2023年01月12日

旅猿22 静岡・愛知で歴史巡りの旅

旅猿22 静岡・愛知で歴史巡りの旅 2022年12月  動画配信サービス

 初回と2回目を見たところで感想を書き始めます。
 身近な地域なので興味をもって観始めました。
 どうも日帰りのようで、かなりハードなロケです。
 東名高速道路沿いを巡るようですが、移動時間・移動距離が長い。とても一泊二日で回るルートではありません。この先、もめそうです。とくに東野さんが怒りそうです。なんでまたこんな無理やりな見学コースにしたのか。しかも雨天です。

 NHK大河ドラマ『どうする家康』がらみの企画だそうです。
 ゲストの歴史好きロバート山本さんの歴史解説の言葉は説得力があってなかなか見ていて学びがあり感謝したくなります。支配するだけでは組織はもたない。学ばせて、忍耐して、人を育てる。
 江戸の街づくりを考えると、優秀な人材が豊富に、家康のまわりにいたと考えるのです。
 
 静岡駅前でロケがスタートして、家康が人質として幼少時にいた静岡市内の清見寺で梵鐘を見学しました。
 愛知県岡崎市に移動して、自害を思いとどまった場所といわれる大樹寺(だいじゅじ)、家康が食べたという資料に基づいてつくったうどんを食べられるうどん屋さんなども巡ります。
 そこからまた静岡に戻って、三方ヶ原の合戦跡地の見学です。(どうして戻るのだろう? その後、なるべく家康の成長に合わせながら移動していることがわかりました)
 古戦場跡は、去年の初夏にドライブに行った浜名湖舘山寺(かんざんじ)の東北あたりで、行ったことはありませんが、雰囲気はなんとなくわかります。戦場の跡地というところは、いなかの風景が多い。武田信玄と徳川家康が戦って、徳川家康が大敗したところです。徳川家康が戦に負けた時の苦しい表情をした有名な肖像画があります。
 三人はその後『酒井の太鼓』という歴史上意義のある太鼓を見学しに磐田市の旧見附学校をおとずれています。しかし、なんと、ハードスケジュールな移動なのだろう。スタッフはもう少し、出演者の体調などを考えてプランを立てたほうがいい。駆け足(かけあし)すぎます。

(つづく)

 なかなか忙しい。その割に移動時間ばかりが長い。
 あたりが真っ暗になって到着した場所が古戦場跡でした。『とりいすねえもん』という足軽(あしがる)に関するロバート山本さんの熱弁が良かった。

 その後立ち寄った蓬莱牛(ほうらいぎゅう)のお店のお料理がすごかった。びっくりしました。
 注文したのは、シングルステーキと白ご飯に生ビールでしたが、次から次へと豪華なサービス料理が出てました。
 茶碗蒸し、おつくり(刺身。マグロ、サバ、のどぐろ)、地酒、カニ、しゃぶしゃぶ、ステーキ二種類。お礼に東野さんたちが、来春のお店の移転オープンの時にお花を出すらしい。まあ、びっくりしました。

(つづく)
 
 場所は『大浜稲荷社(おおはまいなりしゃ)』というところに移りました。初めて聞きました。
 愛知県の碧南市内(へきなん)にあります。近くの水族館には、まだこどもたちが小さかった時に何度か行ったことがあるのを思い出しました。
 昔から伊勢湾内は船の航路だったわけで、三重県方面から知多半島方面への船での移動は(番組のなかでは、1582年。家康の伊賀越え(本能寺の変のあとの徳川家康の岡崎城への帰還の紹介あり)、源氏や平家の時代から盛んだったと思います。もう440年ぐらい昔の徳川家康が移動した話ですが、当時は、陸路よりも海路の移動のほうが速かったと感ずるのです。
 
 最後の見学地が、小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてのたたかい)の地であった長久手市内にある古戦場公園のロケでした。たまに、車を運転してその公園の横を通ることがあるので、東野さんたちがここに立ち寄ったのかと不思議な気分でした。
 思うに、ほんの半世紀ぐらい前は、いろいろな古戦場の場所だったところは、見渡すところ原野や里山の風景でした。宅地開発がなされて、区画整理できれいになって、戸建てが並んで、静かな住宅地に変わるのを見てきました。第二次世界大戦の終戦後、日本中の都市近郊だった田舎が都市化に向かって急速に風景を変化させました。
 ゆえに、桶狭間(おけはざま)の古戦場から北にかけての地域は、どこでも戦乱が繰り広げられていたことが想像できるのです。ひとつの狭い場所で集中的に戦っていたというイメージが自分にはありません。今のウクライナみたいな感じで、土地を遠くまで見通せる時代があったのでしょう。

 最後のロバート山本さんによる紙芝居を使用した時代説明が良かった。
 徳川家康は、部下たちの人間力を重視して、組織を形成して、組織を維持していった。組織運営が好きだった人という印象をもちました。