2023年01月24日

無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒

無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒(やまもと・ふみお) 新潮社

 亡くなった女性小説家の方の日記です。
 おととし2021年10月13日(令和3年)に、すい臓がんのため58歳で逝去されています。
 同作者の作品『自転しながら公転する 新潮社』を読んだのは、2021年5月のことでした。本は、いつも自分たち家族がごはんを食べる部屋にある本棚に立ててあります。(著者への癌の宣告は同年4月です)
 以下は、そのときの感想の一部です。(この本の35ページに作品「自転しながら公転する」のことが書いてあります。167ページには、タイトルの意味の種明かしらしきことも書いてあります)
 感想:自転しながら公転する
 『58ページあたりを読み終えたところで感想を書き始めてみます。全体で、478ページある作品です。
 男性の自分が読むのには場違いかなと感じながら読んでいます。恋愛小説のようです。
 冒頭は、ベトナムでベトナム人の恋人と結婚式を挙げる直前シーンから始まります。その後、過去の出来事にシーンは移ります。世界的に、地球規模で動くから、自分が自転しながら、太陽のまわりを公転するという意味合いのタイトルに思えます。
 主人公は、与野都32歳で、茨城県牛久市(うしくし)にあるショッピングモールのアパレルショップ(おしゃれ衣料品店)「トリュフ」で店員をしています。彼女は、同じショッピングモール内にある回転寿司屋で働いている羽島貫一と付き合い始めます。(彼はあとで年齢が30歳で、与野都より年下だと判明します)
 与野都は、美人ではない。ファニーフェイスだそうです。(個性的で魅力的な顔立ち)丸顔、離れた目、小さい鼻は上を向いている。そばかすあり。だけど、可愛くないわけではない。彼女の前の彼氏はひとまわり年上だった。
 与野都の母親は更年期障害で少々うつ気味で体調が悪いという事情をかかえています。更年期障害なのでホルモンの話が出てきます。女性ホルモン、男性ホルモン。ベトナムの話はまだ出てきません。』

 そのときは、生きていた人が、今はもう生きていない。この世にいない。
 2021年(令和3年)秋、作者が亡くなった頃に、自分たち夫婦は、高齢の義父と義母を立て続けに亡くし、二か月続けてのお葬式の段取りや、各種手続き、事後処理に追われていました。この本を読み始める前に、そんなことを思い出しました。

 急なご逝去(せいきょ)だったようです。
 第一章から第四章まであります。
 これから読む日記の内容は、おそらく、2021年(令和3年)の5月24日から9月27日以降ということでしょう。(亡くなったのは、10月13日です)

 去年読んだ、がん(癌)がらみの本を思い出しました。
 『がん患者の語りを聴くということ 病棟での心理療法の実践から L・ゴールディ/J・デマレ編 平井正三/鈴木誠 監訳 誠信書房』本の中に、医療関係者と余命宣告を受けたがん患者の苦悩がありました。

 自分も長く生きてきて生活していくなか、二十代の頃から、がんの宣告を受けてから、短期間で亡くなられた人たちを何人か記憶しています。
 みなさん、泣きながら亡くなっていきました。二十代の人、(たまたま三十代で癌の宣告を受けた身近な人はいませんでした)、四十代の人、五十代の人、六十代の人、男の人もいたし、女の人もいました。みなさんくやしい思いをこらえながら、失意の中で、無念で亡くなられていったと思います。合掌しつつ(両手を合わせて死者を悼む(いたむ))、されど、自分も明日は我が身かもしれないという気持ちはあります。

 読み始めます。

 タイトルの意味は何だろう? 『無人島のふたり』です。
 日記のどこかに、その言葉が出てくるのだろうと予想します。(38ページにありました。20フィート超えの大波に襲われ……(20フィート=6mぐらい)
 この本は、著者の遺作になるのだろうか。

 胸を突くフレーズ(文章)がたくさん出てきます。
 『……言葉より先に涙が出てしまった……』
 文章づくりの職人なので、グッとくる表現が続きます。
 『……私、うまく死ねそうです。』
 『何も考えたくない』
 『寝ても寝ても眠い。』(抗がん剤という薬のかげんなのでしょう)
 『何かの間違いなのでは』という空気。
 趣旨として、突然死ぬのは、自分以外の人間だと思い込んでいた。
 『毎日11時間以上寝ている』
 夫から(著者の)葬儀はどのようにしたらよいかとたずねられる。
 『花をいっぱい…… 生きているうちにたくさんの花を愛でたい(めでたい。かわいがり、いつくしみ大切にする)。(自分の義父母のお葬式の時に、棺桶の中をお花でいっぱいにしたことを思い出してしまいました)』
 『……抜けた頭髪が少しずつ生えてきている』
 『……私の軽自動車がディーラーさんに連れていかれた……』
 
 胃薬『ガスター10』は、自分も40代のころによく飲んでいました。胃痛によく効く(きく)薬でしたが、薬局で、こんな強いクスリを常時飲んではいけないと注意されてからは飲むのをやめました。最近はこの薬を薬局の棚に見かけませんが、昔は置いてありました。

 イレウス疑い:腸の中にある内容物が、肛門側への移動が阻害される状態。

 15ページにご本人についての背中の痛みに関する記述があります。
 自分は二十代のころに内臓の病気で入院したことがあるのですが、6人部屋の大部屋にいたとき、著者と同じすい臓がんのおじさんが同室におられました。
 しきりに、背中のまんなかあたりが痛いと訴えておられました。そのときに、すい臓がんになると背中が強く痛むのだということがわかりました。
 そのおじさんは、別の部屋だったか(個室)、別の病院だったかへ移って行かれました。
 もう記憶があいまいです。

 著者は、γ―(ガンマー)GTPが1000を超えていたそうです。超異常です。たしか、ふたケタ以内ぐらいの数値が正常値だったと思います。肝機能の検査数値です。
 うーむ。体がだるいとか、どこかが痛いとか、自覚症状はなかったのだろうか。あってもがまんして無理をしていたのだろうか。前兆はありそうな気がするのです。

 文章家は、記録をしっかりととります。(書きとめておく)
 文章家は、こどものころから日記を書き続けている人が多いと思います。毎日文章を書くことで、文章による表現力を磨き、力を維持していきます。
 たばことお酒は13年前にやめられたそうですから、45歳ぐらいでやめられた計算です。話はちょっとはずれますが、先日、たばこは目の病気の原因になるという記事を読みました。
 もうひとつ読んだたばこの記事は男性有名人喫煙者で、80歳近くになっても愛煙家をやめられない。たばこが、心の支えになっているからやめられないという人の記事も読みました。
 その人は胃がんになって胃の部分切除の手術も受けておられますが、たばこをやめる気はないそうです。体の病気というよりも脳みそ、心の病気のようです。たばこはまわりにいる人のことも考えて、やめたほうがいいです。

 17ページ付近を読みながら、支え合うのが夫婦だと悟ります。(さとる。気づきがある)

 余命宣告があります。どうしたって、命は助からない。半年ぐらい。長くて、抗がん剤が効いたと仮定して9か月の命だそうです。
 セカンドオピニオンも求めます。(別のドクターの判断として)4か月。化学療法が効いたとして9か月です。
 残酷です。
 おそらく、著者ひとりだけのことではなく、がん専門病院では、余命宣告は、日常的に起きている出来事なのでしょう。
 4か月だから、30日×4か月=120日が、この本のサブタイトルなのです。(『120日生きなくちゃ日記』)
 38ページにそのフレーズ(文章部分)のことについて少しふれてあります。

 著者のお父上が、5年前にがんで亡くなっているそうです。
 がんになりやすい体質が遺伝するのだろうか。
 ご家族をがんで亡くしたことがある人は、気にして検診をきちんと受診し続けたほうがいい。

 文脈から伝わってくるのは『自分がこの世で生きていた証拠を遺して(のこして)死にたい。(作家である著者の場合、遺すのは本です)』

 58歳で亡くなった著者です。本ではご自身で、長くもなく、短くもなくと書かれています。
 ふと思い出すのは、美空ひばりさん(52歳逝去)、石原裕次郎さん(52歳逝去)です。有能な人が短命だと悲劇を感じます。

 今年読んで良かった一冊になりそうです。

 軽井沢の自宅で創作活動をする。ときおり、東京で借りているワンルームマンションを利用する。新幹線通勤です。

 先日テレビ番組『家、ついて行ってイイですか?』で見たがんで亡くなったミュージシャンの、最後は骨と皮だけになった姿を思い出しました。途中、意識不明になるも親友の声かけで、奇跡のように体が動いたシーンが目に焼き付きました。人間の気力はすごい。
 彼がノートに書き残した(自殺する人に対するメッセージとして)その命をオレにくれ!という趣旨の表現は、自殺志願者にぜひ届いて欲しいメッセージです。

 自分自身ではなく、配偶者や子が、がんになることもあります。
 病気やけが、事故や事件、自然災害などの災難は、どれだけ注意しても避けられないのが人生です。
 若い頃に、とある洋画を観た時に記憶が残った言葉があります。趣旨として『人生では、何が起きるかは問題じゃない。何が起きても動じない度胸と自信、知恵と知識を、日頃から体験を続けて体に覚え込ませておけばいいのだ』というようなメッセージとして自分は受け取りました。そして、失敗は成功のもとなのです。失敗してもめげることはありません。失敗しないと成功できなかったりもします。

 国立がん研究センターというのは、昔訪れたことがある東京にある『築地本願寺』の近くにあることがわかりました。

 ゲラ読み:訂正箇所がないか校正用に刷った(すった)ものを内容確認のために読む。
 うざく:きゅうりとうなぎの酢の物。

 6月ころ、吐き気がひどいようです。

 アルカイックスマイル:古代ギリシャアルカイック美術の彫像のスマイル。口元だけがほほえんでいる。
 アメトーク:テレビ番組。うちも著者同様に、録画して見ています。

 本を読んでいると、まるで、著者が生きていて、目の前で本人が語ってくれているような文章です。

(つづく)

 6月10日(木)あと4か月。(10月13日死去)

 カロナール:解熱鎮痛薬(げねつちんつうやく)
 ホスピス:終末期の痛みや苦しみをやわらげて、人生の最期(さいご。命が尽きる時)を見送る。
 モンチッチ:サルに似た妖精。
 ウィッグ:かつら
 
 もうお金を天国へもっていくことはできません。
 (使えるお金は使える時に使っておきたい)
 税理士に関する事務を夫に引き継ぐ。
 4年前に死んだ愛猫の骨を造園業者に依頼して庭に埋める。
 ジューンベリー:木の名称。バラ科、果樹、白い花。
 錦木(にしきぎ):落葉樹。紅葉する。

 手書きの遺言状を書く。
 著者のお父上が、がんで亡くなったとき、遺言状がなかったので、ご遺族がとまどったそうです。(わたしも書いておこう。本では『財産があろうがなかろうが遺言状は書こう……』と書いてあります。遺言書にはあとに残る者たちへのメッセージ部分もあります。
 
 夫がいないと生活がたちいかない。

 ER:エマージェンシー ルーム。救急救命室。

 第二章 6月28日~8月26日
 まるでエンディングノートの作製です。銀行口座、ログインパスワード、葬儀の出席者名簿……
 (もう、泣いてもしょうがない)とあきらめる。
 タイトル『無人島のふたり』のことが、63ページに書いてあります。コロナ禍(か)で、なかなか人に会えません。夫婦ふたりだけの毎日です。(配偶者がいて良かった)
 日記を書いていることを編集者に知らせてあります。
 自分でも覚えているのは、この年の秋に亡くなった義母が春先からずっと入院中で、コロナ禍のために、親族でもなかなか面会がかないませんでした。
 東京オリンピックは、無理やりのように開催されて、うらめしかったことを覚えています。自分たちは入院見舞いどころか、どこにも行けませんでした。
 そんなことを思い出しました。
 本では64ページに『コロナ禍で面会禁止……孤立無援……』と書いてあります。

 創作のアイデアをいくつか紹介されています。
 自分はもう書けなくなったから、だれか書いてもらってもいいとあります。
 余命を宣告されて、勉強のための読書もやめたようなことが書いてあります。さびしいことです。
 枕元に未読本が置いてあるそうです。(わたしと同じです)

 ベクトル:方向性。向きと大きさ。

 ご自身が、がんこであるというお話も含めて、経緯、ご自身の歴史話は、しみじみします。
 
 ビストロ:食事処(どころ)、大衆食堂。

 思い出がつづられています。
 やはり、人生のイベント、ランドマーク(目印、節目)として、旅のような移動は体験しておいた方がいい。人生は知らないことを知りたいための冒険です。

 夫は英語の勉強をしている。(先日観た邦画『ぼけますから、よろしくお願いします』の90代のご主人も英語を勉強されていました)
 夫は、すごくがまんをしていると妻の目線から書いてあります。『もうすぐ別れの日が来る。(夫と)別れたくない』
 
 ウブド:インドネシア共和国バリ州の村。
 
 知床半島に行きたかったという文章が出てきます。当然ですが、昨年知床半島巡りの遊覧船が沈没した事故とのことはご存じありません。

 『……(自分は)2年ぐらいは持つんじゃないか……』
 7月にコロナ緊急事態宣言4回目が出たとあります。

 訪問診察の医師と看護師は、無人島に物資を届けてくれる本島(ほんとう)の人という感じがするそうです。コロナ禍がなければ、そこまでの孤独感はなかっただろうにとお気の毒です。
 89ページに、会いたかった人がたくさんいたというようなことが書いてあります。

 お母さんとはなにか、過去にいさかいがあったような書き方をされていますが、なんのことかはわかりません。

 病状として、嘔吐、高熱(38℃とか39℃)、だるい(倦怠感)、腹水がたまる。トイレに行くだけがやっと。つらそうです。薬漬けの体です。

 ジェラートピケ:ルームウェアのブランド。

 ご自身は、90歳ぐらいまで生きられると思っておられたようです。
 どんな人でも自分のデッドエンドはわからない。(おっしゃるとおりです)

 次の冬のオリンピック(北京オリンピック)のときには、自分は生きてはいなさそうだな……。
 せつない。

 緩和ケア(かんわケア):苦痛をやわらげる手あて。

 9月13日発売の『ばにらさま』という本が、作者にとっての作者が生きているうちの最後の本になるようです。

 114ページ、8月3日までのところまで読みました。
 人それぞれ人生の体験が違うので、共感できるところもあるし、そうでないところもあります。それぞれが『違う』ということが、ありふれたことであることがわかります。

(つづく)
 
 読み終わりました。
 深夜おふとんで目が覚めて(さめて)、最後のほうの部分をゆっくり読みました。
 そのあと、また眠りに落ちて、早朝を迎えました。
 眼が覚めて、ああ、著者は、もうこの世にいないのだと、腑に落ちました。(ふにおちる。はらにおちて、納得する)
 123ページ『この日記をもし読者の方に読んでいただける日が来るとしたら、わたしももうここにはいない……』
 今、自分が生きていることが不思議な気分になりました。人間が生き続けるためには『生命運』が必要だと思いました。

 8月、嘔吐(おうと。吐く(はく))が続いて、だんだん状態が悪くなっていく。
 腹水がたまって苦しんでおられます。2リットルも抜きます。抜いてもまたたまり始めます。シリンジで抜く。シリンジ:注射筒。
 
 124ページに2009年(平成21年)の作家角田光代さんのご友人たちとの結婚パーティのときの記念写真があります。
 著者を含めて、おふたりの女性ががんで亡くなっています。
 写真に写っている編集担当の女性は2015年(平成27年)に亡くなったそうです。
 写真を見ていて思うことは『若いということはすばらしい』
 節目、節目の集合記念写真は大事です。
 今隣にいる人が、明日も隣にいるという保障はありません。
 なるべく、けんかはしないほうがいい。

 余命宣告を受けた120日目が8月17日。8月16日の記録として『あ、今日もまだ生きているなとぼんやり思う』とあります。もっと生きたいと思いながら、ぼんやりとしているようすがわかります。

 命が静かに消えていきます。(『ブラックホールに吸い込まれるように、ひゅっと命をとられている』と表現があります。

 『がんは、見つかっても治らないがんがある』
 
 パルスオキシメーター:指をはさんで測定数値を表示する。動脈血酸素飽和度と脈拍数を調べる。
 
 自分で感情をコントロールできなくなる。
 何度か転んでしまう。(ころんでしまう)
 週単位で時間を見る→死期が近い。
 ふたりで暮らしている無人島から、夫だけが本島に帰ってしまう。
 せつなくなる文章表現が続きます。
 賢人(けんじん。夫のこと):かしこい人。夫も精神的に相当まいっています。
 
 親族や友人と生きているうちで最後の面談をする。
 痛々しい。
 書くことで、気持ちが助かるということはあります。日記は続きますが、終わりは近い。
 9月13日(月)生きているうちで最後の新刊『ばにらさま』が発売される。喜んでおられます。
 日記の文章だけを読むと、もうすぐ亡くなる人には見えません。元気そうな書きぶりです。
 
 日記は、わたしの義父が亡くなった9月のとある日を通過しました。
 どたばた騒ぎをした自分たち身内の葬儀対応を思い出します。高齢の老衰とはいえ突然の死去でした。
 
 9月下旬、日記の文章を読むと、ご本人の意識が崩れていくのがわかります。10月13日が命日です。
 人間ひとりひとりを『星』とする。星は、自転しながら公転している。作品『自転しながら公転する』の意味がわかります。人間関係のつながりなのです。

 10月4日(月)で、日記の文章は終わっています。
 意識が遠ざかっていったのでしょう。
 胸にグッとくるものがありました。  

Posted by 熊太郎 at 08:20Comments(0)TrackBack(0)読書感想文