子、遠藤道子……
 女先生がこどもといっしょに泣くしかなかった時代があります。壷井榮作品『二十四の瞳』で出てくる大石先生を思い出しました。
 校長がいて、校長の奥さんが酒井先生。
 昭和17年善吉出征。戦時中の文化、生活、風俗に関する記述があります。
 (今年読んで良かった本になりそうです)

 瀧本里里の両親は離婚したが、離婚した父親は連れ子がいる女性と再婚したあと、瀧本里里が大学生のときに死亡したそうです。(なかなか複雑で、精神的に重いお話です。瀧本里里はハードな人生を送っています。妻子ある不倫相手のこども啓(けい。女児)を産んでシングルマザーです)
 
 昭和19年9月。91ページ。
 えんこする:この言葉についてですが、ちょっと意味をとれませんでした。

(つづく)

 愚弄(ぐろう):ばかにして、からかう。

 教えるとか、教わるとか、学びがないと、人間は成長しない。

 103ページ、第二次世界大戦終戦の日の家計簿日記です。昭和20年8月15日(水)(1945年)
 『今は何も考えられない……』

 『孤独』があります。
 今、同時進行で『老害の人 内館牧子 講談社』を読んでいるのですが、そちらはおおぜいの人たち出てきて、人間関係のわずらわしさがあるのですが『孤独』はありません。こちらの『彼女の家計簿』は、数人の登場人物ですが、だれもが『孤独』をかかえているようです。さみしい。
 瀧本里里32歳不倫相手との間に生まれた2歳女児を育てるシングルマザー、元AV女優野村みずき26歳、NPO法人『夕顔ネット(水商売、風俗で働いていた女性を支援する団体)』代表の三浦晴美42歳独身。ボランティアの真菜、みんなさみしそうです。
 親が離婚したり、ひとり親だったりすると、こどもは孤独になるのだろうか。
 それから、134ページにある「シングルマザーになってしまった女にたりないもの」とはなにか。

 家計簿日記を書いた五十鈴加寿の実態をつかめません。
 主人公の瀧本里里の母である瀧本朋子の父善吉の何なのか。瀧本朋子は不倫相手と心中をして亡くなった五十鈴善吉の妻の子どもだと思うのですが、五十鈴加寿が、瀧本里里から見て祖父善吉の妻とは思えないような経過なのです。
 人が違うのか、それとも、同じ人だけど、人間の二面性を表現してあるのか。107ページ付近にいる読み手の自分にはまだわかりません。

 家計簿の日付は、昭和20年8月22日(水)1945年です。
 
 デニム:ジーンズ

 パソコン教室の男性先生:エロい。ストーカー。メガネをかけていて、髪はぺたっとしている。三十代独身。一見紳士、なかみはスケベ。さわりたがる。病的なエロ。キモイ。

 「富士屋」の定食
 「パピヨン」のカレー
 「ど真ん中」のお好み焼き

 大学伊藤教授:ジェンダー論(男女平等。性差別反対)もうすぐ70歳のおじいちゃん。

 (戦後のこととして)大垣先生:出征していた。(しゅっせい。戦地に行っていた)。教職に戻る。
 ヤミ市:第二次世界大戦後の市(いち)。物価統制をはずれた非合法的な商品の売買。

 着物と野菜を農家で交換してもらう。
 帰路、警察に捕まって、警察に野菜を没収される。
 八百屋は、警察が没収した野菜を買い取る。野菜はヤミ市で売られる。
 (なんともひどい話です。上層部の人間たちは、権限を握って自己の利益を増やします。悪人たちです)

 NPO法人代表三浦晴美には、人には言いにくい過去がある。

 (戦後のこととして)木藤先生(きとう)が戦地から戻る。3年2組の担任となる。小学校。五十鈴加寿は、3年1組の担任らしい。五十鈴加寿の不倫相手かと思いましたが違うようです。

 おでんをみんなで食べる。
 瀧本里里と啓と野村みずき(元AV女優名悠木南帆(ゆうき・なほ))と食べる。
 (飲食しながら、おしゃべりを楽しむのは精神衛生上いいことです)

 時代はさかのぼり、昭和22年の五十鈴家は暗い。
 五十鈴善吉の仕事がみつからない。
 五十鈴加寿は女教師をして、夫と夫の母を食べさせている。夫はヒモ状態です。

 三村さん:昭和20年代の五十鈴加寿宅の隣人。

 五十鈴加寿は妊娠して出産します。五十鈴善吉との娘です。娘は、瀧本里里の母親朋子です。
 つまり、五十鈴加寿は瀧本里里の祖母であろうということが推測されます。瀧本里里は祖母を知らない。
 今の時代と違って、産休の制度がありません。個別交渉です。産前の休みはありません。産後は、3週間休んだあと教職ですから学校教員として小学校に出勤です。過酷です。
 夫は無職で、姑(しゅうとめ)が同居している。やっかいな状態です。とりあえず、あかちゃん(朋子)は、夫と姑にみてもらって働かねばならないでしょう。

 瀧本里里の祖母五十鈴加寿の土地に建つ『夕顔ネット』に関係者が集中してきます。瀧本里里は夕顔ネットでパソコン操作を人に教えています。
 
 永田義道:三浦晴美の関係者。15年ぶりだか20年ぶりだかの再会話あり。4~5年付き合っていたのだろうか。

(つづく)
 
 221ページまで読みました。
 話がかなり重い。
 男女の性差別とか、学歴差別を扱っている作品です。
 
 家計簿は、家計簿というよりも戦中・戦後の日記です。
 いつの時代でも、生きることは苦しい。

 昭和23年の家計簿。5月21日に瀧本里里の母親朋子が生れています。
 五十鈴加寿は気の毒です。夫の善吉と善吉の母親が、五十鈴加寿ひとりの収入に頼っています。夫親子は寄生虫です。働きません。なのに、あかちゃんの朋子までいます。夫善吉が戦地に行っていた時のほうが、五十鈴加寿の気持ちが安定していたというおかしな状態です。
 ふつうなら消えてしまった遠い過去の出来事ですが、記録は残っています。家計簿日記という形で70年間ぐらいがたっても手もとに残っています。
 
 日本人の性格・性質として、日本人は、だれかをいじめることで自分が生き抜こうとする。五十鈴加寿は、夫と夫の母にいじめられます。そうとうな嫁いびりがあったことでしょう。五十鈴加寿が気の毒です。
 昭和24年の家計簿が最後の一冊。五十鈴加寿は、1歳半ぐらいになった朋子を置いて家を出たのでしょう。家計簿は全部で9冊です。
 五十鈴加寿は精神的に楽になりたかった。五十鈴加寿を責めるけれど、夫と夫の母親から、いじめられたのは五十鈴加寿のほうです。

 戦争が終わって、日本国の紙幣が変わる。新しい円(えん)の制度がスタートする。

 曽我真紀子:五十代。夕顔ネットの事務局で経理担当。(後記生前の五十鈴加寿と面識あり)。家庭もち。
 曽我真紀子がクローズアップされてきます。なかなかきつい人です。代表の三浦晴美と対決です。曽我真紀子の要求を三浦晴美が受け入れないなら曽我真紀子は、夕顔ネットを退職すると主張します。
 辞めるか。引き止めるか。人材を失うと次の人材がなかなか見つからないという組織もあります。
 
 拘泥(こうでい):こだわる。必要以上に気にする。

 『……一度失敗したら終わりなの?……』
 なにかで読んだことがあります。終わりになる、とりかえしがつかない失敗として「殺人」と「自殺」。
 
 『ママ、聞こえて!』ママ聞いて!ではなく、ママ聞こえて! という瀧本里里の娘啓の声です。啓はもうすぐ三歳ぐらいです。

 木藤:生きていれば93歳ぐらい。五十鈴加寿と駆け落ちをしようとしたらしい。

 なにかしら、ひとり親家庭母子のつらさや暗さがあります。
 戦後のこととして、戦死した父親は、どうして死んだのかというこどもの声あり。
 なかったことにする。これからを生きるために、戦死した父や息子のことは、なかったことにする。

 ぐっとくる言葉があります。
 『私には、家族があります。なにもなくなっても、家族がある…… (だけどあなたには仕事しかないという趣旨の言葉。仕事がなくなったらあなたにはなにもないという趣旨の相手を攻撃する言葉)』
 
 思うに肉親は大事です。血族でも姻族でも親族との付き合いは大事です。
 他人は他人です。
 他人は冷たい。手のひら返しがあります。
 たいていは、他人同士は、利害関係、お金でつながっている関係です。

 まだ読み終えていませんが、今年読んで良かった一冊です。

 三浦晴美42歳は、自分の若い頃、27歳と23歳のカップルだったときのことを思い出して傷ついています。

 突き詰めていくと、きっかけをつくった「男」が悪いのに「女」のほうが悪いとされる世の中があります。

 エキセントリック:風変り、行動が奇想天外。
 焼身自殺のようなもの。復讐を強くアピールして死す。加害者をさらし者にする。
 すさまじい。
 
 昔の日本は、個人のプライバシーには無頓着だった。(むとんちゃく:個人情報の公開を気にしない)

 214ページあたりの表現が、この作家さんの柱です。本質があります。本音があります。くっきりしています。

 趣旨として『適当な人と、適当に結婚して、適当に幸せになりたいって……』先日読んだ『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』に出てくる29歳男性二谷と30歳女性芦川の関係を思い出しました。

(つづく)
 
 読み終わりました。
 読み応え(よみごたえ。読むことによる充実感、読む価値がある)のある内容でした。
 最後の部分の出来事設定とその後の時の流れについては、多少の無理があるかと思いましたが、作者が訴えたいことについてのメッセージはよく伝わってきました。

 形はいびつでも(親族関係について)『命をつなぐ(出産によって)』尊さ(とうとさ)があります。
 男女関係について、清い(きよい)つきあいがあります。戦後ならではです。好感をもちました。
 
 戦後数十年間の当時は、親がこどもを祖父母に預けて、あるいは、まかせて、家を出るということは、実際にままあったことだと記憶しています。珍しいことではありません。自分にもこどもの側としての体験があります。
 案外今も似たようなことはあるような気がします。

 慙愧(ざんき):自分の見苦しさや過ち(あやまち)を深く反省して悔いる(くいる)。
 
 また『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』を思い出すシーンが出てきました。やはり、ちゃんとしっかりおいしいごはんを食べることは大事です。生活の基本です。

 (こどもを)『あんまり感情的に叱っちゃだめよ』(もしかしたら、このあと、こどもと永遠の別れになってしまうかもしれないからという理由で。そういうことって現実に起きます)

 かなりつらい話です。
 戦争があってもなくてもこうなったのかもしれない。戦争の問題ではなく、男尊女卑の意識が根底にあるのです。
 
 本に出てくる『赤い蝋燭と人魚』は怖いお話です。
 赤い蝋燭と人魚(あかいろうそくとにんぎょ) 小川未明・作 いわさきちひろ・画 童心社
 1921年、大正10年の作品です。人魚が人間に復讐します。恩をあだで返された(恩に感謝されず、逆に害を加えられる)ことに対する復讐と信頼関係の裏切りに対する復讐です。
 本の中では、戦地で父親を亡くした少年がその本を盗んだということになっていますが、読んでいると泣けてくるようなつらい話です。
 『本』は独占するものではなく、共用・共有するものだと思いたい。

 読んでいて思ったことです。
 人間は、どんなにつらい体験をしたとしても、自然に死ぬまでは、生き続けなければならない。

 家庭・家族をもつ女性の、家庭・家族をもたない女性に対する攻撃的な意思があります。(家庭をもたなかったあなたには)仕事しかない。仕事をしなくなれば、あなたには何もない。
 加えて、(わたしだって一生懸命働いた)、なのに、(家庭も家族ももたなかった)あなたばかりが職場で出世した。(不公平であることに強い不満をもち抗議する)

 里子:さとこ。とある女性。

 (こどもを失ったから、あるいは、こどもがいないから)他の人のこどもを愛する。他の人のこどもを助ける。こどもをもつ母親を支援する。

 家計簿は、昭和17年2月<1942年>から始まり、昭和24年9月<1949年>に終わっています。7年半ぐらい。昭和23年5月21日<1948年>に瀧本里里の母親瀧本朋子が生れています。瀧本朋子が1歳8か月のときに母親の五十鈴加寿は姿を消しました。五十鈴加寿は28歳でした。

 外聞(がいぶん):内部のことを外部の他人に知られること。悪い情報。世間体(せけんてい)。

 一縷(いちる):1本の糸。

 心が固まって、以降、心が動かなくなった人がいます。

 血がつながっていれば、血も涙もない鬼のような親って、いないと思う。
 いや、実の子を虐待する人もいるから、なんともいえません。うーむ。むずかしい。

 かなり苦しい。
 冷酷な母親の涙があります。

 五十鈴加寿は、教師をしていたから、能力があったので書けた家計簿でもあります。
 読み書き計算能力は大切です。
 されど、人間同士の意思疎通がうまくいっていません。
 以前読んだ本に『世界は誤解と錯覚で成り立っている』と書いてありました。お互いの本当のことはなかなかわかりあえません。
 
 作者からのメッセージとして『女は男の所有物ではない』
 男の事情として、妻をほかの男にとられるのは、男としてのプライド(自尊心。自分を大事とする考え、気持ち)が許さない。妻という夫の所有物をほかの男にとられることが許せない。
 男は女を理解していない。女を理解する能力を、男はもっていない。
 
 最後は、昭和24年9月24日(土)の家計簿日記です。
 そうか…… じょうずに書いてある日記です。  

Posted by 熊太郎 at 07:03Comments(0)TrackBack(0)読書感想文